〜 ふり出でつつ泣く 〜





 小雪を過ぎ、日々の寒さが増していく頃。
 第一報は、乱よりもたらされた。
 「あれが来たよ!
 主さん、一所懸命隠していたけど、腕が腫れてた!!」
 毎朝、主の髪を整えるお役目を負う乱は、主の異変に気付きやすい。
 それが疾病であれば、最初に気づくのは薬研であることが多いが、今回は違う。
 なぜならそれは、薬研によってもたらされた・・・
 「インフルエンザの予防接種だね!」
 鯰尾のひそめた声に、乱が頷く。
 「とうとう来たか・・・!」
 共に報告を受けた鶴丸が口の端を曲げ、
 「むしろ、待っていたよ!!」
 戦闘開始だと、小竜が笑みを浮かべた。
 「よっし!
 例年通り、捕縛側に回る連中には気づかれないように連絡だ!」
 「了解!!」
 鶴丸の指示を受け、鯰尾が『逃亡者』グループに通知を送る。
 「新刃くん達は、どちら側か見極めるのが難しいけど、姫は・・・」
 と、小竜が眉根を寄せた。
 「謙にまとわりついてるから、外す」
 「弟を取られるのがそんなに嫌かよ」
 くすくすと笑う鶴丸の傍らで、乱と鯰尾も顔を見合わせる。
 「小竜さんが、そんなに嫌うなんてすごく珍しいね!」
 「上杉は上杉でも、山鳥毛さんにはそこまでじゃなかったでしょ?」
 「だって、オカシラはまだ、理性があるじゃないか。
 姫はないだろ、どこでも構うだろ」
 何度水入らずを邪魔されたか、と、悔しげな小竜に、鶴丸が首を傾げた。
 「本当に珍しいな。
 君、昔から去る者追わず、だったじゃないか」
 「兄弟は別!!」
 ぷくっと頬を膨らませる小竜に、皆、笑い出す。
 「そんじゃ、お姫様はどうするか、本人に任せるとして、逃亡しちゃいますか!」
 目を輝かせてこぶしをあげる鯰尾に一同、いや、一味はひそめた声で賛同した。


 『乱にバレた』
 主からの短文の通知に、薬研は舌打ちし、長谷部は頭を抱えた。
 「鶴丸と小竜が修行に行くと聞いて、嫌な予感はしていたんだ・・・!
 あいつら、持てる力を全振りしてくるぞ!」
 「まぁ、予想の範囲内ではあるけどな。
 鶴丸と小竜まで極めちまったから、今年は江戸城内強行突破の仕置きは通じねぇか」
 忌々しげに言った薬研は早速、古参五振りと新選組の『捕縛隊』へ連絡を取る。
 「黒田組も頼むぜ。
 日光はこっち側なのか?」
 「あ゛?」
 途端に、今までとは違う忌々しさに表情を変えた長谷部を、薬研が声をあげて笑った。
 「すっげぇ顔だな!
 そんなに嫌かよ」
 「あいつは!!
 何かと兄貴面して鬱陶しいんだ!!」
 黒田に来たのは俺が先なのに、と憤慨する長谷部に、薬研は首を傾げる。
 「在籍年数じゃなきゃ、年齢か。
 おい、博多。
 お前、日光落としてこい」
 兄弟に連絡すると、回線の向こうで『報酬は?』と、まず交渉が来た。
 「お前には大将からの褒美、日光には『納税者様に逆らうのか?』の脅しが利くだろ」
 だろ?と、目線を受けた長谷部が、忌々しげに頷く。
 「うまーく交渉して、一文字をこっち側に引き入れとけよ。
 ・・・戦闘開始だ」
 低く呟いた薬研は、剣呑な光を瞳に宿し、通話を終えた。


 その後、博多からの連絡を受けた日光一文字は、目当ての彼を、庭に面した回廊で発見した。
 「姫、少しよろしいでしょうか」
 小竜に奪われた謙信の代わりに、五虎退にしつこく構っていた姫鶴一文字は、彼の声に振り返る。
 「なぁに?」
 膝に乗せた五虎退を抱きしめたまま、微笑む彼に、日光はため息をついた。
 「まずは五虎退を放してやってください。
 かなり・・・嫌がられています」
 「えー・・・。
 そんなことないよねぇ、ごこぉ?」
 またぎゅうぎゅうと抱きしめられ、頬ずりをされていた五虎退がぐったりとしてうなだれる様を、虎が気づかわしげに見つめている。
 「あれ?
 ごこー?お腹空いた?」
 「まぁ・・・俺は一緒でも構わんのですが」
 言うや日光は、五虎退を放そうとしない姫鶴をそのままに、横抱きにした。
 「日光くん・・・!
 なに?!
 ちょっとどきどきするんだけどぉ?!」
 頬を染めて身じろぎする姫鶴を見下ろした日光は、早足に回廊を進む。
 「五虎退を落とさないように」
 「え・・・うん・・・」
 わけがわからないながらも、素直に従った姫鶴に頷き、日光は一旦、庭へと降りた。
 その行く先にいち早く気づいた五虎退が、姫鶴の腕から出ようともがくが、落としては危ないと、姫鶴は更にきつく抱きしめる。
 「着きましたよ」
 「ここ、どこ?」
 薬草園の中にある、数寄屋に似た平屋の建物だ。
 畑番の際に遠く見遣ることはあったが、今まで、近づいたことはなかった。
 戸が開け放たれたままの屋内へ、五虎退ごと運び込まれた姫鶴は、白衣を着た短刀の前に置かれた、背もたれのない椅子に降ろされる。
 「薬研くん、どうかした?」
 回転椅子に座ってこちらを見つめる薬研の顔が、嬉しげに歪んだ。
 「五虎退まで連れてくるなんざ、初めてなのにいい仕事してくれるじゃねぇか、日光の旦那。
 いい心がけだぜ」
 言うや、軽く指を鳴らした彼の合図を受けて、室内にいた槍が、姫鶴の膝から五虎退を抱き上げる。
 「あ、ごこ・・・」
 「心配しなくても、終わったらすぐに返してやるよ」
 大きな笑みを浮かべる槍は、日本号と言っただろうか。
 ひどく怯えて震える五虎退を肩に担ぐと、日光へ顎をしゃくった。
 「姫、失礼します」
 「え?」
 腕を取られ、袖をまくられて、唖然とする姫鶴の二の腕に、薬研が素早く針を刺す。
 「いった!!!!
 なにすんの!!」
 突然の痛みに声を上げた彼へ、薬研は楽しそうに笑いかけた。
 「疫病の予防接種だ。
 毎年やってんだが、嫌がる奴が多くてな。
 新刃は騙し討ちにするのが一番手っ取り早いってやつだ」
 次、と指示された日本号が、五虎退の腕を取って、袖をまくる。
 「きゃんっ!!」
 針を刺された五虎退の甲高い悲鳴に、屋外に控える虎が飛び上がって震えた。
 「お前らしばらくここにいて、様子見な。
 この後は、激しい運動をするんじゃねぇぞ」
 接種を終えるや虎の元へ駆け寄り、抱き着いて泣く五虎退を見遣った姫鶴は、端然と立つ日光を睨み上げる。
 「も・・・ホント無理。
 君、許さないから・・・!」
 「姫のためです」
 冷淡な口調で言った日光は、姫鶴へと手を差し出した。
 「どうぞ、待機はこちらで」
 「一人で行ける!」
 日光の手をはたいて立ち上がった姫鶴は、憤然として『待機場所』と示されたソファに座る。
 「あの人に言いつけてやる!」
 「ご随意に」
 これ見よがしに携帯端末を取り出した姫鶴へ苦笑した日光は、薬研の指示を受けて、再び捕縛へと乗り出した。


 「ごこちゃんの尊い犠牲をもって、姫の隔離に成功したよ!
 やったね、謙!」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめて、頬ずりしてくる小竜を、謙信はうんざりと押しのけた。
 「やっていることはおなじなのだ・・・」
 「なんだよー!
 姫よりも、俺の方がいいだろ?」
 出来たばかりの隠し通路の中でじゃれ合う兄弟へ、鯰尾が『しー!』と口元に指をあてる。
 「静かにしてよ!ここ、壁薄いんだから!」
 逃走が終われば原状回復する、という約束で、主に許可してもらった抜け道であるため、壁は簡易のものでしかない。
 しかし、
 「俺達、毎年うまくなってくよなぁ、建築工事!」
 頭に装着したライトで手元の地図を照らしつつ、鶴丸が楽しげに笑う。
 「来年は抜け穴掘ろう、抜け穴!
 地下を縦横無尽に逃げられるようにしておけば、随分と時間が稼げるぞ!」
 「でもそれは・・・大規模な工事がいるでしょ。
 さすがに、音もたてずにこっそりとはできないから・・・」
 と、鯰尾が、鶴丸の持つ地図を覗き込んだ。
 「温泉の湧出口メンテをする時に、こっそり施工の発注しよう!
 鶴丸さん、資金提供よろしくです!」
 「任せろ!
 万馬券の3つも当てれば、余裕だぜ!」
 頼もしく胸を張った鶴丸に、ひそやかな拍手が沸く。
 その中で、一振り呆れ顔の謙信がため息をついた。
 「きょねん、せっかくつくったやねうらべやが、もうつかえないのに、またつくるなんて・・・もったいないのだ」
 「出入り口がすべて塞がれちゃったからね。
 ま、想定内だけど」
 くすくすと笑う鯰尾に頷いた小竜が、謙信の頭を撫でてやる。
 「それに今は使えないだけで、普段は短刀くん達が秘密基地にしてるじゃないか。
 友達たくさんできてよかったね、謙」
 途端に耳まで赤くして、頷く謙信に鶴丸が笑い出した。
 「さて!
 北谷と治金丸を逃亡側へ引き入れたからには、この抜け道が見つかる心配もないぞ!」
 数か月前からの誘致工作に抜かりはない。
 「各々方、ご武運を!」
 自信満々の鶴丸は、仲間へと一斉送信した。


