Fleur de Fleurs
〜 花の中の花 〜









 ―――― 凪たる湖畔に咲き乱る 花々よりもなお鮮やかなるは花の中の花
 情なく 声なく ただ匂いたちては手を誘い 触れる者を傷つける ――――


 ハルモニアの神官将が訪ねて来ている、などと言う話は、少々前のクリスであれば、鼻で嘲って無視していた事だろう。
 かつてクリスを支配していた、ゼクセン風の狭隘な常識で考えたならば、そんな事は到底、否、絶対にありえないはずの事なのだから。
 しかし現実に、かの神官将の軍によってブラス城を攻囲していた軍は撤退し、未だ脆弱なゼクセン、グラスランド連合軍が救われたことは事実。
 その事実に対しては、礼を言わなければならない―――― 強大なハルモニアの、その真意を確かめるついでに。
 協力を受けた挙句、ハルモニア領にされていたのでは、ここで命を賭けた意味がない。
 「・・・・・・これがただの権力争いだったりしたら、洒落にならんな」
 呟きつつ、クリスは大広間の扉を開けた。
 ―――― ちなみにクリスが、ただのお家騒動だったかもしれない、と疑いを持つようになるのは、これから間もなくのことである。


 大広間に入った途端。
 クリスは扉を開け放ったまま、立ち止まった―――― 鼓動が大きく跳ねた。
 原因は、彼女のすぐ近くに立つ人物。
 今、その表情は精悍に引き締まり、きつく眉根を寄せてはいたが、それを除けばあどけない少年、と言ってもいいかもしれない。
 「・・・・・・?
 クリス様、こちらはハルモニアの神官将で、ササライ殿とおっしゃるそうです」
 サロメの声で我に返ったクリスは、低く『失礼』と呟いて、彼の傍らを通りぬけた。
 「私はゼクセン騎士団の団長で、クリス・ライトフェローと申します。暫時、この城に拠った兵をまとめています。お見知りおきを」
 素気ないほどの簡潔さで挨拶を済ませるクリスを、隣に立つサロメが訝しげに見遣る。
 が、彼女はサロメの視線に気づきもせず、ササライを凝視していた。
 否、彼ではなく、彼を彩る色彩に・・・。
 ――――・・・・・・お前の奥方は・・・・・・?


