* 070 眠り *
 












 ・・・・・・・・・俺はグラスランド端にあるチシャ村で、名物ワインをすすりながら、醒めてしまった酔いをなんとか取り戻すべく、努力していた。

 目の前では、雌トラが暴れている・・・・・・・・・。
 「なぁ〜にが『英雄』だ!!奴らは私のことなんか、着飾ってにこにこ座ってりゃいいと思っているんだ!!私達にだけ危険を押し付けておいて、自分達は血の匂いも届かない場所で遊興に耽っているんだからな!!」
 どがんっと、激しい音を立てて卓上に戻されたワインの瓶は、粉々に砕け散った。
 「私は道化じゃない!!奴らの見栄と次期選挙の為に見世物にされるなど、侮辱もいいところだ!!」
 そうだろう?!と、絡んだ相手はカラヤの民族衣装をまとっている。
 「そうだ!!姉ちゃんの言うとおりだ!!
 鉄頭の首領なんざ、切り刻んで馬の餌にしてやる!!」
 「なんだと、貴様?!やるか?!」
 言葉と共に繰り出された拳に、息巻いていた男は5mほど空中浮遊をした後、重い音を立てて床に這った。
 「ね・・・姉ちゃんの・・・ことじゃ・・・な・・・い・・・・・・」
 そう呟いて事切れた男の冥福を、心中に祈る。
 「クリス・・・・・・そろそろ寝ようとか思わないか?」
 「うるさい!!夜はこれからだ!!」
 ―――― 確かに今はまだ宵の内だが、こんな時間から酔っ払っているお前の相手なんざ、これ以上やってられるか!!
 心中の絶叫は、決して放たれることはない。
 俺は黙って杯に残ったワインを飲み干し、すぐさま手酌で杯を満たすと、『ゼクセン騎士団応援歌』を放歌しようとしたクリスに空瓶を投げつけた。
 「何をするか!!」
 「すまん。手が滑った」
 我ながらいけしゃあしゃあと、酔っていながらも見事な動きで空瓶を避けたクリスに言った。
 ・・・・・・さっきから、この女が『ゼクセン』だの『騎士団』だのという言葉を吐きそうになるたびに口を被っていたが、その度にゼクセン騎士団長様の肘鉄を食らっていては、たまったもんじゃない。
 ・・・・・・・・・自業自得?
 ふと、頭を掠めた言葉はとても無視したいものだったが、この酒場に俺とクリスしかいないという事実は、まさにその言葉を裏付けるものだった。
 そう、この地獄の始まりは10分前。
 そうだ、この女が豹変してから、まだ10分しか経ってないんだ・・・・・・。


 クリスと俺、フレッドとリコの一行が、案内ダック達に連れられて、このグラスランド最端の村に着いたのは今日の昼過ぎのこと。
 夕食の時間まで、それぞれ自由に過ごした後、俺達は宿屋にある酒場で、今までとこれからの旅の無事を祝って乾杯をした。
 俺も含めて男連中は、チシャ村名物のワインを次々に開けては杯に注いでいたのだが、リコとクリスはジュースなんかをうまそうに飲んでいた。
 「未成年のリコはいいとして、なんであんたまでジュースなんだい?」
 メガネをかけ、わりとほっそりした方のダックが、不思議そうに首を傾げると、クリスは苦笑を返したものだ。
 「酒席をしらけさせて悪いが、私は飲めないたちなんだ。あなたたちだけで楽しんでくれ」
 「へぇ?飲むとどうなるんだい?」
 丸々と太って、おいしそうな外見のダックが、うれしそうに肴(さかな)をつまみながら問うと、クリスはわずかに眉根を寄せ、首を傾げた。
 「さぁ?記憶がなくなるんで、どうなっているのかはわからないんだ」
 「ふぅ〜ん・・・・・・」
 その時、悪魔が俺に囁いた。
 いつも理性的で毅然としたクリスの、酔態を見てみたい!!
 いや、俺だけではなく、彼女と同席した者は全員(フレッドは違うかもしれないが)そう思ったはずだ!
