〜 神隠し 〜

-長義と各務の事後処理案件-



 内閣官房国家安全保障局内、地下施設にて。
 2012年、国家を揺るがす事件を隠密裏に解決へ導いた一振りと一人は今、深刻な顔を見合わせていた。
 「・・・後始末に呼ばれたと思ったら、そう言うことか」
 高級な革張りの椅子が、もう何年も前から彼のものであったかのように馴染んでいる山姥切長義が、長い足を組みなおす。
 苛立たしげに机上を叩く指の先には、ほんのりと湯気をあげる茶があった。
 長義が茶器を取り上げると、盆を小脇に抱えて直立する各務が、深々と頭を下げる。
 「今、あの事件の記憶を保持しているのは私と首相、一部の閣僚だけです。
 首相からは事後処理の全権を頂いておりますので、山姥切さまの任務遂行に対して、支障なく援護できると・・・思います」
 「なぜ最後で自信なげなんだ。
 仮とはいえ、俺の主なら堂々としていろ」
 顔をあげた途端、深い湖の底のような蒼い瞳で睨まれて、各務は困惑げに目線を落とした。
 「わ・・・私は、山姥切さまのサポートをするだけの役人ですから・・・。
 この度は私どもの処理能力が及ばず、ご足労頂きまして・・・」
 「別に、足労じゃない」
 ちなみに、と、長義は茶托にそっと高級な湯呑を置く。
 「俺は今回、政府からの任務を受けて来たわけじゃない。
 ・・・個人的に、茶でも飲もうかと寄ったらたまたまこの事案を聞いた。
 時の政府はこの件について記録を残さない。
 そういうことだ」
 「承知しております」
 2012年に時間遡行軍の侵略を許す、という失態は、時の政府の中でもかなりの騒動となり、責任者の首が数個飛んだという。
 ただ、原因とされる山姥切国広の本丸は、少々面倒な任務を押し付けられるに留まり、これといったお咎めはなしだ。
 ただでさえ戦力的に不利な状況で、戦える本丸を減らすわけにはいかない、という思惑もある。
 「本丸に比べれば、公僕の首など軽いものだ」
 「それは200年後でも変わらないのですね・・・」
 そう言って各務は苦笑した。
 彼自身も先般の事件では、長義の存在よりも日本国民である仮の主たちの安全を優先し、避難を先導した。
 国民のために真っ先に死ね。
 それが、当然の価値観だ。
 「ただし今回は、前回ほど緊迫してはいないと・・・愚考いたします」
 「いちいち卑下するな。不快だ」
 「も・・・申し訳ありません・・・」
 身を縮める各務に、長義は鼻を鳴らす。
 「経緯を説明しろ」
 命じられた各務は、恭しくタブレット端末を差し出した。
 しかし長義は、タブレットへ視線を送りながらも、ジャケットの内ポケットから取り出した万年筆で手帳に必要事項を書き付けていく。
 200年も後の世界から来たにしては随分とアナログなことをと、見つめていると、各務の視線に気づいた長義が顔をあげた。
 「なんだ?」
 「あ、いえ・・・その・・・」
 しどろもどろになりながら、長義が紙とペンを使っていることが不思議だというようなことを言えば、彼はしばし考え込んでしまった。
 「あの・・・」
 また何か無礼を働いただろうかと不安になるほどの時間をおいてから、長義は『内密に願いたいが・・・』と、呟く。
 「こののち、日本だけではなく世界中が、記録文書を電子文書にて保管することになる。
 だが・・・詳しいことは言えないが、ある事態により世界中の電子文書が失われる事件があり、その反省から、2205年時点では、記録は紙で残す法律ができているんだ。
 俺達が必要事項を紙に記すのもそのせいだな。
 まぁ、今回の件は、処理が終われば処分するが」
 「それは・・・!
 大変なことです・・・!!」
 慌てる各務に、長義は頷いた。
 「そう、大変なことだ。
 だが、お前は何もしてはいけない。
 それがこれからの歴史だからだ」
 「は・・・はい・・・・・・」
 大変なことを知ってしまった、と青ざめる各務を、長義は一瞬、気の毒そうな目で見たが、すぐに表情を改めて立ち上がる。
 「出かけるぞ」
 「は・・・はい!
 あの、山姥切さま、その前に・・・」
 「なんだ」
 刀剣の付喪神にふさわしく、立ち姿さえ怜悧な長義が振り返るさまに、各務は一瞬見惚れた。
 が、慌ててかぶりを振り、高級紳士服店の箱を差し出す。
 「今回、戦装束は不要と愚考・・・いえ、思われますので、こちらをどうぞ。
 首相より、できるだけ目立たないようにとの要請です」
 「・・・なるほど」
 命じられることが不快なのか、一瞬、眉をひそめた長義だったが、前回のようにいちいち衆目を避けるのも面倒だ。
 「受け容れよう」
 「ありがとうございます」
 従者のごとき恭しさで一礼した各務に、長義は浅く頷いた。


