~ des silbern die Jungfrau ~
クリス・ライトフェローの肖像









 私はクリス・ライトフェロー。
 女ながら、ゼクセン騎士団の団長代理をしている。
 人は、私の事を『銀の乙女』などと呼ぶが、私はそんなロマンティックな呼称に違和感を抱きつづけていた。
 男だらけの騎士団内で腕を上げていくことが、どれほど女として堕落していくか、皆、知らないのだろう。
 私は生れてこの方、料理はもちろん、掃除、洗濯、裁縫など、『いいお嫁さん』となるべき全ての課題を無視して生きてきたのだ。
 現在の私は、剣の腕は騎士団随一、戦になれば兵士達と平気で雑魚寝してしまう。
 『銀の乙女』だなんて、現実を知らない人間達のたわ言としか思えない。
 ―――― まぁ、確かに、この人並はずれた美貌は、幻想を抱かれても無理はないと思うがな。


 私の生まれたゼクセン連邦は、商業ギルドが中心となって建国された少壮国であり、長い間、グラスランドの六部族――― シックスクランと戦争を続けている。
 六つにも分かれた敵なら、確固撃破は容易にできるだろうと、皆は言うかもしれない。
 だが、彼らは勇猛で、何度も我ら騎士団に煮え湯を飲ませてきた。
 我ら騎士団の団長と副団長も、彼らによって殺されてしまったのだ。
 私は、団長と副団長を殺した戦で英雄にまつりあげられ、『騎士団長代行』の地位から『代行』の文字がなくなるのもそう遠い日ではないと言われた。
 そんなある日、私はある古城に立ち寄った。
 訓練とストレス発散のため、ゼクセン連邦の首都、ビネ・デル・ゼクセの北にある洞窟に入った時に、その岸壁から船の突き刺さった城を見つけたのだ。
 丁度、ヤザ平原で騎馬訓練を計画していたこともあり、休憩の場に良いと思ったのだが、なんと、城には人が住んでいた。
 しかも、勝手に住みついた流れ者などではなく、評議会に任命された城主とその臣下だと言う。
 「この城は、あまりにも貧乏なので、色んな人に土地を貸して、商売をしてもらおうと思っているんです」
 意外に若い城主は、そう言って私をおどおどと見上げた。
 「別に気にするな。私は、わざわざ首都の評議会に知らせようとは思わない。店を持ちたいと言うものがあれば、ここを知らせてやろう。
 しかし、評議会は商人ギルドの長達だからな。そんな事をしているとばれれば大変だ。気を付けるんだな」
 その時はただ、何度も不本意な戦いを強いた評議会に含むところがあったために便宜を図ったのだが、この城が近い将来、私の拠って立つところになろうとは、思いもしなかった。
 歴史は時に、緩やかな清流が大瀑布に流れ込むように激しく姿を変えると言う。
 私は、そうとは気づかぬまま、大瀑布へ続く流れの中へ、深く身を浸していたのだった。


 その後、私はグラスランドとの和平交渉を評議会に命ぜられた。
 ゼクセン騎士団の居城、ブラス城へ戻り、この度の勝利で優位に立ったゼクセンの為に、シックスクランの代表者たちと和平条約を結んでこいというのだ。
 流血にも飽いていた所、願ってもないことだと私は了承し、居城に戻る前に、ビネ・デル・ゼクセの防具屋へ寄った。
 戦争前はどこの防具屋も騎士達で賑わうものだが、戦争後のそこは妙に静まり返っている。
 おかげで親父も暇だったのだろう、入って来た私を見るなり、
 「姉ちゃん、あんた、芸術はわかるか?」
 と、尋ねてきたのだ。
 「ふ・・・。
 店主よ、私はこれでも芸術にはうるさいぞ。幼い頃は、騎士団に入るか鑑定家に弟子入りするか、真剣に悩んだほどだ!」
 部下達が感嘆の声を上げる中、私は親父の前に進み出た。
 「じゃあ、この良さがわかるか?!」
 親父の差し出した防具に、私は素早く目を走らせる。
 「これは・・・。噂に聞くモグラアーマーだな?!
 モグラを完璧に模写したフォルム、防御力14の、騎士には便利な防具だ!」
 「ねえちゃん・・・!ただ者じゃないな?!」
 「ふ・・・!私はゼクセン騎士団団長代行のクリス・ライトフェローだ!見知りおけ、店主!」
 「さすがゼクセン騎士団の銀の乙女だ!あんたのような人相手に商売したいねぇ!」
 「それなら店主、ビュッテヒュッケ城と言うところが商店主を募集しているぞ。私もしばしば寄らせてもらうつもりだ」
 「それはいい事を聞いたぜ、姉ちゃん!モグラアーマー、使ってくれよな!」
 さわやかな笑みを交わして、私達は店を出た。
 「ボルス!」
 「は・・・はい、クリス様!」
 私は、リアルなモグラ型アーマーをしげしげと見つめた。
 「これは、童顔のお前にはとてもよく似合うと思う」
 「ええっ!?そんな!!」
 「本当は私が着たい所だが、惜しいことに私は銀髪だ。この濃い茶色の毛皮にはふさわしくない。
 同じく黒髪のパーシヴァルや紫のロランもな。レオは赤毛だが、これはサイズが合わん。お前のように明るい金髪じゃないのが残念だ」
 「く・・・クリス様、どうかご勘弁を・・・・・・!!!」
 「最高の芸術品を纏う資格をもったボルス、お前に譲ろう」
 私の言葉に、隣にいたパーシヴァルが震え出した。
 「ぶふっ・・・・!!!ボ・・・ボルス卿、サイッコウの名誉ではありませんか!!良かったですね!!」
 「パ・・・パーシー・・・!!思いっきり楽しんでいるだろう!!」
 「・・・・・・うむっ、パーシー!友人に名誉を快く譲るとは、騎士団の誇りとすべき行為だ!すばらしい!!」
 「レ・・・レオ!!あんたまで!!」
 三人の騎士が揉み合う様に、私の手元を見つめるロランが首を傾げた。
 「・・・・・・・・・?私は・・・・すばらしい鎧だと思うが?」
 「やはりロランだ。この価値がわかるか!」
 「エルフ族は、芸術に対して敏感なのです」
 「そうだろう、この写実的なフォルム!そのくせしっかりとした防御力!すばらしい・・・!」
 さぁ、と、モグラアーマーを差し出した私から、ボルスはあとずさった。
 「ボルス?」
 私が首を傾げると、パーシヴァルとレオが陽気にボルスを捕らえる。
 「ボールースッ!」
 「ボールースッ!」
 二人がボルスの両手を掴み、無理矢理私に差し出させた。
 「ボルス君の〜!ちょっとイイとこみて見たい〜〜〜!!」
 レオが節をつけ、パーシヴァルが受ける。
 「大きく三回!」
 パチパチパチ、と手甲に覆われた手が拍手した。
 「小さく三回!
 もひとつ三回!!そぉれイッキイッキイッキイッキ・・・・・・・・!」
 「ぎゃ―――――――!!!」
 目に涙を溜めて差し出したボルスの手に、私はモグラアーマーを乗せてやった。
 「喜んでくれて、私も嬉しい」
 「こっ・・・・光栄です、クリス様っ・・・・・!!」
 涙に咽んだ声が、彼の感動を真摯に伝えている。
 「うらやましい・・・・・・・」
 ぽつりと呟いた声に、私はロランを振り返った。
 「すまない、ロラン。私はボルスをひいきにしているわけではないのだ。
 ただ、このアーマーが、あまりにもボルスに似合ったのでな」
 「わかっております、クリス様。私は友のため、『高級な鎧』に甘んじるつもりです」
 「おっ・・・俺も、高級な鎧に甘んじたい・・・!!」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら言うボルスに、私はつい、感動してしまった。
 「自身の名誉を捨てる勇気!感じ入ったぞ、ボルス!
 気にするな、お前にこそモグラアーマーはふさわしい!!」
 更に感涙に咽ぶボルスと、それを暖かく見守る部下達を、私は誇らしく見つめずにはいられなかった。


 その数日後、和平交渉は流血を伴なってひき裂かれた。
 私はカラヤ族の軍に囲まれた部下達を救うため、わずかな兵を率いてカラヤの村に火を放ち、抵抗する者達を斬り捨てた。
 だが、一軒の家の前に置かれていた鎧―――― 見まごうことなき我が家の紋章が入ったそれを見て、私の視界は一瞬、白く翳んだ。
 それは昔、行方不明になった父のものだったのだ!
 「・・・・・・っこんな村、焼け落ちてしまえばいい!!」
 「おまえっ・・・!!」
 殺気を感じた瞬間、私は相手の姿も見ずに剣を一閃した。
 振り返った私の目の端に、カラヤ風の衣装を纏った少年が、その幼い身体を地に打ちつける瞬間が写った。
 その少年を、私は見たことがあった。
 ブラス城に戻った時、私の従者であるルイスにぶつかった少年だ。
 既に息のない彼に駆け寄った少年も、ダッククランの軍人らしい者も、彼と共にあった者達だ。
 私は、苦い後悔の念を噛み締めながら、馬首を返した。
 我が軍師のサロメ達と合流し、さらには別働隊を率いたボルスと落ち合って、軍を立て直さなければならないのだ。
 だが、少年達から逃げるように馬を駆った私が見たものは、無惨に殺された、武器を持たない者達の死体だった。
 「ボルス・・・・・!!」
 そんなはずはない。
 ボルスは、モグラアーマーの良く似合う、純朴な若者だ。
 確かに、熱くなりやすいところはあるが、決して、無抵抗の住民を殺すような男ではない。
 事実、彼は私に向かって、けして自分の仕業ではないと誓った。
 炎に照らし出されたモグラアーマーの、無邪気な顔までもが哀しく見える・・・。
 「信じるぞ、ボルス」
 彼は強く頷き、私達は馬首を翻して部下達の待つ平原へとって返した。
 なんとか全滅を免れた軍をまとめ、私はブラス城へ戻った。
 その直後のことだ、私達が評議会に、再びグラスランドへの侵攻を命じられたのは。


 その男に会ったのは、イクセの村だった。
 グラスランドへの再侵攻をハルモニアの進軍によって阻まれ、リザードクランのトカゲ達を殲滅(せんめつ)することなしに引き上げた私が、あまりの疲労に倒れたために、パーシヴァルが生れ故郷の豊穣祭に誘ってくれたのだ。
 気晴らしにやってきたそこで、夕日を受けて金色に煌めく豊かな穂波に見惚れていると、奇妙な男に声をかけられた。
 ナッシュ・ラトキエと名乗ったその男は、私の事を知っている様子だったのだが、彼がなぜ私に声をかけたのかを聞く前に、復讐鬼と化したリザードクランのトカゲ達の侵攻に遭ってしまった。
 辺境とは言え、イクセはゼクセンの領有する村だ。
 私はパーシヴァルとその奇妙な男の協力を得て、村人をかばいながらトカゲ達と再戦することになった。
 トカゲ達は強く、こちらは戦力不足。
 苦戦せずにはいられなかったが、なんとか敵を退けて村の最奥、風車の立つ場所まで逃れると、追って来た者達の中にはカラヤの戦士も加わっていた。
 「復讐、というわけか?」
 だが、剣を持って立ち向かってきた以上、自身の命をかけて戦うのは戦士として最低の心構えだ。
 私を殺すために無抵抗の村を焼き討ちするとは、戦士の風上にも置けない!
 カラヤの少年を斬ってしまった時の感触が、鈍く行き渡る手に剣の柄を握り締めて、私はジンバというカラヤの戦士との一騎打ちに応じた。
 「かかってきな、お嬢ちゃん」
 むっと眉をひそめ、私は激しく打ち込んだ。
 防御しきれず、よろめいたところに更なる一撃を加えて地に這わせる。
 私はこんなところで負けるわけにはいかないのだ。
 だが彼はゼクセン騎士団に追撃されてイクセの村を退く前に、私に我が父、ワイアットの死を告げたのだった。
 父の事が知りたければ『炎の英雄』を追えと・・・。
 馬鹿な。
 『炎の英雄』は、50年も前に活躍した人間だ。
 生きているとしてもかなりの高齢。なぜ、そんな男が父と関係あるのか。
 だが、ジンバの言葉は妙に私の耳に残った。
 既に、記憶もおぼろげな父だが、我が家の名誉に恥じぬ死に方をしたのか、武人としてどのように戦ったのか、知りたかった。
 私は、イクセの危機に駆けつけてきた部下達を指揮し、トカゲ達の軍を追い討ちしながらも、あの男――― ジンバの姿を探さずにはいられなかった。
 「指揮官は見つかったか?!」
 馬を寄せてきた六騎士に問うと、彼らは一様に首を振った。
 「申し訳ありません、逃げられました」
 「そうか・・・」
 落胆を抑えることは出来なかったが、村の惨状に、すぐに立ち直った。
 「村の者達を集め、放たれた火を消すんだ。家屋に残された者の救出を急げ!」
 私は鋭く承声を上げる部下達を統率し、二次被害を食い止めて、なんとか被害を最小限度で済ませた。
 「逃げ遅れた者はいないな?!」
 鎮火しつつある村を見回し、細かに被害を確認していると、ひとり、場違いなほど暢気に人形遊びをしている少女がいた。
 「焼け出されたのか?怪我は?!」
 馬を寄せ、声をかけた私に、少女は笑って右手の人形を差し出す。
 「この子、ブランキーっていうの」
 『この娘はメルだ!よろしくな!』
 見事な腹話術に、私が状況も忘れて唖然としていると、気色の悪い黒猫の人形が、にゅっと近づいてきた。
 『ふんふん』
 なにやら得心したように頷き、人形は少女に向かう。
 『お前の勝ちだな、メル。あっちにゃ目元にこじわがあるぜ!若い分、お前の方がかわいい』
 ―――――― ピシッ!
 このような暴言を受けて、顔を引き攣らせない女がいたらお目にかかりたいものだ。
 「ごっ・・・ごめんなさい!ブランキーったら、口が悪くて・・・」
 ―――― 言わせているのはお前だろうが、小娘ぇぇぇぇっ!!
 お仕置きとばかりに人形を激しく壁に打ちつける少女に、しかし、私は平静を装って声をかけた。
 「やっ・・・焼き出されたのか?この村の人間なのか?」
 「ううん。私は旅の腹話術師なの。
 ここのお祭で稼ごうと思ったんだけど、襲撃に遭っちゃって・・・」
 うなだれる少女に、私は深く息をついて村の外を示した。
 「この先の湖畔に、ビュッテヒュッケ城と言う古城がある。そこではいろんな民族が集まって商売をしているから、あなたの芸も喜ばれると思うが」
 私の申し出に、少女は歓声を上げた。
 「ありがとう!早速行ってみるね!」
 『ありがとよ!年増だが、いいとこあるね!』
 ・・・抜刀しなかった私を誉めてくれ。
 私は、怒りに震える背中を、黙って見守ってくれていた六騎士達を振り返った。
 「こじわ・・・ある?」
 一斉に首を横に振った彼らに、私は憮然と頷いた。
 ―――― その日の夜だ。
 身体は疲れているはずなのに、思うことがありすぎて寝つけないでいると、誰かが扉を叩く音がした。
 「ルイスか?」
 何か用だろうかと、声をかけてみたが返事はない。
 「誰だ?」
 私は寝台から立ち上がり、未だ脱がないでいた甲冑を響かせながら隣の執務室へ入った。
 廊下へ続く扉へ手をかけようとした時、再び背後で扉を叩く音がした。
 「何者?!」
 私は剣を抜き、執務机の隣にある本棚を振り向いた。
 そこに、外への抜け穴があることは、前騎士団長より教えられていた。
 「夜分に失礼」
 場違いなほど平穏な挨拶と共に本棚の扉が開き、中からイクセで出会った男、ナッシュが現われた。
 「なんの用だ」
 「塔に閉じ込められたお姫様を助けにきたんですよ、クリス姫!」
 「・・・誰だ、それは!私はクリスだ!!」
 「あんたさ、突っ込み激しいって言われない?いや、生真面目なのかな?」
 あと十年ほど若ければ、モグラアーマーの似合いそうな金髪の中年は、剣を抜いた私にてらいなく近づいてくる。
 「炎の英雄の事が知りたいんじゃないのか?なんならつきあうぜ」
 「なんでお前みたいな得体の知れない奴について行かなければならないのだ!第一私は、正式に任命された騎士団長として、このブラス城から動くわけには・・・・・・!」
 「あ、サロメって軍師さんから伝言ね。もし、あんたが朝になって消えていたら、騎士団長は敵情視察のために、グラスランドに侵入したと言っておく、だって」
 「サロメが・・・」
 それは先ほど、部屋に戻る直前に耳打ちされたことだ。
 「今なら美形の案内人がついててお得だぜ!あんた、グラスランドは不案内なんだろ?」
 この奇妙な男の思惑通りについて行くのはしゃくだったが、『炎の英雄』に関しては気になっていたこともあり、私は彼の同行を許可した。
 そうとなれば、敵の総大将としてグラスランドの民に顔を知られた私だ。この甲冑を解き、少々変装もせねばならないだろう。
 「ちょっと待っていろ・・・・・・覗いたら殺す」
 私は彼に言い置いて、自室に戻った。
 今まではあまり意識しなかったことだが、寝室と執務室の間に扉がないのは問題だな。
 寝室に戻ると、まず、愛剣から騎士団の紋章が入った鞘を払って、素朴な造りの鞘に収めた。
 多くの戦場で命を預けてきた剣だ。他の物に替えようとは思わない。
 そして、地味だが丈夫な旅装束を一そろい。
 クローゼットには高級な服だの最高級の服だのが沢山つまっているが、ひとまずはこれでいいだろう。
 盗賊などに目をつけられて、追いまわされるのも億劫だ。
 戦えば勝つのは私だが、今は時間が惜しい。
 戦闘の邪魔にならないように編んでいた髪を解いて、闇の中に玲瓏と浮かび上がる姿を鏡に映す。
 ――――― 美しい。
 下ろした髪がさやかに揺れる様の、なんと美しいことか。前々から思っていたが、神々しいまでの美しさだな、実際。
 しばし、我が美貌に見惚れていると、無粋な男が急かしはじめた。
 「まさか、鏡に見惚れてるんじゃないだろうな?!」
 「こっちを見るなといっただろう!!剣の錆になりたいか!?」
 「やっぱり見惚れてるんだな!!」
 今度帰ってきたら、自室と執務室の間に鍵のかかる扉をつけることにしよう。
 そう決意して私は自室を出た。
 「行くぞ!」
 命じたと言うのに、彼は私の美貌に見惚れてしまい、しばし微動だにしなかった。
 「あんたさ・・・・・・」
 「私が美貌であることなど、とっくに知っている。今更誉めるまでもないぞ」
 わざわざ自己申告してやったと言うのに、この無粋者はあっさりと手を振った。
 「いや、違う違う。あんた、性格だけでなく髪まで強情なんだなって」
 「・・・・・・は?」
 「普通、あれだけきつく編んでたら、解いてもしばらくはまっすぐならないだろう?それがまぁ、あんたときたら・・・・・・」
 「文句あるか!」
 「あっはっは・・・別にないけど、あんた自分で髪を結えるのか?しまった、って思ってももう遅いぜ」
 彼の言に、私の顔から血の気が引いていく。
 そうだ、これはルイスを伴なっていない旅なのだ。身の回りの世話を、誰がやってくれるのだろう。
 私は血の気の引いた顔を隠すように、執務室にある抜け道の前に立った。
 「・・・・・・全く、部外者に抜け道の存在を知られるとは、忌々しいことだな。これは、城を守る団長にのみ知らされる存在で、ゼクセンの六騎士ですら知らないものなのだぞ」
 動揺を隠すため、ことさら憮然と言うと、彼は場違いな程陽気に笑った。
 「いいじゃないか、開放的な城で。第一、抜け道なんてあんたには必要ないだろう?」
 彼の言わんとするところを察して、私は苦笑せずにはいられなかった。
 「・・・・・・今、必要になったがな」
 「あぁ、俺もあんたを迎えに来るのに便利だった」
 私は彼の言葉に頷きながら、更に憮然とせずにはいられなかった。
 全く、抜け道などと言うものは、騎士団長にとっては卑劣な存在以外の何物でもないのだ。
 それを使う時は、自身の城も部下も見捨てて、一人逃げる時なのだから。
 「それで、これはどこに通じているんだ?」
 「グラスランド側の出口だ。なんでそちら側なのか理解に苦しむね」
 逃げるならゼクセン側だろう、と呟く彼に、私はふと笑みを漏らした。
 「何十年も前、この城を建てた者が、いずれ騎士団長自らグラスランドへ赴く時もあるだろうと予測して造ったのかもしれないな。
 もしくは、何かの理由あってこの城に来たグラスランドの者達が、命からがら逃げ出す為に」
 闇の中に、しばし足音だけが響いた。
 やがて、私の隣で、彼が声を上げずに笑う気配がする。
 「なんともはや、さすがだね。『英雄』の名に恥じない人だ」
 「その名は・・・・・・」
 「虚名に違和感があるって?いいじゃないか、言いたいやつには言わせておけば」
 そういう問題だろうかと、今度は私が考え込んでしまったが、結論を導き出す間もなく闇の回廊は終わりを告げ、清冽な月光に照らされた道に出た。
 そこは彼の言った通り、ブラス城の外、グラスランドへ続く道だった。
 闇を濃くする樹影の向こうは、果てしなく広がる平原。
 つい先日、私が焼き払ったカラヤの村も、ここにある。
 いつまでも消えない、苦い思いを噛み締めながら、私は一条の月光を頼りにグラスランドへと踏み込んだ。


