〜 われてもすゑに 〜







 猫が鳴いている。
 庭木の枝の上、青々と繁る葉の中で黒く影のようにわだかまって。
 斬ろうとしたのか、降ろしてやろうとしたのか・・・。
 俺を持つ手はかつての力強さを失って、細くか弱く・・・冷たい。
 斬れずに倒れた。
 斬らずに・・・倒れた。
 彼の意志がどこにあったかなんて、知らない。
 ただ、俺では斬りようのない敵に負けて、彼は倒れた。
 家人の悲鳴が聞こえる。
 俺を地べたに放って、冷たくなった彼は座敷に運ばれ、涙に包まれた。
 雨が降ればいいのに。
 雨でも降ってくれたら、俺も濡れることができるのに。
 この刃に滴を滴らせて、泣く真似事ができるのに・・・。
 ―――― 泣くなよ、馬鹿。
 穏やかな顔をして、口の悪い相棒の声が聞こえた。
 ―――― 泣いてないよ、馬鹿・・・!
 泣けたらいいのに・・・。
 二人して彼に縋って、思う存分泣けたらいいのに・・・。
 乾いた地べたに放り出されたまま、空を仰いだ。
 ―――― なぁやす、俺達だけは・・・・・・。
 呟くと、相棒が頷く気配がする。
 ―――― 誰が忘れても俺達だけは、彼の事を覚えていよう・・・。
 相棒の言葉に深く頷いた。
 扱いにくくて、誰も手にしてくれなかった俺達を可愛がってくれた彼・・・。
 今後別れ別れになっても、俺達だけは彼の事を忘れない・・・。


 ―――― 寒さに震えて目を覚ました。
 冷たくなった鼻を温めようと、布団の中にもぞもぞと潜り込んだ今剣は、目だけを外に向ける。
 と、降り注ぐ朝日を金色に弾いて、まだ誰の足跡もない雪がきらめいていた。
 「わーあ!」
 寒さも忘れて布団を跳ね上げた今剣は、雪見障子に這い寄る。
 「だれもいませんよぉ!いちばんはぼくです!」
 はしゃいだ声をあげ、急いで着替えるや綿入り半纏を掴んで外に出た。
 「ひゃっ!
 あし・・・つめたいです・・・っ」
 いつもの下駄では雪が冷た過ぎる。
 ぴょんぴょんと跳ねて戻り、縁の下から取り出した沓に履き替えると改めて飛び出した。
 「わぁい!
 ぼくがいちばんにあしあとをつけましたよぉ!」
 積もった雪に初めての足跡をつけることは、朝の遅い彼には滅多にできないことだ。
 大喜びで誰もいない庭を駆け回った今剣は、庭の隅で嬉しげにはしゃぐ声を聞きつけて駆け寄った。
 「ぼくがさいしょだとおもったのにぃ・・・!」
 むくれ顔で声をかけると、襟巻きに半面を埋めた加州が震えながら振り返る。
 「俺もまだ寝てたかったよ!
 だけどやすが・・・!」
 「だって珍しいじゃないか!
 いつもは短刀達に先越されちゃって、足跡だらけなんだもん!」
 嬉しげに言った大和守安定は、積もったばかりの雪に足跡をつけて回った。
 「あんまり楽しそうだから、キヨも起こしちゃった。
 ホラ、お前も固まってないでさ!」
 凍えて身を縮めていた加州は、いきなり足払いをかけられて雪の上に転がる。
 「・・・っなにすんだ、やす!信じらんないっ!!」
 「そのまま両手広げてバタバタしてみろよ。
 雪の上に天狗の形ができるよ」
 「誰がやるか!!」
 くすくすと笑う安定に怒鳴った加州が、雪を纏いつつ身を起こすと、隣に今剣が転がった。
 「じゃあ、ぼくがやります!
 こうですか?!」
 雪の上で両手をバタバタと振った今剣が、ぴょんと身を起こす。
 「てんぐができました!」
 雪の上に羽根の生えた人型が現れて、今剣がはしゃぎ声を上げた。
 「天狗の子が作った天狗の形って、なんだかご利益ありそうだね」
 大仰にかしわでを打つ安定に、今剣は得意げに胸を張る。
 「もちろんですよ!
 ぼくは、くらまのてんぐのこ!なんですから!」
 「そうだよなー。
 俺達付喪神がいるんだから、天狗くらいいるよなー」
 服に着いた雪を払い落としていた加州が、はっと目を見開いた。
 「天狗ってより、今剣って義経公の守り刀なんじゃん!
