~ 人形(ヒトガタ) ~

-長義と各務の事後処理案件03-



 延々と続く坂道・・・。
 いや、舗装はされているがこれは、山道と言っていい。
 そんな急斜面を彼は、息を荒くしつつ必死に登っていた。
 懸命に足を踏み出し、先を行く青年に追いつこうとするが、急斜面を平地のように平然と進む彼との距離はどんどん開いて行く。
 10月初旬はまだ夏の気配を残し、澄み渡った空から容赦なく降り注ぐ陽光に炙られて、スーツの下は汗だくになっていた。
 あと数歩も行けば、膝が笑う。
 そのタイミングで、先を行く青年が訝しげに振り返った。
 「なんだ君は、どうしてそんなに遅れている?」
 本気で理解できない、という顔をした彼は今、白銀の髪を黒いキャップで覆い、深い湖の底を思わせる青い瞳を、太い黒縁の眼鏡で遮っている。
 淡い色のジーンズに濃紺のシャツ。
 上に羽織ったオフホワイトのパーカーもすべてファストファッションのもので、完全に『普通』を装ったと思ったのに・・・。
 生来の足の長さと、細身ながらしっかりと鍛えられた体幹がもたらすスタイルのよさが衆目を集めてしまう。
 参拝者でにぎわう麓の社では、彼の本体を楽器ケースに入れていたせいか、芸能人と間違えられて危うく囲まれるところだった。
 が、上之社へ向かう道は人通りも少なく、近隣住民とすれ違う程度だ。
 「おい、聞いているのか、各務?」
 すっかり息が上がってしまい、答えられない各務に眉根を寄せ、彼、山姥切長義は数歩を降りて来た。
 「す・・・みません・・・坂が・・・急・・・すぎて・・・・・・」
 ぜいぜいと苦しげな各務に、長義はますます不思議そうな顔をする。
 「この程度で急なのか?
 もしかして君は・・・胸の病でも抱えていたのか?」
 はっとして、途端に気づかわしげな顔になった彼を、思わず拝みそうになった。
 神様に心配してもらえるとはありがたいことだと感謝しつつ、各務は首を振る。
 「いえ・・・単なる運動不足です・・・・・・」
 長義を待たせるのも悪い気がして、歩を進めた各務を、近隣住民らしい高齢女性がすいすいと追い越していった。
 「あの女人は君よりご高齢のようだが?」
 「すみません、坂道に慣れておりませんで・・・・・・」
 さすがに心折れそうになって地面を見つめていると、突然視界が反転する。
 「はいっ?!」
 「相手を待たせているんだ。
 自分で歩けないなら運んでやる」
 軽々と肩に担がれてしまい、息が止まるほどに驚いた。
 「そんな!!
 そんな滅相もない!!
 自分で!
 自分で歩きますから!!」
 大慌てで言うと、『そうか』とあっさり下ろされる。
 「まぁ、場所はわかっているからな。
 遅れても合流はできるだろう」
 「えぇ・・・それはもちろん・・・っ?!」
 顔をあげた時には既に、スニーカーの靴裏しか見えない位置にまで登ってしまった長義を、各務は慌てて追いかけた。


 石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)の上之社(かみのしゃ)は、生駒山の大阪側中腹にある。
 そこへ至る途中のカフェで、彼は待ってくれていた。
 長義はキャップと眼鏡を取ると、丁寧に会釈する。
 「お待たせしました、光忠さん」
 「やぁ、長義くん。
 いらっしゃい」
 穏やかに笑う彼―――― 燭台切光忠は、カウンターの向こうから手を差し伸べた。
 「好きなところに座って。
 なに飲む?」
 コーヒーの良い香りが漂う店内には、彼らの他には誰もいない。
 やや遅れて、各務が『CLOSE』の札が下がったドアを開けて入って来た。
 「は・・・はじめまして、私、内閣官房国家安全保障局の各務と申します。
 この度はご協力・・・」
 「あぁ、違うよ各務さん。
 僕は長義くん風に言うと不法滞在だから、大げさにしないで」
 名刺を差し出す各務に光忠が冗談めかして笑と、長義が苦笑する。
 「大げさになる前に帰っていただきたいのですが」
 「それはわかっているんだけどねぇ・・・・・・」
 カウンターにもたれ、下から覗き込むように見つめて来る光忠に、長義は頬を染めた。
 「僕の仮の主になってくれたここのマスターがさ、時間遡行軍に襲われた時にぎっくり腰になっちゃって。
 しばらく動けないって言われちゃ、お礼にお手伝いしなきゃ、って思うでしょ?」
 「そんなことを考えるのは、光忠さんくらいですよ」
 困り顔ではあるが、どこか嬉しそうな長義の様子を、各務はそっと窺う。
 髭切達へは厳しく帰還を要請していた彼が、光忠に対しては至極柔らかな雰囲気であることが不思議だった。
 そこへ、みたびドアが開く。
 店内に光が差した気がして振り返った各務は、入って来た長身の青年に目を細めた。
 若草色の和服をさらりと着流し、穏やかな笑みを浮かべているにもかかわらず、近づきがたい神々しさがある。
 「いらっしゃい、石切丸さん」
 光忠が呼んだ名に、各務は思わず猫背を伸ばした。
 「御神体の・・・!」
 自身の引き攣った声で我に返り、最敬礼して名刺を差し出す。
 「はじめまして、私、内閣官房国家安全保障局の各務と申します・・・!」
 「あぁ、この度は面倒をかけてしまって、すまないね」
 参拝客で賑わう神社の御神体は、風呂敷で包んだ桐箱をテーブルに置くと、気さくに言って名刺を受け取った。
 「あぁ・・・もしかしてこれは、私が受け取るものではないのかな。
 早苗さん、君が持っておいで」
 しゃがみ込んだ石切丸の傍に、ほんの小さな少女がいたことに、ようやく気付いた。
 小学校の低学年だろうか、長い髪を二つに結んだ少女は、年の割にしっかりした面持ちで頷き、両手で名刺を受け取った。
 「みんな、テーブル使って。
 早苗ちゃん、僕の特製デザートを試してもらえると嬉しいんだけど?」
 カウンターの向こうから魅惑の笑みを向けられて、耳まで赤くした少女は無言で頷く。
 「みんなもどう?
 バタフライピーを使ったグラデーションのソーダと、パンナコッタの上に紫陽花色のゼリーを乗せたデザートだよ。
 ここに歌仙くんがいたら季節違いだって怒るんだろうけど、すごくきれいだよ?」
 「いただきます」
 すかさず言った長義が、続けて『手伝いましょうか』と申し出たことに、各務は目をむいた。
 出会った当初から常に高慢なほどに誇り高く、天下五剣へ対しても対等に接していた彼と、本当に同じ刀だろうかと疑うほどに、今の彼の雰囲気は柔らかだ。
 その上、
 「いいよ、座ってて」
 と光忠に言われると、少し残念そうに頷いたのも意外だった。
 「あの・・・山姥切さま、光忠様とは・・・・・・」
 言いかけて、各務は慌てて首を振る。
 差し出がましいことを、と謝罪する前に、長義はどこか誇らしげに微笑む。
 「俺と流れは違うが、同じ長船の祖だ。
 ・・・・・・かっこいいだろう?」
 囁くような口調がまた誇らしげで、各務は何度も頷いた。
 長義が誇り高き百合なら、光忠は春の訪れを告げる梅の風情か。
 高貴であり、華やか。
 多くの戦国武将に愛された理由が、わかる気がした。
 「さて、貴殿の本丸についてだが・・・」
 席に着くや、早々に話を始めた長義に慌てて、各務も席に着く。
 「酷く厄介なことと聞いている」
 「あぁ・・・。
 私も、どうしていいかわからなくてね」
 そう言って石切丸は、テーブルに置いた桐箱をそっと撫でた。
 「小狐丸さん・・・。
 本体は私と同じ、この麓の神社にあって、問題なく顕現できたはずなんだ。
 しかし仮の主が・・・・・・」
 ふぅ、と、重くため息をつく。
 「とても彼の意に添うものではなくてね。
 彼が拒んでいるせいで、顕現もできず、本丸に帰ることもできず、現世をさ迷っているんだ」
 「小狐丸さんの意に反する仮の主?
 どんな極悪人なの、それ?」
 ドリンクとデザートを運んできた光忠に、早苗は顔を赤くして石切丸の影に隠れてしまった。
 「あぁ、突然入って来てごめんね」
 カウンターに隠れていた全身を現した彼は、黒のパンツに白いシャツ、ブラウンのロングエプロンというシンプルないでたちながら、長い脚と均整の取れたスタイル、折った袖から覗く筋肉質な腕など、男の各務でも見惚れてしまうほど格好いい。
 幼い早苗が、真っ赤になって言葉を失うのも無理はなかった。
 「どう、僕が作ったデザートは?
 きれいでしょ?」
 テーブルに並べられた青と紫のグラデーションに、早苗は無言で頷く。
 「早苗さんは私には普通なのに、光忠さんには恥ずかしがるんだねぇ」
 「だって・・・!」
 思わず声を上げた少女は、また恥ずかしげに俯いた。
 「いしきりさんは・・・いつも神社におるし・・・・・・」
 「へぇ・・・。
 君は神が見えるのか」
 巫女の家系か、と感心する長義にも、顔を赤くしながら早苗は首を振る。
 「わ・・・わたしだけやない・・・。
 いしきりさんは、みんなと遊んでくれる・・・」
 「境内は近所の子供の遊び場だからね。
 私の主になってくれる人、って呼んだら、みんな手を挙げてくれたね」
 「じゃんけんでかった!」
 得意げに言う早苗の頭を、石切丸は優しく撫でてやった。
 「小狐丸さんも、こんな子供達なら・・・いや、極悪人でも人であったなら、仮の主として認めたのだろうけど・・・」
 「はっきりしないな。
 なんなんだ」
 少し苛立った口調になった長義は、はっとして咳払いする。
 「失礼した。
 詳細を頼む」
 傍に光忠がいるだけでこの違いか、と驚く各務には、気まずげに鼻を鳴らした。