 ――――その、数日後のことだったという。
 ゼクセン連邦の首都、ビネ・デル・ゼクセに赴いていたボルスを狙った者があったそうだ。
 「――――そのふざけたモグラスーツ!!見忘れるものか、鉄頭め!!」
 「好きで着ているんじゃないっ!!」
 絶叫と共に弾き返した剣は、カラヤの少女のものだったと言う。
 彼女はカラヤを焼き討ちした者であるボルスのモグラアーマーを見覚えていたというのだ。
 よい目だが、かのモグラアーマーに対して『ふざけた』とは、センスのない娘だ。
 ボルスは、逃げた娘を追いかけ、捕らえることもできたが、見逃してやったと言う。
 彼の心の裡(うち)にも、カラヤ焼き討ちは苦いしこりとなって残っていたのだろう。
 無理もないことだった。

 後のパーシヴァル談 :
 『ボルスと共にいた兵士の話では、ふざけた格好、と言われたのがよほどショックだったらしくてな、倒れたままピクリとも動かなかったそうだ』
 対するレオ談 :
 『確かにふざけた鎧だけに、二の句が継げない、というやつだな』


 ダッククランは、アヒルそっくりの姿態をした種族だ。
 その村は水辺に寄り添うように形成され、シックスクランの中では最も美しい場所のように見えた。
 だが、ダッククランの民が、意外にも勇猛で知られるように、私はこの美しい場所に着くや、同行者に向かって罵声を上げていた。
 「なんでおまえは道案内もできないかなぁ?!」
 私の罵声に、ナッシュは首をすくめる。
 「アムル平原を抜けた後、何か変だとは思っていたんだ。
 なぜダック村を目指すのに、山道を登らなければならないんだとな!」
 「気づいてたんなら言えばいいのに」
 いけしゃあしゃあと言い放った彼を、私は無情にも殴り倒した。
 「間違えるにしても、限度と言うものがあるだろう!!なぜ、北と南を間違えるのだ!」
 「ま・・・まぁ・・・。おかげで面白い人ともお知り合いになれたことだし・・・・・・」
 「知りあえて嬉しいか?!」
 カレリアの宿で知り合ったナディールという男は、気色の悪い仮面を被った劇場支配人で、ビュッテヒュッケ城で劇場を経営するのだと張り切っていた。
 「一期一会って、いい言葉だと思わないかい?」
 「心からそう思っているか?」
 「・・・・・・・・・」
 「沈黙するなら言うな!」
 「でもほら、ちゃんとダック村には到着したじゃないか」
 「ほほぅ。それで?おまえの目指す、チシャ村とやらにはちゃんと案内できるんだろうな?!できないなら最初からそう言えよ!!」
 「・・・い・・・いや、できないんじゃなくて、確実を帰す為に、ここで案内人を雇った方がいいんじゃないかと提案を・・・・・・」
 「できるのなら案内人など要らないだろう。先に進むぞ」
 「それはちょっとやめておいたほうが・・・・・・」
 「やっぱりできないんじゃないか!!」
 さっきからこの繰り返しで、イライラと怒鳴り散らしていると、横からマイペースそうな声が割って入ってきた。
 「俺はマクシミリアン騎士団のフレッド・マクシミリアン!こっちは従者のリコだ。炎の英雄を探しているんだが、君達は?」
 「・・・・・・!実は、私も彼の手がかりを探しているんだ。ところがこの案内人が低能でな。困っていたところだ」
 「低能って・・・・・・」
 「低能でなけりゃ無能だ。フレッド卿、よろしければご一緒されないか?」
 「願ってもない!」
 年の割に純粋そうな容貌の青年騎士は、笑って頷いた。
 その後、私達は渋るダック達を説得して案内人に雇い、クプトの森に入った。
 私達の目指すチシャの村は、この森を抜けたところにあるという。
 だがやはり、この森も化物達の跳梁跋扈する地となっており、中でも猛毒を持つブルークラブには苦戦しないわけには行かなかった。
 しかしここで、私はナッシュの新たな使い道に気づかされたのだ。
 とにかくこの男、運が悪い。
 よほど日ごろの行いが悪いのか、ブルークラブもひいらぎとうさんもひいらぎの精も、彼ばかりに攻撃をしかける。
 おかげで私達は、体力を温存したまま、敵を倒すことに集中できた。
 「ダック村に戻ったら、お前に『スカンクの封印球』を買ってやろうな。あれをつけていると、化物に狙われないらしいぞ」
 朗らかに笑うと、私の隣でフレッドが首をかしげた。
 「前々から興味があったのだが、あれは人間の嗅覚にも耐え難い臭いを発するものなのか?」
 「着けてみればわかる。きっと、きれいな姉さんも寄ってこないぞー」
 気分よく笑っていると、ナッシュが恨みがましい声を上げた。
 「・・・あんたは封印球なんかなくても、男が寄ってこないだろ」
 「なに?!」
 「ブルークラブを一刀両断する人間なんて、この世にあんたしかいないぞ!銀の乙女だなんてとんでもない!あんたなんか鉄の女だ、鉄の女!」
 「お前も一刀両断にしてやろうか!?
 ―――― いや、それよりも毒消しを取り上げた方がよさそうだな。猛毒に苦しみ悶えるがいい!」
 「鬼!悪魔!吸血鬼!!」
 「なんとでも言うがいい!声を上げるごとに、おまえは一歩死に近づくのだ!」
 「あ・・・あのぅ〜・・・。チシャの村が見えて来たんですけどぉ・・・・・・」
 高笑いを上げて、ナッシュから毒消しを取り上げようとした私を、リコのおどおどとした声が止めた。
 「うん。のどかな村だ。確かここは、ワインの名産地だったな?」
 何事もなかったかのように暢気なフレッドの声に、私はナッシュにかけた魔手を引き戻す。
 「私はグラスランドには詳しくなくてね。フレッド卿はいける口なのか?」
 「俺は飲み比べでも負けたことはない!」
 昂然と胸を張る青年騎士に、私は思わず頬を緩めた。
 「では、早速飲み比べだ!私に勝てるか?!」
 「おお!受けて立つぞ!」
 我先に足を速めたフレッド卿と私の背後で、ナッシュが『鉄の肝臓』と呟くのが聞こえた。
 「猛毒に侵されたおまえは遠慮するがいい。私達は、うまいワインを心行くまで味わっているからな!」
 「そんなぁっ!!クリス様〜〜〜〜!!!」
 「ほーっほほほほ!!泣き喚くがいい!」
 私は哀願するナッシュを置いて駆け出したが、すぐに案内人・・・いや、案内ダック達の発した甲高い驚愕の声に、足を止められた。
 「どうした?」
 いぶかしく思いながら私が、凝然と立ち竦むダック達の視線を追うと、村の前に民族衣装らしい独特の服を着た少女が二人、私達を待ち構えるように立っていた。
 「アルマ・キナン・・・・・・」
 「めったに人前には現れない、聖なる種族だ・・・」
 ダック達の声は畏敬に満ちていたが、私には彼女らが、普通の少女以外の何者にも見えなかった。
 と、
 「やっと会えましたね」
 ふたりのうち、幼い方が私へとまっすぐに歩み寄ってくる。
 「やっと?」
 人違いかと思ったが、彼女の目はまっすぐに私を捕らえている。
 「はい、あなたです。やっぱり素敵だわ、夢にまで見た私の勇者様!」
 言うや、いきなり抱きついてきた少女を、私は慌てて引き剥がした。
 「ちょっ・・・っと待て!!人違いだ!!」
 「私が間違えるはずはありません。あなたこそ私の理想の人!待っていましたわ、王子様!!」
 「私は女だ!!そんなんじゃ・・・待て!!抱きつくなと言うのに!!」
 私は必死に抗ったが、少女は全く聞いてくれない。
 「なんてきれいな銀の髪・・・・・・。夢に見た通りです、お姉様。うれしい、本当に理想通りなんだもの」
 「いや――――――!!!助けてぇぇぇぇ!!!!」
 泣きながら助けを求めた先で、男どもは彫像のように凝然としている。
 「おい!!助けてくれと言っているだろう!!早くこの娘を引き離してくれ!!」
 絶叫した私に、石化の呪いからいち早く抜け出したナッシュは、いっそ朗らかとも言うべき笑みを浮かべた。
 「無粋なことを言うなよ。馬に蹴られるぜ」
 「馬が蹴り殺す前に、私が斬り殺してやろうかい!!」
 「そうかそうか・・・。
 なぁ、みんな!彼女は理想の恋人を得たようだから、ここはそっとしておいて、俺達は名物ワインでも楽しまないか?」
 「汚いぞ、ナッシュ!!仕返しのつもりか?!フレッド卿、こんな卑劣漢を放置していていいのか?!」
 「しかし騎士として、馬に蹴られるなんて醜態だけは・・・!許せ、クリス殿!!」
 「人でなし〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
 村中に響き渡るほどの声で絶叫した時だった。
 「はっ・・・!良くないものが来ます!!」
 加害者が私達には見えないものを見、不吉な者達の来襲を告げた。
 化物でも敵軍でも、今は救いの神だ。
 私は私以外の者に気を奪われた少女を押しのけた。
 「村人は避難しろ!戦える者は武器を持て!迎え撃つぞー!!」
 どうやら敵は、ハルモニアの軍らしい。ここがグラスランドの地だという事も忘れて、私は迎撃の指揮を取った。
 個人的な望みを言えば、できるだけ長引かせたいのだが、この村の人数と敵の数を鑑みるに、そうも言ってはいられない。
 なるべく効率良く撃退する為に、私は少女のことを忘れて戦術に集中した。


