〜 こなたかなたに 〜
「なぜ・・・俺なんですか・・・・・・?」 審神者の命を受けたへし切長谷部は、愕然として呻いた。 2025年秋。 本丸の庭は紅葉に染まり、林間を吹き抜ける風が冷やかさと共に、熟した葉の甘い香りを運んでいた。 いつもと変わらない、平和な本丸。 今日も、命じられるのは馴染んだ時代への遠征だと思っていた。 なのに。 突然、2012年へ行けという。 それも単騎で。 たった一振りで任務を命じられるというのなら、自分よりふさわしいものがいるだろう。 「畏れながら・・・単騎でということでしたら、大太刀や薙刀の方がふさわしいのでは。 また、短刀や脇差の連中には、既に極めたものもいます。 俺はできることなら、主のお傍に・・・」 顕現して初めて、主へ反駁した。 我ながら信じがたいことだと、額に汗をにじませつつ低頭した彼に、審神者は『熟慮した結果だ』と言う。 「主・・・・・・!」 あなたまで俺を手放すのかと、絶望と共に見上げた審神者はしかし、楽しげに微笑んだ。 「政府より、各本丸自慢の一振りを出せとの命令だ。 我が本丸で最も練度が高く、最も忠誠心厚く、最も責任感のあるもの。 そして、絶対に我が元へ帰るもの。 お前の他にいるのか?」 「主・・・!」 つい先ほどとは、全く逆の声音で呼びかけた。 「このへし切長谷部、必ずや主のご期待に応えます!」 「へぇ・・・。 まぁ、お前が単騎で行くのはいいんだがよ」 眉根を寄せて、日本号は手にした徳利から酒をあおった。 「2012年に顕現するには、本体の他に、仮の主って奴が要るんだろ?」 「そうだが、それがどうした?」 「どうしたって、問題だらけだろうよ」 訝しげに問うた長谷部に、日本号が人差し指を立てる。 「お前が行く2012年10月に、お前は展示されてねぇ」 「う・・・まぁ、そうだな。 俺は1月の展示物だった」 この当時、長谷部がいる福岡市博物館では、刀剣の展示スケジュールがほぼ決まっていた。 国宝であり、黒田家の重宝であるへし切長谷部は正月の展示である。 「2月は日光一文字がいるけどよ、3月以降はたまに、城井兼光やら碇切やらが出て来る程度で・・・10月は確か、刀は誰もいなかったぜ?」 長谷部と違って日本号は、常に同じ企画展示室にいた。 呑み取りの槍として有名な彼は、民謡や博多人形のモチーフとなっていることもあり、福岡市民であれば誰もが知る、福岡市博物館の名物の一つだ。 ただ、ここには彼らよりはるかに有名な展示物、それも常に展示してあるものがある。 「このまま行っても、お前は仮の主に会うことができねぇかもしれねぇ。 だったらここは、金印先輩に頼んだ方がよくないか?」 「金印先輩か・・・・・・」 金印とは教科書にも載っている、漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)の文字が刻まれた、金の印章である。 福岡市博物館は、この国宝から始まったと言っても過言ではない。 「あそこに行く以上、先輩に挨拶なしはまずいだろ。 それに先輩なら、お前が仮の主って奴に会うまで、姿を保てるだけの力をくれるかもしれねぇ」 物は、古ければ古いほど、紡がれた時の力を持つ。 その点において、金印は申し分ない存在だった。 ただ・・・・・・。 「先輩主催の新年会を断った手前、気まずい」 「あぁ・・・そうだっけな」 うつむいた長谷部に、日本号は頷いた。 「主優先で断ったのはまぁ、いいんだけどよ・・・。 お前、安宅切を代理に寄越しただろう。 ぱっと見お前なのに話せば安宅切だから、先輩達に詰め寄られてあいつ、涙目だったんだぜ。 その上、日光一文字は2月から展示だから忙しいって、さっさと帰っちまうし。 金印先輩、蛇の鈕(ちゅう)から威嚇音出してたぞ」 「う・・・・・・」 青ざめた長谷部が、頭を抱える。 