| * 079 心の友 * |
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| 坊ちゃん | カリョウ |
| 2主 | カナタ |
ゼクセン連邦とティント共和国の国境に、例年より一足早く、冬が訪れていた。
白い息を吐きながら、甲冑を鳴らして慌しく行き交う騎士達の中、ゼクセン騎士団長、クリス・ライトフェローは、曇天より降り注いだ雪の結晶であるかのごとき銀髪をきつく編み込み、ひときわ厳しい顔で国境を睨んでいる。
女神の彫像と見まごうばかりの整った顔立ちは、ゼクセン騎士の崇拝を集めるにふさわしい美貌であったが、その身を覆うのは、柔らかな絹の光沢ではなく、銀色に輝く甲冑。
指先までも硬く覆われた彼女は、今、その表情までも凍らせて、無言で戦況を見つめていた。
冬の空気と同じ、痛いほどに張り詰めた沈黙を破ったのは、戦場にあっても常に冷静に形勢を見つめる副団長の足音だった。
冷静になろうとするあまり、時に、冷酷になりもするクリスと違い、多くの戦を生き抜いたことによって培われた冷静さを保つゼクセン騎士団の軍師は、歩調すら乱さず、クリスの傍らに歩み寄ると、静かに一礼した。
「クリス様。前線よりロラン卿が、報告を携えて戻って参りました」
彼が、未だ若輩と言っても差し支えのない若い彼女に恭しく声を掛けると、クリスは、今、ようやく血が通い始めたかのようにゆっくりと振り向き、頷いて見せた。
話せ、との、無言の命に、彼は再び頷いて、目線をクリスと同じく、国境へと向けた。
「ボルス卿の隊が突入したことで、ティント軍の戦列は一時崩れました。
が、思った通り、敵方の陣は厚く、すぐに補強された模様です」
「ティントの軍は、重武装歩兵が中心だったな、サロメ?騎馬隊中心の我が軍では、やはりもてあますか」
女性にしては低い、しかし、豊かな深みのある声が、白い吐息と共に漏れ出た。
それは、決して兵の前ではため息をつかない彼女が、そっと漏らしたため息のように、サロメには思えた。
騎兵の本領は、その機動力を生かした偵察、及び、かく乱戦である。
機動力を生かすためには、装備はできる限り軽微にする必要があり、それは、騎士団の中では異例の重武装集団として知られるゼクセン騎士団でも、例外ではなかった。
しかも、相手は鉱山ギルドを核として興ったティント共和国軍である。
豊富な鉱物資源と鉄鋼技術を基幹とするかの国の軍は、その重武装歩兵の破壊力で知られ、たかが一鉱山ギルドを一国にまでのし上げたのだ。
騎馬兵中心のゼクセン騎士団としては、最も戦いにくい相手だった。
「・・・どうすべきかな。
相手が重武装ならこちらも、というのも一つの手だが・・・」
言って、クリスがちらりと見遣った先では、大斧を担いだレオが、期待に満ちた視線を返す。
「いや、愚かしい真似は止めておこう。跳ね返されるのが落ちだ」
落胆を隠せないレオの表情に、彼女は苦笑を漏らした。
いくらレオの隊が重装備とは言え、それはあくまで『騎馬隊の中では』という注釈がつく。
重武装を主幹とした軍に当てれば、勝算を見出すどころか、敗因となりかねない。
「もう一隊、信用の置ける騎士が率いる隊があれば・・・・・・」
そう言って、意味深な視線を傍らの軍師に投げると、彼は、心得たように深く頷いた。
「パーシヴァル卿は、既にこちらに向かっているとのことです。
彼もそろそろ、故郷での閑居に飽きたようですしね」
「それは、都合よく引っ張り出したものですね、サロメ卿」
賞賛とも皮肉ともつかない淡々とした口調で、エルフ族の騎士が言った。
「一体、どういう策を用いられたのですかな?」
「なに、貴卿もご存知のことですよ、ロラン卿。
彼の、シンダル遺跡での誓い・・・クリス様の剣となり、盾となるという誓いを、今こそ果たすように、と、言っただけです」
「さすが誉れ高き六騎士!誓いは絶対、ってことですね、サロメ様!」
彼らの背後に、控え目に佇んでいた従騎士が、思わず手を叩くと、サロメは、目を和ませて頷いた。
「久しぶりに、六騎士が同じ戦場に集いますよ、ルイス」
思わず漏れそうになった歓声は、しかし、遠くから聞こえる女の怒声と、クリスの厳しい表情に、出口を失ってしまった。
「クリス!!クリスはどこ?!」
馬を駆っているらしい女の怒声は、騎士達の誰何の声と怒声、甲冑の鳴り響く音に囲まれてもなお、陣中を貫き通った。
「触るな、無礼者!!
