〜 声をだに 〜
「おい、長曽祢はいるか?」 私室の前から声をかけてきた薬研に、刀の手入れ中だった長曽祢は顔を上げた。 「いるぞ」 応じるや襖が開いて、白衣姿の薬研が顔を出す。 「手入れ中にすまんな。 ちょっと頼みたいことがあって・・・なんだ、この白い爺さんは」 床の間に置かれた、白髪白髯に黒縁眼鏡、白いスーツ姿の好々爺像を見上げた薬研が、ぽかんと口を開けた。 「話せば長くなるんだが・・・一言でいえば、酔った蜂須賀が持って来た」 「あぁ・・・蜂須賀家の無礼講か」 日本一ヤバい飲み会として有名な蜂須賀家の酒宴では、その場にあるものを持ち帰っていい、という無礼講がまかり通っていたと言う。 「どっから盗ってきたんだよ。 大将が怒るぞ」 商品はまずい、と顔をしかめる薬研に、長曽祢が苦笑して首を振る。 「それがな、まず、物吉と日向が鶏の唐揚げを買いに行ったら福引をやっていたそうで、物吉が見事、この特賞を当ててしまったと」 「こんなんもらって嬉しいかよ」 運がいいのも困りものだと、呆れる薬研に長曽祢も頷く。 「何とか持ち帰ったが、持て余して、先日のはろ・・・なんとかの宴の際に、一等を取った奴の賞品にしようと出していたらしい」 「そんなもん、あったっけか」 参加したが覚えていない、という薬研にまた、長曽祢は頷いた。 「一等は太鼓鐘だったからな。 あいつ、事情を知っていたから、なかったことにしたそうだ」 「あのやろう」 兄弟でつるみやがって、と、苦笑する薬研は、好々爺の像を指す。 「じゃあ、こいつは浦島が欲しがりでもしたのか?」 ならば、弟思いの蜂須賀が、交渉して得たのかと思ったが、 「いや、泡盛大会で酔っぱらった蜂須賀が、なぜか彼と意気投合して、一緒に部屋へ戻ってきたんだ。 それからしばらく、二人で飲んでいたらしい」 「あー。 あいつ、途中でいなくなったから、どっかに落ちてんじゃないかと思ってたが・・・。 意外と面白いよな、蜂須賀」 「次の日、二日酔いと一緒に頭を抱えていたがな」 くつくつと笑う長曽祢に薬研も吹き出した。 「返そうにも、物吉に断られたってわけだ」 「徳川の名にかけて、一度渡した物を取り返すような真似はしない、だとさ」 「いや、結構取り返してんだろ」 肩をすくめた薬研は、『ところで』と、表情を改めた。 「新選組の力を貸してほしい」 「ほう?」 居住まいを正した長曽祢の前に、改めて座った薬研は、忌々しげに眉根を寄せた。 「兄弟が姿を消した」 「なんだと!」 すわ大事と、腰を浮かせた長曽祢を薬研は手を挙げて制する。 「事件でも事故でもない。 自主的な逃亡だ」 「逃亡・・・?」 なぜ、と言いかけた長曽祢は、薬研の白衣に苦笑して頷いた。 「もう、イン・・・なんとかの時期だったか」 「注射が嫌で逃げ回ってるだけならまだしも、今回はそもそも消えやがった!!」 火を噴かんばかりに怒号をあげる薬研は、しかも、と、こぶしを握る。 「よりによって政府の野郎、このタイミングで特命調査を持ってきやがって!! 古参組全員、天保から戻ってこねぇ!!」 この状況下、第一刀の歌仙はじめ、蜂須賀、加州、陸奥守、山姥切という、毎年、予防接種から逃げる刀の捕獲に係る刀たちが不在であることは、結構な痛手だ。 それを見越しての、兄弟達の逃亡だと思うと、更に腹が立った。 「去年、俺が奇襲を成功させたのも原因といえば原因だが、こんな無駄なことで時間を浪費したくねぇ。 新選組の力量で、奴らの捕獲を頼むぜ!」 「承った!」 力強く頷き、長曽祢は立ち上がった。 「この戦、必ず勝ってみせるぞ!」 その後、長曽祢に呼び出された和泉守、国広、安定の三人は、事情を聞いて、一様に苦笑した。 「薬研も毎年、大変だな」 腕を組んだ和泉守を見上げ、国広は首を傾げる。 「けど、本丸の中にはいるんだよね? 食事とかどうしてるのかな?」 「内番もやってるはずだよ。 僕、五虎退と秋田が畑にいるの、見たもん」 一緒に厨まで野菜を運んだ、という安定には、長曽祢も頷いた。 「俺も、薬研に相談される前に、厩舎で後藤と信濃を見ているんだ。 どうも、薬研の前からだけ、姿を消しているようだな」 「器用な奴らだな! けどよ、それって粟田口だけか? 逃げる短刀は他にもいるだろうよ」 毎回、逃げ出すのは他の短刀も同じ、と言う和泉守に、国広もこくこくと頷く。 「ちょっと僕、聞き込みしてくるよ! 今剣君とか小夜君とか、他にも消えてる子がいるかもしれない!」 ぴょこん、と立ち上がるや、部屋を駆け出て行った国広に続き、和泉守も立ち上がった。 「安定も、来派や長船のちっせーのが消えてないか、聞き込みしてくれ。 長曽祢さん。 鶴丸と鯰尾、あと小竜もか。 ひっ捕らえに行こうぜ!」 「あぁ、そうなるか」 いつも、逃亡計画を企て、短刀達の手助けをする三振りの名に、長曽祢は眉根を寄せる。 「となると、光忠がいない隙をついて、食事を世話しているのは鶴丸だな。 そこを断てば、自分から出てくるか」 「腹が減っちゃあ、戦もできねぇしな!」 逆に言えば、そこさえ押さえておけば、簡単に炙り出せるというものだ。 得意顔の和泉守に、不意に、長曽祢が吹き出す。 「こういうことには頭が回るのに、古今には叱られてばかりなんだな、お前は」 「あ・・・あいつは、難しいことばっかいうんだよ!」 趣きだの雅だのと、ふわふわしたことばかりで、はっきりとした答えが見えない、と愚痴を言う彼の肩を、長曽祢は慰めるように叩く。 「お前が叱られなくなる日は遠そうだ」 「う・・・うるせぇ! 今は雅どころじゃねぇってんだ!!」 耳まで赤くして踵を返した和泉守に、長曽祢は笑ってついて行った。 「御用改めである!!!!」 「鶴丸を出せ!!隠すとためにならんぞ!!」 厨に響いた突然の大音声に、驚いた肥前忠弘が唐揚げを喉に詰まらせて悶えた。 「・・・っ殺す気か!!!!」 太鼓鐘が渡してくれた水を飲み干し、涙目で睨むと、和泉守が殊更に見下ろしてくる。 「んっだよ、肥前。 またボッチで飯食ってんのか。 之定がいなくて寂しいのかよ?」 俺の祖だけど!と、更に上から見下ろしてくる彼に、肥前は鼻を鳴らした。 「親離れできねぇガキか」 「んっだと、この土佐ヤロウ! やんのか、あぁ?!」 「落ち着け、和泉守。 今の捕獲対象は鶴丸だ」 どこだ、と問われた太鼓鐘は、ふるふると首を振る。 「ここんとこ見かけないんだけど・・・不思議なんだ。 聞いてくれよ」 嘘をついている様子はない、と、見定めた二人が頷くと、太鼓鐘はコンロに乗った大鍋を顎で指した。 「俺も遠征に行ったり、みっちゃんの手伝いで戦場に行ったりしてるから、ここで鶴と会わないってことはまぁ、珍しくはないんだ。 けどよ、こんなに何日も会わないってことはないし、戻ったら仕込みはあらかた終わってる、ってのは不思議なんだよな。 仕事はちゃんとしてるけど、俺達とは顔を合わせたくないみたいで、なんか・・・うん、気まずい」 何か気に障ることでもしただろうかと、眉根を寄せる太鼓鐘に、長曽祢が苦笑して首を振る。 「そうじゃない。 