 「刀をすぐに抜けない状態にしておくのは不便だな・・・」
 ぶつぶつと言いながら、美術刀剣運搬用のジュラルミンケースに本刃を納めた長義が、不満顔をあげた。
 いつもの癖か、身を起こす際にマントを払う仕草をしてしまい、気まずげに手を振る様を、各務はにこにこと見守ってしまう。
 今の長義は戦装束を解き、各務が用意したスーツを纏ってくれていた。
 シルバーグレーを基調にしたそれは、彼が動くたびに銀の光沢が身に沿って、人外の美しさを際立たせる。
 伝統工芸品のネクタイは、彼の瞳の色に合わせた深い青で、シルクの光沢を存分に発揮していた。
 しかし、
 「首相の要請には、残念ながら応えられていないようです・・・」
 「なんだと?!」
 各務の指摘に、長義はまなじりを吊り上げる。
 「ここまでしてやったのに、何が不満だ!」
 「い・・・いえ、不満ではなく・・・!!」
 慌てて首を振りながら、各務は着替え用に準備した姿見を指した。
 そこには、猫背気味の各務とは対照的に、威風堂々と背筋を伸ばし、やや顎をあげて高慢に見える長義の全身が映っている。
 「十分に地味じゃないか」
 「・・・これを地味と言うのは無理があります」
 高級紳士服は選択ミスだった、と頭を抱える各務にムッとして、長義は彼の眼鏡を取り上げた。
 「だったら、こういうものでもかければいいのかな?
 度が入っていないものを持ってこい!」
 実用性しかない黒縁眼鏡をかけてさえ、損なわれることのない美貌に各務は、言葉を失って顔を覆った。


 「まったく、部屋を出るまでに随分かかってしまったじゃないか。
 もっと効率的に動けないものかな!」
 ぼやきながら、高級車の後部座席に腰を下ろした長義に一礼し、各務は運転席に座る。
 「飛行機の出発時刻にはまだ間がありますので・・・」
 「当然だ。その程度の信頼はしている」
 「恐縮です・・・」
 単なる言葉の綾かもしれないが・・・信用ではなく、信頼と言われたことに、各務は思わず顔をほころばせた。
 「では、道中ご説明いたします。
 先ほどお渡しした写真付きのカードは、私が文化庁時代の伝手で入手した身分証になります。
 もう一枚のカードは、美術品運搬資格者証です。
 今年から設けられた資格ですので、まだ見たことがない職員もいるかと思いますが、なにか問われましたら身分証を見せれば、問題なく検査場を通過できます。
 同封の用紙のうち、1枚は銃砲刀剣類登録証になります。
 現在、日本には銃砲刀剣類所持等取締法、略して銃刀法というものがありまして、正当な理由なく刀剣類を持ち運ぶことは禁じられています。
 これだけは絶対に携行されますよう、お願いいたします。
 もう1枚は、空港警察発行の機内持ち込み許可証になります。
 こちらも帰りの便まで、携行をお願いいたします」
 「なるほど、治安維持のための心配りだな」
 書類に目を落とした長義は、俯いた額にかかる髪を邪魔そうにかきあげた。
 「・・・全く鬱陶しいな。
 これじゃまるで、偽物くんじゃないか」
 できるだけ顔を隠してほしい、という要望を受けて、今の長義は前髪を下ろし、フレームの太い眼鏡をかけている。
 「申し訳ありません・・・。
 飛行機に乗っている間だけですので」
 ぼそぼそと、申し訳なさそうな声で各務は言い募った。
 羽田空港はなにしろ人が多いし、いつ『YOUはなにしに』などと突撃してくる輩がいるかわからない。
 変に目立っては、これからの任務・・・いや、事後処理にも影響が出るかもしれない。
 そんなことをしどろもどろに言えば、長義は不満顔ながらも頷いた。
 やがて、車は空港に入り、専用の駐車場に止まる。
 各務に先導され、手荷物検査場へ向かった長義は、漂って来た甘い香りに目を向けた。
 「へぇ・・・。
 この時代にも、まだいるんだな」
 現代の若者らしい軽装ではあるが、鬢付け油できれいに整えられた髷結(まげゆわい)は力士だろう。
 「大相撲の11月場所は福岡で開催されますから」
 「なるほど、移動中か・・・」
 「あぁー!!!!長義はん!!!!」
 すれ違おうとした時、力士の影から頓狂な声が上がった。
 「明石国行・・・!
 俺が目立たないよう、苦心したというのに・・・!」
 完全に衆目を集めてしまい、苛立たしげな長義にしかし、明石は構わず迫った。
 「あんたが目立たんとか、無理やろ!
 寝ぼけたこと言うとらんではよ行きますよ!」
 長義の腕を掴み、強引に連行する明石もまた、注目を浴びる。
 今の彼は、細身のデニムに白いシャツ、黒の革ジャケットと、この時代の若者らしい軽装だが、手には長義と同じく、ジュラルミンケースを持っていた。
 「ほら!
 なんとかの海さんもはよう!」
 「肥後大海です・・・・・・」
 大きな体躯に似合わず、細々とした声に長義は眉根を寄せる。
 「明石の仮の主か?」
 「そう・・・みたいです。
 あの・・・俺、なにをしたら・・・?」
 大きな体を縮めて、おどおどと長義の顔色を窺う力士へ、各務がもたもたと駆け寄った。
 「ご・・・ご挨拶が遅れまして。
 私、内閣官房国家安全保障局の各務と申します。
 この度はご協力感謝いたします」
 「あ、いえ・・・」
 各務が差し出した名刺を太い指でつまんだ肥後大海は、丸い肩を更に丸くして屈みこむ。
 「俺、状況がよくわかってなくて、すみません・・・」
 「いえ、こちらこそまだ十分にご説明できず、申し訳ありません・・・」
 「いえ、すみません・・・」
 「こちらこそ申し訳・・・」
 「いつまで続くのかな、それは?」
 長義の冷ややかな声にすくみ上った二人へ、明石が手を振る。
 「とりあえず、乗るで!」