あたしは、ティント共和国大統領令嬢のリリィ・ペンドラゴンよ!!クリスに会わせなさいよっ!!」
「・・・敵の大統領令嬢が、こんな時に何の用だ?」
ロランの、苛立ちを含んだ声に、クリスは手を挙げて制した。
彼が、今にも矢をつがえようとしていたからだ。
「リリィ・ペンドラゴン!ゼクセン騎士団長に何用だ!」
「クリスっ・・・!!」
周りの騎士達を制して、一歩踏み出たクリスに、怒りの形相もすさまじいリリィが、勢いよく馬を寄せてきた。
リリィの乱暴な手綱さばきに、馬は抗議するように高らかにいななき、前足を高く蹴り上げてクリスの前に止まる。
「あんた、なんのつもり?!」
馬上から高慢に言い放った女は、手にした鞭で冬の冷気を切り裂いた。
「なんのつもり、とは?
私に話があるのなら、下馬したらどうだ、リリィ・ペンドラゴン?
いかに大統領令嬢とは言え、なんの権威もないあなたに見下ろされるいわれはない」
クリスの冷酷な言い様に、ルイスはぎょっとして、彼の主人を見上げた。
彼の知る限り、クリスとリリィは良い友人だったはずだ。
その出会いが、大喧嘩であったにしても、ビュッデヒュッケ城に拠る以前も以後も、クリスはリリィに対して、こんなに冷たく接することはなかった。
しかし、
―――― これが・・・戦・・・なんですね・・・。
クリスと共に、いくつもの戦場を行き来した少年は、慄然としながらも、事実を受け止めた。
ビュッデヒュッケ城を出る時、クリスとグラスランドの族長達がしきりに口にしていた言葉―――― 次に会う場所が命のやり取りをする場所であっても、それまで健在であれ―――― その言葉を、今、身に沁みて感じたのだ。
悲しげに眉を寄せるルイスの眼前で、リリィは怒りに顔を真っ赤にして、馬の背から飛び降りた。
「はぐらかすんじゃないわよ、クリス!!あんた、ティントの国境を侵して、攻め込むつもりなんでしょ?!この人でなし!!」
「友好を無視したのは、ゼクセンではない」
「どうだか!商人どものやり方はあたしだって知ってるわよ!!」
「真実はどうでも・・・私達は、評議会の命令でここにいる。異存があるなら私にではなく、ビネ・デル・ゼクセの評議委員達に訴えるのだな」
私の友情になど頼らずに、と、言い放ったクリスの表情―――― そして、それに対するリリィの表情にいたたまれず、ルイスはぎゅっと目をつぶった。
まるで、氷と炎のように、双方の表情は冷酷と激昂の極みに達していた。
「・・・卑怯者」
唇を震わせ、呟いたリリィの言葉に、クリスはわずかに眉を上げる。
「聞き捨てならんな。騎士たる身に、あらぬ侮辱を・・・」
「卑怯者じゃないの!!だって、あんたは真の紋章の継承者でしょう?!
ゼクセン騎士を一人も傷つけることなく、あんた一人で、ティントの兵を全滅させることだって可能じゃない!!」
途端、クリスの周りを囲む騎士達の顔色が変わった。
「クリス様は、人間との戦いに真の紋章を使ったりはせん!!」
轟くような大音声でレオが吼えると、サロメも、ロランも、深く頷いた。
しかし、リリィも引かない。
「どうだか!