薬研が言うには・・・」 と、薬研の話をそのまま聞かせると、太鼓鐘は呆れたように目を丸くした。 「もうそんな時期だったか・・・! それじゃあ、きっと薬研の言うとおりだぜ!」 言われてみれば、思い当る節など腐るほどある。 例えば、 「敬老の日に、俺と伽羅で贈り物をしたんだけどよ、その時、小竜と何かコソコソしてたんだよな! 慌てて裏返した紙・・・ありゃきっと、見取り図かなんかだぜ!」 他にも、祭の最中に小竜が姿を消したり、怪しい動きはいくらでもあった。 「伊達にも内密でやっていたとなると、面倒だな」 呟いた長曽祢に肥前は、ふと、瞬いて箸を置く。 「おい、幕府の犬ども」 「あぁん?!」 和泉守の殺意を無視して、肥前は長曽祢を見上げる。 「太鼓鐘にはいつも、メシを食わせてもらってるからな。 俺が捕縛を手伝ってやる」 「肥前ー! お前、いい奴!!」 抱きついて来た太鼓鐘は押しのけて、肥前は立ち上がった。 「どうも・・・心当たりがあるんだよ。 俺が見たのがそうなら・・・先生も絡んでる」 「最悪かよ!!」 「なんでよりによってあいつが絡んでんだ!!」 「やべぇ!本丸が燃える!!」 「いや、さすがにそこまでは・・・。 ってか、お前らにとって先生はどんな奴だよ」 阿鼻叫喚の三人に肩をすくめ、厨房を出ようとした肥前を太鼓鐘が呼び止める。 「これ、持っていきな! みっちゃん特製のおはぎだぜー!」 「あぁ、ごちそうさん」 厨の暖簾をくぐった肥前は、早速包みを開けておはぎを頬張る。 「せふっ・・・へふっ・・・もふっ!」 「食ってから話せ! 何言ってんだかわかんねぇ!」 忌々しげな和泉守に鼻を鳴らして、肥前は歩きながら頬張っていたおはぎを飲み込んだ。 「先生が、自室以外の部屋から出てきたことがあったんだ。 それだけなら別に、用事でもあったんだろうと思うだけだが、やたらあちこちから出てくる上に、その全てが空き部屋となると、事情も変わるだろ。 なんかやべぇことやってんじゃねぇかと思って、主には報告してたんだが、特になんのお咎めも・・・」 「主のやろううううううううう!!!!」 突然の和泉守の怒号に目を丸くした肥前へ、長曽祢がため息をついた。 「この件に関しては、主も一枚噛んでるんだ・・・!」 「あ?どういうこったよ?」 「毎年恒例、いん・・・なんとかの予防接種なんだがな、注射を嫌がる短刀達が逃げ惑うのを、主が楽しそうに眺めている、という構図なんだ。 去年は、薬研が先んじて夜襲をかけたんだが、今年はそれを見越して先に逃げたようだ」 「・・・めんどくせっ」 だが、と、肥前は腕を組んだ。 「そうと聞いちゃあ、更にほっとけねぇな。 主のお墨付きだって、はしゃいだ先生がなにしでかすか、わかったもんじゃねぇ」 「まったくだ・・・。 どうしてこう、うちの本丸は、羽目を外したがる奴が多いんだ・・・」 頭を抱えてしまった長曽祢の肩を、和泉守が慰めるように叩く。 「ここじゃあ、之定が第一刀だ。 あんたが抱え込むこたぁねぇさ!」 「・・・いや、ちゃんと止めろよ、第一刀とその裔(すえ)!」 他人事と言わんばかりの和泉守に、長曽祢も思わず真顔になった。 と、 「兼さーん!」 背後から呼ぶ声がして、三人は足を止める。 「今剣君と小夜君、やっぱり部屋に帰ってこないんだって! 岩融さんと左文字の兄さん達は、光忠さんと一緒に戦場じゃないのか、って驚いてた! あと、太閤君も消えてるって!」 駆け寄って来た国広の後ろから、安定も走って来た。 「愛染と蛍丸がいないって、明石さんが言ってるんだけど・・・」 苦笑して、小首を傾げる。 「予防接種が終わったら帰って来るやろ、って、探す気はないみたい」 「仕事しろ、保護者!!」 思わず唸った長曽祢は、肥前へ向き直った。 「南海が出入りしていた部屋に案内してくれ。 食料の調達や情報の提供が目的かもしれん」 「あぁ、その部屋にガキどもが隠れてるかもしれねぇってことだな」 行くぞ、と、歩を進めた肥前の後について行きながら、懐から端末を取り出した和泉守は、自分達よりも先に捜索を開始しているだろう、長谷部、博多、日本号の黒田組へ情報提供依頼のメッセージを送り、蛍丸を除く大太刀と薙刀へ捕獲協力の依頼を送った。 黒田組から一瞬で返ってきた情報を頭に入れた和泉守は、半歩後ろを歩く国広を見下ろす。 「本丸の見取り図をくれ」 当然、用意しているだろうという信頼を裏切ることなく、国広が差し出した見取り図を受け取った和泉守は、先に行く者達を呼び止めた。 「朝から追っかけまわしている黒田組の情報によると、畑や厩舎で仕事中だった連中を捕まえようとしたが、いつの間にか逃げられたと。 部屋に戻った気配もあったが、博多が入った瞬間に消えたそうだ。 それに加えて、土佐野郎」 「あぁん?!」 「吠えんのは後だ。 南海が出入りしてた部屋、見取り図でわかるか?」 問われて彼は、和泉守が広げた見取り図内の部屋のいくつかを指す。 と、取り出した筆で部屋に印をつけた和泉守は、にんまりと笑みを浮かべた。 「見えたぜ、奴らの逃げ道が!」 と、皆の前へ見取り図を差し出す。 「×印がついている部屋は、厩舎や畑に面している。 一応、自室にできる体裁にはなっているが、厩舎や畑のにおいがするからって、誰も使いたがらなかった一画だな。 それで今じゃ、畳を外して物置なんかに使われているわけだが・・・」 言いつつ、和泉守は見取り図に書かれた×印を、線で繋いだ。 すると、一見、ばらばらに見えた部屋は、奥の壁を隔てた隣室となっている。 「きっと、ここに小竜の奴が・・・」 と、言いかけた和泉守は、『確認だ』と呟いて、どこかへ電話をかけた。 「・・・あー、万屋かな? 俺、大和国本丸の小竜景光だけどー。 こないだはどうもー。 資材、たくさん集めてもらって、助かったよー。 それでね、俺、主に納品書出せ、って言われたんだけど、本丸の経理のことなんか知らなかったから、捨てちゃってさー。 再発行って、してもらえるのかな? 無理だったら、コピーをメールで送ってもらうだけでいいんだけどー。 あ、俺のメアドじゃなくて、堀川国広のに送ってもらえる? 今、督促してるのは彼だからさー。よろしくー」 と、国広でさえ驚くほどに、小竜そっくりの口調と声音を真似た和泉守は、まんまとその証拠を手に入れてしまった。 「ほーらな。 建築用の材木と部材を大量に仕入れてやがった。 これだけありゃ、抜け道を作ることだってできるだろ」 無駄に器用な小竜と、資金力のある鶴丸が組んだ以上、抜け道をいくつか作っていても、不思議ではない。 国広の端末を覗き込みながら、得意げな和泉守に、皆が目を輝かせる。 「さすが兼さん!やればできる子!!」 「本当に、こういうことには頭回るよねぇ。古今さんには叱られてるのに」 「てめぇまでうっせぇよ!!」 意地悪を言う安定を小突いた和泉守は、長曽祢に向き直った。 「押し込むのは簡単だが、奴らのことだ、逃げ道は必ず、複数ある。 黒田組や加勢の連中を集めて、囲い込んでやろうぜ」 「・・・高知城の時みたいだな」 ポツリと呟いた肥前に、和泉守は大きく頷いた。 