炎の英雄を頂点とする『炎の運び手』たちが、湖畔の古城に拠ってからもう、幾日かが経った。
長い間、互いを敵と睨みあってきたグラスランドのシックス・クランとゼクセン騎士団、更には、漁夫の利を狙っていたハルモニアの一軍が、同じ城に拠っているのである。
些細な争い事はあるにしても、シックス・クランの族長達や、ゼクセン騎士団長、ハルモニア神官将の統率力は見事なもので、連合軍は、その烏合の衆と言う弱点を、ほとんど見せることなくまとまっているように見えた。
そして、彼ら、実力者ぞろいのリーダー達に擁立された炎の英雄は、自らは成すすべもない事実に、苛立ちを抱えずにはいられなかったのである。
ヒューゴは、湖を見渡すレストランの隣にある鉄製のドアを押し開け、ビュッデヒュッケ城内へと入った。
そこは、複雑な造りになっている城の地下2階にあたる。
誰かが戦闘に連れて行ってしまったのか、常にその場にいるワタリの姿はなく、少年探偵も昼食に行って留守のようだった。
昼の陽光が残像となって、ちらちらと舞う暗い石の廊下に人気はなく、激しく目をしばたたかせながら歩いていると、階上へ向かう階段の方から、誰かの話し声がする。
その、高すぎず、低すぎもしない女の声に、ヒューゴは思わず足を止めた。
つい先日まで、悪夢と共にあった女の声―――― ゼクセン騎士団長、クリス・ライトフェローのそれである。
彼女に対する時、ヒューゴは自身の持ちうる理性を総動員しなければならなかった。
村を焼き、親友を殺した女。
多くの同朋をその手にかけて、現在の名誉を得た女。
許し難い存在を、しかし、彼は認め、受け入れなければならない。
彼女がそうしているように――――。
だが、常に理性的であることを己に科していても、仲良くおしゃべりしたい相手でもない。
ヒューゴは、逡巡した挙句、その場で彼女が立ち去るのを待つことにした。
忙しい彼女のこと、すぐに階上へ向かうだろうと思ったのだが、ヒューゴは意外にも長い間待たされることになった。
深刻な話でもしているのか、その声は常より低く、話の内容までは聞こえない。
が、時々混じる男の声が、ひどく優しく、慰めるような声音であるところを聞くと、どうやら彼女は、相手に悩みか哀しみを打ち明けているらしい。
――――・・・あの人にも、悩みなんてあるのか。
冷たい石の壁に背を預け、ヒューゴは怜悧な剣を思わせる、クリスの整った顔立ちを思い浮かべた。
彼の知るクリスは、ゼクセン騎士団の堅固な要塞、ブラス城の主にふさわしい冷厳さと強さを併せ持った女傑である。
彼の周りにいた優しい女達のように、悩んだり悲しんだりする感情があるなどとは、とても思えなかった。
だがきっと、それは、彼自身にも言えることなのだろう。
彼自身を知らずに、ただ、彼が受け継いだ『炎の英雄』という名に群がった者達は、きっと、彼を完璧な偶像に仕立て上げているに違いないのだ。
公平にして高潔・・・常勝不敗の英雄。
グラスランドに自由を約束する、真なる火の紋章の継承者。
そんな、重い使命を背負えるほど、自分は強くない。
今も、シックス・クランの族長達や、敵であったゼクセン騎士団長・クリス、そして、何よりの脅威であったハルモニアの神官将の手を借りなければ、この城に拠った烏合の衆をまとめることすらできないのだ。
自身の不甲斐なさに重く吐息したヒューゴは、いつの間にか声がやんでいることに気づいて、壁から身を起こした。
―――― 行っちゃったかな?
何気なく、顔だけを覗かせたヒューゴは、ぎょっと息を呑み、慌てて首を引っ込める。
―――― びびびびび・・・びっくりしたぁっ!!