あたしは、あんたの持つ紋章の力を見たのよ!」
吐き捨てるように言い、クリスを睨みつける。
「どんなに深手を負った兵でも、あんたの紋章一つであっという間に癒された!その上、どんなに強大な敵でも、あんたはその紋章の光一つで粉々にしたじゃない!
今、あんたの兵が深手を負っても、その力を使わないと誓える?!あんたの軍が追い詰められても、その紋章を使わないと、あんたに誓えるの?!」
「リリィ殿!!」
サロメの怒声をも聞き流して、リリィは紅潮した顔をまっすぐにクリスに向けていた。
「答えなさいよ、クリス!」
返答を迫るリリィに、しばらく沈黙していたクリスは、静かに首を振った。
「確かに、そのような状況に陥っては、使わないとは言い切れない」
「・・・やっぱり!
なんて卑怯な女なの、あんたって!それじゃあ、ティント兵は化け物の軍と戦っているようなものじゃない!勝ち目なんてあるわけがないわ!!」
「その、勝ち目のない戦を仕掛けてきたのはそちらだと言っているのだ。
ティントの首脳達は、あなたよりこの状況が見えていないようだ。あなたが駆け込むべきは、ここではなく、ティントの陣だったようだな」
「あんた達がティントへの国境を塞いでさえいなかったら、あたしだってそうしたわ!」
「そう言えば、あなたはハルモニアに留学していたのだったな。あちらは相変わらずか?」
「なにをいきなり、世間話に切り替えているのよ!状況を考えなさいよ!!」
「考えているとも」
そう言って、クリスは周りの騎士達を見遣り、軽く頷いた。
と、二人の口論に見入っていた騎士達が一斉に動いて、リリィを捕獲する。
「なっ・・・!!何をするの!!」
「リリィ・ペンドラゴン。あなたは、もう少し自分の立場と言うものをわきまえた方がいい。
あなた自身に権威はないが、人質としては十分役に立つことに気づいていなかったのか?」
「クリス・・・っ!!あんたそれでも・・・・・・っ」
「友達か、と言われれば、否定せざるを得ないな。どうも私は、あなたに嫌われたようだし。
だが、それでも騎士か、という侮辱は、ここでは吐かない方がいい。それが、あなたの身のためだ」
血が滲むほどに唇を噛んだリリィに淡く微笑み、クリスは連れて行け、と、騎士達に命じた。
「大事な人質だ。丁重に扱うように」
聞こえよがしに掛けた言葉に、リリィの怒声が響き渡ったが、クリスはそれを完全に無視して、サロメとレオ、ロランに向き直った。
「リリィのおかげで、いい打開策が見つかった。あちらの宰相は確か、マルロという人物だったな?」
「はい。ティント共和国の大臣です」
「親書を送ってやれ。
令嬢はこちらで丁重にお預かりしている、と。返して欲しくば、今すぐ兵を退け、とな」
「しかし・・・いくら大統領令嬢とは言え、あちらも随分と戦費を掛けて整えた軍事でしょうに。退きますかね?」
疑わしそうに言うレオに、クリスは、いたずらっぽく微笑んで見せた。
「親書には、私のものと一緒に、リリィのものも送れ。
彼女が言ったことをそのまま書いて送れば、いくら豪胆なグスタフ大統領でも、化け物相手の戦に勝ち目を見出すことはない」
「・・・・・・抑止力、というわけですか」
「なんなら、派手なショーを打ち上げてもいい。ロラン、お前の隊に、負傷者は出てないのか?」
「出ているとしたら、未だ戦場に残っているボルス卿の隊でしょう・・・ですが、よろしいのですか、クリス様?」
「そうです、あまり派手に真の紋章を喧伝すれば、議会は必ずそれを利用しようとするでしょう。
今回のように、国境紛争を収めるためならともかく、次は侵略を企むかもしれません」
サロメの懸念ももっともな事だ。
ゼクセン、グラスランド、ハルモニアを巻き込んだ五行の紋章の戦は、既に過去の話になりつつあり、ゼクセンとグラスランド諸氏族は再び緊張状態に陥りつつある。
そんな中、クリスが真の紋章を使い、ティント軍を撤退させた、などという話が広まれば、再びグラスランドとの間に戦火が熾ることは確実だった。