「一網打尽だ!」 「へー。 またやってんのか、追いかけっこ」 「子らの、元気なことよな」 同じ頃、薬房へ予防接種にやって来た獅子王と小烏丸は、薬研の話を聞くと、なぜか感心したように頷いた。 「まー・・・痛いしな。 腫れても手入れできねーし、短刀達が嫌がるのも無理はないかな」 「しかし・・・疫病とは厄介な。 子らが罹って苦しむのは憐れよな」 「そのための予防接種だ。 大将自身は、こういったことに積極的だから、最初に済ませてんだけどな。 腫れてかゆい、ってぼやいていたのを聞いた誰かが、逃げの合図にしやがったんだな」 きっと乱だ、と、目を吊り上げる薬研に、獅子王が苦笑する。 「早めに見つかるといいな。 本丸中追い掛け回すのは大変だもんな」 「まったくだ。 俺がバテちまうから、なんか情報見つけたら知らせてくれ。 あいつらの隠れ場所とか、煽ってる鶴丸と小竜、それに、ずお兄の居場所とかな!」 鯰尾が一番腹立つ、と、こぶしを握る薬研に頷きかけて、獅子王が小烏丸を見やる。 「隠れ場所って・・・もしかして・・・」 と、小烏丸は笑みを含んだ目で彼を見上げた。 「っ! 気づいてやがったな!」 「ふふふ・・・。 あの時の小竜は、いたずらのばれた幼子のような顔をしていたからな」 そうか・・・と呟いて、また、小烏丸は笑い出す。 「畑と厩舎に面した、空き部屋の続く辺りがあろう? あの一画から小竜が現れたことがあったのだが、妙なことに、この鵺が・・・」 と、小烏丸は獅子王の肩でまどろむ鵺の、黒い毛を撫でた。 「現れる直前まで、小竜の気配を感じなかったらしい。 あれは、驚いた時の声であったろう?」 「・・・なんで俺より先に気づいてんだよ。 でも・・・言われてみれば、小さな鳴き声はこいつが、警戒してる時だな」 いつも、敵の存在を密かに知らせてくれる時に発する声だが、出てきたのが小竜だったため、すっかり忘れていた。 「元々潜んでいたのなら、あのようには鳴くまいよ。 障子も開けず、突然に現れたゆえ、驚いたのではないか?」 「っ! 天井か!!」 とうに排除したと思っていたが、小竜達が再び、天井裏を移動できるように補強したのだろうと思い至り、薬研は端末を取り出した。 「天井だ!! ヤロウ共、天井を移動してやがる!!」 一斉送信されたメッセージを受け取った捕獲者達は、無言で天井を指差し、頷きあった。 軽く手を伸ばすだけで天井板を持ち上げた太郎太刀が、次郎太刀に抱えられて天井裏をそっと覗き込む。 「おやおや・・・随分と快適なものを作りましたねぇ」 思わず笑ってしまった太郎太刀は、自身の端末で天井裏の写真を撮ってから回廊へ降りた。 捕獲隊へ送った写真には、灯りや寝具だけでなく、菓子やおもちゃまでもが散らばる様が写っている。 「あいつら、好き勝手しおって!!」 写真を見た長谷部が、太郎太刀とは別の場所で歯噛みした。 「こら、だいぶ補強しとうね。 短刀のほとんどと、ずお兄と鶴丸、小竜もおるっちゃろ? 天井裏ってゆーより、屋根裏部屋やが」 思わず感心する博多に同意した日本号が、しかし、と首を傾げる。 「これだけのことをやっておきながら、工事の音なんか聞こえなかったぞ? いくら空き部屋が多い場所ったって、釘を打ったりすれば、音が響くんじゃないか?」 どうやって・・・と、不思議そうな日本号に、この本丸の城郭化を担った長谷部が首を振った。 「最近の工法は、釘を使う必要がないんだ。 工業用の接着剤や両面テープで、十分な強度を持たせることができる」 「ほぇー!すごかー!」 ということは、と、博多は国広から転送された納品書の画像を表示させる。 「木材の他の、なんちゃらテープってゆーとやら、番号の振ってあるとが接着剤やったっちゃが!」 「はぁ・・・。 こりゃずいぶん買い込んだもんだ」 ひと缶19リットル、という単位がどの程度かはわからないが、結構な量だということはわかる。 それがいくつも並ぶ様に呆れる日本号の隣で、長谷部がこぶしを握った。 「こういうことに金を惜しまないのが鶴丸だな・・・!」 だが!と、こぶしを掲げる。 「隠れ場所を突き止めたからには、もうこちらのものだ! 煙で燻り出して、一網打尽にしてくれる!!」 天井への出入り口は偵察が得意な脇差達に依頼して、ほぼ把握している。 薬研の急襲で予防接種を打たれた治金丸が、泣いて協力を渋ったが、兄の威厳を保つため、痛みに耐えた北谷菜切の命令で、文句を言いながらも協力してくれたことが大きかった。 「なんで抜け道探すの、得意なんです?」 黒田組とはまた別の場所で、問いを発した国広に、北谷と顔を見合わせた治金丸が苦笑する。 「いちおう・・・王宮住まいだったから、かなぁ」 「人目を避けられる場所、ってのが、なんとなくわかるんだぁ」 うん、と、得意げに頷いた北谷が、すぐに眉根を寄せて、障子の向こうを見やった。 「それより、あいつは大丈夫なのかぁ?」 北谷が指した先では、捕縛された南海が、ぐったりとして畳の上に転がっている。 肥前忠弘と新選組による、拷問付き尋問が行われ、未発見だった隠し通路の存在を白状させられたのだ。 「吐かなきゃ蔵書を燃やす、って脅しは、之定がいない時じゃなきゃ、使えねぇからな!」 そんなことを歌仙が聞けば、叱られるのは和泉守の方だ。 「僕に仲間を裏切らせるなんて・・・! 君に心はないのかい?!」 「はっ! 俺は、鬼と呼ばれた新選組副長の刀だぜ! 任務のためなら手段は選ばねぇ!!」 むしろ得意げに言い放った和泉守の隣で、肥前も鼻を鳴らす。 「他のことなら見逃してやったが、メシの恩には代えられねぇ」 「肥前君ったら、すっかり餌付けされて!」 全身を紅い縄でぐるぐる巻きされた南海が、じたじたと暴れ・・・ようとしたが、せいぜいもぞもぞと動くことしかできなかった。 「手懐けられてんのは先生もだろ。 なんであいつらに協力してんだ」 肥前が足先でつついて転がしてやると、南海は途端に目を輝かせる。 「それはもちろん!面白そうだったからさ! この本丸で、どんな逃亡劇が見られるのか、興味あるだろう?!」 「燻してやる」 「あぁっ!なにをす・・・げふげふげふっ!!」 七輪の上で炎をあげる、サンマの煙を団扇で吹きかけられた南海が、涙を流して咳き込んだ。 「ひどいよ、肥前君! サンマの煙は臭いが染みつくんだよ!!」 「うまそうでいいじゃねぇか。 猫が寄ってくるぜ」 「やめっ!!げふっ!! 君たち後で覚えてるんだよ! 歌仙君に言いつけるからね!!」 涙目で睨みつけるも、 「之定は俺の祖!」 「よく食う俺はお気に入り!」 と、にべもない。 更には、 「このまま天井も燻しちゃいましょう」 と、国広まで参戦して、いくつもの七輪が持ち込まれた。 「いや、ここで魚焼くのやめなさいよ?! 本当に歌仙君から怒られるよ!」 サンマを乗せた笊を持って、こちらへ駆けてくる浦島の姿に、南海が悲鳴じみた声を上げる。 「いいじゃん。 