〜 月夜月夜に 〜






 長雨もようやく終わり、夏の虫が夜を賑わせる頃。
 和泉守兼定は一人、庭の見える部屋で月見酒を決め込んでいた。
 「―――― 恋し恋しとなく蝉よりも なかぬ蛍が身を焦がす・・・ってな」
 機嫌よく笑いながら、池の周りでぽつぽつと光るさまに目を細める。
 「うるさい国広は明日の昼までいねぇし・・・今夜はゆっくり飲めるってもんだぜ。
 主に感謝だな!」
 そして明日は昼まで寝ていようと、楽しい計画につい、頬が緩んだ。
 手酌が少し惜しいが、この時のために隠し持っていた美酒に、月の姿を映す。
 「三日月の 水の底照る 春の雨・・・って、もう季節はずれか。
 あー・・・夏の句はなんだったかな・・・」
 前の主が残した句を思い出そうと、彼は庭へと目を向けた。
 「んーっと・・・あぁ、そうだ」
 笑みを浮かべて盃を干し、空になったそれを、池のはたでそよと揺れる花へ差し向ける。
 「白牡丹 月夜月夜に 染めてほし」
 呟いた途端、笑みを浮かべていた口元が奇妙に歪み、ふるふると震えた。
 「・・・単なる刀だった時はなんとも思わなかったが・・・!
 これってつまり、そういう・・・・・・?」
 酒のせいだけでなく、頬を紅くして慌てて辺りを見回す。
 「だ・・・誰も聞いてねぇよな?!」
 国広がいない事は確かだが、他の誰か・・・清光や安定に聞かれたら、きっと本丸中に触れ回った挙句、何日も笑い者にするに違いなかった。
 慎重に確認し、誰の気配もないと、ホッとした瞬間。
 「今の句、そう言う意味ですか?
 やーらしー」
 そっと開いた押入れの隙間から声がして、兼定は飛び上がった。
 「だっ・・・誰だ?!」
 思わず刀の柄に手を掛けた目の前で襖が開き、浴衣姿の秋田藤四郎が恐れげもなく出てくる。
 「僕です。
 兄弟たちとかくれんぼしてたんですけど、また見つけてもらえませんでした」
 押入れの襖を丁寧に閉めた秋田は、不満顔で寄って来た。
 「それより今の、三日月さんに向けての句ですか?
 それともまさか・・・最初に言ってた、蛍の方?
 蛍丸君にあんな句を寄せたら、間違いなく一刀両断ですよ」
 くわばらくわばらと、首を振る秋田以上に兼定は首を振る。
 「そんなわけないだろうっ!!
 あれは・・・!」
 「じゃあ三日月さんですか。
 あの人も嫌がると思うなあ。
 まぁ、三日月さんはお公家さんですから、きっと今までに見たことないようなきれいな笑顔を見せてくれた後、二度と姿を見せてくれないでしょうね。
 はっきり断られなかったからって、希望を持ち続けたらかえって辛いですよ?」
 「だから!違うっつってんだろ!!
 あれは前の主が詠んだ句で、今の主だって知ってる、有名な発句集にある一句だ!」
 真っ赤になって迫る兼定を、秋田は疑わしげな半眼で見つめた。
 「僕もお断りですよ。
 いち兄に怒られますから。そして和泉守さんは斬られますから」
 「変な心配すんなっ!
 そんで兄貴に余計なこと言うな!!」
 何か言う場合は主立ち会いのもとで、と必死な兼定に秋田はようやく頷く。
 「そこまで言うなら信じてあげます。
 主君も知ってる句なら、間違いないでしょうし」
 お邪魔しました、と一礼した秋田を、兼定はまだ顔を紅くしたまま睨んだ。
 「お前・・・いつからいたんだよ。
 かくれんぼったって、こんな夜更けにやるもんじゃないだろ!」
 本当は何か別の目的が、と疑う彼に、秋田は首を振る。
 「言ったでしょ、また見つけてもらえなかったんです。
 僕・・・かくれんぼ得意なんですけど、得意すぎていつも忘れられちゃうんです」
 ふてくされた口調の秋田は、わざとらしい程に大きなため息をついた。
 「今日だって夕餉の後に始めたんですけどね。
 その間、厚兄は何度もここの前通って、襖だって開けたのに、気づかずに行っちゃいました。
 博多くんや後藤くんがいれば、参加人数覚えててくれるし、薬研兄がいれば、僕がいないことに気づいてくれるんですけど、厚兄はそういうところ適当で・・・。
 だから僕、厚兄とかくれんぼするのやなんです・・・もう遊んであげません」
 頬をふくらませる秋田の姿に、兼定もため息をつく。
 「そりゃ難儀だったな・・・俺も」
 厚がさっさと見つけてくれていれば、自分がこんなにも気まずい思いをすることはなかったのにと、子供相手にぼやいてしまった。
 「こんな時間ならいい加減、遊びも終わってんだろ。
 厚に文句でも言いに行けよ」
 そして俺は飲み直しだと、冷やした徳利を取る手をふと止める。
 「秋田・・・お前、死んでるぞ」
 「は?なんですか、いじわるですか?」
 散々いじったからと、頬を膨らませる秋田に、兼定は首を振った。
 「そうじゃなく、襟の話だ。
 お前、いつも洋装だから、浴衣着慣れてねぇんだろ」
 と、兼定が自身の着物の襟を指すと、やはり自身の襟を見下ろした秋田が、『あ』と声を上げる。
 「襟あわせ・・・逆でした」
 「な?死んでるだろ」
 和服の襟は、左側が前でなければならないが、今、秋田が着ている浴衣は右側が前・・・死人の装いだった。
 「・・・みんな教えてくれればいいのに」
 ため息をつきながら、兵児帯(へこおび)の結び目を前に回して解く秋田に、兼定が笑い出す。
 「今日はみんな死んでんのかもな!