 ずっと義経公と一緒だったんだよな?!」
 いきなり両肩を掴まれ、迫られた今剣が、何を今更と不思議そうな顔をする。
 「そうですよ。
 ぼくは、よしつねこうがくらまのおてらにいたころに、よしつねこうにさずけられたんです!」
 今剣が得意げに言った途端、加州の目がきらきらと輝いた。
 「俺!義経記大好きなんだ!
 かっこいいよな、まさに英雄!って感じで!!」
 な?!と、振り返った安定も大きく頷く。
 「ねぇねぇ、白面の美青年だったってほんと?
 かっこよかったんだろうねぇ!」
 安定にまではしゃいだ声で迫られた今剣はしかし、にこにこと笑いながら首を振った。
 「きれいだったか、っていえば、みかづきのほうがだんぜんきれいです!」
 「いや、そりゃ・・・三日月は人外だし・・・・・・」
 意外とはっきり言うんだな、と、安定が笑い出す。
 「で・・・でも!
 鵯越とかすごいよな!
 急峻な谷を馬で駆け下りて奇襲・・・!」
 「そんなあぶないことしませんよぉ!」
 こぶしを握って目を輝かせる加州に、今剣は吹き出した。
 「よしつねこうひとりならできたかもですけど、ほかのみんなにはむりです。
 むだにへいりょくをへらすようなこと、よしつねこうはしませんよ!」
 「え・・・そうなんだ・・・・・・」
 きゃっきゃと笑う今剣に、加州は愕然とする。
 「じゃ・・・じゃあ、屋島の戦いは?!
 嵐の海に漕ぎ出して・・・!」
 「あぁ、あれ!
 いっかげつもまえからねまわしして、たいへんだったんですよぉ!
 あちこちのわがままさんたちを、いっしょけんめいせっとくしたんです」
 当時を思い出したのか、今剣が幼い顔に疲労をにじませた。
 「だんのうらのときも、みーんなをみかたにするのに、すごくじかんがかかって!
 ようやくせめられる、って、みなさんやれやれでした!」
 「・・・奇襲じゃなかったんだ・・・ね」
 知りたくなかった史実に、安定までもがどこかがっかりした様子で呟く。
 「なんでそんなこといわれてるんでしょうねぇ?
 よしつねこうは、ゆうめいないくさじょうずですよ?
 いちかばちかなんてあぶないこと、いくさじょうずならぜったいしませんよぉ!」
 「あー・・・そーねー・・・・・・」
 用意周到だからこそ常勝だったのだときっぱり言われた加州と安定は、まったくその通りだと、深々ため息をついた。
 「義経公の英雄譚、わくわくして読んでたのになぁ・・・」
 「うん。
 みんな、軍記物大好きだったしね」
 「みんな?」
 小さな身体ごと首を傾げた今剣に、二人は揃って頷く。
 「新撰組のみんなさ。
 武士に憧れてる連中だったから、義経記はみんな大好きだったよ」
 ね?と、笑う安定に加州も頷いた。
 「脚色だったなんてショック・・・。
 信じてたのに・・・」
 本気でがっかりしている加州に慌てた今剣が、ぱたぱたと両腕を振る。
 「でもでもっ!
 よしつねこうが、りっぱだったのはほんとうですよ!
 みやこをはなれるときも、すごくれいぎただしくてりっぱだった、って、みんなかんしんしてましたし!
 おうしゅうでも、みんなよしつねこうのことがだいすきでした!」
 頬を染めて懸命に言う今剣の顔色が、不意に陰った。
 「・・・うらぎられたのも・・・。
 あのときはあにうえさまのことがあったから・・・。
 やすひらさまも、しかたなかったんです・・・きっと・・・・・・」
 なのに厚樫山では・・・と、ため息をこぼす。
 「だ・・・だけど、自害したのは偽者で、本物は北に落ち延びたって伝説あるよね!
 大陸はさすがに眉唾だけど、蝦夷くらいに・・・は・・・!」
 安定に強く袖を引かれた加州は、今剣が真っ青になって震える様に声を失った。
 「い・・・今剣・・・!」
 「おちのびてなんか・・・いません・・・・・・。
 あのときしんだのは・・・まちがいなく・・・・・・」
 喘ぐようにして震え声をあげる今剣の目が、涙で紅く染まっていく。
 「ぼくが・・・ぼくが・・・・・・。
 ぼくはまもりがたななのに・・・よしつねこうのいのちを・・・!」
 悲鳴じみた泣声をあげて、今剣は顔を覆った。
 「なんで・・・!
 なんで・・・ぼくはまもりがたななのに!
 なんでさいごまでまもらせてくれなかったの!!よしつねこう!!」
 絶叫が本丸中に響き渡り、各所で何事かと雪見障子が開く。
 「ご・・・ごめん、今剣!!落ち着いて!!」
 小さな両肩を掴むと、今剣は身を捩って離れた。
 「ぼくは・・・!