 羽田発熊本行の飛行機には、各務が用意した身分証明書等の効果もあって、問題なく乗ることができた。
 高級スーツの青年と、気楽な装いではあるが、角度によって色の変わるアレキサンドライトのような不思議な瞳の青年が並んで座る席は、有名人を見慣れたキャビンアテンダントでさえ目を吸い寄せられずにはいられなかった。
 やがて離陸した機内で、明石は保温カップに入った茶にため息をこぼす。
 「いやもう、あんたはんが来てくださって助かりましたわ・・・。
 まさか、うちの子が迷子になるやなんて思いませんやろ?
 ちゃんと帰って来るもんやと思ってたらいつまでも戻らんし、演練にはこの時代に出陣したお刀らが平然とおりますのに、なんでうちの子帰ってこぉへんねん、ってなりますやん?」
 両手で頭を抱え、ぶつぶつと言う明石の話を聞き流しながら、長義は機体の下に流れる雲を眺めた。
 「そんで、うちの主はんにお願いして自分が迎えに来たんですけど、自分、本体は江戸の両国にあるんです。
 なんとか川さんがおらんかったら顕現もできへんかったてあんた!
 国宝の名折れですわ!」
 「肥後大海です・・・・・・」
 通路を挟んだ席で、大きな体を縮めた肥後大海が、消え入りそうな声で言う。
 「えっと・・・俺、福岡に行かなきゃだったんですけど・・・。
 なんかもう、負けてばっかだし・・・相撲辞めようかなって思いながら、なんとなく刀剣博物館に行ったらこの人がいて・・・助けてくれって言うから・・・」
 「そうや!
 なんとかの山さんがボケっと突っ立ってはるから、暇なら手伝うてくれんかとお願いしたんや。
 長義はん、ありがたい人なんやから、お礼たくさんあげてな!」
 「・・・君、そんなにせっかちな性質だったかな?」
 本丸によって個体差はあるものの、明石国行は国宝でありながら、非常に怠惰な性質をもつ。
 その彼がこんなにも慌て、騒ぐのはひどく珍しいことだった。
 「他の事ならまだしも、うちの子のことですよって!
 蛍丸・・・!
 あの子、この年にはまだ見つかっとらんのや・・・!」
 「あぁ・・・そうだったな」
 ちらりと、長義が肥後大海の向こうにいる各務へ視線を送ると、彼は気配を察したのか、該当ページを開いたタブレットを持って駆け寄る。
 受け取った長義は、頷いて明石を見遣った。
 「旧国宝刀、蛍丸は1945年の『刀狩り』によって阿蘇神社から接収され、その後行方不明になっている。
 再現刀として再び奉納されたのは2017年だ。
 この2012年時点では行方不明のままだな。
 依り代を見つけられず、さ迷っているんだろう」
 言うと、明石は顔を覆って嘆いた。
 「も・・・だから!!
 太郎はんに行ってもらえばよかったんや!!
 なのにあの子がどうしても行きたいゆうて・・・!」
 「それで迷子になっていれば世話はない。
 おかげで俺まで駆り出されている」
 せいぜい厭味ったらしく言ってやったが、
 「ありがとうな!
 ほんまにありがとうな!!
 感謝感激やで、長義はん!!
 まさか、あんたはん自ら来てくれると思わんかったから、自分一人でどないしょって、困り果てとったんや!
 賞与たくさんもろうてな!!」
 涙ながらに縋りつかれてしまい、きつく眉根を寄せる。
 「各務・・・。
 こんなのが他にもいるのか・・・」
 うんざりと言う長義に、各務は恐縮した態で一礼した。
 「時の政府の要請を受け、各本丸から派遣された刀の中には、この時代に上手く顕現できなかった、もしくは帰還に支障があったなど、現時点に取り残された物が複数いると、連絡を受けております。
 山姥切さまには、彼らの帰還援助をお願いしたく・・・」
 「よろしゅうな!よろしゅうな!!
 うちの子、まだ小さいんや!
 お腹すかせてへんか、寒いことないか、心配でたまらんのや!!」
 「あ・・・明石さん・・・・・・」
 各務の言葉を遮って惑乱する明石を、肥後大海が長義から引き離した。
 「助かったよ、力士くん。
 君の親方にはこちらから連絡しておくので、少々到着が遅れることになっても叱られることはないよ」
 「あ、はい・・・っ?!」
 肥後大海は、うんざりとした様子で眼鏡をはずした長義の顔をまともに見てしまい、明石を羽交い絞めにしたまま固まってしまった。