「だって面倒だろう! 先輩は酔うとお小言がうるさいんだ!」 心底嫌そうな顔をする長谷部に、日本号も珍しく真顔で頷いた。 「お前が言うくらいだから、大概だよなぁ」 「どういう意味だ」 「そのままの意味だ」 その後、本丸の刀剣達に盛大に見送られ、到着した福岡市博物館で、長谷部は二階の常設展示室へ向かった。 賑やかな特別展示室に背を向け、日本号がいる企画展示室を通り過ぎ、照明を落とした常設展示室へ入る。 金印のためだけに設けられたスペースは黒い壁で囲まれ、中央にある金印にのみ、照明が当てられていた。 「お・・・お久しぶりです、先輩」 新年会を断ったのは2205年のことだから、2012年現在の金印が、彼に怒っていることはないだろう。 200年後と変わらず、まばゆい光を放つ彼に、長谷部は最敬礼する。 「へし切長谷部です」 彼の声に応じるように、黄金色の光がケース内に散る。 「すみません、突然・・・。 実は今、俺の本体が仕舞われていまして、この時代に顕現することが難しい状況です。 なんとかお力をお借りできませんか」 金印に向かって更に深々とこうべを垂れると、背後で息を飲む気配がした。 「うっわ、びっくりしたぁ! おにーさん、なんで金印に向かってお辞儀してんのぉ?!」 軽薄な声に振り返った長谷部は、派手な化粧をした小娘を舌打ちしそうな顔で見下ろす。 「最初に会った人間が仮の主になる、だったな・・・。 本当に俺は、くじ運が悪い・・・」 「あ! なんか今、シツレイなこと言ったでしょー!」 異常に長く、飾り立てた爪で指された長谷部は、不快げに彼女の手を取った。 「時間がない。 俺を江戸・・・いや、今は東京というのだったな。 共に連れて行け」 「それ、人にものを頼む態度じゃないよね?!」 思わず声を荒らげた彼女は、展示室入り口からこちらの様子を窺う職員に、慌てて詫びる。 「どういうこと?」 ひとまずこの部屋を出ようと促され、共に常設展示室を出た途端、受付にいた職員が顔色を変えて受話器を取った。 「やだ! おにーさんが刀っぽいもの持ってるから、警備員呼ばれちゃうんじゃない?! ちょっと外でよ!」 掴んでいた手を逆に引かれて、長谷部は彼女と共に階段を降りる。 「それで、なんで東京?」 一階ホール内を早足に玄関へ向かいつつ問えば、長谷部は彼女の手をぞんざいに振りほどき、スラックスのポケットから出した金の鎖を彼女の左手首に巻く。 「ブレスレット?きれいだけど・・・」 「我が主からだ。 仮の主への書簡ともいうべきものだ」 金の鎖についたメダルからきらりと散った光を目にした途端、彼女の脳裏にこの男―――― へし切長谷部の名と、彼がここに至った事情、東京に行かなければならない理由が閃いた。 「・・・わかったよ、へっしー」 「は?!俺は・・・!」 「そうとなったら準備準備! 一旦うちに帰って、荷物まとめなきゃ! 東京楽しみだね、へっしー!」 「長谷部と呼べ!」 再び手を取られた長谷部は、引きずられるようにして連行されていった。 「あたしの名前はー!み・つ・る! 実るに弓の弦って書いて、実弦ね! あなたはへし切長谷部って言うんだよね、だからへっしー! 可愛いでしょ!」 「長谷部と呼べ」 不機嫌な口調で言って、長谷部は彼女・・・実弦と共に、地下鉄に乗った。 一旦彼女の自宅に寄らなければならないのは面倒だが、準備がなければ移動もできないと言われては仕方がない。 「市博には、能の衣装を見に行ったんだぁ。 あたし、ファッション好きじゃない? 能の衣装って、今じゃ伝統衣装だけど、当時の最先端だったわけでぇ。 やっぱ尖ってるって言うか、そういうのがカッコ良かったりするんだよねぇ! あと、能面も色々あって面白かったよ」 「あぁ・・・それであんなに騒がしかったのか」 呟くように言うと、実弦は不思議そうに首を傾げた。 