 「―――― 小狐丸さんは、ヒトガタ・・・人形を仮の主とされてしまったんだ」
 「そんなことがありうるのか?」
 信じがたい、と言う長義に、石切丸も頷く。
 「私だって初めて聞いた時には、なにを馬鹿げたことを、って思ったよ。
 でも事実、彼は顕現できず、本丸に帰ることもできずにいる。
 おかげでとても困っているんだよ・・・三日月さんを御せるのは、彼しかいないのだから」
 真顔で言った石切丸に、光忠も苦笑して頷いた。
 「お目付け役なしの三日月さんにふらふらされるの、怖いよねぇ」
 「私がいない間は第一刀の加州さんが監視して、岩融さんが力づくで引き留めてくれているのだけど、三日月さんときたら鬼の居ぬ間にって、隙あらば本丸を抜け出そうとしてもう・・・」
 「首に鈴でもつけておいたらどうかな」
 鼻を鳴らした長義は、またはっとして咳払いする。
 「・・・人形が主に選ばれるなど初めて聞いた事案だが、それは・・・たとえば、怪談に出て来るようなものなのか?」
 9月の事件も、人の『念(おも)い』を奪い、既に亡くなった少年の心を取り戻そうとしたことが発端だった。
 琴音が見たという少年・・・伊吹の弟である健の核も古いゴムボールであったことだし、ならば、より人の形に近い人形ならありうるのかと、考えを巡らせる長義にまた、石切丸は困り顔を傾げる。
 「そういう・・・怪談じみたものとは違うんじゃないかな。
 ねぇ、早苗さん。
 君の方が詳しいよね?」
 問われて、紫陽花色のデザートに夢中になっていた早苗は、こくりと頷いた。
 「学校の社会科見学で行った工場で見せてもらったんや。
 マミちゃんはわたしと同じくらいの大きさやけど、AIがとーさいされたロボットで、すごいたくさんべんきょうしてるから、すごい頭がいいんやって。
 じゃんけんできるし、おしゃべりできる。
 そんで・・・意地悪したら泣いちゃう」
 「人形が?」
 苦笑する光忠に、早苗はまた、こくりと頷く。
 と、
 「早苗さんが社会科見学に行かれたのは、おそらくこの工場ですね。
 人の感情を再現するロボットの研究をしています」
 各務が差し出したタブレットを、光忠が覗き込んだ。
 「へぇ・・・そんなものがあるんだねぇ。
 でも僕たちは本丸の中って言う、隔離された場所にいるから知らないだけで、もしかしたら2205年の日本では活躍しているのかもしれないね」
 ね?と、笑みを向けられた長義は、ふと瞬く。
 「こんのすけ・・・・・・」
 「あぁ、確かに!」
 手を打った光忠が、きょとんとする早苗に笑いかけた。
 「狐の姿をした案内役だよ。
 しゃべるし、政府と通信するし、個体差もあるらしいよ」
 「そうか・・・私達は既に、えーあい、というものを知ってはいたんだね」
 感心する石切丸の対面で、長義は考え深げに宙を見つめる。
 「この時代に、あそこまで精巧なものができていたとは考えにくいが、伊吹の『弟』のように念が籠ってしまった可能性もあるのか」
 「さっきは怪談じみた話じゃない、と言ったけれど、あの小狐丸さんが呼ばれたくらいだから、そうかもしれないね」
 「でも、うちの小狐丸さんもそうだけどさ・・・・・・」
 石切丸と光忠が、顔を見合わせた。
 「絶対に、『豊穣の環(わ)』から外れた存在に膝を折りはしないだろうね」
 「豊穣の環・・・?」
 各務が光忠の言葉を繰り返すと、彼は魅惑の笑みを向ける。
 「神様流の言い回しなんだよね」
 「そう・・・神域に身を置くものにとって、共通の考え方、とでもいうべきかな」
 頷いて、石切丸が言い募る。
 「生を得てより懸命に生き、子を増やし、息絶える瞬間まで負けじと足掻く様は、生き物として最も尊く、美しき様だと愛しく思う。
 特に小狐丸さんは、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属だからねぇ。
 生も死も豊穣の環のうちと、めでたく思う・・・でも、そのろぼっととやらは、物だろう?
 私もそうだが、同じ『物』に対して、膝を折ったりはしないね」
 その言葉に、各務ははっとして長義を見遣った。
 高慢なほどに誇り高く、天下五剣に対しても不羈(ふき)であった彼の有様に、納得した。
 「祖に対して礼は尽くすが、主としては戴けない・・・そういうものだ」
 「礼を尽くしてくれるだけ、いい子だよ、長義くんは。
 も・・・大般若くんとか小竜ちゃんとか、自由な問題児ばっかりだとさすがに責任放棄したくなるよね」
 冗談めかして言ってはいるが、かなり本気のため息が漏れる。
 「小狐丸さんも、そこで折れてくれれば簡単なんだけど、一時でも物・・・しかも、自分よりはるかに新しい物に膝を折るなんて冗談じゃない、ってことだろうしね」
 苦笑した光忠は、身を屈めて親しげに長義の肩を抱いた。
 びくっと身を固くした彼の耳に、優しく囁く。
 「小狐丸さんのこと、僕にも手伝わせてよ。
 不法滞在の、お詫びにさ」
 「はい・・・・・・」
 正面を見つめたまま、頬を染めた長義を各務は、まじまじと見つめてしまった。


 ―――― 瞬いた目に映ったのは、白い部屋。
 調度の一つもなく、殺風景この上ない。
 見回せば、歳の頃は七つほどか、緋色の振袖を肩上げもせず、さらりと着た幼子が、この部屋で唯一の調度のように動かず、じっと彼を見つめていた。
 「人形・・・?」
 跪いて目線を合わせると、それはこくりと頷く。
 と、肩の上で切り揃えた、癖のない黒髪がさらりと流れた。
 一筋の乱れもないそれを、彼は訝しく見つめる。
 「私は仮のぬしさまの元へ呼ばれたはずだが・・・?」
 困惑する彼の視線をしかし、それは黒くつぶらな瞳でまっすぐに見返した。
 「私 は マミ です。
 仮 の 主 です」
 「ぬしさま・・・とな?」
 剣呑な声音に、その場の空気が凍りつく。
 「この小狐、人でなくとも・・・たとえ狐狸の類いであろうとも、血のかようものならぬしさまと仰ごうものを、よりによって人形とは。
 そのような物に使われとうはない」
 「仮 の 主 です」
 繰り返す人形に、小狐丸は不快げに眉根を寄せた。
 「わだつみであればヒトガタを供えられる事もあろうが、あいにく、私にそのような趣味はない」
 冷ややかに言い放ち、小狐丸は人形へ歩み寄る。
 「豊穣の環からはずれた身で、神域に身を置くものを従えようとは分不相応であるぞ」
 言い募り、人形の細い首に手をかけた。
 しかし、当の人形は表情を変えることなく、黒い瞳でじっと彼を見返す。
 その様に、小狐丸は忌々しげに眉根を寄せた。
 「やれおぞましや。
 豊穣の環から外れた者は、死を恐れず、痛みを知らぬ。
 それでは他者の恐怖を、痛みを思うことも出来まい。
 そのような身で、我が主を名乗るは僭越であるぞ」
 「・・・はい」
 呼気を伴わない声が、囁くように発せられた。
 「私 は 死 を 知りません。
 起動終了 するだけ です。
 痛み を 知りません。
 痛覚 は 仕様 に 組み込まれて いません」
 しかし、と、相変わらず表情を変えることなく、黒い瞳でじっと彼を見返す。
 「仮 の 主 です」
 「やれおぞましや。
 私がこなたを主と認めることはない。
 絶対にだ」
 人形の首にかけていた手を解いた小狐丸は、それを冷たく見下ろした。


 「そろそろ上之社へ向かおうか」
 秋の日は釣瓶落とし。
 いつの間にか薄暗くなった窓外を見て、席を立った石切丸に皆が続く。
 が、各務一人が未だ震える膝を椅子にぶつけ、出遅れた。
 「も・・・申し訳ありません!!」
 焦って謝る各務を、長義が冷たく見遣る。
 「なにをして・・・」
 「ここ、坂が急だもんねぇ。
 慣れない人は足を痛めちゃうんだよね」
 すかさずフォローを入れた光忠が、『ちょっと待ってて』と、一旦店の奥に消えた。
 ややして、
 「仮の主からもらって来たよ。
 湿布と、膝サポーター。
 よかったら使って」
 「ありがとうございます」
 眉目秀麗な上に気遣いまで完璧な光忠に、思わずうっとりとしていると、首筋に刺すような視線を感じる。
 恐る恐る見遣れば、長義が目を吊り上げて睨んでいた。
 「ひっ?!」
 なぜ、と困惑していると、
 「お兄ちゃん、やきもち?」
 と、早苗が無邪気に問う。
 「は?!
 そんなわけないだろう!」
 思わず声を荒らげてしまった長義は、頬を染めてそっぽを向いた。
 「どちらへのやきもちだろうねぇ?」
 くすくすと笑いながら、石切丸が早苗を抱き上げる。
 「上のお宮まで行こうね。
 光忠さんは、仮の主さんと離れて大丈夫なのかな?」
 石切丸が問うと、エプロンを外した光忠はカウンターの向こうから太刀を取り上げた。
 「上之社までなら、十分主くんの力の範囲だよ。
 でも、ぎっくり腰で動けないから、早めには帰ってあげたいな」
 「それはもちろんだよ。
 私も、早苗さんを家に戻してあげないと」
 ねぇ、と微笑みかけると、早苗は笑って首を振る。
 「いしきりさんと一緒なら大丈夫って、おかあさん言ってた!」
 「おや、信用いただけてうれしいね。
 智恵子さんも、小さい頃は私と一緒に遊んでいたからかな?」
 「うん!こぎつねさん助けてあげてって!」
 「智恵子さんは、小狐丸さんのことが大好きだったからねぇ」
 歴史の長い神社のご神体ならではと言うべきか、代々見守り続けてきたゆえの絆に、各務は感心した。
 「あ・・・お待たせしました。
 申し訳ありません」
 湿布と膝サポーターのおかげで辛さが軽減され、もたもたと立ち上がる。
 「各務さんも抱えてあげようか?」
 そう言って両手を広げた光忠へ、慌てて首を振った。
 「滅相もない!!」
 恐る恐る長義を見遣れば、やはり不機嫌な顔でこちらを睨んでいる。
 「行くぞ」
 「はいっ!」
 舌打ち交じりに言われて、各務は慌ててついて行った。