しかし、
「グラスランドには、ヒューゴがいる。真の火の紋章を持つ、彼が」
そう言って、クリスは淡い微笑を唇に浮かべた。
苦笑に近いそれに、サロメ達も眉をひそめる。
「真の火の紋章が相手となれば、私が不死身の軍隊を擁していたとしても、勝利は難しい。
火と水・・・良くぞこの地に、この二つがあってくれたものだ。
他の紋章同士では、こうも均衡を保つことは難しかっただろう」
クスリ、と笑みを漏らし、クリスは、騎士達を見回した。
「ともあれ、これで勝機は見えた。最大限に利用することとしよう」
伝令を、と命じた声に、しかし、サロメが待ったを掛けた。
「でしたら、クリス様。もう少々、うまいやり方があります」
やや意地の悪い笑みを浮かべた彼を、クリスは訝しげに見遣る。
「ゼクセンの名誉はもとより、ティントの名誉も傷つかない。更には、クリス様とリリィ殿の仲も修復できる、一石二鳥の策ですよ」
我知らず、目を輝かせたクリスの眼前に、今年最初の雪が舞い降りてきた。
「これはこれは。珍しいお客人がいたものですな」
聞き覚えのある、皮肉な言い様に、リリィは軍用天幕の入り口に佇む男を睨みつけた。
「何の用よ、パーシヴァル!ボルスまで!!あたしを見物に来たの?!」
「馬鹿を言うな。そんなに暇じゃない」
既に戦塵にまみれたボルスが、憮然と言ってリリィを睨み返す。
「あんた、こんな時に敵陣に乗り込んでくるなんて、何のつもりだ?少しは自分の立場をわきまえて・・・」
「ボルス!!あんたまでクリスと同じ事を言ってんじゃないわよっ!!」
「まぁまぁ。そんなに怒らないでくださいな」
「あたしはあんたみたいに暢気じゃないのよ、パーシヴァル!!」
久しぶりに揃ったゼクセン騎士団の双璧に均等に怒鳴り散らしたリリィは、肩で息をしながら、再び天幕内に置かれた椅子に腰を降ろした。
クリスの、『丁重に』と言う命令が遵守されて、彼女は武装解除された上に監禁されはしたものの、戒めを受けることなく、自由に天幕内を動き回ることができた。
「そうは言ってもね。
ティントの重武装歩兵軍にはさすがのゼクセン騎士団も苦戦しそうだからと、サロメ卿に呼び出されて、わざわざ騎士団に戻ってきたのに、なんと大統領令嬢が自分から人質になりに来たおかげで平和裏に解決しそうだなんて・・・。
俺は今、ものすごく空しい思いをしているんですよ?ちょっとは相手にしてやろうとか、思いませんか?」
「あんた、なに自分勝手なことをべらべらしゃべってくれちゃってんのよっ!!」
「・・・全くだぞ、パーシヴァル。お前の到着がもう少し早ければ、俺は一人であの重武装軍に突っ込まなくてよかったんだからな」
乗馬の腕が鈍ったんじゃないのかと、憮然と言うボルスを、パーシヴァルは横目で睨みつける。
「ボルス卿の武勇は、早速拝聴させていただきましたが。
サロメ卿からは同時に、私が来るまで待てなかったどこかのウリ坊が、嬉しそうに突っ走って行ったとも聞いていますよ」
「ウリ坊とは俺のことか!?」
「おぉ!ようやくボルス卿にも、皮肉が通じるようになりましたか!これは重畳」
「だから!!ナニ勝手に漫才してくれちゃってるのよ!!」
「人質の無聊をお慰めしようかと」
「まじめな顔して、馬鹿言ってんじゃないのよっ!!」
「そうだ!!俺のどこがウリ坊だっ!!」
「二人並ぶと、ウリ坊兄妹って感じですねぇ。あ、ウリ坊というのはイノシシの子供のことですよ。ご存知でしたか、リリィ殿?」
「余計な説明はしなくていいわよっ!!」
いまや、肩で息をするウリ坊兄妹・・・いや、ボルスとリリィに挟まれて、パーシヴァルは楽しそうに微笑んだ。
「まぁ、それはそれとして」
「多くの問題を残したまま収めるなっ!!」
ボルスの絶叫をさらりと聞き流して、パーシヴァルはリリィに笑みを向けた。
「クリス様とお会いしたくありませんか?」
「・・・なによ。団長権限で呼び出そうって言うの?!
