* 051 Love never dies *







 それは、一冊の脚本を拾ったことから始まった。


【序幕】

 「源氏物語・・・って、何?」
 聞いたことがない、と、素直に劇場支配人に脚本を差し出したヒューゴは、それを受け取る手が歓喜のあまり震える様に、ぎょっとして白い仮面に覆われた顔を見上げた。
 「とうとう・・・この幻の名作が現れましたか!!」
 感極まった様子で受け取るや、劇場支配人は、脚本をしっかりと抱きしめたまま放そうとしない。
 「早速・・・!早速配役をお決めください、ヒューゴ殿!!」
 さぁさぁと、迫ってくる支配人から懸命に逃げつつ、ヒューゴは悲鳴を上げた。
 「ちょっと待ってよ!だから、この話って、どんな話なんだよっ」
 内容がわからなきゃ、配役も決めようがない、と言う彼に、尤もと頷いて、支配人は姿勢を正した。
 「いづれの御時にか 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれてときめきたもうありけり・・・」
 「・・・・・・っ何語?!」
 訝しげに眉をひそめたヒューゴに、劇場支配人は芝居がかった大仰な仕草で、嘆かわしいとばかりに首を振る。
 「つまりですね、どの帝のご時世かは定かでないけれど、後宮に妃や女官がたくさんいた中で、身分こそ高い方ではなかったものの、帝の寵愛を一身に受けていた女性がいた、と」
 「じゃあ、最初からそう言ってよ。わからないよ、俺」
 むぅ、と、口を尖らせるヒューゴに、支配人は大きく肩をすくめると、優雅に一礼して話し始めた。
 「これは、簡単に言えば光源氏と言うプレイボーイの、女性遍歴のお話です。
 彼は、帝の皇子として生まれましたが、母上の身分が低かったために臣下に降されたのですよ」
 「ふぅん・・・。
 じゃあ、光源氏はナッシュさんだね。ナンパ男なんでしょ、あの人?」
 深く考えもせず、『光源氏』の欄にナッシュの名前を書き込みながら、ヒューゴは目線だけを上げて、仮面の支配人を見つめた。
 「・・・ねぇ、なんでこんなに『登場人物』の欄があるの?」
 しかも役名が読めない、と、ヒューゴが唸る。
 「ふじ・・・つぼきゅう?ろくじょう・・・ごそくしょ??おんなさんきゅうって、なに???」
 「ふじつぼのみや(藤壺宮)、ろくじょうのみやすどころ(六条御息所)、おんなさんのみや(女三の宮)ですよ、ヒューゴ殿」
 「何語〜〜〜〜・・・???」
 深い吐息交じりの声に、ヒューゴの泣き声が重なる。
 「源氏物語は、とても長いお話なのです。
 ロミオとジュリエットもそうしたように、こちらも、場面を区切って上演した方がよろしいでしょうね。
 ヒューゴ殿は、どのお話がお好みですか?」
 しかし、どのお話もなにも、ヒューゴはあらすじすら知らない。
 「任せます・・・」
 そう言うと、途端に活力を取り戻した支配人が、うきうきと脚本をめくり始めた。
 「そうですねぇ・・・どれでしたら皆さん、喜んでいただけるでしょうか!
 六条御息所が生霊となってしまう『夕顔』もさりながら、禁じられた恋に身も心も焦がす『藤壺』・・・。
 あるいは、山里で見つけた永遠の恋人『紫の上』に、危険な恋のスリル『朧月夜』。須磨に流された際の『明石』・・・・・・」
 「・・・・・・そんなにいるの」
 「えぇ、もちろんですよ!『末摘花』もなかなかに面白いのですが・・・そうですね、こちらには大人の女性も多いことですし、いっそ、哀しみの三角関係、『女三の宮』などいかがでしょう?!」
 「・・・いかがでしょうも何も・・・。
 ナディールさんがいいって言うんなら、別に何でもいいよ」
 あからさまにめんどくさいと言わんばかりに、ヒューゴは支配人が新たに差し出した一覧表を見つめた。
 役名は、『光源氏』『女三の宮』『紫の上』『柏木』『夕霧』『朱雀院』である。
 「・・・よかった・・・。6人にまで減ってる・・・」
 「本当でしたら、もっと大掛かりに・・・」
 「いいよ、これで!!」
 支配人に慌てて言い添えて、ヒューゴは再び、一覧表に目を落とした。
 「ナディールさん・・・・・・」
 「はい!決まりましたか、ヒューゴ殿!!」
 嬉しげに手を差し出した支配人に、ヒューゴは首を横に振った。
 「これ、どれが男でどれが女なのか、教えてくれる?」
 「・・・・・・・・・・・・」