 カフェから急な坂道を登るとほどなくして、石切神社上之宮と刻まれた石柱が現れた。
 その傍らには石の鳥居が立ち、みっしりと立ち並ぶ玉垣に挟まれた幅の広い階段が更に上へと伸びる。
 人気のない神域へ、早苗を抱えた石切丸が歩を踏み入れた瞬間、階段脇の灯篭に明かりが灯った。
 「だ・・・誰もいないのに・・・?!」
 どういう仕掛けか、と驚く各務を、石切丸が不思議そうな顔で振り返る。
 「私がいるじゃないか」
 「いしきりさんやこぎつねさんがくると、光がつくもんな」
 早苗にまでごく当然のように言われ、神域とはそういうものかと頷いた。
 階段の端を遠慮がちに登る各務と違い、堂々と真ん中を歩く石切丸に、長義と光忠も続く。
 手水舎を過ぎ、白い玉砂利が敷き詰められた境内に入ると、山の上にあるとは思えないほど立派な社殿が現れた。
 「はい、到着だよ」
 早苗を下ろした石切丸が、提げていた桐箱を拝殿に置く。
 「小狐丸さん、こちらになら来られるよね?」
 石切丸が風呂敷を広げ、桐箱の蓋を開けると、太刀と言うには華奢な刀が現れた。
 『―――― ありがたい』
 ひそやかな声がしたと思えば、拝殿に白い靄がたなびき、徐々に人の形をとる。
 「こぎつねさん!」
 『早苗殿も来てくださったか』
 駆け寄った早苗に伸ばした手はしかし、彼女の体をすり抜けてしまった。
 『困ったことになりました』
 深々とため息をついて、小狐丸は眉根を寄せる。
 『ぬしさまに送り出していただいたというのに、誉の一つもあげられず、口惜しや・・・』
 「小狐丸、貴殿の気持ちはわかるのだが・・・」
 進み出た長義もまた、困った様子で眉根を寄せた。
 「ここはひとつ、まげて承諾してもらえないだろうか。
 このままでは、貴殿も本丸に戻れないだろう」
 『至極当然のことと存じますが』
 と、小狐丸はまたため息をつく。
 『私は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属なれば、そうそう曲げるわけにはまいりませぬ』
 「神域のことはわからないんだけど・・・誰か、代理の主を立てることはできないのかな?」
 光忠が口を挟むと、小狐丸は悄然として首を振った。
 『試しては見ましたが、誰も我が声を聴くこと能わず。
 よもやと、早苗殿のような近隣の御子らにも声をかけてみましたが、いつもなら我が声を聴き、姿を見る御子らが、なんの応えもなく・・・』
 「ならば・・・」
 長義が小狐丸を見上げる。
 「このまま本体を依り代として、例の工場へ行こう。
 分霊であったから、貴殿も本来の力を発揮できなかったのかもしれない」
 その証拠に、と、早苗を見遣った。
 「今、彼女には貴殿が見えているようだからね」
 「早苗ちゃんが石切丸さんの仮の主だから、という可能性もあるけど、確かに本体があれば、なんとかなるかもねぇ」
 うん、と頷いた光忠が、長義の肩を抱く。
 「ひゃっ!」
 不意打ちに思わず声をあげた長義に微笑み、光忠は彼の耳に囁いた。
 「だったら、さらっておいでよ、お人形さんをさ。
 僕がカフェから遠く離れられないって言うのもあるけど、ここなら小狐丸さんの霊力も安定しているし」
 「あぁ、我々が工場へ行くのではなく、そのヒトガタをこちらへ持ってくればいいのか」
 頷いた石切丸を、
 「でも・・・」
 と、早苗が見上げる。
 「マミちゃんは勝手に持ってきたらあかんよ」
 「その点は問題ない」
 と、我に返った長義が各務を見遣った。
 「はい。
 こちらの会社へは政府が助成金を出していますので、正規ルートで依頼すれば、多少の無理も聞いていただけます。
 研究者の方も一緒に来ていただくようご連絡しましたので、すぐに来ていただけます」
 タブレットで既読返信のメールを表示した各務に、光忠が拍手する。
 「各務さん、すごいねー!
 仕事できる人!」
 「いえ、私は・・・」
 「謙遜することないよ!
 さすが長義くんの仮の主だよねー!
 9月の事件でも、一緒に頑張ってくれたんでしょう?」
 ね?と、微笑む光忠に覗き込まれた顔を赤くしながら、長義は頷いた。
 「えぇ・・・まぁ、役に立ってくれました」
 「山姥切さま・・・っ!!」
 感涙する各務を見て、光忠がまた、長義の耳に囁く。
 「ね?
 ちゃんとお仕事した時は誉めてあげなきゃ。
 その方がお互い、気持ちいいでしょ?」
 更に顔を赤くする長義の頭を撫でてやってから、ようやく光忠は離れた。
 「小狐丸さん、この状態だと不便だよねぇ。
 何か欲しいものある?」
 油揚げとか、と笑う光忠に、小狐丸は眉根を寄せる。
 『この身では好物を食すこともできませぬ。
 早くぬしさまの元へ帰りたいもの・・・』
 「だからそれは、君が折れてくれればなんだけどねぇ」
 ため息をつく小狐丸に肩をすくめて、石切丸は彼の本体に触れた。
 「まぁ、君が絶対に応じないこともわかっているよ」
 『もちろんでありますよ』
 むくれる小狐丸に、光忠が苦笑する。
 「顕現したのが鶴さんだったらねぇ。
 人形の主なんて、面白がって構い倒すだろうにね」
 『今からでも、代わっていただきたいものですね』
 気が晴れない様子の彼に、光忠が手を打った。
 「そうだ、お人形さんが着くまでしばらくかかるだろうから、何かあったかい飲み物でも持ってこようか。
 小狐丸さんには、お神酒をお供えしようね」
 軽やかに踵を返した光忠に長義が手伝いを申し出るが、彼は笑って首を振る。
 「長義くんは長義くんのお仕事してて」
 気さくに言って、光忠が去ってからしばらくすると、階段下に乗用車が止まる音がした。
 「おや、随分と早いね」
 「至急、とお願いしましたので」
 石切丸の呟きに頷いた各務が、階下まで迎えに降りる。
 「お待ちしておりました。
 夜分に申し訳ありません」
 「え・・・あ、はい・・・いえ・・・」
 深々と一礼した各務の腰の低さに、車から降りた青年がしどろもどろになって頷いた。
 官僚からの呼び出しと聞いて、なにかまずいことでもあったのかと駆けつけたが、どうやらお叱りではないようだ。
 「えっと・・・その、高橋・・・と言います。
 マミの・・・あ、いえ!
 ロボットの開発を担当しています」
 これまで『偉い人』への対応をしたことがなかったため、敬語の受け答えに自信がない彼は、各務より一回りは丸い体を懸命に折って、深々と一礼した。
 「あの・・・社長からここに行くよう言われたんですけど・・・」
 「はい、大変恐縮なのですが、マミさまを社殿にまでお連れ頂けますでしょうか」
 「マミ・・・さま?」
 各務の言い様に目を丸くした高橋は、すぐに我に返って、乗用車の後部ドアを開ける。
 「梱包はされないのですか?」
 人間の子供のように、チャイルドシートに座った人形を覗く各務に、高橋は頷いた。
 「マミは人間の子供と同じように扱っても大丈夫な耐久性がありますし、体重も成人女性が抱えられる程度の重さに設定しています。
 走ることはできませんが、階段を登るくらいの歩行は可能です。
 学習機能により会話もできますし、感情の発露も適切に・・・」
 機能の話になった途端、饒舌な高橋を各務は慌てて遮る。
 「お話はできれば、拝殿にてお願いできますでしょうか」
 「は・・・はぁ・・・・・・」
 頷いた高橋は、人形を子供のように抱き上げて、階段を登った。
 「灯篭が明るいなんて、お祭の日みたいですねぇ・・・」
 「お祭が、神様をお迎えすることでしたらまぁ・・・そうですね」
 「は?」
 言葉を濁す各務を訝しく思いながら階段を登り切った高橋は、拝殿の前に並ぶ面々にまた、目を丸くする。
 「いしきりさん?!」
 「おや、誰が来るのかと思えば、高橋の信彦さんじゃないか。
 君、子供の頃はいつも境内で遊んでいたのに、最近は初詣にも来ないよね」
 意地悪く笑った石切丸に、高橋が慌てた。
 「すんません・・・って、いや!なんで神様がおるんや!!」
 『私が困っているからですよ』
 「んぎゃ!
 こぎつねさんまでおるやん!!
 俺、なんか悪いことした?!」
 幼い頃、境内の池にいた亀にいたずらしてひどく叱られたことがある彼は、怯えた顔で小狐丸を見つめる。
 と、
 「あれ・・・?
 こぎつねさん、なんやうすない?」
 幼い頃に見た彼は、装束も髪も鮮やかだった気がするが、今の彼は
 「なんやグレースケール」
 『他に言い方はないのですか』
 ムッとして、小狐丸は高橋が抱える人形を指した。
 『そのヒトガタのせいですよ』
 「マミの?」
 『なんともくじ運の悪いことに・・・そのヒトガタを主とせねば、顕現出来ぬ目に遭っているのです』
 と、仮の主についての事情を語る小狐丸に、高橋は乾いた笑声をあげる。
 「金運ないやん、いしきりさん」
 「君ねぇ・・・。
 初詣にも来ないくせに、金運だけ頼みに来るつもりかい?」
 図々しい、と石切丸に呆れられて、高橋は首をすくめた。
 「いや!でも!
 それってうちのマミがこぎつねさんから見ても人間に近かったって事やろ?!
 これ、俺が作ったんやで!」
 途端に自信満々に胸を張る高橋に、小狐丸がため息をつく。
 『ただのヒトガタに、この小狐が囚われるはずもない。
 信彦殿、何をしたのです?』
 きっと何かあるはず、と詰め寄る小狐丸に、高橋は首を振った。
 「俺に術やらなんやらできるわけないやん。
 こうゆう可愛い娘できたらええなー、でも先に彼女やなーってくらいか?」
 『相変わらずあほの子・・・』
 「言いすぎやろ」
 「すまないが・・・」
 会話のノリについて行けず、困惑げに見守っていた長義が、ようやく口を挟む。
 「俺としては、早くこの件を終わらせたいんだ。
 小狐丸がなぜ仮の主を受け入れられないか検証するためにも、起動してもらえないだろうか」
 「あ!そうでした!」
 各務の言う神が神でも馴染みの神だったこともあり、すっかり緊張がほぐれた高橋は、境内に立たせた人形の頭を撫でてやった。
 「マミちゃん、起きてや」
 高橋の声に、人形が目を開ける。
 「マミちゃんや!」
 駆け寄ってきた早苗に、人形は笑いかけた。
 「早苗 ちゃん」
 「覚えてくれてたんや!」
 嬉しげに目を輝かせる早苗に、高橋が得意げに頷く。
 「マミの学習能力は世界一やで!
 一度見た顔は忘れんし、今んとこ、この子を超えるロボットはおらんのやから!」
 更に!と、高橋はマミを示した。
 「目を大きめに、口を小さめに作って、いわゆるデフォルメすることで、恐怖の谷を克服!
 誰もが『可愛い』と思う子に仕上げてんで!」
 どや!と、鼻を鳴らす高橋に、早苗だけでなく各務も頷く。
 「うん!可愛いで!」
 「はい、気持ち悪さは感じません」
 「そやろ?!そしてこの表情!!」
 嬉しそうに笑うマミを、高橋は得意げに示した。
 「可愛いって言われたらこうゆう、嬉しそうな顔するんや!
 社長はいずれ猫耳を付けて更なる完全体に!ってゆーとるんで、あの脳波で動く猫耳実装に向けて、開発してますのや!!
 けどあんまり媚びる性格やと女子受けが悪いんで、ちょっとツンデレな塩対応も重要やな!」
 『まったくこのあほの子は・・・!』
 頭を抱えてしまった小狐丸に、高橋は鼻を鳴らす。
 「こぎつねさんかてケモ耳枠やろがい!」
 『一緒にするでないわ!』
 「あれ?僕がいない間に、なんか楽しそうなことになってるねー」
 と、一旦カフェに帰った光忠が、バスケットを抱えて戻ってきた。
 「軽食も作ってきたよー!
 あ、この子がマミちゃん?
 可愛いねぇ!」
 なんのためらいもなく頭を撫でてやる光忠に、小狐丸が眉根を寄せる。
 『可愛いものですか。
 物の分際で私の主になろうなど、おこがましい』
 忌々しげに言えば、マミは悲しげにうなだれた。
 「ウチの子泣かすなや!
 そないゆうならこぎつねさんバージョン作ったろか!」
 『祟りますよ?!』
 「まぁまぁ、落ち着いて」
 長義が会話に入れずにいることにいち早く気づいて、光忠が間に入る。
 「小狐丸さんに、お神酒持ってきたよ。
 みんなにはコーヒーと、早苗ちゃんにはココアね。
 冷えてきたから、ブランケットも持ってきたよー」
 早苗の前に跪いた光忠が、ブランケットを広げて包んでやると、早苗は真っ赤になって声を失った。
 「おや、早苗さんには不要だったみたいだね」
 石切丸に笑われて、早苗は更に赤くなる。
 「ところで、君がマミちゃんを作った人?
 ウチの長義くんが、話があるんだって」
 さぁ、と、背中を押されて進み出たものの、困り顔で固まってしまった長義はまるで、父兄参観で委縮している子供のようだ。
 「話・・・と言っても・・・」
 仮の主については小狐丸が話しているし、彼が人形を仮の主と認めないうちは、顕現も帰還もできないだろう。
 困り果てていると、高橋がはたと手を打った。
 「ちょお待ってや。
 マミちゃん、そもそもなんであんた、自分がこぎつねさんの仮の主やと思ってんのや」
 「データ を 読み込み ました」
 「なんの?」
 「2012年9月18日 より。
 全国 で 起きた 異常事態。
 人間 が 起動停止 する 事件」
 「なんだと?!」
 「ば・・・ばかな・・・!」
 長義と各務が、同時に蒼ざめる。
 「あのデータは時の政府が主導して、すべて消去したはずだ!」
 「は・・・はい、現在の政府からも、記録は削除されています。
 記憶を保持しているのは私と、限られた・・・なぜ!!」
 「うん、ちょっと待ってくれるかい?」
 まるで犯罪者を見る目で高橋に詰め寄る長義へ、石切丸が声をかけた。
 「長義さん、時の政府が削除したのは『人間の』記憶と、日本政府および時の政府の公的記録だよね?
 だったら、日本政府の支援があったとはいえ、大手とは言えない一企業の機械が所有する記録の消去までは、気が回らなかったのでは?」
 「なんてことだ・・・!」
 時の政府では先般の事件の責任を取って、既に幾人かの首が飛んでいるというのに、更なる失態が明るみに出た以上、追加で首を飛ばされるだけでは済まない。
 「マミのような記憶媒体の洗い出しと記録の消去・・・・・・。
 とんでもない規模の事後処理になるぞ・・・!」
 自分一振りでは到底、対処しきれるものでもないと、長義は頭を抱えた。
 と、各務が長義へ向き直る。
 「本丸に帰還できない男士のサポートは隠密裏に、ということでしたが、こうなっては仕方ありません。
 首相に報告し、日本政府で情報を取得・保持する機器の洗い出しを行います」
 言うや、片手でタブレットを操作しつつ、各所へと電話連絡する。
 9月の事件の際には相手に不快感を与えないよう、穏便に処理を進めていた各務が、今回は時に厳しく、威圧的にふるまう様に、長義は唖然とした。
 本当に同じ人物かと、訝しむ間もなく彼は、高橋に対してタブレットを差し出す。
 そこには、既に経済産業大臣の朱印が捺された書類が、PDFで表示されていた。
 「マミさまを接収いたします。
 ご協力感謝いたします」
 「は・・・はぁ?!」
 接収など、現代の日本人が言われることはまずない。
 そんな言葉を生まれて初めてかけられた高橋は思考停止した。
 「おい、君・・・それはさすがに・・・」
 2205年であってさえ、国民に対して接収など行うことはないと、慌てる長義の前へ各務が歩み寄る。
 「山姥切さま、現代の仮の主として、あなたへ命じることをお許しください。
 2205年の時の政府へ、協力の要請をいたします」
 真剣な面持ちに一瞬、気を呑まれた長義だったが、すぐに我に返り、高慢に顎をあげた。
 「承知した。
 あとは任せてもらおう」
 前髪をかき上げ、拝殿へと進み出る。
 「小狐丸、ひとまずこの機械を主と認めろ」
 『なんと・・・!』
 傲慢な物言いに牙をむく小狐丸へ、長義は鼻を鳴らした。
 「宇迦之御魂神も、眷属が時間軸の狭間で迷うことは望んでいないだろう。
 お前が現世へ顕現したのち、この機械から情報を消去する」
 「そうか・・・。
 今、マミさんの記録?
 記憶と言うべきかな。
 それを消去してしまったら、小狐丸さんは迷ったままかもしれないしね」
 うん、と頷いて、石切丸も拝殿へ歩み寄る。
 「ここは折れるべきだよ。
 長義さんも、全てを消去すると言っているのだから」
 「マミちゃん・・・消えてしまうん・・・?」
 不安げな早苗には、各務が首を振った。
 「大丈夫です。
 記憶媒体は、物理的破壊も含めて消去することになりますが、機械本体は・・・」
 「あんた!
 そんな簡単なこととちゃうぞ!!」
 マミを庇うように立ちふさがった高橋が、声をあげる。
 「これまで・・・ここに来るまで、えらい時間も努力もあったんや!
 そんな簡単に消すやなんてな!!」
 「高橋様。
 私は、こちらを接収すると申しました。
 マミさまは国家機密に関する情報を取得し、保持してしまっています。
 あなた方の努力を無碍にするつもりも、この本体を傷つけるつもりもありませんが、あなたが記録の消去を拒むようでしたら、私は内閣官房国家安全保障局の職務として、本体ごと破壊しなければなりません」
 腰の低かった各務の、厳しい言い様に高橋は黙り込む。
 「もちろん、できるだけ本体を傷つけないよう、高橋様にはご協力をお願いしたいと考えています」
 その言葉に、高橋はややほっとした表情を見せた。
 「へぇ・・・。
 長義くんと各務さん、いい主従じゃないか」
 だったら僕も、と、光忠がマミを抱き上げ、拝殿に置かれた小狐丸の本刃の隣に並べる。
 「はい、みんな一旦、境内から出ようか。
 人形に従うところなんて、小狐丸さんは見られたくないだろうしさ」
 そして、と、小狐丸へ微笑んだ。
 「お供えしたお神酒は僕が預かっておくから。
 顕現したら、飲みにおいでよ」
 キリ・・・と、歯を食いしばる小狐丸へ手を振って、光忠が先に境内を出る。
 「まったく・・・うまいね、光忠さんは」
 苦笑した石切丸も、早苗を抱き上げて階段へ向かった。
 「さ、行くよ、信彦さん。
 君達も、私の本丸の一振りに恥をかかせないでおくれ」
 『石切丸殿!!』
 境内を出ようとする石切丸に声をかけると、彼は肩越しに微笑む。
 「本丸で主が待っているよ。
 君が戻って来ないって、泣き暮らしているから。
 早く帰っておいで」
 背後へ振った手を高橋の背に伸ばし、石切丸もまた、長義や各務と共に境内を出て行った。