お生憎ね!用があるなら自分から来いって言ってやりなさい!」
「・・・あのなぁ。あんたもいい加減、自分の立場と言うものを・・・・・・」
「うるさい、ボルス!!」
激しく足を鳴らして立ち上がり、リリィはゼクセン騎士団の双璧に詰め寄った。
「あんたたちがなんと言おうと、あたしはティント共和国の大統領令嬢なのよ!
真の紋章を持つクリスに、国民を皆殺しにされるかもしれないって時に、のんびりハルモニアなんかにいられると思う?!」
「皆殺しって・・・クリス様がそんなことをなさるわけがないだろう!」
「・・・それは言葉が過ぎるってものじゃありませんかね?」
二人の燃えるような、あるいは氷のような怒りを前に、しかし、リリィは怯まなかった。
二人の前で傲然と腕を組み、彼女より随分と背の高い騎士達を下から睨み上げた。
「あたしはね、五行の紋章戦の前にも、真の紋章同士の戦いを見ているのよ。
ネクロードって言う、ロリコンの変態吸血鬼にさらわれてね、あわや、ってところを、真の紋章の継承者に助けられたの。
圧倒的だったわよ―――― 子供だったあたしにもわかるくらい、彼らは一方的に吸血鬼を叩きのめしたわ。
ティントだけでなく、あらゆる国の戦士が、束になっても敵わなかった、あの吸血鬼を、カナタさんとカリョウさん、そして、先の戦いで敵になったルック・・・。この三人が、あっという間にあの悪魔をこの世から追い払ったの。真の紋章を使ってね」
この時初めて、リリィは怯えたように肩を震わせた。
「あんたたち、クリス様クリス様って、犬みたいに従っているけど、クリスが受け継いだ物がなんなのか、本当にわかっているの?
クリスはね、その気になればもう、あんた達なんて・・・騎士団なんて必要ないの。
相手がティントの重武装軍だったって、彼女一人の力で壊滅させる力があるのよ!
そりゃ、今までだって、戦場の鬼神だの、白い悪魔だの、人間離れした呼称をもらっていたようけど、彼女自身は人間だったわ!
だけど、今はそうじゃないって事が、なんであんた達にはわからないの?!」
地団太を踏み、両手の拳を振り回しながらの絶叫に、口を挟むこともできず、ゼクセンの双璧は呆然と見守っているしかなかった。
が、ややして、
「・・・酷い言われようね」
低く、悲しげな声が二人の間から割って入ってきた。
「鬼神とか悪魔とか・・・そこまで言わなくていいじゃない」
諮ったように、一歩下がって道を譲った双璧の間を、クリスが歩み寄ってくる。
「なに言ってんのよ。年も取らず、紋章の光一つで敵を殲滅するようなヤツは、世間一般じゃ人間とは呼ばないわ」
常識でしょ、と、怯まず睨んでくる強い瞳に、クリスは苦笑を返した。
自身の思う事を、誰に対しても飾らず、怯まず言えるのは、リリィの長所であり、短所だ。
驕慢にも見えるその言動は、反感を買うことも多いだろうが、クリスのように、商人や政治家達との腹の探りあいにうんざりした者には、裏のない言葉にいっそ清々しさを感じる。
だからこそ、数少ない女友達として、今まで交友を続けていたのだが、今回の件で嫌われたに違いない―――― そう思うと、自然、クリスの口調は重くなった。
「真の紋章は使わない、と言っても、あなたは信じてくれないのだろうな・・・」
「あたしは、あんたがどんな女か知っているわ。
ゼクセンと、自分の部下を守るためなら、あらゆる手を尽くす女よ、あんたは」
だからこそ、真の水の紋章を手にしたクリスが信じられないのだと、リリィは再び断言した。
