* 007 平和な日々 *
* All is fair in love and war. *
〜 2.Prologue 〜
ブラス城の酒場は、ゼクセン騎士団に属する騎士やその家族たちで、全てのテーブルが埋まっていた。 各所から陽気な笑声や歌声が上がり、何に対するものか、時折、乾杯の声もあがる。 そんな、楽しげな雰囲気の中、陰気にワインの瓶を掲げる男がいた。 「・・・・・・飲んでいらっしゃいますか、ナッシュ殿」 「・・・・・・・・・十分いただいてますよ、サロメ殿」 ワイアット・ライトフェローの、若い従騎士に劣らず、ナッシュは陰気に杯を掲げる。 こんな時、ナッシュは北国生まれ、北国育ちの酒に強い体質を、深く恨まずにはいられない。 早く酔ってしまえればいいのに、いつまでも頭は澄んでいて、目の前の現実からの逃避を許さなかった。 「・・・・・・サロメ殿」 肴を口の中に放り込み、うんざりと杯の中へと視線を落とすナッシュに、サロメは礼儀正しく向き直る。 「いつも、こんな感じなんですかね?」 「・・・・・・ワイアット様は、あまりお酒には強くないのです」 深く吐息した二人の対面では、迷子の愛娘を取り戻したワイアットが、親馬鹿モード丸出しではしゃいでいた。 「あぁ、マイリトルハニーラブリークリス!!もう、一人でどこにも行ってはいけないよっ!!」 「はい。ごめんなさい、パパ」 「久しぶりに会えるって、すっごくすっごくすっごく楽しみにしていたのに、どっかに行っちゃってるんだもん〜〜〜!!!パパ、すっごくすっごくすっごく心配したんだからねぇ〜〜〜〜〜!!!」 「ごめんなさい、パパ」 ―――― 言ってて恥ずかしくないのか・・・・・・? 思わず寒気を覚える光景に、サロメも同じ感想を抱いたようだ。 そっと視線を外す様は、非常に慣れている様子だ。 「・・・・・・しかしまぁ、仲睦まじい事で」 膝の上に愛娘を乗せ、一時も離そうとはしないワイアットに苦笑すると、 「え?!なに?!クリスちゃんがかわいいって?!」 絶対わざとだとしか思えない聞き違いなんかをする・・・・・・。 「うん・・・・・・可愛いね・・・・・・・・・」 「クリスちゃんは俺のだからな!絶対触らせてあげないもんねー」 ・・・・・・・・・・・・もんねーって・・・・・・・・・・・・。 「いくつだ、アンタ?」 「55歳ー♪」 えへへーと笑う顔は、アルコールで赤く染まっている。 「ごめんなさい、ナッシュ殿。パパは酔っ払っているの」 足をぶらぶらと揺らしながら、冷静に状況を説明するクリスに、ナッシュは苦笑を深めた。 「酔っ払いに何を言っても無駄か・・・・・・」 こうなれば、さっさと酔っ払うに限る、と、ナッシュは自分の杯になみなみとワインを注ぎ、一気にあおった。 「クリスぅ〜〜〜!!俺のかわいいジャスミンちゃん!!もっと、小鳥のような声を聴かせておくれ!!」 ヤメロ・・・・・・・・・。 あまりの気色悪さに肌が粟立ち、思わず杯を取り落としそうになった。 絶大なる視覚効果に、アルコールはなんの薬効もなく、ナッシュは目と耳を塞いでココロアタタマル情景から目を逸らした。 翌日、ナッシュはかつて経験した事のない二日酔いに悩まされていた。 原因はアルコールの過剰摂取ではなく、ワイアットに違いない。 厳格な養育係でもあるらしい執事によってクリスと引き離されるまで、延々と続いた親子の心温まる情景を、思い出す度にナッシュの気分は滅入った。 「おはようございます、ナッシュ殿」 まだ人の少ない食堂で、げっそりとモーニングコーヒーをすすっていた彼に、凛とした声がかかる。 「おはよう、お嬢ちゃん。早いね」 ナッシュが向かいの席を勧めると、既にきちんと身なりを整えた少女は、 「そうですか?」 と、可愛らしく小首を傾げた。 「じいやが、今日はいつもより遅く起きていいと言ったものですから、ずいぶんと寝坊したのです」 少女は、彼女には大きすぎる椅子によじ登ると、ふっくらとした頬を嬉しげにほころばせる。 