 尖兵を撃退した後、現われた本隊を、偶然知り合った軍師と援軍によってなんとか敵を撃退した私は、少女――― ユンの熱い願いに負けて、彼女たちの村、アルマ・キナンに赴くことになってしまった。
 女だけの村、と聞いた途端に男四人が旅程を決めてしまったのである。
 女だけの閉鎖された社会で、まともな人間が育つわけはない、ユン以上の変態がいたらどうするのだと、私が涙の抗弁をしたのだが、男達は聞こうとしなかった。
 ・・・・・・月夜ばかりだと思うなよ、お前達。
 私は前門の化物、後門のユンに挟まれ、身の危険を感じながらアルマ・キナンへと辿り着いた。
 村に入る前、怪しい黒づくめの男に襲われ、あわやという目に遭ったが、すんでのところをユンの姉であるユイリに救われ、無事、村に入ることができたのだ。
 だがしかし!
 「あなたがユンの探していた人ね?」
 艶やかに微笑むと、ユイリはいきなり私に抱きついてきた。
 「ようこそ、アルマ・キナンへ!」
 「ひぃっ!!」
 悲鳴を上げたきり、私が硬直していると、彼女は弓使いとは思えないほど繊細な手で、さわさわと私の背を撫で上げた。
 「そんなに怖がらなくていいのよ」
 「恐いわっ!!!!!」
 やっぱりここは変態の園なんだ!
 予測を確信に変えた私はそのままきびすを返そうとしたのだが、未だ幻想を抱いているのか、命がけの嫌がらせか、ナッシュが無情にも私の足を止めた。
 「彼女達の話を聞いてからでも遅くはないだろう?」
 「話を聞いたら終わりのような気がするぞ!!」
 「いいじゃないか、そんなに邪険にしなくても」
 人事だと思って、のんきに笑うナッシュのみぞおちに、パワーグローブの一撃を叩きこみながらも私は思った。
 乗りかかった船、毒もくらわば皿まで。
 致死量を越えた毒なら、いくら飲んでも同じだ!
 「・・・・・・っ話を聞こうじゃないか!」
 勝利の笑みを浮かべる女たちの顔を見回しながら、私は決意の拳を握った。
 しかし、彼女達の話は、私の理解をはるかに越えていた。
 この世界を守るため、新たな精霊の力を得るために、ユンを生贄に捧げるというのだ。
 蛮習としか言いようのない行為に、私は席を蹴って外に出た。
 彼女達にとっては、意味のある大事な儀式かもしれない。
 しかし、ゼクセン人の私にとって、それはどうしても受け入れがたいものだった。
 昂ぶった感情を発散するように、地を蹴りつけながら闇雲に歩いていると、人為的に配置されたらしい石群に行きあたって、私は足を止めた。
 「祠・・・か?」
 森の木々に囲まれたそこは、静謐な雰囲気に包まれ、異邦人の私ですら、なにやら敬虔な気持ちになって見つめていると、私を追って来たらしい男が声をかけてきた。
 「納得いかない様子だな」
 我が儘な子供をなだめるような口調に、少なからずむっとして、私は彼に噛みついた。
 「あたりまえだ!儀式だかなんだかしらないが、少女を生贄にするなんて、蛮習もいいところだ!!」
 しかし、彼は私の怒声に怯む様子なく、穏やかな笑みさえ浮かべて、私に歩み寄った。
 「価値観が違うからと言って、蛮習と決めつけるのはどうかな」
 頭ごなしに叱りつけられたならば、私は反撥しただろうが、彼の声はあくまで穏やかに、私を諭していた。
 「あんたたちが歩み寄るには、相互理解が必要だと、俺は思うがね」
 「なんであんな変態どもと相互理解を深めなければいかんのだ!深めたら最後、私は向こう岸の住人になってしまう!!」
 「向こう岸って?」
 「ゼクセンのお国言葉で、人倫を踏み外した人間、と言う意味だ」
 「へぇぇ〜・・・」
 妙に感心した様子で、彼が頷く。
 「俺もあちこちの国に潜入したが、そんな言葉を聞いたのは初めてだ!」
 その言葉に、私は鋭く反応する。
 「お前、何者なんだ?」
 「某大国大貴族の貴公子!」
 「冗談はいいから、本当の事を話せ」
 すると、彼は嫌に傷ついた様子で肩を落としたが、悄然としながらもぽつぽつと話し始めた。
 「俺はハルモニアの神官将、ササライ殿に依頼を受けて、グラスランドに侵入した特殊工作員だ――――― って、ちょっと待て!!」
 抜き討とうとした私を、ナッシュが慌てて止める。
 うむ。見事な真剣白刃取り。
 「・・・・・・っ人の話はっ・・・最後まで聞けっ・・・・・・!!」
 「いいだろう、このまま話せ」
 「・・・こっ・・・これがっ・・・ゆっくり・・・話せ・・・る体勢か・・・?」
 「早く話さなければ、お前の頭は真っ二つだ」
 「ハルモニア・・・神官長の・・・命令・・・で・・・真の・・紋章狩りを・・・やって・・・いる奴らが・・・いる・・・がっ・・・・・・!!」
 だんだん姿勢が低くなっていくナッシュが、懸命に刃を反らそうとするが、それを許す私ではない。
 「早く話して楽になれ」
 「・・・もっ・・・紋章狩りを・・・口実・・・に・・・裏で何かを・・・企んで・・・いる・・・奴がいる・・・・・・それ・・・調べるの・・・が・・・役目・・・・・!」
 「なるほど」
 剣を引き上げると、ナッシュが地に両手をついて肩で息をしていた。
 「し・・・死ぬかと思った・・・・・・」
 「ここで殺さないでくださいね、クリスさん」
 聖地なんですから、と、笑みを含んだ声に、私は飛びあがってあとずさった。
 「なななななな・・・何か用か?!」
 「いやだ、クリスさん!こんなところで何もしないわ!」
 ここ以外なら何かされるのか?!
 身の危険を感じて逃げ出そうとした私の服地を、地に這っていたナッシュが掴んで引きとめた。
 「人の話は聞けといってるじゃないか、お嬢ちゃん!」
 「私がちゃんと話を聞く人間とは、まともな価値観を持った人間の事だ!!」
 ナッシュが再び地に這ったが、今度はいつの間にか近づいていたユンに腕を捕らえられた。
 「クリスさんのお父さま、生きてますよ」
 私の足が止まった。
 本能は必死に逃げたがっているのだが、彼女の手より言葉が私を捕らえたのだ。
 「クリスさんのお父さまは、炎の英雄と共に戦った炎の運び手の一人・・・真なる水の紋章を継承していたのです」
 「真の紋章・・・・・・」
 私の呟きに、ユンは捕らえていた腕を放し、背中に抱きついてくる。
 「ひぃぃぃぃぃっ!!」
 隙を突かれて、私は絶叫した。
 「今夜、全てを語ってあげますから・・・」
 あげるからなんだ?!
 私は不吉な予感に怯えながら、アルマ・キナンの夜を迎えた。
 ―――― しかしその夜、私はあてがわれた自室を抜け出し、ナッシュの部屋を襲撃した。
 「なんだよ、夜這いか?」
 けらけらと笑うナッシュの胸倉を掴んで、年の割には若いその顔を引き寄せる。
 「一晩に、何度夜這いをかけられたことがある?」
 「・・・かけられる?かけるんじゃなくて?」
 「五度、というのは多いのか、少ないのか?」
 「・・・・・・・・・ありえないと・・・思います」
 「・・・ありえないほど、多い?」
 無言で頷くナッシュの胸倉を放してやって、私は重く息をついた。
 「五度・・・も・・・・・・?」
 ナッシュの問いかけに無言で頷き、私はしばしうなだれた。
 「それは・・・・・・大変だったな・・・・・・」
 「私は・・・幼い頃に母を亡くしてな」
 「うん・・・・・・」
 先を促すような声に、私は言を継いだ。
 「父もいなかったから、女ながらも騎士団に入ることを止められる人間はいなかった。
 普通の娘たちが、母親に家事やおしゃれの方法を教わっているときに、私は剣を持って騎士見習いをやっていたんだ」
 丁度、ルイスくらいの年の頃だ。
 あの時はまさか、自分が騎士団を束ねる者になれるとは思わなかった。
 「そんな幼い頃から男社会の中で生きてきた私にとって、ここの女たちは未知の生き物だ!異常にも程がある!!」
 私は真剣に訴えていると言うのに、ナッシュは失笑寸前の顔で、苦しげに私を見つめている。
 「笑いたけりゃ笑うがいい!だが、一生覚えておくからな!」
 涙混じりの脅迫に、ナッシュは笑いを収めた。
 その上、今までになく真摯なまなざしを向けてくる。
 「ひとつ、聞いていいか?」
 「・・・・・・なんだ?」
 「夜這いをかけた人間の中に、男はいたか?」
 「いたらなます斬りだ!」
 剣環を鳴らして断言した次の瞬間、ナッシュはけたたましい笑声を上げた。
 「そりゃ良かった!あんたに色香を見出す男がいたら、そりゃ絶対ホモ・・・っ!」
 パワーグローブを装着した右手が、再びナッシュの鳩尾をとらえる。
 「地獄に落ちるがいい」
 板張りの床に崩れ落ちたナッシュに背を向け、私は部屋を出た。そのまま足に怒りをこめて宿を出る。と、アルマ・キナンの女達が集まっていた。
 「なっ・・・!」
 夜襲か、と緊張したが、女ばかりの兵に囲まれて、穏やかに微笑むユンの姿を見つけた私は、昼間、彼女が語った儀式のことを思い出した。
 「まさか・・・もう・・・?」
 いまだ幼い少女を生贄にささげると言う、私には蛮習としか思えない儀式が始まる。
 ユンは、穏やかに笑ったまま私の前に立ち、なんの気負いもない口調で話しかけてきた。
 「生贄には、最後の時間を近しい人と語らう権利があるんです。クリスさん、一緒に来てください」
 「いやだ」
 つい即答してしまい、私は慌てて言いつくろった。
 「お姉さんたちを差し置いて、そんなことはできない」
 せいぜいしかつめらしく言ったが、本当は、この娘と二人きりになるなんて、恐くてしょうがないだけだ。
 しかし、この部族の女は、そんな建前を許すような人間ではなかったらしい。
 有無を言わせぬユンの願いは意外にあっさりと通り、私は彼女と二人、儀式を行う祭壇へと赴く羽目になった。
 「鬼――!!悪魔―――!!吸血鬼――――!!!」
 「年寄りを殴るような女に言われたくない」
 「許せ!俺は馬に蹴られたくない!」
 無情な男どもに売られた私は、市場に引かれていく牛のように哀惜の声を上げながらユンに引きずられていった。
 「クリスさん、私っ!知っていることはなんでもお話ししますからっ!」
 「――― しますからなんだっ!!頼むからもうちょっと距離を置いたお付き合いをしてくれ!!」
 私に抱きついたまま、一時も離れようとしない彼女から必死に逃れようとしたが、彼女は執拗に追い、益々力をこめて抱きついてきた。
 「あなたのお父さんのこと、炎の英雄のこと、炎の英雄が待つ地のこと、全部教えますから、お礼に・・・・・・」
 闇の中でもそうとわかる、熱に潤んだ瞳が私を見つめた。
 「キスして」
 「りっ・・・理性万歳!女神よ、助けたまえ〜〜〜〜〜〜!!!」
 私が恐怖に絶叫した時だった。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お取り込み中のところに悪いんだけど」
 不機嫌の絶頂にあるらしい少年の声が、憮然と私達の間に割り込んできた。
 「今すぐその濡れ場と生贄の儀式を中止してくれないか?」
 振り向けば、不気味な仮面を被った神官将が、白い魔女と黒づくめの男を従えて憮然と佇んでいた。
 ――――― 心から賛成と感謝の意を述べる!
 そう、口走りそうになった私の口を、彼らの後からやってきた戦士達がふさいだ。
 「何者だ!」
 何者でもいい。私の恩人だから。
 そう思ったが、口にするわけには行かない。
 とりあえず適当に戦って退散いただくか、と思ったのだが、これが笑えるほど強い相手だった。
 「しまった、手を抜いている場合ではなかったか!」
 「命がけの冗談言ってる場合じゃないだろっ!!」
 独白に、ナッシュの素早い突っ込みが入って、私はふと、苦笑した。
 「クリス・ライトフェローともあろうものが、おしのび先で敗死だなんて洒落にならんな。本気で行くか」
 「最初から本気でやれよ、小娘!!」
 ほっほっほ・・・・・・。その言葉、後悔させてやるぞ、ジジィ。
 白鳳の紋章で一気にカタをつけてやろうと、私が剣を構えなおした時。
 「・・・・・・間に合わなかったか」
 眼前で神官将が苦々しく呟き、背後にやわらかな光があふれた。
 「・・・儀式は終わったらしい。引き上げるぞ、もうここに用はない」
 「ちょっと待て!言うことはそれだけか?!」
 せっかくの大技を手前勝手な理由でかわされた私が怒声を上げると、
 「君が女の子に襲われていたことは、黙っててあげてもいいよ」
 冷笑を含んだ声で、神官将は嘯いたのだった。
 「キサマッ!!言うてはならんことをっ!!」
 私は激情のままに剣を振り下ろしたが、その刃が彼の身体に届く寸前、白い魔女によって彼らの姿は異界に消え、私の剣は虚しく宙を斬った。
 「〜〜〜〜っなんなんだ、奴らは!!」
 「濡れ場の目撃者」
 嘲弄の声の主は、振り向きざま拳を叩きこんで地に沈める。
 「あんたっ・・・年寄りを何度も〜〜〜〜・・・っ!!」
 「なんだ、まだ口が利けたのか」
 冷酷に言い放ち、拳をかかげると、無礼者は一瞬で無口になった。
 「儀式は成功しました。ユンは、精霊になったのです」
 ユイリの冷静な声に、我に返った私は、眉をひそめた。
 「あなたはあの子の姉でしょう?悲しくはないのですか?」
 「あなた達にとっては蛮習かもしれませんが、私達にとって、これは聖なる儀式です。悲しむべきことなど何もない」
 その声に、わずかな揺らぎを感じたのは、私の望みを映した幻聴だったろうか?
 ユイリの表情は、あくまで淡々としていた。
 「・・・・・・私は、ユンの教えてくれた、炎の英雄の待つ地へ行こうと思う」
 「では、私達が守ってきた、その地へ至る地図をお預けしましょう。どうぞお持ちください」
 笑みすら含んだ声に釈然としないまま私は頷き、何事もなかったかのように立ち去る村人達の背を見送った。
 「・・・・・・あっさりしたものだな」
 「釈然としないな!」
 私の思いを代弁するかのように、直情的なフレッド卿が直情的な言葉を発した。
 「自分達の仲間、それも幼い少女を犠牲にしたとは思えない態度だ!」
 「我々の価値観と彼女らの考え方の間には、埋めようのない亀裂があるようだな」
 「さすが、彼女らに襲われた女の言葉には重みがあるな」
 「・・・私が何度も手加減すると思うなよ」
 剣だけが、騎士の戦うすべではない。
 「・・・っ失礼をばいたしました!!」
 素早く謝罪したナッシュに、鷹揚に頷いた私は、手加減なしに拳を繰り出せば、人間の内臓くらい叩き潰せる人間だった。
 「それで、クリス殿?当然、炎の英雄の元へ行かれるのだろう?」
 相変わらず、周りの状況というものを全く無視して尋ねてくる、フレッド卿に、私は深く頷いた。
 「ここまで来たのだ。最後まで見届けたい」
 共に来るかと尋ねるまでもなく、フレッド卿もその従者も、ナッシュや案内ダック達まで出発の準備を整えに宿に戻っていく。
 「命がけのお祭り騒ぎだな」
 私は苦笑し、彼らを追って聖なる地を後にした。
 白みゆく東の空を背後に、私が村の宿屋まで戻ると、その前で、魔導士らしい格好をした少年が、なにやら懸命な様子でホウキにまたがっていた。
 「・・・・・・何をしているのか、聞いてもいいだろうか?」
 あまりにも懸命な様子だったので、実は声を掛けるのも憚られたのだが、強力な魔法使い達と戦った後では、彼ら特殊能力の者達を警戒しないわけには行かなかった。
 だが、少年の答えは、私の意表をついた上に驚愕の淵へ突き落とす種類のものだったのだ。
 いわく、
 「空を飛ぶ練習をしてるんです」
 私はしばし放心した挙句、もっとも愚かな反問をしてしまった。
 「ホウキで?」
 「はい!」
 朝日のように眩しい笑みを浮かべて、純粋そうな少年は断言した。
 「ホウキ・・・・・・。
 空を飛べる魔法なんて、紋章の中にもなかったような気がするが・・・・・・・・・。
 なにか特殊な紋章でも手に入れたのか?」
 「いいえ!魔法の力だけで飛ぶんです!先生はスイスイなんですよ!!」
 ・・・・・・・・・・・・絶対たぶらかされているぞ、少年!!
 私は絶叫しそうになる口を抑えて、視線を泳がせた。
 と、宿屋の窓の向こうに、なまめかしい姿態をこれ見よがしに露出した女が、楽しげにこちらを見遣っている姿が見えた。
 「もしかして、あの人?」
 アルマ・キナンの女たちとは明らかに違う衣装と雰囲気を纏った女を指し示すと、少年は誇らしげに頷いた。
 ―――― 純朴な少年を、悪い魔女がたぶらかしている!
 それ以外の感想を持った奴は名乗り出ろ!と言いたくなるような予測に、私は一つ身震いをした。
 「しょ・・・・・・少年よ・・・・・・・・・」
 魔女から視線をはずすこともできないまま、私が少年に声をかけると、彼は溌剌とした声で、
 「ぼく、ロディです!」
 と自己紹介をしたのだった。
 「ロディ・・・・・・。君は人生に対して、なんの疑問も持たないのか?」
 「はい!」
 ・・・そうだよな。この年で人生を疑問に思うような少年がいたら気色悪い。
 「すまない、私の問い方が悪かった。つまり、あの女性が君を・・・・・・」
 「なに?私がこの子をたぶらかしていると思っているの?」
 「うわぁぁぁぁぁっ!!いつの間に背後を!!」
 「魔法使いはなんだってできるのよ」
 嘘くさいことを平然と嘯きながら、女は私に歩み寄ってきた。
 「あなたね、この村でモテモテ三昧の変人は。
 女のくせに、女にもてて嬉しい?」
 「嬉しいわけないだろう!!誰だ、そんな噂を流しているのは!!」
 「あんたの金髪の同行者」
 「あのジジィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!地獄に突き落としてくれる!!」
 きびすを返しかけた私だったが、女の、細い割には力強い手に腕を掴まれて止められた。
 「放せっ!」
 「馬鹿ね。こう言う噂は、事実を見せ付ければ自然に消えるものなのよ。
 あなたがそのケがないって事を教える為には、男にもてればいいのよ。簡単でしょ」
 だが、私にとって、そのアドバイスは簡単になし得るものではない。
 「わっ・・・私に色香を感じるような男は、ホモしかいないとか言われたんだがっ・・・・・・!!」
 ―――― 奴はもう、殺す。
 本職がハルモニアのスパイなのだから、ブラス城に戻ったらゼクセン騎士団団長の権限で、必ず処分してやる。
 ひそかに拳を握った私に、しかし、女は婀娜っぽく微笑んだ。
 「この村の奥にある聖地の、さらに奥に、ある村へ通じる道があるの。そこは、このアルマ・キナンと対を成すように、男ばかりの村なんですってよ」
 「それが・・・・・・?」
 不覚にも女の発する怪しい雰囲気に呑まれた私は、つい彼女に話の続きを求めてしまった。
 「この村と同じだけ、男がいるのよ?中には一人くらい、物好きがいるでしょ。それに、性質までこの村と対なら、住人はホモばかりよ」
 「うわ、最低・・・・・・」
 思わず眉をひそめた私に、女は艶やかに笑いかけた。
 「とにかく、探してごらんなさいよ。見事突き止めたら、あなたの仲間に入ってあげてもいいわ。見たところ、あなたの隊には、魔法使いがいないみたいだし」
 火魔法と召喚魔法が得意だと言う女に、私は深く頷いた。
 その性格はともかく、魔法使いが隊にいれば、戦闘が格段に楽になるのだ。
 「必ず見つけ出そう。そのあかつきには、よろしく頼む」
 そして私は、戦闘直後にも関わらず、再びアルマ・キナンの森の中に入ったのだが、聖地をしらみつぶしに探しても、道らしきものは何もなかった。
 と、
 「・・・・・・お姉ちゃん、なにしてるの?」
 私が何度も森の中に踏み入り、獣道を作成していく様をじっと見守っていたらしい少女が、不審そうに尋ねてきた。
 「この村と対になるという、男だけの村を探しているんだが、知らないか?」
 「・・・・・・ナニソレ、聞いたこともない」
 少女の呆れ顔に、私は首を傾げた。
 この村の住人も知らないほど、念入りに隠された地なのだろうか。
 とにかく、もう少し手がかりをもらわないと探しようがない。
 そう思って宿に戻り、女―――― エステラに状況を報告したところ、彼女はあっさりと頷いた。
 「そう。じゃぁいいわ。仲間になってあげる」
 「は?」
 「同行する?それとも、あなたの本拠地に先に行ってる?」
 「・・・・・・・・・えーっと?」
 今いち状況が把握できない私を置いて、彼女と弟子の少年は宿を出ていった。
 「騙され・・・た・・・・・・?」
 そんな不快な状況だったのかすら判然としない、彼女の態度だった。
 しかし、いつまでも放心しているわけには行かない私は、宿を出てナッシュらと合流すると、早々に村を出ることにした。
 「クリスさん、これが、炎の英雄が待つ地への地図です。どうか、気をつけて」
 駆け寄ってくるユイリを反射的に避けながら、私は手だけを差し伸べて地図を受け取った。
 「あ・・・ありがとう」
 素早く手を引き寄せると、掴もうとしたのだろう、ユイリの手が宙を斬る。
 「・・・・・・クリスさん、危険な旅に行かれるのでしょう?私に、安全を祈願させていただけませんか?」
 一瞬、彼女の目に閃いた剣呑な光を見咎めた私は、最大の遠慮を申し出たが、同行者達はそれを許さなかった。
 「なんだよ、やってもらえばいいじゃないか」
 「そうですよぉ。私はクリス様みたいに強くないから、やってもらえば安心できます」
 明らかに面白がっている様子のナッシュだけなら、完璧に無視してやったのだが、本当に不安げなリコの申し出を却下することはできなかった。
 「・・・・・・っお願い・・・っします・・・・・・!」
 断腸の思いで紡いだ申し出に、ユイリの顔が禍々しい笑みの容に歪んだ。
 「やっぱり嫌だ!!」
 勢い良くきびすを返した私を、ナッシュが引き止める。
 「なんでだよー。いいじゃないか、めったにない機会だぜ」
 「うるさい!!おまえはあの、企んでますと言わんばかりの笑みを見なかったのか?!」
 「見たけど」
 言ってナッシュは、それは鮮やかに笑ってみせた。
 「いいじゃないか、楽しそうだし」
 「おまえ、人事だと思ってぇぇっ!!!」
 「人の不幸を眺めるのって、楽しいねぇ」
 ぱんっ、と私の目の前でナッシュが手を打ち、反射的に瞬いたわずかの間、私の手は彼に捕らわれて背後に回されていた。
 人間の関節の仕組みを知っていれば、動きを封じるのに力はいらない。
 「キッサッマァ〜〜〜〜!!!」
 完璧に身動きを封じられた私は、背後の人間に向かって呪いに満ちた声を吐き出した。
 「あっはっは・・・・・・・・。ユイリさん、やるなら今だ」
 どうやらもう、命が惜しくないらしいナッシュの言葉に、ユイリが禍々しい笑みを深くして迫り来る。
 「や゛め゛ろ゛―――――!!!」
 「クリスさん、どうかご無事で・・・・・・」
 「い゛や゛ぁ゛――――――――――――!!!」
 ユイリの、弓使いにしてはきれいな手が、逃げ惑う私の顔を挟んで動きを封じる。
 そして・・・――――――――。
 嫌だ、これ以上は言いたくない・・・。
 とにかく、私にとっては非常に精神的打撃を被る行為をユイリが行い、放心状態で地に崩れ落ちた私を放って、ナッシュとフレッド卿が『俺達にはやってくれないのか』と不満を漏らしていた声だけは聞こえた。
 ―――― 殺す。
 殺す殺す殺す殺す―――――――――――!!!!
 ブラス城の拷問部屋にある、数々の拷問器具の使用方法を思い出しながら、私はただ、その言葉だけを脳内に巡らせていた。


 「えーっと・・・・・・?・・・もしもし、クリスさん?」
 アルマ・キナンを出て以来、沈黙の呪いにかかったように無言で歩を進めていた私の背に、ナッシュがこわごわと声を掛けてきた。
 「あのー・・・まだ、怒っていらっしゃるんでしょうか・・・・・・」
 沈黙したまま、襲いかかってきたブルークラブを、毒を吐く間も与えず切り捨てる。
 ひいらぎこぞうを踏み潰し、踏み込んだ勢いでひいらぎの精を斬り伏せる。
 「・・・クリスさん?クリス様ぁ?クリス姫〜〜〜!!」
 「あのな」
 振り向きざま、私はひいらぎの樹液が滴る剣をナッシュに突きつけた。
 「お前は既に、ブラス城での拷問死が予定されているが、英雄の待つ地に至るまでは貴重な戦力だ。ここで私に斬らせるな」
 「お・・・俺、拷問されるのか?」
 「ハルモニアのスパイのくせに、無事に帰れると思うのか?」
 ナッシュの目に映った私の顔は、自分で見ても禍々しい笑みに歪んでいた。
 そして私の背後の彼も・・・・・・。
 「ヒッヒッヒ・・・。そうさぁ、お前は死ぬんだぁ!!」
 「うはぅっ!!いつの間に背後に!!」
 「あぅっ!!157のダメージっ!!」
 不気味な声に、飛びすさった私の剣先が、ナッシュを傷つけていた。
 「おまえは特殊工作員のくせに、なんでそんなに鈍いかなぁ」
 「違うだろう!!突ついちゃってごめんなさいだろう、クリスちゃん!!」
 「その前に原因究明だろう。―――― お前は誰だ!」
 「・・・・・・無理やり話を逸らされたような気がするのは俺だけか?」
 つまらないことでぶつぶつと愚痴を言うナッシュを無視して、私はナッシュの血が滴る剣を侵入者に向けた。
 隻眼の、血色の悪い顔には、先ほどの私すら及ばない禍々しい笑みが浮かび、大きな鎌を担いだ肉付きの薄い肩の向こうからは、コウモリのものに似た黒い翼が覗いていた。
 「何者だ?」
 「死神」
 私の剣が、侵入者を袈裟がけに切り裂く。
 「白鳳の紋章もなしに一刀両断かい!」
 「広い視野!鋭い感覚!速い反応!!」
 「あんたはどっかの警官か―――!!」
 「いや、それ以前に、この瀕死の種族をどうするか決めないか?」
 意外に冷静な判断を述べたフレッド卿に敬意を表して、私は瀕死の種族に一応、尋ねてみた。
 「止めを刺してやろうな」
 「あんたそれ、問答じゃなく宣告だろう!!」
 157ポイントの恨みは存外深かったようで、ナッシュの突っ込みがいつもより烈しい。
 「・・・なんだ、お前も止めを刺すか?」
 「・・・俺、隠棲したら絶対、平和的発想を奨励する本を書いてやる!」
 刃を突きつけられてなお、脅迫に屈しない態度は見上げたものだ。
 その態度に敬意を表し、殺る時はひと思いに息の根を止めてやろう。
 愉しい想像に、私がわずかに唇の端を緩めていると、フレッド卿が再度、倒れたコウモリ人間を指差した。
 「死ぬぞ」
 見れば、身体の各所が、断末魔の痙攣を起こしている。
 「おい、お前。薬がほしけりゃ仲間になれ」
 「・・・・・・キビ団子一個で命がけの戦いに引き込んだ桃太郎のようなことを言うね、あんた」
 「訳のわからんことをほざく下僕もいるが、ビュッテヒュッケ城にはお前にふさわしい墓場も地下迷路もあるぞ。どうする?」
 「・・・・・・下僕ってのは俺のことかい、嬢ちゃん」
 下僕と言うのは既に公然の事実だろうに、今更不満げに呟くナッシュを嘲うかのように、コウモリ人間の手が揺れた。
 「薬をくれ・・・・・・」
 「よし。今からお前のことは、下僕2と呼ぼう」
 「・・・鬼ー悪魔ー吸血鬼ー」
 うるさい、下僕1!