 よしつねこうがいきているあいだ、だれよりもいっしょにいて、さいごにはだれもさわったことがないくらい、からだのおくにまでだきしめられたんです・・・!」
 見開いて真っ赤になった目から、とめどなく涙がこぼれる。
 「あたたかかった・・・。
 ずっといたふところよりも、もっとあたたかくて・・・だけど、だんだんつめたくなって・・・・・・」
 広げた手の中に降る雪を、ぎゅっと握りしめた。
 「ぼくはつかまで・・・よしつねこうの・・・ちにぬれた・・・」
 溢れ出る血に全身を染められて・・・鋼の奥まで主の血が染み渡っていく感触は未だ鮮明にして、忘れられない。
 「ぼくは・・・ぼくはなまくらじゃなかったかな・・・?
 よしつねこうを・・・くるしませたりしなかったかな・・・・・・!」
 身体の奥深くにまで抱きしめられた今剣には見えなかった・・・主の死に顔が。
 「よしつねこう・・・!」
 「今剣・・・っ!」
 ふらりと踵を返した瞬間には、素早い天狗の子の姿は雪景色の中に消えていた。
 「・・・馬鹿だね、お前はほんとに」
 「っどーしよう、やす!!
 俺、かなり酷いこと言っちゃったよね?!」
 真っ青になった加州が縋りついた安定は、深々とため息をつく。
 「三条のじいさん達にげんこつ貰う覚悟で、今剣に平謝り。
 これっきゃないでしょ」
 「さん・・・じょう・・・!」
 加州が、声をひきつらせた。
 「オールマイティ三日月に打撃最強の石切丸げんこつ辺りでもう、折れそうなんだけど・・・!」
 既に折られたかのような顔をする加州に、安定が頷く。
 「岩融と小狐丸もね。
 まぁ、石切丸以外は、話せばわかってくれそうなカン・・・ジ・・・?」
 背後で雪見障子が開く音に振り返った二人は、恐怖のあまり、目を見開いて凍りついた。


 誰かの泣き声が聞こえて、目を覚ました。
 未だ霞のかかった頭をゆるゆると上げるが、白く曇った窓の外は見えない。
 「う・・・まだ復調せんか・・・」
 起き上がることを諦めて、三日月は頭を枕に戻した。
 が、
 「っ・・・しゅんっ!!しゅんっ!!」
 くしゃみが二度寝を許してくれず、枕元に置いた桜紙に手を伸ばす。
 「おのれ・・・!忌々しい風邪め・・・・・・!」
 恨み言を言いながら、再び布団に転がった。
 そのまま眠ろうとしたところへ、
 「寝込んでる場合じゃないだろ、ジジィ!」
 「ってか、なんで風邪なんか引いてんのさ!人でもないのに!!」
 騒々しい声が飛び込んで来て、三日月はうんざりと目を開ける。
 「・・・なんだ、やかましい。
 最近の童っぱは、重病のジジィを労わる気持ちもないのか」
 聞くに堪えない鼻声の応えに、加州と安定は顔を見合わせて三日月の傍らに膝をついた。
 「え?マジで?サボってるんじゃなく?」
 「付喪神って風邪引くの?ホントに?」
 「明石ではあるまいに・・・仮病など使わんよ」
 布団から出した手を伸ばし、傍に置かれた桶を指すと、察した安定が水に浸した手拭を額に乗せてくれる。
 「・・・厚樫山に行けと命があってな。
 しばらくいたのだが、お前達も知っての通り、あの戦場は夏なのだ・・・」
 夏の盛りは過ぎていても、未だ暑気のこもる戦場に長居してしまったと、三日月は苦しげに吐息した。
 「戻ればいきなり雪の中だろう・・・?
 なのにうっかり薄物で過ごしてな。
 ジジィは体温調節が難しいというのに、無体を強いおって・・・っしゅん!!」
 仰向けのまま手探る三日月に桜紙を渡してやると、彼は紅く潤んだ目で加州を見上げる。
 「・・・お前達、揃って見事なたんこぶだな。どうした?」
 訝しげに問うと、二人は気まずげに目を見交わした。
 「実は・・・俺が今剣を泣かしちゃって・・・」
 「謝ろうとしたんだけど、追いかける前に主に捕まってさ・・・」
 「・・・っあれがお前達を殴ったのか?!
 我ら人の成りはしていても、本体は鋼だぞ!