 細く暗い抜け道を、秋田は足早に駆けていく。
 灯りなど持ってはいないが、夜戦場を難なく越える短刀にとっては、たやすい道だ。
 数か月前、鶴丸の引率で海に行った際に、彼が砂浜に描いた地図は、とっくに頭に入っている。
 まもなく出口、という場所で足を止めた秋田は、暗がりの中で外の気配を伺った。
 と、こちらへと歩いてくる誰かの足音が聞こえる。
 「べっつにさぁ、ちゅうしゃ?打つのはいいんだよぉ。
 アタシらにしちゃ、大して痛くないからさ。
 ただ、なんで年に三回も打たなきゃいけないの、ってことよ。
 その度に禁酒させられて、アタシャそっちで心折れそうよ」
 次郎太刀の不満声が、回廊中に響き渡った。
 続いて、
 「酒が過ぎると、効果が薄くなるそうですからね。
 聞き分けなさい」
 静かだが、良く通る太郎太刀の声が聞こえる。
 「ちぇーっ!
 ねぇ、酒って何時間飲んじゃいけないの?
 夜には飲んでいいの?
 ねぇ?」
 「知りませんよ・・・っと、まだ酔っているのですか?」
 回廊を曲がったところで肩を寄せて来た次郎へ、太郎が眉根を寄せた。
 「え?
 いや、よろけたわけじゃないんだけど・・・廊下って、こんなに狭かったっけか?」
 いつもは、大太刀が並んで歩いても余裕のある回廊が、急に狭くなった気がする。
 「言われてみれば・・・そうですね。
 次郎と並んでこれですから、祢々切丸となら並べもしませんね」
 「そうだよねー。
 なんでいきなり狭く・・・」
 と、軽く壁を叩いたつもりが大穴をあけてしまい、次郎は慌てて飛びのいた。
 「えっちょっっ・・・ごめんっ!!でもなんで?!」
 「次郎・・・。
 やはりあなた、まだ酔って・・・」
 「違うって!!
 そんなに力いれてないし!!」
 疑いの目で見られた次郎が懸命に手を振るが、日頃の行いが災いし、太郎に腕を掴まれる。
 「酔って力加減がわからなくなるなんて、呆れます。
 部屋に戻るまで、不用意に物に触れてはいけませんよ」
 「酔ってないってばー!」
 次郎の泣き声が遠ざかるまで、秋田は、穴のあいた壁の裏で、息をひそめていた。
 頭上に次郎のこぶしが見えた時には焦ったが、幸いにも見つからずに済んで、ほっと吐息する。
 だが、もうここは安全ではない。
 次郎が壁に穴をあけたことは、すぐに長谷部へと報告が行くだろう。
 捕縛組が、本丸のあちこちに仕掛けられた偽物の壁に気づくのも、時間の問題だった。
 更に用心深く、外の様子を伺った秋田は、誰の気配もないことを確信してから、隠れ場所から別の隠れ場所へと逃げ込んだ。


 「まったく!
 この忙しいのに、次郎が壁に穴をあけただと!」
 太郎からのメッセージを受け取った長谷部は、捕らえられ、じたじたと暴れる北谷を抱えなおした。
 「注射以外にも痛い目に遭いたくなければ、おとなしくしろ」
 凄まじい脅しに、あえなく屈した北谷を薬研の待つ薬房に運び入れた長谷部は、彼を日本号に引き渡して同田貫へとメッセージを打ち込む。
 『次郎が、宿舎の回廊の壁に穴をあけたそうだ。
 すまんが見に行ってくれ。
 修理が可能なら対応してほしい』
 連絡を受けた同田貫は頷いて、まずは情報収集と次郎の部屋へ向かった。
 「おい、どこの壁を壊したって?」
 「わざとじゃないんだよー!
 ちょっと叩いただけで、ボコって!穴があいちゃったのー!!」
 珍しく素面の次郎が必死に弁明する横で、太郎はこれ見よがしにため息をつく。
 「あなたはいつだって、悪気はないのですよ。
 ただ、酒が過ぎるだけで。
 さっきも、酔ってはいないと言っていましたが、どうせ酒が残っていたのでしょう」
 「そんなぁ!兄貴ぃー!!」
 全く信じてくれない太郎に情けない声を上げるが、彼の信用を失う行為ばかりしてきた以上、強く反論もできなかった。
 「うっ・・・うっ・・・!
 穴あけちゃったのはホントだし・・・!ごめんよぉ・・・!
 修理、アタシも手伝うよぉ・・・」
 よろよろと立ち上がった次郎が先に立って、同田貫を案内する。
 「ホントに、軽く叩いただけなんだよぉ・・・!
 そしたらさ、ボコって!
 ボコっておっきな穴があいちゃってさ!」
 大穴のあいた壁を前に、必死に言い募る次郎をどかして、同田貫は穴に手をかけた。
 一気に引くと、穴は簡単に広がって、薄い板が床に散らばる。
 「なにしてんのー!!!!」
 声まで青ざめて、次郎が回廊中に響き渡る声を上げた。
 と、
 「慌てんな。
 これは本物の壁じゃねぇ。
 誰かが薄い板を貼って、裏に抜け道を作りやがったんだ」
 バリバリと更に破った板の裏側を覗き込むと、打刀か、細い太刀くらいなら余裕で通れそうな幅の道が回廊に沿って続いている。
 「にせもの・・・!」
 唖然とした次郎が、はっと瞬いた。
 「そうだよ!
 なんかここ、いきなり狭くなったと思ったの!」
 「凝ったマネしやがって」
 忌々しげに呟いた同田貫が、端末を取り出す。
 「おぅ、長谷部。
 逃亡者の逃げ道がわかったぞ」
 詳しく話してやると、忌々しげな唸り声が返ってきた。
 「捕縛、がんばれよ」
 戦闘ならばともかく、本丸内の面倒には関わりたくない同田貫が、工具の中からバールを取り出す。
 「とりあえず、ここの壁は剥がすか」
 「アタシもやってい?!」
 楽しそう!と、目を輝かせる次郎に頷き、二振りは鶴丸らが設えた壁の撤去作業に入った。


 「もう見つかってしまったか」
 秋田からの報告を受けて、鶴丸は口を尖らせた。
 「すごく頑張って設置したんだから、半日はもってほしかったんだがなぁ・・・」
 ぶつぶつと呟きつつ、彼は暗い隠し通路を再び走り出した。
 以前は苦手だった闇も、極めた今ではすんなり渡ることができる。
 「もう鳥目とは言わせないぜ!」
 得意げに鼻を鳴らし、駆け寄った出口間際で、突然壁をぶち破ったこぶしが鼻先をかすめた。
 蒼白になって固まる目の前でこぶしが開き、薄い板を割いて穴を広げる。
 「見つけたぞ・・・!」
 にゅっと顔を出した長谷部の、血走った目に睨まれて、鶴丸は思わず悲鳴を上げた。
 踵を返して逃げるも、短刀よりも機動の速い長谷部に先回りされて、行く手の壁が破壊される。
 「ぎゃふっ!!」
 膝の前に蹴りだされた足に躓き、つんのめった襟首を引かれて、鶴丸は壁の中から引きずりだされた。
 「毎度毎度手の込んだことをしおって!!
 追いかける身にもなれ!!」
 「待て!落ち着け!」
 首を締めあげようとする長谷部と、彼の両手首を握り、必死に引きはがそうとする鶴丸が、狭い回廊でせめぎ合う。
 「かっ・・・壁の設置を許可してくれたのは主だぞ!
 お前こそ、破壊の許可は取ったんだろうな?!」
 長谷部への切り札はしかし、鼻で笑われた。
 「貴様らを薬房へ連行するためには、多少の手荒は許すと、許可を頂いている!
 そんな戯言で逃げられると思うなよ!!」
 「・・・っ蝙蝠め!」
 「無礼を言うな!」
 忌々しげに吐き捨てた鶴丸に足払いをかけようとした長谷部は、逆に体当たりを受けてバランスを崩す。
 「はっはー!
 俺を捕まえようなんざ、千年早いぜ!」
 回廊を一気に駆け抜けた鶴丸は、庭へ飛び降りて更に遠くへ逃げ去った。
 「くそっ!!
 鶴丸を逃がした!
 後は頼む!」
 開いたままの『捕縛組』回線へ叫ぶと、頼もしい返事が返る。
 「俺は先に・・・壁を壊すか!」
 鶴丸の追跡を断念した長谷部は、同田貫と合流すべく、回廊を駆けて行った。