後でみんなで食べよー♪」 のんきな声で浦島が呼びかけると、治金丸と北谷も目を輝かせて団扇を受け取った。 「ヤマトの魚!うまいよねー!!」 「荒波が身を鍛えるっていうなー!」 早速、七輪にサンマを乗せた二人へ、浦島が気づかわしげな目を向ける。 「脂がのったサンマはすぐに燃え上がるから、七輪の炭は端に寄せるんだぞ。 炭に脂が落ちたら大炎上・・・っ!」 調子づいて扇ぎまくった挙句、炎上させて前髪を焦がしてしまった二人に浦島が慌てた。 「言わんこっちゃないー! 長曽祢兄ちゃん!おしぼりある?!」 「蜂須賀じゃあるまいし、そんな気の利いたものは持たん!」 「なんで偉そうなの! 蜂須賀兄ちゃん、いつまで天保にいるの!」 わめきながら、浦島は北谷と治金丸の、くすぶる前髪を手ぬぐいで叩いてやる。 「び・・・びっくりしたぁ・・・」 「すごい燃えるんだなぁ・・・」 呆然とする二人へ吹き出した浦島が、金網をどけて火箸を入れた。 「炭を端に寄せてから、炭の上を避けて焼くんだよ。 焦らずにじっくり焼けば、焦がさずにうまく焼けるからさ」 「そうかぁ・・・ありがとうー」 浦島から火箸を受け取った北谷の隣で、治金丸がくすくすと笑い出す。 「ちい兄が前髪焦がしてて笑った。 後でだい兄に・・・いだいいだい!!ちい兄いだい!!」 よりによって注射痕をつねられて、治金丸は本気の泣き声を上げた。 「でも、煙をたくさん出すためには、多少炎上させたほうがいいかもね」 言いながら国広は、天井裏めがけて煙を煽る。 「国広、焼けたら俺にくれ」 「絶対うまいやつ」 既に箸を構えた和泉守と、自ら煽りながら涎を垂らさんばかりの肥前に、南海がまたじたじたと暴れた。 「こうなったら! みんなー!逃げぶっ!!」 表面だけが焦げた、生焼けのサンマを突っ込まれて、南海は口を塞がれる。 「さすが土佐野郎、容赦ねぇな」 「そう言うてめぇも、つまんでんじゃねぇよ」 国広が色よく焼き上げたサンマを、箸でほぐしつつ言う和泉守を、肥前が睨んだ。 「おい、こっちにもう一尾寄越せ」 「はーい! 肥前は、塩効かせた方が好きか?」 サンマの乗った笊を差し出した浦島に、どれにする?と問われて、肥前は艶々と照り輝く一尾を取った。 「これは俺が食うからな。 先生はおとなしくしてろよ」 「好きで取ったんじゃないけどね」 肥前の身勝手な言い様に、さすがの国広も苦笑する。 「それに、煙を天井中に行き渡らせるのって、結構大変そうだよね。 ってことで」 と、国広はポケットからいくつもの筒を取り出した。 「手っ取り早く、燻蒸剤使いましょう。 人体に有害らしいですけど、僕ら人じゃありませんし」 人畜無害な顔をして、平然と無茶を言う人でなし代表は、パッケージを開けて長曽祢へ渡す。 「はい、これ。 天井裏に置いて、天井板閉めちゃってください。 出て来たところで一網打尽にしちゃいましょ」 言うや、自身は端末を取り出して、各出入り口で待ち構える刀達へメッセージを送った。 『燻蒸剤を天井裏に置いたら、天井板、および抜け穴を塞いでください。 たまらず出て来たところを捕まえましょう』 自身の端末を見て、頷いた日本号が、ポケットから出した燻蒸剤を天井裏に置く。 「なんそれ? いつの間にもらったと?」 目を丸くする博多に、日本号は少し前に受け取ったメッセージを差し出した。 「槍とか大太刀とか、でかいやつらに国広から、後で必要になるから燻蒸剤を持っていろって連絡が来たんだよ。 指定の広間に行ったら、卓に山と積んであったからな、国広が準備してたんだろ。 あいつ・・・こう言うところ、怖いよな」 国広の、敵を追い詰め、捕獲するための戦術や、先を見通す力の凄まじさに、さすがの日本号も声を詰まらせる。 しかも、手段を択ばないところが更に凶悪だ。 「これ・・・使ってよかと? さすがに主人が怒るっちゃなか?」 主を出しつつも、本音では兄弟に酷いことはしたくない、と言いたげな博多へ、長谷部が鼻を鳴らす。 「催涙スプレーじゃないだけ温情というものだ」 そもそも燻り出すつもりだった人でなし2号に促され、日本号は天井裏に燻蒸剤を設置した。 「さぁ出て来い、ネズミども! せいぜい痛い目に遭わせてやるぞ!!」 悪役以外の何物でもないセリフを吐き、高笑いする長谷部に、日本号が苦笑する。 「まぁ・・・。 うまくいけばいいけどな」 そっと呟いた彼の予想は、ある程度当たっていた。 「燻り出しに来たか! 予想通りだ!」 天井裏・・・というよりは、もう屋根裏部屋として機能しているそこへ流れ込んできた煙に、鶴丸はにんまりと笑った。 「みんな、安心しろ! 換気は十分だ!」 言う間にも、煙はどんどん屋根の向こうへと吸い上げられていく。 「ちょっとお高めのやつ選んでよかったよねぇ」 高機能換気扇に満足げな小竜へ、鯰尾もこくこくと頷いた。 「これからも隠れ家として使っていきたいですからね! やっぱりオトコノコたるもの、秘密基地の一つや二つ、持っておかなくては!」 その言葉には、弟達も大きく頷く。 「薬研出し抜くの、めっちゃ面白れぇ!」 「そこは! ボクの情報をもっと評価してほしいなぁ!」 意地悪く笑う厚と、得意げな乱に周囲から笑声がわいた。 「や・・・薬研兄さんから逃げるの、怖かったけど・・・」 「真っ赤になって怒ってるあの顔!おもしろかったな!!」 と、五虎退と不動が頷きあう。 「ではみなさん、これからが本番です!」 ぱん、と手をたたいて、秋田が目を集めた。 「超攻撃的逃亡劇!はじめます!」 「なー・・・国広ぉー・・・。 全然出てこねぇぞ」 サンマの塩焼きをつまみながら、天井を見上げる和泉守の隣で、国広も頷いた。 「臭いがきついもの、って、指定して買ったのに、我慢してるのかなぁ」 「有害なんだろぉ・・・? あんまり我慢すると、よくないんじゃないか?」 「手入れで治るんならいいけどさぁ・・・」 北谷と治金丸も、揃って気づかわしげな目を天井へ向ける。 「ちょっと・・・開けてみるか」 不安げな浦島に裾を引かれた長曽祢が、気になって天井板を押し上げた瞬間、 「んなあああああああああ?!」 次々と降ってきた短刀達に容赦なく踏みつけられ、悲鳴を上げた。 「んなっ・・・がそねさんっ!!」 箸を持ったまま、反応が遅れた和泉守達を尻目に、短刀達は蜘蛛の子を散らすように去って行く。 「・・・めんどくせーからこのまま、サンマ食ってていいか?」 「うるせーよ。 おら、行くぞ!」 唖然として見送ってしまった和泉守を、箸を置いて手を合わせた肥前が促した。 「ちょっと?! 僕をこのまま放置する気じゃないだろうね?!」 びちびちと跳ねる南海へ、肥前は非情に頷く。 「死にゃしねぇよ」 「これが噂の放置プレイ?! なるほど、理解したよ! 理解はしたから解放したまえ!!」 「じゃあ、亀甲のキモチを理解できるまで、そのままでいな」 俺には到底理解できねぇが、と、意地悪く笑って箸を置いた和泉守が、よいせ、と立ち上がった。 「一網打尽に失敗した以上、ただ追っかけても、捕まる連中じゃねぇだろ。 