 なんと言う無茶をするのだ!」
 驚いて身を起こした三日月に、安定が首を振る。
 「本体鋼なのに風邪を引くじいさんに言われたくないと思うよ、主も」
 「殴ったのは近侍の小狐丸。
 まぁ、あの人無茶だからさ、本当に俺達にげんこつしようとしたんだけど、小狐丸が朝っぱらから昼ドラみたいな口説き文句であの人止めて、代わりにげんこつしたんだ。
 ・・・あれさ、絶対、主を口実にして自分が殴りたかったんだよね。
 先にあの人を行かせる辺りがえげつないよ!」
 これだからお狐様はと、加州がぶつぶつと文句を垂れた。
 「けど、さすがに主の危機には驚くんだね、三日月。
 いつも気のない振りしてる癖に飛び起きるんだもん。びっくりした」
 安定にくすくすと笑われた三日月は、気まずげに眉根を寄せて、上掛けの上にかけていた綿入れを引き寄せる。
 もこもこと着膨れた姿に、今度は加州が眉根を寄せた。
 「・・・首から上は、熱に浮かされて色っぽいのに、なんでその下はダサいんだよ。
 主もあんたのそういう所ががっかりなんじゃないの?」
 腹巻はNG、と呆れ声で言われ、三日月はむっと口を尖らせる。
 「寒気がするのだから仕方ないだろう。
 童っぱどもと違って、ジジィは繊細なのだ」
 羽織った綿入れの前をかき合わせて震える三日月に、安定がため息をついた。
 「だからってあっため過ぎだよ。
 火鉢5つも置いて・・・溶けないまでも、曲がるよ?」
 刀剣は曲がるより折れる方が質がいいと言われる。
 彼らにとって曲がることは、折れるよりも屈辱的なことだった。
 「・・・なんなのだお前達、重病のジジィを労るつもりがないなら出ていけ」
 「待って待って!!」
 「ごめん、本題!!」
 加州が追い出そうとする手を押さえ、安定が落ちてしまった手拭を再び三日月の頭の上に置いた。
 「あのさ・・・三日月って、三条の最年長だろ?
 その顔で、今剣に取り成してくれないかな?」
 「キヨが泣かせたんだけど、俺も一緒に謝るから・・・だから・・・・・・!」
 ぱんっと、二人して両手を合わせ、三日月を拝む。
 「石切丸と岩融のげんこつだけはかんべんして!!!!」
 声を揃えた二人を、三日月は呆れ顔で見つめた。
 「・・・つまり、先に今剣本人に直接謝るから、それ以上の罰は堪忍しろ、ということか?」
 「か・・・勝手なのはわかってる!
 だけど・・・・・・!」
 「大太刀と薙刀の連続攻撃とか・・・俺達打刀だよ?さすがに折れるよ!」
 手を取り合って震える二人に、三日月はため息をつく。
 「取り成すのは構わんが、俺はこの通り、重病で部屋から出られぬ身だ。
 どうやって連れて来る?
 謝る方が呼び出すなど、無礼にもほどがあるだろうよ」
 「・・・風邪くらいで重病とかぬかすじいさんにイラッとするけど、あんたにしか頼めないんだよー!」
 「悪くもないのに巻き込まれた俺を助けると思って!!むしろ、俺だけ助けて!!」
 「・・・本当に頼んでいるのか、それは。
 そして安定は、それが友情なのか」
 畳に額をこすりつける二人の頭にできたたんこぶを見下ろし、三日月は苦笑した。
 「そうだな、誰か・・・」
 と呟いた時、部屋の外から薬草の、いかにも苦そうな臭いが漂ってくる。
 「う・・・!
 よりによってあいつか・・・・・・」
 泣きそうな顔で三日月が見つめる襖が、足で乱暴に開けられた。
 「三日月ー。
 大将が、体調管理のできないジジィに風邪薬持ってけって言うから来てやったぜー」
 薬湯を土瓶ごと盆に載せて、薬研がどかどかと入ってくる。
 「冗談だと思ったら、ホントに風邪引いてんだもんな。
 大将が、この真冬に薄物でウロウロしていた自業自得の徘徊老人のボケが覚めるような奴を用意しろ、って言うから、とびきり苦い・・・いや、効く奴を煎じてやったぜ」
 「・・・余計なことをしおって。
 それにあれも、もっと優しい言い方はできんのか。
 小狐丸や童達には猫なで声のくせに」
 「大将、好き嫌いがハッキリしてるからなー」
 加州と安定を押しのけて三日月の傍らに座った薬研が、はいよ、と、湯飲みを渡した。
 「それ、ぐいっといけぐいっと」
 三日月の持つ湯呑になみなみと薬湯を注ぎ、にんまりと笑う。
 「・・・危険な臭いがする。
 俺の勘が、飲んではならんと全力で警告している」
 薬研の怪しい笑みに危険を感じた三日月が、湯のみを遠くへ押しやった。
 「文句言わずに飲めよ!」
 わがままジジィが、と、舌打ちして湯呑を押し戻す薬研の袖を、加州が引く。
 「なに?」
 「薬研兄さんに聞きたいことが!」
 突然縋られても驚きもせず、薬研は鼻を鳴らした。
 「俺は打刀の兄貴になった覚えはないよ」
 「あれ?鳴狐は?」
 「あれはペット。
 ・・・お供の狐がだぞ?!」
 安定の問いに、薬研は慌てて言い添える。
 「・・・なんだよ、馬鹿に効く薬か?」
 「それはぜひ、やすに処方して欲しいけどそうじゃない」
 「お前にだけは言われたくない」
 たんこぶをつつこうとする安定の魔の手をかいくぐり、加州は薬研に詰め寄った。
 「短刀って・・・その、敵だけじゃなく、主を死なせることもあるんだよね?