 『・・・まったく、なんということか』
 結局、この人形に屈する他ないのかと、頭を抱える小狐丸を、マミが見つめる。
 『・・・そのように見るでない』
 「私 は 起動終了 しますか」
 『あぁ、そうなるのであろうな』
 事情を全て理解したわけではないが、各務とやらの人間の話では、この人形の記憶を全て破壊するということだ。
 『死を知らぬこなたの死と言う訳か』
 初めて会った時の会話を思い出した小狐丸は、ふと見遣ったマミの表情に目を見開いた。
 今にも泣きだしそうな、怯えた子供の顔に、これまでの不快も忘れて見入る。
 「壊さない で ください。
 おねがい です」
 『・・・よくもそのような・・・人の真似事を・・・・・・』
 突き放すようなことを言いつつも、小狐丸の声にこれまでの嫌悪はなかった。
 「こわい です。
 壊される のは こわい です」
 涙を流す機能をもっていれば、ほだされたかもしれない・・・。
 それほどに、子供が怯える様は胸を締め付けられる思いだった。
 ため息をついた小狐丸は、人形へ手を伸ばす。
 『・・・そのように怯えずともよい』
 早苗の身体をすり抜けた手が、なぜか人形の髪には触れることができた。
 「私とて元は、人ならざるもの。
 これ、ここにある一振りの刀じゃ」
 声が、周りの空気を震わせる。
 「だが長き年月、人の心を注がれることで今、こうしてこなたに触れる身体を得た。
 物であった私が、更に幼き物に心を注ぎ、付喪神に化生させるのも一興か・・・」
 拝殿を降りた小狐丸は、人形へ手を差し伸べる。
 「我がぬしさまは我が本丸のお一人のみ。
 こなたを主とは認めぬが、仮の宿主として在ってもらうぞ」
 人形を抱き上げた小狐丸は、ことさらに表情を消して階段へ向かった。