 「ねぇねぇ、それ、なんだい?」
 同田貫がボタンを押す度に細い光を発する機械に、次郎が興味津々と顔を寄せると、彼は気軽に貸してくれた。
 「レーザー距離計っつって、ボタン一発で距離を測っちまうもんだ。
 今、この床の長さを測ってみたら、建築時より80cm〜1m狭くなってる。
 つまり」
 ダンッと、同田貫が壁にこぶしを叩きつけると、大きな穴が簡単にあく。
 「なるほどー!
 いつもより狭い場所には、抜け道が作られてるってことだね!」
 同田貫があけた穴に手をかけた次郎が、一気に引くと、壁一面がバリバリと音と立てて剥がれた。
 「あららー。カブトムシの幼虫ちゃんかな?」
 『抜け道』の床に蹲っていた前田と平野を、次郎は両脇に抱える。
 「アンタたち、普段はいい子なのに、この時だけは逆らうよねぇー!」
 じたじたと暴れる二振りに笑って、次郎は同田貫に向き直った。
 「ちょっとこの子達、薬研のとこに運んでくるよ。
 その間に、また抜け道見つけたら呼んで」
 「ああ、頼む。
 そうだな、応援も呼んでおくか」
 と、同田貫が開いたままの『捕縛組』の回線へ応援を頼んだ直後、
 「おい、同田貫!」
 と、駆け寄って来た長谷部に目をむく。
 「はえぇのは知ってたがよ、早すぎんだろ!」
 「たまたまだ!
 こちらへ向かっていた」
 言って、長谷部は同田貫が持ち運んでいた工具箱から、バールや金槌を取り出した。
 「片っ端から破壊する!
 刀身に当たっても、手入れすればいいことだ!」
 「あぁ、まぁ・・・そうなるよな」
 長谷部の血走った目に歩を引きつつ、同田貫は頷く。
 「本物の壁まで壊すなよ」
 と、釘を刺しつつ同田貫が差し出すレーザー距離計を受け取って、長谷部は再び駆けだした。
 「隠れようが無駄だ!!」
 レーザー距離計で床を測るや、壁に金槌を叩きつけて破壊すると、蛍丸と愛染が悲鳴を上げて飛び出してくる。
 「なんでわかったんだよ!」
 怒った猫のように毛を逆立てて向かってくる蛍丸には、さすがに歩を引いた長谷部が不意に押しのけられた。
 「こーら。
 大太刀が、本気で打刀を殴ってはいけないよ」
 腕を広げた石切丸に抱きとめられ、抱き上げられた蛍丸が、じたじたと暴れるが、彼はものともせず、もう一方の手で愛染を小脇に抱える。
 「やだもぉ放して!!
 なんだよ!みんな神無月の祭で遊んでたのに、俺、いっつも参加できない!!
 楽しいことなしで注射なんてやだ!!」
 「それは・・・」
 気の毒に思う、と言いかけた長谷部を遮って、石切丸が笑い出した。
 「神有月の出雲で、散々もてなされたじゃないか。
 健磐龍命(たけいわたつのみこと)に可愛がっていただいて、お菓子もたくさん頂いただろうに」
 途端、気まずげに目を逸らした蛍丸を、愛染がじっとりと睨む。
 「ひと月も遊んでいたのだから、注射くらいは我慢するように。
 じゃあ、長谷部。
 この子達は、私が連れていくよ」
 黙り込んでしまった蛍丸に笑って、石切丸は抱えた二振りを薬房へと運んで行った。


 その頃、『捕縛組』の一翼を担う新選組は、堀川の偵察力と長曾祢、和泉守の破壊力で、次々と逃亡者を捕縛していた。
 「いくら隠れるのが上手って言ってもさ、極めた脇差の偵察力は、その上を行くんだよv
 特に、と、堀川は、抜け道から引きずりだされた槍へ、くすくすと笑う。
 「はまって動けなくなってもがいてる、なんて、すぐわかるに決まってるでしょ」
 「悔しいが・・・助かった!」
 汗だくの状態で床に這った御手杵が、荒く息をついた。
 「なんで通れると思ったんだよ。
 俺でも無理だわ」
 和泉守の呆れ声には、無言で俯く。
 「逃げ道はないのだから、おとなしく連行されろよ。
 清光、安定、どちらか行ってくれ」
 長曾祢が言うと、駆け寄った安定が嬉しそうに縄を出した。
 「縄、どうする?かける?」
 わくわくと目を輝かせる彼に、御手杵はため息をつく。
 「ンなもんなくったって、逃げねぇよ」
 一人で行く、と、立ち上がった彼の腕を、清光が掴んだ。
 「信用するわけないでしょ。
 ヤス、行くよ」
 「うん!
 両手に花で嬉しいね、御手杵!」
 もう一方の腕を取り、引く安定に、御手杵が呆れる。
 「自分で言うかよ・・・」
 「なによー。
 骨喰の方がいいとか?」
 御手杵を連行しつつ、不満げな清光が自身の端末を取り出した。
 「骨喰ー?
 御手杵が、薬房に連れてってほしいって」
 「言ってねぇ」
 慌てる御手杵を意地悪く見上げて、清光が言い募る。
 「注射怖いからついててって」
 「言ってねぇよ!」
 遮ろうとする手は避けて、清光は通話を終えた。
 「すぐに来てくれるって」
 「じゃ、それまで柱に縛りつけておこうか!」
 また縄を取り出した安定に、御手杵は舌打ちする。
 「いつの間に亀甲の真似するようになったんだ?」
 せいぜい、厭味ったらしく言ってやると、安定は意地悪く笑った。
 「この催しのために、亀甲が講習会やってくれたんだ!
 教わった縛り方、やってみたいんだよね!」
 「それ、俺も教わった」
 目を輝かせる安定の傍に、いつの間にかいた骨喰が、腰に下げていた縄を指す。
 「試してみよう」
 「は?!
 待て、骨喰!
 そんなことしなくても俺・・・!」
 と、慌てる御手杵の前に立った骨喰は、軽く跳躍するや御手杵の肩を踏み台にして身体を反転させ、天井板を蹴り上げた。
 「ぎゃっ!!」
 天井板の割れる音と共に悲鳴が上がり、開いた穴からだらりと手が垂れ下がる。
 「引っ張ってくれ」
 呆気に取られていた和泉守は、天井を指す骨喰に頷き、垂れ下がった腕を取って引っ張り出した。
 「鯰尾・・・!」
 悔しげな堀川に、しかし、骨喰は首を振る。
 「兄弟だから、気配がわかっただけだ。
 偵察では負けてない」
 「う・・・うん・・・!」
 堀川が頬を染めて頷くと、骨喰は和泉守から受け取った鯰尾を縛り上げて肩に担ぎ、御手杵の手にも縄をかけて連行していった。
 「すっごいフォローじゃん。
 仕事ができる男、惚れるわー」
 ね?と、清光のからかい口調で言われた堀川が、また頬を赤くする。
 「もう惚れちゃったかな?」
 安定にまで笑われて、堀川は和泉守の羽織に顔をうずめた。
 「お前達、無駄話は切り上げて、こっちを手伝え。
 板自体は薄いが、無理に剥がすと床を傷めそうだ」
 苦笑交じりの長曾祢に促され、それぞれに板を検分してみると、それは床から僅かに浮いた状態で設置されてはいるものの、緩衝材があるわけではないため、下手に外せば床に傷をつけてしまう。
 「これ、先に養生シートってやつ?
 入れなきゃじゃないの?
 面倒だなー」
 だから、と、清光が足を上げた。
 「真ん中蹴りあけて、隠れらんないようにだけしとこ」
 ガッと蹴りつけた板があっけなく割れて、大きな穴があく。
 「普段、やったら絶対怒られることをやっていいなんて、楽しいよね!」
 と、安定も乗って、板を蹴りあけていった。
 「障子の貼り替え見てぇだな」
 和泉守も板を蹴り破ると、足元から悲鳴が上がる。
 「おい、国広ぉ。
 まだいるじゃねぇかよ」
 踵を返して逃げようとした乱の襟首を掴み、猫の子のように持ち上げて引きずり出すと、堀川が目を吊り上げて迫った。
 「偵察は得意だと思ってたのに、また出し抜かれるなんて!」
 「ふんっ!
 このボクが隠蔽で、脇差なんかに負けるわけないじゃない!」
 「捕まってりゃ世話ねぇわ。
 他にもいるのか?」
 乱を小脇に抱えた和泉守が抜け道を覗き込むと、清光と安定が嬉しそうに蹴り開けていく間に、縮こまる影が見える。
 「おい、お前らの間にいるぜ」
 声をかけると、二振りは嬉しそうに次々と蹴りを入れた。
 「どっちが先に当たるかなー!」
 「僕が当てちゃうよー!」
 「ひゃああああああ!!」
 清光が足を引いたタイミングで、穴から顔を出した毛利が、涙目で投降する。
 「よっしゃ。
 こいつら連れて、ひとっぱしり行ってくるわ。
 国広、後は頼んだぜ」
 性懲りもなく逃げようとする乱と、えぐえぐと泣きながら逆らう気力を失くした毛利を両脇に抱え、薬房へ向かう和泉守を見送って、加州と安定は残りの板を全て、破壊してしまった。
 「さすがにもう、隠れてないよね?」
 「短刀でも無理じゃない?」
 外枠だけで、辛うじて天井から支えられている残骸の陰を覗き込んだ国広は、立てた人差し指を唇に当てる。
 「そうだね!
 もう、誰もいないみたいです。
 次に行きましょう!」
 邪悪な笑みを浮かべて言う国広に苦笑し、回廊を曲がったあたりで息をひそめていると、ややして厚めの板がこすれる音がした。
 清光と、回廊を挟んで対面の安定がそれぞれ手にした手鏡を合わせると、床板を重たげに持ち上げて出てくる今剣の姿が写る。
 「ここまでやるか・・・」
 長曾祢の呆れ声は、口から出る前に国広に塞がれた。
 タイミングを窺う清光が、鏡を睨んだまま指を三本立て、二、一、と減らした次の瞬間、国広が飛び出す。
 床から這い出す直前の今剣を抱え上げ、逃げようと暴れる彼を長曾祢が受け取って抱えた。
 「おとなしく縛につけぃ!!」
 「まちぶせんなんて、ひきょうですよっ!!」
 長曾祢に捕らえられてもなお暴れる今剣に、国広が器用に縄をかける。
 「かくれんぼ王の一画を崩しましたよ!
 あとは、秋田君を捕らえてしまえば、こっちのものです!」
 「あきたに・・・まけた・・・・・・」
 呟いた途端、がくりとうなだれて抵抗をやめた今剣を、清光がつついた。
 「毎年、どっちが長く逃げるか競争してるもんねぇ。
 去年は不戦勝だったんだっけ?」
 「秋田が、おやつに釣られて出て来たからね。
 今年もやればいいのに」
 「いや、やっているぞ」
 と、長曾祢が安定に、端末を差し出す。
 「自ら出頭した者にはおやつ、または酒を提供と、招集がかかった時点で流れて来たんだ。
 だから、次郎が一番に行ったのじゃなかったか?」
 「なるほど。
 じゃあ、今年はおやつの誘惑に効果がなかったんですね。
 なんで?」
 縛られ、長曾祢の肩に担がれた今剣へ国広が問うと、彼はぷくっと頬を膨らませた。
 「ことしは、もう2かいもうったじゃないですか!
 またうたなきゃなんて、いやです!」
 「あー、なるほど」
 「確かにアレ、打った時は全然だったけど、あとでかなり腫れて、酷い筋肉痛みたいになって痛かったよねぇ」
 苦笑する清光の隣で、安定も腕をさする。
 世界中に蔓延する疫病のワクチンは、審神者だけでなく、演練を通じて交流する刀剣達にも接種を奨励されていた。
 「健康に気を使うというか、新しいもの好きというか・・・。
 主さんったら、『最先端医療を無料で受けられるチャンスなんて、一生に一度だぞ!』って、真っ先に予約して、率先して打ちましたからねぇ・・・」
 気が知れない、と首を振る国広に頷いて、今剣を抱えなおした長曾祢が歩を進める。
 「主が『喜んで実験体になろう!』なんて言い出すから、長谷部や小狐丸が、我れが我れがと先に出ていたよな。
 今剣、お前も三条の一門なら、小狐丸に倣って予防接種くらい、率先して受けたらどうなんだ」
 「あるじさまは、へんですっ!!
 薬研も、あんなにこうふんしていたら、びょうきじゃなくてもねつがあがってしまう、っていってました!」
 「ま、それは認めるけどねー。
 あそこまでハイテンションの主って、あんまり見ないから、よっぽど嬉しかったんだよ。
 だーかーら!」
 にんまりと笑って、清光は今剣の頭を撫でた。
 「主を見習って、予防接種に行こう!」
 「なんでっ!
 清光さんたちだって、いやがってたくせに!」
 またびちびちと、釣ったばかりの魚のように暴れ出した今剣を、長曾祢は肩に担ぎあげる。
 「俺達は、先に呼び出されてとっくに接種しているんだ。
 後は逃げ回る連中を捕まえるだけなんだよ。
 それにしても、最難関の一振りが捕まって良かったな。
 あとは秋田、鶴丸、小竜か。
 あいつらを捕まえてしまえば、残りはたやすいだろう」
 「むかっ!
 そういう、ゆだんがしょうきをのがすんですよっ!
 せいぜい、はしりまわるがいいですよっ!」
 身体こそ小さいが、生まれた時代ははるかに遡る短刀の言葉に皆、気を引き締めた。
 「そうだな!
 一気に片をつけるぞ!」
 長曾祢の声を受けて、清光が手を打つ。
 「よっしゃあ!気合入れてくよー!」
 「掃討だよ!」
 「偵察、がんばりますっ!!」
 安定と国広も唱和し、今剣を抱えたまま、捕縛へと駆けて行った。