クリスと相手の男―――― ナッシュは、まだ立ち去ってはいなかった。
二人は、一つの影のように身を寄せ合い、会話の必要もないほど深いキスを交わしていたのである。
「―――― 聞いてくれてありがとう。おかげですっきりしたわ」
吐息混じりの声は、驚くほどの艶やかさを帯びて、ヒューゴの耳に届いた。
「いや―――― あんまり無理するなよ」
「うん、わかってる」
ナッシュの言葉に、返す声音も優しい。
―――― あんな・・・話し方するんだ・・・・・・。
見てはいけないものを見てしまったと言う後悔と羞恥に、鼓動を高鳴らせながらも、ヒューゴはまた一つ見つけたクリスの意外な面に驚いていた。
一瞬ながら、目に焼きついた光景――――。
意外にも華奢な腰に回された手に抱き寄せられ、上向いてナッシュを受け止めていた彼女・・・。
強大な存在だと思っていた彼女の、等身大の姿を見せつけられ、ヒューゴは混乱した。
―――― ひどい。
それは、八つ当たりだとわかっているのだが、そう思わずにはいられない。
―――― クリスさんは、ひどい。
今は、共に戦わなくてはならないとしても、いつかは戦場で対峙すべき相手である。
いや、それでなくとも、親友を殺した仇であることに違いはない。
なのに、彼女はこうやって一個の人間である事を見せつけ、感情のない人形・・・いや、冷徹な『敵』ではないと、ヒューゴの眼前に晒したのだ。
・・・・・・この戦いが終われば、いつも通りの日常が帰って来ると思っていた。
この城に拠って以来、ゼクセンの鉄頭たちが、血も涙もある人間であることはわかっていたが、それでも、心の中ではゼクセンが、そしてその象徴たるクリスが、敵であると言う認識を拭いさることはできなかったのだ。
「俺は・・・あんた自身を恨むことさえ許されないの・・・?」
人の気配がなくなった石の廊下で、ヒューゴはぽろぽろと落ちる涙を、何度も拭った。
ようやく涙も止まった頃には、階段を上る気力すら失せてしまい、ヒューゴはよろよろとえれべーたのボタンを押した。
「お待たせしました」
品の良い声とともに、えれべーたガールのシズが、扉を開けてくれる。
「・・・何階をご利用ですか?」
ヒューゴの様子が、いつもと違うことに気づいているだろうに、何も聞かず、微笑みかけてくれる彼女に、ヒューゴは2階を指定する。
「上へ参ります」
微かなモーター音と共に、えれべーたが動き出し、間もなく目的の階についた。
ビュッデヒュッケ城の2階には、現在、炎の英雄に乗っ取られた城主の執務室の他、図書室や彫刻の間などがある。
ヒューゴは、この古城にしては立派な大階段の側に設置された目安箱に歩み寄り、中に溜まった手紙を取り出した。
それは、この城に拠った人々を率いる炎の英雄となって以来、唯一の彼の仕事というべきものだった。
手紙のほとんどは、他愛のない内容だったが、中には重要な提案や深刻な相談も混じっている。
それら、一通一通に目を通していたヒューゴは、あるひとつの署名に手を止めた。
―――― クリス・ライトフェロー。
ゼクセン騎士団長からの手紙だ。
ヒューゴは、緊張気味に封を解き、几帳面な文字の連なりを目で追った。
『私からの手紙は不快だろうが――――』
そんな言葉で始まった文面から、目が離せない。
そこには、少年ながら重責を負う事になったヒューゴの苦労をおもんぱかり、今だけはかつての遺恨を封じ、協力を惜しまない、ということが、丁寧な言葉で連ねてある。
・・・・・・手紙を読み終わったヒューゴは、その文面から顔を上げずに、しばらく無言で立ちすくんでいた。
騎士団を率い、烏合の衆をまとめて戦う重責は、彼女も同じく背負っていることだろうに、未だ敵意を拭い去れない自分と違い、相手を気遣うことのできる彼女――――。
年齢や経験の差のせいにはしたくない、器の違いというものが、そこには確かに存在した。
―――― なぜ、クリスさんが炎の英雄じゃないんだろう・・・。
彼女は、炎の英雄の聖域に入ることを許され、手を伸ばしさえすれば、真なる火の紋章を手にすることもできた。
彼女だったら、族長達やハルモニアの神官将とも、うまく渡り合えたことだろうに・・・。
そんなことをじっと考えていると、突然、肩を叩かれて、心臓が跳ね上がった。
余程集中していたのだろう、人が側に寄ってきたことすら、気づけなかったのだ。
「どうした、少年?そんなに難しい顔をして」
のんきな口調で話し掛けてきた相手は、先ほど、クリスと一緒にいた中年男だった。
「・・・そんなに難しい顔してた?」
恥ずかしげに見上げるヒューゴに、ナッシュは陽気に笑って頷く。
「眉間に人生を刻むにゃ、まだ早いぜ?」
えい、と、皺の寄った眉間を突付かれて、ヒューゴはぎゅっと目をつぶった。
完全に子供扱いされて、腹が立たないわけではない。
が、クリスと違い、彼には年と経験の差を認めざるを得ない雰囲気があった。
思えば、チシャの村でクリスに斬りかかったヒューゴを止めたのもこの男だ。
すばやさには自信のあったヒューゴの前に立ち塞がり、短剣の切っ先を突きつけながら、穏やかに微笑んでいた彼――――。
ヒューゴは、彼の剣にではなく、その雰囲気に動きを封じられたのだ。