「・・・あんたがいっそ、火の紋章を宿していたならよかった。
敵だけでなく、味方をも巻き込みかけない紋章を、あんたは絶対に使わないだろうって、信頼できた」
きつく眉をよせ、まっすぐにクリスを見つめる目は、どこか悲しげにさえ見えたが、それは、クリス自身の感情を映したものだったかもしれない。
「しかし、私が受け継いだのは、水の紋章だ―――― 父から受け継いだ」
そう言って、クリスは自身の右手に視線を落とした・・・厚い手甲に覆われたそこには、真の水の紋章が宿っている。
「私から父を奪い、父から命を奪った紋章だ、これは。
だからこそ、私はゼクセン騎士団を侵略者に貶めるような、安易な使い方をしたくはない」
きっぱりとした言いように、リリィは目を見張った。
「だから私は・・・いや、私こそ、あなたの友情に縋りたい。ティントとの和議に協力してくれ」
硬い声の申し出に、しかし、かなりの間、返答はなかった。
「・・・リリィ」
「あたしは、わからない」
ためらいがちな呼びかけに、しかし、リリィは苛立たしげに言い捨てた。
「あたしは、今でもあんた自身を信じることはできると思う。なんだかんだ言ったって、あんたのその、生真面目な性格が変わるとは思えないからね。
だけど、ゼクセン騎士団団長のクリス・ライトフェローを信じていいのか、あたしにはわからない。
だって、騎士団長のあんたは、ゼクセン連邦の利益の代弁者でしょ?うかつに和議を受けてしまったら、ティントがどんな不利益をこうむるか、わからないもの!」
硬い表情のまま、言い放ったリリィに、ボルスが感心したように頷く。
「へぇ・・・一応あんたも、自分の立場ってものを知ってはいたんだな」
「人が真面目に話している時に、余計な茶々を入れるんじゃないわよ!!」
「このまま立派なイノシシになるかと思っていたのに、意外と考えていたんですねぇ」
「パーシヴァル、お前まで一緒になってあおるんじゃない」
クリスに制されて、パーシヴァルは嬉しそうに微笑んだ。
「申し訳ありません、クリス様」
久しぶりに六騎士の、他愛のない掛け合いに加われたことが嬉しくて仕方がない、といわんばかりの笑みに、クリスは吐息して、再びリリィに向き直った。
「それでは、私にどうしろと言うのだ?まさか、国境を明け渡せと言うのではあるまいな?」
何気ないクリスの呟きに、しかし、リリィは目を輝かせて詰め寄った。
「それよ!!」
「なに?!」
「・・・なんで、ゼクセンがティントに国境を譲らなければならないのでしょうね?」
それぞれの口調で、リリィの閃きに不賛同の声を上げた双璧を無視して、リリィは更にクリスへ詰め寄った。
「クリス、あんた、人間相手に真の紋章は使わないって、そう公言しているのよね?」
「公言はしていないが、騎士たる者、弱者を踏みつけにするような戦い方はしない」
断言したクリスに、リリィは大きく頷く。
「じゃあ、一旦軍を退いてよ。ティントの重武装歩兵は、ゼクセン騎士団を一時撤退させるくらいの力はあるでしょう?」
「無茶を言うな。私は、我が騎士団の力量を信じてはいるが、だからこそ、ティントの重武装兵相手に負けたふりをしろとは言えない」
下手をすれば、轢き潰される、と、渋面を作るクリスに、リリィはにやりと笑みを浮かべる。
「だ・か・ら!
先にあたしを、ティント軍へやりなさいよ!
ゼクセン騎士団を撤退させて、いい気になっている将軍達の顔に、冷水を浴びせてやるわ!