 逃亡者もいるが、自ら薬房へ出向く者もいる。
 「わたくし、この衣装を着てみたかったのですよ」
 と、白いナース服に朱鷺色のカーディガンを羽織った古今伝授の太刀が、長い髪を一つに束ねた頭にナースキャップを乗せた。
 「看護婦さん・・・ではなく、看護師さん、ですね。
 言葉は正確に使わなくてはいけません」
 わくわくと頬を染めつつ、姿見に自身の姿を写した彼は、くるりと回る。
 「ふふふv
 さぁ、お注射しましょうねv
 「させねーよ」
 注射できないだろ、と、薬研が呆れ顔になった。
 「あら、きっとできますよ。
 やってみましょうか?」
 と、薬研が並べていた注射器の一つを取り上げた途端、椅子の上で震えていた蜻蛉切が、乙女のような悲鳴を上げる。
 「こんなに逞しい腕ですもの。
 多少、違う場所に打ったところで、問題ありません」
 古今が指先で腕をなぞると、蜻蛉切は震えあがって顔を覆った。
 「いや、問題あっから。
 見ろ、めちゃくちゃビビってるじゃねぇか」
 「まぁ・・・。
 ますらおが、これほどに怯えて震える様は、なんとも憐れが深くて、趣深いですねぇ」
 「意地悪すんなよ。
 来年に影響が出るからな」
 古今の手から注射器を取り上げた薬研は、しかし、と、笑みを浮かべる。
 「手伝いは助かるぜ。
 動かないよう、支えておいてくれ」
 「えぇ、いいですよ。
 ほぉら、怖くない、怖くない」
 華奢な手ながら、太刀にふさわしい膂力で蜻蛉切の腕を掴んだ古今は、薬研の前へ、見事な上腕二頭筋を差し出した。
 「ひっ!!」
 注射器から顔ごと目をそむけ、懸命に目を閉じる姿に、古今がまた、くすくすと笑う。
 「なんと愛らしい。
 他の槍もこうなのかしら。
 大太刀はこんなこと、ありませんでしたけど」
 「日本号も面白かったが、御手杵はこっちに向かってる最中だな。
 ばみ兄から、途中で治金丸を見つけたから倒してから来る、って連絡あったしな」
 「まぁv
 では彼が来たら、わたくしにお世話させてくださいなv
 「むっ・・・無駄話してないでっ・・・!
 打つなら早くっ・・・!!」
 絞り出すような声で訴えた蜻蛉切に、薬研が声をあげて笑った。
 「とっくに終わってんよ。
 お疲れさん」
 絆創膏を貼ってやった途端、気が抜けてへたり込んでしまった蜻蛉切を、古今が立たせてやる。
 「ちちんぷいぷい、ごよのおたから。
 はい、これでもう痛くありませんよ。
 わたくしは、この世を制する言の葉の遣い手なのですからね」
 おまじないを唱えながら患部をさすってやると、蜻蛉切は子供のように目を潤ませて頷いた。
 「お、こりゃいいな。
 優秀な看護師がいて助かるぜ」
 「これが言の葉の力というものですよ。
 ・・・あら、来たかしら?」
 複数の足音に目をやった出入り口には、槍と脇差が来ていたが・・・。
 「ばみ兄、ずお兄と御手杵はどうしたよ?」
 「あ」
 薬研に問われて、骨喰は瞬いた。
 「治金丸を倒すことに気を取られて、忘れてきた。
 木に括り付けているから、逃げられてはいないと思う」
 連れてくる、と踵を返した骨喰が床に放置した治金丸は、縄で拘束されながらも、びちびちと元気に跳ね回っている。
 「さすがばみ兄、上腕を避けて足までぐるぐる巻きとか、仕事ができる男は違うぜ」
 「そちらは・・・自ら来たのですか?」
 古今が声をかけると、大千鳥と泛塵はこくりと頷いた。
 「薬研から、薬房に来いと連絡をもらったので向かっていたら、途中で骨喰と治金丸が戦っていて・・・」
 「喧嘩かと思って、二振りで止めに入ったら、骨喰に協力を求められたから・・・」
 縛った、と、泛塵に指差された治金丸がまた、びちびちと跳ねる。
 「真田の刀は判断が的確で助かるぜ。
 おい、治金丸。
 あんまり暴れると・・・」
 と、注射器を持って迫る薬研が、背後の古今を指した。
 「あいつが、とんでもねぇ所に刺すかもしれないぜ?」
 「わたくしがやっても?!」
 嬉しそうに駆け寄って来た古今へは、懸命に首を振った治金丸がおとなしくなる。
 「こうさん・・・!」
 「よっし」
 「なぜ」
 おとなしく接種されてしまった治金丸を、古今が恨みがましく見下ろした。
 「わたくしにも、打たせてくださいな。
 きっと、うまく、できます、から」
 「いっだ!!いだい!!つつくな!!」
 未だ拘束されたまま、接種したばかりの腕をつつかれて、治金丸が悲鳴を上げる。
 「だいにぃにー!!ぢぃにぃにー!!いぢめるー!!!!」
 「呼んでも無駄だぜ、千代金丸も北谷もとっくに終わらせて、桑名に引き渡している」
 悪い笑みを浮かべて、畑での強制労働へ向かわせたと語る薬研を、治金丸はきっと睨んだ。
 「これだからヤマトの刀は乱暴だって言うんだ!」
 「お前だって日本の生まれだろ。
 ここでしばらく休んだら、兄弟と一緒に畑仕事でもやれよ」
 「俺達は畑ではなく」
 と、話に割って入った大千鳥が、泛塵を見下ろす。
 「泛塵が狩りに行きたいというから、山へ入ろうと思うのだが、今日はだめなのか?」
 問われて、薬研は眉根を寄せた。
 「接種後の激しい運動は推奨していない。
 畑いじりくらいならともかく、俺の目の届かない場所で駆けまわるのはやめとけ」
 「そうか・・・」
 しょんぼりと眉尻を下げた泛塵の頭を、古今が撫でてやる。
 「今日だけですよ。
 明日、行けばいいのですから・・・」
 と、また勝手に注射器を手に取った。
 「お注射しましょうねv
 「うん、わかった」
 いやにあっさりと頷かれて、拍子抜けした古今が、真顔になって大千鳥を見上げる。
 「あなたも・・・お注射・・・」
 「ああ、それで来た。
 二の腕に打つのか?」
 と、自ら袖をまくった大千鳥へ、古今が頬を膨らませた。
 「・・・あなたたちには・・・わたくしが必要ないのですね・・・」
 「お前も結構めんどくさいな」
 対策係を呼ぼう、と、端末を取り出した薬研が呼び出した歌仙は、両脇に小夜と秋田を抱えてやってくる。
 「マジか!
 小夜助はともかく、秋田を捕まえるなんざ、さすが第一刀は違うな!!」
 思わず大声を上げた薬研へ、歌仙は得意げに鼻を鳴らした。
 「毎年追い掛け回しているんだ。
 どこに逃げ込むかなんて、もうわかって・・・」
 「嘘です。
 僕が見つけたのを、歌仙が捕まえただけです」
 頬を膨らませた小夜が、不満げに言う。
 「小夜くんたら!
 歌仙さんが僕を捕まえる間に逃げようとして、ひきょうですよっ!!」
 じたじたと暴れながら声を張り上げる秋田から、小夜はふいっと目を逸らした。
 「秋田も邪魔した・・・」
 「当然ですよ!
 一人で逃げるなんて許しませんもんっ!!」
 「つまり、裏切りと裏切りが相俟って共倒れしてしまったと。
 歌仙、漁夫の利でしたねぇ」
 くすくすと笑う古今に、歌仙は肩をすくめる。
 「その通りだけど、きみはきみでそれは、なんの装束だい?」
 「これ、看護師ですよv
 愛らしいでしょう?」
 嬉しげにくるりと回った古今に、歌仙は苦笑した。
 「同じ細川家ではあるけれど、装束の趣味は合わないな」
 「まぁ!
 こういう時はまず、着ている様を褒めるものですよ。
 あなたと来たら、滅多に褒めることがないのですから。
 良くないことです」
 ねぇ?と、同意を求められた小夜が、こくりと頷く。
 「歌仙は時々、回りくどいです。
 ちゃんと褒める時は褒めないと」
 「・・・わかったよ」
 二振りから責められて、歌仙は眉根を寄せた。
 「しかし、心にもないことを言っても空々しいだけだろう?」
 「ですから、ちゃんと心をこめて褒めなさい、と言っているのです。
 まったくもう、あなたと来たら、素直じゃないのですから」
 皴の寄った眉間を古今につつかれて、黙り込んでしまった歌仙へ、薬研が吹き出す。
 「うちの第一刀を黙らせるなんざ、言の葉の力ってのはすげーもんだな!」
 「うるさいよ、薬研。
 早く仕事をしたまえよ」
 と、差し出そうとした短刀達は、この期に及んで暴れ出した。
 「秋田!お小夜!おとなしくしなさい!」
 「縛ってしまえばいい」
 冷静な声を見遣ると、鯰尾を抱え、御手杵を連行した骨喰が、更に不動と太閤に縄をかけて連行してきた。
 「ばみ兄、すげーな」
 「途中で見つけたから」
 短刀くらいなら一人でも、と、後ろを向かせた御手杵の背には、信濃と後藤が括りつけられていた。
 「さすが、仕事のできる男だぜ!
 おい、お前達、そこに並べ」
 「こっちも追加だぜ!!」
 大音声が響いて、頬を紅潮させた和泉守が、両脇に乱と毛利を抱えて乗り込んできた。
 「こっちもだ」
 長曾祢が、性懲りもなく暴れる今剣と、もう一方の腕に厚を抱えて続くと、国広も連行した包丁を縛ったままの状態で転がす。
 更には、
 「俺もーv
 「僕もーv
 と、清光が南泉を、安定が則宗を連行した。
 「大漁じゃねぇか!」
 歓声を上げた薬研にしかし、則宗は渋い顔をして縛られた両腕を差し出す。
 「僕は何も、逃げようとしたわけじゃないよ。
 ネコチャンに、薬房へ案内してくれと言ったら行きたくないと言うから、通りかかった坊主達に道案内を頼んだらこの有様だ。
 まったく、年寄への敬意が足らん坊主達だ」
 「若ぇやつは乱暴だからな。
 そこをいなしてやるのもジジィの力量って奴だろうがよ」
 見た目こそ少年だが、そう変わらない年の薬研に笑われて、則宗は肩をすくめた。
 「いいからこれをほどいてくれ。
 日光の坊主なんかに見られた日にゃ、あとあと面倒なことになりそうだ」
 「じゃ、写真とっとこ!」
 「証拠写真証拠写真♪」
 「やめんか」
 則宗と寄り添って自撮りする清光と安定には、思わず真顔になる。
 「おい、はしゃいでねぇでこいつら並べな。
 油断してると逃げられるぜ」
 逃げようと暴れる乱と毛利を抱え直した和泉守が薬研の前に並ぶと、他の面々もそれぞれの獲物を抱えたまま並んだ。
 「なんでだよ!今年はもう二度も打っただろぉ!」
 長曾祢の太い腕に拘束されたまま、大声を上げる厚へ、薬研は鼻を鳴らす。
 「あれはコロナワクチン、こっちはインフルエンザだ。
 種類が違うぜ」
 見せびらかすように注射器を手に取ると、先頭に押しやられた御手杵が悲鳴を上げた。
 「まぁv
 槍が来ましたね、待っていましたよv
 嬉しげに駆け寄った古今が、御手杵の腕を取って薬研の前へ差し出す。
 腕を引こうにも、意外な膂力がそれを許さず、御手杵は震えながら顔をそむけた。
 「そんなにこえぇかよ」
 にやにやと笑う薬研に目を向けられないまま、御手杵はぶるぶると震える。
 「だって!
 誰か言ってたぞ、ワクチン打ったら5G受信するって!」
 「そりゃ良かったな、どこでもゲームできるぜ」
 「はっ・・・!
 あいてぇっ!!」
 薬研の指摘に思わず顔を向けた御手杵は、うっかり針の刺さる瞬間を見てしまい、子供のような悲鳴を上げた。
 「はい、がんばりましたねぇ、よしよし。
 もう痛くありませんよ」
 「う・・・ひぃん・・・!」
 患部を撫でてくれる古今へ縋って泣く御手杵の座る椅子を回転させた薬研は、彼の背に縛り付けられた信濃と後藤にも、次々に接種する。
 「お前達も」
 「包丁くんも!」
 骨喰に引きずられた不動と太閤、そして、国広が引っ立てた包丁が、容赦なく迫る針へ悲鳴を上げた。
 その声に、ようやく目を覚ました鯰尾が自身へも迫る注射器からのけぞって逃げようとする。
 「動くな、怪我をするぞ」
 骨喰に背中を支えられ、更には腕を掴まれて、身動きを封じられた鯰尾がぶんぶんと首を振った。
 「ヤメテヤメテ!!
 医療に詳しいってアカウントが、ワクチン打つとマイクロなんちゃらを入れられて、金属のどうちゃらが作用して、磁石がくっつくようになるってゆってたよ!」
 「俺らの本体にゃ、ワクチン打たなくてもくっつくだろ」
 「なんちゃらどうちゃらを整理してから抗議しろ」
 薬研だけでなく、骨喰にまでため息をつかれて、うなだれた瞬間に打たれてしまう。
 「ヤメテって言ってんのに!!」
 「短刀の機動舐めんな。
 わざわざ痛くしなかっただけでもありがたく思え」
 冷酷な目に射すくめられ、絶句した鯰尾を骨喰が連行する。
 「次」
 「おう!」
 骨喰に促された和泉守が、得意げに差し出した乱は、甲高い悲鳴を上げて暴れ出した。
 「やだやだやだ!!
 こんなの打ったら洗脳されるって!
 ずお兄が言ってた!!」
 「心配すんな、お前はとっくにこの本丸に染まってる。
 次」
 乱が暴れた隙をついて、逃げ出した毛利を追いかける和泉守に代わり、歌仙が秋田を差し出した。
 「やめてください!
 GPSが!
 GPSが埋め込まれて、位置情報を把握されちゃうんですよ!
 敵にこの場所を知られたら大変ですよ!!」
 「そんなもんなくても、俺らの居場所くらい、大将は把握している。本陣もだ。
 俺らができることは、攻め込んできた奴らを撃退することだよ」
 できないのか、と煽ってやると、ふっくらとした唇を引き結んだ秋田が、ぶんぶんと首を振る。
 「主君を守るために・・・僕は・・・!」
 「いい心がけだ。
 そら、古今に撫でてもらえ」
 歌仙じゃ無理だ、と言われて、逃げた小夜を追いまわしていた歌仙が肩越し、むっと睨みつけた。
 「ほら、お小夜!
 秋田も素直に打ったんだよ。
 君も、あとで古今に撫でてもらえばいいじゃないか」
 「嫌です!
 僕も・・・幽斎様の刀ですから、打たなくても平気です!」
 「どんな理屈だい。
 こら!待ちなさい!」
 薬房を逃げ出そうとした小夜は、ちょうど現れた大きな刀にぶつかり、尻もちをつく。
 「あぁ、大丈夫かい、小夜。
 怪我は?」
 差し出された大きな手の向こうを見上げると、石切丸の穏やかな笑みがあった。
 しかし、その装束はところどころ、血に汚れている。
 「ひっ!」
 怯えてしまった小夜が見つめるものに気づいた石切丸が、自身の装束を見下ろした。
 「蛍丸が暴れてしまって。
 おとなしくしてもらうのに、ちょっとね」
 ちょっと・・・どころではない勢いでげんこつをもらったのだろう。
 頭に大きなたんこぶを作った蛍丸が、目を回した状態で石切丸の肩に担がれ、彼の背後には、真っ青になって震える愛染がついてきていた。
 俯いた彼の表情が、逃げればひどい目に遭う、と語っている。
 「ありがとう、石切丸。
 貴殿が来てくれたおかげで、お小夜がおとなしくなったよ」
 すかさず小夜を抱き上げた歌仙が礼を言い、真っ青になって足元のおぼつかない愛染を先に通してやった。
 「さぁ、愛染。
 君もおのこなら、みっともなく泣かないで行っておいで」
 「う・・・」
 背を押されても、なかなか歩を進められない愛染を、歌仙が抱えて古今へ渡す。
 「小さい子は、痛みを強く感じるそうですからねぇ。
 わたくしに抱っこされておいでなさい」
 古今の膝にのせられた愛染の、ぶるぶると震える腕に薬研が針を刺した。
 「普段、威勢のいい奴らがこんなちいせぇ針に怯えてんの、マジでウケるな」
 けらけらと笑われて、悔しい愛染が涙目で睨む。
 「覚えてろよ!」
 「手合わせか?
 これ以上に痛い目見るぜ?」
 せせら笑う薬研に反論できず、唸る愛染の頭を、古今が優しく撫でてやった。
 「はい、頑張りましたね。
 もう痛くありませんね」
 次は、と、愛染を膝からおろした古今に促されたが、石切丸は首を振る。
 「蛍丸は、小さくても大太刀だからね。
 私でないと」
 「ちっさくない!!」
 嫌いな言葉に目を覚ました蛍丸が、目の前に迫る注射器から逃れようと暴れ出した。
 「こら、おとなしくしなさい。
 またげんこつかい?」
 石切丸の、しかつめらしい顔で叱られてもしかし、蛍丸はおとなしくしようとはしなかった。
 「鯰尾が言ってた!
 注射打ったら、遺伝子が変えられるって!」
 「刀が人の身を得た分際で、これ以上何を変えようってんだ。
 マジでやべぇもんを仕込んでいた南海は、最初に排除したから安心しろ」
 「仕込んでいたのかい」
 「とても気になるね」
 薬研の言葉に興味を惹かれた歌仙と石切丸が、『詳しく』と詳細をねだる。
 と、
 「なんかの実験とやらで、まずは反ワクチン派が主張するマイクロチップやら金属やら磁石やらを入れて打ってみようか、なんつってたぞ。
 やるのは構わねぇが、マイクロチップの目的はなんだ、って聞いたら、せいぜい個人情報とGPSくらいか、って、ツマンネー顔になって。
 もっと面白い活用方法を見つけたらやるって、今回は見送ったそうだ」
 「やるのは構わないって・・・君ね」
 「南海には二度と注射器を持たせないでくれたまえ」
 「いたっ!
 他の話しながら打つの卑怯だよ!!」
 てっきり話が逸れたと油断していたところを押さえつけられ、腕を差し出され、針を刺された蛍丸が抗議するが、聞いてくれるわけもない。
 「なんだよもう!!
 終わったんなら放してっ!!」
 「おや、なでなでしなくていいのかい?」
 石切丸のからかい口調に、蛍丸が頬を膨らませた。
 「古今にやってもら・・・」
 「僕がやります!」
 和泉守に捕縛された毛利が、抱えられたまま目を輝かせる。
 「蛍丸君をなでなでできるなら、注射のひとつやふたつ、余裕です!
 さぁ!
 お手をどうぞ、マイ・リトル・プリンス!!」
 和泉守の腕から抜け出し、駆け寄って来た毛利に肌を粟立たせた蛍丸が、石切丸にしがみついた。
 「・・・石切丸が、なでなでしていいよ」
 「別に、許可してもらう必要はないよ。
 毛利にやってもらってはどうだい?」
 「大太刀公認?!
 蛍丸君!石切丸様が祝福してくださいましたよ!」
 「寄るな!」
 息を荒くしてにじり寄る毛利を一喝し、蛍丸は石切丸の肩によじ登る。
 「俺、神剣だから!自分でなでなでできるし!!」
 「じゃあ、僕は後ででいいですから!
 なでなで!!」
 「・・・先に小夜助やるか」
 「ひゃっ!」
 中々終わりそうにない毛利のやり取りに見切りをつけて、薬研が小夜を手招いた。
 未だ及び腰の小夜を背後から歌仙が抱えて、薬研の前へ差し出す。
 「なっ・・・鯰尾さんが言ってました・・・!
 注射打つと、ワニに変わるって!!」
 「ワニ?
 サメじゃなくて、爬虫類のワニか?」
 失笑した薬研に小夜が必死に頷くが、抵抗もむなしく針を刺されてしまった。
 「新ネタと思いきや、古いな。
 種痘の時は牛に変わったらしいぞ。
 前の主に投げられてぇか?」
 「ほんとにっ?!
 牛に・・・なったんですか?!」
 「ンなわけねーだろ」
 次、と促されて、唐突に張り切った顔の毛利が駆け寄ってくる。
 「小夜君も、僕がなでなでしますよ!
 さぁ、腕を出して・・・!
 どこが痛いですか?!」
 息を荒くして迫りくる毛利から逃げた小夜は、慌てて歌仙の背中に隠れた。
 「毛利、君も早く打ってしまいなさい。
 厚!今剣!いい加減にしたまえ!」
 歌仙が大声をあげる。
 と、両脇に抱えた短刀達の激しい抵抗に手を焼いていた長曾祢が、たまらず石切丸へ助けを求めた。
 「はいはい、今剣、大人しくしなさい。
 ここにいる誰よりも年上だろう、君?」
 長曾祢の腕から今剣を抱き上げた石切丸に叱られて、ようやく抵抗をやめる。
 「まったく、毎年大騒ぎをするのだから。
 少しは、薬研の苦労をおもんぱかってはどうだい」
 呆れ声で言われ、頬を膨らませた。
 「だって!
 さんかいですよ!
 これで、さんかいめです!
 いちどでたくさんなのに!」
 「戦には、それ以上に出ているだろうに。
 おのこが情けないことを言うものではないよ。
 厚も」
 長曾祢が薬研へと差し出したものの、未だ暴れる厚へ、石切丸が声をかける。
 「兄弟を困らせるものじゃないよ。
 目に見えるものだけが、敵じゃないのだからね」
 病気治癒の神剣の言葉に、厚は黙り込んだ。
 「そうそう、いいこと言うぜ、石切丸はよ」
 「・・・っお前の顔はムカつくけどな!」
 にやにやと笑いながら、注射器を見せびらかしてくる薬研には、忌々しげに舌打ちする。
 「さ、今剣。
 ここでは一番のお兄さんなのに、最後になってしまったじゃないか。
 臆することを恥じなさい」
 言われて今剣は、自ら震える腕を差し出した。
 「はい、偉かったよ。
 これで・・・大半は終わったのかな?」
 薬研に問うと、タブレットを見た彼は、眉根を寄せて顎をつまむ。
 「打刀以上でまだの連中は、遠征だったり内番だったりで忙しくしているだけだからな、用事が終われば来るだろうが・・・鶴丸と小竜、あと、謙信が来てねぇな。
 謙信は、多分小竜に・・・」
 と、言いつつ見遣った鯰尾が、挙動不審に目をそらした。
 「全力で、あの二振りを捕まえてくれ。
 手段は任せる」
 捕縛組だけでなく、今、接種を終えたばかりの短刀達へも言うと、彼らは眉根を寄せてそっぽを向く。
 「ここまでやってくれた奴らを、裏切ったりしねぇよ」
 きっぱりと言った不動の、寄せられた眉根を、薬研は容赦なく突いた。
 「ぐあっ!!」
 「オイ、ざっけんなよ、てめぇ。
 裏切りとか以前に、迷惑だっつってんだよ。
 毎年毎年めんどくせー手間かけさせやがって、面白がってんじゃねぇよ!
 いい加減にしねぇと、首に縄ァかけて木に吊るすぞ!」
 「あぁそれ、主が嬉しそうに読んでいた拷問の本に載っていたよねぇ」
 と、歌仙が意地悪く笑う。
 「足がつくギリギリのところで吊るして、力尽きたり、寝てしまうと首が絞まるのだそうだ。
 まぁ、裏切りたくないというのなら、協力は求めないけれど」
 酷薄な形に、歌仙の唇が歪んだ。
 「邪魔をする子には、お仕置きが必要だよね?」
 息をのんで固まってしまった短刀達へ、石切丸が苦笑する。
 「さぁ、怖い目に遭う前に、部屋へお戻り。
 今日はもう、大人しくしておいで」
 その言葉に息を吹き返した短刀達は、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