「あぁ、そうか」 少女の為にホットミルクを注文したナッシュは、思い至る事があって、深く頷いた。 貴族の子女と言うものは、甘やかされていると思われがちだが、決してそうではない。 特に、騎士を輩出する家では、規律正しい生活を幼い頃から叩きこまれるものだ。 「お嬢ちゃんは、騎士になるんだね?」 微笑みかけると、少女はきれいな紫の瞳を、大きく見開いた。 「ナッシュ殿は、どうしてそんなにお分かりになるんですか?」 昨日から、彼の洞察力を目の当たりにして来た少女にとって、ナッシュは魔法使いか何かに見えるのだろう。心底不思議そうな声音に、ナッシュは笑みを深めた。 「そりゃあ、お兄さんは魔法使いだからね」 いたずらっぽく片目をつぶる彼に、少女は初めて、声を上げて笑った。 「おや。ちゃんと笑えるんじゃないか、クリスティアーネ」 明るい笑声に、少女ははっと口元を押さえ、赤らんだ顔を俯けた。 「どうした?」 艶やかな銀の髪をくしゃくしゃと掻き回すと、ナッシュの手の下で、紫の瞳が恥ずかしげに上を向く。 「・・・・・・じいやが・・・・・・騎士になるのだったらいつも冷静でいなさいって・・・・・・・・・」 「・・・・・・それを言うなら、君のパパはどうなんだい」 ナッシュの言い様があまりに真剣だったためか、クリスティアーネは思わず吹き出し、今度はなかなか笑声を抑える事ができなかった。 大きな窓から差し込む朝の陽光のように明るい少女の声に、朝食の席に集まってきた人々の頬もほころんで行く。 「クリスティアーネは、パパが好きなんだね」 にこやかな給仕が運んできたホットミルクを勧めると、クリスティアーネは暖かい湯気を上げるカップを大事そうに持ち上げ、こっくりと頷いた。 「大好きです。いつもお城にいるので、中々会えないのですけど・・・・・・」 「それは寂しいねぇ」 だが、その言葉にクリスティアーネは、必死に首を振った。 「お仕事だから、仕方ないのです。私も騎士の娘ですから、寂しくはありません」 「無理しなくていいよ」 少女が、懸命に紡ぎだした言葉をあっさりと断ち切って、ナッシュは微笑んだ。 「大好きな人と別れていて、寂しくないわけがないさ」 そのような言葉は、誰にも言われた事がなかったのだろう。クリスティアーネは驚いたように目を見開いた。 「でも・・・じいやも母も、寂しがってはいけないと言います・・・・・・・・・」 困惑したように視線をさまよわせ、最後に白い膜の張ったカップの中へと視線を落とす。 「父は、大事なお仕事をしているのだから、引き止めるような事をしてはいけないと・・・・・・・・・」 いかにも騎士の奥方が言いそうな事だと、ナッシュは苦笑せずにはいられない。 「だけどね、クリスティアーネ。君のパパは、君よりもっと素直に見えるよ?」 思わず失笑したナッシュに、クリスティアーネははっと顔を上げた。 「あんなに素直に、泣いたり笑ったりしているパパが、立派な騎士じゃないって、君は言うのかい?」 途端、必死に首を振る彼女に、ナッシュは笑みを漏らす。 「だろう? 門番のお兄さん達だって、頭の固い連中じゃなかった。 人間らしい感情と優しさを持ちつつ、戦場においては冷静で勇敢。それが立派な騎士ってもんじゃないか?」 ナッシュの言葉を噛み締めるように、じっと考え込んだ少女の髪を、彼は再び掻きまわした。 「冷静でいることはいい事さ。だけど、無理に抑えこんではだめだ。君は、もっと素直になっていいんだよ、クリス?」 ナッシュの手の中に収まる頭が、こくりと頷く。 「・・・・・・・・・ナッシュ殿は、パパみたいです」 ひそりと漏れた声に、ナッシュは苦笑した。 「俺は、15歳で娘を作った覚えはないよ?」 「作る??」 きょとん、と、問い返す少女を、ナッシュは笑ってごまかす。 「ところで今日は、パパと何をして遊ぶ予定なんだい?」 