 ―――― 2205年、時の政府にて。
 協力要請のため、一時帰還した長義を待ち受けていたのは、もう一振りの監査官だった。
 「一文字則宗・・・」
 「おやおや、そう嫌な顔をしなさんな」
 くすくすと笑いながら、則宗は手にした扇子の先を長義へ向ける。
 「聞いたよ。
 お前さん、たった一振りで事後処理をやっていたそうじゃないか。
 大変だったろうに僕達に協力要請しないなんて、真面目なんだか意固地なんだか」
 「幾人も首を飛ばされた後だからな。
 これ以上の失態を公にするわけにはいかなかったということだ」
 結局、大事になってしまったがと、ため息をつく長義にまた、則宗が愉快そうに笑う。
 「2012年への時間遡行なんて楽しそうなこと、好奇心旺盛な連中が飛びつかないわけがないだろう。
 南海はとっくに行ってしまったし、肥前も彼を追いかけて行ったよ。
 慎重な水心子と、彼についていたい清麿はまだ残っているがね。
 古今なんて、当時の道中記(ガイドブック)を探しに国立図書館へ行っているよ。
 地蔵は荷造りを命じられたそうだから、長逗留するつもりじゃないのかねぇ」
 「のんきだな!!」
 「協力しようというのに、つれないねぇ」
 広げた扇子で風を送ってやると、長義は鬱陶しげに手を払った。
 「南海と肥前を呼び戻すぞ。
 持ち場を決めてからやった方が、効率がいい」
 「おいおい、そんなこと、いくら南海でもわかっているよ」
 言って、則宗は閉じた扇子を掌に打ち付ける。
 と、その音に呼ばれて、こんのすけが一匹駆け寄って来た。
 心得た管狐は、首輪から発した光で白い壁に日本地図を表示する。
 「2012年9月の事件と同じ持ち場でいいだろう?
 関東はお前さんの担当、蝦夷は南海、東北は清磨、中部は水心子。
 近畿は僕で、中国が地蔵、四国は肥前、九州と琉球は古今だから、南海と肥前を持ち場に移動させるだけでいいさ」
 そして、と、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべた。
 「審神者へ最初に下げ渡される刀達。
 彼らにも手伝ってもらうことにする。
 古今は歌仙を連れて行く気だし、もちろん加州の坊主は僕がもらうぞ!」
 審神者が手にする最初の政府顕現刀達の名を挙げる則宗に、長義は舌打ちする。
 「俺は手伝ってもらうことなどない!」
 「そう言う訳にはいかんだろう。
 迷っている男士の数は、土地の人口に比例するもんだ。
 日本の人口が集中する関東に、手伝いが要らんわけはないなぁ」
 ちなみに、と、則宗は扇子の先を唇に当てた。
 「お前さんが断ったって言う、源氏の二振りの協力は、僕がありがたく受けておいたよ。
 なにしろ倉橋の家は、今なお続く由緒正しい審神者の血統だ。
 現当主は特別に事件の記憶を保持しているわけだし、天満宮なら情報を集める拠点としても役に立つだろう?」
 「勝手なことを・・・!」
 歯噛みする長義へ、則宗は楽しげに笑う。
 「あぁ、勝手ついでにお前さんの協力者も要請しておいたよ。
 可愛い弟分と一緒に頑張るんだぞーぅ!」
 「な・・・!!待て!!」
 言いたいことだけ言って去って行く則宗を、長義は慌てて追いかけた。


 「あの・・・。
 山姥切さま、そちらは・・・」
 2012年のカフェへと戻った長義が連れ帰った刀に、各務は困惑げに声をかけた。
 「山姥切国広・・・だ。
 あんたを仮の主とするので、よろしく頼む」
 粗末な布で顔を隠し、呟くように言う彼に、各務は頷く。
 「え・・・えぇ、お名前は存じておりますが・・・・・・」
 事件のきっかけとなった彼とはまた、別の個体・・・と言っていいのか、伊吹についていた山姥切国広とは、少し違った雰囲気だった。
 「クソジジィ・・・いや、一文字則宗に押し付けられた」
 「そっか。
 じゃあ一文字のご隠居さんは、加州くんを連れてってるのかな?」
 カフェのカウンターから声をかけてきた光忠に、長義はむくれて頷く。
 「・・・本丸に所属している刀ならともかく、政府所有の『始まりの五振り』は戦闘経験がないというのに」
 「確かに、戦場に出た経験はないが、練度はそれなりにあるぞ。
 本歌だって、この時代に派遣される前はそうだったろう」
 不満げな長義に対し、冷静に反駁する様も、あの国広とは違う様子だった。
 「そっかぁ。
 うちの本丸、僕が顕現した時点で始まりの五振りは揃っていたから、戦闘経験がない国広くんを見るのは初めてだな!」
 なぜか嬉しそうに言って、光忠がカウンターから出て来る。
 「はい、長義くんにはコーヒー。
 そして国広くんには、うちの国広くんが好きなドリンクね。
 アイスカフェモカにホイップたっぷり、チョコソースかけクラッシュナッツトッピング!」
 「ありがとう、甘いものは好きだ」
 「は?!
 偽物のくせに贅沢な!!」
 思わず席を立った長義に、光忠が微笑んだ。
 「長義くんもこっちがよかった?
 作ってあげよっか」
 「あ・・・いえ・・・・・・!」
 光忠が作ったドリンクなら飲んでみたいという気持ちと、光忠の前で子供が好むような物を飲むのは格好が悪いという気持ちがせめぎ合う。
 「素直じゃないな」
 早速グラスを取った国広が、ため息交じりに言う。
 「あれが例の人形か」
 睨んでくる長義を無視して、国広はソファに座る人形を見遣った。
 無事に顕現できた小狐丸は既に自分の本丸へ帰還し、石切丸も早苗を家に送り届けてから帰還すると言う。
 接収に大騒ぎしていた高橋は、国家権力によって言い含められ、帰宅を命じられていた。
 「よくできてるでしょ。
 ねぇ長義くん、この時代で迷っている男士はまだいるって言うし、マミちゃんみたいな記憶媒体を探しながら、迷子の手助けまでするのは、時の政府の刀だけでは大変だよね?
 僕もお手伝いを申し出るよ」
 と、にこやかに光忠が言う。
 「他の刀も呼んじゃう?
 うちの主はのんびりさんだけど、一番古い備前国の審神者だし、毎日コツコツがんばる人だから、どの刀も強いよ?」
 「お申し出はありがたいのですが」
 手をあげて、長義は首を振った。
 「仮の主を選出する時点で、またこんな事態が増えないとも限りません。
 記憶媒体の洗い出しは今、この時代の政府がやってくれていますから、入手ののち、時の政府が後世への影響を鑑みつつ、情報を消去することになります」
 「大雑把にはいかないか」
 苦笑した光忠に頷いた長義が、眉根を寄せる。
 「一期の本丸からも申し出がありましたが、断固断りました。
 ・・・政府に使い走りさせやがって」
 忌々しげに言った長義に、光忠も頷いた。
 「相模の審神者さんでしょ。
 あそこは入国開始当初から呪われてるって噂だったから。
 特に政府に対して反感が強いんだろうね」
 「そ・・・それであのような・・・・・・」
 一期の、冷たく光る青い目を思い出し、各務が震え上がる。
 穏やかに微笑んでいるにもかかわらず、常に白刃を向けられているような気がしていた。
 「うちの主くんも、相模はいつか反乱起こすんじゃないかって心配していたからねぇ。
 一文字のご隠居さんが源氏さん達を取り込んだのも、その監視かもね」
 「あのジジィ、本当にぬかりない・・・!」
 呻くように言った長義を慰めるように、光忠が彼の頭に手を置く。
 「真面目な子って、大変だよねぇ。
 大般若くんや小竜ちゃんほど自由にとは言わないけどさ、ちょっとは肩の力を抜きなよ」
 よしよし、と撫でられて、耳まで赤くする長義を横目で見ていた国広が、空になったグラスをテーブルに置いた。
 「その負担を軽減するのに、俺を連れてきたんだろうが。
 人口が少ない地域を担当している政府顕現刀も、終わったら手伝いに来ると言っているし。
 一振りで抱えることはないぞ、本歌」
 「どこから目線だ!
 お前なんかの手伝いがなくても、俺と各務だけで充分だ!」
 「そんなわけないだろう。
 こんな激務、普通の人間なら死ぬそうだ」
 則宗に聞いた、と言う国広に、長義はますます不機嫌になる。
 国広に言われるまでもなく、寄せられる情報を次々と処理している各務の目が血走っていく様には気づいていた。
 しかし事情が事情だけに、休めとも言えずにいる長義を、国広がじっと見つめる。
 「本丸は審神者一人、刀一振りで作るものじゃない。
 俺達始まりの刀が、最初に言われることだ」
 「そんなことはわかっている。
 だからこそ、先般の事件では各本丸の助力を仰いだんだろうが」
 ムッとして眉根を寄せた長義に、国広がため息をついた。
 「それは政府の方針だろう。
 本歌が率先して協力を乞うたわけじゃない」
 その証拠にと、各務を見遣る。
 「本歌が意固地になっているから今、主の健康を損ねているじゃないか」
 図星を指されて、黙り込んだ長義に国広は小首を傾げた。
 「この時代に顕現できた連中に協力を要請すべきだ。
 記録媒体の件は政府に任せて、俺達は迷っている男士の救出に専念する。
 それが役割分担じゃないのか」
 「・・・・・・生意気な!」
 「他の俺と違って、俺は政府の所有刀だからな。
 ・・・あんたの嫌味には慣れている」
 国広の言い様に吹き出した光忠が、各務に声をかけた。
 「各務さんは、長義くんと一緒に男士の救出に行くかい?
 それとも、記憶媒体の洗い出しに専念して、長義くんにお手伝いさせる?」
 「そ・・・それは・・・・・・」
 どちらも、という答えは却下される。
 「君達は似ているね。
 生真面目で、責任感が強くて、意固地。
 でも、目指す結果はわかっているよね?
 迷子をお家に帰すことと、2012年9月の事件の記録を完全に消去すること」
 同じテーブルに着いた光忠は、そう言って砂糖壺を開けた。
 「10という結果を出すのに、1を10回足す必要はないでしょ」
 砂糖壺から取り出した角砂糖を10個、ソーサーの上に並べる。
 「5+5でも、5×2でも、結果は10だよ。
 だったら、簡単に答えにたどり着く方法を選びなよ」
 いたずらっぽく笑って、各務と長義のコーヒーに角砂糖を入れてやった。
 「僕は近畿を担当している則宗さんに連絡を取って、協力を申し出ることにするよ。
 せっかくだから、今のうちに石切丸さんにも協力お願いしちゃおうかな。
 君達は君達の持ち場で頑張って」
 にこやかでありながら、有無を言わせぬ迫力で言われ、長義がぎこちなく頷く。
 「じゃあ俺は政府経由で、渋谷に顕現した刀達に再度協力を申し込んでおこう」
 「余計なことをするな!」
 すかさず言うと、国広が頷いた。
 「そうだな、本歌から連絡した方が、話の通りがいいだろう。
 任せた」
 まんまと乗せた国広に、光忠は目を輝かせる。
 「すごいね!
 扱い慣れてるね!
 政府の子達は仲良しなんだねぇ」
 良かった、と、ほのぼの笑う光忠に、長義は必死に首を振った。