 やっぱそういう話題って、大禁句?」
 「・・・なに言ってんだ、当たり前だろ」
 滑らかな眉間にしわを寄せて、薬研は忌々しげに言う。
 「なんでそんなこと聞くんだ?」
 思わぬ厳しい表情に、加州は気まずげに首をすくめた。
 「実は・・・」
 と、今剣を泣かせてしまったことを話すと、薬研は深々とため息をつく。
 「短刀ってのは・・・特に懐剣なんかは、主が生きてる間は、ずっと懐に抱かれて大切にされるもんだ。
 なのに、主が自害せざるを得なくなった時は、今まで守って来た主の血にまみれるんだぜ?
 そんなの、ショックに決まってんだろ」
 吐き捨てるように言った薬研の前で、加州が悄然とした。
 「でもその中で、君は主を死なせなかったんだよね?」
 安定が口を挟むと、薬研は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
 「揃いも揃ってロマンチストだね、お前ら新撰組は。
 なんでその時の主が、自分の腹も刺せないヘタレだって思わないんだよ」
 「そ・・・そうなのか・・・?」
 「ここでも衝撃の史実か・・・」
 がっかりと肩を落とす二人を、立ち上がった薬研が笑って見下ろした。
 「ま、おっさんの腹ン中に収まるとかキモいから、刺さんなくてよかったケド」
 「そんな理由っ?!」
 声を揃えた二人に、薬研が笑い出す。
 「そんな昔の事より今はさ」
 目を細めて、薬研は土瓶を取り上げた。
 「いい加減、抵抗をやめて飲みやがれジジィ!
 こっそり湯呑の中身捨ててんじゃねぇ!!」
 「の・・・飲んだぞ?!
 火鉢になんか捨てていないぞ?!」
 ぎくりと振り返った三日月の湯呑に、薬研がまたなみなみと薬湯を注ぐ。
 「飲め!ボケが治るから!」
 「ジ・・・ジジィをもっと労わらんかっ!!」
 着ぶくれて動きにくそうにしながら、薬研が突き付けてくる湯呑から必死に逃げる三日月に、また舌打ちした。
 「大将に言いつけてやる!
 ・・・ってより、あんたの風邪には俺の薬より効くもんがあるよな」
 にんまりと、薬研が浮かべた笑みに場が凍りつく。
 「ちょっと探してくる♪」
 「なにをだ?!」
 またとんでもないものを出してくるのではと、三日月は嗄れた声で悲鳴を上げた。


 一方、主の命を受けた小狐丸は、柔らかく積もった雪を踏みしめながら、本丸の裏手、山へと続く道を辿っていた。
 「・・・私は名前こそ狐ですが、特に鼻が利くというわけでもないのですがね」
 しかし、鼻は利かなくとも足跡は辿れる。
 森の中へと続く小さな足跡・・・その大きさに反して、随分と歩幅が広いそれは、歩くよりも飛び跳ねることを得意とする小天狗の足跡に違いなかった。
 だが足跡を辿れるのも森の手前までの事で、常緑の葉に覆われた先は不明瞭になる。
 「さて・・・今剣殿。
 どちらにいらせられまするか。
 この小狐をお困らせあるな」
 樹上へ向かって声をかければ、朽ち葉の厚く積もった柔らかな土の上に、軽いものが落ちる気配がした。
 「こぎつねまる・・・・・・」
 未だこぼれる涙に目を赤く腫らした今剣が、小狐丸に駆け寄って抱きつく。
 「おぉ・・・そのようにお嘆きあるな。
 ぬしさまが案じておられましたよ」
 小さな身体を抱き上げると、しがみついてまた泣き出した。
 「こぎつねまるは・・・あるじをしなせたことがありますか?」
 問われて彼は苦笑する。
 「太刀として幸いかどうかはわかりませんが・・・私は、不殺の剣でございました。
 一条の帝に献納されて以来、人の血を受けたことはありませぬ」
 だが、と、彼は大きな手で、今剣の小さな背中をなだめるように撫でた。
 「随分と長く生きてきたのです。
 獣とて、百年生きればあやかしとなり、神となる。
 千年の時を経た私もまた、少々の智恵はありますよ。
 あなたの心情は察して余りある」
 穏やかな声にこくりと頷いて、今剣は顔をあげる。
 「わすれられないんです・・・!