「それが――――」 ぬるくなったホットミルクを一口飲んで、クリスティアーネは俯いた。 「会議があって、お昼までは会えないのです。だからじいやが、その間はお勉強していなさいって・・・・・・」 生真面目な少女は、決して勉強が嫌いなわけではない。 ただ、せっかく遊びに来ていると言うのに、羽根を伸ばすことができないのはさすがに不満なのだろう。 「じゃあ、俺が執事さんに頼んであげるから、ピクニックにでも行くかい?」 「え?」 喜色の浮かんだ顔を上げる少女に、ナッシュは微笑んだ。 「こんなにいい天気なのに、お部屋でお勉強するなんてもったいないだろ?」 ね?と、片目をつぶると、クリスティアーネは嬉しげに頷いた。 厳格な執事を説得し、『会議なんて大嫌いだ!』と悲嘆に暮れるワイアットをなだめて、ナッシュとクリスはブラス城を出た。 一頭の馬に二人で騎乗し、ゆっくりと近郊の平原へと向かう。 その道すがら、 「パパ、すごく泣いていたねぇ」 『俺もクリスちゃんと一緒にピクニックに行くぅ〜〜〜!!!』と、泣き喚いていたワイアットを、忠実なる従騎士であるサロメが会議室へ連行して行った情景を思い出し、ナッシュは笑声を漏らした。 「パパは、おうちでもあんなに楽しいのかい?」 クスクスと、笑いを抑えかねていると、鞍の前に座るクリスが、こくんと頷く。 「あんまりクリスばっかりだとママが怒るから、おうちでは半分ずつなの」 「半分ずつ?」 随分と口調の柔らかくなった少女に問い返すと、彼女はもう一度頷いた。 「クリスと遊んだらママとお茶をして、それが終わったらまたクリスと遊んでくれるの」 ―――― なんだそりゃ。 思わず言葉を失ったナッシュに、クリスはクスクスと笑う。 「パパは、クリスもママも好きだから、どちらかをヒイキにはしないの」 「はぁ・・・・・・」 もしかして、奥方は娘に嫉妬しているのか・・・? 嘘のような異常な熱愛ぶりが垣間見えて、ナッシュはそれ以上の追及を避けた。 そのまま馬を進めていくと、ゼクセンの濃い緑陰が切れ、唐突に平原が広がった。 「わぁっ!」 突然、視界に飛び込んできた広大な景色に、クリスが感嘆の声を上げる。 「すごい・・・・・・!!」 興奮気味の声に、ナッシュも口元をほころばせた。 「ヤザ平原、って言うんだってさ。グラスランドと境界を接してはいるが、この辺りはまだゼクセン領だ」 駆けるかい、と問うと、クリスは紅潮した顔をナッシュに向け、何度も頷く。 「しっかりつかまっているんだよ」 森の中では経験できない疾走に、クリスは何度も歓声を上げた。 リズミカルにギャロップを踏む馬の背に揺られ、草の香りを含んだ風を切る感触は、騎士を目指す少女にとって、何よりも心地よいものだった。 「もう一度やって!」 馬の脚を止める度、ねだる少女の頭を、ナッシュはくしゃくしゃと掻き回す。 「もう、何度も走らせているからね。しばらく馬を休ませてあげよう」 途端、残念そうに眉を寄せた少女の瞳を覗きこみ、ナッシュは笑った。 「クリスは騎士になるんだろう?だったら、馬を大事にしてやらなきゃ。な?」 そう諭すと、クリスはやたらと真剣な顔をして頷く。 「・・・その通りです。ごめんなさい」 「クリスはいい子だね」 あまりにも生真面目なお嬢さんを、ナッシュはほほえましく見つめた。 「じゃあ、どこか、馬を繋げる場所を探そうか。ついでにお昼にしよう」 まだ、太陽が中天に届くには間のある時間ではあったが、ピクニックにそんなことは関係ない。 二人は、平原にまばらに立つ木の陰へと馬を寄せると、手綱を枝に繋いで弁当を広げた。 「私、外で食事をするのは初めてです!」 草の上に広げた敷物に膝をつき、持参のバスケットの中から次々と出てくる弁当に目を輝かせながら、クリスは嬉しげな声を上げる。 「幼年学校では、ピクニックには行かないのかい?」 ナッシュの問いに、クリスは残念そうに頷いた。 