部隊を再編成するぞ」 潰された長曽祢の腕を引いて起こしてやりながら言うと、既に国広が、端末にメッセージを打ち込んでいる。 「現状報告お願いします。 こちらは全員逃げられました」 不甲斐ない成果ではあるが、協力を求めるなら、報告しないわけもいかない。 と、早速大太刀部隊から返信があった。 『太郎太刀です。 毛利と五虎退以外の粟田口には逃げられましたが、蛍丸と愛染、謙信と太閤はこちらで確保しました。 蛍丸が暴れたせいで、次郎が重傷になりましたので、手入れ部屋に連れていきます。 戦力がひと振り減りますよ』 「ひゅっ・・・」 添付された現場写真に思わず息をのんだ国広の周りで、集まった面々も同じく息をのんだ。 破れた障子は赤い飛沫で彩られ、血だまりに沈む次郎太刀の傍で、返り血を浴びた石切丸が、ぐったりとうなだれた蛍丸と愛染を両の小脇に抱えている。 意識のない二振りに縋って泣く毛利の他、戦闘の様に怯えたらしい謙信と太閤、五虎退が、祢々切丸にしがみつくようにして抱きかかえられていた。 「これって・・・次郎さんを犠牲にして、大太刀さんたちが彼らを確保したってことだよね・・・?」 真っ青になった国広に、和泉守も真顔で頷く。 「一番の危険物を仕留めてもらったのはありがたいぜ」 この様を見れば、新選組の戦力では到底確保できなかったろうと思う。 「おとなしく注射打たれていれば、倒されることも無かったろうにね・・・」 つるかめつるかめ、と、国広は震える声で延命の呪文を唱えた。 「自業自得だろうが! まったく、あいつら・・・!」 容赦なく踏みつぶされた長曽祢が、怒りにこぶしを震わせる。 「全員捕獲して、引っ立てるぞ! 新選組の誇りを見せろ!!」 「はいっ!!」 局長の一喝に、その場の全員が背筋を伸ばした。 その、頭上で。 「・・・一番ちょろかったのは新選組だったか。 意外だね」 ひそひそと囁く小竜に、鯰尾が頷いた。 「捕り物は得意だと思ってましたけど・・・短刀相手だと思って、油断してたんでしょうね」 にやにやと笑う彼の隣で、鶴丸が声を潜めて笑う。 「すごい勢いで追いかけて行ったな。 しばらく様子を見てから降りようか」 南海を助けてやらないと、と、覗き込んだ階下では、縛られたまま放置された彼が、ぐったりと横たわっていた。 「随分と肥前にいじめられてたからねぇ。 息の根、止められてないよね?」 国広によって再びサンマを突っ込まれ、口を塞がれた上で放置された南海を、小竜が気の毒そうに見下ろす。 「協力者をいつまでも放置するのは忍びない。 そろそろ助けに行ってやるか」 鶴丸の言葉に頷いた鯰尾が真っ先に降りて・・・転んだ。 「おいおい、極めた脇差がなんでコケ・・・っ!」 笑いながら続いた鶴丸の悲鳴に、何事かと覗き込んだ小竜の首にも縄が絡む。 「ちょっ!!やめ・・・!!」 下手に抵抗すれば縊り殺されかねない勢いで引かれた小竜が、自ら降りると既に、鯰尾は骨喰に、鶴丸は安定に拘束され、小竜の首に絡んだ縄の先には亀甲がいた。 「罠か!!」 「サンマの匂いを前に無言でいるの、辛かったなぁ」 と、満面の笑みを浮かべて、安定が更に鶴丸の腕を捻り上げる。 「あぎゃぎゃ!!折れる!!折れる!!」 じじぃを労われと、喚く鶴丸の声に、骨喰はうるさげに眉根を寄せた。 「兄弟も、手間をかけさせるな」 言うや無表情で鯰尾の首を絞め、落とした骨喰は、彼を肩に担いで薬研の元へ運んでいく。 「んふふふふ また君を拘束できるなんて・・・ 興奮するよ!」 はしゃぎつつ小竜を縛り上げた亀甲が、床に這ったままの南海を見下ろした。 「こっちは梅結びにしたから、君は菊にしてあげようか! なんたって、帝のお気に入りだものねぇ!」 「やだもう!! なんでいっつもお前に当たるの!!」 びちびちと暴れる小竜を嬉しげに担いだ亀甲は、再び南海を見下ろす。 「放置プレイをもっと楽しんでほしいけれど・・・。 安定、行けそうかい?」 「任せてー 僕だって、極めてるんだよー♪」 言うや、鶴丸を肩に担いだ安定は、小脇に南海をも抱えた。 「新選組を舐めてると、痛い目に遭うって教えないとねー!」 「えー・・・。 じゃあ僕は、お姫様抱っこでもしようかなぁ」 ひょい、と抱えなおされて、小竜が悲鳴を上げる。 「やめてよ、こんな羞恥プレイ!! パパー!ダディー!助けてー!!」 「うふふ じゃあこのまま、小豆と大般若を探しに行こうー」 「ウソ!やめて! こ・・・このまますぐに、薬研の所へ・・・くっ・・・!」 耳まで赤くして、悔しげに顔を歪める小竜を、亀甲はにこにこと見つめた。 「いい表情 そうかぁ・・・ご主人様は、僕たちのこーんな顔を見て、楽しんでおられるんだね! さすがドS! 僕のご主人様なら、そうでなくっちゃ!」 「えぅ?! まさか、動画とってんの?! やめて!消して!!」 悲鳴をあげる小竜にまた、亀甲は嬉しそうに笑う。 「ご主人様に、イイ顔を撮らせてあげるんだよ」 サービスサービスー♪と、嬉しげな声を上げた亀甲は、わざわざ遠回りをして薬研の元へと運んで行った。 その頃、薬房に戻った薬研の元には、予防接種の連絡を受けて、素直にやって来た刀達で賑わっていた。 「あんたが素直に来るとは意外だな。 雅な辺りには、嫌がられるだろうと思っていたんだが」 古今伝授の太刀が素直に腕を差し出す様に、薬研はこの日一番の笑顔を浮かべる。 と、彼もにこりと微笑んだ。 「雅な辺り、とは、中々に良い表現ですね。 ですが、あなたは勘違いしていますよ。 歌とは、花鳥風月のあり様や色恋、喜びだけを詠むものではありません。 苦しみ、悲しみ、もののあはれ、時には恨みまでも詠むのが歌。 せっかく人の身を受けたのです。 刃によらぬ痛みをも、味わって見ようと思ったのですよ」 「へー・・・そういうもんか」 よくわからないまでも、素直に来てくれたことは助かったと、薬研は嬉しそうに注射器を手にする。 「打った後は、激しい運動をするなよ。 しばらくここにいて、具合が悪くなったら知らせてくれ」 「まぁ・・・。 色々と面倒ごとがあるのですね」 痛みに顔をしかめつつ、言う古今に薬研はしみじみとため息をついた。 「そうなんだ。 ただでさえ面倒ごとなのに、それを更に面倒にするのがうちの兄弟でな。 ったく、毎年毎年めんどくせぇ・・・お?なんだ、逃げてたんじゃないのかよ?」 少しだけ開いた扉の向こうから、真っ青な顔で様子をうかがう信濃と後藤に、薬研が目を丸くする。 と、震える足でおずおずと入ってきた二人の後に、平野と前田、包丁も続いていた。 「なんかあったのか?」 我ながら変なことを聞く、と思いながらも薬研が問うと、彼らは一斉に自身の端末を取り出した。 「太郎さんからの写真・・・」 顔を引き攣らせて差し出された端末を覗いた薬研が、にんまりと笑う。 「蛍丸、すげーたんこぶだな! 次郎を仕留めたまではよかったが、太郎に反撃されて、背後から石切丸のげんこつを食らった、ってとこか」 「こんなの食らったら、俺らなんか一発で折れちまう!!」 頭を抱えて嘆く後藤に、包丁も震えながら頷いた。 「どっちも嫌だけど・・・。 