* 105 我らに勝利を! * *
夕闇の訪れと共に、両軍の陣から退却を報せる鉦(かね)の音が響く。
兵士達は、幾合もあわせた剣を慎重に退き、戦場を去って行った。
残されたのは、物言わぬ躯―――― 。
いつまでも、終わりは来ないのかとさえ思えた、長い夏の日の中、多くの兵士が断末魔の声を上げた時のまま、永遠に動きを止めた。
戦いの熱気が雲を喚んだか、今、夜空は暗灰色のそれに厚く塗り込められ、躯から立ち昇る死臭は出口を見失って、天地の狭間にこもっている。
「敵将の首級をとった」
遠雷にも似た響きは、彼が、満足げに笑う声だ。
「このまま、一気に攻め滅ぼしたいところだが・・・・・・」
間に挟んだ焚き火の光を受け、大きな金色の瞳が、期待を込めて煌く。
が、私は慎重にかぶりを振った。
「それは、あちらも予測しているだろう」
日中の戦いは、終始こちら側が優位に運んだ。
兵士たちは、この、広大な大地に攻め込んで来た鉄頭達を、怒りに満ちた精霊達が追い払ったのだと、興奮気味に語っている。
だが、相手はゼクセン騎士団。
既に、幾度も剣を交えた敵だ。
グラスランドの戦士の、気性の荒さを熟知する彼らは、ゼクセン人らしい冷静さで、我らが夜襲をかけるのを待ち構えていることだろう。
「お前も、気づいているはずだ、デュパ・・・あの小娘、なかなかやる」
幸運は何度も続かない。いや、あの小娘が、続けさせない。
「俺には、人間の美醜はわからんが・・・・・・あの娘、人間の子供らが持つ人形に良く似た顔立ちをしていた」
所詮は脆弱な小娘だと、彼の言わんとするところを察して、私は静かに頷いた。
「あぁ。あの娘は、人形のように美しい」
雪白の肌、銀の髪、宝石のように輝く紫の瞳・・・・・・。
女達の羨望と、男達の憧憬を一身に集めているだろうあの娘。
しかし、その身に纏うのは、夏の陽光を弾く銀の甲冑と、紅い血の彩りだ。
「わかっているはずだ、デュパ。
ゼクセン騎士団は精兵の集団。けして、人がいないわけではない」
今日、我らがその命を奪った、騎士団長のガラハド、副団長のペリーズ。
この二人さえ倒せば、騎士団は崩れ去ると思った。
逃げる彼らを追いつめ、打ち破ることができると思ったのに、彼らは崩れなかったのだ。
「ゼクセンの誉れ高き六騎士を侮るな・・・と言うわけか」
ふん、と、忌々しげに鼻を鳴らすデュパに、私は深く頷いた。
「あの小娘は、既にその一人として数えられ、今日は崩れかかった軍を立て直してみせた」
「・・・そして、明日は奴らを率いて来るか」
「おそらく・・・な・・・」
デュパの太い尾がゆらりと宙を舞う。
と、遠雷の音に、訝しく眉をひそめた。
「気に入ったのか、あの娘が」
大きく裂けた口を歪め、リザードの将が笑う。
歯を剥き、威嚇しているかのように見える笑顔に、私は苦笑を返した。
「そうだな・・・。
今日、あの娘の剣が私を掠めた時、久しぶりにぞくぞくしたよ」
無茶とも言える突撃が図に当たり、ゼクセン騎士団の陣中深く入り込んで、騎士団長をはじめとするいくつかの首級をあげた時のことだ。
冷淡だと思っていたあの娘が、激昂に頬を紅潮させ、猛然と斬りかかって来た。
あの剣をかわせたのは、幸運以外のなにものでもない。
「あの気迫、昔のお前に似ているな、ルシア。いや、今でも、お前の裡に潜んでいる気性に、と言うべきか」
からかうような口調で、リザードの将は更に言い募った。
「今でもそうだが、デュナン統一戦争に参戦した当時のお前は、若いながらも見事な炎の使い手だった。
身の裡にある烈しい感情が、そのまま炎に変わったかのような・・・。
カラヤに、恐ろしい族長が現れたと、噂しあったものだぞ」
低い笑声が、地響きのように空気を震わせる。
「あの時私は、族長だった父をグリンヒル市長に謀殺され、やむなくカラヤ族を率いることになった・・・。
勝利を得なければ一族ごと滅ぶしかない―――― あの娘に、そこまで勝利を渇望する気持ちがわかるかな」
いや、わからなければ、明日、滅ぶのはあの娘だ。
今頃は、奴らが崇める、女神とやらに勝利を祈念でもしているのだろうか。
いや、むしろ、ロマンティスト揃いの騎士達に崇められ、困惑しつつも勝利の女神を演じているか・・・・・・。
「・・・何がおかしい?」
低音の響きに思考を中断され、不満げに言うと、デュパは
「俺ではない」
と、首を振る。
ふと空を見遣れば、夜空にほの白く満ちていた雲が、漆を溶かしたような色に変わっていた。
吸い込まれるような闇に目を凝らしていると、遠くの空に光が閃き、再び、リザードの笑声に似た遠雷が、低く響いた。
「降るか・・・」
言う間に、大粒の雨が、ぱらぱらと私の額を打つ。
「この雨は、明日、どちらの味方をするかな」
のそりと、巨体を揺るがせてデュパが立ちあがった。
「こちらに、勝利を引き寄せてやるさ」
呟くと、デュパが笑声を上げて、踵を返す。
その声は、なかなか近づいてこない雷鳴と交じり合って、いつまでも陣内に響いているかのようだった。
「・・・クリス・ライトフェロー。
お前は明日、勝利の女神になるつもりか?」
凍った湖のような、冷たい美貌の裡に、奔流の激しさを持つ娘・・・。
炎と水と・・・この戦い、気を凌いだ方が勝つ。
カッと、青白く瞬いた光の向こうに、ひっそりと静まり返った敵陣を臨み、笑みの容に歪む唇に言葉をのせた。
「勝利が欲しければ、命がけで来い」
徐々に激しさを増してゆく雷雨の中、私もまた、踵を返し、はるかなる広がりを見せる草原に祈る。
「グラスランドの精霊達よ、願わくは、勝利をわが手に!」
途端、我が背に受けた雷鳴が、そうはさせじと反駁する女神の声に思え、私は雨にかすむ敵陣を、肩越しに見据えた。
雷光の閃く一瞬、敵陣に銀の姿を見出した気がして、私は再び笑みを浮かべる。
決戦前夜、眠れぬ夜を過ごしているだろう銀の乙女―――― この闇が明けた時・・・勝利を手にしているのは、私か、お前か。
「・・・勝利を引き寄せてみせる」
もう一度呟いて、私は視界からあの娘の陣を退けた。
さもなければ、私は声に出して呟いていただろう―――― 健闘を祈る、と。
このグラスランドの地に満ちる精霊に、言霊を取られないよう、私は、口をつぐんで、ただ、唇に笑みを乗せた。
〜Fin.
百八題