「ピクニックに行けるのは、5回生になってからなの」 「へぇ。いろんな決まりがあるんだね」 感心したように頷いたナッシュが生まれ育ったハルモニアでは、日照時間の少ない北国であるためか、人々は春の訪れと共に外に飛び出すものだ。 雪のない季節を満喫する為に、晴れた日は外で食事をするのが普通なのである。 「じゃあ、初めてのピクニックを楽しもうぜ」 「はいっ!」 平原を渡る清涼な風に、少女の明るい声が重なった。 食事が終わってしばらく経つと、初めてのピクニックにはしゃぎすぎたクリスは、さすがに疲れてしまったのだろう。眠気を誘う風の誘惑にあっさりと屈してしまい、ナッシュの膝を枕に穏やかな寝息をたてていた。 「そろそろ・・・かな?」 木に背を預けたナッシュは、雲ひとつない空を見上げて呟く。 太陽は、少し前に中天を過ぎていた。 そんな時、漠然と地平線を見遣った彼の目が、高らかに舞い上がる砂埃を捉える。 疾走する馬が上げるものに違いないそれを見止めた彼は、予想通りの展開に、驚くわけでもなく、うっすらと苦笑を浮かべた。 「お早いお着きで」 みるみる近づいてくる騎影は、彼の膝の上で眠る少女の父親。 会議が終わるや飛び出してきたのであろう彼は、二人の前で馬を急停止させると、転がるように下馬してクリスの傍らに駆け寄った。 「お静かに、ワイアット卿。姫はおやすみですよ」 クスクスと笑みを漏らすと、子煩悩な騎士は涙に潤んだ目でナッシュをねめつけた。 「ずるいずるいずるいずるい〜〜〜っ!!!ナッシュ殿ずぅ〜るぅ〜いぃ〜〜〜〜〜っ!!!俺もクリスちゃんとお昼寝するぅ〜〜〜っ!!!」 駄々をこねるように草の上に寝転がったワイアットに、ナッシュが頬を引き攣らせる。 「・・・・・・やめろっつーの」 「ふーんだ。やめないもーん」 「だからいくつだよ、アンタは!!」 思わず鋭い突っ込みをいれてしまったナッシュの膝の上で、クリスが身じろぎし、二人はぴたりと黙り込んだ。 「・・・・・・お静かに、ワイアット卿」 再度、注意を喚起したナッシュの傍らで、ワイアットが悲しげに頷く。 「・・・・・・パパのお膝に寝っ転がってくれないかなぁ、クリスちゃん」 「初めてのピクニックだそうだし、ゆっくりさせてやりなよ」 苦笑するナッシュに、ワイアットも渋々ながら頷き、そのまましばらく、二人はクリスを挟んで無言のまま過ごした。 ―――― こんなにも、心安らぐ時間を過ごすのは何年ぶりだろうか。 ナッシュは、未だ追われる身である事を自覚してはいたが、今、この瞬間は、全てを忘れて清涼な風の感触を楽しんでいる。 と、 「・・・・・・久しぶりだな」 隣に座る男がぽつりと呟いた。 「何が?」 「いや・・・・・・こんな風に、草原で時間をつぶすことがさ」 その口調はあまりに懐かしげで、ナッシュはふと、首を傾げた。 「もしかしてあんた、ゼクセンの生まれじゃないのか?」 ゼクセン連邦は、その街のほとんどが石で造られている。平原は蛮族の住む場所と蔑む風潮は、この国に来たばかりのナッシュにもわかるほど顕著だ。 そんな国に生まれ育った者が、草原を懐かしむ、と言うことはありえないだろう。 そんなナッシュの問いに、ワイアットはあっさりと頷いた。 「たまたま、ビネ・デル・ゼクセの貴族の娘と結婚したが、生まれはグラスランドさ」 彼らの結婚当初は、ゼクセンとグラスランドの関係も、ここまでこじれてはなかったという。 「しかしまぁ、今では出身を公にできないほどこじれちまって・・・・・・たった何年かのことで、色々と変わるもんだな」 「・・・・・・・・・そうだな」 ワイアットの言葉に、ナッシュは深く頷いた。 たった何年・・・・・・いや、更に短い期間で、一つの国が滅んでしまう事だってあるのだ。 「運命の輪ってやつは・・・・・・以外と早く回ってるものなのかもしれないな」 何気なく呟いた言葉に、ワイアットが表情を硬くしたが、ナッシュは見なかった振りをした。 ―――― その後、数日は何事もなく過ぎた。 クリスは規則正しく日を送りながらも、父親やナッシュと過ごす時間を心底楽しんでいたのだが、楽しい休暇も終わりに近づき、いよいよ家へ帰らなければならないと言う日の前日は、さすがに塞ぎこんでいる様子だった。 「・・・・・・・・・帰りたくない」 荷物の整理を拒み、いじけたように顔を伏せるクリスを、厳格な執事が叱りつけている。 「じ・・・じいや、そんなに怒らなくていいじゃないか・・・・・・!」 じっと涙を堪えている娘に、おろおろと手を差し伸べるワイアットを、しかし、執事はじろりと睨みつけた。 「だんな様、甘やかしてはいけません。 クリスお嬢様、聞き分けのない子は、鞭でぶたなくてはいけませんよ!」 びく、と、小さな肩を震わせる少女を、ナッシュも部屋の外から気遣わしげに見ていた。 子供と犬のしつけはハルモニア人に任せろ、と言われるほど、厳しい家庭環境で育った彼にしてみれば、当たり前の光景ではあるのだが、まだ小さな少女がうなだれている様は、さすがにかわいそうだ。 「じいやさん、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。クリスも、久しぶりにお父さんと会えたんで、名残惜しいだけなんですから」 ねぇ、と、仲裁に入ると、クリスは潤んだ瞳を上げて、こくりと頷いた。 「それに、聞き分けがないのはむしろ、お父さんの方だし?」 そう言って、いたずらっぽく片目をつぶって見せると、さすがの厳格な執事も、たまらず吹き出してしまう。 「いや、失礼しました・・・・・・っくく・・・・・・っ!」 どうにも抑えきれない笑いの発作が執事を苦しめている隙に、ナッシュはクリスを抱き上げ、ワイアットに預けた。 「クリス。じいやはもう、怒ってないってさ。今日一日は、お父さんと遊んでもらうんだよ」 窮地を救ってくれたナッシュへ、感謝に満ちた笑みを向け、クリスは嬉しげに頷く。 「ありがとうございます、ナッシュ殿!」 「いいえ。可愛らしいお姫様の御役に立てましたれば、光栄に存じます」 殊更におどけて見せるナッシュに、クリスは明るい笑声を上げた。 が、唐突にその声が止み、訝しく思ったナッシュがクリスの視線の行方を追うと、その先には強張った顔の従騎士の姿があった。 「ワイアット様・・・・・・!」 ただならぬ様子に、ワイアットの表情も厳しく引き締まる。 「グラスランドの軍が、動き出しました・・・・・・・・・!」 「まさか!」 ナッシュが思わず上げた声に、ワイアットとサロメの視線が厳しさを増す。 「まさか、とは?」 緊張を含んだ声を上げるサロメに、ナッシュは向き直った。 「つい最近まで、隣国で騒動があった事は知っているだろう?」 「ハイランド王国と都市同盟の・・・?」 ワイアットの言葉にナッシュが頷き、軽く背後を指し示す仕草をする。 「俺はつい最近まで、都市同盟にいたんだが、ハイランド王国にはシックス・クランの有力部族、カラヤクランが助力していたんだ。 ハイランドが敗亡して、カラヤクランもかなりのダメージを受けたはず・・・・・・。 他の部族と共謀したにしろ、ゼクセンに攻め入る余力があるとは思えないね」 「ですが、事実、グラスランド軍は間近に迫っているのです!」 まだ実戦経験が少ないためか、冷静になれないでいる彼を、ワイアットが制した。 「ナッシュ殿、この時期にグラスランドが侵攻してくる理由はなんだと思う?」 ナッシュに情報を求める彼の表情は既に、戦いを目前に控えた戦士の顔になっている。 「・・・・・・・・・牽制・・・・・・かもしれない」 長く沈思した後の答えに、ワイアットは無言で頷き、抱いていた娘を執事に預けた。 「ごめんね、クリスちゃん・・・・・・パパは、お兄さん達と大事なお話をしなきゃならなくなったから、じいやのところにいてね」 いつもとは違う父親の様子に、クリスは素直に頷き、執事に導かれるまま、部屋を出て行った。 