重傷になった上に注射されるよりは、注射だけの方がいい・・・」 「冷静な判断ができる奴らでよかったよ」 にやにやと笑いながら、薬研は兄弟たちの腕を取る。 「そっかー。 太郎の写真でこんだけ効果が出るんなら・・・」 薬研の顔が邪悪に歪んだ。 「お前達、協力しろ。 さもなきゃ・・・」 にんまりと、悪魔の笑みを浮かべる。 「針刺したまま抉る」 「そういうこと、冗談でも言うなあああああああああ!!!!」 声まで青ざめた兄弟達の絶叫を心地よく浴びて、薬研は次なる策略のために目の前の仕事を片づけ始めた。 後刻、予防接種から逃げ続けている刀達の端末へ、薬研からのメッセージが届いた。 警戒しつつ開いてみれば、動画が添付してある。 色とりどりの美味しそうなデザートに囲まれた薬研がにんまりと笑うサムネイルに苛立って開いてみれば、更に苛立つ声が上がった。 「よーぅ、逃亡者ども。 寒い中、腹を空かせて逃げ回るなんざ、ご苦労なこったな。 こっちはあったかい部屋で甘味に囲まれて、いいご身分だぜ」 プリン・ア・ラ・モードに匙をくぐらせ、はむ、と口に入れる様に、画面越し、涎がこぼれそうになる。 「ちなみに、これは俺の分だが、お前たちの分も用意してある。 だが・・・」 画面が移動し、嬉しそうにプリンを頬張る包丁はじめ、接種を終えた兄弟達が甘味を頬張る様が次々と写された。 「こいつらが自分の分を食い終わったら、接種の褒美に、逃げている奴らの分も食っていい、ってことにする」 画面の向こう側で悲鳴が上がる様を想像しつつ、薬研は邪悪な笑みを深くする。 「今日のおやつは特製だぜ? なんたって、小豆がここに来てくれてるからな」 更に画面が移動すると、泡だて器でボウルをかき回す小豆の、楽しげな様子が写しだされた。 「おい、小豆ー。 今は何を作ってくれてんだ?」 聞こえよがしに声をかけると、泡だて器を置いた彼は、続いてお玉を取り出す。 「ふわっふわのパンケーキをつくろうか。 それとも、フランベしたクレープのほうがすきかな?」 どっちも好き・・・!と、食い入るように画面を見ていた不動が崩れ落ちた。 その傍らでは、今剣が切なく腹を鳴らしている。 「ぼく・・・もう、むりです・・・! いさぎよく、こうさんします・・・!」 えぅえぅと泣きべそをかいて、今剣が軒下から出てくると、ひょい、と高く抱えられた。 「今回は走り回らずに済んでよかったな! さぁ、今剣よ!参るぞ!!」 安堵を声に滲ませて、岩融が今剣を連行する。 その後ろに、不動も渋々従った。 また、別の場所でも、 「包丁ううううううううううう!!!! 僕のおやつに手を出すことは許しませんっ!!」 最後になれば、確実におやつを奪われる、との危惧を抱いた秋田が、長距離をまた戻って行く。 その途中、 「あ! 秋田君、見つけた!」 と、国広が追いかけて来たが、脇差に追いつかれるほど、秋田の足は遅くない。 しかも、向かう先が薬房だと察した彼は、途中で追いかけることをやめてしまった。 「・・・すごいなぁ、薬研の作戦。 短刀達がどんどん集まっていくね」 国広が、やはり短刀に振り切られた肥前の元へ駆け寄ると、彼も頷いて自身の端末を取り出す。 「これ、俺の分もあんだよな?」 追いかけているうちに食いつくされるんじゃ、と不安げな彼に、国広は笑いだした。 「ちゃんとご褒美も用意してくれるよ。 主さん、そういうところはしっかりしてるから」 「ならいい」 残りは、と、肥前は接種確認アプリを立ち上げる。 そこには、この本丸に集う刀剣達の紋が表示され、薬房へ向けて移動中の者は青、接種を終えた者はグレーに色が変わるようになっていた。 「今、本丸にいる奴らはほとんど終わってんな」 「残ってるのは僕らと、天下五剣の皆さんを入れた遠征組、天保年間に行ってる古参組だけだね」 もうすぐ終わりそう!と、嬉しそうに笑った国広は、薬研からの『コンプリート!』のメッセージに目を輝かせた。 「おわったー! おやつ、食べに行きましょ!」 「あぁ」 不愛想な返事でありながら、足は小走りの肥前にまた笑って、国広もまた、薬房へと向かった。 「さぁて、お前ら。 尋問の時間だ」 足を組んで座る、白衣姿の薬研の前に、縄を打たれた鯰尾、鶴丸、小竜が並べられた。 「この資材、どうやって入手した?」 国広が提示する納品書を突き付けてやると、小竜が目をそらす。 「どうやってって・・・フツーに万屋で買えたよ?」 「そんなわけなかろーもん」 あっさりと言って、博多は鯰尾に迫った。 「木材はともかく、建築用接着剤は危険表示がされとうとばい? 業者でもなかとに、こげん大量ば確認もなしに売ってもらえるわけなかろーもん!」 「そりゃ・・・鶴さんへの信頼と顔パスって奴じゃないか?」 横から口を出した鶴丸にも、博多が迫る。 「主人やろ? 主人やったら、入手できるけんね」 「え?なんで?」 思わず尋ねた浦島に、博多は鼻を鳴らした。 「この本丸ば城郭化した時に、資材の入手ルートば確保したとよ。 やけん、主人の署名捺印があれば、万屋はいくらでも建築資材ば出しよーと」 逆に言えば、主の許しがない限り、彼らにこれだけの量の資材を確保することはできない、ということだ。 それを知っていたが故の、和泉守の、小竜なりすまし案件だった。 「主さんに納品書を提出、したよね、小竜さん?」 にんまりと笑う国広に、小竜は気まずげな愛想笑いを返す。 「バレちゃったならしょうがないや。 そうだよー。 屋根裏部屋、作っていい?ってのは、最初に主に相談して、許してもらったんだ。 御座所の上まで広げなきゃオッケー、って、言ってくれたよ?」 「大将のヤツ・・・!」 今までも、主が逃亡者側に手を貸すことはあったが、ここまで邪魔されたのは初めてだ。 「大将含めて、てめぇらに仕返ししてやる。 覚悟しとけよ」 冷え冷えとした声に打たれて、三振りは揃って首をすくめた。 本丸にいる刀剣達全員の予防接種を終えたのち。 薬研は、隊を率いて出立の間へ入った。 と、同じタイミングで、天保年間へ留まっていた隊が戻って来る。 「はぁ・・・まったく! なんで毎回、踏み間違えるんだ!」 長い髪を苛立たしげにかき上げて、ぼやく蜂須賀に加州が肩をすくめた。 「目印が鑑札だけ、なんて、難しいじゃない。 歌仙なんて、好きに殴れないからって、発狂しそうだったしー」 「僕はね! 計算ごとが苦手だって、最初から言ってるだろうに! なのに、なぜあんな戦場に行かなければならないんだい?! 理系はいくらでもいるだろう!」 蜂須賀に負けず劣らず不機嫌な歌仙の肩を、陸奥守が笑って抱く。 「そう、いきりなや。 これで解放されたきに、今日はゆっくりするぜよ!」 「踏み間違えるのは痛かったが、物吉が賽子を振ってくれたおかげで、進軍は順調だったしな。 隊長が物吉でよかった」 幸運を招く脇差へ、山姥切が声をかけると、彼は華やいだ笑みを浮かべた。 「お役に立てて良かったです! 最後に六と六を出したのは、我ながら・・・あれ? 薬研、出陣ですか?」 