「今日は平日だし、閉館前だったから、お客さんはほとんどいなかったよ?」 「俺が聞いたのは人の声じゃない。 能面達の声だ。 奴らはよくしゃべるからな」 途端、実弦がやや身を離した。 「へっしー・・・スピリチュアルのひと?」 「お前は俺の本性を聞いたのじゃなかったのか?」 眉根を寄せると、実弦は『そうだった!』と手を叩く。 「へっしーの主さん、いい人でしょ。 へっしーは真面目で愛想は良くないけど、大事な刀だからよろしくね、って言ってたよ」 「なっ・・・!」 思わず頬を染めた長谷部ににこりと笑い、実弦は彼の腕を取った。 「よし! じゃあ急いで準備して、レッツゴー東京!」 天神駅で降りた二人は帰宅時間で混雑する地下街を、人波をかき分けながら七隈線へと向かい、実弦の自宅で諸々の準備を整えてからまた天神へと戻った。 「大丸閉店前だったから、もう残ってないかと思ったけど! 東筑軒のかしわめし弁当買えてラッキーだったね、へっしー♪」 「長谷部と呼べ」 弁当を持たされた長谷部は、天神駅の改札口に入りかけた実弦が、くるりと踵を返したことに慌てる。 もしかして怒らせてしまったのかと、任務への支障を懸念していると、 「ガイドブック買うの忘れてた! 電車来るまでまだ5分あるから、何冊か買っとこ!」 「・・・なんだそれは」 改札口近くの書店で、店頭に並ぶ色鮮やかな冊子を何冊か取った実弦に、長谷部は呆れた。 自身の本丸にも三日月や髭切など、マイペースすぎる刀がいるが、こんなにも振り回されるのは初めてだ。 店の外で荷物番をする長谷部の元に、実弦は楽しくてたまらないといった様子で戻って来た。 「よーし! 博多駅に行くよ! バスが出るのは30分後だから、今から行けば余裕余裕♪」 審神者から託された、金の鎖を巻いた腕を振りつつ、実弦は弾む足取りで改札を抜けた。 博多駅は東側が新幹線の乗り口に近く、西側がバスターミナルに近い。 車両さえ乗り間違えなければ、降りてすぐが出口だった。 「確かに余裕だな・・・」 こんなにも交通の便がいいのかと、感心しつつ実弦のあとに着いて行くが、なぜか彼女はまた、店に寄った。 「今度は何だ!!」 「お土産だよ、お土産! まさかへっしー、初めて会う人に手ぶらでご挨拶するの? 主さんに呆れられちゃうよ」 「そんなことをしている暇は・・・!」 「ここで焦ったって、東京に着く時間は同じだよ」 買うものは決まっているし、と、実弦は黄色い包装紙にくるまれた、大き目の箱を購入する。 「キャリーバッグに入れたら、今度こそバスだから」 言われて、長谷部は大きなため息をついた。 「それで、バスとやらで向かって、東京に着くのはいつだ?」 「んー・・・14時間後くらい?」 「走った方が速いわ!!」 思わず声を荒らげると、実弦は目を丸くする。 「マジで?! どんな足してんの、すごいね、へっしー!」 「俺一人なら可能だが、お前を連れて行くのは無理だ・・・。 ほかに交通手段はないのか?」 これだけ交通網が発達しているのだ、不可能ではないだろうと言う彼に、実弦は気まずげな顔をした。 「あるにはあるんだけどぉ・・・」 「ならばそれで・・・!」 詰め寄る長谷部に、実弦は首を振る。 「先立つものがないんだよぉ・・・・・・」 「そうか・・・・・・・・・」 「ごめぇん・・・」 「いや・・・俺も悪かった・・・・・・」 金子に関して吝嗇であった黒田家に仕えていた彼は、戦費の重要性というものを身に染みて知っていた。 だが戦国時代の武家ならばともかく、この平和な時代の一般人に、もしもの時の備えを期待するのは酷と言うものだろう。 「・・・この時代では、俺は仮の主の元を離れることができない。 ・・・・・・・・・よろしく頼む」 目を逸らしつつも、言った長谷部に実弦はにこりと笑う。 