「―――― それで、ナッシュ殿?牽制、といわれると・・・?」 話の続きを望むワイアットに、ナッシュは頷き、顎に手を当てた。 「ハルモニアの友好国だったハイランドは滅びたが、新しく興ったデュナン国はまだ乱れていて、一国として立つにはまだ時間がかかるだろう。 その隙を狙って、更なる発展を遂げようとするゼクセン連邦にシックスクランの軍をぶつけ、その隆盛を阻もうとしている、ってのはどうだい?」 「隆盛を阻む・・・とおっしゃいますが、デュナンとゼクセンは、グラスランドを挟んで、遠くはなれています。我ら騎士団がかの地に攻め込み、領有するなど、杞憂ではありませんか。 一体誰が、そのようなことを憂慮するというのですか?」 訝しげに首を傾げるサロメに、ナッシュは薄く笑みを浮かべた。 「サロメ殿、もし、あなたが将来、軍師になる事をお望みなら、兵法以外にも様々な戦い方があるって事を知っておいた方がいい。 ゼクセン連邦が、どういうお国柄か。どんな考えを持つ者が国の実権を握っているのか。それを考えれば、『領有』と言う言葉にも様々な形態がある事に気づくでしょう?」 ナッシュの言葉に、サロメははっと息を呑み、ワイアットは深く頷いた。 「領有は、必ずしも土地を支配するだけではない、ということか・・・・・・」 ワイアットの答えに、ナッシュは笑みを深めた。 「その国の、経済を支配する・・・・・・。 気候によって税率の変化する土地なんか、商人たちは欲しがらない、と言うことですよ。 戦火に焼かれ、物資の不足した国へ商売に行けば、必ず儲かる。それが他国の2割増し、3割増でもね」 でしょう?と、ナッシュは軽く笑声を上げる。 「だが、そうなるとゼクセンは力を増し、新興のデュナン国は急速に整っていく。いずれ、グラスランドもゼクセン連邦も支配しようと思っているハルモニアにとっては、困った事態となるわけです」 そこで、今回の侵攻だ。 カラヤクランの抜けた穴を、密かにハルモニアが補い、ゼクセンがデュナン国へ商売に行けないようにする。 元々、ゼクセンとシックスクランの戦いは、グラスランドの通行権を巡る争いから始まった。 ゼクセンの隆盛を阻むため、シックスクランが先手を打ったのだと知っても、誰も不自然に思いはしないだろう。 「なるほど・・・・・・。だが、この説に確証はあるのか?」 鋭利な刃のように、鋭い光を放つワイアットの目を、ナッシュはまっすぐに受け止めた。 「あんたには世話になったから、正直に話そう。 もう、知っていたかもしれないが、俺はつい最近まで、ハルモニアの南部辺境警備隊に属する、特殊工作員だった」 その告白に、サロメは蒼褪めた顔を更に蒼くしたが、ワイアットは気にも止めない様子で先を促した。 「警備隊の本拠地は、ご存知のようにカレリア砦なんだが、少し前から、そこの精鋭が一人残らず『特殊任務』とやらに駆り出されたらしい」 言いながらも、ナッシュは頭の中で、自身が得た情報を並べ、組み立てていた。 「人数にして数百人・・・・・・。 ハルモニアは、ハイランド軍への助力に神官将の一軍を遣わしていたが、神官将自身がクリスタルバレーに帰還している今、撤退の応援にしては少なすぎるうえに時期的にも遅過ぎる。 と、なれば、デュナンから帰還する軍に接収される振りをして、グラスランドやこのゼクセン連邦に潜入するつもりだと考えたほうが自然だろうな」 この侵攻を扇動する為に、と結んだナッシュに、ワイアットは深く頷いた。 「―――― だがきっと、それだけじゃない」 初めて聞く、ワイアットの苦しげな声音に、ナッシュは訝しげに眉を寄せた。 「それだけじゃない?」 「あぁ・・・・・・」 言いかけて、周りの気配を探るように言葉を切ったワイアットに、同じく、注意深く辺りの気配を探ったナッシュが頷く。 「大丈夫だ。誰もいない」 確信に満ちた答えを受けて、ワイアットは再び口を開いた。 