あんたがいる限り、ゼクセン騎士団は本当に撤退することなんてないんだって・・・追い詰められればきっと、あんたが真の水の紋章を使うに決まっている、って、そう言えば、きっと彼らは軍を引くわ!」
「簡単に言うが、あちらも随分と戦費を掛けて整えた軍事だろう。果たして、そううまくいくかな?」
「行くわよ。あんたが協力するならね」
「私が?」
クリスが、紫の目を見張ると、リリィはやや得意げに頷いた。
「水の紋章を使って、派手なショーを打ち上げてよ。
負傷して前線を退いたはずの兵士達が、何度も戦場に現れるさまを見れば、どんなに頑迷な指揮官だって、撤退を決意しないわけには行かないでしょ?」
「負傷して退いたって・・・一時的にでも負傷するのは俺達だって、わかって言ってるか?」
「大丈夫よ、ボルス。あんたなら、殺しても死なないわ」
苦い表情のボルスに、リリィがさらりと反論し、パーシヴァルは吹き出しそうになるのを必死に堪える。
「さぁ!わかったなら、早くあたしを解放してよ!このままティントの宿営地に乗り込むんだから!」
そう言って、今にも天幕を飛び出そうとするリリィを押し留め、詳しい作戦を立てさせるまでに、クリス達はかなりの時間と努力を強いられた。
「では、突入隊はボルス隊、パーシヴァル隊。ロラン隊の一斉射撃の後、敵陣をかく乱していただきたい」
サロメの指示に、ロランと双璧は深く頷いた。
「レオ隊は、この三隊の退路の確保をお願いします。
重武装歩兵相手に、最もつらい役目となりますが、耐えていただけますかな?」
「もちろん!」
豪放に頷いたレオに、クリスが苦笑を浮かべる。
「張り切るのは一向に構わないのだが、撤退するまでの時間稼ぎだということを忘れるなよ。
瀕死の者であればともかく、既に死んだ者を蘇らせる力は、私にはないのだから」
「こころえておりますよ」
磊落に笑う彼に、『殺しても死なないのはレオ卿ではないか』という、ボルスのぼやきが混ざり、更に笑声を加えた。
「では、行こう!皆、勝ちすぎるなよ!」
甲冑を鳴らして立ち上がったクリスに引かれるように、騎士達は姿勢を正し、彼女に従った。
ばさりと、勢い良く払った天幕の外は、音もなく降り続いていた雪に薄く覆われ、彼らの足跡を黒く地に刻んだ。
「さすがに双璧が揃うと、戦場に精彩を放ちますな。兵の士気も上がって、結構なことです」
クリスと馬を並べて、高地から戦況を見守っていたサロメが、満足げに頷く。
「勝ちすぎるな、と制したことが、少々惜しくもありますが、今回は仕方ないでしょう」
機嫌よく言い募る彼を、しかし、クリスはじっと屈託顔で見つめていた。
「どうしました?」
笑みを含んだ視線を返されて、クリスは、不安げに目を伏せる。
「・・・罠にはめたってばれたら、今度こそリリィに絶交される。それに、ボルスや、せっかく帰ってきてくれたパーシヴァルにも・・・・・・」
「あの二人は、たまたまとは言え、あの場に同席していなかったのですから、仕方ないでしょう。
それに、パーシヴァル卿はともかく、ボルス卿に腹芸は難しいでしょうからね」
いたずらっぽく笑うサロメに、クリスの愁眉はまだ開かない。
「クリス様、これは罠ではなく、交渉ですよ」
苦笑するサロメに、クリスは再び屈託顔を向けた。
「交渉・・・か」
そう言われてしまえば、常に商人達と腹の探りあいを強いられるクリスだけに、気持ちを切り替えやすい。
「そうです。
これは、ゼクセンとティントの名誉を傷つけることなく戦を収め、なおかつ、クリス様のお悩みも解消する、一石二鳥の策なのですから、そう、屈託なさらないでください」
彼の言う策とは、リリィがゼクセン騎士団の陣営に飛び込んできたことで見えた勝機に、彩りを加えたものである。
ティントの重武装歩兵にゼクセン騎士団が一時撤退すること、その後、クリスの紋章の力を見せ付けることで、ティント軍を退かせること、ティント軍への説得は、他ならぬ大統領令嬢が行うこと―――― そしてそれらは、全てリリィ自身が思いついて、クリスに協力を申し出た、という形に持っていくこと。