歩み寄ると、薬研は意地悪く口の端を歪めた。 「出陣、ご苦労さん。 あんたらに代わって、俺達が江戸に行ってくるぜ」 その言葉に、天保年間出陣組は不思議そうに顔を見合わせた。 「物吉が頑張ってくれたおかげで、行動回数はまだ残っているが・・・到底、江戸屋敷潜入には足りないぞ。 すぐに撤退することになるが、いいのか?」 眉根を寄せる蜂須賀に、薬研はひらひらと手を振る。 「いいんだいいんだ。 これは、俺と博多からこいつらへの、仕置きだからな」 言えば、薬研の傍らで博多が、重々しく頷いた。 「鶴丸に小竜、鯰尾・・・。 いつもの連中だね。 乱は?なにか仕置きされるようなことをやったのかい?」 歌仙の問いには、頬を膨らませて答えない乱の代わりに、博多が鼻を鳴らした。 「予防接種、最後まで逃げよったと。 御座所の押し入れに隠れてから、出てこんっちゃもん! 引きずり出すとにえらいかかったとばい!」 「だって! 痛いし腫れるし、可愛くないもん!!」 乱の反駁には、青ざめた加州も震え声をあげる。 「・・・なによ、それ。 先に言っててくれたら、もうしばらく天保にいたのに・・・!」 「どうせ接種することになるなら、いつでも同じだろうが」 「観念するぜよ!」 山姥切と陸奥守に両脇から抱えられ、連行の体勢となったが、 「あぁ、あんたらは俺が帰ってからだ。 しばらく待っててくれ」 と言う、薬研の言葉にほっとした。 「戦場に出ずっぱりだったのに、帰った途端に注射とか、思いやりがないにも程があるんじゃない? せめて、お風呂入ってご飯食べて、五虎退の虎で、もふもふセラピーをしてからでもいいでしょ」 「もふもふが先なのか?」 「慰めてもらうなら、注射の後がいいんじゃないか?」 と、見当違いのことを言う蜂須賀と山姥切を睨んだ加州は、自身を拘束する手をほどいて、先に立った。 「いいから、お風呂行こ! 江戸、寒かった!」 「それもそうじゃの! ぬくまってから、飯をもらおうかい!」 続く陸奥守の後に、他の四振りも従う。 「じゃあ、皆さん! ご武運を!」 物吉の笑顔に見送られ、薬研率いる一隊は、戦場へと向かった。 「江戸・・・って言った。 うん、江戸は江戸・・・だけどさ・・・!」 夜闇の中、目の前に迫る城の威容に、鯰尾が声を引き攣らせた。 「天保じゃないじゃん!!」 「あぁ、延享の江戸城内だが、なんか文句あっか」 「文句だらけだよ!」 声まで青ざめる鯰尾の隣で、鶴丸が顔色を紙のように白くして、一同を見回す。 「待ってくれ・・・。 隊員が、極めた短刀三振りに、これまた極めた脇差だと・・・?」 「豪勢やろ!」 にやにやと笑う博多の頬を、鶴丸は血の気を失って冷たい指で引き延ばした。 「豪勢すぎるだろ! こんな短距離走強制されたら鶴さん、一歩目で真っ二つになるぞ!!」 「俺だって! 太刀は暗い所と狭い場所は苦手なんだ!知ってるでしょ!!」 本丸に帰して、と迫る小竜を、薬研は意地悪く見上げる。 「大将にとって、一番辛い罰は何だろうと考えたんだ」 「それは・・・?」 薄い笑みを浮かべる薬研の不吉さに、小竜は思わず声を潜めた。 「太刀を重傷にして、資材の蓄えを減らす」 「酷い!!」 震えあがる太刀へ、薬研は楽しげに・・・それは楽しげに笑声を上げる。 「毎回毎回、俺の邪魔をしやがって・・・! 無駄に時間を取られる身にもなってみろってんだ!」 当然の罰!と言う薬研にしかし、小竜がぶんぶんと首を振った。 「だって楽しいんだもん! 薬研も、一度逃げる側になってみなよ!」 「俺が逃げてどうすんだよ!!」 「それもいいじゃないか! いつまでも、政府なんぞの言うことを聞くことないぞ!」 鶴丸の言には、全く惑わされずに鼻を鳴らす。 「別に強制されてねぇ! 俺がやらねぇと、南海・・・」 「すみません、薬研さん。 今後ともよろしくお願いいたします」 ついでに人体実験をしそうな刀の名前を出されて、鶴丸と小竜が土下座せんばかりにこうべを垂れた。 「・・・今回、ヤツがこっち側だったのは、本当に幸運だったな!」 「来年からはきっと、薬研側につくよ! 真っ先に拘束しておこう!」 「こら」 懲りもせず、来年の計画を話す太刀二振りに、薬研がこぶしを握る。 「とっとと行くぞ!!」 嫌がる鶴丸と小竜の首根っこを掴み、連行しながら薬研は、頬を膨らませて佇む乱を睨んだ。 「おい、乱! いつまでもふてくされてんじゃねぇよ! お前も行くぞ!」 「わかってるよ・・・」 太刀と違って、別に怖い戦場じゃない、と呟いた乱は、しかし、薬研と博多がにんまりと笑う様子に眉根を寄せる。 「絶対、人数合わせじゃないでしょ!」 「あたりまえやろーが! ぴしゃっと仕置きすっけん!」 「なにー!」 生意気!と、乱が博多の頬つまんで引き延ばしてやると、彼も反撃とばかり、乱の髪を引っ張る。 「おいおい、兄弟じゃなくて、敵さんを相手してやれよ。 無視しちゃ気の毒だろうが。 なーぁ? ずお兄もそう思うよなぁ?!」 先陣を行け、と、突き飛ばされた先には、殺意を漲らせた苦無が待ち構えていた。 「薬研ー!!この野郎!!」 悲鳴を上げつつ、なんとか敵の初手は受け止めたものの、背後に回り込んだ槍の、強烈な一撃は避け切れなかった。 衝撃に目が眩み、膝をついた感覚からやや離れた場所で、手を擦った感触がする。 ・・・なんでこんなに遠いんだっけ? まるで、突然身長が伸びたように、本来の身長を超して触れた地面の感触を不思議に思う彼の頭上で、悲鳴が続いた。 それからしばらくして、 「おい、ずお兄、起きろ」 薬研の声に目を覚ますと、ひょい、と抱えられた。 鶴丸か小竜が無事だったのだろうと、真っ先に倒れた自身を不甲斐なく思っていると、間近に薬研の顔がある。 極めて以来、短刀といえども腕力が上がったことは知っているが、身長差があるのだから、薬研が鯰尾を抱えられるとは思えない。 「なんで俺、薬研に抱えられてんの?」 その、声が・・・。 一言一句、きれいに揃った声が隣から聞こえて、見遣った先に目を見開いた。 「俺?! なんでちっちゃくなって・・・折れてる!!真っ二つー!!!!」 きれいに二つに折れて、短刀サイズになってしまった鯰尾達が、同じ悲鳴を上げる。 「すんげーおもしれーことになって、笑いが止まらねぇ」 涙を浮かべて爆笑する薬研も酷いが、もう一振りの鯰尾を抱える博多も酷かった。 「こっちのずお兄ばこしょぐったら、そっちのずお兄もこしょばいとかいな」 「は?! なにやってんの、博多っ!!やめっ!!」 容赦なくくすぐられて、博多に抱えられた鯰尾だけでなく、薬研に抱えられた鯰尾までもが身悶えする。 「酷いよ!! 折った上にこんなことして、お兄ちゃんを思いやる気持ちはないの?!」 鯰尾が涙ながらに訴えるが、 「ねーよ」 「なかばい」 と、弟達の返事はそっけなかった。 「酷い・・・! いち兄に言いつけてやるっ!!」 「そいつに関しちゃ抜かりはねぇ。 いち兄からは、存分にやれって、言質を取ってる。 ばみ兄からもな」 「なんてこと・・・!」 