 確かにそれを実行したのは俺だけだったが、機会があれば絶対みんなやろうとしたって!!
 ―――― なんて、何度も自分に言い訳していると、さすがに虚しくなってくるな・・・・・・。
 とにかく、俺はワインを追加するふりをしてカウンターに立ち、マスターにグラスホッパーとスクリュードライバー、シャーリーテンプル、ピーチマルガリータを作ってもらって持ち帰った。
 どれも、味と見た目はジュースだが、実はアルコールのきついカクテル。
 それらをクリスの前に並べてやった。
 「さぁ、どうぞ、姫君方!あなた方のお口に合いましたら光栄です」
 無用な疑いを招かないように、リコの前には見た目のそっくりなノンアルコールのカクテルジュースを並べてある。
 「わぁ!ありがとうございます!!」
 リコが、目をきらきらさせて赤い、シャーリーテンプルを手に取る。
 「うん。おいしそうだ」
 クリスもうれしげに微笑み、淡い緑色のカクテルが満たされたグラスを取った。
 ―――― よし!グラスホッパー!!
 バッタという名のショートカクテルは、さわやかなミントリキュールの中に甘いチョコレートを溶かし込んだものだ。
 飲みやすいので、ついついお嬢さん方が手に取るものだが、実は、アルコール含有量はかなり高い。
 酒に弱い人間が軽々しく手にしてはいけないというそれを、彼女はゆっくりと飲み干した。
 「おいしい!!」
 にこぉっと、リコとクリスが同様に笑う。
 「そりゃよかった。どうぞお好きなだけめしあがれ」
 これ、全部飲ませたらさすがにヤバイかな?
 ふと、そんな言葉が脳裏をよぎったが、俺もちょっとは酔っていたんだろう、そんな懸念はあっさり流して、次々にカクテルを勧めていった。
 ―――― そうやって、かなり時間が経ったころだ。
 フレッドはとっくに酔いつぶれて卓上に突っ伏しているというのに、いまだに顔色も変わらないクリスにちょっとがっかりしながら、おかわりに持ってきたチャイナブルーを手渡した時。
 「そっちがいい」
 非常に冷静な声で、クリスは俺達が飲んでいたワインを指し示した。
 「酒は飲まないんじゃなかったか?」
 「そんなことは言ってない」
 ややむきになった様子で断言すると、自分で瓶を引き寄せ、まだスクリュードライバーが残る杯を手酌で満たして一気にあおった。
 「・・・・・・いくらなんでもその飲み方はやばくないか?」
 スクリュードライバーはウォッカとオレンジジュース。それに赤ワインを注いだらなんというカクテルになるんだったか?
 そんなどうでもいいことを考えつつ、酔っ払い親父のように酒瓶を抱くクリスから瓶を取り上げる。
 「なぜ取り上げる?」
 「俺達も飲みたいからです」
 剣呑な色を帯びた眼光を避けつつも、きっぱりと言うと、クリスは深くうなずいて俺から瓶を取り上げた。
 「わかった。酌をしてやる」
 だばだばだばだばだばだば・・・・・・・・・。
 鋭く傾けられた瓶から流れでた赤い奔流は、それぞれの杯の許容量をはるかに超え、卓の上に広がって行く。
 「やめんか、もったいない!!」
 慌てて酒瓶を取り上げると、なぜだか激怒状態のクリスにぎり、と睨らまれた。
 「私の酒が飲めないのかっ!?」
 「飲めるか――――っ!!」
 酔いが回ったのか、なぜだかダック達まで怒り状態だ。
 すぱぱぱぱんっ!!と、四枚の羽根に連続攻撃を叩き込まれたクリスの顔が、変わった。
 「何をするか、無礼者!!!!」
 言っていることは、貴族の姫君らしいといえば姫君らしい。
 だが、同時に繰り出された拳は一撃必殺の威力だった。
 ―――― 飛べないはずのアヒルが宙に舞う姿は、なかなかシュールだ・・・・・・。