 『炎の英雄の待つ地』に着いた私達は、鋭利な氷柱(つらら)のように突き出た岩を避けつつ、洞穴の奥へと進んでいった。
 途中で何匹か怪物が出てきたが、それらは蹴散らし、斬り散らして、私達は案外すんなりと最奥へ辿り着いた。
 「なんだ、結構簡単だったな」
 「ふざけろ、暴力女――――!!」
 「獄卒も尻尾を巻いて逃げ出す凶暴女!」
 下僕1、2が吠え立てるのを眼光で黙らせ、私は一面に奇妙な模様の描かれた部屋の中央に立った。
 途端、地面が無くなったような、非現実的な感覚に襲われ、私は目を閉じた。
 次の瞬間、私はつい先ほどまでいた部屋とは別の部屋で一人、呆然と立ち竦んでいた。
 「なんなんだ、一体・・・」
 薄暗く、湿った岩とカビの匂いに満ちていた先と違い、ここはからりと乾いた暖かい空気に満たされていた。
 私の目の前には、いくつもの松明(たいまつ)で煌煌と照らされた回廊が伸び、奥に見える大きな扉が、私を呼んでいるような気がした。
 この時、『あの扉を開けたら怪物の巣だったりして』なんて暗い予想も一瞬、頭をよぎったのだが、ここでぼんやりしていてもしょうがない。
 三体までだったら瞬殺なのだが、と、下僕達の不在を口惜しく思いながら、私は扉を開けた。
 と、中にいたのは、ある意味怪物よりも意外な人物だった。
 「サナさん・・・・・・」
 それはチシャクランの族長で、シックスクランの穏健派、サナだったのだ。
 「どうして・・・いやそれよりも、どうやってここに?」
 この老女が、あの凶悪な魔物の出る洞穴を通ってきたとは思えなかった。
 「私は、炎の英雄の妻だったのですよ。だから、ここに入ることが許されているのです」
 ・・・・・・それで全てを説明するつもりか。
 そう思ったが、言わなかった。
 私に一歩遅れて、因縁の相手が到着したのだ。
 「ヒューゴ・・・」
 「・・・・・・っ!」
 カラヤクランの族長の息子で、私が斬った少年の友。
 私の命を狙った彼に、私は負い目があった。
 戦場でのこととはいえ、少年を手にかけたことは私の心に苦い記憶として染み込んでいたのだ。
 「ここで争うのはやめてくださいね」
 ヒューゴの目に苛烈な光を見止めたサナが、穏やかに、だが反論を許さない威厳をもってたしなめる。
 「もう一人の方も、見えたことですし」
 サナは旧知の人物を迎えて、穏やかに微笑んだ。
 「お久しぶりね、ゲド」
 「サナ・・・・・・」
 ゲドと呼ばれた男はサナの前に進み出ると、炎の英雄の服や得物が置かれたテーブルを、懐かしそうに見つめた。
 「久しぶりだな、アル・アーディル」
 「久しぶり?」
 どう見ても40代ほどの彼が、なぜ炎の英雄と旧知なのか――――。
 その時、私の脳裏に天啓が閃いた。
 炎の英雄が持っていたという真の紋章。それにまつわる不思議な噂。
 いわく、真の紋章を宿した者は、年を取ることが無くなると言う。
 「・・・・・・よし!」
 ひそかに拳を握る私を、ヒューゴが訝しげに見上げてきたが、とりあえずそれは無視して、私はサナの言葉に耳を傾けた。
 彼女が言うには、真なる炎の紋章が欲しければ、戦ってそれを奪えと言う。
 望むところだ!私は負けない!!
 不本意そうなゲドと、覇気よりも恐れに支配されているような顔色のヒューゴに挟まれ、私は一人不敵な笑みを佩いた。
 そして、真なる炎の紋章が待つ部屋へと踏み込み、私は圧倒的な力を解放するそれを凌駕する覇気で押さえ込んだのだ。
 「ふっ・・・うふふふふ・・・・・・」
 右手に真の紋章を受け、望んだものとともに炎の英雄の名をも手に入れた私は、一人、大笑した。
 「ザマァみさらせ、小娘ぇぇぇぇ!!!貴様が老いさらばえていく様を、美貌を保ったまま見取ってくれるわ!!」
 私が脳裏に『不老』の言葉を描いたと同時に浮かんできたのは、イクセの村で出会った少女の、いや、気色の悪い猫人形の言葉だったのだ。
 本来であれば、炎の英雄の名の前に竦んでいたであろう私を、真なる炎の紋章の前に突き出したのは、まさにあの言葉だったのである。
 「これで!!私は一生、小じわにも大じわにも更年期にも骨粗鬆症にも苦しまずにすむのだ!!うらやましいか、小娘ぇぇぇぇっ!!!」
 ひとしきり笑った後、私は私の両側で彫像のように固まっていた男と少年を振り返った。
 「ヒューゴ、ゲドさん」
 満面に笑みをたたえ、ダンスを始める合図のように、優雅に手を胸に当てる。
 「グラスランドの英雄であったアル・アーディルの紋章が、私の手に宿ったことの意味を、深く受け止めます」
 「うっ・・・嘘つけ・・・・・・!すさまじい覇気と鬼のような眼光で俺達を制したくせにっ・・・・・・!」
 「文句は人の目を見て、はっきり言うように、ヒューゴ」
 ぎろり、と睨みつけてやると、少年は慌てて目をそらした。
 「ふふ・・・。行程はどうあれ、既成事実はできた。ゼクセンとグラスランドは手を結び、ともに戦おうではないか!」
 「・・・・・・妊娠を盾に結婚を迫る女のようだ」
 「なんだ?文句があるなら目を見て、はっきりと!!」
 ゲドが隻眼の目を逸らす。
 「お二人とも文句は無いようなので、決定とさせていただいてもよろしいですね」
 「きっ・・・きったねー!!」
 「文句は十文字以上、五十文字以内で提出のこと!」
 途端に沈黙して、指折り数え始めたヒューゴに微笑みかけていると、
 「異議あり。真なる炎の紋章は僕がいただいていく。―――― 句読点を入れて23文字だよ」
 不意に掛けられた不機嫌そうな声を、私は忘れたことは無い。
 「―――― ハルモニアの神官将!!」
 異次元を通って目の前に現れた神官将とその随従に、私は烈しい眼光を叩きつけた。
 「真なる炎の紋章の力はグラスランドのものだ!誰にもわたさない!30文字!!」
 ・・・・・・まだやっていたのか、ヒューゴ。
 一瞬、状況も忘れて、場が静まり返った。しかし、
 「・・・・・・誰のものでもいいよ、この際。どうせ僕がもらっていくんだからさ」
 特別不機嫌そうな声が、氷結した場を打ち砕く。
 「さぁ。おとなしくそれを渡して」
 魔道士が右手を差し出し、催促するように上下に揺らめかせた。
 「馬鹿を言え!永遠の美貌は私のものだ!」
 「・・・・・・真の目的はそれか!」
 不満げなゲドの声に鋭く一瞥を返し、私は魔道士に向き直った。
 「文句があるか!」
 「・・・・・・欲望に忠実なのは、僕達の是とするところだよ」
 上下に揺らめいていた右手が止まり、その甲が光を発する。
 「だが、欲するままに生きるには、力が必要だ。その力を君は持っているの?」
 言うや、魔道士はその身に纏った風を解き放った。
 すさまじい威力を持った風が、私達をなぎ倒す。
 「ふ・・・ざけろっ!!」
 私は起き上がり、剣を振るった。
 確かな手応えに、未知の者への恐怖が霧散する。
 「私の敵となる者は、すべてなぎ倒す!さぁ、誰から死にたい?!」
 「かっ・・・・・・・・・」
 思わず『かっこいい』とでも口走りそうになったのだろう。ヒューゴが慌てて口を押さえた。
 「サインは後だ。とりあえずこの悪鬼どもを退けるぞ!」
 「誰があんたのサインなんか!!」
 「無理するな、嬉しいくせに」
 「・・・・・・お前達、まじめにやる気はあるのか?」
 ゲドの、静かだが深刻な侮蔑がこもった声に、私達は黙って剣を取り直した。
 「ゲドの全体攻撃の後、直接攻撃で倒すぞ!ヒューゴは援護!行け!!」
 「勝手に指揮するなぁぁぁぁ!!!」
 「うるさい、クソガキ!!」
 反抗的なことをほざく少年を殴り倒す。
 「文句があるなら一瞬で代替案を出せ!!」
 「ガキ泣かすな、そこ!!」
 激昂したゲドが怒号を放ちながら、それでも私の指示にしたがって真なる雷の紋章の力を放った。
 「よし、今だ!!
 ヒューゴ、私の紋章に焼き殺されたくなければ、しっかり援護しろよ」
 「なんで敵だけ焼き殺さないんだ!!」
 「そうしたいのはやまやまだが、私の紋章使用能力はノーコンなのだ」
 「なんでそんな奴が真の紋章の継承者になるかなぁ?!」
 「やかましい!!けんかしている場合か!!」
 再びゲドの怒声を浴びて、私と心を入れ替えたらしいヒューゴは敵に当たった。
 戦いの勝負自体は一瞬で着いたのだが、卑劣な魔道士は私が得た永遠の美貌に固執してか、執拗に私の紋章を狙った。
 「そんなに私の美貌がねたましいか!!」
 「そんなわけあるか!」
 私に打ち倒された屈辱のためか、神官将の激昂した声が甲高く裏返る。
 「もうこんな茶番はごめんだ!!強奪してやる!!」
 「やれるものならやってみろ!!」
 魔道士が手を伸ばし、私が迎え撃とうとした時、私たちの間に巨大な炎が立ちふさがった。
 その中に、人影のようなものが揺らめく・・・・・・。
 「・・・アル・アーディルか?」
 私と魔道士が、同じく炎の英雄の名を呟いた。
 既にこの世に亡い人間の、それでもこの紋章を守ろうとする遺志に、私も魔道士も怯まずにはいられない。
 やがて、烈しく、眩しい遺志が現れたときと同じく唐突に消え去ったとき、魔道士たちの一行も姿を消していた。
 「よっし!撃滅!!」
 「自分の功績にするなよ!!アル・アーディルのおかげじゃないか!!」
 「おだまり、少年!女神は自らを助ける者を助ける!努力を怠る者に助けなし!」
 正論でヒューゴを黙らせると、魔道士達と入れ替わるように現れた私の同行者達とゲドとヒューゴの同行者らしい人々に声を掛けた。
 「用は済んだ。撤退するぞ」
 「・・・・・・だから仕切るなっていってるのに」
 不満げなヒューゴを無視して、私はささやかな行軍の指揮を取った。
 取ったと、私は思ったのだが、いつの間にか意識をなくしていて、気づいた時はチシャの宿にいた。
 サナの好意により、提供してもらった宿である。
 いや、なんでも、指揮をとった、と思った直後に倒れてしまったと言うのだ。
 「真の紋章の力は強大です。あなたの気力と体力を蝕んでしまったのでしょう」
 サナの言葉に、そう言うものかと頷いた時、外が、なにやら騒がしい事に気づいた。
 「どうしたんです?」
 「・・・ハルモニアの、来襲です」
 サナの言葉に、私は飛び起きて外に出た。
 この村には現在、ハルモニアの来襲よりも大きな火種がいる。
 ゼクセン騎士団とグラスランドのシックスクランが駐留しているのだ。
 思った通り、私が駆けつけた時には、我が騎士団とシックスクランの民が、激しい口論を交わしていたのだ。
 シックスクランの民は、我らの身に覚えのない数々の事変に憤り、騎士団側それらが誤解だと主張するために声を荒げている。
 その真中へ、私は駆け込んで行った。
 しかし、ゼクセン騎士団の団長である私の話など、誰も聞きはしない。
 それも当然だ、彼らは私を、敵の首魁だとしか思っていまい。
 彼らの前に跪き、しかし、それすら欺瞞だと言われる程の不信感だけを、私達は培ってきたのだ。
 彼らの最後の一人が、それぞれの判断に従って戦場へ赴くまで、私は跪いたまま、地に目を据えていた。
 なんとか・・・。
 この地と我がゼクセンを守るため、なんとかしなければ・・・!!
 「・・・・・・クリス様」
 気遣わしげなサロメの声に、私はようやく立ち上がった。
 「こんなにばらばらな烏合の衆が、ハルモニアの軍に勝てるわけがない―――― 潰走を食い止める!」
 「・・・・・・いいのですか?」
 パーシヴァルの声にも口調にも、これまでの長い闘争を感じさせる苦味があったが、私は強く首肯した。
 「グラスランドとの闘争は、どこかで断ち切らねばならない。
 それを私は、ゼクセン騎士団長の名にかけて、こちらから断ち切る努力をしよう」
 私は、未だ納得しかねる表情の彼らを率いて、不利な戦いの渦中に身を投じた。


 案の定、大敗したグラスランド軍を支えて、私達はダック村まで後退した。
 軍師であるシーザーとアップルも、この結果を予測していたのだろう、既にこの村には救護専門の部隊が集められていた。
 臨時の統帥本部になった村の宿屋では、サロメが声を枯らして暫時の協力を求めている・・・。
 しかし、ここでも私達は、互いの間に横たわる、溝の深さを確認するだけだった。
 このような無様な連合で、強大なハルモニアに対抗できるはずがない。
 私達はチシャ村での戦闘に続き、平原を越えてブラス城にまで撤退することになった。
 「あぁ、ブラス城よ!その重厚、その威容、すばらしき我が城よ〜〜〜〜〜!!」
 「・・・・・・あんた、歌下手だな」
 ジョー軍曹と名乗るアヒルの批評に、私は憮然と口をつぐんだ。
 「歌じゃない。感動を言葉にしただけだ」
 負け続けの状況が、ただでさえ深刻な不協和音を高める中、少しでも皆の心を和ませたいと、努めて明るく振舞っているというのに、そんな私の気遣いを無視して、ジョー軍曹が胸を張った。
 「いいか、歌と言うものはこうやって・・・・・・っ」
 いきなり大音量で響き渡った騒音に、私は耳を押さえ、通りがかった子供達は怯えて泣き出した。
 「やかましいっ!!」
 「俺のカウンターテナーがうるさいだとっ!?」
 「なにがカウンターテナーだ!この騒音製造機!!」
 「く・・・クリス様、どうされたのですか?!」
 私達が怒鳴りあっていると、迎えに出たらしいルイスが慌てて私に駆け寄ってきた。
 「ルイス、グラスランド土産の食材だよ」
 「わぁ!大きなアヒルですね!僕、がんばってさばきます!!」
 癒し系コックのかわいい笑顔を、私が暖かく見守っていると、
 「誰が食材だ、この凶悪女――――!!うぉら、クソガキ!!手を放せ!!」
 今日の食材が烈しく暴れる。
 「・・・・・・ルイス、今日の夕飯は北京ダックにしておくれ」
 「はい!皮を剥いだ後の肉はなんにしますか?!」
 「そうだな、軽く湯にくぐらせたあと氷につけて引き締め、サラダに添えてくれ」
 「はい、かしこまりました!」
 「放せ――――!!俺は食材じゃない――――!!」
 「男らしく〜〜潔く〜〜〜♪」
 「鬼―――!!悪魔――――!!音痴―――――!!!」
 「ルイス、血抜きは私がやろう!」
 高笑いをしながら駆け寄ると、ルイスは私と私の周りをきょろきょろと見まわした。
 「どうした?」
 「いえ、従者の方はどうされたのですか?お手紙で『拷問道具の用意をしておけ』と言われたので、僕、とりあえず『鉄の女神』と『拷問椅子』を用意していたんですが・・・・・・」
 きょとん、と、かわいらしく首をかしげるルイスの言葉で、やっと私はナッシュが逃げたことに気づいた。
 「ああ!!目の前の北京ダックに気を取られたばかりに!!」
 「気を取られるなよ!!ってか、俺のことは気にするな!!従者を追え!!」
 ばさばさと翼をはためかせて絶叫するジョー軍曹に諭され、私は現実を見据える決意をした。
 「うむ、二兎を追う者は一兎をも得ず、という。今日のところは北京ダックを賞味するとするか」
 「するな―――!!俺は雑食だから、絶対まずいぞ――――!!!」
 「男らしく〜〜潔く〜〜♪」
 「音痴ぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・!!!!」
 ルイスに引きずられ、断末魔の予行練習をするかのように、ジョー軍曹は声を張り上げながら去っていった。
 「きょーおーのご飯は北京ダァーック♪」
 楽しい夕食になるであろうことを期待して、私の歌声は陽気に響いた。


 北京ダックが焼き上がるまで、私と我が騎士団は、暫時ブラス城に拠ったシックスクランの部族と共にハルモニアの軍と戦うことになった。
 はるばる遠征してきたにも関わらず、その士気と数は減った様子もない。
 「・・・・・・変だな」
 「ええ、いくらなんでもありえないでしょう」
 独白に答えが返ってきて、私はようやく居城に帰ってきたのだという実感を得た。
 「やはりそう思うか、サロメ」
 私の信頼する軍師である騎士を顧みると、彼は生真面目に頷いた。
 「いくら勝ちつづけとはいえ、あれほどの連戦でありながら、その士気も数も減った様子がない・・・。
 あまりの大軍ですので、手っ取り早く糧食を焼こうと、補給部隊の居所を探りに行かせたのですが・・・・・・」
 それは私に無断での行為だったが、それに対して僭越(せんえつ)だとか越権行為だとは思わない。
 団長に忠実で、しかも自分の判断で戦況を動かすことができる者だけがゼクセンの六騎士という名を持ちえるのだ。
 また、敵の糧食を焼くか奪うかと言う策は、卑怯でもなんでもない。
 戦争というものは多く、数の多い方が勝つもので、圧倒的な兵力差がある場合、相手の補給を断つことは、用兵の常道である。
 ただ、常道ゆえに、相手も簡単には補給を断たせないものだ。
 かなりの兵数を動員して警戒しているだろうから、糧食の保管場所を探るのは簡単なはずだった。
 しかし、サロメが言うには、敵の糧食の保管場所を探り出すことはできなかったと言う。
 「・・・・・・そうか、補給基地は他にあるのだな。だが、それほど見つからないということは、補給線はかなりの長さになっているはずだ。
 ご苦労だが、見張りを置いて補給線の確認を・・・・・・」
 「それが見つからないのですよ」
 サロメに断言されて、私は唖然とした。
 「馬鹿な、敵将は素人か?!」
 飲まず食わずでできるほど、戦争は甘くない。
 士気と勇気でなんとかなる、などと言う者は、素人じゃなければよほどの馬鹿だ。
 「素人・・・でも馬鹿でもないとは思うのですがね。素人ならば、私が負けるはずがない」
 サロメの静かな自負に頷きを返して、私は考え込んだ。
 「・・・・・・我々が補給線を断とうとしていることを読まれたらしいな。巧妙に隠されたのだろう」
 「私もそう思います。相手は、とんでもない策士なのでしょうな」
 先ほど戦ったばかりの神官将の、不気味な仮面を思い浮かべながら、私は苦々しく頷いた。
 だが、どんな策士が相手であろうと、戦闘を放棄して降伏するわけにもいかない。
 「なんとしても守りきるんだ」
 私の指示に、サロメが強く頷いた。
 「なんとかいたしましょう」
 サロメは、明言した以上のことをやる男だ。
 攻防戦の指揮を彼に一任して、私は一戦士として戦闘に参加した。
 こうなると、あの下僕の存在が惜しく思える。
 人間的にはともかく、戦闘では役に立つ男だった。
 私は奴の代わりにボルスとパーシヴァルを率いて出陣したが、その時は既に、ブラス城の石畳は友軍の血に染まっていた。
 「・・・・・・絵に描いたような苦戦ですね。いや、『苦戦』のモデルタイプかな」
 危機的状況を忘れたような、淡々とした口調でパーシヴァルが呟く。
 「改善する余地はあるかな」
 「無理でも改善しなければならないんでしょう?」
 私の問いに気やすく応じて、パーシヴァルは剣の鞘を払った。
 城内の女性達の好意を一身に集めている為に、騎士連中からの嫉心をも一身に集めている男だが、その驍勇(ぎょうゆう)と技量のバランスは、六騎士随一ではないだろうか。
 「頼む」
 それが合図であるかのように、パーシヴァルとボルスは同時に剣を振るった。
 彼らの剣が一閃するごとに、石畳を染める血に敵のそれが混じっていく。
 だが、いくら私達の部隊が善戦したと言っても、局地的に優位を奪っただけで、戦況を覆すまでにはいたらず、結局は、傷兵をもって城壁に拠ることになってしまった。
 当然、士気の低下は著しく、みな、絶望的な顔で絶望的な言葉を語るばかりだった。
 「まずいな・・・・・・」
 私の独白に、六騎士は一様に頷く。
 「負けるとわかっている戦をやるのは、俺の趣味に反するんだがなぁ」
 そう言って、肩を竦めたレオの、冗談交じりの言葉に、私は苦笑を返した。
 「私も不利な戦は嫌いだ。せっかく今まで生き残ってきたんだから、最後まで生き残りたいものだな」
 神がくれたこの美貌、無駄に散らせば罪になる、という本音は口に出さず、私は酸鼻な状況を見渡した。
 と、目の中に、ゼクセン騎士団の騎士達とグラスランドの民達が別々の場所でかたまり、互いに排他的な気を発して歩み寄ろうとしない、いつもの様子が映った。
 「まず、あれからどうにかしないとな」
 「・・・難しいですよ」
 前に、声を嗄らして説得を試みた事のあるサロメの声は、その内容以上に沈んでいた。
 「それでも、何とかするしかないのさ」
 苦笑の容に歪んだ唇を引き締めて、私は城の中庭に出た。
 傷兵のほとんどが、そこにいる。
 私は彼らに向かって呼びかけた。
 後世にまで残る大演説!
 私には意外と、煽動(せんどう)者の素質があるかも知れないな、と、満足げに頷き、何度目かの攻防戦を勝利に導いた。
 新たなる『炎の英雄』と、『炎の運び手』の誕生である。
 勝利に沸くブラス城に、しかし、嵐を纏った女が現われたのはその時だった。
 「炎の英雄って、誰よ?!」
 ヒステリックな声が、私を囲む群集を掻き分けてその姿を現した。
 「あれ?クリスじゃない。ひっさしぶりー!舞踏会以来じゃない?」
 「リリィ・・・」
 赤い羽飾りのついた大きな帽子を被り、騎士を気取って剣を佩いた私と同世代の女は、隣国の大統領の娘だった。
 とんでもないわがまま娘で、彼女の言う『舞踏会』において初めて出会った私達は、口論から高じてワインの掛け合い、殴り合い、果ては机を投げ合っての大喧嘩をしたものだが、その後なぜだか気が合ってしまい、友人になってしまった。
 ―――― 思うに、近くにいないから仲良くしていられるのかも知れないな。
 「なにか用か?」
 「言ったじゃない。炎の英雄を探しに来たのよ」
 「なんの用で?」
 「あんたには関係ないでしょ!」
 話が見えない為か、段々と機嫌が悪くなっていく彼女に、私は苦笑を漏らした。
 「関係、あるんだな。私がお探しの『炎の英雄』だから」
 「なんですって?!なんでそんなことになるのよ!!」
 理不尽な怒声にいちいち怯んでいては、彼女の友人などでいられない。
 「だって、しょうがないじゃない。そうなっちゃったんだもの」
 「じゃああんたが、うちの隊商を襲っていたわーけー?!」
 「そんなわけあるか!」
 途端、私の周囲でどっと笑声が沸き、図らずして私達は、みなの心を一時的にしろ和ませることができたのだった。