 それにしてもお前が浴衣なんて珍しいな。どうかしたのか?」
 問うと、ふくらんでいた頬がしぼんで、笑みが浮かんだ。
 「いち兄があつらえてくれたんです。
 蜂須賀さんが主君と浦島君にって、地元から阿波しじらの反物を取り寄せたそうなんですけど、せっかくだから粟田口もどうぞって、おすそ分けしてくれたんですって」
 涼しげな縞模様の袖を振る秋田に、兼定は感心したように頷く。
 「一期一振は裁縫まですんのか。
 保護者ってのは大変だな」
 何気なく言うと、秋田は呆れたような、どこか馬鹿にしたような目で兼定を見やった。
 「もちろん、仕立て屋さんに頼んだに決まっています。
 庶民の方って、自分で縫うんですねぇ・・・」
 すごいな、などと口では言いながら、遥か上から目線で言われ、兼定は舌打ちする。
 拗ねている子供は扱いづらいと知ってはいたが、そこに身分が加わると面倒なことこの上なかった。
 「浴衣も一人で着られねぇなら、庶民で結構だってんだ。
 ・・・いつまでもたもたやってんだよ。
 貸してみろ」
 長く柔らかい帯を足に絡めてしまい、動きにくそうにしていた秋田を手招いて寄せると、腰紐を解いて逆だった襟を正しく合わせてやる。
 「こうやって、襟先を腰骨に合わせてやるとカッコよく・・・」
 「おや・・・。
 まだ宵の内から子供を襲うなんて、いただけないねぇ・・・」
 濡れ縁の際からそっと覗き込む目の不気味さに、驚いた兼定が思わず腰紐を締め上げ、秋田が悲鳴を上げた。
 「にっ・・・にっ・・・にっかりか?!その声はにっかりだな?!」
 悲鳴じみた声の誰何を受けて、濡れ縁の際にしゃがみこんでいたにっかり青江がゆらりと立ち上がる。
 「明かりもついていない部屋で声がするから、幽霊でも出たかと思って来てみたんだけどねぇ」
 残念、と、怪しい笑みを貼り付けて言うにっかりに、秋田が震え声を上げた。
 「そ・・・そっちこそ幽霊かと思いましたよ!!」
 「ななな・・・なに言ってんだ、お前ら!
 い・・・いるわけねぇだろ、そんなもん!!」
 必死に声の震えを抑えようとする兼定に、部屋に上がりこんだにっかりが顔を寄せる。
 「そんなことないよ?
 幽霊はね、ちゃあんといるんだよ?」
 にたりと笑い、目にかかる長い前髪をかき上げると、血のように紅い瞳が怪しく光った。
 「じゃあひとつ、話してあげようかな。
 これは僕が、実際に会った幽霊の話なんだけどねぇ」
 「なに当たり前のように話してんだよ!
 俺はそんな話聞きたく・・・」
 「え、僕は聞きたいです!
 にっかりさんの由来なんですよね?」
 興味津々と寄って来た秋田に、にっかりは嬉しげに目を細める。
 「そうそう、とっても有名な幽霊話だよ」
 畳の上に放り出されたままの兵児帯をたぐり寄せたにっかりは、秋田の腰にするすると巻いてやった。
 「こーんな、小さい子だったよ。
 可愛い女の子でねぇ・・・母親らしき女の手に抱かれていたんだけど」
 片輪に結んでやった帯をぽんと叩くと、秋田の軽い身体がととと・・・と、兼定に寄る。
 「こうやって、つたない足取りで寄って来た子の首を、ばっさりと斬ってやったんだ。
 すると、幼女は目の前ですーっと消えてしまって」
 「ひっ・・・!」
 思わず避けた兼定の傍に、秋田が膝をついた。
 「いった・・・!
 なんでよけるんですか!」
 「い・・・いや、別に・・・!」
 「うふふ・・・v
 兼定の怯えるさまを嬉しげに眺めながら、にっかりは続ける。
 「それでね、幼女が消えた途端、今度は女の方がにっかりと笑いながら近づいて来て・・・・・・言うんだ」
 怪しい笑みを浮かべ、にじり寄ってくるにっかりから、兼定はのけぞって逃げた。
 「私も抱いて・・・!」
 「わぁぁぁぁぁっ!!!!」
 思わず悲鳴を上げた兼定に、秋田が目を丸くする。
 「そんなに怖がらなくても・・・」
 「ちっ・・・違う!!
 男に迫られるのが気色悪いっ!!」
 真っ青になって部屋の隅にまで逃げる兼定を、にっかりは面白がって追いかけた。
 「こうやって迫ってくる女をね、返す刀でばっさりと・・・!
 そうしたら、女の姿もすーっと消えていってね・・・・・・」
 襖にへばりついて震える兼定の姿に、にっかりの笑みが更に深くなる。
 「夜が明けてから、彼女たちを斬った場所に戻ってみると、そこには・・・・・・」
 言葉を切ったまま、黙り込んだにっかりを、兼定は震える肩越しに見やった。
 「なんだよ・・・・・・!」
 「なんだと思う?」
 にんまりと笑うにっかりを、怯えた目で睨みつける。
 「俺が聞いてんだよ!!」
 「なんだったんですか?」
 秋田に袖を引かれて座り直したにっかりは、小首を傾げた。
 「享保名物帳って書では、墓石ってことになっているらしいけど、石灯籠だったり地蔵だったり、諸説あるね。
 ・・・まぁ、実は僕も、よく覚えてないんだよねぇ。
 堅いものを切ったのに、刃こぼれしなくてよかったなぁって思ったことは覚えてるんだけど」
 「な・・・なんだ、枯れ尾花って奴かよ・・・!」
 ほっとして襖に背を預けた兼定に、にっかりはまた怪しい笑みを浮かべる。
 「そうでもないんじゃないかな。
 その証拠に、祟りがあるって有名だった丸亀城の怪異も、僕が来た途端、収まったんだしねぇ。
 だから神剣の資格は十分だと思うんだけど、なぜか迎え入れてもらえないんだ。
 石切丸さまなんか、霊とはいえ、幼子を斬っちゃだめでしょうって言うし・・・難しいよねぇ」
 早く神剣になりたーぃと、冗談なのか本気なのか、よくわからない口調で言う彼を、兼定は無理に笑った。
 「はっ・・・!
 た・・・大した怪談じゃなかったな!