 酒場の石壁に叩きつけられた二羽のアヒルが、ぴくりとも動けないでいる様を呆然と見つめていたリコが、油の切れた鉄人形のようにぎこちなく動き出した。
 「ふ・・・フレッド様が寝ちゃったんで・・・お部屋に連れて行きますね・・・・・・!!アヒルさんたちも、すぐに連れて行きますから、ナッシュさん、後をよろしくお願いします!!!」
 「り・・・リコ!!卑怯だぞ!!」
 「君子危うきに近寄らず、です!!」
 「待ってくれぇぇぇぇぇっ――――!!!」
 絶叫も虚しく、リコは意外な膂力でフレッドを担ぎ上げると、小走りに部屋へと去って行った。
 「はっ・・・薄情者め!!」
 「誰が?」
 不機嫌そうな声が、ぶっきらぼうな言葉を話すので、つられて俺も、憮然とした。
 「・・・・・・なんでもないよ」
 「それがなんでもないって顔か?!言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなのだ!!」
 くそっ・・・・・・。完全に酔っ払ってやがる・・・・・・。
 しかも大トラの絡み酒。酒場で一番嫌われるタイプだ。
 「クリスちゃんはかわいいのに、酔っ払うと乱暴者だなぁと思っているよ」
 「私のどこが乱暴者だというのだ!!」
 ・・・・・・ダック2羽を床に沈めたのはどこのどいつだ。
 そう言ってやりたかったが、こんな大トラに逆らうほど馬鹿じゃない。
 俺は反論する代わりに、クリスのおかげでワインがなみなみと満たされた杯を取った。
 「あんた、飲めないって言ってなかったか?」
 「いつ、誰が、どこで言ったんだ、そんなこと!」
 ・・・・・・さっき、あんたが、ここで言ったんだろう!
 自業自得だというのは分かっている。
 だが俺は、かつてグリンヒル市に拠って当時のハイランド王国と攻防戦を繰り広げた時よりも疲労していた・・・・・・。


 「いざゆぅ〜けぇ〜無敵ぃ〜のぉ〜♪」
 「やっかましい!!」
 俺は再び空瓶を投げつけてクリスの動きを止め、一瞬の隙をついて横抱きにした。
 「放せ!!無礼だぞ!!」
 「いい加減に黙りなさい!!
 すみません、みなさん!お騒がせしました!!」
 酔っ払いクリスを叱りつけ、大迷惑をかけた店内の皆さんに頭を下げると、俺は酒場とは地下で繋がっている宿へと逃げ帰った。
 「おやすみ、クリス!」
 ドアを開けるや、酔っ払いをベッドの上に放り捨てて、そのままきびすを返す。
 否、返しかけた時。
 「待てィっ!!」
 マントの裾を力いっぱい引かられ、俺は思いっきりのけぞった。
 「なにおするか小娘っっっ!!!」
 一瞬、本気で窒息するかと思ったぞ!!
 怒鳴りつけると、途端にクリスはしゅんとして、うなだれてしまった。
 「え・・・・・・?」
 やばい、と、瞬間的に思った―――― こんな時の俺の勘は、結構当たる。
 案の定、
 「小娘じゃない―――――――――――――っっっ!!!」
 と、火がついたように泣き出したクリスを、俺は慌ててなだめた。
 「ごめんっ!!おじさんが悪かった!クリスちゃんはいい子だよー!!」
 「うわぁぁ――――んっ!クリスが悪い子だから、お父さんも出てっちゃったんだ――――っ!!」
 ――――― ワイアット・・・・・・。
 妻子にくらい、本当のことを言っておけよ・・・・・・・・・。
 げんなりと額をおさえながら、俺は子供のように泣きじゃくるクリスの傍らに座った。
 いや、今は本当に子供か。
 「大丈夫だよ、クリス。お父さんはちゃんと帰ってくるから」
 言って、乱れた銀の髪を撫でてやると、甘えるように俺の腕の中に転がってくる。
 「嘘だ。