 ビュッテヒュッケ城の城主からの申し出もあり、暫時協力体制を採る事になった私達は、ゼクセンとグラスランドの間にあるかの城に拠ることとなった。
 私だけではなく、ヒューゴやゲドも招致していたのだろう、ビュッテヒュッケ城は、以前来た時とは見違えるほど人気(じんき)にあふれていた。
 「随分と賑やかになったものだな」
 私の感想に、若き城主ははにかんだ笑みを浮かべた。
 「協力してくれた皆さんのおかげです」
 殊勝な態度は、私の好むところだ。
 若いのに、なかなか見所のある青年だと、私は彼に対する好意を上昇させた。
 しかし、
 「やはりあなたは、演劇の魅力にとり憑かれてしまったようですね・・・」
 不自然にこもった声に振り向くと、眼前に白い仮面の不気味な笑みが迫っていた。
 「ひぃっ!!!」
 「あなたには、『ウィリアム・テル』の領主役などお似合いだと思いますよ」
 「い・・・いや、私に演技は無理だからっ・・・・・・!!」
 「おや、失礼。きっと、ジュリエット役もお似合いですとも。シルクのドレスを着て、ベランダで愛を語ってください」
 「やめてくれぇぇぇぇぇぇっ!!」
 「では、演技力の要らないナレーターなどいかがでしょうか?きっとお上手ですよ、狼少年の語り」
 「だっ・・・だから、舞台に立つのがこっぱづかし・・・・・・!!」
 「仕方ありませんね。若く美しい女性にこの役はどうかと思いますが、『マッチ売りの少女』の、おばあさん役でしたら、台詞もなにもいりませんよ」
 「人の話を聞けぇっ!!いや、聞いてください、お願いですから!!」
 「フフフ・・・・・・一度やったらやめられませんよ」
 人の話を全く聞くつもりがないらしい仮面の男に引きずられ、私は無理やり舞台に立たされた。
 同じく、無理やり台本を渡されたらしいゲドが、憮然とナレーターの立ち位置に佇んでいる。
 「・・・・・・大晦日の夜だ」
 憮然として始ったらしい劇に、ヒューゴが寒々しく登場してきた。
 ・・・・・・おい、少女役なのか?
 しかし、この少年は意外にも演技力に恵まれていたようで、やる気のないナレーターにも関わらず、ちゃんと劇を進めていった。
 そして、
 「おばあさん!おれも天国へ連れていって!」
 ―――― 一瞬、地獄へ落としてやろうかと思ったことは、胸にしまっておく。
 永遠の美貌を手に入れた私に、言うてはならんことを言った少年は、後で吊るしておこう。
 「・・・・・・少女は死んだ」
 力の抜けるようなゲドのナレーションに、観客が烈しいブーイングを鳴らしていたが、役目を終えた私は、ほっと息をついて舞台を降りた。
 「やれやれ。もう二度とごめんだ」
 大勢の観客の目から逃れた私は、舞台裏で憮然と呟かずにはいられなかった。
 「こんなことをやらされるくらいなら、戦場を単騎で駆け回った方がましだ」
 そんな呟きを漏らすと、私が無造作に脱いだ衣装を受け取ったルイスが、
 「寂しい青春ですね」
 と、さらりと言った。
 ・・・・・・癒し系のくせに、きついことを言う奴なのだ、こいつは。
 「クリス様って、美人なのに色気がない分損してますよね」
 「そうなのだ。エステラさんみたいな色気をかもし出すには、どうするべきか・・・・・・」
 「・・・・・・そうなったらそうなったで嫌ですけどね、僕」
 「私にふさわしい程度の色気かぁ・・・・・・誰に相談すべきだろう」
 大体、女の知人・友人と言う者が私には不足している。
 いても、リリィのような個性的な友人が多く、色気もへったくれもあったものじゃない。
 「行かず後家と陰口を叩かれる前に何とかしなくてはいけないな」
 そんな、不吉な予想図を脳裏に描いていると、
 「永遠の美貌を手に入れられたことですし、そんなに焦ることもないでしょう」
 サロメの、笑みを含んだ声が光明のように私の心に差し込んでくる。
 「・・・そうか!いいことを言ってくれた、サロメ!」
 満面に喜色を浮かべて声を弾ませる私に、サロメは知的な笑みを浮かべて頷いた。
 「ところでクリス様、軍師殿のお話によると、シンダル遺跡の辺りで、なにやら不審な動きがあるそうです」
 途端、喜色を消した私に、サロメは苦笑を浮かべた。
 「急転直下、などと言う言葉が、最近安直に聞こえますね。こうも緊急事態続きでは」
 「今、兵を動かそうだなんて無理だぞ。
 私達は暫時、協力を誓ったものの、それは殻の薄い卵のようなものだ。
 未だ中身は脆弱で、ハルモニアに対抗することはできない」
 私の言葉に、サロメは深く頷く。
 「今、軍を動かすことは得策ではありません。精鋭を何人か、偵察に行かせてはいかがでしょう」
 「私が行く」
 「そうですね・・・・・・って、ええ?!」
 私の即答に、サロメが声を上げた。
 「クリス様、あなたはここをまとめる仕事がおありでしょう!そのようなことは、リーダー自ら行うことではありません!」
 「わかっている。私も、ゼクセン騎士団長のままであれば、信頼する部下達に任せただろう。だが、今ここに集まった者達は、騎士団の者だけではない」
 私の主張に、サロメは眉をひそめたまま頷かないので、自然、語る口調に熱が込もった。
 「私が率先して動かず、誰かグラスランドの者を使役すれば、彼らは私への隔意を深めるだろう。だからと言って、騎士団の人間のみを派遣すれば、ゼクセンの人間だけで事を進めようとしていると言われるに違いない。
 サロメ、今の私は、どんな些末事であれ、自ら動くのだということを示さねばならないのだ!」
 私の言葉に、サロメは未だ愁眉を開こうとはしなかったものの、頷く事で理解を示してくれた。
 「・・・わかりました。私はあなたに忠誠を尽くす者です。あなたの意志を尊重いたします」
 「すまない。お前の言うことに感謝をしてはいるのだが・・・」
 「クリス様、決断は騎士団長の最重要時です。私は我が全能をもってあなたに忠告をし、策を献じますが、最後に決断し、責任を取ってくれるのはあなたなのです。ご遠慮など、無用のものです」
 サロメの言葉に、私は微苦笑を浮かべて頷いた。
 「ありがとう。いつも、頼りにしている」
 「光栄です、我が銀の乙女。
 一階の大広間に、各代表が集まっておられます。新たな情報が得られるかもしれませんよ」
 「わかった。行こう」
 私達は舞台袖になっている酒場の奥の扉を開け、すぐ隣の大広間に入った。


 シーザーの情報によると、私達が真なる火の紋章を解き放ったのと同じく、真なる水の紋章をも解き放とうとしている一行があるという。
 なんでも、リザードクランの本拠地である大空洞内付近に、水の紋章を封印したシンダルの遺跡があるというのだ。
 ヒューゴの話によると、その辺りでジンバを見かけたと言う。
 私を『炎の英雄』へと導いた男の姿を思い浮かべつつ、私は自らシンダル遺跡へ赴くことを告げた。
 憎たらしい下僕の代わりに強力な仲間を加えた私は、奴と旅した時よりも格段に早く目的地へ到着し、案内役のヒューゴが示した遺跡内への扉の前で、あの神官将達を発見したのだった。
 「奴ら・・・・ッ!!」
 異口同音に呟きつつ、私達は彼らの後を追った。
 が、世界各地にあると言うシンダルの遺跡は、その噂に聞いた通り、全ての道が複雑な曲線を描いており、私達は容易に追いつくことはできなかった。
 それでも、フレッド卿の『悪の気配を感じる!!』という胡散臭い言葉と、アイラというカラヤクランの娘の言う『精霊はこっちだと言っている!』という人外の能力に導かれ、私達は魔道士の一行に追いつくことができた。
 ――――・・・疑ってすまなかった、フレッド卿、アイラ。
 しかし、発見できたからと言ってすぐさま解決するわけではない。
 案の定、神官将に忠実な魔女は私達の足止めに執着し、彼女を退けた時には既に、神官将の姿は目視し得ない場所にあった。
 その原因としては、実際の距離もあっただろうが、真なる水の紋章の力か、遺跡中が凍りつき、濃い霧の中に閉ざされてしまったのだ。
 「先を急ごう」
 やはり強力だった仲間達に囲まれて進んでいくと、陰険で凶悪な神官将は門番のつもりか、醜悪な置き土産を残していた。
 「ふぅ・・・。とんでもないものを残してくれたわね。水竜よ・・・」
 呟いたエステラに、それがどんな怪物なのかを問うと、彼女は紅い唇の間から白い呼気を吐きながら答えた。
 「召還魔法で呼び出せるヤツでね、全体魔法がとっても強力。勝ち目は少ないわねぇ・・・」
 「召還・・・?」
 それを聞いた時、私の脳裏で何かが囁いたが、私達の存在に気づいた水竜の攻撃の回避を優先したため、思考は中途で遮断された。
 「―――― 行くぞ!」
 気を引き締め、低温の中で急速に冷えていく鎧の内側に熱をたぎらせた。


 なんとか水竜を制覇した私達が更に奥へと進むと、そこに魔道士達の姿はなく、一人の男が倒れていた。
 「ジンバ!!」
 真っ先に駆け寄ったヒューゴの背後で、私はただぼんやりと、彼らの悲哀を見守っていた。
 もしかして、彼はヒューゴの父親なのか?
 なぜか同行していたルシアの、ただならぬ様子にそんなことを思いつつ見守っていると、不審なことに倒れた男は苦しげに私に向かって手招いたのだった。
 私はあたりを見回し、たまたま隣にいたカラヤクランのアイラに『呼んでいるぞ』と指し示したのだが、彼の傍らにいるルシアは、アイラではなく私の名を呼んだ。
 「え?私?」
 共にビュッテヒュッケに拠ってからも、ろくに話をしたことがない彼が、なぜいまわの際になって私を呼ぶのか、納得しかねたが、ルシアの視線に促されて、私は彼の傍らに跪いた。
 「真なる水の紋章の解放に失敗した・・・。どうか、あの紋章の暴走を止めてくれ・・・・・・」
 なるほど、私というより、真なる火の紋章の継承者に用があったと言うわけか。
 私は得心して、暴走し、強大な力を漲らせる紋章の勢力圏内に歩み寄った。
 水、と言うよりは濃度の高い海水のように滑らかな感触の液体の中に入ると、かつて何度も私の名を呼んだ声が穏やかな口調で私を囲んだ。
 「ゆっ・・・ユン・・・・・・っ!!」
 私は目を疑った。
 アルマ・キナンで、自らを生贄にした少女が、この深い海の中に、微笑みを浮かべて佇んでいたのだ。
 「クリスさん・・・・・・」
 ゆっくりと近づいてくるその姿から目を離せないまま、私はかなう限りの全速力で後退していた。
 「ユッ・・・ユユユユユッ・・・ユンッ・・・・・・!!!
 思い残すことの多い人生だったろうが、来世の幸せの為に、迷わず成仏した方が身のためだぞ!!
 あなたの御霊はきっと、故郷で姉さん達が祭っていてくれるだろうから、浄土ではきっと幸せに・・・・・・!!」
 自分でも訳のわからないことを叫びながら後退したものの、背中に柔らかいが、どうしてもその先には進めない弾力を持った壁に突き当たり、私は迫り来るユンの姿に、声を失って硬直していた。
 「クリスさん」
 唇には笑みを浮かべ、口調も穏やかそのものだったが、妥協やごまかしを許さない厳しさのこもった表情は、夫の浮気を問い詰める妻のそれと酷似していた。
 「・・・クリスさん、ユイリ姉さんとキスしたでしょ」
 私の脳裏に、アルマ・キナンを出る時の、二度と思い出したくない出来事がまざまざと浮かび上がる。
 「あれは不可抗力だっ!誰が好き好んであんなこと・・・!!」
 「やっぱりクリスさんは、ユイリ姉さんみたいにさっぱりした、大人の女性が好きなんですね・・・・・・!」
 「ちょっと待て!!私を変態と確定するな!!女の好みなんかないぞ!!」
 「じゃぁ、私のこと、好き?」
 「だから私を変態の定義に当てはめるな!!」
 私とユンが、丁丁発止の(と思っているのは私だけかもしれないが)論争(と言えるものでもないが)を繰り広げていた時だった。
 「ク・・・クリス・・・・・・っ!!」
 場違いなほどの悲哀を含んだ声に、私もユンも、舌鋒(ぜつぼう)を納めて声の方を見遣った。
 私達が見止めた場所には、ゼクセン風の衣装に身を包んだ精悍な男が、がっくりと項垂れ、大きな手で頭を抱えている。
 「パパの一生のお願いだ・・・!恋愛は、男としてくれ・・・・・・!!」
 「パパって・・・・・・」
 その内容の無礼さは一瞬忘れて、私はその男の姿を見つめた。
 「ええ?!父上?!」
 「小さかったお前が、こんなに美人になってくれて、パパはとっても嬉しかったのに・・・・・・!!」
 百合なんて嫌いだ、と叫んで泣き崩れた男は、つい先ほど、この紋章の中に入る直前に見た人物と同じ顔をしていた。
 「なんの冗談だ、ジンバ〜〜〜〜〜!!!!」
 「クリスちゃん!パパを呼び捨てにするような子に育てた覚えはないぞ!!」
 「育てられた覚えもないわ!!」
 クリスちゃんなんて言うな、と、こちらも絶叫すると、ジンバは涙を拭って表情を引き締める。
 「確かに、私はお前を育てることはできなかったが、正真正銘、私がお前の父親だ」
 「遺伝的に納得いかん!考えても見ろ!私達が親子です、と名乗っても、百人が百人とも嘘だというぞ!!」
 似てなさ過ぎる、と断言すると、ジンバは衝撃を受け止めかねたかのようによろめいた。
 「ひ・・・ひどい・・・!!昔は大きくなったらパパのお嫁さんになる、って言っていたのに!!」
 「ちっちゃいオンナノコなら誰でも言うだろう、そんなこと!!」
 「そんな・・・・・・!!パパはクリスちゃんのその言葉を胸に、遠く離れていてもがんばってきたのにっ!!」
 「言い年した男が泣くな!!いくつだあんた!!」
 「当年とって、七十になります」
 「やっぱりガセじゃないか!!」
 「仕方ないだろう!!パパは年を取らない人なんだから!!」
 「なにぃ〜?」
 「パパは真なる水の紋章の継承者だったんだよ。
 クリスちゃんが大きくなったら譲ってあげようと思っていたのに、火の紋章なんか継承しちゃうしぃ〜。パパちょーショックだったんだからぁ〜」
 そう言えばアルマ・キナンの村で、ユンにそんなことを聞いたな、と思い出した私の顔から、音を立てて血の気が引いていく。
 「しまった!!炎の女より、水の乙女の方が私にはふさわしかったか!!」
 「・・・・・・クリスちゃん、ナイス性格」
 百合と言うより水仙だね、と、感想を述べるジンバに、私は掴みかかった。
 「今から交換すること、できないかな?」
 「・・・・・・無茶言わないで下さい」
 私達の間に佇んで、ユンが吐息を漏らす。私は本気だったのだが、やはりそうはいかなかったか。
 「ちっ!早まったな」
 「・・・私には、永遠の生は重荷でしかなかったが、お前にはそうでもないようだね、クリス」
 「永遠の美貌を約束されて、喜ばない女がいると思うか?」
 ジンバが、『女ってたくましい・・・』と嘆息する。
 「お前に遺す言葉を、色々と考えてはいたんだが、『強く生きろ』なんてことは言うまでもないな。
 だが、クリス!!これだけは聞いてくれ!パパの最期の願いだ!!」
 真剣なまなざしが、私の瞳を射た。
 「恋愛は男としてくれ」
 がいんっ!と、すさまじい音を立てて、私は生まれて初めて父親を殴り倒した。
 「私はノーマルだ!!勘違いするな!!」
 「くっ・・・クリスちゃん!!それならもうちょっとお嬢さんらしくしないと、パパみたいないい男が寄り付かないぞ!!」
 「ファーター(お父さま)・・・!!言ってはならん事を言いましたね・・・!」
 「クリスちゃん!!初めてお父さまと呼んでくれたね・・・!!」
 父が、筋肉質の腕に力を込めて、暑っ苦しく抱きついてくる。
 「でもね、お父さまより『パパv』と呼んでくれたほうがパパは嬉しい」
 「あ〜のぉ〜なぁ〜パァパァ〜〜〜〜〜!!」
 父の腕から逃れた私は、彼と正面から対峙した。
 「私はもう、独立した成人女性で、騎士団長の任を勤める身なのだ!『パパ』なんて言えるか!!」
 「誤解されているようだから言っておくが、パパは、何も好んでお前やママを捨てたわけじゃないんだ!真の紋章を狙うハルモニアの追っ手が迫って、おまえ達を危険な目に遭わせない為に逃げたんだよ?!」
 「それで?!グラスランドでは美人をたらしこんで私の弟になる子供を生ませたのか?!」
 「たらし・・・・・・!?
 クリス、それはすさまじい誤解だ!ヒューゴはお前の弟じゃないぞ!!」
 「本当だろうなぁ〜〜〜?!」
 「パパを信じてくれ!!」
 「えーっと・・・。クリスさん、それは本当ですから、信じてあげてください」
 父の出現ですっかり存在を無視された態のユンが、そっと吐息する。
 「あなたは、ジンバさん・・・いえ、ワイアット・ライトフェローさんの生涯で、唯一の子供なんですから」
 「そうだ!他に隠し子なんていないぞ!ゲドはいるかもしれないがな!」
 最期の最期でとんでもない問題発言をして、父は、もう一度私を抱きしめた。
 「たとえ、過酷な現実がお前を苛んでも、自分を見失うことなく自分の信じる道を行くがいい。
 私にはできなかったことだが、お前なら、真の紋章が導く運命にもくじけることはないだろう」
 父の声を、脳裏に深く刻み込みながら、私は両手を父の背に回した。
 「幸せにな・・・」
 多くの父親が必ず言うであろう、陳腐な台詞を、私は大切に胸に仕舞って、次第に感触のなくなっていく父の身体を抱きしめていた。
 「クリスさん・・・」
 水の紋章の力を抑え、力の圏内から出てきた私を、ヒューゴが真っ先に迎えてくれた。
 「真なる水の紋章は、君が受け継ぐといい。炎の英雄に認められた君なら、その資格はあるはずだ」
 「え・・・でも・・・・・・」
 私の常ならぬ様子を見て取ったのか、表情全体で『いいのか』と尋ねるヒューゴに、私は微笑んで見せた。
 「私が持つには、辛すぎる・・・・・・」
 父に苦悩を与えつづけたそれは、私にとって生々しい悪夢を与える夢魔であるように思えた。


 辺塞(へんさい)に寧日(ねいじつ)なし、とは、古来より人口に膾炙(かいしゃ)する言葉であるが、この時期、事態は大渦となってビュッテヒュッケ城に拠った者達を呑み込んだ。
 私がシンダルの遺跡から戻った途端、ビュッテヒュッケに南のハルモニア領、ルビークから火急の使者が到着したのだ。
 つい最近、チシャの村で矛を交えた虫使いの青年は、ルビークの変事を伝え、私達に救援を求めに来たという。
 しかし、この時期に軍を動かすわけにも行かない。
 そんな、決断しかねる様子の代表者達の前にゲドは進み出ると、自分の部下を連れて行く旨を伝えたのだった。
 ルビークを彼らに任せ、近いうちに再び侵攻してくるであろうハルモニアへの対抗策を練っていた私だったが、しかし、よりによってこんな時に、首都からの召喚状が届いた。
 たまたま劇場支配人に捕まって、『ウィリアム・テル』の領主役をやらされていた私が、舞台を降りた途端、受け取ったそれを憮然として眺めていると、その報せをもたらしたサロメは苦笑を浮かべた。
 「我々が勝手にグラスランドと同盟を結んだことは事実ですから、一応言い訳に行きましょう」
 「商人共が、一文の得にもならないことに賛成すると思うか?」
 「しないでしょう。だから、脅しをかけに行くんですよ。難癖を付けさせない為にね」
 「・・・・・・ふ。おぬしも悪よのぉ、サロメ」
 「いえいえ、騎士団長様にはかないません・・・・・・って、なにを言わせるんですか、クリス様」
 「しまった!!私としたことが、演劇病に冒されるとは・・・・・・!!」
 強い心理的衝撃を受けながらも、私は背後に佇む存在を無視した。
 その人物が仮面を被り、その口元に穿たれた穴が笑みの容に歪んでいることだろうと、容易に想像できたからだ。