 その頃、一文字一家の居室で、日光一文字は山鳥毛の前に座していた。
 「お頭、我ら一家、御前まで接種を終えました」
 「そうか・・・」
 気まずげに目を逸らす山鳥毛へ、日光は膝を進める。
 「お頭も、そろそろ行かれませんと」
 「あ・・・あぁ、もちろん・・・だが・・・」
 頑なに動こうとしない山鳥毛へ、日光が更に膝を進めた時、
 「なに悠長にしてんのぉ!腹立つ!」
 パァン!と、襖を開けて、姫鶴が乗り込んできた。
 「隠居、そっち持って!」
 「やれやれ、姫よ。
 年寄をこき使うもんじゃ・・・」
 「行くよっ!」
 姫鶴と則宗が、それぞれに山鳥毛の腕を取って、抱え上げる。
 「そこの左腕!
 ほんとは、君がやるんじゃないのっ!」
 すっかりとさかに来た様子で声を荒らげる姫鶴に、日光はため息をついた。
 「乱暴なことをしなくても、お頭でしたら自ら行かれるでしょうに」
 「それはどうかな?」
 意地の悪い笑みを浮かべて、則宗が山鳥毛の顔を覗き見る。
 「自分の足で行くには、随分と怯えているようだなぁ、小鳥よ?」
 「だからぁ、俺達が運んであげるってぇ!」
 「ご・・・御前、姫!
 私ならもう、行くところだったから・・・!」
 「信じないぃっ!!」
 腕を振り払おうとする山鳥毛を引き留めて、姫鶴は首を振った。
 「俺が痛い目に遭ったんだから!
 オカシラも痛い目に遭うの!それが家長でしょぉ!」
 行くよっ!と、再び声を荒らげた姫鶴に、則宗が笑い出す。
 「諦めろ、山鳥毛。
 僕が付き添ってやるし、打たれた後は、撫でてやるからな」
 すっかり保護者気分で笑った則宗は、姫鶴と共に山鳥毛を薬房へと引きずって行った。