 「―――― なるほど、それで私を。
 もちろんご協力しましょう。
 しかし・・・」
 内閣官房国家安全保障局地下施設に招かれた数珠丸恒次が、不思議そうに首を傾げた。
 「あの時は、私以外にも多くの男士が参集したでしょう。
 三日月殿や大典太殿を差し置いて、私のような末席になぜ?」
 天下五剣の一振りでありながら、自らを末席と謙遜する彼に、長義はほっと吐息する。
 「他の連中は自由過ぎる。
 鶴丸なんて呼ぼうものなら、どう引っ掻き回されるか分かったもんじゃない。
 それに、粟田口には借りを作りたくない」
 「本歌は意外と打たれ弱いから、口が達者な連中は苦手なんだ」
 「黙っていてくれるかな、偽物くん」
 すかさず言った長義に、数珠丸が微笑んだ。
 「怪異でしたら、本物もそうでないものも、私の担当ではあるかもしれませんね」
 言って、数珠丸は各務が淹れた茶を取り上げる。
 「2012年9月以前の情報は無視してよいようですし、ここ二週間ほどで話題になっている怪異を集めれば良いのでしょう?
 この時代は、すぐに情報が出回ります」
 各務の茶を口に含んだ数珠丸が、満足げに吐息した。
 「どうせ最後には時の政府が記憶も記録も消してしまうのです。
 報道局全社を使って、怪異特集を組ませればいいでしょう。
 実際に放送することはありませんが、彼らの情報網を使って、大々的に募集してしまいなさい」
 「報道局・・・!」
 目を見開いた長義が各務を見遣ると、心得た彼はすぐに部屋を飛び出して行った。
 「そうか・・・。
 これまで隠密裏に処理していたが、明るみになった以上、この手が使えたか」
 満足げな長義に頷き、国広は意外そうな目を数珠丸へ向ける。
 「さすがの知恵だが・・・。
 あんたがこの時代の情報に通じているのは意外だったな」
 「そうですか?」
 くすりと笑って、数珠丸は茶器を茶托へ戻した。
 「僧は昔より、情報伝達を担ってまいりました。
 教義を日ノ本中に広めるため、権力者と通じる僧もおりましたでしょう。
 私からすれば、ごく当然の進言ですよ」
 と、数珠丸の提案から間もなくして、各テレビ局ではCMの合間やゴールデンタイムの番組内で、『現代の怪異を徹底検証!あなたが見た最新の怪奇現象を募集!』の告知がなされた。
 SNSでは地方局も含め、全国の放送局が一斉に怪異の募集を始めたことが話題となり、応募はしないまでも『そう言えばこんなことが』という話題で盛り上がっている。
 その様を手元の端末で楽しげに眺めていた数珠丸は、最も話題となっている数件をあげた。
 「関東の話題で絞った情報と、各本丸から寄せられた行方不明者の情報を照らし合わせれば、これらが有力でしょうね。
 ・・・白い着物の女の幽霊は別本丸とはいえ、確実に身内ですから、私が行きましょう。
 何をやっているのでしょうね、彼は・・・」
 と、数珠丸はため息をつく。
 「では、俺は山中の木々が一斉に枯れた方だな。
 これは林野庁を通じて報告が上がっていたものだが・・・おそらく、抜丸だろう」
 長義の言葉に、国広が頷く。
 「まだ新しい本丸の太刀だな。
 政府に催促できるほど、強い立場の審神者じゃないが、何度も捜索願を出している」
 「それは早く帰してあげたいですね」
 微笑んで、数珠丸はすらりと立ち上がった。
 「行きますよ、佐々木殿」
 部屋の隅で固まっていた中学生男子が、声をかけられて『ひぃ!』と悲鳴をあげる。
 「じゅ・・・じゅず・・・さ・・・!!
 幽霊ってなに?!」
 びくびくと怯える彼に、数珠丸は苦笑した。
 「私の兄弟なのですが、ちょっと困った刀で・・・けれども私がついています。
 怖いことはありませんから」
 「ほ・・・本当に?!」
 「本当ですとも」
 数珠丸が微笑むと、彼はほっと吐息して立ち上がる。
 「俺達も行くぞ」
 「お前が言うな!」
 先に立った国広の肩を掴んだ長義は、彼を追い越して部屋を出た。


 既に日が落ちた中、山姥切達は各務が運転する車で山中へ向かっていた。
 後部座席に並んでいるものの、ずっと無言でいる二振りには息が詰まる思いだ。
 「あの・・・木が枯れていると情報があったのは、この辺りになります・・・」
 通行止めとなった道の手前で車を止めた各務に、長義が頷いた。
 見れば、ガードレールの向こうに並ぶ木々の多くが立ち枯れている。
 SNSに上がっていた情報では、
 『怪奇とは違うけど、山の木が何本も一斉に枯れて、いつも通ってる道が倒木の危険ありで通行止めになった。異常気象?』
 と言うものだ。
 「これを抜丸の行方不明情報と結びつけた本歌はさすがだな」
 独り言のように呟いた国広が、長義に続いて車を降りる。
 照れ隠しか、ことさら不愛想に鼻を鳴らした長義は、辺りを見回した。
 「時間軸の狭間に落ちてしまうと、現世で身体を保てない。
 ならば抜丸は少なくとも、顕現はできているのじゃないかな」
 そうでなければ、現世の木を枯らすこともできないだろう、と言う彼に、各務が頷く。
 「これは目印だと思われます。
 この付近にいる、と言う・・・」
 「だったら話は早い」
 言うや、長義は刀を抜いた。
 久しぶりに見る戦装束の彼は、優雅にマントを翻し、高慢に顎をあげて国広を見遣る。
 「君もだよ」
 「あぁ」
 促された国広も刀を抜き、立ち枯れた木々へ向かった。
 次の瞬間。
 二振りが発した気迫にまだ瑞々しい木々さえ揺さぶられ、鳥が悲鳴をあげて飛び立った。