 城の守りに残ったヒューゴに、やや不安げに見送られて、私達は久しぶりに連邦の首都に赴いた。
 ここは、私の生まれ育った土地であり、様々な思い出の残る地なのだが、不思議と郷愁や慕情とは無縁の土地だった。
 ゼクセン騎士団に入団して以降は、ずっとブラス城で暮らしてきたためか、私は過去の思い出より現在、多くの気の置けない仲間が拠点とする要塞の方を愛している。
 「・・・この地が嫌いなわけではありませんが、評議会に連なる議員達は嫌いですね。ブラス城にもあった抜け道を、彼らは本当に使いそうだと思いませんか?」
 低く、囁くような声で、ロランが不満げに言った。
 「そうだな、我らに戦いを強いておいて、本人達は遠く前線から離れた場所で命令を下している。好きになる理由などないが・・・・・・」
 思わず、私は笑みを浮かべた。
 「私は自ら望んで、命じられて戦う道に入ったのだ。皆が止めるのを無視してまでも、ゼクセン騎士団の名誉ある騎士になりたかったのだからな。
 全く、安全な場所で戦いを命じる者と、好き好んで戦いに身を投じた私と、どちらがより愚かであるのだろう」
 「・・・・・・申し訳ありません」
 ロランの、先ほどの声とは打って変わって悄然としたそれに、私は軽く笑声を上げた。
 「気にするな。私も、彼らと共に戦う前は、評議会のやり方に憤然としていたものだ。私が自ら望んで戦っているのだと気づいたのは、つい先日のことだからな」
 「確かに、業の深い仕事ですね。志望の理由など人それぞれでしょうが、少なくとも私は弱き人の盾となるべく、理想に燃えていましたよ」
 「パーシヴァル卿が言うと、非常に胡散臭く聞こえるのは、俺の耳が悪いからかな?」
 太い笑みと共に吐かれたレオの言葉を、パーシヴァルも笑って受け止める。
 「ばれましたか。本当の志望理由は、騎士は女性に好かれるからですよ」
 「・・・・・・それもかなり嘘臭いような気がするが」
 「あぁ、ボルス卿は疑い深くなったものだ!昔は純粋な少年であったのに!」
 大仰に嘆息するパーシヴァルに、一同から笑声が沸いた。
 「では、我らが陽気な騎士団の名誉の為に、評議会にはしばらく黙っていてもらいましょうね」
 未だ笑みを含んだままの口調ではあったものの、サロメの声に剣呑な響きを感じた者達は一様に口をつぐんだ。
 「クリス様、今回は黙って私にお任せ下さいますか」
 「もちろん」
 私は即座に頷いた。
 「後の責任は取ってやろう。思う通りにやってくれ」
 不敵な笑みを閃かせて、私達は評議場の門をくぐった。


 嫌味と皮肉を両手に抱えて待ち構えていた評議員達を、サロメがさわやかな弁舌と穏やかな脅迫をもって沈黙させてくれたおかげで、余計な長話をすることもなく私達は帰路に就くことができた。
 実家のある町を出るのに『帰路』と言うのも変な話だが、私にはその言葉がしっくりくる。
 「早く終わって良かった。すぐにビュッテヒュッケに戻ろう」
 だが、ビネ・デル・ゼクセの東にうずくまる、深い森に入った途端、私達は意外な人物に会ったのだった。
 「ユミィ・・・・・・」
 シックスクランの中でも特異な部族、アルマ・キナンの女は、私を見止めるや駆け寄ってきた。
 「お久しぶりです、クリスさん」
 本来ならここで下馬すべきだろうが、かの地での苦い思い出は私に、深い心理的外傷を与えていた。
 だが、それでも、ここまで一人、はるばるとやってきた者に冷淡にするわけにはいかない。
 「・・・・・・どうしたの?」
 私の気弱な声に、背後に従う騎士達が息を呑む音が聞こえたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
 その時私は、駆け落ちしましょう、なんて言われたらどうやって逃げようかと必死に言い訳を考えていたのだ。
 しかし、不吉な予想は見事に的を外れてくれた。
 「アルマ・キナンを助けてください!あの魔道士に襲われているんです・・・!村には女しかいないし、落ちるのは時間の問題です・・・!」
 不謹慎ながら、私が大きく安堵の息を漏らすと、
 「なんと!」
 「それは気の毒に・・・!!」
 「我が騎士道精神にかけて許しがたい!」
 わざとらしくも大仰に、背後の騎士達が叫んだ。
 ――――・・・お前達、『女しかいない』なんて言葉にあっさり釣られている場合じゃないぞ。
 「・・・では、ビュッテヒュッケ城に知らせをやって、援軍を頼もう」
 「ありがとうございます!・・・だけど、ことは一刻を争います。クリスさん達だけでも、私と一緒に来ていただけませんか・・・!?」
 必死な様子のユミィに、騎士達が我先に進み出る。
 「もちろんです、お嬢さん!」
 「このロラン、騎士の誇りにかけて貴女方をお救いいたします!」
 ・・・・・・無知って強い。
 意気込みのあまり、今にも駆け出そうとする騎士達を見上げて、ユミィが口の端を曲げたのを、私は見逃さなかった。


  途中、立ち寄ったブラス城にサロメを残し、ビュッテヒュッケの軍に戦闘の準備をさせるよう指示した私は、嬉しげに馬を駆るユミィの道案内で、アルマ・キナンへ至る道を辿った。
 道中、私は彼女の相手を他の騎士達に任せて、できるだけ彼女に近づかないようにしていた。
 「・・・・・・?
 クリス様、あのひとになにか隔意でもおありなのですか?」
 ルイスの率直な問いに、私はあっさりと頷く。
 「優しそうなひとなのに、なにか嫌な事でもあったんですか?」
 彼の素朴な疑問に、私は引きつった笑みを浮かべて反問した。
 「ルイス、お前はかわいいし素直だし料理はうまいから、騎士達にちやほやされることもあるんじゃないか?」
 「・・・お・・・・・・お言葉ですが、クリス様。ぼくは男の人に好かれても嬉しくはありません」
 顔色を失った少年に、私もぎこちない笑みを浮かべて頷いた。
 「私も、女に好かれたからって嬉しくもなんともないのだ」
 友情としての好意なら大歓迎だがな、と呟いた私と私に背を向ける女を、少年は瞠目して見比べた。
 「くっ・・・クリス様!!ぼく、一日も早く立派な騎士になりますからっ!!それまで希望を失わないでください〜〜〜〜〜っ!!!」
 「・・・親父にも言ったが、私にそんな趣味はないぞ!」
 「ほんとですね!?今、結婚相手がいないからって、女性に走るようなことはないですね?!」
 さくぅっ!と胸に刺さった言葉によろめいた私は、無様にも落馬しそうになった。
 「あるかっ!!」
 なんとか体勢を整えて怒鳴ると、ルイスは大仰なほど深く吐息した。
 「よかったぁ〜!じゃあぼくが大きくなるまで、ちょっと待っててくださいね、クリス様!」
 「・・・・・・はぃ?」
 「だってクリス様は、もうこれ以上年をとらないんでしょう?ぼくが大きくなるまで、余裕で待っててください!」
 「はぁ・・・」
 どうやら私を嫁にもらってくれるらしい少年は、満面の笑みを浮かべた。と、
 「・・・・・・女好きの変態かと思っていたら、ショタコンの異常者でもあったのですね」
 私に背を向けるユミィの、冷ややか過ぎる声に、私は声を荒げた。
 「お前達にだけは言われたくないっ!!」
 「英雄が変態だったなんて知ったら、お城の方々はさぞかしショックなことでしょう」
 「だから!違うと言っているだろうが!!」
 早くも衝撃を受けたらしい騎士たちの視線を弾き返す為、私は殊更に声を上げた。
 「第一!襲ってきたのはお前たちであって、私ではない!!私は必死に逃げ回って・・・・・・!」
 その時、不意にひらめいた違和感に、私は言葉を切って前を行くユミィの背を見つめた。
 「・・・・・・お前、誰だ?」
 馬を止め、声を低めて問うと、騎士達が一斉に剣を抜き放つ。
 刃に囲まれながらも、ゆったりとした動きで振り向いたユミィの唇には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
 「アルマ・キナンのユミィを、お忘れですか?」
 「忘れるものか。私を魔の巣窟へ連れ込んだ女だ」
 そして、何度撃退しても夜這いをかけてきた女。
 そんな女が、『変態』だの『異常者』だの、理性的な言葉を吐くものか!
 「変態のお友達はやはり変態・・・・・・」
 「おまえ、仮面の神官将に従っていた魔女だな?!」
 聞き捨てならんことを呟く女に、私も抜き放った剣を突きつけた。
 「正体を現せ、悪鬼め!!」
 「・・・・・・悪鬼」
 そう呟いた女の唇が、嬉しげに笑みを作る。
 「私も、あの方と同じ・・・・・・」
 「・・・・・・感動してるっぽいところすまないんだが、お前はなにしにきたんだ?」
 「真なる火の紋章を頂きに上がりました」
 「やっぱりお前も私の美貌を妬んで・・・・・・!!」
 「あの方と共に生きる事ができるのなら、永久の時もいいでしょう・・・。ですが、すべての人間が、あなたのように単純な価値観を持っているとは限らないのですよ」
 女を中心に空間が歪み、捩れが収まったときには、アルマ・キナンのユミィの姿はなく、青いハルモニア風の衣装をまとった白い魔女の姿があった。
 同時に現れた怪物たちに手を煩わされたものの、金にものを言わせて鍛えた剣は切れ味最高!
 魔女までも、気持ち良く斬り捨ててやろうと剣を振るったが、繊細な見た目と違って強力な魔術を使う女が半瞬早くロッドを振るい、圧倒的な力で私達を地に這わせてしまった。
 「おとなしく紋章を渡してください」
 肩で息をしながらも、毅然と言い放った女に、私は目と声とで抗議した。
 「嫌だ、と言っている」
 「では、無理やりにでも・・・・・・」
 ハルモニアには、真の紋章を奪う技術があるのだと、女は特に誇る様子もなく明言し、その言葉通り、私の手から紋章を奪い去った。
 途端、力を抜き取られたように目が眩んで、私の意識は闇に落ちた。


 ―――― あぁロミオ ロミオ
 あなたはどうしてロミオなの? あなたが家名を捨ててくれたなら、私も家名を捨てるのに ――――
 ・・・・・・・・・奇妙な夢を見ていた。
 私が絹のソワレを着て、ベランダで奇妙なことを口走っているのだ。
 ―――― その言葉、確かに頂戴いたします。あなたが恋人と呼んでくれたなら、それこそ新たな洗礼。今日から私はロミオでなくなります ――――
 歯の浮くような台詞を平然と言う俳優の顔は見えなかったが、声のいい俳優だな、と、ぼんやり思いながら、私は夢の中の『ロミオとジュリエット』を観劇していた。
 ―――― まぁ、ロミオ様
 どうしてここへいらっしゃったの?あなたの身分を考えれば、死も同然のこの場所へ?
 ―――― 私とあなたを阻む塀など、恋の翼を軽く広げて飛び越えました
 どうか、ジュリエット 我が勇気を称え、祝福をください ――――
 そんな台詞があっただろうかと、ぼんやりと考えてると、ロミオはとんでもないことを言い始めた。
 ―――― 花びらのような唇でそっと私に触れてください ――――
 ・・・・・・支配人、それはいくらなんでもやりすぎだ。
 ビュッテヒュッケの劇場では、すべての役柄が男だけだったり女ばかりだったりするから、そんなシチュエーションを加えると誰も出演しなくなるぞ。
 しかし、ロミオは柱伝いにベランダに昇り、私は両手を広げて彼を迎えて・・・・・・。
 ――――って、私がそんなことをするわけがないだろうっ!!
 驚いて目を開けた私は、顔前にユイリの顔が迫りつつある瞬間を見、絶叫して飛び起きた。
 「あら。眠れる森の美女を起こしてあげようと思ったのに」
 「確かにここは森で、確かに私は美女だが、お前の欲望の餌食にならねばならん所以はないわっ!!」
 「まぁ!助けに来て上げたのに、そんな言い方・・・・・・!!」
 狩りに来た、の間違いじゃないのか?!
 「失礼、お嬢さん。我らを助けていただき、心より感謝申し上げます」
 「どーいたしまして。
 それよりクリスさん、大変なのよ」
 あっさりと無視されたパーシヴァルが、悲しげに佇んでいる。
 女性から無下に扱われたことがなかったからな。がんばれ、パーシー。そんな時もあるさ。
 憐憫を込めて見守っていると、ユイリの背後から本物のユミィが顔を覗かせた。
 「聞いてください、クリスさん。あんな男なんか見てないで」
 『あんな男なんか』って・・・・・・。
 ゼクセン騎士団の稲○吾郎と言われたパーシヴァルが、すっかり肩を落としているじゃないか。
 しかし、ユミィの報告を聞いた私は、彼への憐憫など忘却のはるかかなたへ追い払って、彼女に掴みかかった。
 「ブラス城が防戦中だと?!確かか?!」
 「やだ・・・クリスさんったら大胆・・・・・・」
 ・・・殺すぞ、マジで。
 こんな時でも冗談を忘れない女に、私は危うく殴りかかるところだった。
 「ブラス城に帰るぞ!」
 言うまでもなく、騎乗していた騎士達に言い放ち、馬を駆ろうとした時、
 「アルマ・キナンも協力させてもらいます。我が一族も、あなたの麾下(きか)にお加えください!」
 ユイリの声に、私は馬上で振り返った。
 「しかし・・・・・・」
 数々の苦い思い出に、私が躊躇していると、
 「ありがたい!お願い申す!」
 問答無用の大音声でレオが決定し、既に出陣の準備をしていたらしい女たちに囲まれて、私はブラス城に駆け戻った。


 急ぎ駆け戻ったブラス城は、まだなんとか持ちこたえていた。
 「火矢を!!」
 アルマ・キナンの戦士たちになるだけ多くの火矢を作るよう命じ、私は一斉に矢を射かけさせた。
 数では最初から負けているのだ。
 敵の側背を焼いて、少しでも数をごまかさなければ勝ち目はない。
 しかし、ハルモニア兵は火勢を恐れる様子もなく、淡々と城攻めを続けていた。
 「なんという精神力だ・・・いや、指揮官の支配力ゆえか・・・?」
 私は呟きながらも、次の戦術を取っていた。
 城にこもる味方を力づけるため、兵らに声をあげさせて、援軍の存在を知らしめたのだ。
 と、戦場の向こう側からも喚声が響き渡る。
 様子を見に行かせた兵によって、ルビークに赴いたゲドが援軍を伴なって帰ってきたのだということを知った私は、まずはゲドらと合流する策を執った。
 それぞれ赴いた土地が北と南であったために、両軍がブラス城を目指せば丁度敵軍を取り囲める配置になることも幸いした。
 作戦を伝達するまでもなく、戦士としての経験が豊富な彼も私と同じ考えに至ったようで、両軍は袋の口をすぼめていくようにブラス城を攻囲したハルモニア軍を囲み始めた。
 と、追い詰められたハルモニア軍に異変が生じた。
 いや、ハルモニア兵に、というべきか。
 剣を打ち合わせ、討ち取り、討ち取られ、命のやり取りをしていた彼らの姿が、人間のそれから変容し、歪んで人とは違う姿を現したのだ。
 「怪物・・・!」
  突如変容したハルモニア兵に驚愕したものの、私が今まで、彼らに対して抱いていた疑問は氷解していった。
 どうしても確かめられなかった補給線、一向に数と士気の衰えない兵士。
 あり得ない戦況の数々が、そのピースをはめ込んだことによって完全な像を結ぶ。
 ゼクセンの常識では到底思いもつかないことだが、これらは魔法使いによって召喚された怪物達なのだ。
 誰が?
 決まっている。
 強大な魔力を持つ、仮面の神官将と白い魔女だ。
 「・・・厄介な」
 舌打ちと共に発した呟きに、ロランが頷く。
 「彼らを攻略するには、多大な犠牲が出るでしょう。それよりも、一気に敵陣を駆け抜け、ブラス城に拠った方が・・・」
 「今はまだ、こちらの数に気づかれてはいないようですが、それも時間の問題でしょう。ただでさえ少ない軍を分けていては、各個撃破されます」
 ボルスの進言もあり、私はなんとか城内に入るルートを探した。
 もし、この軍勢がゼクセン騎士団のみで構成されたものであったなら、私は迷うことなく中央突破を敢行しただろう。
 しか、し私はこの、アルマ・キナンの戦士を中心とした軍勢の力を良く知らない。
 過大評価の結果、全滅するなどという憂き目は避けなければいけなかった。
 「サロメがいれば・・・!!」
 舌打ちをこらえながら、一刻も早くゲドと合流すべく軍を進めていると、背後に鯨波(げいは)が轟いた。
 「しまった、背後を・・・!!」
 攻囲されたかと、戦慄が背筋を駆け抜けた時、
 「クリス様!!使者です!!」
 レオの大音声が、背後の軍からの急使を知らせた。
 「通せ!!」
 たとえ交戦中の敵兵であれ、白い旗をはためかせ、派手な羽飾りをひらめかせて向かってくる者を殺してはいけない。
 それが、意外とルールや暗黙の了解がまかり通る戦場での礼儀だった。
 やや後方に下がり、使者を迎えた私は、ハルモニアの軍服を着た男が神官将・ササライの部下であり、グラスランドに軍を進めたのは、反逆の大罪人を捕らえる為だと説明した。
 「では、この軍は私達に味方すると言うのか?」
 わざと端的に結論を述べると、使者は憮然と頷いた。
 「さて・・・信じていいものかな」
 殊更に懐疑的な物言いをすると、使者は声を震わせて抗弁する。
 会った事はないが、ハルモニアの有能な神官将として名の通った彼は、よほど部下に慕われているらしい。
 それに、誇りばかりが肥大しているハルモニア神聖国の事、神官将ともあろうものが、自身の名を汚すような真似はしないだろう。
 私は助力を感謝した後、ゲドに急使を出し、一刻前に比べると倍になった兵力をもって、仮面の神官将の軍を挟撃した。
 同時に、ブラス城にたてこもっていた軍も突出し、敵軍を敗走させた私達は、ビュッテヒュッケに戻って今後の対策を練ることにした。
 あらたに加わった神官将の情報により、仮面の神官将がルックと言う名であること、私だけでなく、ササライもゲドもヒューゴも、真の紋章を奪われたことを知り、私は歯噛みする思いだった。
 「一体、なんの目的で・・・・・・!!」
 「それは・・・・・・」
 ルックから直接聞いたというヒューゴから、彼の目的が彼と彼の持つ真なる風の紋章の破壊であると聞いた私は、広間に佇むササライを見遣った。
 「彼の暴挙は止めなければなりません。彼らがいる場所をご存知ですか?」
 「それならば、そろそろ報告が来るはずです」
 若い外見に似合わぬ、落ち着いた雰囲気に、そう言えば彼がナッシュの上司だったか、と思い出した。
 「報告・・・とおっしゃると、まさか・・・・・・」
 「・・・来たようですね」
 言うや、扉へと視線を移したササライにつられて、私もそこを見遣った。
 「ナ・・・・・・」
 言いかけて、私は口をつぐんだ。
 予想通り、そこにはナッシュ・ラトキエの姿があったのだ。
 「はじめまして、連合軍の皆さん。私はナッシュ・クローヴィス。ササライ様の部下です」
 ・・・・・・はじめまして、ね。
 特殊工作員という職業柄、無理もないと思うが、平然と偽名を名乗る彼に、隔意を持たずにはいられない。
 彼は主に、連合軍の軍師を相手に、ルックの向かった場所やその目的を報告し、一刻も早く軍を向かわせるべきだと進言した。
 ・・・一刻も・・・って、お前素人か。
 遠足じゃあるまいし、一日二日で用意ができるわけがないだろう!
 どうする、と、困り顔を向けてくる軍師に、私は渋面を作って頷いた。
 「ゼクセン騎士団とハルモニア軍を中心に軍を編成していいと言うのなら、なんとか烏合の衆をまとめましょう。
 ―――― ただし!」
 険しい視線を向けると、ナッシュがわずかにたじろいだ。
 「残念ながら、弁当も持たずにハイキングに行こうとしている方々がとても多ぅございますので、糧食を集めるまで少々お待ち頂いてもよろしいかしら?!」
 怒号に近い私の声に、ササライが何度も頷く。
 「糧食は大切だよねぇ・・・」
 ・・・・・・言ったからには、ハルモニアの糧食は供出してもらうぞ。