 「もう、大半が捕まっちまったか・・・」
 薬研が使っている、接種確認用アプリを自身の端末に表示させて、鶴丸は舌打ちした。
 「やっぱり、次は地下道を掘るしかないな。
 地下なら、電波も届かないしな」
 GPSは使えないはず、とほくそ笑み、端末を懐に戻す。
 「短刀達が捕まったんならもう、終えてやってもいいんだが、せっかくだ。
 最長記録は更新したいよな」
 軽く跳ねた次の瞬間、大きく歩を踏み出して駆け出した。
 「こいつっ!!」
 自ら壁を破って逃げた鶴丸を捕え損ね、長谷部が舌打ちする。
 「博多っ!!」
 「あ、無理やん」
 まっすぐに向かって来た鶴丸へ、博多はあっさりと道を譲った。
 「なんしよーとやっ!!」
 激昂する長谷部へ、博多は手を振る。
 「先制攻撃できる極太刀やら、短刀が捕まえらるーわけなかろーもん。
 怪我はしとーなか」
 「いい判断だぜ!」
 大笑いしつつ、鶴丸が逃げる先には時空門がある。
 勝手に時間遡行することは禁じられているが、万屋へ行く程度なら問題ない。
 しばらくは街でのんびりしていようと、時空門へ飛び込んだ鶴丸の袖を、背後から長谷部が掴んだ。
 「はやっ!!」
 「太刀に足で負けるわけないだろう!!」
 短刀にさえ追いつく長谷部の機動力に圧倒されはしたものの、技量では優っている。
 「とりゃっ!」
 足払いをかけると見せて、避けられたところで長谷部の腕をつかみ、捻りあげて袖を解放した。
 ついでに突き飛ばし、起き上がる前に時空門を抜ける。
 「ははっ!
 茶ァしばいたら帰るぜー!」
 愉快げに言い残した鶴丸は、万屋のほか、茶店や商店が並ぶ通りへと消えて行った。