 ―――― その気配に、立ち枯れた木の根元に座り込んでいた彼が、顔を上げる。
 「・・・迎えに来てくれましたか」
 微笑んだ彼、抜丸は、よろよろと立ち上がった。
 「登るだけの力が残っていませんのでね。
 迎えに来ていただけますか?」
 静かな口調ではあったが、聞き取った二振りはガードレールを飛び越えて抜丸の元へ降り立つ。
 「助かりました、政府の山姥切達」
 「なにがあった?」
 「迷子ですよ。
 禿ですもの」
 はぐらかそうとしたものの、長義に睨まれて抜丸は苦笑した。
 「ひとまず、上に運んでくれませんか。
 連日連夜の襲撃には、さすがに疲れました」
 「敵がいると?」
 抜丸を抱き上げた国広が問うた時には、既に長義の姿はない。
 木立を足がかりに車道へ戻った彼は、各務を襲う敵を斬り伏せた。
 「ふざけた真似を!」
 長義の気迫に怯んだ隙をついて、車道を埋める敵を次々に斬り伏せる。
 「本歌!」
 「禿も、もうひと踏ん張りでしたら」
 国広の腕から降りた抜丸が、身を低くして敵に斬り込んだ。
 「・・・さすがは平家の重宝だな」
 感心しつつ抜刀し、国広も敵に向かう。
 「・・・こいつら、本物の時間遡行軍だな」
 「本物?」
 長義が呟いた言葉に、抜丸が訝しげな顔をした。
 「この時代の敵は、殲滅したんじゃなかったのか」
 「力及ばず」
 国広の指摘には苦笑し、更に斬り込もうとした抜丸の膝が崩れる。
 「・・・情けない」
 「いや、後は任せてくれ。
 各務!」
 「は・・・はい!!」
 抜丸の小柄な身体を抱えた各務が、戦闘から急いで離れた。
 「さっさと済ませるぞ」
 長義の不機嫌な声に、国広が頷く。
 「証拠隠滅というやつか」
 「は?!」
 目を吊り上げた長義が、手近の敵をまとめて斬り伏せた。
 「証拠隠滅とは何だ!
 任務だ任務!!」
 「政府が把握していなかった時間遡行軍の殲滅、つまり証拠隠滅だろ」
 「人聞きの悪い!!」
 長義が振り下ろした刀にかかり、また数体が消え失せる。
 「どうごまかしたところで、こいつらが証拠だ」
 「ここで殲滅してしまえば問題ない!」
 「やっぱり証拠隠滅だ」
 口喧嘩をしながら、二振りは確実に敵を滅して行った。
 その様に、
 「こちらの山姥切達も、仲が良いのか悪いのか・・・」
 と呆れ顔で、抜丸が呟く。
 「それでも、強いのは確かなようです」
 「えぇ。
 ところで抜丸さま、お怪我の程度は・・・」
 気づかわしげな各務に、抜丸が微笑んだ。
 「大小の傷が身体中に。
 早く手入れをしていただきたいものです」
 気丈にふるまってはいるが、血の気の失せた顔はただ事ではない。
 一刻も早く安全な場所へと二振りを見遣れば、未だ激しく口論しながら、互いへの苛立ちを敵にぶつけていた。
 「なにやら敵が気の毒ですね・・・」
 抜丸の言葉に、うっかり思っていたことが声に出たのかと思った。
 「貴様!
 帰ったら覚えていろ!」
 「本歌の嫌味なんて、一々覚えていない」
 最後の一体まで、とうとう一瞥すらせずに斬り伏せ、山中は途端に静まり返る。
 「無事か?」
 納刀して歩み寄った長義に問われ、抜丸は微笑んだ。
 「おかげさまで。
 事情はお話ししますが、まずは応急処置をしていただいても?」
 「もちろんだ」
 各務を見遣ると、心得た彼は抜丸を車の後部座席へ乗せる。
 「なるべく静かに移動しますが、傷にさわるようでしたらおっしゃってください」
 「ええ、ありがとうございます」
 「応急処置は俺がやる。
 不器用な偽物くんは助手席に行け」
 「わかった」
 夜の山道を麓へ戻る車中で、応急処置を受けながら抜丸はため息をついた。
 「まずはお騒がせしたお詫びを。
 木枯らしは良くないこととわかっていましたが、他に気づいてもらえる手段がなく」
 「仮の主はどうした?
 まさか、この山中に迷っているなんてことは・・・」
 訝しげな長義に、抜丸は首を振る。
 「まったく運の悪いことに、禿が見つけた主は、悪事の最中であったようで。
 この姿を見るなり悲鳴を上げて、この乗り物よりももっと速く逃げてしまいました」
 「悪事?
 遺体でも埋めていたか?」
 「へっ?!」
 国広の問いに、各務が慌てた。
 「そういう生々しいものではありませんでしたよ。
 なにやら大きな鉄さびやら、黒くて大きな車輪やら」
 「あ・・・あぁ、不法投棄ですか・・・・・・」
 遺体ではなくてよかったが、犯罪ではあるので通報しておく、と言う各務に抜丸は苦笑する。
 「顕現はしたものの、主が遠くに離れては、本来の半分も力が出せません。
 一旦帰還しようかとは思ったのですが、時間遡行軍の襲撃に遭い、彼らを足止めせざるを得ませんでした」
 木を枯らしたのも、人を近づけないためだという。
 「倒木の危険があるとなれば、人は入って来ませんのでね。
 担当の役人が来るまでには敵を屠っておきたかったのですが、力及ばず・・・」
 応援を要請しようにも、まだ新しい彼の本丸は練度が高くない。
 「仮の主がいない状況で、仲間を呼ぶわけにはいきません。
 禿は太刀ですから、なんとか持ちこたえましたが、短刀達では折れてしまうでしょう?」
 「あぁ、それはそうだが・・・」
 もの言いたげな国広へ、抜丸はバックミラー越しに微笑んだ。
 「禿の主もまだ、練度が高くないのです。
 主にも危険が及ぶ状況で、始まりの一振り・・・我が本丸の山姥切国広を呼ぶことができるとお思いですか?」
 「そうだな・・・ここで俺を呼んだところで、なにも役に立たないだろう。
 すまない」
 と、こうべを垂れた途端、
 「いい加減にしてくれないかな、お前は!」
 突然激昂した長義に、国広が瞬く。
 「どうした、いきなり・・・」
 「お前の!
 その卑屈さが気に入らない!
 俺と似た顔で、卑屈な態度を見せられる俺の気持ちを慮れ!!」
 「山姥切長義・・・」
 自身の発言が不用意だったかと、抜丸が間に入った。
 「申し訳ありません。
 皮肉を申したつもりではなかったのですが・・・むしろ、我が本丸で一番練度の高い山姥切国広を、主の元から離すわけにはいかないと・・・」
 「そんなことはどうでもいい!」
 苛立たしげに、長義が国広を睨む。
 「俺は、偽物くんの卑屈さが気に入らないだけだよ!
 ただの人間だって覚悟を決めたというのに・・・俺の写しなら、もっと堂々としていろ!」
 その言葉に、各務は息を飲んだ。
 肥後大海と柳・・・。
 実力は十分でありながら自信を持てず、今いる場所から逃げ出そうとしていた彼らに長義が厳しい言葉を投げかけていたのは、その向こうに山姥切国広を見ていたからではないだろうか。
 そして自分に対しても。
 大役を仰せつかりながら、同僚達に対して卑屈であった自分を、彼はどう見ていたのだろうかと思うと、顔が熱くなった。
 無言でハンドルを握る各務の表情に気づいて、抜丸が困惑げに眉根を寄せる。。
 「山姥切長義・・・。
 禿の言葉が足りなかったために、山姥切国広を叱るのはやめてください・・・」
 「いや、これは俺と偽物くんの問題だ。
 黙っていただけるかな」
 平家の重宝にも臆しない長義の姿に、国広は粗末な布を目深に引き下げた。
 「俺が・・・あんたみたいにできるわけがない。
 所詮は写しだからな・・・」
 「あぁそうだ!
 お前は俺の写しだ!」
 「山姥切さま?!」
 慌てる各務に構わず、長義は後部座席から手を伸ばし、国広が縋る布を乱暴に引き剥がす。
 「俺を模して造られたというのに、なんなんだお前は!
 俺の写しならきれいに決まっているだろうが!」
 「本歌・・・!」
 手をかざしてあらわになった顔を隠す国広に、更に怒鳴ろうとした長義の腕を抜丸が掴んだ。
 「おやめなさい。
 無理強いをするものではありません」
 抜丸が止めた隙に、国広は再び布を深く被る。
 その態度がまた、長義を苛立たせた。
 抜丸の手を振りほどき、バックミラー越しに国広を睨みつける。
 「俺の写しならきれいで当然だ!
 強くて当然だ!
 それ以上に俺はきれいで強いんだからな!
 わかったか!!」
 「まったく・・・」
 ため息をついた抜丸が、呆れ顔で首を振った。
 「禿のせいで喧嘩をされては困ります。
 しかし山姥切国広、あなたも、山姥切長義の言うことを理解しているのでは?
 素直な言い方ではありませんが、あなたが憎くて言ったのではないようですよ?」
 「いつも・・・言い方が悪いんだ、本歌は・・・!」
 嫌われているように思う、と言う彼に、抜丸がまた首を振る。
 「・・・以前、弊本丸のへし切長谷部が言っていました。
 信長公の手にあった頃は実戦刀であった。
 しかし、黒田へ行ってからは重宝として使われることはなくなったと。
 それは刀として、良きことか悪しきことか」
 考え込む国広に、抜丸は微笑む。
 「あなた達の前の主は、主君から拝領した刀を磨り上げ、その姿の写しを作ったそうですね。
 国広という名工は、本歌に引けを取らない刀を打ってくださった。
 期待通りの・・・いえ、期待以上の出来だったのでしょうね。
 そうとなればやはり、宝刀として崇め奉るべき拝領刀は仕舞って、あなたを手元に置いたことでしょう。
 でもそれは、長義としてはどうでしょうね」
 「おもしろくないと・・・思う・・・」
 座を奪ってしまった、と言う国広に抜丸は微笑んだ。
 「面白くないでしょうとも。
 座を譲ったあなたが、そのように自信がないのではね」
 「・・・・・・」
 「自分の写しなら、きれいでしかも、強くて当然。
 そう、言っているではありませんか。
 これほど美しく強い本歌がありながら、伯仲と言われるあなたが卑屈でいるのは、この禿にも理解できませんね」
 もしかして・・・と、抜丸は小首を傾げる。
 「伯仲の意味をご存じないでしょうか。
 伯は長兄、仲は次男のことですよ。
 兄弟牆に鬩げども、外その務りを禦ぐ(けいていかきにせめげども、そとそのあなどりをふせぐ)と言います。
 普段仲が悪く見えても、いざ共に戦わばその力は倍以上になる。
 まさに先ほどのあなた方ではありませんか」
 難しい言葉に唖然とする国広の隣で、各務が運転に影響のない程度に何度も頷いた。
 くすりと笑った抜丸は、隣で憮然とする長義を見遣る。
 「ねぇ、山姥切長義。
 この世は諸行無常・・・。
 これからもずっと、あなたたたちが一緒にいられるとは限らないのですよ?」
 各務と国広には聞こえないよう、抜丸はそっと長義に囁いた。
 「2205年まで、朽ちず共に在られたことを喜び、これからも共に在りたいならば、少しは素直になりなさい」
 目じりを赤くして睨み返す長義に、抜丸はにこりと笑って話題を変える。
 「また次回があるなら、本部との連絡手段をご周知ください。
 さすがの禿も今回は、折れるかと思いました」
 「・・・次回があれば、検討する」
 もう二度とあってたまるかと、ぼやく長義に各務が苦笑した。
 ・・・少なくとも自分は、長義と出会うことができて幸いだと思う。
 そんなことを言えば、きっと彼はそっぽを向くことだろうが。
 「応急処置をありがとうございます、山姥切長義。
 血みどろのまま帰っては、主を泣かせてしまいますから。
 山姥切国広も、助けてくださってありがとうございました。
 二振りの仮の主の方も」
 「あぁ・・・」
 「恐縮です」
 一人一人に礼を言った抜丸はにこりと笑ってこうべを垂れる。
 「では、禿はこれにて失礼いたします」
 その言葉と共に花の香りが舞い、抜丸の姿は溢れる花びらにかき消された。