 よしつねこうの、いちばんおくにつつまれたときの・・・かんしょくが・・・」
 がたがたと震える身体を抱きしめてやると、彼も縋りついてきた。
 「あるじさまがぼくをみつけてくれたとき・・・ぼくはよろこんでさんじんしました・・・。
 きっと・・・てきをたくさんたくさんころせば、あのかんしょくをわすれられるって・・・。
 たくさんたくさんころして・・・よしつねこうのきおくをうすめようって・・・・・・」
 だが、敵を斬る感触は、人を斬るそれとはまったく違っていて、主を死に至らしめた記憶はますます鮮明になるばかりだ。
 「だからせめて・・・ぼくはなまくらじゃないっておもいたくて・・・。
 たくさんたくさん・・・たくさん・・・・・・!」
 「えぇ。今剣殿は、なまくらなどではありませんとも。
 義経公に大事にされて、いつも磨かれておられた。
 きっと最期の時も、義経公を苦しめることなどありませんでしたでしょう」
 穏やかな声に、今剣は顔を上げた。
 「ほんとうに?
 ぼくに・・・おまもりするおやくめをはたせなかったぼくに・・・それができたのかな・・・!」
 もしも・・・と、今剣の顔から血の気が失せる。
 「いまのあるじさまも・・・ぼくがしなせちゃったら・・・・・・」
 「そのようなことはありえません」
 強い声で、小狐丸が否定した。
 「もう時代は違うのです。
 ぬしさまが、あなたを使ってお命を絶つようなことはありませんし、万が一そのような事態になったとしても、私がお止めします」
 大丈夫、と、小さな背中をなだめるようにたたいて、小狐丸は微笑む。
 「ぬしさまが案じておられますゆえ、御座所へ戻りましょう。
 加州殿と大和守殿は、ぬしさまが叱ってくださいましたから、もうおゆるしあれ」
 「はい・・・!」
 小狐丸にしがみついたまま、今剣は小さく頷いた。


 「おや・・・そんなに泣いて、どうかしたのかい?」
 今剣を抱えた小狐丸が本丸に入ると、石切丸が気遣わしげな顔で歩み寄ってきた。
 「石切丸殿、お出かけだったのでは?」
 問いには答えない小狐丸に、石切丸が頷く。
 「その予定だったが、なぜかいきなり隊を外されてね。
 御座所に問いに行こうと思ったんだが・・・もしかして、これが理由かな?」
 小狐丸にしがみついて泣く今剣の頭を撫でてやると、真っ赤に腫れた目が振り返った。
 「随分と心乱れているようだ。祈祷でもしてあげようか?」
 効くかどうかわからないが、と微笑む石切丸に、今剣も思わず笑みをこぼす。
 「よしよし・・・誰にいじめられたのかな?」
 「いじめられたというわけでは。
 しかし・・・」
 と、小狐丸が事情を話すと、石切丸は軽く吐息した。
 「やれやれ、あずまざむらいはこれだから・・・いや、すまない」
 今剣のかつての主も東国の武士であったと気づいて、石切丸が口を覆う。
 「・・・あぁ、うん。
 加州と大和守を見つけたら、私もげんこつしておくよ」
 にこりと笑った石切丸の背に、声がかかった。
 「あーいたいた。
 石切丸、三日月のじいさんとこ行ってやれよ。
 付喪神なのに風邪ひいてやんの」
 くすくすと笑いながら寄って来た薬研を、石切丸は訝しげな顔で見下ろす。
 「付喪神は・・・風邪を引くのかい?」
 「引くんじゃないか?
 実際、引いてんだから」
 愉快げに笑って、薬研は奥を指した。
 「俺の風邪薬をどーしても飲まない頑固ジジィの為に、行ってやってくれないか。
 あんたの太刀なら斬れるかも」
 「それはどうかなぁ・・・。
 付喪神の病なんか、斬ったことがないよ」
 苦笑して奥へ向かう石切丸を歪んだ笑みで見送った薬研は、小狐丸に抱きあげられた今剣を見上げる。
 「外は寒かったろ。
 甘酒持ってってやるから、御座所であったかくしてな」
 「はい・・・」
 ようやく涙の止まった目を向けて、今剣は小さく頷いた。


 「やぁ、三日月。
 風邪をひいたと聞いて・・・あ」
 「あ」
 三対の目が合った瞬間、場が凍りついた。
 が、沈黙は石切丸が自らのこぶしで打ち砕く。
 「うちの子を泣かすなんて、ひどい子達だね」
 「折れた・・・!頭折れた・・・!」
 「鈍足のくせに、なんでこんな時だけ早いのさ・・・!」
 「もう一発行くかい、加州?」
 こめかみをひきつらせながらにこりと笑う石切丸に、加州は必死に首を振った。
 その隣で、強烈な打撃を受けた頭をさすりながら、安定が泣声を上げる。
 「ひどいよ、小狐丸も石切丸も・・・!