 「は?!
 鶴の奴、本丸を出ちまったのかよ!
 それはさすがに反則だろ!」
 厨房で博多からの連絡を受けた太鼓鐘が、眉根を寄せた。
 その隣では、接種ご褒美用のパンケーキを焼いていた小豆が、困り顔で小首を傾げる。
 「じつは・・・謙信と小竜もみつからないそうなんだ。
 もしかしたら、あのこたちもいるのだろうか・・・」
 「そうかもね・・・」
 こめかみを引きつらせて、光忠が太鼓鐘の端末を借り受けた。
 「博多君、悪いんだけど、見つけたら知らせてくれるかな。
 君達だけじゃ回収が難しいだろうから、長船が責任を取るよ」
 言いながら小豆を見遣ると、頷いた彼は自身の端末で大般若へ連絡する。
 「景光たちがほんまるをでてしまったから、つれもどしにいこう」
 が、予想通り、帰って来たのはあまり芳しい答えではなかった。
 『小竜はともかく、謙信は夕餉の時間になれば帰ってくるよ。
 心配しなくても大丈夫だ』
 「心配じゃあないんだよ!」
 今度は小豆の端末を取り上げて、光忠が苛立たしげな声をあげる。
 「薬研君に迷惑かけて、申し訳ないってことだよ。
 鶴さんもいるし、あの二振りのこざかしさを力で抑え込むには、長船が適任でしょ!
 わかったら一緒に来なさい!」
 『めんどくさい』
 「あ、そう!
 じゃあ、僕も面倒だから、今後は君のおつまみ作らないよ?!」
 言ってやると、回線の向こうから不満げなうなり声があがった。
 『わかったよ。
 捕まえたら、ご褒美にいい酒をくれるかい?』
 「はいはい、あげるから早く時空門まで来なさい!」
 ぞんざいに言って通話を切った光忠は、端末を小豆へ押し付けると、エプロンを脱ぐ。
 「ごめん、貞ちゃん!
 ちょっと、鶴さんと小竜ちゃんを回収に行ってくるよ!」
 「あぁ、がんばれよ。
 うちの亀、連れて行きな!」
 「あ!そうか!!」
 毎年小竜を捕縛する亀甲の存在を思い出した光忠が、自身の端末で亀甲へ連絡した。
 「ごめんね、毎度迷惑をかけちゃって」
 『そんなことはないよ!
 また、あのキレイな小竜を縛れるなんて、興奮するよ!』
 大般若とは真逆の、好意的な返事に安堵した光忠が、小豆を伴って時空門へ向かう。
 二振りが着く頃には、大般若と亀甲も出立の間へ入っていた。
 「じゃあ、行くよ!」
 亀甲が差し出した縄を受け取った光忠が先に立って、時空門を抜ける。
 その先で長谷部と合流した彼らは、既に探索に出ている博多からの連絡を待って、捕縛へと乗り出した。