 ―――― なんで・・・!
 息を切らしながら、蛍丸は走り続けた。
 日の暮れた山中には明かり一つない。
 どこからか水の音が聞こえるが、自分が漏らす荒い息に耳を塞がれ、方向すらわからなかった。
 「くっ・・・!」
 感覚だけで振り上げた大太刀に、刃がぶつかる。
 一瞬散った火花の中に見えた敵に向け、大太刀を横薙ぎに振れば、その端に鈍い感触があった。
 これで何体かは屠ったようだが、蛍丸も無傷ではない。
 ―――― なんで・・・!
 再び、自問する。
 「なんで・・・いつもみたいにできないんだよ・・・!」
 泣きそうな顔で呻き、蛍丸は敵へ背を向けた。
 闇雲に逃げながら、悔しさに唇を噛む。
 2012年への遠征。
 彼の本丸からは本来、太郎太刀が行くはずだった。
 強く、大きく、常に冷静沈着で神格も高い。
 申し分ない『自慢の一振り』だと、誰もが認める大太刀。
 そんな彼に、負けたくなかった。
 自分だってできると証明したかった。
 だから、わがままだとわかっていたけれど、主に頼み込んで行かせてもらったのだ。
 なのに、この時代に顕現することさえできなかった。
 いつもの遠征と同じく降り立とうとした瞬間、厚い壁のような何かに阻まれたのだ。
 それだけならまだしも、刀身が蝕まれていく感触さえ・・・。
 このまま壊れてしまうのかと怯える蛍丸を、大きな手のようなものが包みこみ、引き離してくれた。
 そして気づけば・・・ここ、阿蘇の山中にいたのだ。
 生い茂った葉の隙間から見る秋の夜空はどこまでも深く、活火山から立ち昇る煙が薄く漂っている。
 ひとまずは川をと目指していたところで、しかし、この地を襲う敵に見つかってしまった。
 いつもの彼なら、多勢に無勢もどうということはない。
 大太刀の一振りで殲滅し、得意げに笑うだけだ。
 しかし顕現できずにいる身にとって、敵の装甲は厚く、自身の足さばきは鈍く、苦戦を強いられていた。
 そのせいで蛍丸は何日も山の中を逃げ続けている。
 「国俊・・・国行・・・・・・!」
 涙をにじませながら、蛍丸は家族の名を呼び続けた。