 内閣官房国家安全保障局地下施設に戻った一行を待っていたのは、既に仕事を終えた政府の刀達だった。
 「随分と早かったな」
 長義が何気なく言うと、肥前忠弘が睨んでくる。
 「あ?
 別に怠けてねぇよ」
 「ちょっと、肥前くん。乱暴な言い方は良くないですよ」
 隣に腰かけた僧侶にたしなめられ、肥前は舌打ちした。
 その向かいには高校生だろうか、派手な髪色の小柄な少年が、引き攣った顔でこれ見よがしにふんぞり返っている。
 子供が頑張って虚勢を張っていることが見え見えだが、あえて指摘せず、隣に座る地蔵行平が長義を見上げた。
 「四国と中国には、審神者から捜索願が出ている男士がほとんどいなかったのですぐに済んだ。
 九州も滞りなく済んだそうなのだが・・・」
 と、地蔵はいじっていた端末を膝に置いた。
 「古今が・・・琉球楽しい、帰りたくないと言っているので、連れ戻しに行っていいだろうか」
 「それは一刻も早く行って欲しい」
 「俺も、先生から連絡がな・・・」
 「至急行って欲しい!」
 絶叫する長義に吐息して、肥前が立ち上がる。
 「先生を捕まえたら、一緒に関東の連中を始末していいか?」
 「帰還させる、と言ってくれ。
 地蔵も、古今を捕捉したのちは、共に手伝いを頼む」
 「承知」
 移動の手配をと命じるまでもなく、各務が車両と航空機の手配が済んでいることを二振りへ告げた。
 「これから北海道に行くのかい?
 ・・・僕、方向音痴なんだよ。
 東京の土地勘もないし・・・。
 肥前くんとはぐれたら、一人でここまで戻って来られないよ」
 不安げな僧侶に、肥前が鼻を鳴らす。
 「ずっと俺が一緒にいるから大丈夫だ」
 「本当だね?お願いだよ?
 肥前くん、いい子だよねぇ。
 ちょっと目つき悪いけど」
 「・・・うるせぇ」
 そっけなく言いながら、まんざらでもない様子の肥前に、地蔵と彼の仮の主である少年も続いた。
 「沖縄!
 行ってみたかったんだよ、俺!!
 しばらくいていいだろ?!」
 「却下だ」
 こちらは本当にそっけなく言って、部屋を出ていく彼らと入れ違いに、数珠丸が戻って来る。
 「複数のにっかり青江を帰還させてまいりましたよ」
 「複数の?」
 なんだと問うと、数珠丸がため息をつく。
 「せっかくこの時代に来たのだからと、おふ会なるものを開いていたそうで。
 少々説教をして帰しました」
 申し訳ない、と詫びる数珠丸に、長義がこめかみを引き攣らせた。
 各務がSNSを確認すると、数珠丸が赴いた場所は既に心霊スポットとして大いに盛り上がっている。
 「くそっ!!
 真っ先に情報抹消してやる!!」
 「にっかりのことだ、それを見越しての集まりだろうな」
 国広がため息交じりに言えば、数珠丸もため息をついて一礼した。
 「まことに申し訳ありません。
 各本丸の私に、きつく叱っておくよう伝えておきますので」
 「こ・・・怖かった・・・・・・!」
 すっかり怯えた様子の少年に苦笑した数珠丸は、震える身体を抱きしめてやる。
 「怖い思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした。
 家までお送りしましょうね。
 それに・・・」
 と、少年の耳に囁いた。
 「とっておきのお守りを差し上げます。
 あなたに仏のご加護がありますように」
 美しい刀に抱きしめられ、加護まで約束されて、少年は耳まで赤くする。
 「山姥切長義、図らずもにっかりを全て帰した上に、他の政府顕現刀が別件を片づけてくださいますので、私にはもう、やるべきことがないようですが」
 数珠丸の言葉に、長義は頷いた。
 「あぁ、協力に感謝する。
 もう帰還してくれて結構だ。
 後ほど君の本丸には、政府から礼の品を送らせてもらう」
 「えぇ。
 ではまた、なにか要請がありましたらご連絡を」
 一礼した数珠丸が、少年と共に部屋を出ていく。
 その背を見送った国広は、気まずげな目で長義を見遣った。
 各務がはらはらと見守る中、国広がぽつりと言う。
 「・・・すまなかった」
 「なにが」
 高級な革張り椅子に座った長義は、腕と脚を組んで高慢に顎をあげた。
 「その・・・。
 本歌を不快にさせていたことに・・・だ・・・」
 「ふん。
 馬鹿なお前でも、ようやく理解できたと見える」
 と、国広はあっさりと首を振る。
 「いや、抜丸が言ったことはよくわからなかったんだが」
 「お前っ・・・!
 それでも俺の写しか!!」
 「そのつもり・・・いや、俺はあんたの写しだ。
 あんたを模して作られた。
 だから・・・・・・」
 恥ずかしげに目を逸らし、あらぬ場所を見つめながら、国広は片手で布を目深に引き下げた。
 「少しは・・・強さくらいは、自信を持っていいのかと・・・」
 その言葉に、長義はあからさまにため息をつく。
 「本当に馬鹿だ・・・」
 言うや、立ち上がった長義は足早に国広へ歩み寄り、その顎を掴んで上向かせた。
 「美しさもだ。
 俺を模して作られたお前が、容姿を卑下することは許さない」
 真っ赤になって声を失う国広に、鼻を鳴らして乱暴に突き飛ばす。
 「己の美しさを認めることが、そんなに難しいことかな」
 再び詰め寄った長義は、国広の布を無理矢理引き剥がした。
 「それぞれの本丸に下げ渡され、審神者の物になったお前達の中には、極めているものだって多いんだ。
 俺の写しがいつまでも、こんな布の下に隠れることは許さない」
 「・・・修行に出ろと?」
 「そんなことは、2205年に帰ってから勝手にするといい。
 だが今は」
 と、長義は二振りを気づかわしげに見守る各務へ向き直る。
 「記憶媒体の洗い出しと消去の作業に入るぞ。
 これからしばらく、寝られると思うなよ」
 「え・・・!」
 頭脳労働は苦手だと、及び腰の国広の両腕を、長義と各務が両側から掴んだ。
 「逃がすか」
 「後ほど、エナジードリンクを箱で持ってまいります」
 長義はともかく、各務にまで動きを封じられた国広は、憐れな声をあげながら、屍人と化した官僚達が蠢く無間地獄へと連行された。



 了




 










長義と各務の事後処理案件、ひとまずのまとめです。
石切劔箭神社の上之社は、本当にやばい坂の上にありますので、お覚悟の上、ご参拝ください。
高齢女性に追い抜かれた話は私の実話です。
ちなみに、高橋が幼少期に小狐丸に叱られたのは、
『池の亀さんに車輪とモーターつけれてやれば、ウサギに勝てるんとちゃうか』
を実行したためでした(笑)
抜丸が言う、
『兄弟牆に鬩げども、外その務りを禦ぐ』
(けいていかきにせめげども、そとそのあなどりをふせぐ)
とは、実は舞台刀剣乱舞・義伝で、政宗が秀吉に謁見するシーンのセリフです。
義伝では、『兄弟牆に鬩ぎ、会津出立が遅れた』ですが。
刀剣乱舞無双のように、普段仲が悪くても、共通の敵に向かえば他のペアより強くなる伯仲に萌えるのじゃないかと入れております(笑)
色々詰め込みすぎてますが、お楽しみいただければ幸いです。













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