「クリス様の努力の甲斐あって、ここまではうまく行っているのですから、最後までうまく行くよう、取り計らいましょう」
クスクスと、彼にしては珍しく軽い笑声を上げるサロメに、クリスも、ようやく淡い笑みを浮かべた。
ビュッデヒュッケ城の劇場では、常に酷評を受けていた彼女だが、戦場や議会においては、本心を仮面の下に隠し、百戦錬磨の狐狸相手に一歩も退かない名優である。
リリィがサロメの策の通りに動くよう誘導し、その手の上に乗るように仕向ける事くらいは、たやすい業だった―――― だからこそ、これが明るみになった時の、リリィの怒りが怖いのだ。
誇り高く、自身が正しいと思ったことに向かって突撃する彼女だけに、クリスの芝居に騙されたと知れば、烈火のごとく怒るに違いない。
「しかし、私の策を容れてでも、あなたはリリィ殿との友情を壊したくなかったのでしょう?」
再び、屈託に沈みそうになるクリスを横目で見て、サロメが苦笑した。
「ならば、もうこれ以上、気にしないことです。
ゼクセンとティントのためにも、あなた方お二人の友情が続くのは、良いことなのですから」
「うん・・・」
クリスが、淡い笑みを浮かべたまま頷いた時、一際高い喚声が上がった―――― ティント軍の反撃が、始まったのだ。
「さぁ、クリス様。出番ですよ」
「あぁ、わかった」
リリィは、もうティントの本陣に入った頃だろうか―――― そんなことを考えつつ、馬を駆って戻ってくる騎士達を見守る。
リリィとの友情以上に、守らねばならない者達をすべて迎え入れた後、クリスは辺りが暗くなるのを待って、真の紋章を使った。
ゼクセンの陣営をあまねく覆う蒼い光が、ティントの陣中からも見えるように。
「あとは頼んだわよ、リリィ」
いつの間にか癒された傷に、感嘆の声を上げる兵達に囲まれて、クリスは、遠く篝火の輝くティントの陣中を望んだ。
そこでは今、リリィがティント軍の主だった者たちを説得している最中だろう。
「サロメ」
リリィの、烈しい剣幕に圧倒されているだろう将軍達の困惑顔を想像したクリスは、傍らの軍師に呼びかけ、振り向いた彼に鮮やかな笑みを浮かべた。
「私の感傷まで考慮してくれて、感謝する」
「どういたしまして。私は、あなたをお守りすると誓いましたからね」
目元を和ませて、彼は軽く頷く。
「気が強くて意地っ張りなお嬢様が、数少ないご友人に絶交されて、泣いてはかわいそうですから」
「だっ・・・誰が泣くか!!」
顔を真っ赤に染め、拳を振って怒鳴るクリスに、サロメは、堪えきれずに笑声を上げた。
音もなく降り続ける雪の中で、その声は戦の終了を告げる鐘のように明るく響いた。
〜Fin.〜
| お題79『心の友』です。 暑いと雪の話を書きたくなるのはもう、癖か?(^^;) 当初の予定では、ちゃんと『心の友』にふさわしい終わり方をしていたはずなのですが、なんか変な終わりかたしているし; 戦はですね、昔読んだ本では、弓兵が互いに矢を射込んで戦闘開始、騎兵でかく乱し、歩兵で全面対決、って手順だったように思います。(すみません;;戦略から離れて長いんです;;) 『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)でも、騎兵の特色はその機動力にあり、主に用いるのは偵察とかく乱戦。 騎兵を巧く動かした将が勝利を得る、と読んだような気がする・・・(うろ覚えかよ) ほんじゃ、モンゴルの戦い方ってどうなの。ほとんど騎兵じゃなかったんかい、なーんて、色々調べたいことも出てくるんですね、これが。 まぁ、モンゴル(元ですが)は外国人で結成した軍を持ってて、彼らから色んなことを吸収したと聞いた気もするので、騎兵ばっかりじゃなかったのかなぁ? 騎兵ばっかりだと、城攻めって大変そうですもんね。 幻水でも、竜騎士はともかく、マチルダ騎士団とかゼクセン騎士団は城攻め苦手なんじゃないかな、なんて思ったりー・・・。 色々想像すると楽しいです。 ・・・ところでこの話、ボス戦終了後の、各キャラクターの『その後』を元に書いています。 何年後かはしらねー・・・(^^;) |
百八題