 も・・・もっと怪談らしい怪談はないのかよ!」
 未だ背は襖に預けたまま、殊更に声を大きくすると、いきなり支えが消えた。
 無様に転がった兼定を、襖を開け放った鶴丸が見下ろす。
 「だったら、俺の話を聞くかい?」
 白いおもてに薄笑いを浮かべ、目を細める鶴丸の肩越しに、小狐丸の紅い瞳が妖しく輝いた。
 「あなたの知らない世界を知りたい・・・とな?」
 白い犬歯をのぞかせ、獲物を前にした獣のように、嬉しげな笑みを浮かべる。
 更には、
 「真打登場、だな」
 と、三条の長老までもが、笑みを含んだ声で迫った。
 「俺が見聞きした怪異は、にっかりの比ではないぞ?」
 怯える兼定の目を覗き込み、今までに見たこともない、美しい笑みを浮かべる。
 「若き者へ、語り継いでやろうほどに」
 兼定が悲鳴を上げる横で、秋田とにっかりが目を輝かせた。
 「楽しい夜になりそうだねぇ・・・v


 翌日、帰参した堀川国広は、兼定の姿が見えないことに気づいて首を傾げた。
 「兼さん、戦にでも行っちゃいました?」
 入れ違いだったかと尋ねられて、厩舎から戻ったばかりの加州と安定は首を振る。
 「兼さん昨日は、三条の爺さん達と盛り上がってたみたいよー?」
 「結構遅くまで騒いでたし、まだ寝てるんじゃないかな?」
 「・・・しょうがないなぁ!」
 むっと眉根を寄せて、国広は兼定の部屋に駆け込んだ。
 「いつまで寝てるの、兼さん!
 もう日は高いよ!!」
 頭から被ったままの布団を引き剥がすや、真っ青になって震える姿が現れて、国広は目を丸くする。
 「ど・・・どうしたの、兼さん?夏風邪?」
 「いや・・・その・・・ひっ!!」
 日陰で蛙が跳ねる音にさえ怯えた様子の彼に、国広は目を眇めた。
 「兼さん、昨日・・・三条の人達になにかされたんですか?」
 「え・・・いや、三条だけじゃ・・・」
 「じゃあ誰になにをされたの?」
 気まずげな兼定の視線を追って問えば、昨夜のことをぽつぽつと話す。
 「・・・あのご老刃太刀は!
 僕、抗議してきます!」
 すっくと立ち上がった国広の腕を、兼定は慌てて取った。
 「待てよ国広!!何を言うつもりだ!!」
 「もちろん!
 最年少をいぢめちゃいけません、ってことだよ!」
 兼定の手を振りほどき、国広は肩を怒らせる。
 「兼さんはここにいていいから!
 むしろ、ここにいればいいから!
 後は僕に任せて!!」
 任せたくない、とは思ったものの、昨夜から震え続けた身体は重く、駆け出て行った国広を追いかけることは出来なかった。


 「ご老刃太刀!!」
 和やかな茶の間に飛び込んで来た闖入者を、三日月達は驚きもせず見遣った。
 「おぉ、堀川か。
 遠征ご苦労だったな。茶でも飲むか?」
 にこやかに茶器を指す三日月に首を振り、国広は居並ぶ太刀の前に座る。
 「三日月さん!
 鶴丸さんに、小狐丸さんも!」
 「ん?俺もか?」
 「はい、なんでしょう?」
 菓子を頬張る鶴丸に、茶を差し出した小狐丸が、にこりと微笑んだ。
 と、国広はぎりりと目を吊り上げ、彼らへ膝を進める。
 「昨日は兼さんを、散々怖がらせてくれたそうですね!!」
 しかし、彼らは国広の睨みなどどこ吹く風と受け流して、嬉しそうに笑い合った。
 「あんなに怖がってくれたら、こっちも話す甲斐があるってもんだ!
 いい話し相手だった!」
 満足げな鶴丸に、三日月も頷く。
 「俺も散々話してやったが、最も恐ろしく、話の数が多かったは狐の祟りであったな。
 さすがだ、小狐丸」
 感心された小狐丸は、嬉しげに微笑んだ。
 「秋田殿がちっとも怖がってくださらない上に、次は他にはと話をねだられましたので、つい、興がのってしまいました。
 私もあそこまでやるつもりはなかったのですが・・・最後の話で泣いてくださらなければ、この小狐ともあろうものが、話を作らなければならないところでしたよ」
 くすくすと笑い出した小狐丸の隣で、鶴丸が眉根を寄せる。
 「あのおぞましい話が全部、実話だってことが驚きだぜ。
 さすがのにっかりも、途中で笑みが凍ってたぞ」
 いい見物だったと、吹き出した彼を、小狐丸はちらりと睨んだ。
 「鶴丸殿も、そろそろ畑の悪戯を片付けていただかなければ。
 私の大豆畑に手を出さなかったことは重畳ですが、よい加減になさりませぬと、あの話と同じ結末になりまするぞ」
 「なに?
 あの畑、お前のだったのか!」
 さりげなく脅しにかかる小狐丸に、鶴丸が瞬く。
 「てっきり、光坊がずんだ餅作るのに育ててるんだと思ってたぞ。
 貞坊もずんだ餅は好物だからな。
 二人で、あれには手を出さないでおこうと決めたんだが・・・お前のならやっとくんだった」
 「・・・ 祟りますよ? 」
 紅の瞳に剣呑な光を宿し、鶴丸を睨む小狐丸に、三日月が苦笑した。
 「他の豊饒神系が真剣を繰り出す前に、片付けた方がいいと思うがなぁ」
 そろそろ石切丸の当番だと言えば、鶴丸は不満げながらも頷く。
 「けど、せっかく仕掛けた物をただ片付けるのはなぁ・・・お!そうだ!」
 膝を叩いて、鶴丸は身を乗り出した。
 「ただ片付けるなんてもったいない!
 あの驚きと恐怖の畑は是非とも皆に見てほしいからな!
 いい季節だし、肝試しをしよう!」
 楽しそうだろう?!と、鶴丸が目を輝かせる。
 が、
 「そんなのダメに決まってるでしょう!!」
 畳を叩いて、国広が声を荒らげた。
 「ちゃんと聞いて下さい、ご老刃太刀!
 兼さんの怪談嫌いは筋金入りなんです!
 前の主が『幽霊なんかいるもんか』って、一晩中墓場にいたことがトラウマになっちゃって、鞘から出られなくなったこともあるんですから!!」
 「へぇ。幽霊見たのか。
 それは俺も見たいな。どこの墓場だ?」
 興味津々と聞く鶴丸に、国広は首を振る。
 「見ませんでしたよ、そんなもの」
 「・・・ならばなぜ、和泉守殿は怯えてしまわれたのですか?」
 不思議そうな小狐丸に、国広はため息をついた。
 「実際に見たなら『なんだこんなもんか』って思ったんでしょうけど、見なかったから一晩中、怖い思いだけしちゃったんです。
 それ以来、誰かが怪談を始めると、鞘から出られなくなっちゃって・・・。
 おかげで身の危険を感じた前の主が、軍中御沙汰書に『奇矯妖怪不思議の説を申すべからず』って条を設けなきゃならなくなったんです。
 根深いトラウマなんですから、ご老刃太刀はもっと最年少を思いやってですね・・・」
 「だったらなおさらだ!