 熊本空港に到着した一行は、各務が手配していた車に乗り込んだ。
 「機内でご報告しました通り、蛍丸さまらしき子供の目撃情報が、藤谷神社から西岳川の付近で複数名より報告されています。
 多くは、山の中で子供を見た、迷子ではないか、遭難している子供の情報はないか、というものでした。
 しかし、目撃されたのが夜であったこと、子供とは思えない速さで移動していたこともあり、なにかの動物か、幽霊ではないかと噂になっています。
 蛍丸さまを保護したのちは、動物であったと発表する予定です」
 「各務はん、さすがやわー!仕事できますわー!!」
 真面目に言っているのに不真面目にしか見えない明石が、盛大に拍手をする。
 「けど、あの子にとって阿蘇は庭のようなもんなんですわ。
 なのに、どこにも身を寄せずに山の中を走り回っとる言うのは・・・」
 と、深刻な顔で、明石はジュラルミンケースから太刀を取り出した。
 助手席でぎょっとする肥後大海を放って、鯉口を切る。
 「おりますな、敵が」
 「あぁ、その通りだ」
 長義もジュラルミンケースから刀を取り出し、いつでも抜ける位置に据えた。
 「あ・・・あの、そんなもの出しちゃあ・・・・・・」
 もごもごと、肥後大海が口の中で呟く。
 「阿蘇は人気の観光地ですから・・・夜でも人が多くて・・・」
 目立ってしまう、と言う彼に、長義は口の端を曲げた。
 「うちの各務を甘く見てもらっては困るな。
 そうだろう?」
 バックミラー越しに視線を向けると、各務はこくりと頷く。
 「阿蘇山は活火山ですから、噴火警戒レベルを上げれば交通規制が可能です。
 既に各所へ連絡し、山中へは立ち入れないようにしています」
 「はぁ、さすが国家・・・なんとかかんとか」
 赤面する肥後大海に、明石は呆れたように首を振った。
 「ちょっとなんとかの池はん、あんたはんはこの時代の人やろ。政府機関くらいちゃんと覚えとかんと」
 「お前は政府機関の前に仮の主の名を覚えろ」
 長義の冷ややかな声に、肥後大海はこくこくと頷いた。


 ―――― 約1時間後。
 交通規制のため、誰もいない神社の敷地内に、一台の高級車が止まった。
 「蛍丸・・・!」
 今にも山中に駆け入りそうな明石を止め、長義は彼へ手を差し出した。
 「お前の本丸の磁針を貸せ」
 時間遡行する際に、間違いなく自身の本丸に戻れるよう男士達が持つ器械を受け取った長義は、ジャケットの内ポケットから数枚の紙を取り出す。
 宙に放り投げたそれは蝶の姿に変わり、長義が差し出す磁針に群がった。
 明石の主である審神者が、磁針に込めた力をほんの少し吸い取った蝶は、夜闇に蒼白く光る羽を羽ばたかせながら一行を先導する。
 「声をかけてはどうだ」
 長義に頷いた明石は、木立へ向けて蛍丸の名を呼んだ。
 「・・・山の中で迷うたら、山頂か川を目指せ言うてますから、西岳川の付近にいると思うんやけど・・・」
 肥後大海や各務も協力して、声がかれるほどに呼びかけるが何の応えもない。
 ただ、案内の蝶は、川沿いに山頂を目指している。
 「・・・返事ができない状況、というものも想定しなければね」
 眉根を寄せる長義に、明石が顔をこわばらせた。
 「・・・こんなことなら行かせるんやなかった。
 あの子がどうにかなったら、自分は自分を許されへん・・・」
 「君は・・・人間のようなことを言うんだな」
 意外そうな顔をする長義を、明石は訝しげに見返す。
 「嫌味に聞こえたらすまない。
 俺は、政府の顕現刀なんでね。
 本丸というものは、そんなに親密になるものかと思ってね」
 先般の事件での、三日月と国広もそうだった、と言う長義に、明石は深く頷いた。
 「本丸にもよるのかもしれんし、自分の個体差っちゅーもんかもしれんけど、蛍丸はおんなじ一族の、しかも、人に盗られてそんまんま行方知れずになってしまった子なんや。
 本丸で会えた時はそりゃあ嬉しかったし、毎日元気に遊んどるの見とるだけで幸せやなぁと思う・・・。
 阿蘇神社の宮司はんみたいに、探して探して見つからんで・・・最後まで気にして亡くならはったお方もいてるんや。
 やったら自分が、いつまでも大切にしてやらんと、とおもっとったのに・・・」
 と深く、吐息する。
 「そうか・・・」
 なにか言うべきか、長義が思案する横で、
 「明石さんっ!!
 俺・・・!
 俺、一晩でも二晩でも探しますんで!!
 絶対、蛍丸くん連れて帰りましょう!!ね!!」
 「肥後の川はん・・・!」
 涙目になって、明石が肥後大海の手を取った。
 「あんたはん、ええ人やな!!
 よろしゅうお頼みします!!」
 「だから君、名前・・・」
 「肥後までは合ってました」
 呆れる長義に、各務が深々と頷いた。