「・・・・・・あんたもハルモニア人なら、40年ほど前、グラスランドの叛徒がハルモニアの神殿に忍び込み、真の紋章を三つも奪った事を知っているだろう?」 慎重に潜められた声に、ナッシュは薄い苦笑を浮かべた。 「グラスランドじゃ、そんな英雄譚が信じられているそうだが、俺は眉唾ものだと思うね。あの厳重な神殿から、3つもの真の紋章を奪ったなんて、ハルモニアを知らない奴らの夢物語さ」 が、ワイアットは真剣な様子で首を振り、ナッシュの目の前で右の手袋を外して見せた。 「夢物語じゃない。3つのうちの一つ、真なる水の紋章は、ここにある」 「・・・・・・・・・・・・っ!」 息を呑み、声を失ったナッシュとサロメの目は、ワイアットの右手に釘付けにされたまま、微動だにしない。 「―――― ハルモニアがグラスランドへ侵攻しないのは、『炎の英雄』と呼ばれた男が、真なる火の紋章でハルモニア軍を焼き尽くしたために得られた休戦条約のおかげだ。 しかしそれも、あと十数年で期限切れになる」 「・・・・・・つまり、条約の期限が切れた直後、ハルモニアによる大掛かりな侵攻がある、と言うわけか」 ハルモニアに生まれ育ったナッシュは、かの国の性質を良く知っている。 長い繁栄は、他国に侵攻し、支配する事によって保たれてきたと信じる者が実権を握る国―――― 今頃、グラスランドとの条約を知る者達は、期限が切れる日を指折り数えていることだろう。 「・・・・・・今の説、訂正の必要があるな。 今回の、ゼクセンの隆盛を阻む侵攻すら布石に過ぎない。ハルモニアの本当の目的は、侵攻のための情報集めと、真なる紋章を宿した者達だ」 ハルモニアが、どうしてそこまで真の紋章にこだわるものか、ナッシュには知りようもなかったが、かつて、彼が携わった任務の大半は真の紋章に関するものだった。 「―――― と、なると、ワイアット卿。既にあなたの身辺は、探られている可能性がある。最近、身の回りに変わった事は?」 ナッシュの問いに、ワイアットは淡い苦笑を浮かべた。 「近頃、工作員らしき人間が幾人もこの城の門をくぐっている―――― 俺も、長年追われて来た身なんでね。追跡者の気配と言うものは、なんとなく察せられるものだ」 ワイアットの言葉に、ナッシュはくすりと笑みを漏らした。 「俺も、何人か見たぜ、そんな連中を。 中には、見知った顔もいたんだが、俺があんたや、お嬢ちゃんと一緒にはしゃいでいるもんだから、近づけなかったようだな」 それが狙いだったんだろ、と問うと、ワイアットはにやりと口の端を曲げた。 「追跡者を巻くのにも、色々方法があるってことさ。カレリア砦の有名人を側に置いてるようなマヌケが、まさかお尋ねの継承者だとは思うまいよ」 「有名かな、俺は?」 「工作員たちの視線は、必ず一度はあんたに止まっていたが、あんたは奴ら全員の顔を知っている様子じゃなかった。 つまりあんたは、工作員たちに人相書きを配布される立場―――― いわゆる、ハルモニアに追われる身だってわけだ。そうだろ?」 「いい推理だ」 「なっ・・・何をそんなにのんきに笑っているのですか!!」 いきなり告げられた真実の、あまりの重みに呆然としていたサロメが、悲鳴じみた声を上げる。 「ワイアット様は、いつ危険な目に遭うか分からない人物に、クリス様を預けていらしたというのですか?!」 「いや、ここでは彼に、危険はなかったさ」 妙に確信に満ちた表情に、サロメが再び声を失う。 「サロメ殿、どうやら俺は今、放置されている状態らしいんだ」 くすりと笑みを漏らすナッシュを、サロメは油の切れた鉄人形のようにぎこちない仕草で見遣った。 「この城に入る時、関所に並んだ人間の中には、幾人か見知った顔がいたんだが、奴らは俺に関わろうとはしなかった。 ためしにハルモニア製の、偽造通行証を使ってもみたんだが、未だに追跡者は現れない。