 「冗談を言っている暇があれば、部隊の編成でもしていろ」
 従来の(当社比)100倍ほど不機嫌&無愛想な返答を受けて、ヒューゴは怯んだ。
 ビュッデヒュッケ城、地下1階に刺さった船の、船室でのことである。
 優雅に午後のお茶を楽しんでいたクリスの機嫌を、奈落の底に突き落とした少年は、しかし、勇敢にもゼクセン騎士団長に対し、再度申し出た。
 「そんな事言わないで、やってくださいよ、女三の宮役!!」
 「冗談ではない」
 けんもほろろな言いように、さすがのヒューゴもむっとする。
 「どうしてダメなの?!」
 「私は道化ではない!人前で、三角関係の一角などやれるか!!」
 大体、なぜ私が女三の宮か、と、ティーテーブルを拳で打つ彼女に、ヒューゴは口を尖らせた。
 「だって、劇場支配人の命令なんだもん!」
 「なっ・・・なんでまた・・・・・・!
 私はあまりの酷評に、ジュリエット役を降ろされた人間だぞ?!」
 舞台に立ってもろくに台詞も言えず、ただ突っ立っていただけの彼女にあきれ果て、『もう出なくていい』と言ったのは彼だったはずだ。
 しかし、
 「あのね、今度の役は、台詞はないんだって。ただ着飾って、ぼーっと周りを見ていればいいからって」
 そうなると、女三の宮役は見栄えのいい方がいい。
 「見栄えだけは城一番だからね、クリスさん」
 悪気のない、残酷な一言に、クリスは派手な音を立ててティーカップをソーサーに戻した。


【源氏物語 〜女三の宮〜】

 舞台にしつらえられたのは、黒い格子が白木に映える、寝殿造りの一室。
 淡い朱鷺色の薄紗を流した几帳をはさみ、二人の人物がライトの中に浮かび上がった。
 『ここはさきの帝、朱雀院(すざくいん)のまします邸――――』
 闇に沈んだ観客席に向けて、支配人の深い声が語りかける。
 『出家された院は、娘達の中でも最もかわいがっている女三の宮をお側に召され、物思いに深くうなだれておられました・・・』
 「あぁ、クリス・・・じゃなかった、三の宮!
 とうとうお前をあの最低最悪のナンパ男に嫁がせなければならないなんて・・・・・・っ!!」
 苦虫を千匹も噛み潰したような顔で唸るジンバを、クリスは几帳越しに、訝しげに見遣った。
 このカラヤ族の男は、妙に実感がこもっているが、実際に娘を嫁がせたことがあるのだろうかと―――― 彼が、自分の本当の父親だと知らないクリスの、怪訝な表情に気づかないまま、ジンバの演技に熱がこもって行く。
 クリスを見つめる目に涙を溜めつつ、彼は手を伸ばして愛しい娘を上座に抱き上げた。
 「あぁ・・・本当はお前を、あんなナンパ男になんぞくれてやりたくはないのだ!
 だけど、パパはもう長くないだろうし、お前をこのまま後ろ盾もなく残しておくのは不安だし!!!」
 ―――― 私だったら一人でも生きていけるが、やんごとない姫君と言うのはそういうものなのか?
 そんなことをぼんやりと考えながら、クリスは劇の進行をジンバに任せ、なされるがままに抱き寄せられる―――― クリスが、ただおとなしく舞台上にいさえすれば、二度と出演交渉はしない、という、支配人との約束を信じて、彼女はただ、流される。
 「でも!行かず後家なんて言われてもかわいそうだし!!」
 内親王(ひめみこ)は独身が通例なのだから、別に結婚しなかったからと言って『行かず後家』呼ばわりされることはありえないのだが。
 ジンバのアドリブを恐れた支配人が、その情報を握りつぶしたために、彼は一層悲嘆にくれた。
 「くりすっ!!
 奴がお前に何か不埒な事をするようなら、迷わず殺って帰って来い!
 パパはいつでも、お前が帰ってくるのを待っているからねぇぇぇぇぇぇっ!!」
 本当に演技なのか、と、観客がざわめきはじめたため、ジンバは無理矢理クリスと引き離された挙句、舞台からも引きずり降ろされた。
 「はぁ〜なぁ〜せぇぇぇぇぇ〜〜〜〜!!!クリスちゃぁぁぁぁぁんん!!」
 それでもなお、泣きながら舞台に戻ろうとする彼を、この日、特別に劇場用ボディーガードとして雇われたゲドが引っ立て、舞台袖です巻きにするという一幕を経て、舞台は光源氏の邸へと移った。