 時折同じ場所を巡りながら、一行はふわふわと漂う蝶を追いかけていた。
 「また同じ場所だな。
 どうやら、山中を逃げ回っているらしい」
 ため息をつく長義の傍で、各務がふと顔をあげる。
 「あの・・・山姥切さま、つかぬことをお尋ねするのですが・・・」
 「なんだ?」
 わざわざ足を止めて振り返った長義に、各務は頷いた。
 「先般の事件で私が離れた時・・・どこにいらっしゃいましたか?」
 「どこ・・・とは・・・?」
 訝しげな顔をした長義は、はっとして頷く。
 「そうか、蛍丸は時間軸の狭間にいる。
 何かの拍子に、時折この場所に姿を見せるが、顕現に必要な依り代がないために、すぐまた狭間に落ちてしまうんだ」
 先般の事件の際に、本部へ侵入を許した挙句、存在を消された屈辱を思い出し、長義は固くこぶしを握った。
 「道理で・・・おかしいと思ったんだ。
 各本丸の協力により、2012年に侵入した敵は一掃した。
 なのに、なぜ蛍丸は敵と戦っているのか。
 なぜ、蝶は同じ場所を巡るのか」
 「・・・つまり敵は、こっちの世界のもんやあれへんってことか」
 「え?え?」
 皆が事情を察したらしい中、一人訳が分かっていない肥後大海を、三対の目が見遣った。
 「出番だよ、力士くん。
 一度、神社に戻るぞ」
 「お・・・俺?!」
 困り顔で見遣った明石が、大真面目な顔で迫る。
 「たのんます!
 うちの子、見つけたってや!!」