 兵が、
 「整わな〜い♪烏合の衆〜〜〜♪」
 糧食が、
 「増やせな〜〜い♪資金(かね)がな〜〜〜い♪」
 準備が、
 「終わらな〜〜〜い♪間に合わな〜〜〜い♪」
 即席ミュージカル集団と化した騎士達が城中をバタバタと走り回る中、私はビュッテヒュッケであてがわれた執務室で頭を抱えていた。
 「糧食不足の上に寄せ集めの兵で、私にどうしろと言うのだ・・・・・・!!」
 もちろん、突然『精兵養成隊長』や『資金収集隊長』に任じられたゼクセンとハルモニアの騎士たちはがんばってくれているのだが、私や宮殿の箱入り神官将が駆け回っても、中々満足できる域には達しなかった。
 「あーあ・・・・・・。空からお金が降ってこないかなぁ・・・・・・」
 深刻な嘆息をした私の前に、茶器が粗暴な音を立てて置かれた。
 「ルイス!!茶器を割る気か?!」
 切羽詰った状況に寛容さもなくなって、鋭く怒声を上げると、茶を差し出した人物が、おどおどと詫びた。
 「ごめんなさい、お茶を出したことなんかなかったので・・・・・・」
 ルイスのものとは違う声に、私は油の切れた鉄人形のようにぎこちない動きで首を巡らせた。
 「・・・サ・・・ササライ・・・殿・・・・・・・・・」
 私の視線の先で、彼は悄然と項垂れる。
 「な・・・・・・ナンデアナタガ・・・・・・!!」
 「くじ引きでお茶くみ係に決まったんです。今週一週間、よろしくお願いします」
 深々とお辞儀をするので、私は慌てて立ち上がり、頭を下げた。
 「ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」
 言いながら、内心で『当番くじ』に彼の名を入れた奴に毒づいていた。
 すると、ササライが年に似合わず(32歳だと聞いた)、純粋そうな笑みを浮かべる。
 「ここって、面白いですね。宝くじ売り場のくじで当番を決めるって聞いたので、私の名前を入れて、回してみたのです。そしたら、お茶くみ当番が当たりました」
 犯人はお前か?!
 「あ・・・当たったのですか・・・よかったですね・・・・・・」
 外れたの間違いだろう?!
 内心の突っ込みを隠して、私はササライに席を勧めた。
 「軍の再編成、大変ですね」
 「ササライ殿こそ、ご協力ありがとうございます」
 はじめて会った時は、天然ボケの箱入り坊ちゃんだと思っていたが、さすがにハルモニアの神官将を長く勤めていただけあって、軍の采配は見事なものだった。
 彼と彼の部下たちの働きによって、烏合の衆はなんとか集団戦法を身につけつつある。
 後はもう、純粋に資金の問題なのだ。
 「うぅっ・・・5万の軍だと一日15万食、三日で45万食・・・・・・!!」
 なのに評議会のジジィどもは、一銭もだしゃしねぇと言う・・・・・・!!
 どうするべきかと、ササライに愚痴ると、
 「・・・・・・そうですね。
 兵士達に、各地のガーディアンを倒させるのはどうですか?」
 「は?!」
 期待と不安を意外さでコーティングした声を上げた私に、彼はにっこりと微笑んだ。
 「戦意ばかりが多くて、腕が追いついていない者達が結構いるんですよね。
 一人二人でしたら、無理にでも矯正するのですが、ね」
 途端、微妙な曲がり具合をみせた唇に、私は総毛だって沈黙した。
 ―――― おとなしそうな顔をしているので、ついなめてかかっていたが、確かにこの人は神官将なのだ。
 「ガーディアンの中には強いものも結構いますし、兵の腕を上げ、彼らの守る宝物を奪う。一石二鳥でしょう?」
 ―――― 笑って言うことなのか?!
 金品を奪うとか、強い敵と当たって兵士が死ぬかもしれないとか、そんな思いやりの抜けた言葉を平然と言う辺り、確かに只者じゃない。
 ―――― 苦労しているんだろうな、ナッシュ・・・・・・。
 不覚にも同情しそうになった私は、慌てて冷徹な騎士団長へと頭を切り替えた。
 「有益なご助言をありがとうございます。ところでササライ殿、く・・・クロー・・・ヴィス殿は、いかがお過ごしですか?」
 奴の偽名を思い出すのに少々苦労したが、なんとか思い出して問うと、ササライは一瞬、きょとんと目を見開いて私を凝視した。
 こんな瞬間だ、彼を、年相応の男性として扱えないのは。
 つい、ルイスくらいの小さな少年と思ってしまう。
 これが策略なら大したものだと感心していると、ササライが自信なげに問い返してきた。
 「ナッシュ・・・のことでしたっけ?」
 やはり偽名か。
 ナッシュなりに考えて名乗った偽名だろうに、上司が台無しにしてどうする。
 失笑をこらえるために一時瞑目し、私は頷いた。
 「彼には世話になりましたので、一言礼を述べたいと思っているのですが、どうも私は避けられているようで」
 ササライが一緒でないと私の前に現われないのは、神官将の目の前でその部下を虐げることはできまいと計算しているからだろう。
 「なぜ、あなたを避けているなんて?彼にそんな理由はないと思いますが」
 訝しげに首を傾げるササライに、私は苦笑を浮かべて見せた。
 「私は女だてらに騎士団長をしておりますので、普通の貴婦人と比べてお恥ずかしい行動も多々ありました。それで、クローヴィス殿にはすっかり嫌われたのではないかと、気にしていたのですが・・・」
 物憂げな表情をしてみせると、ササライは気遣わしげに私を見つめている。
 「とんでもありません、クリス殿。ナッシュは歯に衣着せないところがありますので、色々誤解もあったかもしれませんが・・・・・・。
 あなたが気に病むことなどありませんよ」
 ―――― もう一押し!
 「・・・・・・ですが、私もつい、きついことを言っておりました。嫌われても仕方のないことかと・・・」
 「そんなことはありませんとも。ナッシュとよく話し合われたなら、誤解も解けると思いますよ?」
 ―――― よぉっし!
 私は拳を握りそうになった手を、大笑しそうになった口元に当て、笑いをこらえるあまり震える肩を、そっとうつむけた。
 「そうでしょうか・・・?」
 あまり長く話すと笑いをこらえていることがばれるので、小さく呟いた言葉は、自分でも驚くほど奥ゆかしく響いた。
 「もちろんですとも。私からも、ナッシュに命じておきます。ゆっくりとお話ください」
 ―――― 勝った!!
 私はほくそえんで、お茶くみの仕事を続けるからと退室したササライを見送った。
 ―――― 劇場支配人め、私の演技を散々こき下ろしていたが、舞台の外でなら、私だってこのくらいはやるのだ。
 少し気分のよくなった私は、ササライが置いて行った茶器を手に取った。
 「ハルモニアの神官将が手ずから入れてくれた茶だ。畏れ多くて、舌が焼けるかもしれないな」
 私の冗談に周りの騎士達は笑ったが、一口それをすすった私が、顔を紫色にして悶え苦しみだすと、真っ青になって駆け寄ってきた。
 「ク・・・クリス様?!クリス様?!」
 常識をはるかに越えた渋みと苦味に、舌だけでなく食道と胃までやられた私は、喉をかきむしって床に這った。
 霞みゆく視線の先で、同じく床に転がった茶器の中から、ねっとりとした物体が舌を這わすように床へと落ちる様が見える。
 原料が茶だとは思えないほど、高濃度のゲル状になった物体には、ソーサーから零れ落ちたスプーンが見事に直立していた・・・。
 「―――― ディオス、ディオス!」
 私の部屋を出たササライは、通りかかった副官に話し掛けたそうだ。
 「ゼクセン人って、わからないな。とてもお茶とは思えない、どろどろの塊を飲むんだよ。
 きっと、ハルモニアとは茶葉が違うんだね。私には到底飲めないな」
 彼が持つトレイの上の、数器のカップに満たされたゲル状の物体を見た時、ディオスはどうやってササライに茶くみをやめさせるか、頭を絞ったと言う。


 「・・・・・・うちの上司のせいで、生死の堺をさまよったんだって?」
 翌々日、寝台から起き上がれなくなった私の見舞いにやって来たナッシュは、遠くからおどおどと声をかけてきた。
 「・・・・・・・・・もしも、ハルモニアに良心というものがあるのなら、あの箱入りを宮殿の外に出すな・・・・・・」
 「・・・・・・すっ・・・・・・すみませんっ・・・・・・」
 そのまま何も言わずに頭を下げたところを見ると、上司の凶行には彼も色々と痛い目を見てきたのだろうと想像できた。
 「・・・とにかく、ササライ殿には今後一切、城の雑役などされないように、お前も目を光らせていろ」
 未だ痛む胃の辺りを抑えながら、私はゆるゆると寝台から起き上がった。
 「あぁっ・・・クリス様、まだ無理をされては!!」
 ルイスが慌てて駆け寄ってきたが、私は手を上げて彼を制した。
 「エレベーターがあるから大丈夫だ。―――― 二日間も熱にうかされ続けたおかげで気持ち悪い。お風呂に入ってくる」
 ここで会ったが百年目、のナッシュの傍らを、よろよろと歩き去って、私は一人、ふらふらと風呂に向かった。
 壊れた船を利用して作られた、風情なのか廃物利用なのか、入る人間の感性によって大きく後味の変わる風呂ののれんをくぐった私は、濃厚なバラの匂いに鼻腔だけでなく脳髄までを抉られ、急性呼吸困難を引き起こして倒れた。
 番台では、激怒したゴロウが、同じく怒髪天を突く勢いのバーツと共に、ササライに怒声を浴びせていた。
 「俺のッ・・・俺の丹精したバラを!!全部摘み取って風呂にぶちまけただとッ!?」
 「大量のバラをぶち込みやがって!!排水溝が詰まっただろうがっ!!」
 バラまで作るのか、農夫・・・・・・。
 床に這ったまま、戦闘不能状態になった私は、しびれた頭の奥で、ぼんやりとそんなことを考えていた。
 ―――― そう言えば、バラの花びらの香気で、窒息死させると言う死刑方法があったな・・・。
 昔、聞いたことのあるそれを思い出しながら、私の意識は闇に落ちて行った。


 炎の英雄倒れる!の報は、壁新聞の発行を待つまでもなく、瞬く間に城中に広がった。
 私がササライの仕業によって二度までも倒されたと言う事実は、放っておけば尾ひれがついて、『ハルモニア謀略説』にまで拡大しただろうが、私とササライの部下たちによる必死の説明が功を奏して、なんとか大事にならずに済んだ。
 「どうか、お許しくださいませぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 寝台の脇で、ディオスとナッシュが、並んで土下座している。
 私は額を冷たい水に浸した布で冷やしながら、彼らの謝罪を聞いていた。
 「お茶くみはおやめになるよう、必死に説得したのですがっ・・・・・・!!」
 「まさか、すぐに次の仕事を見つけるとは思ってなくてね・・・・・・」
 意外と要領がいいんだ、と言い訳するナッシュに、私は額の布を投げつけた。
 「目を光らせていろと言っただろう!!勝手にうろつきまわらないよう、首に縄でもかけとけ!!」
 ヒステリックに叫ぶと、また頭が痛み出した。
 バラの香気のせいだけではなく、倒れた時、床に額をぶつけたのだ。
 額に手を当ててみると、大きなたんこぶができているのがわかった。
 「まぁまぁ、落ち着いて、クリスちゃん。怒ると傷に響くぜ」
 「これが落ち着いていられるかぁ〜〜〜〜〜〜!!!」
 枕を掴んで投げつけると、ナッシュは後ろざまに倒れた。
 「なにすんだ、暴力女!!」
 「上司のためにお前が死んで詫びろ!!」
 「死んでって・・・・・・そう言えばあんた!ジョー軍曹を食ったと言うのは本当か?!」
 「まさか。私はそんな悪食(あくじき)じゃない」
 軍曹は、羽をむしられる直前に逃げ出し、その日はヒューゴが代わりに差し出した普通サイズのアヒルで食事したのだ。
 「ダッククランの北京ダックは、どうも大味そうだしな」
 「鬼だ・・・・・・」
 愕然と呟くナッシュの顔を見て、私はどうして彼と会いたかったのか、ようやく思い出した。
 図らずもササライは、私に毒物を盛った事で、部下の命を三日だけ長らえさせたのだった。
 「おい、ナッシュ」
 薄く笑みを浮かべた私にナッシュはおののき、わずかに後退した。
 「お前の上司のおかげで、私の機嫌は最悪だ。ちょっと楽しませてくれないか?」
 隣で跪くディオスを完璧に無視して、私はナッシュへと微笑んだ。
 「ど・・・どんなご無体をなさるおつもりで・・・・・・?」
 拷問する、と言う私の言葉を思い出したのか、逃げ腰なナッシュを騎士達に捕らえさせる。
 「心配するな。ここはブラス城と違って、拷問部屋はない。
 一緒に、劇に出てもらだけだ」
 「劇・・・・・・?」
 不審げに顔を歪める彼に、私は笑みを深めて立ち上がった。
 「なぁに、簡単なことじゃないか。私を楽しませろよ」
 「え・・・・・・演目は・・・・・・・・・?」
 「ウィリアム・テル」
 騎士達に捕らわれたままの彼の目には、邪悪な笑みを浮かべた私が映っていた。



 「領主役を・・・お演りになる・・・・・・」
 独白とも質問ともつかない口調で、劇場支配人は呟いたまま沈黙した。
 「そうだ、配役はこちらで決めさせてくれ」
 言うと、彼はしばしの沈黙を守った後、わずかに首を傾げた。
 「失礼ですが、あなたは先日、もう演るのは嫌だ、とおっしゃいませんでしたか・・・・・・?」
 「今回だけは別だ」
 断言すると、彼は再び沈黙した。
 やがて、
 「いいでしょう。あなたの思うとおりにお演りください」
 そう言って、大仰に頷いた。
 「ありがとう。では、舞台に上がらせてもらうぞ」
 にっこりと笑って礼を言うと、私は騎士達と共に舞台に上がった。


 ―――――― 薄暗い舞台にライトが当たる。
 『ほーっほほほほほ!!
 どうした、ウィリアム・テルよ!早く私に弓の腕をお見せ!!』
 いきなりハイテンション&驕慢な私の台詞に、舞台俳優達だけでなく、観客も引いてゆく。
 だが、これが笑わずにいられようか!
 従者役のボルスと民衆役のパーシヴァルを従えた私は、ウィリアム・テル役のロランにあることを言い含めていた。
 「ちょっと待て―――!!!配役の変更を要請する!!これは『なにがあっても黙殺♪』組じゃないか――――!!!」
 「お黙り息子役!!劇を台無しにするつもり?!」
 頭にリンゴを載せて、ロランの前に引き出されたナッシュが絶叫するのを、建前を用いて黙らせる。
 『さすがは領主様!いかに弓の名手とは言え、息子を的にされては冷静ではいられますまい!』
 無理矢理演技を続けるボルスに、私は大きく頷いた。
 『外せば騎士の誇りもへったくれもないぞ!!』
 「く・・・クリス様、へったくれって・・・・・・」
 小声で囁きかけてきたボルスに、私も小声で返した。
 「なんだ?最近は言わんのか?」
 「最近でなくとも、貴婦人が『へったくれ』は言わないでしょう」
 「おい、そこ!!なにを企んでいるか――!!」
 ナッシュの絶叫に、私はむっと視線を上げた。
 失礼な。
 『へったくれ』について論議していただけではないか。
 目で合図すると、ロランが微かに頷く。
 『父さんを信じるんだ。じっとして動くんじゃないぞ』
 「やめろ―――――!!」
 ロランが弓を鳴らし、矢が的をそれ、違う事なき凶器が的を乗せた人間を貫いた瞬間、幕が下りて辺りは暗闇に閉ざされた。
 ―――― 以前、ゲドの部下がユミィに射殺されそうになった時は、民衆役の人間が医者を呼んでくれたものだが、案の定、パーシヴァルは闇の中で沈黙を守ったままだ。
 いいぞ、パーシィ!
 私が拳を握ったところで、劇場支配人の声が闇の中に響いた。
 「・・・大変お見苦しい場面があったことをお詫びします」
 闇の中に白く浮き上がった仮面に睨まれて、私は苦笑しながら舞台を降りた。


 公開処刑の話はその日のうちに城中に広まり、壁新聞には匿名で、私とナッシュの確執を語った記事まで載せられていた。
 「ほう・・・・・・。私達のことに、ここまで詳しい人物と言えば、フレッド卿かリコだなぁ・・・」
 「なんで俺がそんなことをせねばならんのだ!」
 「わ・・・私だってやりません!!」
 「そうだろうな。
 あなた達がやるとしたら、堂々と姓名を明かすことだろうし・・・・・・だが、誰かに尋ねられて、教えたことは?」
 途端、『あっ!!』と言ったまま顔を見合わせた二人に、私はゆっくりと頷いた。
 「あるんだな?」
 こくこくと、何度も頷く二人に、やっぱり、と、壁新聞の発行者を睨んだ。
 「ぼ・・・ぼくは、ちゃんと裏を取ってからじゃないと記事は書きません!!」
 「誰に調査を依頼した?」
 「記者の誇りにかけて、秘密は守ります!!」
 記者が、どうしても名を明かさないとがんばるので、私は大仰に吐息してみせた。
 「別に、彼を罰しようとか、そう言うことじゃないんだ。
 ただ、真実と異なる記述があったので、そこを訂正したいだけなのだが・・・・・・」
 「えぇっ?!それは本当ですか?!」
 「あぁ。私が猛毒に苦しむナッシュを見捨てたなどという事実はない。
 どうも、尾ひれがついてしまったようだな」
 フレッド卿とリコが、同時に首を振る様を重装備の身体で隠して、私は記者に微笑みかけた。
 「調査員は、別の者を使った方がいいぞ」
 「でもまさか、探偵キッドが調査ミスをするなんて・・・・・・」
 にやり、と、邪悪な笑いを浮かべた私を見て、記者があわてて口を覆った。
 「あのガキ、人の周りをうろついていると思ったら、そんなことをしていたのか」
 「ああっ!!違うんです!!」
 「もう遅い」
 きびすを返した私に、記者は取りすがって泣きついた。
 「お願いです、やめてください!!調査員を突き出したなんてことが広まったら、もう誰も取材に協力してくれなくなります!!」
 「いいじゃないか、別に。もう中傷記事なんぞ書かなくて済むぞ」
 フレッドとリコが、『中傷なんかじゃないっ』と、再び烈しく首を振り始めたのを無視して言うと、記者は人目もはばからず、大声で泣き叫んだ。
 「炎の英雄ともあろうものが、言論統制なんかしていいんですかっ?!マスコミは国の自浄作用です!!マスコミから批判精神をなくすことは、国の滅びる元ですよ!!ペンは絶対に剣に勝つのです!!」
 と、口の達者な若者の鋭気に心を打たれたのか、フレッド卿が目を輝かせて私達の間に割り込んでくる。
 「すばらしいぞ、少年よ!!正義を愛する心は、なににも勝るものだ!!」
 ―――― じゃあ私は悪なのか?
 むっとして睨んだ私に怯むことなく、フレッド卿は純粋な笑顔を向けてきた。
 「クリス殿!このような少年がいる限り、正義は不滅だ!!」
 ―――― あなたも少年のようですけどね・・・・・・。
 突っ込みを入れる気力もそぎ取られて、私が黙り込んでいると、勝手に拡大解釈してくれたらしいフレッド卿が手甲を鳴らして力強い握手をしてきた。
 「クリス殿も、世界を救う正義の英雄として、声もないほど感動されているのだな!!無理もないぞ!!」
 どうやったらそんなに楽しい連想ができるのか、コツをお教え願いたいものだ。
 皮肉な気分で沈黙を守る私の目の前で、フレッド卿は正義についてとうとうと語り、彼の熱狂的信者であるリコは、熱心に歓声を上げている。
 たちまち大騒ぎになった場にいるのが馬鹿馬鹿しくなって、私は自分の執務室に戻った。
 そこでは、ハルモニアの毒に中てられた私の為に、ルイスがせっせとお茶の準備をしてくれている。
 執務席につくやカップを取り上げて、安心して飲める茶の香りを楽しみながら、私はふとルイスに目を向けた。
 「なぁ、あの馬鹿どうした?」
 「ナッシュさんの事ですか?
 もあの舞台をご覧になってたトウタ先生が飛んできて、医務室に運んで行かれましたよ」
 以前、ゲドの部下が死にそうになったことがあるので、ビュッテヒュッケの青年医師は、『ウィリアム・テル』が興行される際は、必ず見にくるのだと言う。
 「ふぅん・・・・・・助かったのかな?」
 「お葬式を出したと言う話は聞いていませんしねぇ。
 ロランさんの事ですから、うまく急所をはずしてくれたんじゃないですか?」
 「ふぅん・・・・・・」
 気のない返事をしつつ、彼の病床を見舞うつもりになった私だった。
 もう少しの間、ハルモニアとは友好関係を保たなければならないのだから、ササライ殿にだけは詫びておこう。
 「ルイス、奴の好物がなにか、聞いていないか?」
 「さぁ・・・?好きかどうかは知りませんが、バーツがさんが作っている、メロンなんかどうですか?」
 「あぁ、そう言えばそんなものも作ったと自慢していたな」
 通りかかるたびになにか持って行けとうるさい農業青年の顔を思い出しながら呟くと、ルイスが破顔して大きく頷いた。
 「バーツさんの作る野菜や果物はとてもおいしいんですよ!彼が来てくれて、ぼくもメイミさんも大喜びしているんです!
 このフルーツタルトの果物も、バーツさんの果物なんですよ!」
 言って、ルイスはお手製のタルトを差し出した。
 色とりどりのフルーツがきらめくそれは、見た目も味も申し分がない。
 私はすっきりとした甘さのタルトを口に運びながら、そういうものなのかと考えていた。
 イクセの村で農業を営んでいた彼をビュッテヒュッケに誘ったのは私だったが、こんなに喜ばれるとは思っていなかったのだ。
 私にとっての喜びとはつまり、戦力の増強であったのだから。
 「・・・じゃぁ、バーツにメロンを分けてもらおうかな」
 ぽつりと呟くと、ルイスがにっこりと笑って頷いた。
 「間違っても、特効薬なんて色気のないものを持っていかないようにしてくださいね」
 「・・・・・・・・・」