 『当代並ぶ者なき権勢を誇り、飛ぶ鳥を落とす勢いの光源氏は、広大な六条の邸に数多くの女人を住まわせ、この世の春を楽しんでおりました』
 「―――― 兄上が、皇女を下賜するぅ?」
 舞台中央に座しているナッシュは、とんでもない情報を持ち帰ったといわんばかりに顔をしかめ、正面に座る夕霧役のボルスをねめつけた。
 「誰に?」
 「・・・あなたにですよっ!父上!」
 「ダメダメ。
 俺にはそりゃあ恐ろしいカミさん・・・いや、紫の上がいるんだから、皇女なんてもらっちまったら殺される」
 「断れると思っているんですか?朱雀院さまのご命令ですよ?」
 「ちっ!兄貴の奴、嫌がらせか・・・ぶっ!!」
 忌々しげに呟く彼を特製ハリセンで張り倒し、ボルスがにやりと笑った。
 「朱雀院さまに対したてまつり、無礼です」
 「息子が親をぶつか?!」
 「この場ではいいんです。
 それより、一刻も早くお礼言上してください。
 降嫁されるのはよりによって、朱雀院の掌中の玉といわれる女三の宮であらせられますから。
 断ったりしたら、また流刑ですよ」
 あからさまな脅しに、きつく眉根を寄せるナッシュを、ボルスはにやりと笑って見遣った。
 「それから紫の上には、父上からちゃんとお話してくださいね。俺、怖くて近づけませんから」
 軽く笑声を上げながら、惨い事をさらりと言って、ボルスは腰を上げた。
 「今夜は俺、柏木と一緒に宮中で宿直(とのい)ですから、助けを呼んでも無駄ですよ。二人で十分話し合ってください」
 「ゆ・・・夕霧ぃぃぃぃぃっ――――――――――!!!」
 ナッシュの悲痛な叫びを聞こえないふりで無視し、ボルスはすたすたと退場した。
 残されたナッシュは、牛車の過ぎて行く音を遠くに聞きつつ、床に伏したままぴくりとも動けない。
 「今日は俺、物忌みなのにぃ〜〜〜〜〜〜!!!」
 『・・・物忌みとは、占いで全ての行動を決めていた平安貴族の風習であり、縁起の悪い日には外出を控えるなど、多くの行動を制限するものでした。
 ―――― もちろん、サボりたい日の言い訳としても使えるものではありますが、光る君にとって、今日は本当に厄日だったようでございます』
 「なんでこんな、めんどくさい事が〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 支配人のナレーションにナッシュの実感を帯びた台詞が重なり、劇場が笑いに沸く。
 更に、
 「兄上は今でも、俺が朧月夜を奪った事を根に持っているんだろうか・・・兄上はいつも俺に冷たいし、今回もきっと、舅としてなんやかやといじめるつもりだ・・・」
 ぶつぶつと、暗い台詞を並べ立てるナッシュに、クスクスとあちこちから笑声が上がる。
 そのタイミングで、
 「だいっきらいだ、兄さんなんてっ!!」
 と、拳を握ると、劇場がどっと沸いた。
 そんな観客の反応を満足げに眺めつつ、支配人は次なる登場人物を紹介した。
 『光る君のご困惑もさることながら、紫の上のお嘆きは推し量るべくもなく・・・。
 光る君が、幼い頃より理想の女性として育て、いつくしんだ彼女は、大変な美貌の持ち主であり、当代一の貴婦人として、確固たる地位を築いておりましたが、この度の内親王(ひめみこ)御降嫁(こうか)対しては、お心安らかではいられなかったようでございます』
 支配人のナレーションに導かれるように、舞台に一人の女性が現れた。
 その見知らぬ姿に、多くの観客が『誰だ?』という囁きを口にしたが、その中で一人、テレポーターの少女が目と口を丸くして声を上げる。
 「シエラさん!!」
 少女の声にちらりと笑い、さやかな衣擦れの音と共に歩み寄って来る気配に、ナッシュは床に伏したまま、硬直した。
 「夕霧はもう出てしもうたのかえ?菓子でも進ぜようと、思うておったのじゃがな」
 涼やかな少女の声なのに、ナッシュは突っ伏したまま、蛇に睨まれた蛙のように脂汗を浮かべる。
 「いかがした、殿?なにかあったのかえ?」
 冷え切った口調が、刺さるようだ。
 ―――― まさか・・・まさか・・・まさか・・・・・・・・・。
 同じ単語が、頭の中をぐるぐると回っている。
 ―――― まさか、『決戦・ネクロード』の舞台でナレーターをやった時、俺が『妖怪オババ』って言ったことがばれたのか?!
 床に這ったまま、びくびくと震えるナッシュの傍らに立ち、シエラは、慈愛に満ちた柔らかい声で呼びかけた。
 「殿?どうなされたのじゃ、そのように震えて」
 ―――― 知っている・・・この口調は、完全に知っている・・・・・・!!
 ぱり、と空気が弾かれ、波紋が広がるように劇場内に震えが走る。
 「なにか言うてはいかがじゃの?わらわがこのように話しかけておるものを、無礼であろうが」
 ぱりぱりと、空気を裂く音が強くなり、青白い光がナッシュの頬を照らした。
 「殿!!」
 「すっ・・・すまん、シエラっ!!あの時はつい、調子に乗って・・・っ!!」
 「台詞が違うわ!!」
 「えっ・・・えっとっ・・・!?
 あ、ちっ違うんだ、上!!俺が欲しいって言ったんじゃなくて、朱雀院が勝手に押し付けてきて・・・・・・!!!」
 「おんしが欲しいと言わずとも、御降嫁を受けるつもりならば同じことではないか!!」
 幾重にも重ねられた袖から白い腕が伸び、手中に生まれた電撃を容赦なく放つ。
 「んぎゃあああああああ!!」
 劇場中に響き渡った悲鳴に、観客達が思わず首をすくめた。
 「ひ・・・ひどいよー・・・痛いよー・・・」
 観客達が唖然と見守る中、力なく泣き続けるナッシュを、シエラは冷たく見下す。
 「酷いのはおんしの方じゃ!このように大事なことをわらわに報せずにおるとはの!」
 「俺だって今聞いたんだ!」
 「わらわはとっくに聞いておったぞえ!!」
 『・・・この当時、ひらがなを発明するほど筆まめな上流女性の情報網は侮れず、宮中の奥深く、内裏の中にまで入り込んでいたと申します』
 「本当だって!物忌みでずっとサボ・・・い、いや、ずっと出仕していなかったから、情報が入ってこなかったんだ!!」
 「夕霧が、あれほど頻繁に来ておったのにか!」
 「仕方ないだろう!やつはこの手の情報に疎いんだから!!」
 『―――― 光る君の息子、夕霧は、父親に似ず純粋な性格で、色事には少々おくて気味でございました』
 「情けない!ようもそんなことで、あの宮中を生き抜いて来られたものじゃ!」
 「いや・・・追い出されて流された身の上じゃ、生き抜いたとは言わないと思うけど・・・・・・」
 口答えしたナッシュに、再び怒りの電撃が降り注いだ。
 「ひ・・・ひどいよー・・・痛いよー・・・」
 「わらわの異変に気づかぬ男なぞ、もうしらぬわ!勝手に姫でも嫁でももらうがよい!!」
 「異変って・・・・・・」
 そこでナッシュは、初めてシエラの顔を見上げた。
 「あれ・・・・・・?」
 碧眼を大きく見開き、しばし言葉を失う。
 「シエラ、カツラ忘れてるぞ!」
 ナッシュは、慌てながらも、声を低めて囁いた。
 時代考証にこだわる支配人の演出によって、この劇に出演する女性は全員、長いカツラを用意されたはずだが、彼女の髪は、以前会った時と同じく、肩のあたりでさらりとゆれている。
 が、シエラは涼しい顔で、
 「わらわはおんしを捨てて、尼になるのじゃ!もう二度とここには戻って来ぬからな!そう心得よ!!」
 「尼!?なんでっ!?どうしてそんな酷いことばかりするんだ!?」
 「どうせおんしは、皇女(ひめみこ)の降嫁を断れぬのであろう!ならば、わらわがここにおる理由なぞないわ!」
 「だって!断ったら流罪・・・・・・いや、今度は死罪かも!!」
 「そんなことがわらわより大事か!!」
 シエラの言葉に、ナッシュが声を詰まらせる。
 「おんしがわらわを『一の御方』と呼ぶものじゃから、わらわはここにいてやったのじゃ!新たな一の御方が来るのであれば、わらわがここにいる理由なぞない!」
 言うや、シエラは裾を払ってきびすを返した。
 「紫の上!」
 ナッシュが呼び止めようとするが、シエラは振り返りもせず、ずかずかと歩み去って行く。
 「待って下さいってば、上ー!!!」
 重い衣装を纏っているとは思えないほど機敏な動きをするシエラを必死に追うナッシュの絶叫は、劇場内に響き渡った。