 みんな、いつかは帰ってくるって言っていたのに、お父さんは帰ってこなかった。
 お母さんもずっと待ってたのに、帰ってくるまで一緒に待ってるって言ってたのに、嘘だった!」
 幼い彼女にとっては、母の死も裏切りに見えたのだろうか。
 ―――― 自分を置いて、父の元に逝ってしまったと。
 重く吐息して、俺は未だ腕の中で泣きじゃくるクリスの背中を撫でてやった―――― 誓って言うが、やましい気持ちは持ってなかったぞ。
 「クリス・・・いや、クリスティアーネ」
 遠い昔、出会った俺に教えた本名を、そっと囁きかけると、クリスは腕の中で、小さく震えた。
 「大丈夫。ちゃんと、帰ってくるから」
 「嘘・・・・・・」
 「本当だって」
 そう、何度繰り返しても『嘘だ』と呟く、強情で、わがままで、かわいそうなお姫さまを、俺はずっと抱きしめていた。彼女を置いて去った、困った父親の代わりに・・・・・・。


 泣き疲れて、子供のように俺に抱きついたまま眠ってしまったクリスの銀髪を撫でながら、俺はこれからどうするべきか、考えていた。
 目が覚めれば、今夜のことは全て忘れているだろう。
 と、なれば、潔癖な彼女のこと、俺みたいに胡散臭い男と同じ部屋で寝てしまったことに大騒ぎするに違いない。
 それはもう、悲惨な暴力行為が繰り広げられるだろうことは、火を見るより明らかなのだが、なぜだか俺は、ここから逃げようとは思わなかった。
 幼い時分に帰ってしまったクリスが、俺に抱きついたまま、離れてくれないということもあったが、何より、『置いて行かれた』と、また泣き出すのではないか、闇に目覚めて怯えるのではないかと思うと憐れで、離れ難かったんだ。
 ―――― 思えば、よくよくおせっかいな性格だとは思う。
 よせばいいのに問題に足を突っ込んだり首を突っ込んだりしたおかげで、遭わなくてもいい不幸に何度も遭った。
 そして、更に厄介なものは、面白そうなものを見つけるとちょっかいを出したくなる性質。
 三十路をすぎても治らないなんて、いくらなんでも成長なさすぎか?
 ―――― だめだ。
 これ以上考えると、自己嫌悪の深い奈落に沈んでいきそうだ。
 俺は、自身を蝕んでいく暗い考えをやめ、傍らで眠るクリスの、闇すら弾く、きれいな銀髪を見つめた。
 ―――― 小さい頃は、かわいかったよな・・・・・・。
 ワイアット卿と初めて出会った際に、俺はこの、かわいらしいお嬢さんにも会った。
 まだいとけない子供なのに、既に『美しい』という評価がふさわしい容姿をしていたものだ。
 ―――――― かわいいだろう、俺のクリス!!
 恥も外聞もなく溺愛するワイアット卿の気持ちが、あの時はちょっとわかったものさ。
 クリスお嬢ちゃんの方も、そんな父親にべったりで、奥方はもしかしたら真剣に、我が子を嫉妬の対象としていたかも知れない・・・・・・。
 そんな愛情は、やはり特別なものだったんだろうと思う。
 彼と離れ離れになったことは、彼女に深い傷を与えてしまったようだ。
 「・・・・・・ごめんな」
 あんたから、父親と安らぎ、そして支えを奪ったのは俺だ。
 強く、優しかった父親さえいてくれたなら、あんたも騎士になろうとは思わなかったかもしれない。
 もしかしたら今ごろ、美しい有力貴族の令嬢として、身分の釣り合った男と結婚していたかもしれないんだよな・・・・・・まぁ、天性の資質とも言うべき剣技を見た今では、絹のドレスよりも銀の鎧の方がふさわしく見えるが。
 声を立てずに笑っていると、クリスが寝返りを打ち、しっかりと抱きついていた腕が、わずかに緩んだ。
 「もう抱き枕は用なしかい、お嬢さん?」
 落ち着いたようだし、もう、出て行ってもいい頃かな?