見事に同調した動きで、頭を抱えた鯰尾達は、はっとして辺りを見回した。 極めた脇差である自分が、これほどの損害を受けたのだから、太刀は更に、と見遣った先では、思った通り、鶴丸と小竜が、自身の作り出した血だまりに溺れている。 折れてはいないようだが、一目で重傷とわかる有様に、血の気が引いた。 「乱ー! 乱、どこ?! もう、お前だけが頼り!!」 残酷な弟達の手から抜け出した鯰尾は、ほうほうのていで『自分』と寄り添い、手を取り合う。 「俺、ちゃんと元に戻れるんだよね?! 脇差会から追い出されないよね?!」 「さぁなー」 「そんままでも困らんっちゃない?」 「なにゆってんの!!困るよ、すごく!! 骨喰とおそろいの服、着られないじゃん!! 服間違えたー!って、骨喰とじゃれあえないじゃん!」 「そっちなのか・・・」 鯰尾藤四郎としてのアイデンティティではなく、と、呆れる薬研を、鯰尾達はきっと睨んだ。 「はやく本丸に戻してよ! これじゃあ、もう進軍できないでしょ!」 短刀サイズになった二振りの鯰尾から、ハウリングせんばかりの大声で喚かれて、薬研が肩をすくめた。 「ま、これだけボロボロにしてやれば、罰には十分だろ」 「十分すぎるよ!!」 悲鳴じみた声を上げて、鯰尾はぴくりとも動かない太刀二振りに不安げな目を向ける。 「よーし、帰るか。 報告書には、『不甲斐ない太刀と脇差のせいで撤退』って書いとくぜ」 「だまれ、小鬼野郎」 きれいに揃った鯰尾の悪態に、薬研は楽しげな笑声を上げた。 その日の夕方。 遠征から戻った数珠丸は、離れの自室へと戻る途中、縁側に座る小さな影に首を傾げた。 「どなたかと思えば、乱。 そんなところに一人で、どうしました?」 いつもは兄弟達と一緒に、賑やかな母屋にいる彼が、人目につかない場所で一人、うつむいている様が気になって声をかけると、パーカーのフードを目深に被った顔を上げる。 真っ赤になった目に涙を浮かべ、ぐすぐすと鼻を鳴らす彼の隣に、数珠丸はそっと腰を下ろした。 「兄弟と喧嘩でもしましたか?」 母屋に居づらいのかと、時折しゃくりあげる背を撫でてやると、乱はややためらってから、おずおずとフードを引き下ろす。 「あぁ・・・可哀想に」 いつもきれいに整えていた、乱自慢の髪が、うなじが見えるほどにざっくりと切り取られている。 切り口は不揃いで、お世辞にも洒落ているとは言えなかった。 「戦傷ですか? 他に怪我は?」 問うと、乱はふるふると首を振る。 その動きにつれて短い髪が乱れてしまい、またフードで隠してしまった。 「手入れ部屋は・・・重傷になっちゃった鶴丸さんと小竜さんが使ってて、入れないの・・・。 それに、これは罰だから、しばらくそのままでいろって、薬研が・・・!」 「おやまぁ・・・。 薬研を怒らせるようなことをしてしまったのですか?」 その問いには答えない乱に微笑んだ数珠丸は、少し考える素振りをしたのち、すらりと立ち上がる。 「あなたの慰めになるかはわかりませんが」 言うや彼は、陰りつつある初冬の陽を華やかに弾いて、美しい太刀を抜き放った。 瞬いて見上げる乱の、不思議そうな顔を刃に写しつつ、片手に自身の髪を束ねて一息に切り裂く。 「じゅっ・・・!!!!」 あまりのことに声を失った乱の、蒼白な顔を数珠丸は、いたずらっぽい笑みを浮かべて見下ろした。 「あぁ・・・涼しい」 冷ややかな風をうなじに受けて、平然と言った数珠丸は、切り取ったばかりの髪を懐から出した紐で束ね、乱へと渡す。 「どうぞ」 長く、艶やかな髪を受け取った姿勢のまま、乱は凍り付いたように動けなかった。 「じゅ・・・じゅず・・・っさん・・・!あのっ・・・!」 辛うじて出た震え声に、数珠丸はまた微笑む。 「かもじに使うといいでしょう。 色は好きに染めてくださいね」 と、フードをかぶったままの頭を撫でて去る数珠丸の背を、乱は唖然として見送った。 ―――― その後。 無事、手入れをしてもらった乱は、髪のお礼にと、菓子を持って数珠丸の私室を訪ねた。 と、やはり手入れで、元の長さに戻った髪を梳いていた数珠丸が、穏やかな笑みで迎えてくれる。 「いらっしゃい、乱。 お茶を淹れましょうね」 立ち上がろうとする数珠丸を制して、乱は卓上の茶器を取った。 「お礼だから! ボクが淹れるよ!」 急須に茶葉を淹れようとする乱の手が、しかし、震えてこぼしそうになる。 「ごめっ・・・! でも、笑いが・・・!」 一旦茶筒を置いた乱が、顔を覆って笑い出した。 「おや、結構気に入っているのですよ?」 くすくすと笑いながら数珠丸がつまんだのは、首から掛けられたボール紙だ。 それには、怒れる主の筆で、『私は自傷して資材を無駄にしました』という文言が書いてあった。 「ボクのせいなんだけど・・・!」 ごめんなさい、と、謝りつつも笑いを堪えきれない乱に、数珠丸もくすくすと笑い出す。 「大太刀と太刀を二振りずつ重傷にされた上、鯰尾を真っ二つに折られて、だいぶ資材が減ってしまいましたからね。 その上、事情を知らなかったとはいえ、私までもが自傷で消費したのですから。 お怒りも当然でしょうね」 とは言いながら、ちっとも悪びれる様子のない彼に、乱も笑い出した。 と、笑声に誘われるように、賑やかな足音が近づいてくる。 「数珠丸殿、見てくだされ。 俺もお揃いですぞ」 襖を開けた三日月が、嬉しそうに歩み寄って、首からかけたボール紙を指した。 そこには数珠丸と同じく、怒れる主の筆で、 『主が楽しみにしていた高級和菓子を食べました』 と、書き殴ってある。 「うわぁ・・・酷い」 歌仙が帰ったら茶を点ててもらうんだと、楽しみにしていたことを知っているだけに、乱の笑みも引き攣った。 しかし、天下五剣の無体はそれだけに留まらない。 「俺は、主が隠していた酒を飲んでやったぞ!」 と、得意げにボール紙を指す鬼丸の隣で、大典太が無言のまま、自身のボール紙を摘んだ。 それを見た乱が、眉根を寄せる。 「嫌がる小狐丸をもふもふしました・・・って、大典太さん、それ、セクハラ」 「さすがに泣かれた」 どちらにも、と、気まずげな大典太に、三日月が笑い出した。 「なに、小狐丸も、大典太殿にもふもふされて縁起がいいというもの。 お気に召さるな」 楽しそうな三日月に、乱は苦笑する。 「天下五剣が、揃っていたずらするなんて・・・」 「どの口が」 笑みを浮かべた鬼丸が、乱の髪をかき回した。 「数珠丸のおかげで、早々に罰則を免れたんだ。 菓子だけで足りると思うなよ?」 「わかってるよ」 でも、と、乱はにんまりと笑う。 「来年こそは、逃げ切るよ!」 懲りずにこぶしを掲げる乱に笑い出した鬼丸は、また、くしゃくしゃと髪をかき回してやった。 了 |
今年もインフルエンザの季節がやってきましたよ。 コロナのせいで、インフルほぼ全滅だそうですが。 お前らコロナ以前、どんだけ汚かったんだよ、って話ですよ。 我が本丸の子達は、相変わらずいたずら盛りで元気です。 それにつれて、国広の人でなし度が増して行ってますが、あの子も成長してるんだよ、ってことで。>嫌な成長だな! |