 『さて、かたがたの思惑をよそに、女三の宮御降嫁は決定され、いよいよ姫宮が六条院に入られることとなりました』
 支配人の指し示す先にライトが当たり、扇で顔を隠したクリスを、ナッシュが横抱きに抱えて牛車から降ろすシーンが演じられる。
 「・・・すまん、ナッシュ。重くないか?」
 こっそりとクリスが囁くと、彼女を抱えたナッシュが苦笑する。
 「姫自体より、衣装が重いねぇ・・・。おじさん、ぎっくり腰にならなきゃいいけど」
 「気をつけてくれよ。こんなことでお前が使い物にならなくなったら、ササライ殿にどんな嫌味を言われるか・・・」
 不安げなクリスに、ナッシュの苦笑も深くなる。
 「重々、肝に命じるよ」
 そういう間にも、ナッシュは舞台にしつらえられた一室にクリスを運び入れ、下座に座った。
 「三の宮様は、この屋敷の女主となられました。どうぞ、宮中にあられた時と同じく、お心安らかに過ごされますよう」
 黙ったまま、クリスはこくりと頷いた―――― 台詞が全くない上に、周りの会話を聞いているだけでいいというので、比較的気楽に受けてしまったが、これが意外と気の張るものだった。
 何よりも、何枚も重ねた衣装に身動きを封じられているのが不満だ。
 ―――― 今襲われたら、どうやって戦えと言うのだろう・・・。
 姫宮の衣装だと言うことで、彼女の衣装には豪華な付属品が色々と付いている。
 脱ごうともがいているうちにやられるかもしれない・・・!
 衣装が重いせいか、暗い考えが次々と浮かぶクリスの傍らで、劇はどんどん進行していた。
 『・・・女三の宮を迎えたとは言え、光の君の一の人は、やはり紫の上であられました。
 その上、紫の上のご不調も相俟って、女三の宮の元へ通う足は、次第に遠のいていったのです。
 それが・・・不幸の始まりでございました』