「おっけー! 本当の主さんからもお願いされちゃったし、任せてよ! 長距離移動、頑張ろうね、へっしー!」 「長谷部と呼べ!」 高速バスの消灯時間を過ぎ、途中で休憩など挟みながら、朝を迎えたのは静岡の付近だった。 カーテンの隙間から差し込む朝日に目を覚ました実弦は、ここが関東だと実感する。 「こっちは1時間くらい、日の出が早いんだよねぇ・・・。 福岡じゃまだ暗いのにさぁ」 うんっと伸びをして隣を見ると、乗車した時からほとんど姿勢を崩さず、長谷部が深刻な顔で座っていた。 「へっしー、ちゃんと寝た?」 「そんな状況ではない!」 「ちょっとぉ・・・。 主さんの大事なお刀さんが、そんなことじゃダメでしょぉ」 ずっと不機嫌な長谷部に、実弦は頬を膨らませる。 途端、 「主・・・・・・」 不安げな顔になった長谷部に、困惑した。 「こんなことをしている間にも、主は・・・・・・」 二人がバスで移動している間に状況は悪化し、歴史改変は2205年の本丸にまで影響を及ぼしたらしい。 実弦が審神者から託された金の鎖も、もはや何の反応もしない、ただのアクセサリーだ。 「主さん・・・・・・」 会ったことはないが、この長谷部にこれだけ慕われるのだから、良い人なのだと思う。 何とか元気づけてやりたいが、まだ寝ている乗客もいるバス車内で、はしゃぐわけにもいかないし・・・と考えた末、 「おべんと食べよ。 お腹空いてると、イライラしちゃうもんね!」 という結論に至った。 「ほら、へっしーも食べなよ!」 本来は北九州名物であるため、福岡市内では中々に入手困難なかしわめし弁当を開けると、テンションが上がった。 「うん! お弁当、美味しいよ!」 「いらん!」 差し出した弁当を邪険に振り払われるが、実弦は負けずに押し付けた。 「常に己の進路を求めてやまざるは水なり、だよ?」 「え・・・?」 よく知っている一節に目を丸くする長谷部へ、実弦はにこりと笑う。 「へっしー、これの五番目は?」 「・・・洋々として大洋を充たし、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ霰と化し、凝しては玲瓏たる鏡となりたえるも、その性を失はざるは水なり」 「はい、よくできましたー!」 頭を撫でてやろうとすると、やはり邪険に振り払われた。 「臨機応変に柔軟に、目的を忘れないように、ってことでしょ。 へっしーは今、それができてるかな?」 「・・・っ」 気まずげに顔を背けた長谷部は、 「なぜお前がご隠居様・・・いや、黒田官兵衛の水五訓なんて知ってるんだ」 と、憎まれ口をたたく。 「あ、またシツレイなこと言ってるー! あたしのこと、馬鹿だと思ってるんでしょ!」 ぷぅ、と頬を膨らませて、実弦は宙を見遣った。 「あー・・・多分、如水庵の包装紙にでも書いてたんじゃない・・・かな?」 「如水・・・庵?」 なんだ、と問われて、『和菓子屋さん!』と答える。 「福岡じゃさ、如水庵のおかげで、黒田官兵衛は知らなくても黒田如水は知ってるって人、結構いるよ?」 「同一人物だろうが!」 「そうなんだけどねー、なにしろ黒田は博多に嫌われ・・・あ、ううん! 地域学習とかで黒田の事はやんないんだって、博多の友達が言ってたよ」 と、実弦は慌ててごまかした。 自身の姓で嫌がらせをされたことなどはないが、高齢者に黒田と名乗ると一瞬、間が開くのも確かだ。 福岡ではそこまで珍しい姓でもないため、『本家じゃないですよ』の一言で解決はするものの、福岡と博多の溝は、ないこともない。 「こないだなんか、ゼミで福岡の子が、『オレ博多っ子』なんて言っちゃって、マジで研究室ピリついたからー。 ゼミの中じゃなかったら、博多の子達がガチで怒鳴ってたよ。 あれはホント、禁句だよねー」 「そうだな・・・。 