 いや、自身の安全の為には、ここでそっと立ち去るべきだろう・・・が・・・・・・。
 ―――― せめて、曙光が闇を払うまで、傍にいてやってもいいか。
 そう、自分に言い訳して、俺は夜が明けるまで、ぼんやりとクリスの傍らに座っていた。


 ―――――――――― 眠い。
 年甲斐もなく完徹したんだから、無理もないが。
 日が昇った直後、俺は深い眠りに落ちたままのクリスからそっと離れ、未だ人気の少ない宿の酒場兼食堂のテーブルに座っていた。
 目の前には朝食が運ばれてきたが、昨日の深酒が祟ったのか、食欲がない。
 俺が気だるく朝食のベーコンをフォークでつついていると、周りがざわざわと騒ぎだした。
 ―――― 騒ぐ、といっても、怒鳴りあうとかわめきまくる、という種類のざわめきじゃない。
 なにか忌まわしいものを見つけた者達が不安を抑えきれず、声をひそめて囁きあう、といった種類のものだ。
 なにを見つけたのだろうと、振り返った俺の肩が、軽く叩かれた。
 「おはよう」
 なんとなく不機嫌そうな声は、クリスのもの。
 「あぁ、おはよう。よく眠れたかい?」
 彼女がよく寝ていたのは知っているが、疑いを起こさないよう、敢えて問う。
 「まぁな」
 言うや、クリスは俺の隣の席を乱暴に引いた。
 「どうした?機嫌悪いな」
 ササライ様の猫かぶりに影響されたのか、すっかり地顔になってしまった笑顔を浮かべると、クリスにじろりとにらまれてしまった。
 「・・・・・・・・・ナッシュ」
 ・・・・・・・・・不機嫌なんてもんじゃない。怒っている。
 理由はおそらく、酒を飲ませた件だろう。
 「ご・・・ごめん!!いたずらのつもりだったんだ!!まさかあんなことになるなんて思ってなくて・・・・・・!!」
 鉄拳が飛んでくる前にひたすら謝る俺を、クリスは訝しげに眉を寄せて見遣った。
 「何を言っているんだ、お前は?」
 「え・・・?昨晩のことじゃないのか?」
 「うん、昨晩のことなんだが・・・・・・」
 クリスは言いにくそうに言葉を切って、しばらく逡巡した。
 「なんだか突然、ワインが飲みたくなって、下戸なのに飲んしまっただろう?その後、醜態をさらした気がするんだが・・・・・・」
 ラッキーなことに、クリスは俺のカクテル攻撃に気づいてなかったようだ。
 「なにか・・・やったんだろう、私は?部屋を出てからずっと、白い目で見られているし・・・・・・」
 あー・・・・・・。
 それでさっきのざわめきか。
 クリスの大トラぶりはすごかったからな・・・・・・。
 ふと、遠い目をしてしまった俺に、クリスが詰め寄った。
 「やっぱり、何かしたのか?!何をやってしまったんだ、私は!!」
 「いや・・・・・・人生、知らない方がいいこともたくさんあって・・・・・・」
 「何をやったのか教えてくれ!!」
 言葉を濁そうとした俺にクリスが詰め寄る。
 ―――― 大きくなったよな。
 昨夜、まだ幼かった頃のクリスを思い出していたせいか、妙に感慨深く思った。
 ―――― その上、すっかり美人になっちまって。イクセ村で再会したワイアット卿は、あの後感涙に咽いだことだろうな。
 「ナッシュ?」
 まだ醒めていない頭で、ぼんやりと考えていると、クリスが『私を見ろ』といわんばかりに俺の両頬を手で挟んだ。
 「頼む」
 間近に迫った、真摯な顔。
 彼女が人形でないことを確信するのは、この、炎が宿ったような目の為かもしれない。
 ――――――― だけどね。
 思わず、苦笑が浮かぶ、
 ―――― 俺は聖人君子でも、キミの父親でもないんだよ?