大人の余裕を見せて微笑む彼に呑まれまいと、ヒューゴは、ぐい、と、顔を上げて、ナッシュを見上げた。
「・・・ナッシュさん、口紅ついてるよ」
見ていたんだからね、との皮肉を込めて言ったつもりが、ナッシュはわずかの動揺も見せずに口の端を曲げた。
「へぇ?今日の姫は、口紅をつけちゃいなかったけどね?」
不信心者には見えない魔法の口紅かな、などとうそぶく様が、また憎らしい。
「・・・っ奥さんがいるのに、浮気なんてしていいの?」
恐妻家だとの噂を耳にしていたヒューゴは、更に畳み掛けたが、ナッシュは笑声を上げて頷いた。
「ハルモニアは、一夫多妻の国なんだよ。知らなかったかい?」
「・・・・・・・・・?一夫多妻、って、なに?」
「男は5人まで奥さんをもらっていい、ってことだよ」
もちろん、これは大嘘なのだが、ヒューゴは信じてしまった。
「そういえば、ホルテス7世もそんなことを言ってた・・・・・・・・・」
遠い国の王族だという、札作りの少年の話を思い出し、ヒューゴは深く頷く。
「じゃ・・・じゃあ、クリスさんはナッシュさんの第二夫人になるの?」
「姫がそれでもいいって言ったらね」
実は、結婚しているという話自体が嘘であるナッシュに、第一夫人などいるわけがないのだが、純朴な少年は疑うことを知らない。
クリスはそんな事情を知った上で、ナッシュとの関係を続けているのだと思い込み、そこまで人を愛せる女でもあるのかと、更に器の違いを見せ付けられたようで、落ち込んでしまった。
「あ・・・あれ?どうしたんだい、ヒューゴ?」
軽い冗談のつもりが、まともに受け止められた上に落ち込まれもして、ナッシュがやや慌てる。
「・・・・・・俺は、なんて小さいんだろう・・・・・・!!」
「確かに背は小さいわね」
ちょうど昼食から戻ってきたリリィの、余計な突っ込みが、更にヒューゴを沈めた。
「どっ・・・どーせ俺は、器も背も小さいよっ!!」
「き・・・気にするな、ヒューゴ!男の価値は身長じゃないぞ!」
ナッシュが必死にフォローするが、
「確かに価値の全てではないけど、一要因ではあるわよ」
無情に断言されて、ヒューゴは完膚なきまでに叩きのめされた。
「・・・・・・それで、絶対見返してやる、とでも誓ったのか?」
アヒルの呆れ顔などというものは、そうめったにお目にかかれるものではないが、ヒューゴのお目付け役とも言うべきダッククランの戦士、ジョー軍曹は、その表情とやや大げさなジェスチャーで、上手に自身の感情をあらわして見せた。
「そうだよ!
炎の英雄にふさわしい、大きな男になってやるんだ!!」
身長も器量も、誰にも文句を言われないような!と、絶叫したヒューゴは、彼に与えられた執務室の窓枠に、コウモリのようにぶら下がっていた。
「・・・・・・一応聞くが、そうやっていると身長が伸びるものなのか?」
「トウタ先生に聞いたんだから、間違いないよ!!」
ヒューゴはそう主張したが、ビュッデヒュッケ城の温和な医師は、正しくはそう断言したわけではない。
彼はヒューゴに、筋肉と骨格の成長過程について丁寧に語り、骨を伸ばす運動もひとつの方法だと言っただけだ。
「やれることからやるんだ!」
ナッシュと並ぶと、頭ひとつ分ほど小さなクリス・・・その彼女より、ヒューゴは更に頭ひとつ分小さい。
「追いつけ、追い越せ!!!」
拳を握ったヒューゴに、ジョー軍曹は大きな身振りで肩をすくめた。
「少しは成長したと思っていたが・・・・・・まだまだガキだな」
ヒューゴが、涙ぐましい努力を重ねているという噂を耳にしたハルモニアの神官将は、10代のまま時を止めてしまった顔に訝しげな表情を浮かべ、困惑げに首をかしげた。
「・・・・・・それ、まじめにやっているのかい?」
「そのようですよ」
ヒューゴに、涙ぐましい特訓を強いた張本人とも言えなくもないナッシュが、苦笑しつつ頷く。
「彼・・・真の紋章を継いだんだろう?」
ヒューゴと同じく、真の紋章を持つササライは、確認するように慎重に尋ねた。
「えぇ。だから炎の英雄を名乗っているわけですしね」
飄々としたナッシュの言い様に、ササライは眉を寄せる。
「それで、誰も指摘しないわけ?無駄だって」
「誰だって、夢も希望もある少年を泣かせたくないでしょう」
苦笑せざるを得ない、といった表情のナッシュに、ササライは憮然と吐息した。
「早く言ってやりなよ。真の紋章を継いだ時点で、成長止まってるって」
彼の努力は、常人が老いから逃れられないことと同様、完全な徒労だ。
だが、それを知っている人間は少数だし、実感している人間は更に少なかった。
「それはササライ様から言ってやってくださいよ。常人である俺たちが何を言っても、納得はできないでしょうからね」
「なんで僕が」
ササライの言い様は冷たい。
「こういう辛い現実はね、本人が自覚するまでほっとけばいいのさ。
勝手に偶像化されてるクリス殿には、いい迷惑だろうけどね」
ふふふ・・・と、細めた両目が、意地の悪い光を湛えている。
「信じるものはなんとやら。
あながち、届かぬ祈りでもないかもしれないよ?」
珍しく神官らしい言葉を吐いて、ササライは愉快そうに笑った。
〜Fin.〜
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