うちの博多藤四郎も、黒田の刀でありながら時々・・・」 彼を本気で怒らせた時、手合せで重傷寸前にまで追い込まれたことを思い出し、長谷部は首を振った。 「・・・あいつは修行の際に、博多商人に教えを乞うような奴だから」 「博多の子だぁ」 にこりと笑って、実弦は弁当の端で長谷部の腕をつつく。 「ほら、お弁当食べなよ」 「いらん!」 再度断られた時、上空に雷鳴が鳴り響き、落雷でもしたのか、前方の車が次々に追突する。 バスは寸前で止まったものの、前方に黒く揺らぐ異形の影が現れた。 「な・・・なになになに!! 変なのがいる!!」 「まさか、時間遡行軍だと!!」 真っ先にバスを飛び出した長谷部が敵へ斬りかかる様を、同じくバスを降りた実弦は唖然と見守る。 審神者から彼の素性を知らされてはいたものの、こんな異形と戦う姿を間近に見ては、平穏に暮らしてきた彼女は思考停止するしかなかった。 「こっちです! 早く!!」 背後で、バスの運転手が乗客を逃がす声が聞こえる。 はっとして周囲を見ると、先に玉突き事故を起こした車両が、赤く炎を上げていた。 逃げなきゃ、と後退する足を、実弦は無理矢理止めて、ポケットからスマートフォンを取り出す。 ―――― 仮の主が長谷部から離れれば、彼はこの時代で満足に戦えない。 だから彼のことをお願いします、と、声ではない意識が、脳内に蘇った。 「あたしはなにもできないけど・・・!」 写真はもしかしたら、何かの役に立つかもしれない。 怪獣映画でもエヴァンゲリオンでも、こういう時には政府のなんとかいう機関が動いているんだから、きっと情報は有益なはずだ。 夢中で写真を撮る未弦に、槍を構えた異形が迫っていることに気づかなかった。 「きゃあ!!」 目の前に迫った穂先に身を縮める実弦の髪を、疾風が薙ぐ。 「邪魔だ!下がっていろ!!」 駆け付けた長谷部が、敵の槍をはじいて実弦に怒鳴る。 「ごめぇん・・・」 恐怖のあまり、それしか言えず、顔を上げた実弦は瞬いた。 「あ、いない・・・・・・」 一瞬で、敵は跡形もなく消えていた。 「どういうことだ・・・。 どうして時間遡行軍は、こんなに自由に動ける?」 長谷部の疑問には首を振る。 「とりあえず、さっきの写真がちゃんと撮れたか見てみよ・・・うわっ!なにこの通知!!」 博物館にいた時から機内モードのままだったスマートフォンは、通信が回復した途端、何十件もの着信通知を表示した。 かけ直すべきか、迷う間もなく同じ番号から着信がある。 「も・・・もしもし・・・?」 知らない番号だが、ここまで執拗にかけてきたのだ、きっと大事な用なのだろう。 『黒田実弦さんですか?!今、無事ですか?!』 酷く焦った様子の声に、実弦は『はい・・・』と、未だ炎をあげる車両を見遣った。 『あなたのGPSで、位置情報を確認しました! お迎えに上がりますので、へし切長谷部と一緒に安全な場所にいてください!』 「え?! えっと・・・へっしーを知ってる人・・・ですか?」 『私は内閣官房国家安全保障局の者です!』 映画でしか聞いたことのない機関の名前を電話越しに聞いて、実弦は目を丸くする。 「ホントに来たよ、エヴァンゲリオン・・・」 「なんだって?」 わけのわからない言葉を言う実弦に、長谷部は訝しげに眉をひそめた。 事故処理に駆け付けたパトカーのうちの一台が、長谷部と実弦を乗せて走り出すまで、数分とかからなかった。 高らかにサイレンを鳴らし、ものすごいスピードで高速道路を走り抜けていく。 「騒々しいが・・・さっきよりはずいぶんと早いな」 呟く長谷部の隣で、未弦は大きく頷く。 「日本で三番目に速く走っていい車だよ」 「なぜ一番じゃない!」 眉根を寄せる彼に、未弦は首を振った。 「一番は救急車、二番は消防車。 人命救助と災害対応が優先されるから、警察車両は三番目。 