 舞台暗転の後、新たに現れた二人の人物に、スポットライトが当たった。
 『・・・さて、光の君の息子、夕霧には、柏木と言う、仲のよい友人がおりました。
 右大臣家の総領息子にして、なかなかの野心家でもあった彼は、御降嫁以前より、女三の宮をお慕いしていたのでございます』
 「貴族の男として生まれたからには、女人も望みうる限り最高の人を得たいものだ」
 舞台中央で、堂々と嘯いたパーシヴァルの台詞に、ボルスが演技ではなく眉をひそめる。
 「だからといって、既に御降嫁された方を、いつまでもお慕いしてどうする。いい加減、諦めろよ、柏木」
 「いいや・・・あの風の強い日、六条院で催された宴の席で垣間見た、女三の宮様のお美しさが忘れられぬ。俺はなんとしても、あの方に・・・」
 「だから、それは不倫だと言ってるじゃないか!!
 それはまぁ、確かに、あの男の目に余るナンパ振りを懲らしめるにはやぶさかではないが、クリ・・・いや、女三の宮様を巻き込むことは、俺が許さん!!」
 「・・・ボルス、本音が混じっているぞ」
 パーシヴァルに囁かれ、ボルスが気まずげに咳払いをする。
 「とっ・・・ともかく、お前も身を滅ぼしたくなければ、よく考えて行動するんだな!」
 「理性など・・・」
 舞台上から去っていくボルスの背を見送りながら、パーシヴァルが物憂げに囁いた―――― 女性客に、流し目を送ることも忘れずに。