つまり、俺の逮捕なんかより重要な仕事ができちまった、って訳さ」 「そして奴らは、奴ら自身の正体を公にされたくないばかりに、逆にナッシュ殿の視界から姿を消す。おかげでクリスは、誰より安全な場所にいた、ってことさ」 「お分かりいただけましたか、サロメ殿?」 にやりと、口の端を曲げる二人の雰囲気はとても似通っていて、サロメは唖然とするばかりだった。 「だが、それもそろそろ限界でしょう。 さっきも言いましたが、今回、この地に潜入したハルモニアの工作員は、精鋭ぞろいです。いずれはあなたが真の紋章の継承者だと嗅ぎつける」 「あぁ・・・・・・。ゼクセンに、長く居すぎたかもしれない」 きつく目を閉じ、苦しげに吐息するワイアットに、ナッシュは気遣わしげな視線を向けた。 「ワイアット卿・・・・・・・・・。 俺も、つい最近までは工作員でした。彼らの裏を、かく事ができると思いますが?」 「ナッシュ殿・・・・・・・・・」 ワイアットは、万感の思いを込め、ぐっと拳を握り締める。 「グラスランドの軍が侵攻して来た今がチャンスです。戦死した事にして、グラスランドに身を隠す―――― クリスティアーネは、悲しむことでしょうが・・・・・・・・・」 「だが・・・・・・!」 思いを断ち切るように、ワイアットは刃のような光の宿る目を開いた。 「俺が消える事で、クリスとアンナを守る事ができるのなら・・・・・・・・・!」 搾り出すような声に、ナッシュは頷いた。 「・・・・・・協力しますよ」 たとえ、あの少女に一生恨まれることになっても――――。 ・・・・・・・・・こうして、彼らの平和な日々は終わりを告げた。 *** 戦に行くのだと、ワイアットが幼い娘に告げると、彼女は美しい銀の髪を惜しげもなく振りまいて、必死に父親の腕にすがりついた。 「嫌だ・・・行かないで・・・!」 泣き声を上げる少女は、気づいていたのではないだろうか―――― ナッシュが、父親を奪うことを。 「ワイアット卿」 離れ難い様子のワイアットを促すと、涙を溜めた少女と目が合った―――― 残酷なことだと言うのは、百も承知。 だが、急がなければ、ハルモニアの追手に見つかってしまう・・・・・・君に、父親を返すことができなくなってしまう。 幼い君を、傷つけてごめん・・・・・・ 無償の愛を注いでくれる父親を、心の支えである彼を、君から奪ってごめん・・・・・・ 俺を恨んでくれていいから・・・今はその手を離して・・・・・・―――― 少女は父親から手を離した。 悲しそうに、名残惜しそうに父親を見上げる少女の瞳は紫―――― 紫水晶は、魔を防ぐと言う。 ・・・・・・・・・神よ 願わくは、この少女に祝福を・・・・・・・・・ 〜 to be continued 〜 |
お題7『平和な日々』です。
お題作成予定表に、『こうして平和な日々は終わりを告げた』とか書く辺り、捩れまくってますね、私の連想ゲーム;;
ナッシュが、いろんな事を知りすぎていますが、この方が話の展開上、書きやすかったものですから、大目に見てくださいまし;;
さてこれは、『All is fair in love and war.』の第2話でもあります。
若梨小栗の『一緒にお昼寝』ネタはどうしても使いたかったんですーv
ナッシュがロリすぎますが構いまへん!!好きなんですもの!!(しかし、こんなんによく愛娘を預けたな;;)
そして馬鹿パパも愛しています!!(開き直り)
『すっごく』を連呼するのは、好きなドラマ、『ムコ殿』の影響を受けていますね、確実に(笑)
最初のバカップル『ムコ殿』の方が好きだったけどさ(笑)
『子供と犬のしつけはハルモニア人に任せろ』の元ネタは、『子供と犬のしつけはドイツ人に任せろ』という慣用句(?)ですね。
それくらい厳しいそうなのですが、教育のためとはいえ、『吼え猛る声の組合』に放り込まれたナッシュの家庭環境って、どうなっとんのじゃ(笑)
厳しいなんてもんじゃないっすね(笑)
百八題