 トラウマ克服の為にも、ぜひ参加させよう!」
 「鶴丸さん、僕の話聞いてました?!」
 「よいではないか。
 和泉守も少しは鍛えられようし・・・これで折れるなら、それまでのことだ」
 「三日月さん・・・!
 いつもへらへらしてるくせに、時々酷いですよね」
 国広に睨まれた三日月は、小首を傾げる。
 「そんなにへらへらしているかな、俺は?」
 「いつもにこやかであられますな」
 言葉を変えた小狐丸をも、国広は睨んだ。
 「大体、なんで小狐丸さんなんて最悪の怪談持ってる人が行っちゃったんですか!
 近侍のくせに、御座所離れていいんですか?!」
 八つ当たり気味に迫られた小狐丸は、笑みを収めて吐息する。
 「私は近侍ではありませぬよ。
 今は新たに参陣された、太鼓鐘貞宗殿が拝命しておられます」
 「新人はしばらく、近侍を勤めるのがこの本丸の倣いだからな。
 人使いの荒い主のやり方を、徹底的に仕込まれてる最中なんだが・・・」
 と、鶴丸は彼らしくもなく、声を詰まらせた。
 「・・・延享の江戸に行かせなきゃならないから、早々に鍛えたいって気持ちはわかるんだが、一人で戦場渡らせたり、初戦で検非違使と対決させたり・・・。
 さすがにやり過ぎだろう。
 あれじゃあ貞坊が折れてしまうって、光坊が気を揉んでいる」
 そう言う鶴丸も、珍しく気を揉んでいる様子だ。
 「太鼓鐘が気丈であるゆえ、まだ持ちこたえてはいるが、さすがにこんなことで折られてはならんからな。
 小狐丸から主へ意見してもらおうと、昨夜集まったのだが・・・」
 ちらりと、三日月は苦笑した。
 「涼しい場所にでも行こうと、和泉守がいるとも知らずあの部屋へ向かえば、中から下手・・・いや、面白い句が聞こえて足を止めたのだ」
 普段、はっきりと論評しない三日月が、うっかり口走る程に下手だったかと、国広が肩を落とす。
 「初めは俺に寄せられたのかと思って困ったのだが、そうではないと本人も言ったので、安心して話に加わったのだ」
 「兼さん・・・!
 なんて不運な・・・!」
 頭を抱える国広に、鶴丸が何度も頷いた。
 「とんだ邪魔が入ったんで、またこうして集まったってわけだ」
 「とんだ邪魔はどっちですか!
 余計なことばっかりして!!」
 詰め寄る国広を押し返しながら、鶴丸は小狐丸を見やる。
 「な!
 俺は幽霊役やるから、小狐丸は狐の祟り神やれよ!
 お前、狐火くらい出せるだろ?」
 「出せませぬよ・・・私を何だと思っておられるのですか」
 呆れ声の小狐丸に、三日月は意外そうに瞬いた。
 「出せないのか?」
 「三日月殿まで・・・私はただの刀剣でござりますゆえ」
 「じゃあ、狐火の仕掛けをしなきゃな。
 夜にやるから、落とし穴のいくつかは埋めておかないとチビ達が怪我するな」
 一番深いものはどれだったかと、宙を睨む鶴丸の隣で小狐丸がため息をつく。
 「・・・その一番深い落とし穴にはまって激怒された髭切殿が、手近のとうもろこし畑を根こそぎ刈ってしまわれたと、光忠殿がぼやいておられましたよ」
 「あぁ、それで一昨日は大量にとうもろこしが出たのか。
 ちょうどいい収穫時期だったな」
 悪びれない鶴丸に説教することの無駄を悟って、小狐丸はただ首を振った。
 が、諦めきれないのは国広だ。
 「断固反対です!
 兼さんのトラウマが決定的になっちゃうじゃありませんか!!
 断固反対!!!!」
 オウムのように『断固反対』を繰り返す国広の肩を、三日月が軽く叩く。
 「よいではないか。
 お前も言ったように、実際に見れば『なんだこんなものか』と思うものなのだろう?
 ならば、その寅午とやらを解消するに、よい案だと思うがな?」
 「でも・・・・・・」
 「やろうぜ!俺の楽しみのために!」
 「なんで鶴丸さんのためなんですか!!」
 正直な鶴丸に反駁はしたものの、老獪な老刃太刀に丸め込まれてしまい、その日の夜に鶴丸主宰の肝試し大会が行われることとなった。


 「はーい。
 じゃあ、参加者は二人一組になってねー。
 鶴さん主催だから、油断してると怪我するよー」
 夜闇の中で提灯を掲げ、声を上げた光忠の元に、わらわらと人が集まってくる。
 「結構集まったねー。
 お化け役のみんな、張り切ってるから、本気の戦闘にならないように気をつけてね。
 じゃあ、肝試しのルールを説明するよ!」
 前方に集まった短刀達の持つ提灯が、期待にゆらゆらと揺れた。
 「ルートは、両側に紙垂(しで)が下がった縄を張ってるから、そこを外れないでね。
 うっかり畑を踏み荒らしたら、豊饒神系の刀達が真剣放つから、その覚悟でね!」
 何よりも恐ろしい罰に、全員が頷く。
 「そして各刃、武器の携行は禁じます!」
 「えぇー!!!!」
 全員から上がった声に、光忠は笑って首を振った。
 「当然でしょ。
 じゃなきゃこないだの髭切さんみたいに、とうもろこし大量収穫ってことになりかねないからね。
 この暑い中、大量のとうもろこしを茹でるなんてもう嫌だからね、僕は」
 相手も武器を持っていないから安心しろと言い聞かせ、続ける。
 「ルートの一番奥にある祠の前に、祭壇をしつらえているからね。
 その上に置いてあるお札を、一人一枚取ってくること。
 これ、わざわざ石切丸さんが書いてくれたものだから、粗末にすると罰が当たるよ。
 大事に持って帰っておいでね」
 以上!と宣言し、彼は入り口の前に立った。
 「じゃあまずは一組目、行っておいで。
 一組目が行ってから5分後に、二組目出発だよ。
 後がつかえちゃうから、怖くても立ち止まらないようにね!」
 「よーし!