 ――――・・・なんか今、大勢のため息が聞こえた気がするけど。
 寝殿造りのセットの中、几帳の陰から、クリスは訝しげに観客席を見遣った。
 舞台では、柏木役のパーシヴァルが登場した頃だ。
 ―――― あいつのことだから、女性客達に過剰なサービスでもしているんだろう、きっと。
 彼が何をやっているのか、簡単に想像がついて、クリスは扇で苦笑を隠した。
 ―――― しかし、いつまで続くんだ、この劇は?台詞がないからと、ろくに脚本も読まなかったが・・・こんなことなら、一通り読んでおくべきだったな。
 幾重にも重なった襟元をほんのわずか開き、扇で風を送りつつ、劇の進行を眺めていると、突然、彼女の姿を隠していた几帳が乱暴にどけられた。
 「えっ・・・?!」
 驚いて、目を丸くするクリスに、几帳をどけたパーシヴァルが、ちらりと笑みを浮かべ、密かに様子を伺っていた支配人が、小さくガッツポーズを握る。
 この先の展開を教えていては、絶対にクリスに拒否されると踏んだ彼は、クリスに与えた脚本からこの後の記述を全て消し、彼女の自然な反応に任せたのだ。
 そうとも知らず、クリスは支配人の掌の上、世間知らずの姫君そのままの反応で、呆然と柏木役のパーシヴァルを見つめている。
 「ご無礼をお許しください、三の宮様」
 「はぁ・・・?」
 無礼だと思うならやるな、という突っ込みは、観客の視線の前に飲み込まれた。
 「しかし、どうか私の想いをお汲みとりください!
 私は、光源氏の君よりも以前から、あなたの事をお慕い申し上げておりました」
 「はぁ・・・・・・」
 なんだかよくわからないが、そういう展開だったのか、と、クリスはパーシヴァルがまくし立てる台詞を聞いている。
 「愛しいあなたを、あんな中年のナンパ男に盗られるなんて・・・!まさに、とんびに油揚げさらわれた気分ですよ」
 ―――― 私が油揚げだと?人をなんだと思っているんだ、こいつ。
 パーシヴァルの台詞にクリスが憮然としていると、いきなり抱き寄せられた―――― 舞台袖で、す巻きにされたまま劇を見ていたジンバが、観客席の女性達にも勝る凄まじい悲鳴を上げる。
 「あの若造!!俺のクリスちゃんになんてことしやがるか!!」
 怒りのあまり、ロープを引きちぎろうとするジンバを、ゲドが、猛獣使いさながらに押さえつけた。
 その間にも、劇は進行している。
 「私を憐れと思し召しならば、どうか、私に情けをおかけください」
 「へ?!情けってなんだ・・・って、こら!!何をするか・・・っ!!」
 「クリスちゃんっ!!クリスちゃん、逃げてぇぇぇぇぇっ!!!!」
 ジンバの応援に後押しされたわけでもないだろうが、重い衣装に身動きを封じられていながらも、クリスは見事な筋力でパーシヴァルを押しのけようとする。
 「くっ・・・クリス様、おとなしくしてください!」
 思わぬ抵抗に、パーシヴァルは慌ててクリスの口を手で塞いだが、それは逆効果でしかなかった。
 紫の瞳に怒りの炎が灯ったかと見るや、パーシヴァルの視界が反転した。
 「恥を知れ、馬鹿者!!」
 重い衣装に動きを封じられながらも、見事なジャーマンスープレックスを決めたクリスは、長い髪を後ろに払って、すっくと立ち上がる―――― 彼女の勇姿に、観客達が、惜しみない拍手を送った。
 「婦人の寝所に押し入ったばかりか、力ずくで思いを遂げようとするとは、何事か!!」
 「クリス様!これは劇で・・・」
 床に叩きつけられた頭を抱え、必死に抗弁するパーシヴァルを、クリスは一括する。
 「ええい、黙れ!支配人!!」
 『はっ・・・?』
 突然の暴挙に、呆然と舞台上を見つめていた支配人が、クリスの憤怒の形相に、我に返った。
 「他に演目もあるだろうに、よりによってこのような不倫劇を選ぶとは何事か!」
 「不倫とは聞き捨てなりませんね!これは、格調高い王朝絵巻のワンシーンですよ!!」
 演劇に情熱を燃やす支配人の反駁は、しかし、更なる激昂で反撃された。
 「何が格調か!!子供も見ている前で、こんな恥知らずな役を演じられるか!!」
 「あなた何も演じていらっしゃらないでしょうが!!」
 鋭い突っ込みに、クリスは一瞬、言葉に詰まったが、すぐに気を取り直し、
 「演じてなくとも、ゼクセン騎士団長たる者、多くの面前で辱められては沽券にかかわる!!」
 「辱めって・・・・・・」
 ジンバとは反対側の舞台袖で、舞台上を見守っていたナッシュが、傍らのシエラに苦笑した。
 「パーシー君もかわいそうに。アドリブで切り抜けようにも、支配人まで巻き込んでの騒ぎじゃ、治めようがないねぇ」
 「ならば、おんしが治めてやってはどうじゃ?」
 容のよい唇に、ひんやりとした笑みを浮かべるシエラに、ナッシュが苦笑を深める。
 「触らぬ神に・・・」
 「くどくど言わず、とっとと行かぬか!」
 途端、凄まじい音と共に舞台上に雷がはじけ、その高圧電流に耐えかねた照明が全て落ちた。
 と、同時に、反対側の袖でも、舞台が暗転した隙を逃さず、最も危険な人物が監視者の手の内から抜け出していた。