 光忠達が到着する、少し前。
 「おぉ、ここにいたか」
 鶴丸が、立ち並ぶ茶店の一つで、甘味に囲まれた景光達へ声をかけると、小竜が手を振って返した。
 「反則だってわかってはいたけどさ、久しぶりに、謙と出かけたかったんだよねー」
 にこりと笑いかけた謙信はしかし、困り顔で俯く。
 彼の前に並べられた甘味に、あまり手が付けられていない様子も気になって、同席した鶴丸は彼の顔を覗き込んだ。
 「どうした?」
 「ちゅうしゃは・・・いやだけど、これはよくないことなのだ・・・・・・」
 きっとしかられる、と不安げな謙信の頭を、小竜が笑って撫でてやる。
 「叱られるのは俺と鶴丸だよ。
 謙は、俺が勝手に連れてきたんだから、大丈夫v
 「そうだな!
 俺達は別に、あれが痛いわけでも嫌なわけでもないが、本気の追いかけっこなんて面白い行事に参加しないなんて、つまらんじゃないか!
 この前の・・・なんだったか、疫病の注射は、主が
 『最先端医療だぞ、最先端医療!しかも、どんな副反応が出るかは、打ってからのお楽しみなんだぞ!ワクワクすするな!』
 なんて言うもんだから、ノリで受けたが・・・」
 「主も鶴も、なにもでなかったんだよねぇ。
 俺もだけど、なんか・・・がっかりしたんだよね」
 眉根を寄せた鶴丸に、小竜が苦笑した。
 「副反応が出るのは若い連中だけ、なんて言われちゃあなぁ。
 主より、遥か年上の俺らになんか、最初から出るわけなかったんだよな・・・」
 遠くを見つめてしまった鶴丸に、小竜が笑い出す。
 「短刀達ですら、筋肉痛程度で何もなかったもんねぇ。
 しかもあれって、いんふるより全然痛くなかったし」
 つまらなかった、と首を振る小竜を、謙信が訝しげに見上げた。
 「やっぱり・・・わがままでめいわくをかけるのは・・・いけないのだ・・・」
 「真面目だなぁ、謙信は。
 小竜とは大違いだ」
 「俺は鶴丸よりは真面目だよー」
 などと、笑い合う二振りに、謙信はため息をついた。
 「きっと、ぐらんもおこっているのだ・・・」
 「だろうなー」
 くすくすと笑って、鶴丸は店員に自分の飲み物を注文する。
 「きっと、光坊や長谷部が怒り狂って捕縛に来るぞ。
 その時まで、のんびりしていればいいさ」
 「そうそう、だから、遠慮なくお食べ」
 小竜があんみつを匙ですくって口元へ運んでやると、謙信は渋々ながらも食べてやった。
 「美味しいでしょv
 ここ、乱お勧めの甘味処なんだーv
 「バエるって評判の甘味もあるらしくてな、一度、君も連れてきたかったんだ」
 よっと、鶴丸が手をあげると、忌々しげな顔の光忠が、重くため息をつく。
 「だったら普通に呼んでくれればいいでしょ!
 なんでわざわざこんな、面倒なことするのさ!」
 「そりゃ決まっているよ!」
 椅子の背もたれに腕を預けた小竜が、楽しげに光忠と、その背後で呆れ顔の長光達へ笑いかけた。
 「楽しいから!」
 「だろうとも」
 苦笑した大般若が、小竜の隣に座る。
 「長谷部、博多、亀甲も、巻き込んですまないね。
 我が若君は最近、姫に弟を取られていたことに、ご立腹でね」
 大般若が肩を抱き寄せた小竜の頭を、小豆が苦笑しつつ撫でてやった。
 「ふまんそうだったのはしってたが、ここまでやることはなかったろうに」
 「どうせ鶴さんの入れ知恵でしょ!」
 光忠が憤然と言ってやると、鶴丸は肩をすくめて笑い出す。
 「酷いな、光坊。
 俺は、長年の友のために協力してやっただけだぞ。
 いつもみたいに本丸内を逃げていると見せかけて、ゆっくりしてくるといい、ってな。
 まぁ、謙信はあまり、喜んではくれなかったようだが」
 「謙・・・。
 俺と一緒は、楽しくなかった?」
 眉根を寄せて、悲しげな小竜に、謙信は慌てて首を振った。
 「そっ・・・そんなことはない・・・のだ・・・」
 でも・・・と、厳しい顔つきで、腕を組む光忠を、おどおどと見上げる。
 「こんどはちゃんと・・・いっしょにこよう・・・」
 「うんっ!」
 途端に笑顔になって、謙信を抱きしめる小竜に、亀甲が思わず笑みをこぼした。
 「可愛いなぁv
 僕も、兄弟たちに会いたくなったよv
 そう言って手にした縄を仕舞おうとする彼から、長谷部が忌々しげにそれを取り上げる。
 「油断大敵だ!
 引っ立てるぞ!!」
 「あぁ、だったら悪いが、注文したものは持ち帰りで。
 包んでもらってくれ」
 いけしゃあしゃあと言う鶴丸に、長谷部が悔しげな奇声を上げた。


 「・・・っし。
 これで、今回の予防接種は終了だが」
 眉根を寄せて、薬研が舌打ちする。
 と、
 「えぇー・・・。
 ちゃんと畑仕事したあと、自分から来たんだよ?なんで怒られるのぉ・・・?」
 意外そうに顔をしかめる桑名へ、薬研は首を振った。
 「すまん、あんたらのことじゃない。
 今回も散々かき回してくれた連中に、どんな仕置きをしてやろうか、考えてたんだ」
 もう一度、すまない、と頭を下げた薬研へ、桑名がくすくすと笑う。
 「畑の戦力ありがとう、って、先に言っておく?」
 「それもありだな」
 だが、それは予想の範囲内だろうと、薬研は頭を掻いた。
 「もっと重労働で、もっと連中が嫌がるやつ・・・」
 「うーん・・・。
 短刀くん達は畑仕事嫌がらないから、おやつ抜きとか?」
 「拷問v
 拷問しないかい?」
 「どっから湧いた」
 にゅっと、いきなり顔を出してきた松井江に、薬研が眉をひそめる。
 「桑名と一緒に来たでしょ。
 古今様が、ナースキャップのピンが髪に引っかかって取れないと困っていらしたから、お手伝いしていたんだよ」
 「いざという時の松井ですからねv
 きれいに髪を整えてもらった古今が、自慢げに言った。
 「薬研、松井の案に載ってはいかがですか?」
 「兄弟を拷問しろってか」
 さすがに難色を示した薬研に、古今は小首を傾げる。
 「痛めつけるだけが拷問ではないでしょう?
 まずは、本丸御殿に作った抜け道の片づけをさせたあと、それぞれが一番好きなものをお取り上げなさい」
 「なるほど・・・全部一緒じゃなくていいってか」
 「えぇ。
 今時の言葉で・・・多様性、と言うのでしたか?
 鯰尾からはゲーム、鶴丸と小竜は、何日か塗籠に閉じ込めてやりましょうか」
 くすくすと笑って、古今は両の指先を合わせた。
 「お小夜にはどんなお仕置きをしようかしら?
 兄達と引き離しましょうか?
 やはり、塗籠に閉じ込めましょうか?」
 「そんなにいくつも塗籠はねぇよ」
 呆れ声ながらも、薬研は楽しげに目を細める。
 「まずは・・・この騒動を鶴丸達に許可した大将からだな」
 「先ず隗より始めよ、っていうよねぇ」
 うんうん、と頷く桑名へ、松井が苦笑した。
 「桑名、それ、意味あってる?」
 「それはいいじゃない。
 ねぇ薬研、閉じ込めるのもいいけど、畑の戦力、ちょうだいよね?」
 「もちろんだ」
 にやりと、薬研が悪い笑みを浮かべる。
 「好きなものがあるヤツからはそれを取り上げ、出かけることが好きなヤツは閉じ込め、畑嫌いは畑で強制労働だ」
 言うや、薬研は白衣を翻して薬房を後にした。


 「・・・なぜ俺が」
 本日からしばらくの間、近侍を拝命した大倶利伽羅は、不満げに言って消沈した様子の主を見下ろした。
 「好きなものを取り上げる。
 それが今回の仕置きだ」
 にやにやと笑いながら、薬研は腕を組む。
 「どうだい、大将?
 お気に入りの狐の親分さんは、遠い空の下へ一日がかりの遠征で、近侍はあんたにちっとも優しくない大倶利伽羅だ。
 何よりの仕置きだろう?」
 反駁する気力も削がれて文机に突っ伏す主へ、大倶利伽羅が眉根を寄せた。
 「俺や、小狐丸へも仕置きか?」
 「おっと、それはまずいな」
 素直に薬房へ来てくれた彼らへの仕置きになってはいけないと、薬研は白衣のポケットから自身の端末を取り出す。
 「近侍は交代にしよう。
 あんたの他に、大将に優しくないヤツは・・・同田貫くれぇしかいねぇな」
 「二交代制か・・・」
 「仕置きだからな、がんばってくれ」
 ため息をついた大倶利伽羅の腕を励ますように叩いて、薬研は歪んだ笑みを浮かべた。
 「もう二度と、俺に逆らえないようにしてやんぜ」



 了




 










本当は、2021年12月中に仕上げようと思っていたんですが、間に合いませんでした・・・。
毎年恒例(?)になった、予防接種イヤ大会ですが、毎度、『逃亡ルートどうしよう・・・!』って考えると、だんだん壮大になってしまって困っています(笑)
次回は本丸に地下道掘られそうですね。
万馬券、3つで足りるんだろうか。
コロナワクチン2回接種の方は、『どんな副反応が出るかわからないなんて、わくわくするだろう?!』の一言で、鶴さんと小竜ちゃんが自主的に打ったため、短刀ちゃん達はガチ逃亡できませんでしたよ。
その代わり、準備していた反ワクチンの主張をインフルエンザ予防接種時に言ってみたのですが、薬研に撃退されてしまった、という流れでした。
ちなみに、ここで上がってる主張は、本気で彼らが主張していた物ですよ(笑)
ワニになる、は、ブラジルだったかな?
薬研のセリフは、まんま私が言ったことでした(笑)
昔から、人間の考えることって、同じなのかな(笑)
あと、姫鶴のお姫様抱っことナース古今は、書いててとても楽しかったです。













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