 じゃあ一番手、いっくよー!」
 元気に歩を踏み出した乱の手を、五虎退が懸命に引く。
 「や・・・やっぱり嫌ですうううううう!!
 み・・・乱ちゃん、ゆるしてえええええええ!!」
 「だーめ!
 ボクについておいで、ごこちゃん!」
 「わぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
 乱に手を引かれ、引きずって行かれた五虎退の悲鳴が、少し離れた場所から響いてきた。
 「最初のお化けは誰だったのかな?
 まぁ、乱君の声が聞こえないってことは、そんなに怖くないってことだよ!
 ね!」
 提灯の灯りを受けて、金色に輝く瞳に笑みを浮かべる光忠から、兼定が歩を下げる。
 「く・・・国広・・・!
 お前、絶対離れるなよ!
 離れたらたたッ斬るからな!!」
 「・・・やれるもんならやってみなよ、兼さん。
 そんなことしたら、一人で行かなきゃなんないんだよ?」
 自分に縋りついて震える兼定に呆れながら、国広は時間を置いて畑へ踏み込んでいく短刀達を見送った。
 「見なよ。
 あんなに小さい子達が楽しそうに行っちゃうのに、兼さんが怯えてちゃお話にならないよ」
 「お・・・怯えてなんか・・・ひっ!!」
 近くで跳ねた蛙にすら怯える兼定を訝しげに見上げて、秋田と厚が入口に並ぶ。
 「粟田口最後はキミ達だね。
 鶴さんは『深い落とし穴は埋めた』って言ってたけど、足元には注意して、怪我しないようにね」
 光忠に背中を押され、頷いた二人は歩を進めた。
 灯りは二人で一つの提灯だけで、足元を照らすのが精一杯だ。
 ゆらゆらと揺れる明かりに半面を照らされながら、厚は隣を歩く秋田をちらちらと見やった。
 しばらくして、
 「なー・・・秋田、ほんと悪かったって!」
 気まずい雰囲気をなんとかしようと、厚から声をかける。
 「昨日はかくれんぼで見つけらんなくて、本当に悪かった!すみませんでした!
 その上、忘れちゃってゴメンな!申し訳なかった!」
 肝試し中である事も忘れて、何度も何度も謝った。
 「もう絶対に忘れたりしないから、許してくれよー・・・」
 言いながら厚は、隣でぶらぶらと揺れる秋田の手を取るが、乱暴に振りほどかれる。
 昨夜のことで、秋田はもう、厚とは口も利いてやらないと決めていた。
 なのに、
 「いち兄ったら・・・!
 もう厚兄とは遊んであげないって言ったのに!」
 久しぶりに聞いた声が不満に満ちていて、厚はため息をつく。
 「ごめん。ごめんなさい。
 お前がかくれんぼうますぎて、見つけらんなかったのは悪かったし、いたことも忘れちまったのは本当に悪かった。
 何度でも謝るし、明日から一週間、俺のおやつやるから許してくれよ・・・」
 「おやつかぁ・・・」
 それはいいかも、と、秋田の気が緩んだ瞬間、傍らの枝を掻き分けて、天冠を着けた幽霊が顔を出す。
 「仲直りかな?仲直りしたかな?!」
 「い・・・」
 「いち兄・・・・・・」
 幽霊にはふさわしくない、にこやかな兄の出現に、二人は目を丸くした。
 と、二人の表情がおかしいとばかりに、一期一振が笑い出す。
 「本当はもっと手前に隠れていたのだけど、厚が一所懸命謝っているから、邪魔しないでいたんだ。
 ねぇ、秋田?
 厚はうっかりなだけで、悪気があったんじゃないってわかっているよね?
 じゃあこれから二週間、厚のおやつをもらうってことで、許してはどうかな?」
 「二週間?!
 う・・・いや、うん。わかった・・・」
 思わず声を上げた厚は、秋田に睨まれてしぶしぶ頷いた。
 すると、嬉しそうに縄を越えて出てきた一期一振が、秋田と厚の手を取って繋がせる。
 「はいはい、仲直り仲直り」
 にこにこと笑いながら二人の頭を撫でる手の下から、厚が一期一振を上目遣いに見上げた。
 「・・・幽霊なのに、そんなに楽しそうでいいのかよ」
 「いいんだよ、幽霊の前に兄なんだから!」
 きっと化けて出たって性格は変わらないと、陽気に笑う兄に、二人とも思わず笑みをこぼす。
 「ね?
 秋田、兄弟の仲がいいと、私も嬉しいんだ」
 「はい・・・。
 いち兄が言うんだから・・・しょうがないんだから!
 また忘れちゃったら、今度こそ許さないからね、厚兄!」
 「お・・・おぅ!」
 「足元に気をつけていくんだよー!」
 背後で手を振る兄に見送られて、二人は手を繋いだまま順路を辿った。
 「・・・あんなので驚かせられるのかな、いち兄」
 ちらりと背後を見やった厚の耳に、誰かの悲鳴が届く。
 「僕達以外には、ちゃんとお仕事してるみたいですよ」
 「だな」
 くすくすと笑いながら歩を進めると、井戸の陰から血みどろの武者が大笑しながら飛び出してきた。
 「だはははは!俺が恐ろしいか!!」
 「・・・いや、別に」
 「ただの岩融さんですよね」
 あっさりと見抜かれた岩融が、つまらなそうに舌打ちする。
 「お前達、もっと楽しめよ。
 ここを通った奴らの中で、本気で怖がってくれたのは五虎退だけだぞ」
 肝試しの意味がわかっているのかと、説教された二人はうるさげに彼の前を通り過ぎた。
 「だって怖くないもんなー」
 「もっと本気の幽霊っていないもんですかねー」
 そう思うと、ここもただの畑だと、つまらなそうな二人の背後でまた悲鳴が響く。
 「後ろ、楽しそうだな」
 「誰がついてきてるんでしょうねぇ?」
 待ち構えてみたくはあったが、立ち止まるなと最初に言われていた。
 「まぁ、まだにっかりと鶴丸・・・小狐丸にも会ってないから、それまでのお楽しみかな」
 「そうですね。
 あの人達は本気を出してくれそうです」
 言う間に、前方で本気の悲鳴が聞こえて、二人は目を輝かせる。
 「あれは平野と前田か?」
 「あの二人が悲鳴を上げるなんて、滅多にありませんよ!」
 期待に胸を膨らませて、二人は足を速めた。


 その後方に続いていたのは、足が止まりがちな和泉守兼定と、彼に縋りつかれた堀川国広だった。
 「な・・・なんなんだ、一期一振の奴!!