 今剣を泣かしたのはキヨなのに、問答無用で巻き添えって・・・!」
 「は?!お前なに一人だけ・・・って、そうでした。ごめーん」
 反駁しようとして気づいた加州は、安定の手をどけてぷっくりとふくらんだたんこぶを撫でてやった。
 「いった!
 謝るならたんこぶつつくなよ!」
 「撫でてんじゃん。痛いのとんでけー」
 「いった!!痛いって!!」
 理不尽な攻撃の手を払いのけようと必死な安定と、面白がって追う加州に三日月は苦笑する。
 「石切丸、今剣を知らないか」
 声をかけると、石切丸が吹き出した。
 「すごい声だね、三日月。
 これじゃあ得意の歌も詠めないじゃないか」
 くすくすと笑いながら石切丸は、自らの大太刀を抜いて三日月の枕元に置く。
 「岩融が遠出に出ているからか、今剣は小狐丸が見つけてくれたようだよ。
 今頃は主がかまってくれているんじゃないかな。
 ・・・嫌なことを思い出したらしくて、随分と動揺していた」
 気まずげに首をすくめる加州をじろりと睨んで、石切丸はその傍らに座った。
 びくりとして、そそくさと身を離した加州にくすりと笑う。
 「小狐丸がなだめてくれたのか、だいぶ落ち着いた様子ではあったけれど。
 だから今剣は彼に任せて、私はこちらに来たよ。
 具合はどうだい?」
 「そうだな・・・。
 薬研の薬湯よりは、効き目がありそうだ」
 ざらついていた三日月の声が、いつもの状態に戻りつつあるさまに、加州は目を見開いた。
 「病は・・・斬れるの・・・?」
 息をのむ彼に、石切丸が頷く。
 「ものによってはね。
 まぁ、あまりに重篤なものは、既に天の領域・・・天命というものだ。
 私のような地祇には斬れないことが多いね」
 「・・・・・・」
 目を見開いたまま、無言になってしまった加州の腕を、安定が引いた。
 「駄目だよ」
 「な・・・なにがだよ!」
 「石切丸だって、死んだ人間の病は斬れない」
 「・・・・・・わかってるよ。
 ただ・・・・・・」
 彼が手にしていたのが自分達でなければ、もしかしたら・・・。
 「そんなこと、考えても仕方ないだろ!」
 安定の苛立った声に、加州は無言で頷く。
 だが、考えてしまうのだ。
 もし今、あの場所・・・彼が血を吐いて倒れたあの時間へ戻り、彼を死に至らしめた病を斬ることができるなら、と。
 「・・・あの時の俺には無理だった。
 でも、付喪神になった今なら・・・もしかして・・・・・・」
 考えていたことが、つい、声に出てしまった。
 はっとして、加州は引きつった笑みを浮かべる。
 「そんなまさかねー!ないない!