 あんまり無防備なのも、どうかと思うけどね。
 俺は、クリスの手をやんわりとはずしながら、にっこりと笑った。
 「そうだなぁ。おとぎ話みたいに、きれいなお姫様がキスしてくれたなら、秘密もおのずから開くかもしれないよ?」
 なんて、ウソウソ!と、言おうとした口が、乱暴にふさがれた。
 「これでどうだ!キスしてやったんだから早く言え!!」
 「・・・・・・・・・・・・ちょっと待て」
 胸を張って豪語するクリスに、俺は口元を押さえたまま、憮然と呟いた。
 「今のがキスだと?!激突って言うんだ、こう言うのは!!めちゃくちゃ痛かったぞっ!!」
 「激突だとぉっ?!ちゃんとキスしてやったじゃないか!!贅沢を言うな!!」
 「激突じゃなきゃ頭突きだ!!こぉっんな乱暴なキスがあるか!!」
 俺の言葉に、クリスがむぅ、と、顔をしかめる。
 せっかくの美人なのに、なんでこんなにがさつなんだ?!それでもうら若き乙女か!!
 がさつな美人といえば、俺の上司なんかがまさにそれだが、彼はまだ、実年齢32歳の男性、という点で救われている。
 しかし!クリスは彼よりちょうど10歳年下のはず。いまだ若いうちからこんな状態なら、将来どれほど凄まじいおばさんになることか・・・・・・!!
 人事ながら、彼女の将来へ思いをはせずにはいられなかった。
 が、そんな俺を不満げに見ながら、クリスが俺の袖を引く。
 「で?正直に話せ!!」
 ・・・・・・なんか、尋問されているみたいだ。
 思いながら、俺はとりあえず、あたりさわりのないことをかいつまんで話し、なんとかクリスの、追求の手から逃れることができた。
 ・・・・・・その代わり、クリスがめちゃくちゃへこんでいるが。
 「そっ・・・そんな乱暴なことをわたしがっ・・・・・・!!だからサロメ達は、私に飲酒を禁じたのか!!」
 ・・・・・・・・・知っていたなら教えててくださいよ、サロメ卿。
 「前は何をやらかしたんだい?」
 大体想像はつくが、あえて問うと、クリスは気まずそうに目を逸らした。
 「ガラハド様に・・・・・・」
 ガラハド卿とは、亡くなった前騎士団長で、クリスの元上司だ。
 「・・・なんでも、ガラハド様に『どうして私を捨てたの?!』って泣きすがったらしくて・・・・・・。知らないうちに悪い噂が立っていて、びっくりした」
 ―――― そりゃあびっくりしただろうさ・・・・・・ガラハド卿もお気の毒に・・・・・・。
 昨夜経験したばかりの俺は、あの時の状況を思い出し、人目がなくて本当によかったと、心の底から安堵した。
 「まぁ、酒の上のことなんか、さっさと忘れるに限るさ。ダックたちも、昨日のことなんか覚えちゃいないだろうしな」
 「そういうわけにはいかないだろう・・・・・・」
 変に生真面目なんだよな。
 だから知らない方がいいって言ったのに。
 「まぁ、お茶でも飲んで、ダック達が起きてくるのを待ってから、謝るなりごまかすなりすればいいじゃないか」
 「ごまかすなんてこと!」
 「相手どころか自分でさえ覚えてないことを、不確実な情報を元に謝ったって、お互いにすっきりしないだろうよ」
 言うと、さすがに騎士団を率いるだけの女だ。
 素直に頷いて、運ばれてきたティーポットから茶を注いだ。
 そうやって、なんとなく話もせずに、まったりとくつろいでいると、どこかよろよろとしたダック達が、朝食の席に現れた。
 「お・・・おはよう・・・・・・」
 緊張に頬を紅潮させたクリスが2羽に言うと、彼らはそれぞれ片羽で額を押さえつつ、挨拶を返した。
 「・・・・・・どうも、飲みすぎたみたいなんだ。頭が痛くて・・・」
 メガネをかけた、ワイルダーが囁くように呟き、
 「僕も、昨日は酔っ払って暴れちゃったんだよ、きっと。あちこち打ち身ができてる」
 ころころと太ったレットが、気まずげにアザのできた場所を見ている。
 「ごめんねー。僕、酔っ払うと記憶がなくなっちゃうんだー。怪我しなかった?」
 「私も、もしご迷惑をかけていたようでしたら、お詫びします」
