聖シュテファン大聖堂カタコンベ(地下墓所)


聖シュテファン大聖堂地下墓所にようこそお越し下さいました。
地下に下り、小礼拝堂を通ってカタコンベへ入ります。
カタコンベは二つに分かれています。
14世紀に造られた古い部分と、18世紀にできた新しい部分です。
この場所は古い部分で、大聖堂の真下にあたります。
30年ほど前に修復しましたので、新しくなった部分とも言います。

第1室は枢機卿廟と言われ、左右の壁龕(へきがん)にウィーンの大司教と枢機卿の棺が安置されています。
突き当たり左側の壁に2人の胸像がありますが、左手の人物はここに最後に葬られたテオドール・イニッツァー枢機卿で、1955年に亡くなりました。

第2室へ移動します。公爵廟です。
前方中央に二つの柩があります。
右側は建設公ルドルフ4世の柩です。
ハプスブルク家のルドルフ4世はオーストリアで非常に重要な役割を果たしました。
彼の時代に、チロルはオーストリア領になり、この大聖堂の拡張のため、本陣と南塔の礎石が置かれました。
また、ウィーン大学が1365年に創設されますが、その年、ルドルフ4世はミラノで26歳で亡くなりました。
左側はルドルフ4世の妃、ボヘミアのカタリーナの柩です。
周囲にはルドルフ4世の親族の柩が置かれています。
入り口の側の左右の壁龕に壷が置かれています。
17世紀初めから19世紀末のものです。
300年もの間、ハプスブルク家ではスペイン式宮廷儀礼が行われていました。
亡くなると遺体を開き、内臓を取り出し、これらの銅製の壷に入れました。
心臓だけは銀製の壷に入れ、王宮内のアウグスティン教会に保管されます。
遺骸は蜜蝋を詰め、金属製の柩に納められたのです。
こういう柩はカプティン教会地下の皇帝廟で見ることができます。

第3室は石の博物館で、大聖堂の外壁から外された装飾や彫像が置かれています。
戦争で破壊されたこともあり、現在ではコピーが外壁を飾っています。

第4室は大聖堂聖職者廟です。
壁に大理石製銘板がありますが、ここには聖シュテファン大聖堂の高位聖職者達が埋葬されています。

古い部分を後にして、18世紀からの新しい部分に入ります。
全く修復されていないので、薄暗く汚い感じです。
奥に進み、さらに左側通路奥まで入ります。
ここはもう大聖堂の下ではなく、シュテファン広場の下にあたります。
大聖堂の建物の外に出たことになります。
通路入り口近くの壁幅6mの部分が大聖堂の基礎土台壁です。
18世紀には公共墓地でした。
最初の部分は公共墓地の墓室です。
このような所に約500の柩を納め、いっぱいになると壁で塞いで、また次の墓室に入れていったのです。
このような墓室が約30室あり、16000人以上の人が埋葬されました。

次はペストで死んだ人達のための大墓室です。
1713年、ウィーンで最後のペストの大流行で、沢山の人達が亡くなり、死者の多さに柩で埋葬しきれず、ペスト死者のための穴が掘られて遺体が捨てられました。
またシュテファン広場まで運ばれて、そこから直接下の墓室におとしこまれた死体もあります。
ここには約2000人の遺骨があります。
元の通路まで戻ります。

このカタコンベは1783年まで使用され、女帝マリア・テレジアの長男、皇帝ヨーゼフ2世の時代に衛生上の理由から閉鎖されたのです。
カタコンベ閉鎖の前には非常に手狭になっていて、古い墓室が開けられ、遺骨が取り出され、ここに見られる最後の小さな部屋(納骨堂)にまるで薪のように積み上げられました。作業をしたのは囚人でした。

出口は左側の階段です。
出口の壁にはモーツアルトの葬儀の記念碑があります。

(上記はシュテファン寺院のリーフレットを、くれはがWEB用に打ち直したものです@
not転載
 
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