 再び舞台に明かりが灯った時、舞台上には相変わらず頭を抱えて唸るパーシヴァル、とりあえずナレーターである支配人を確保し、引き離したナッシュ、そして、父親役のジンバに保護されたクリスが、息を潜めるようにして状況を見つめていた。
 「・・・あー・・・。ゴホン・・・」
 支配人を、ナレーターの立ち位置に戻したナッシュが、気まずげに咳払いした後、クリスとジンバに向き直った。
 「これは兄上、我が家にお越しとは存ぜず、失礼を致しました」
 にこりと微笑み、そこで初めてパーシヴァルの存在に気づいたかのように驚いてみせる。
 「柏木、そんなところで何をしている?」
 「・・・・・・光源氏の君に見つかっては仕方がない。
 私は君に御降嫁の決定がなされる前から、三の宮をお慕い申し上げていたのです!」
 「ええぃ、若造!!それ以上クリスちゃんに近寄るな!!」
 そう言って、クリスににじり寄ろうとするパーシヴァルに幾度も蹴りを繰り出すジンバの姿は、大人げのかけらもない。
 ―――― 少しは協力しろよ、馬鹿・・・。
 アドリブで、何とか平和的な解決へ導こうとしていたところを、ジンバにあっさりと挫かれ、ナッシュが忌々しげに舌打ちする。
 「――――・・・そうだ、柏木!いくら三の宮様に思いを寄せていたとは言え、我が邸に忍ぶとは何事だ!」
 第2の解決策を実行すべく、パーシヴァルをなじれば、彼はちゃんと心得て、
 「これは、光る君のお言葉とも思えません。
 人を想い、焦がれる気持ちは、誰よりもご存知のはず」
 と、即妙に返してくる。
 ―――― が。
 「小童が何ぬかすか!お前がどんなに想い焦がれようと、パパは絶対絶対絶対許さないもんね!」
 空気を読まないジンバの台詞に、さすがのナッシュもこめかみを引きつらせた。
 「いい加減にしろよ、ワイアット!!」
 声を低めてはいるが、苛立ちは隠しようもなく、どうしても語気が荒くなる。
 「こっちは、何とか無事に芝居を終わらせようとしてるんだ!邪魔するな!!」
 早口にまくし立てると、彼はめちゃくちゃになった劇をなんとか解決に導こうと、パーシヴァルと協力して適当な台詞を並べだした。
 「・・・確かに、若輩であり、未だ身分も低い私を、朱雀院がご信頼なさらなかったのも無理はない。
 ですが今、姫宮は、紫の上様の前に蔑ろにされておられる!それを私がお慰め申し上げたからとて、何の咎めを受けましょう!」
 「・・・耳の痛いことだ、柏木。だが、相手を考えよ!
 私は準太上天皇にして、院の称号をいただいた身。そして、姫宮は二品の位にあられる内親王であられる。
 若気の至りというには、あまりにも無謀ではないか?」
 台本にない台詞を、次々と考え出してはなんとか本筋に戻そうと努力する二人の声も、しかし、クリスには全く聞こえていなかった。
 頭の中で、ナッシュがつい口にした名を反芻しながら、自分を守るように抱きしめる、カラヤ族の男の顔をじっと見上げていた。
 「・・・・・・お父様?」
 幼い頃の記憶を必死にたどり、おぼろげな父の面影を探る彼女の言葉に、ジンバは、ぎくりとしてクリスへと視線を落とした。
 大きく見開かれた紫の瞳が、今にも零れそうに涙をたたえている。
 「お父様なのですか?」
 再び囁けば、彼は、気まずげに目を逸らした。
 その挙措に、クリスは却って確信を持った。
 「お父様なのでしょう?だってさっき、ナッシュがあなたの事を、ワイアット、と・・・」
 「いや・・・それは・・・・・・」
 ジンバは、救いを求めてナッシュを見遣ったが、彼はパーシヴァルと支配人の協力のもと、アドリブの応酬に忙しく、とてもジンバに気を遣う余裕などない。
 彼らの、必死の努力の甲斐あって、原作とは微妙に道をはずれながらも、なんとか劇は、大団円に導かれようとしていた。
 「それほどに紫の上を愛しておいでなら、共にご出家なさるとよい。その後、三の宮様のことは、私にお任せを」
 パーシヴァルの台詞を受けて、支配人もナレーションを続けた。
 『―――― 紫の上ご出家以前より、ご自身も求道のお志を持たれていた光源氏の君は、柏木の言葉に胸打たれたようにございます』
 「・・・なるほど、このままでは、我が心は二つに引き裂かれ、心安く求道に赴けるはずもない」
 しかし、と、物言いたげに視線を移したナッシュは、彼らの必死のアドリブに目もくれず、見つめ合っている親子に再びこめかみを引きつらせた。
 ―――― あんの馬鹿親子!!誰のためにこんな苦労をしていると思ってるんだ?!
 ぎろり、と睨むと、さすがにジンバは、その剣呑な雰囲気に気づいたらしい。
 ナッシュを見て、びくり、と、頬を震わせる様に、ナッシュは冷たい笑みを浮かべた。
 「この際、姫宮に決めていただきましょうか。
 このまま我が妻として、六条院の女主でい続けるか、私と離婚して、未だ若輩ながらも、一心に貴女を想う柏木の妻になるか」
 「え?!」
 彼らのやりとりを、全く聞いていなかったクリスは、突然話を振られて、あからさまにうろたえる。
 「兄上のご意思により、心ならずも私に御降嫁なされた貴女だ。
 もし、私などより、若い柏木の方がお心に適うとおっしゃるのであれば・・・・・・」
 「姫宮、どうか・・・!」
 ナッシュとパーシヴァル・・・二人に答えを迫られ、本気で困惑するクリスを、観客も、『どちらを選ぶのか』と、固唾を呑んで見守る。
 「そんなことを言われても・・・・・・」
 助けを求めるようにジンバを見上げれば、彼はクリスよりもうろたえた様子で、震える唇を噛みしめ、『誰にも渡さない』とばかりに、彼女をしっかりと抱きしめている。
 その様に、クリスは、最初のシーンでの違和感を思い出した。
 ―――― 私だったら一人でも生きていけるが、やんごとない姫君と言うのはそういうものなのか?
 その言葉を思い浮かべるや、唐突に、クリスはジンバの腕を抜け出して立ち上がり、長く重い裾を捌いて、寝殿の端近に歩み寄る。
 ゆっくりと、ナッシュとパーシヴァルを見比べる彼女の所作に、観客の期待は高まって行った。
 「悪いが、私はどちらも選ぶつもりはない」
 深窓の姫君にしてはきっぱりとした声が、凛、と劇場に響く。
 「お前達に心配してもらうまでもなく、私なら一人でも生きていける。
 だから光源氏の殿、六条院の女主の地位は、紫の上にお返しするし、柏木とやら、お前も不倫などに惑わされず、まっとうな恋人を探せ」
 以上!と、クリスは、まるで騎士団長の訓戒であるかのごとく締めくくり、踵を返した。
 「そういうわけでお父上様、私はお父上様の元に戻り、静かに暮らしとうございます」
 にこりと笑うと、ジンバは、クリスを抱きしめ、泣きじゃくる。
 「・・・・・・終幕じゃのう」
 舞台袖で、面白くもなさそうに呟くと、シエラは照明装置に手を掛け、一気に舞台上を暗転させた。
 『・・・・・・ご観劇、ありがとうございました』
 闇の中に、非常に憮然とした支配人の声が響き、終幕を告げると、観客も納得しがたい思いなのだろう、お義理のようにぱらぱらと拍手が沸いた。