 いつもへらへらしてるくせに、今日はえらく怖い格好しやがって・・・!」
 「そう?
 いつも通りの一期一振さんだったけど?」
 衣装が幽霊だっただけ、と、平然と言う国広の背に、兼定はべったりと貼りつく。
 「あんなところに隠れて・・・虫に刺されちまえ!」
 「対策はしてるだろうから大丈夫だよ。
 ねぇ、兼さん。暑い」
 離れて、と、兼定を引き剥がすべく身を沈めた国広の動きに引かれ、前のめりになった彼の目の前に血みどろの武者が現れた。
 「呪ってやろうかぁ!」
 「んぎゃあああああああああああああああ!!!!」
 小さな灯りで下から照らされた顔は深い陰を帯び、恐ろしいことこの上ない。
 悲鳴を上げて逃げ出した兼定に嬉しくなった岩融は、縄を飛び越えて追いかけた。
 「待てーぃ!この恨み、はらさでおくべきかぁ・・・!」
 「追いかけてくんな・・・きゃあああああああああああああああ!!!!」
 びっしょりと濡れた布に顔を覆われ、兼定が乙女のような悲鳴を上げる。
 「わっ!びっくりしました・・・!」
 木の枝から逆さにぶら下がった今剣が、逆に目を丸くした。
 「ごごたいいがい、だれもおどろいてくれなかったから・・・よかったです」
 濡れた布は怖くなかったかと、自信を喪いかけていただけに、彼の反応がとても嬉しい。
 「そーれ!もういっちょ!」
 「兼さん、落ち着いて」
 国広に貼り付けようとした布はあっさりとかいくぐられて、今剣は不満げに頬を膨らませた。
 「もっとこわがってくださいよぅ!
 なんだかばかばかしいじゃないですかぁ」
 「兼さんが怖がってるから、僕はいいでしょ。
 ホラ、兼さん!立って!」
 愛想なく答えた国広は、道端にしゃがみこんで震える兼定の腕を取って立たせる。
 「まったく・・・みんなして最年少いじめて!
 全然鍛えるどころじゃないよ!」
 ぼやく国広を、岩融が呆れ顔で見下ろした。
 「最年少最年少と言うが、和泉守殿は戦闘経験で言えば、粟田口の小さき者達より上だろうに。
 もっとしっかりしたらどうだ!」
 血みどろ武者に活を入れられた兼定が、涙目で彼を見上げる。
 「わ・・・わかってんだが・・・!」
 言った途端、背後でまた悲鳴が上がって、びくりと飛び上がった。
 「今の声は・・・キヨとヤスかな」
 「ですねー。
 しんせんぐみのひとたちって、こわがりなんですね」
 振り返った国広の頭上で、闇を透かした今剣が嘲笑する。
 自分一人のことならともかく、新撰組を馬鹿にされることは、副長の愛刀として許しがたいことだ。
 「と・・・年上だからってなめてんじゃねぇぞ、今剣!
 お・・・俺達は泣く子も黙る・・・!」
 「なめてなんかいませんよぅ。あきれてはいますけど」
 年上ではあるが、見た目は小さな子供でしかない今剣にくすくすと笑われて、兼定は奮起する。
 「や・・・やってやろうじゃねぇか!
 こ・・・こんなコケ脅しにビビる俺らじゃねぇよ!!」
 「今、怯えている事実はどうするつもりだ」
 苦笑して、岩融は縄で挟まれた道の先を示した。
 「この先には、まだにっかり殿や鶴丸殿、何よりも小狐丸殿が控えているのだ。
 気死などしては、刀剣の名折れぞ!」
 「わ・・・わかってらぁ!!」
 震える足を踏み出し、数歩進んだ先で、いきなり冷たい手に足首を掴まれる。
 「待ってたよぅ・・・v
 「きゃあああああああああああああ!!!!」
 地に伏せたにっかりの、恨みがましい上目遣いで睨まれた兼定がまた乙女のような悲鳴を上げた。
 「言った傍から・・・」
 「こんな傍にいるなんて聞いてねぇ!!」
 呆れる岩融に金切り声を上げて、兼定は自身の足を掴む手を振りほどく。
 「ににににに・・・にっかり!!
 なんてとこにいやがるんだ!!」
 「驚いてくれそうなところ」
 にやりと笑って、にっかりは長い前髪に覆われた目を、怪しく光らせた。
 「チビちゃん達もみぃんな驚いてくれたし、嬉しいなぁ・・・v
 不気味な笑い声に、背筋が寒くなる。
 「なるほど、岩融さんと今剣を振りきって、しばらくは大丈夫だろうって油断する位置に隠れているわけですね」
 「・・・つまらない分析するの、やめておくれよ」
 感心する国広に興を削がれて、にっかりが手を払う。
 「次が来ちゃうから、行った行ったー。
 岩融と今剣も早く戻りなよ」
 「おぉ!次は加州殿と大和守殿だな!」
 「またおどろいてくれるとうれしいんですけど!」
 喜び勇んで井戸の裏へ隠れる岩融に舌打ちした国広が、兼定の腕を引いた。
 「行くよ、兼さん!
 後ろに追いつかれちゃう」
 「あ・・・あぁ・・・!」
 腕を引かれるまま、震えながらしばらく行くと、不意に提灯の火が消える。
 「なんで・・・?
 まだ蝋燭は残ってるのに」
 訝しげに呟いた国広は、自身の服を探って肩をすくめた。
 「兼さん、マッチか何か持ってない?」
 問うが、暗闇にすっかり怯えた兼定は震えるばかりで答えもしない。
 「もう・・・」
 しょうがない、と呟き、闇の中を探るように歩を踏み出した国広の目の前が、不意に明るくなった。
 青白い炎をまとい、深い影を帯びた人影がゆっくりと振り返る。
 「火をお探しですか・・・?」
 「こ・・・小狐丸さん・・・!」
 一瞬驚いたものの、見慣れた姿にほっとして、国広は背に兼定を貼付けたまま、小狐丸へ歩み寄った。
 「はい、提灯の火が消えちゃって。
 貸してもらえますか?」
 にこりと笑った小狐丸の姿が、すーっと消える。
 「あれ?」
 また闇へと戻った中できょろきょろと辺りを見回すと、やや離れた場所が明るくなった。
 「こちらですよ・・・」
 「いつの間に・・・」
 移動した気配なんかなかったのにと、国広は不思議そうに歩み寄る。
 「今の、どういう技ですか?