 俺、ちゃんとわかってるから!」
 パタパタと手を振って否定するが、そっぽを向いてしまった安定だけでなく、この場に加州の言葉を鵜呑みにした者は皆無だった。
 「忘れがたい主と言うものはいるものだな」
 すっかりいつもの声に戻った三日月が、穏やかな笑みを浮かべる。
 その様に加州と安定は、思わず顔を見合わせた。
 「あんたにもいるのか?」
 またそっぽを向いてしまった安定の代わりに、加州が意外そうに問う。
 と、三日月はゆったりと頷いた。
 「足利将軍の一人だ。
 俺が守りきれず、殺された」
 熱の引いた身体に綿入れは暑く、肩に掛けていたそれを放り出した三日月は、代わりに傍に転がっていた扇を拾う。
 「剣豪将軍とも呼ばれた主は、俺だけでなく骨喰など数々の宝剣を愛で、かつ、使ってくれた。
 飾るだけでなく、刀剣としての本分を果たさせてくれる、よい主だった」
 汗ばんだ胸元に風を送る三日月の顔から、笑みが消える。
 「だが主を殺した者達は・・・主の血に濡れた手で俺を奪い、自身の命乞いの為に別の権力者へと俺を差し出した。
 俺は主の命を救えなかったばかりか、よりによってこの身で仇の命を購ったのだ。
 刀剣の中には、勇ましく主人の仇を討つ者もいるというのに、不忠もここに極まれり、だな」
 三日月の苦い声に、誰もが黙り込んだ。
 「その後は人の血を受けることなく、尼君の元でゆるりと過ごさせてもらった。
 茶と菓子と太閤の思い出話と・・・。
 よい女人であったが、主とは思えなかった。
 いや・・・もう、主は持たぬと決めていた。
 ただ、宿主が変わったという、それだけのことだ」
 この姿を愛で、誉めそやし、飾り立てる以上のものを求めない。
 「今の俺はおそらく、あれの血に染まっても何とも思わないだろう。
 もう・・・十分に嘆いたからな」
 血気盛んな頃は過ぎたと、冗談に紛らわせて三日月は開いた扇を顔に翳した。
 「もし・・・俺があの時の御所に行くことがあろうとも、俺は彼と会おうとは思わん。
 こうして顔を隠して、そっと立ち去るだろうよ」
 「垣間見たいとも、思わないかな?」
 微笑む石切丸に、三日月は頷く。
 「既に終ったことを、変えようとも変えさせようとも思わない。
 そもそもそのために、あれは俺達を召したのだからな」
 だが、と、三日月は手を伸ばして、加州と安定の頭を撫でてやった。
 「忘れがたい主がいるというのは、悪いことではない。
 別れは辛いが一瞬の記憶、だが、華やかなりし日の記憶はより長く、多いはずだ。
 辛いことにのみ、囚われるなよ」
 こくりと頷いた二人に、三日月は微笑む。
 「では、石切丸のげんこつももらったことだし、安心して今剣の元へ行くがいい」
 励ますように肩を叩かれた二人は揃って頷いた。
 「・・・結局、逃げられたのは岩融だけか」
 「三日月にも免除してもらったんだから、ラッキーだと思わないと」
 ぷっくりと膨らんだたんこぶを撫でながら、加州と安定は立ち上がる。
 「お邪魔様ー」
 「俺、御座所で今剣に土下座するキヨに付き合ってくるよ。
 相棒が馬鹿だとほんと迷惑」
 「ほんとお前、性格悪!」
 「馬鹿に言われたくないよねー!」
 わいわいと騒ぐ二人に肩をすくめ、石切丸も大太刀を納めて立ち上がった。
 「あずまざむらい達が、うちの子にまた無礼を働かないよう、見張ってくるよ。
 お大事にね、三日月」
 「あぁ、治癒をありがとう」
 礼を言われた石切丸は、ちらりと苦笑する。
 「これも刀の本分なのかなぁ・・・」
 彼らが去るや、すっかり気分の良くなった三日月は、着膨れていた夜着を脱いで、衣に袖を通した。
 「・・・瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末にあわんとぞおもう」
 曇った窓をひと撫でし、垣間見える冬の庭を見やって、ふっと笑みを浮かべる。
 「・・・二度と会えるものか」
 諦観と言うには深い色を浮かべた瞳で、彼は凍りついた池を見つめた。




 了




 










刀剣SSその5です。
刀ミュ厚樫山異聞を観て以来、ずっと書きたかった話です。
考えている間は何度も切なく悲しく涙が出るような展開・・・だったのに、文章にしてみればやっぱりギャグなのはなんでだろう・・・。解せぬ。>書いたのくれはさんですよね。
加州と安定がお互いをなんて呼んでいるかはまだわかりませんが、こんな風に呼んでくれたらいいな、と思っています。
沖田が亡くなったシーンは、フィクションとして有名な辺り・・・なんですが。
この時、まだ加州が、『池田屋事件直後に行方不明になった』って情報を得ていませんで・・・。
あの場にいるはずのない加州をメインで書いてしまいました。
勉強不足でした。すみません。
義経も、とりあえず伝承で切腹した、ってことを前提に書いてますが、平安末期って切腹はメジャーじゃない。
大坂の陣くらいまでは、頚動脈切って楽に自害が主流だったんじゃないかと思いますし、義経だってそっちだろうとは思いますが、一応切腹したってことになっているのでそちらを使っています。
今回、小狐を不殺の刀てことにしてますが、刀剣乱舞の小狐丸は架空の太刀ですし、実在するならさぞかし人血吸っただろうとは思います。>おい
でも、所有者が一条天皇で止まっているので、今回不殺ということにしていますよ。>実在する方は石切丸と同じ劒箭神社と、九条家にいるそうです。
むしろ、実際には三日月が不殺ではないか、という話もあります。
それにしても、徳川に渡った後は一時期、個人所有になったそうですよ。>その後東京国立博物館へ寄贈。
天下五剣所有できる個人ってどんなんだ・・・。













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