 藤谷神社に戻った一行は、『尚武の神』と染め抜かれた幟が立つ階段を昇り、境内に入った。
 拝殿に駆け寄った明石が、性急にかしわ手を打つ。
 「大山祇神(おおやまつみのかみ)はん、御前失礼します!
 うちの子が迷子になってしもうたんや、どうぞお力お貸しください!」
 前金や!と、明石が賽銭箱に突っ込んだ大金に、肥後大海が目を丸くした。
 「さぁ!
 やったってや、肥後の水はん!」
 「大海です・・・・・・」
 ため息交じりに呟いた肥後大海は、しかし、もじもじと肩を丸める。
 「けど・・・俺、負けてばっかりだし、そんな力・・・」
 「いい加減にするんだ、水たまりくん」
 腕を組み、高慢に顎をあげる長義の冷ややかな声に打たれて、肥後大海はびくりと顔をこわばらせた。
 「君が負けてばかりなのは、その気弱で卑屈な性格のせいじゃないのかな?」
 「そ・・・それは・・・・・・」
 いつも、親方や先輩力士に言われていることだ。
 気合が足りない、気迫が足りないと、苛立たしげに言われるが、自分でもどうすればいいのかわからない。
 「やっぱり俺、向いてないんです・・・」
 「そんなことはどうでもいいんだよ。
 ただ今、ここにいるものの中で地中の邪気を祓い、大地を鎮める神事ができるのは君だけなんだ」
 俺達は神剣じゃない、と言う長義に、明石も頷く。
 「あんたはんらがやってる四股っちゅーんが、蛍丸を追っかけてる厄介な連中を追い払えるかもしれんのや!
 大山祇神(おおやまつみのかみ)はんにも今、ようようお願いしたんやから、できるに決まってますやろ!!」
 「そうです、それに・・・」
 と、各務が遠慮がちに進み出た。
 「私達は可能性を試したいだけです。
 初めての事態で解決方法が見つからない今、やれることは全部試してみて、だめならまた別の方法を考える。
 その協力をお願いしているだけですので、まずはやってみてもらえないでしょうか」
 言いつつ、各務は明石から提供された蛍丸の写真をスマートフォンに表示して差し出す。
 あどけなく笑う子供の姿に、肥後大海は唇を噛んだ。
 「こんな・・・小さな子が、何日も山の中を・・・・・・」
 意を決して、肥後大海は靴を放る。
 神前に一礼し、裸足で力強く四股を踏んだ。
 何度も大地を踏みしめるうちに、彼が発する以上の地響きが境内を揺るがせる。
 「へぇ・・・。
 水たまりの割に、やるじゃないか」
 口の端を曲げて、長義が抜刀する。
 「おいでなすったわ!」
 邪気を払う力にたまらず、時間軸の狭間からまろび出た時間遡行軍を明石が斬り伏せる。
 「続けてや!」
 肥後大海に襲い掛かろうとする敵を次々に斬り伏せる明石に合わせ、刀を振るっていた長義は、舌打ちして一旦納刀した。
 「動きにくい」
 言うや、脱いだジャケットを各務へ放り、シャツの袖を折りあげて再び抜刀する。
 「どこまで斬れば、観念するかな?」
 「うちの子差し出すまで、容赦せんで!!」
 修羅の形相で敵の首を狩り続けるうち、周りを漂っていた蝶達が同じ場所へ群がった。
 「・・・蛍じゃなくて、蝶が来ちゃった」
 「蛍丸!!」
 懸命に平静を装っていた蛍丸は、明石の姿を見た途端、みるみる涙を浮かべる。
 「国行・・・!
 国行ぃぃぃ!!」
 泣きついて来た蛍丸を受け止めて、明石はぎゅっと抱きしめてやった。
 「もう大丈夫や・・・!」
 「うん、でも・・・!」 
 と、蛍丸が苦しげに顔を歪める。
 「蛍・・・?!」
 蛍丸を奪おうとする力に、明石は懸命に抗った。
 「なんやこれ・・・!」
 「うちの・・・神様・・・!」
 必死にしがみつきながら、蛍丸は声をあげる。
 「お願い健磐龍命(たけいわたつのみこと)!俺を連れてかないで!!」
 「阿蘇の神、か・・・!」
 眉根を寄せて、長義が呟いた。
 「奪われた神剣を取り戻そうとしているのでしょうか・・・!」
 息を飲む各務に頷く。
 「まずいな、さすがに神には逆らえないぞ」
 と、
 「どっせい!!!!」
 傍らを走り抜けた肥後大海が、見えない力に向けて突っ張りを繰り出した。
 「・・・正気かいな」
 思わず呟いた明石の声が聞こえないのか、肥後大海は夢中で腕を突き出し、じりじりと押し返していく。
 「すみません、神様!!
 俺、弱いけど・・・ちっさい子を泣かせるのは良くないと思います!!」
 「学級委員かな?」
 長義でさえ二の足を踏む神との勝負に挑む彼に、思わず皮肉を言ってしまった。
 が、すぐに口の端を曲げ、高慢に顎をあげる。
 「これだから人の子は面白い。
 それ、土俵を作ってやろう」
 長義が指を鳴らすと、周囲を漂っていた蝶が周りを囲んだ。
 しかしその中心は肥後大海ではなく、彼から数歩離れた長義だ。
 つまり、神は既に、土俵際にいる。
 「・・・さすがです」
 息をするように策を巡らせる長義に、各務は心底感心した。
 「力の差があるんだ、この程度の不利は負ってもらわなければね」
 それに、と、背後の拝殿に神気を感じ、振り返る。
 「こちらもおいでだ」
 「大山祇神(おおやまつみのかみ)はん・・・!」
 蛍丸を抱きしめたまま、明石が肩越しに見遣った拝殿に光が満ちた。
 「勝負の神さんが、味方についてくださった!
 肥後大海はん!
 気張ってや!!」
 「はいっ!!」
 足を踏みしめ、力を込めて突き出した掌が、目には見えない大きな力を押し出した。
 途端、蛍丸を奪おうとしていた力が消え、明石は勢い余って背中から地面に倒れ込んだ。
 「く・・・国行、大丈夫?!」
 「あぁ、平気や」
 地面に寝転がったまま、蛍丸の頭を撫でる。
 「神さんから取り戻したで・・・!」
 「国行ぃぃぃ!!」
 明石に縋りついて泣く蛍丸の姿にほっとした肥後大海は、その場にへなへなと座り込んでしまった。