 僕も暗殺に関わったことがありますから、気配の消し方は工夫しましたけど、今みたいに見事には・・・あれ?」
 またもや目の前で消えてしまい、国広は眉根を寄せた。
 「もぉ!なんなんですか!」
 「こちらですよ」
 背後から冷たい手で肩を叩かれ、驚いて振り向くが誰もいない。
 「兼さん!
 いたずらする余裕があるなら離れて!」
 ヒステリックな声を上げると、闇の中で怯えた声が答えた。
 「お・・・俺はなんもしてねぇよ!
 い・・・今、後ろから肩を叩いたのはお前だろ?!」
 そうだろう?!と、必死に縋りついて来る兼定の仕業じゃないとわかり、国広は全身を緊張させる。
 「兼さんの前にいる僕がどうやって叩くんだよ・・・」
 不思議・・・というよりは不気味な雰囲気に、国広の声も自然と低くなった。
 「こ・・・小狐丸さん・・・!
 いるんでしょ・・・?」
 「えぇ・・・こちらに」
 木陰がぼぅ・・・と明るくなり、青白い炎が豊かな銀髪を淡く照らす。
 「も・・・もう!
 脅かさないでくださ・・・小狐丸・・・さん・・・?
 燃えて・・・!!
 火が移ったんじゃ!!」
 炎が彼の身体を包み、勢いを増した瞬間、宙に消えた。
 「遊びに命懸けちゃダメでしょおおおおお!!!!」
 別の意味で絶叫した国広の耳に、吐息がかかる。
 「ご心配なく・・・。
 ちゃあんと・・・化けて出て参りますよ・・・」
 「っ!!」
 確かにあった気配が、振り向いた時にはもう消えていた。
 いかに闇の中とは言え、夜戦を得意とする自分が大柄な小狐丸を見失うはずがないのに、その場からは人の気配どころか、風音すら消えている。
 「くくく・・・国広!!い・・・今のうちに行くぞ!!」
 背に負った兼定に急かされて、国広は闇を睨んだまま頷いた。
 慎重に歩を進め、もう追っては来ないかと、詰めていた息を吐いた瞬間。
 「お気をつけて」
 姿も見せないまま、耳元で囁かれた国広の持つ提灯に火が灯った。


 「・・・今のは・・・結構怖かった・・・」
 どんな仕掛けかわからない、という不気味さもあったが、それ以上に・・・。
 「・・・今のが敵だったら俺達、確実に殺されてたな」
 ぽつりと呟いた兼定に、国広は深く頷いた。
 「この僕が気配さえ辿れないなんて・・・!
 やっぱりあの人、本物のお狐様なんじゃ・・・」
 「ここでそーゆーこと言うの、やめろ!!ひっ?!」
 後方で悲鳴が聞こえて、兼定がまたしがみつく。
 「キヨとヤスだね。
 きっと、小狐丸さんに遊ばれてるんだ。
 ・・・ねえ、兼さん!
 ちょっと怖がり過ぎじゃない?!」
 呆れを通り越して、怒りすら沸いて来た国広にしかし、兼定は首を振った。
 「お前は小狐丸達の怪談を聞いてねぇから!
 ジジィ共の話、全部実話なんだぞ!
 小狐丸のなんざ、本当にえぐい・・・!!」
 思い出したせいで足がすくんでしまった兼定を励まし、歩を進める。
 「ほら、兼さん!
 祠に着いたよ!」
 五穀豊穣祈願の為、開墾前に石切丸が作ってくれた祠は、畑の一番奥にあった。
 短刀達でも無理なく手入れができるようにと、低い石組に白木造りの厨子を乗せただけの簡素な造りだが、ご神体本人が勧請しただけあって、御利益は十分とのお墨付きだ。
 今、その前には白布をかけた卓が置かれ、祠に点された小さな蝋燭の明かりを受けた白い札の端が、微かな風にめくれていた。
 「いこ!
 石切丸さんのお札って、きっとあれだよ」
 明かりの方へと早足に歩み寄った二人が、雅な細工の丸い文鎮をどけて、札を取った瞬間。
 「待ってたぜぇ・・・!!」
 白布をめくって現れた血まみれの手に、それぞれの腕を掴まれた。
 「紅白に染まった俺を見たんだ・・・あとは死んでもめでたいだろう?」
 「それ味方に言うなああああああああ!!!!」
 卓の下から現れた鶴丸は、戦場で見せる気迫そのままに迫って来る。
 「その札置いてけぇー・・・!」
 「じょ・・・冗談じゃないですよ!
 ここで諦めたら、短刀達に笑われます!」
 太刀の気迫に気圧されつつも、言いきった国広に兼定も頷いた。
 「霊じゃなきゃ怖くねぇぞ、コラ!!」
 「つまり霊は怖いままか。誰のためにここまでやってやったと思ってるんだ!」
 いきなり説教されて、兼定の目が吊り上がる。
 「うっせーよ、ジジィ!
 全部てめぇの楽しみのためだろうが!
 最年少でも、俺のためじゃないってことくらい気づくわ!!」
 言ってやると、鶴丸は不満げに唇を尖らせた。
 「可愛くない最年少だなぁ。
 これだけ骨を折ってやったんだぞ?
 少しは感謝して感激しろ」
 「人のトラウマ出汁にして遊んでる奴に言われる筋合いねえええええええ!!」
 もっともな言い分に、国広も何度も頷く。
 「そういうわけで、お札はいただいて行きます。
 石切丸さんのお手製なら、兼さんの臆病封じに効くかも知れないし」
 「お・・・臆病って・・・!」
 「なに?
 ここから一人で帰る?」
 じろりと睨まれて、兼定は目を逸らした。
 「じゃあ失礼します。
 この後、加州と大和守が来ますけど、お手柔らかに」
 ぺこりと一礼し、国広は兼定の手を引く。
 「さ、帰ろう。
 鶴丸さんで最後だから、もう怖くないよ」
 「お・・・おぅ・・・」
 むくれ顔の鶴丸が、また卓の下に隠れて行くのを肩越しに見やって、兼定はほっと吐息した。
 しばらくして、
 「く・・・国広、つき合ってくれて・・・その・・・」
 ありがとう、と、小声で言う兼定を見上げ、国広はにこりと笑う。
 「当然でしょ。
 僕は兼さんの助手・・・」
 その言葉を最後に、国広の姿が灯りごと消えた。
 「国広?!おい、どこ行った?!国広!!」
 呼ぶが返事はない。
 「国ひっ・・・!」
 歩を踏み出した途端、地面が消えて、兼定は深い穴の中に落ちた。
 「つ・・・鶴丸のジジィ〜・・・!!