 2羽にぺこりと頭を下げられ、クリスが絶句している。
 俺はそんな2羽と一人を眺めて、必死に笑いを堪えていた。
 「まぁ、酒の上での無礼は水に流して、楽しく旅を続けようじゃないか。クリスも―――― っ怒ってはいないようだし」
 吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、俺は互いに恐縮している2羽と一人に席を勧めた。
 「ナッシュさんって、いい人だなぁ!」
 なんだか感激した様子で、レットが俺の手を取った。
 うん。いい人のふりは得意なんだ、俺♪


 ―――― さて。
 俺は職業柄、何人か真の紋章を持った人間を知っている。
 最初に出会った継承者は、月の紋章の主、シエラ。
 継承者、そしてその眷属に、不老と吸血の性を与える、呪われた紋章を受けながら、永遠の孤独を友と呼んだ女。
 次はカナタとジョウイ。
 任務で潜り込んでいたデュナン(その当時は都市同盟と言った)で出会った少年達は、盾と剣――― 始まりの紋章を得ていた。
 ―――― もっとも、彼らが真の紋章を得ていたことを知ったのは、出会ってからしばらくの時が経った後のことだったが。
 そして、ハルモニアへの帰途に見たマクドール。
 彼も、時を失った運命を、静かに受け入れていた。
 だが、ハルモニアに帰って出会った―――― しかも、後に俺の直属の上司になってしまったササライ様は、あんまり悲観的・・・・・・というか、重い宿命に怯えながらも立ち向かう、という健気な決意があるようには見えなかったな。
 まぁ、この人の場合、紋章と共に生まれた、いわゆる先天的紋章保持者だという話だから、後天的に紋章を得た人間達とは、最初から感覚が違うのかも知れないが。
 そんな、何人かの真の紋章継承者を見てきた俺から見て、真なる水の紋章を得ていたワイアットは変な奴だった。
 後天的紋章所持者にありがちな、悲観的で、無理に刹那を求めるような態度はなく、強大な紋章を持ちながらも、飄々と紋章の主人でありつづけた。
 そんな彼の血を受けているからか、はたまた彼女自身の毅さか、クリスは英雄にふさわしい資質を持っているように思う。
 彼女自身は強大な力の前に、暗い宿命の淵に、未だ戸惑っているようだが、なにかが彼女の背中を押しさえすれば、ゼクセンの英雄はグラスランドの英雄ともなれるに違いない。
 俺はそんな確信を持って、彼女の背を押した。
 ―――― 背を押したのは俺。
 だが、決めるのは君自身だよ、クリス。
 そして彼女は決断した。
 右手に真なる炎の紋章を宿し、炎の英雄の加護を受け、ゼクセンの英雄はグラスランドの英雄にもなったんだ。
 ―――― 君ならこの、混迷した集団をまとめ、勝利に導くことも、できるかもしれないね。
 それは、決して君の望んだことではないだろうけど、その名はまるで、こんな未来を予知していたようじゃないかい?
 ―――― Chris・Lightfellow・・・・・・神の光の眷属。
 君に、大いなる祝福がありますように。






* End *
















ナッシュ独白文、『眠り』をお届けしますv
ナックリ風味?
えぇ。ナックリ風味ですね(笑)>あくまで風味。
実はこれ、ナックリ部屋に置いてある、『フルール・ド・フルール』の元ネタなんです;;;
突然、『クリス総受け祭り』に参加することになったため、こちらを甘々にして出品したのですが、本来は『灰色の運命』と言う題の、ナッシュ不幸話でした(笑)
本当はこの作品の前と後ろに、ながーい話がついています(笑)
それはもう、いつかリサイクルと言うかパッチワークと言うか、楽ちん作品にして出すつもりです!
なんたって、お題は108もあるんですーv
これを上げたってまだ99題残っているんですーvvv
途中まで書いて、放り出していた作品がどんどん日の目を見てくれて、くれはったら嬉しくてしょうがありませんよっ!!(あ、もちろん新作も書いてますよ;)
マラソンも加速すると言うものですv














 百八題