 翌朝、熊本駅にて。
 改札前で振り返った肥後大海は、とてとてと走って来る蛍丸に目を細めた。
 「肥後大海さん、ありがとぉ」
 猫のようにきらきらと輝く瞳で見上げられ、思わず顔がほころぶ。
 「いえ・・・。
 ちゃんと助けることができて、よかったです」
 しゃがみこんで目線を合わせると、蛍丸は彼の膝に手を置いて、にこりと笑った。
 「ね、いいこと教えてあげる」
 そっと囁く彼に耳を寄せると、くすくすと笑う。
 「大山祇神(おおやまつみのかみ)が、面白い勝負を見せてくれてありがとうって。
 そんで、健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、我を失っててごめん、だって。
 お礼とお詫びに、二柱からの加護をあげる、ってさ」
 「それって・・・!」
 「元気でね」
 くるりと踵を返した蛍丸が、やや離れた場所に立つ明石の元へ戻っていく。
 「改めて、お世話になりましたな、肥後大海はん。
 自分、神剣やないからなんの加護もあげられんけど、応援しとりますよ」
 「あ・・・ありがとうございます!
 俺・・・今度の場所は勝てる気がします!」
 「そうだな。
 何しろ君は、神を相手に勝ったのだから」
 皮肉げな声を見遣れば、長義が腕を組んで立っていた。
 「君はね、実力は申し分ないのに、気弱で卑屈だから勝てなかったんだ。
 君の周りの人間も、それが歯がゆくて、君にきつく当たったのじゃないかな」
 「あ・・・はい・・・。
 そうだとおもいます・・・・・・」
 親方も先輩も、ここまできつく言わなかった、と思いながら頷くと、長義は高慢に顎を上げ、笑みを浮かべる。
 その美貌には、思わず見惚れた。
 「健闘を祈るよ、力士くん。
 水たまりも、何かの間違いで大海になるかもしれない」
 「はい・・・・・・!」
 大きく頷いた肥後大海は、勝負に挑むべく、福岡へと旅立って行った。


 「・・・やれやれ、面倒だったな」
 明石と蛍丸を元の本丸に返したのち、戻った執務室で、長義は深々と吐息した。
 「お疲れさまでした」
 空になった茶器を回収し、やや熱い茶を淹れて差し出す各務へ、長義は向き直る。
 「ようやく一件目だ。
 この程度で疲れてなどいられるか」
 それにしても、と、横目でタブレット端末を見遣った長義は、またため息をついた。
 「こんなに行方不明者が多いなんて聞いてないぞ!
 俺は何度『ちょっと茶を飲みに』来ればいいんだ!」
 「は・・・はい、でも・・・!」
 「なんだ!」
 苛立たしげな長義に、各務は頬を染める。
 「またご一緒できて・・・光栄です!」
 盆を抱えたまま、最敬礼する各務には、さすがの長義も毒気を抜かれた。
 「・・・ふん。
 他の政府顕現刀に怪しまれないためにも、せいぜいうまい茶を淹れるんだな」
 「承知しました」
 嬉しげに顔をあげた各務は、ふと思い出して、いそいそとテーブルに置かれた衣装箱を取り上げる。
 「では次の案件に向けて、衣装合わせを・・・!」
 「俺は着せ替え人形ではないぞ!」
 声を荒らげながらも、長義は各務が差し出す衣装箱を受け取った。



 了




 










長義と各務の怪奇事件ファイル、なる話をご隠居様のTwitterでチラ見してから、『何か思いついたら書こうかな』と思いつつ数日。
『明石がいるのは両国の刀剣博物館だから、仮の主は力士かもね。
だったら、怪異の正体は蛍丸?
阿蘇の神社に!!勝負事の神様いたよね?!
しかも、9月下旬の黎明事件から間もなくなら、10月の話!九州場所開催直前!!』
ということで、一気に流れが決まったのでした。
しかしここで問題が。
自分で思いついたネタじゃないんだから、使用許可がいるでしょうよ。(当然)
と言う訳で、提供者のご隠居様とRicky様にご連絡し、許可をいただきまして作成いたしました。
ちゃんと、『時の政府職員の長義が仮の主各務さんと現代の怪異に挑む特撮公務員バディドラマ!』になっているでしょうか。
お楽しみいただけると幸いです。













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