 落とし穴は埋めたって・・・!!」
 うめき声をあげる兼定の頭上から、誰かが覗き込む気配がする。
 「大事ないか?
 鶴丸が落とし穴を残していたのだな」
 「その声は・・・三日月か?!」
 ほっとして、兼定は上へと手を伸ばした。
 「悪い、引き上げてくれ」
 頼むと、剣を持つとは思えない、滑らかな手が兼定の手を掴み、意外な膂力で引き上げる。
 「助かったぜ、三日月!
 国広も近くに落ちてるだろうから、引き上げないと・・・」
 「三日月・・・か」
 妙にくぐもった声に嫌な予感がして、兼定は傍に立つ彼を恐る恐る見やった。
 「めぐりあひて・・・見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」
 笑みを含んだ声が、夜空へ昇っていく。
 「月を詠むならば、せめてこのくらいは情感を持たせねばな」
 くるりと振り返り、間近に迫った顔には目も鼻も口もなく、のっぺりとした皮だけが張り付いている。
 「・・・っ!!」
 声もなく白目を剥いた兼定を見下ろし、彼は小首を傾げた。
 「これほど驚いてくれるとは、俺もまだまだ行けるな」
 「なに嬉しそうにしてるんですか!!」
 自力で穴から這い出た国広が、三日月に詰め寄る。
 「トラウマ克服させようとしたのに、止め刺してどうするんですか!
 小狐丸さんと最悪のコンボしてくれて、仲良しか!!」
 「いや、すまんすまん。
 ついうっかりな」
 こんなに驚くとは思わなかったと、嬉しげな三日月に舌打ちして、国広はぐったりとした兼定の腕を自身の肩に回した。
 「運ぶの手伝ってください!」
 「それは無理だ。
 俺はまだ、これから来る者達を驚かすという役目があるのでな」
 のっぺらぼうのマスクのせいで、表情は全くわからないが、とても嬉しそうな三日月にまた舌打ちする。
 「全く!
 ご老刃太刀はろくなことしないんだから!」
 結局、兼定を助けるのは自分しかいないと決意を新たにして、国広は自分よりも大柄な兼定を畑の外にまで運んで行った。


 翌日。
 冷やした茶を盆に乗せ、三日月の待つ部屋へと向かっていた小狐丸は、視線に気づいて微笑みを向けた。
 「乱殿、五虎退殿。
 昨夜は楽しゅうございましたな」
 声をかけられた途端、びくっと飛び上がった二人は、壊れた人形のようにがくがくと頷き、小狐丸から視線を外さないまま逃げて行く。
 「おやおや。
 すっかり怖がらせてしまいましたか」
 くすくすと笑いつつ視線を流せば、あちこちに彼を見つめる目があった。
 「堀川殿。
 そのように威嚇せずとも、何もいたしませぬよ」
 怒った猫のように目を吊り上げ、襖の陰から彼を睨みつけて来る国広に思わず、小狐丸は笑い出す。
 他にも、加州や大和守、鯰尾や骨喰などの、夜戦を得意とする者達が警戒に満ちた目で彼を見つめていた。
 「皆様に楽しんでいただけて、嬉しく思いまするぞ」
 その言葉には殺気が返ってきたが、小狐丸は柳に風と受け流し、庭を望む一室に入る。
 と、
 「おや、鶴丸殿と太鼓鐘殿はお昼寝でおいでですか」
 白い木綿の浴衣姿の二人が、スルメのように平たく伸びて、寝息をたてていた。
 「一晩中騒いでいたからな。
 太鼓鐘は結局、朝まで自分の掘った穴の中にいたそうな」
 二人の傍らに座った三日月が、手にした扇で気まぐれに風を送りながら苦笑する。
 「誰の仕業かな?」
 ちらりと睨まれて、小狐丸は微笑んだ。
 「それは申し訳ないことをいたしました。
 しんがりに光忠殿と太鼓鐘殿がいらっしゃるとは知らず、提灯の火を消す仕掛けを残したまま、御殿に戻ってしまいました」
 明かりも道案内もないまま、畑に迷い込んでしまったのだろうと、白々しく言う小狐丸に、三日月が笑い出した。
 「主も常々、太鼓鐘の迷子癖には困ったものだと言っていたが、それを利用されるとは思いもせなんだろうよ」
 ぱちりと閉じた扇で、塀の向こうを指す。
 「捜索には伊達組総出で当たり、それでも朝までかかったそうだぞ」
 そのせいで鶴丸までもがへばっていると、扇の先でつついた彼は、抗議のうめき声を上げた。
 「それはそれは、ご苦労様でありました」
 眉根を寄せた鶴丸の寝顔を見下ろし、小狐丸は笑みを深くする。
 「しかしこれでお二人とも、畑を粗末にすれば罰が当たるとご理解下さったことでしょう」
 「罰と言うより・・・祟りであったやもな」
 途端にうなされ出した二人を見下ろし、三日月は苦笑した。


 ・・・―――― こののち、本丸には国広が掲げた『奇矯妖怪不思議の説を申すべからず』の条項が貼り出されることになったが、反対する者は一人としてなかったと言う。




 了




 










刀剣SSその8です。
2月頃でしたか、真冬の雪が降りしきる時、コタツの中で思いついたネタでした(笑)
『さすがにこれを今書いても面白くないだろう』と思って、この時期まで取っていましたよ(笑)
兼さんが詠んでいるのは、土方歳三の『豊玉発句集』の中にある句です。
『月夜月夜に』の句が本当にそんな意味かは知りませんが、少なくとも私はそう解釈して、爆笑してました(笑)>笑うなw
歳さんが墓場に一晩中いた、と言うのは史実ではなく、司馬遼太郎の小説に出てくる話だったと思います。
兼さんが、想定以上にヘタレになってしまいましたが、お楽しみいただけると幸いですよー★













書庫