わかる?」 渋々頷いた長谷部に、未弦は満足げに笑う。 「パトカーなんて、初めてだよ! なんかVIPになったカンジ!」 と、ここで既にご満悦の彼女だったが、高速道路を降りた途端、待ち構えていた高級車に押し込まれたのにはさすがに驚いた。 猛然と走り出したそれに、革張りのシートの感触を堪能することもできず、前のめりになる。 「ここ一般道でしょ?!捕まらないんですか?!」 「交通規制までしているのに、捕まるわけがないでしょう」 助手席から、冷ややかな声が後部座席の実弦へ投げられた。 山姥切長義の仮の主となった各務が本部から離れられないため、使い走りをさせられていることに強烈な不満を持つ彼は、バックミラー越しに苛立たしげな長谷部の顔を見やる。 「あなた達には、飛行機を用意していたんですがね。 まさか、こんなにのんびりいらっしゃるとは思いもしませんでしたよ」 皮肉を言ってやると、実弦が口をとがらせる。 「えぇー・・・。 先に言ってよぉ・・・」 「っ!! 通信を切っていたのは・・・!!」 「あ、そうだった。 ごめんなさーい!」 激昂しそうになるのを何とか抑え、彼は震えるスマートフォンを胸ポケットから出した。 「なんだ各務、まだ俺に使い走りを・・・チッ!」 隠しもせずに舌打ちをした彼は、忌々しげに通話を切った。 苛立たしげにカーナビを操作して、行き先を変更する。 「へし切長谷部殿、進路変更だ。 この事件の原因と思われる少年と、山姥切国広の確保にご協力願いたい」 「承知した」 短く言った長谷部に一瞬、感心したような顔をした彼は、すぐに表情を消して前を見据えた。 「はじめまして、うちの長谷部がおせわになります! こちら、博多土産です。 皆さんで召し上がってください!」 「なにやってるんだ!!」 執務室に入った途端、山姥切長義へ突進し、菓子折りを差し出した実弦を、長谷部が慌てて引き離した。 「だって、ここで一番偉そうにしてる人じゃん! ご挨拶大事だよ!」 それに、と、改めて差し出した菓子折りを受け取った長義が、ぴよっと反応したのを見てにこりと笑う。 「お口に合うとうれしいですー!」 ぺこりと一礼した後、長谷部の腕を取って、こそこそと囁く。 「絶対気に入ったって、あれ! なんかうれしそーだもん!」 「そんなわけが・・・」 言いつつ、肩越しにちらりと見遣った長義がそわそわと仮の主へ菓子箱を渡す様に、長谷部は絶句した。 「ね? お土産、大事でしょ!」 実弦の得意顔に鼻を鳴らした長谷部は表情をあらためて、つい先ほど合流したばかりの他本丸の男士達へ向き直った。 「あ!あたし、官僚さん達にもご挨拶してくるね!」 もう一つの菓子折りを持って部屋を出た実弦は、それほど間をおかずして戻って来る。 「喜んでもらえてよかったよかった! やっぱり、疲れた時は甘いものだよねー!」 「いい主人と出会えたな」 「どこがだ!」 愉快げに笑う三日月に毒づいた長谷部が睨む先で、実弦は楽しそうに執務室を見回す。 「ねぇねぇねぇねぇ! こんなところ、初めて来たんですけどぉー! なんかテンション上がんない?!」 「静かにしろ!」 と言う、長谷部の言葉など無視して、実弦は仮の主たちに声をかけていった。 それどころか、歴史を守るものとして当然のことを言っただけで、『へっしー!そういうところ!』などと、茶々を入れてくる。 長谷部の苛立ちが最高潮になった時、地下でありながら雷鳴が響き、敵が押し寄せてきた。 ―――― やだやだやだやだ!!なんでなんで!! 各務の先導で暗い地下道を走りながら、実弦は斬りつけられた腕を押さえた。 逃げる途中、倉橋が止血帯で縛り上げてくれたが、指先が滲む血に濡れる感触がする。 迫る敵と男士達が斬り結ぶ音が大きく反響し、恐怖はいや増した。 実弦には、土地勘がない。 