【終幕】

 「・・・・・・このままではいけません!!」
 観客のいなくなった劇場で、居心地悪げに佇む本日の役者達を前に、支配人は拳を握り、肩を震わせた。
 「華麗なる王朝絵巻、千年の雅を、このような形で公演するなど、神が許しても私が許しませんっ!!」
 「ま・・・まぁまぁ、一応、無事に終わったんだし・・・・・・」
 上演中の激昂はどこへやら、いつも通り、曖昧に笑いながら中を取り持とうとするナッシュに、怒れる白仮面が迫る。
 「あなたのアドリブには感謝いたしますが、私は新たなる使命を見出しましたよ、ナッシュ殿!」
 「は・・・はぁ・・・?」
 「私の手で、この名作を全て上演します!!それと同時にクリス殿、貴女を、一流の女優になるまで鍛え上げますからね!」
 「えぇっ?!これで最後だって言ったじゃない・・・!」
 「おだまりなさいっ!!」
 クリスの反駁は、しかし、凄まじい怒りのオーラに封じられた。
 「舞台を荒らした者に、その台詞はまだ早い!大抵は『これで最後』ではないのですよっ!」
 「それ、俺の台詞・・・・・・」
 十八番の台詞を奪われたナッシュが、呆然と呟く。
 「幻の名作をめちゃくちゃにした罰です!クリス殿はもとより、皆さんも当分は出陣せず、私の演技指導を受けなさい!!」
 劇場支配人の、ヒステリックな絶叫に、未だこの場に留まっていたシエラが、ぽつりと呟いた。
 「・・・難儀な事よのぉ・・・・・・」
 しかし、暇つぶしには良いかも知れぬ、と、彼女は赤い瞳に笑みをたたえ、淡い色の唇をほころばせた。


 ―――― この後しばらく、真の水の紋章の継承者であるジンバまでもが、支配人によって城外に出ることを禁じられたため、破壊者達はシンダル遺跡の扉を開けることもできず、グラスランドの地は平和だった。
 しかし支配人は、図らずも自身が、『ペンは剣よりも強し』を実践したことに、全く気づいていなかったのだった・・・。



〜Fin.〜











お題51『Love never dies』です。
これは、最近『あさきゆめみし』に読みはまったから書いたわけではなく、前回の『雄叫び』と一緒に発見した、書きかけネタです(^^;)>むしろ、これを発見したがために読み返したのですよ;
元は、原作通りの、ダークで救いのない18禁でした。
・・・・・・だってね、本当はこれ、裏クリス祭、『L&Sフェア』に出品予定の作品だったのです(^^;)
私の主流はナックリで、時々浮気でアルクリですが、この時はパークリにも傾きかけていまして。
『やるんなら三角関係なんていーんじゃなーい?』と、ふんわりかるーく考えて作成中だったのですが、『いかん、間に合わん;;』と、書きやすいアルクリ&ナックリに逃げたと言う経緯があります(^^;)>そしてそのまま忘れた鳥頭ー;;
なので、ギャグにして再構成。
・・・オチが・・・オチがない・・・・・・!(涙)
こんなものでも、お楽しみいただけたらうれしーです(^^;)
 













 百八題