 バーツにメロンやブドウを分けてもらった私は、ルイスが『絶対に丸のまま持っていくなんてことしちゃダメですよ』と渡してくれた可愛らしいバスケットにそれらを放りこんだ。
 と、
 「おい、あんたっ!!俺が丹精こめて育てたカトリーヌとマリー・テレーズの子供達を無造作に扱うんじゃねぇ!!」
 真っ青になって叫んだバーツに、私は不審の目を向けた。
 「お前の恋人達は果物を生むのか・・・?」
 「あほう!!俺は奇人変人の恋人を持ったことはない!!俺の丹精した苗木の名前だ!!」
 「へ・・・変態!!」
 「どあほう!!名前を呼んで愛情をこめてやると、植物がよく育つんだ!!」
 なるほど、それが彼の『農業哲学』か・・・・・・。
 半信半疑で頷きながら、私は彼に果物を詰めたバスケットを差し出した。
 「じゃあ、カトリーヌとマリー・テレーズをどうすればいいんだ?」
 「貸せ!!俺が芸術的に盛ってやる!!」
 「ついでに特効薬もトッピングしてくれないか」
 言うと、バーツは思い切り眉根を寄せて、私を睨む。
 「・・・・・・あんたホントに色気のない女だな。あたら顔がいいだけに、いっそ無残だぜ」
 バーツの言葉にむっとしながら、私は言い添えた。
 「怪我人に特効薬を持って行ってやろうという優しさは女らしくないのか」
 「医務室に特効薬がないと思っているのか、あんたは?」
 「あっ・・・」
 「・・・・・・そのくらい、言われる前に気づけよ」
 呆れてものも言えない、と言いながら、バーツは器用に手を動かし、無造作に放りこんであった果物をきれいに盛りつけてくれた。
 「ほらよ!きれいにしてやったから、せめて気持ちだけでも伝えてこい!」
 「なんの?」
 「・・・・・・あんた、見舞いに行くんじゃなかったのか?
 毒を盛ってごめんとか、暴力ふるってごめんとか、公開処刑しようとしてごめんとか、色々言うことがあるんじゃないか?」
 壁新聞の愛読者であると言う彼は、私の悪行を流暢に並べ立てた。
 「言っておくが、私は一方的な加害者ではないぞ!奴はそれだけの事をしたのだ!!誰が謝るものか!!」
 「時には素直になっとかないと、冗談じゃなく嫁の貰い手がないぜ」
 若いくせに20以上も年上の人間しか言わないようなことを言う・・・・・・。
 「好きな男ができた時にでも考えることにする」
 私は憮然と言って、彼の手から果物籠を受け取った。
 「あんたがどんなに好きになっても、凶暴な噂を聞いた相手は逃げるかもしれないぜ」
 悪事千里を走る、と言うからな、と、余計なことを言いながら、彼は私を見送ってくれた。
 ―――― 馬鹿を言うな。私が凶暴だったのは、ナッシュに対してのみだ。


 私が医務室に入っって行くと、いつも穏やかな医師は、眉を曇らせた。
 「クリスさん、いくら憎いからって、謀殺はいけません。この城にいる人達は、あなたを慕って集まっているのですから」
 「すみません、トウタ先生」
 差別と言われるかもしれないが、この温厚な青年医師に諭されると、なぜだか素直に謝ることができる。
 「お騒がせしたようで、お詫びに参りました」
 ハイこれ、と、私がたわわな果実の盛られた籠を差し出すと、青年医師は苦笑した。
 「渡す相手が違うのではありませんか?」
 「いいえ。私は先生の陣中見舞いに来たのです。ER(緊急救命)は大変でしたでしょう?」
 にっこりと笑みを返すと、医務室の奥、白いカーテンで遮られたベッドから、恨みがましい声が沸きあがった。
 「鬼畜女〜〜〜〜〜!!!一言謝れぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!」
 「おや、生きていたのか、ナッシュ」
 「化けて出てやる・・・・・・!!死んだら必ず化けて出てやるからな!!」
 「細かいことでぎゃあぎゃあ騒ぐな。ここは医務室だぞ」
 途端、ぴたりと止んだ声に、彼でさえもトウタ医師には一目置いていることが知れた。
 「ふん・・・命をとりとめただけかと思ったら、ずいぶん元気そうじゃないか」
 つかつかと奥へ向かい、視線を遮るカーテンを引き明けると、瀕死だったわりには顔色のいいナッシュが、恨みがましい視線をこちらに向けていた。
 「おやおや、包帯がお似合いだぞ、色男。傷のおかげで男前が上がったんじゃないか?拷問を恐れて上司の影に隠れていた男には見えないな」
 「まさかとは思ったが、本当にやるとは思わなかったぞ、鬼畜女!!危うく死ぬところだったんだからな!!」
 「当たり前だ、殺すつもりでやったのだから」
 「・・・・・・ケンカは・・・外でやっていただけるとありがたいのですがね、お二人とも?」
 口元の笑みと剣呑な光を湛えた瞳との対比に、私とナッシュは同時に肌を粟立てた。
 「し・・・失礼しました、トウタ先生。お言葉に従って、少し彼をお借りします」
 「えええっ?!」
 「さぁ、リハビリに行こうか、ナッシュ君!!」
 医師に口をはさむ隙を与えず、私は病床のナッシュを起きあがらせ、無理やり外に連れ出した。
 「助けてくれぇぇぇ―――――!!!」
 医師も看護婦も、あまり反射神経のいい方ではなかったようだ。
 風のような素早さでナッシュを連れ去った私を、患者誘拐の現行犯と認識することすらできず、呆然と見送ってくれた。


 「あれぇ?ナッシュ、生きてたんだ」
 直属の上司にそんな残酷な言葉で迎えられたナッシュは、冗談ではなく倒れ伏した。
 「生きてちゃ悪いんですか、ササライ様?!」
 「悪くはないけど、あの状況で生きてるわけがないって思っていたからさ」
 そう語る彼の表情は、世間話をするように淡々としている。
 さすがの私が思わず同情してしまったのだから、この神官将の浮世離れは並じゃない。
 そんな思いが顔に出てしまったのか、ササライは私に向かってにっこりと微笑んだ。
 「人生長いのですから、細かいことをいちいち気にしていたら身がもちませんよ、クリス殿」
 さすがに真の紋章を持つ者は言うことが違うなぁと、ひたすら感嘆の声を上げていると、
 「それで、なにか用?」
 と、ササライが首を傾げた。
 その言葉は、私に向けられたのかナッシュに向けられたのか、図りかねながらも一応私は口を開く。
 「先日、出陣の準備が整わないと愚痴を申し上げましたが、烏合の衆なら烏合の衆なりに、どうにか戦う方法がないかとご相談に参りました」
 「え?あぁ、そんなこともありましたね」
 ・・・・・・まさか、言われて思い出した、なんてことはないだろうな?
 その言動の不審さに、思わず目を眇めた私を、ササライは穏やかな笑みを浮かべて見返した。
 「・・・・・・戦意ばかりが多くて、腕の立たない者達の訓練はその後、いかがですか?」
 まさか、手を打たないままになっているのではないだろうなと、かなり訝しげに問うと、彼は穏やかな笑みを浮かべたまま、自信ありげに頷く。
 「順調ですよ、一石二鳥作戦」
 なんてネーミングだと、私は呆けかけたが、ササライの状況報告を聞いているうちに、段々喜色を隠せなくなってきた。
 「では、この城にはもう、腕の立たない者はいないと?」
 「剣が未熟な者には、適性に合った紋章をつけさせました。
 集団戦闘においては少々、不安があるかもしれませんが、それは私達の指揮官としての技量次第でしょうね」
 「そこまでやっていただいたのなら、もう不安はありません。ササライ殿、ありがとうございました」
 深くこうべを垂れた私に、ササライは莞爾として頷く。
 「いいえ。私も、統率者としての腕を磨けましたから、お互い様です。ハルモニアではほとんど部下に任せきりでしたからね」
 ほとんど、ねぇ・・・と、私の傍らで、ナッシュが意味ありげに呟いた。
 「言いたい事があるなら、ちゃんと目を見て言ったらどうだい、ナッシュ?」
 ササライの言葉に、ナッシュは蒼くなった顔をそむける。
 そんな主従に、私は苦笑を浮かべた。
 「ではササライ殿、一気呵成に決着をつけましょう。正直言って、長い間大軍を擁する力はありませんので」
 「それがいいでしょう、クリス殿」
 ササライの了承も得て、私は軍師のもとに赴いた。
 未だ17才だと言う割りに、武人の私から見ても堅実な戦略を操る若い軍師は、大広間で難しい顔をしている。
 「勝利の秘策でも考えているのか、シーザー?」
 「クリス・・・」
 愁眉を開けぬまま、私を振り向いた彼に歩み寄る。
 「全兵権を預かる大将軍として、意見をしてもいいだろうか?」
 私にしては珍しい冗談口に、シーザーはわずかに首を傾げる。
 「ハルモニアのお坊ちゃんが、烏合の衆を使えるようにしてくれた」
 見開いた瞳が、光を湛えている。
 「ついでに資金の目処(めど)もついた。
 まぁ、ついたと言っても、軍を10日も動かせるか動かせないか、と言ったところなんだがな・・・。
 どうだ、やれるか?」
 既に頬にも赤味の差した軍師が、何度も頷く。
 「なんとかするさ!ありがとう、クリス!!」
 「それはササライ殿に言ってくれ。私は倒れて寝ていただけだからな」
 「ああ、もちろん!!早くみんなを集めなきゃ・・・・」
 部屋から駆け出して行ったシーザーを笑顔で見送ると、彼の代わりに入って来たアップルが不審げな顔を向ける。
 「どうかしましたか?」
 「出陣が出来るようになったので、喜んでいるんだろう」
 そう言うと、アップルも愁眉を開く。
 血は繋がっていないそうだが、よく似た反応をするのは、同じ道を歩む者故だろうか?
 サロメも、この事を報せれば同じ顔をしたのだろうかと思うと、シーザーを報せにやったのは惜しい気がした。
 「なぁ、アップル、私達は勝てるかな?」
 他愛ない考えに捕らわれていたからだろうか、ふと口をついて出た言葉に、私はうろたえた。
 「い・・・いや、もちろん、私は無理な戦いに挑もうと言うわけではないのだが・・・・・・」
 勝因のない戦をする者は、愚か者の最たるものだ。
 そう信じる私は、詮無いことを口にした事を悔やんだが、アップルは柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
 「勝てますとも。
 私達は有能な指揮官を幾人も抱え、何万もの精鋭を麾下に加えているのです。勝てないわけがありません」
 断言して、しかし、彼女はふと表情を曇らせた。
 「・・・・・・勝因のない戦いではありません。私だって軍師です。敗色の濃い戦をするつもりはありませんが・・・・・・」
 「・・・あなたの懸念は、『門の紋章継承戦争』と『デュナン統一戦争』に参画した者達がここにもいると言うことか?」
 私は、敵将の名を知らされた時の動揺を、まざまざと思い出していた。
 先の大戦に参加し、命を全うしたはずの戦士達が、人目もはばからず悲嘆したものである。
 案の定、私の問いに、アップルは愁眉を開けぬまま頷いた。
 「私達の敵となった人は常に、その二つの戦争を勝利に導いた者の傍らにいました。
 確かに、無愛想で口の悪い人でしたけど、信頼に値する、強力な魔道士だったのです。
 あの戦争に参画した人達が、往時は確かに仲間であった彼と戦えるものでしょうか・・・?
 いえ、戦うだけならまだしも・・・・・・」
 言葉をとぎらせた彼女の表情は、その続きを語っていた。
 戦うだけならまだしも、彼を殺せるものだろうかと。
 「・・・・・・行きたくないと言う者を、無理に連れて行くことはない。後衛で、奴の配下とでも戦ってもらおう」
 それを前提に、部隊を決めようと言った私を、アップルは安堵と不安と不満の入り混じった表情で見返してきた。
 「―――― 軍師殿。これからも戦いに身を置くおつもりならば、非情になるべきです。
 敗因となる者の排除くらいは、顔色を変えずにやっていただけますか?」
 笑みも浮かべずに言った私を、彼女はしばらく見つめて、深く頷いた。
 「よく・・・そう言われるのです。考えが甘すぎるのですね、私は」
 「血を流さない戦はない。人が死なない戦もない。
 武将や軍師と言うものは、敵と味方の両方に血を流させるものでしょう?極端に言って、味方の血が少なければ、名将とか名軍師と言う虚名がついてくるだけで、やっていることは変らないのだから。
 死を見つめる覚悟がないのなら、軍師なんておやめなさい」
 敵も私も、不死ではないのだ。
 命を捧げて刃上をよろめき渡る愚か者だけが、戦場を渡る資格を持つ。
 そう言うと、彼女は顔を深く俯けたまま、動かなかった。
 「・・・・・・わかりました・・・・・・いえ、わかってはいるのです―――― ごめんなさい」
 「ならば結構。
 顔を上げていただけますか?集まってくる者達が不審に思いますよ」
 「・・・・・・はい」
 わざと冷徹に言い放つと、アップルは悄然とした顔を上げた。
 「部隊編成を、検討いたしましょうか、軍師殿?」
 私の言葉に、アップルは無言で頷いた。


 思えば、アップルとの問答は、私にとって必要なものだったのかもしれない。
 『女だから』と言われるのは癪だが、確かにかつての私は、冷徹な判断力に欠けていた。
 騎士団の一隊長であれば、情愛あふれる上司のままでよかったかもしれない。
 だが、騎士団全体・・・今やゼクセン・グラスランド・ハルモニア連合の大軍を預かる身となった上では、わずかな甘さが命取りになる。
 総指揮官とはつまり、敵を滅ぼすだけのものではなく、味方を効率よく殺すものなのだ。
 戦いに赴く以上、軍を・・・人命を全うして帰ると言うわけには行かない。
 味方の血を流す量が少なかった、という事実が勝利の条件であり、『微量の流血』の中に入る人間が何千人といようと、敵に対してそれ以上の流血を強いていれば、それは『必要な義性』という虚名を与えられるのだ。
 ゆえに、戦とは国の存亡を賭けた時以外には興してはいけないものなのだと言うことが、今回の大戦で身に沁みた。
 トラン共和国を建てたマクドールも、デュナン統一戦争を勝ち残ったカナタも、そのことを遠く離れた場所から教えてくれていたのに、私は彼らから学ぼうともしなかったのだ。
 ―――― この戦いが終わったら・・・。
 私はこのところ、そればかり考えている。
 この戦いの間、私はグラスランドの事も少しわかりかけてきた。
 ゼクセンは評議会が実権を持つ連邦なので、すぐにかの地と和解することは無理かもしれないが、私がいつか、確固たる地位を築いた時には必ず、グラスランドとの友好関係を築こうと思う。
 私の考えに、真なる水の紋章を継承した者も、同調してくれるはずだ。
 そして、騎士団長が常に要塞に詰めなくてもよくなった時には、二つの大戦を勝利に導いた英雄達に会いに行こうかと思う。
 それには、彼らに力を与えた真なる風の継承者の想いを、知っておく必要があるだろう。
 彼がなにに絶望し、どうしてこんな暴挙に及んだのか、真なる炎を継承した者としても、知っておく必要があるように思えた。
 ―――― だがもしも、彼の絶望を知った私が、彼に同調してしまったら・・・?
 あり得なくもない事態のためにも、シンダル遺跡の布陣を破り、真なる火の紋章を取り戻した私は、ササライに同行を願い出た。
 彼ならば・・・・・・。
 ルックの目的を知りながらなお、我が軍に協力を申し出た彼ならば、ルックの絶望に呑まれた私を、顔色も変えずに消すだろう。
 彼の、半身であった弟と共に。


 真なる火、水、土、雷の紋章は取り戻したものの、シンダルの遺跡に満ちた五行の紋章の力は、神官などではない私ですら肌を粟立てる程に強力だった。
 触れただけで弾かれそうな力の中心に、一見平然と、その少年はいた。
 ―――― 顔を見るのは初めてだ。
 不気味な仮面を取り払った後の顔は、聞いてはいたが本当に、私の傍らにいるササライによく似ていた。
 だが、正面に立ち塞がる顔にも、ちらりと見遣った傍らのそれにも、さざなみほどの揺らめきもない。
 ―――― 細かいことを一々気にしていたら・・・・・・。
 先日聞いたばかりの言葉が、言葉自体の持つ重みとははるかに格差があったことに重い至った私は、暗然とせずにはいられなかった。
 長い生を生きると言うことは確かに、絶望と二人連れであるのかもしれない。
 だが、ルックと同じ道を征く事を拒んだ私は、絶望とすら共に征く事はできない。
 私は―――― 剣を抜いた。


 真なる紋章同士の激しい戦いに、脆い遺跡は崩壊し始めた。
 誰より早く、倒れた弟に背を向けたササライに釣られるようにして、私達はルックに――― 理想を実現しかねた少年に背を向けた。
 死神か創造神か――――。
 そのどちらにもなりそこねた少年は、どんな想いであの場所に倒れたことだろう・・・。
 永遠の生に対する、答えのひとつを示した少年に、私は胸の中で黙祷した――――――――。






 〜Fin.
















え〜〜・・・っと・・・・・・・・・・・・・・・(・ ・;)
す・・・・・・・・すみませ・・・・・ん・・・・・・・・・;;;;;
くれは、女子校に行ってました。
女子校では、結構頻繁に『百合ネタ』が交わされます。(もちろん冗談で;;)
そのノリでやっちゃってますので、アルマ・キナンの方々に対して、好意・好感・親しみを持ってらっしゃった方々にはお見せするのも申し訳ない事になってしまいました;;;
あと、クリスとナッシュのファンの方々にも、大変ご迷惑をかけております;;;
もし、『幻水3やってないけど見ちゃった;』という方がおられましたなら、決して、決して、決して決して決して決して!
本文はオリジナルとは全く関係のないことを申し上げておきます;;;;
だから絶対に絶対に絶対に絶対に!!
アルマ・キナンを『百合園』とか、クリスのことを『凶暴女』とか、ササライのことを『家事不適合者』とか言わないでください;;;;

そもそもこの話を考え始めたのは、ナッシュのクリスお迎えシーンなのです;;
『一度、お姫様を助け出すナイトの役をやってみたかったんだ』
『お姫様?私が?』
これを見た時、くれはの脳裏に、
『塔に閉じ込められたお姫様を助けにきたんですよ、ク
リス姫!』
の台詞が浮かんだのです!
やべぇ、はまる!!と思いながら、ゲームを進めていくと、アルマ・キナンのユイリが、旅の無事を祈るシーンが。
『おいおい、旅の無事っつったらお別れのキスだろー♪って、主人公はクリスか!』
その時は冗談でした。えぇ、冗談でしたとも!!
しかしその時期、私は平均睡眠時間5時間なんて、馬鹿なことをやっていたんですよ!!
冗談が妄想となり、妄想が文章となるまで、そんなに時間はかかりませんでしたっ!!
じゃあ、なんで今まで妄想が継続してるのって、言われますと、その時に
上書き保存しちゃったとしか言いようがないですネェェェ!!

それと、知っててやっている違いもあります。
『この時期、ビュッテヒュッケには行けないだろ!』とか、『どうやってこのメンバーで彼が仲間になるんだ!!』とか、『この時こいつはここにいないし!!』とか、『ここに行ったんじゃなくてあそこだろ!!』なんて突っ込みが激しいかもしれませんが、これは話の流れ上、こうやった方が書きやすかったってだけですので、あんまり気にしないでください;;;

こんな駄作ではございますけど、ここに至る前のゲームともども、楽しんでいただけたら幸いです(^^;)












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