自分が今、どこにいるのか、どこへ向かっているのかもわからない。 彼らとはぐれてしまったら最後だ。 ―――― もっと走りやすい靴にすればよかった! などと、今考えてもしょうがない。 必死について行くと、ようやく上階へ続く階段が現れ、地上へと出る。 ほっとしたのも束の間、ニュースなどでよく見る渋谷の街は動きを止め、意識を失った人々がただ、林立していた。 「なにこれ・・・」 東京についてからは、ずっと地下の執務室にいた実弦は、初めて見る異様な光景に息を飲む。 長義があれだけ苛立っていた理由はこれだったのかと、ようやく理解した。 地元は大丈夫だろうか・・・いや、大丈夫なわけがない・・・。 血の気が引いた顔で見遣った長谷部は、彼女よりも更に色を失っていた。 「ちょっとへっしー・・・! なんか地味になってる・・・!」 我ながらもっと他に言い様はなかったのかと思うが、こんな状況でふさわしい言葉なんて出てこない。 なにか、なにか解決策はないのか・・・。 進退窮まる中、琴音が決断してくれた。 「よし、頼めるか?」 「当然だ」 「任せてよ」 三日月の問いに、膝丸と髭切が頷く。 「退路を開くぞ!」 長谷部の声に、戦い慣れた刀剣達は協力して退路を開き、三日月と琴音を渋谷の戦場から逃がした。 「うーん・・・。 消耗戦、ってやつかな?」 のんきに笑いながらも、髭切の目は笑っていない。 三日月達が去って、もう随分経つ。 さすがの付喪神達にも、限界が見え始めていた。 「いざとなれば兄者だけでも・・・」 「ふふ。 それ以上言ったら、お前から折るよ?」 凄絶な笑みを向けられて、膝丸は口をつぐむ。 「だが、多勢に無勢もいいところだ! これ以上は持ちこたえ・・・」 長谷部の言葉を遮るように、目の前を花弁が舞う。 「へっしー!体が! 体が戻ってるよ!」 希薄だった体が実体を取り戻し、同時に力も戻ってくる。 更には三日月達の本丸のものか、桜吹雪とともに現れた小烏丸が、優雅な足取りで歩み寄って来た。 「安心しろ。 本丸も審神者も無事だ」 その言葉に、思わず深い吐息が漏れた。 「あとは任せなぁ!!」 突然の大音声を見遣れば、長い髪をなびかせて、和泉守兼定が颯爽と現れ、 「そら!いくさの始まりじゃ!!」 陸奥守吉行が銃声を轟かせた。 「へっしー!」 振り返れば、実弦が金の鎖を巻いた腕を振り上げていた。 「やっちゃえー!」 「主・・・!」 審神者に託されたそれが光を弾き、長谷部は柄を握る手に更なる力を込めた。 ―――― 年が明けて、1月。 冬休みもそろそろ終わりが近づく頃。 未弦はなぜか心惹かれて、福岡市博物館へと足を運んだ。 常設展示室がリニューアル工事中の今、金印は、ホールから見て正面にある企画展示室に据え置かれている。 工事が終わるまでの、仮住まいだ。 特別展示室も、今は新収蔵品のお披露目時期であるため、博物館内に人は多くない。 静かな室内に足音が響かないよう、気を使いながら進むと、金印が置かれたすぐ隣の部屋に、黒田家ゆかりの品々が展示されている。 博多駅が改築される前は、横断歩道の真ん中にあった黒田武士像が持つ槍。 その本物が、いつもここにある。 使い込まれた螺鈿細工の長柄に、見事な龍の彫り物が施された長い穂先。 思わず目を奪われる、堂々たる有様に皆が足を止める中、実弦はその隣、一振りの刀の前で足を止めた。 「へし切・・・長谷部・・・・・・?」 広い身幅の上に散る、華やかな刃文。 説明書きにある大磨り上げが何の事かはわからないが、国宝にふさわしい美しさだ。 じっと見つめていると、ライトの具合か、刀身が光を弾いたように見えた。 「へし切・・・じゃあ、へっしーだ」 呟くとなぜか、懐かしい気持ちになった。 「へっしー」 『長谷部と呼べ』 聞き覚えのある、苦々しい声が聞こえた気がして、実弦はくすくすと笑い出した。 了 |