 「たとえて言うならバラか?刺のないバラはないって言うしな」
 吐息交じりに言うと、彼はワインの杯を呷った――― グラスランドの最端、チシャの村で名物ワインを楽しんでいた時だ。
 フレッドと案内ダック達が酔いつぶれ、意外と怪力だったリコが三人を、次々に寝室へと搬送して行った後のこと。
 なんとはなしに二人で飲んでいると、ふと、話題が途切れた。
 気まずい沈黙、と思ったのはクリスだけだったようだが、酒精の霞に覆われた頭が紡ぎ出した問いは、意外にも多くの話題を提供してくれた。
 「ナッシュ、お前の奥方は、どんな人なんだ?」
 「なんで?」
 聞いてどうする、と言外に問われ、クリスは杯に残ったワインを揺らしながら考えた。
 「そうだな・・・お前のような胡散臭い奴を伴侶としているくらいだから、人間としてとても優れた女性だと思う。見習いたいな」
 最後は笑声が混じり、流暢には言えなかった。
 そんなクリスに、ナッシュはちらりと苦笑すると、背もたれに身を委ねてしばらく考えていた。
 「・・・たとえて言うならバラか?刺のないバラはないって言うしな」
 「どんな例えだ」
 思わず吹き出しながらクリスは、ナッシュの空になった杯にワインを注いでやった。
 「どんな人だ、なんて聞き方をするあんたも悪いと思うぜ?例えば、あんたの恋人なり親友なりを全く知らない奴に、『どんな人なんだ』と聞かれたらなんて答える?」
 クリスの手から酒瓶を奪い、半分以上減った彼女の杯に注いでやりながら問うと、クリスも苦笑する。
 「そうだな・・・。確かに、バラのような女だ」
 彼女が思い浮かべたのは、ティントの大統領令嬢、リリィ。
 出会いは最悪だったにも関わらず、なぜか憎めない彼女を、クリスは気に入っていた。
 「すまなかった。では、質問を変えよう。
 奥方は、美人か?」
 笑い含みの問いに、ナッシュは軽く吹き出した。
 「そうだな。見る人間によって違うとは思うが、美人の内に入るだろうなぁ。
 俺とは5つしか違わないのに、年よりずっと若く見えるし、いつもニコニコしているから穏やかな性格だと思われているようだが、本性はかなり怖いぜ」
 「へぇ・・・。ナッシュは、奥方に頭が上がらなそうだな」
 「まぁな」
 てらいもなく肯定したナッシュに、クリスはまた笑声を上げた。
 今まで、彼女の周りにいた男達ならば決して言わないことを、彼はなんのてらいもなく言う。
 それが、彼女にとっては新鮮であり、多くの場合、笑みを誘われた。
 「では、奥方もやはりお前と同じ色の髪と瞳をしているのか?」
 自身の銀髪を梳きながらクリスが問うと、
 「いや?瞳は同じような色だが、髪は柔らかい褐色だ」
 言って、ナッシュはちらりと笑った。
 階級制が厳しいハルモニアの、いわゆる上流階級である『一等市民』は、多く、金髪碧眼であると言う。
 二等以下の市民との区別を明確にし、選民意識を向上させるにはうまい手かもしれない。
 その体制に、好感を抱くか否かは別として、だが。
 「有名みたいだな、その話」
 「・・・・・・ずっと、グラスランドと戦っていたからな」
 場所柄、囁くほどに声を低めたクリスに、ナッシュは軽く頷いた。
 ハルモニアにおいて、グラスランドなどに点在する獣人は奴隷扱いなのだと言う。
 ゼクセンでは、それが『捕虜』と、名を変えるだけだが。
 どちらにしても、人間に酷使されることに変わりはない。獣人族の、人間に対する確執と排他性には、そうなるだけの理由があるのだ。
 「・・・そうだな。じゃぁまず言っておくが、俺はもう、一等市民じゃない」
 もう、と言う言葉の意味に気づけないクリスではない。頷いた彼女に、ナッシュは苦笑じみた笑みを向ける。
 「もって生まれた色は変えようがないからこのままでいるが、既に一等市民じゃない男が誰をカミさんにしようと、文句を言われる筋合いはない。違うか?」
 気負いなく言ってのける毅さに、クリスはふわりと笑った。
 「違わない。
 ―――― だが、自分ではそう思っていても、周りが同じ目をしているとは限らない。
 その髪を別の色に染めていれば、お前の苦労も少しは減っただろうに、堂々と姿を現しながらも邪眼を退けたのは、お前の強さだな」
 「そんなに大げさなもんじゃないぜ?」
 さすがに照れくさそうに笑うナッシュを、クリスはやや靄のかかった瞳で見つめている。
 飲みすぎたのか、緩慢に瞬くさまに、ナッシュが杯を傍らにどけた。
 「さてと。姫はおねむのようですね。部屋に戻ろうぜ」
 「ん・・・?あぁ・・・」
 しばらく瞼を閉じていたことに気づいて、クリスは驚いたように何度も瞬いた。
 「すまない。飲みすぎたようだ」
 「あぁ。いいワインだ」
 クリスと同じ程は飲んでいるはずなのに、立ち上がったナッシュに酔いの気配はない。
 「・・・・・・酒には強い方だと、思っていたんだがな」
 「あぁ、そうみたいだな。フレッド達は早々と潰れていたし―――― どうした?」
 いつまでもテーブルに頬杖をついたまま、立ち上がろうとしないクリスをナッシュが訝しげに見おろすと、
 「・・・・・・・・・立てそうにない」
 ぽつりと、いやに憮然とした声が返ってきた。
 「・・・・・・っお手を・・・っどうぞ、姫様」
 笑い含みの声を睨みつけようとしても、視点が定まらない。
 「・・・・・・頼む」
 クリスが更に憮然としながら手を差し出すと、腕ごと捕らわれ、気づいた時には横抱きに抱えられていた。
 「ちょっ・・・ちょっと待て!!」
 「なに?」
 間近に迫ったナッシュの顔は、笑っている。
 「こっ・・・こんな時にからかうなっ!!」
 「からかってなんかないぜ?」
 「だったら下ろせ、無礼者!!」
 「いいけど、歩けるか?」
 ご要望に応じて、ナッシュがクリスを抱き下ろし、彼女が一歩踏み出た瞬間、
 「ほら、無理だった」
 目を回してうずくまったクリスに、ナッシュは苦笑した。
 「椅子から立てないほど飲めば、そうなるに決まってるだろ?」
 ぽんぽん、と、軽く肩を叩かれて、クリスは仕方なく腕を差し出した。
 「・・・・・・不覚」
 再びナッシュの腕の中に収まったクリスが、憮然と呟く。
 「いや、飲ませた俺も悪かったよ。久しぶりに、俺の相手を出来る人間を見つけたもんだから、つい深酒させちまった」
 「・・・・・・強すぎなんだ、お前は・・・・・・・・・」
 今まで、クリスは自分を酒豪だと思っていた。
 いくら飲んでも酔わないし、ブラス城の酒場で、最後まで立っていられるのもクリスだった。
 なのに、更に上を行く人間がいるとは――――。
 「井の中の蛙とはこのことだな・・・。なんて世間は広いんだ・・・・・・」
 「大げさだなぁ。単に、強い酒を飲み慣れていただけだって」
 何気ない言葉に、クリスは深く吐息する。
 「北国の人間は、みんなそうなのか?凄まじいな」
 「そうだなぁ・・・。
 まぁ、大半はそうなんだが、中には例外もあるな。うちのカミさんはその際たるもので、怒る、喚く、暴れる・・・・・・。
 まさか少々飲んだくらいで酔っ払うなんて思わないから、みんな何事かと固まったもんだ・・・・・・」
 彼の言う『少々』が、常人にとってどの程度のものかは想像もつかないクリスは、感心したように頷いた。

 「へぇ・・・。
 美人の醜態は殊の外凄まじいと聞くが、やはりそうなのか?」
 「美人と言うよりは、普段穏やかな人間の内側を見てしまった、って怖さだな。
 それがまた、結構な魔法の使い手なもんだから被害甚大で、後の処理が大変だったのなんの・・・・・・」
 くすくすと、傍らで軽く笑声が上がり、ナッシュは自分がしゃべりすぎたことに気づいた。
 「お前が、そんなに饒舌なのは初めてだな」
 「そうか?俺は今まで、自分を無口だと思ったことないぜ?」
 「自分の事を話すのは、初めてだ」
 これまで、滑らかに紡ぎ出される言葉の中に、彼自身を語るものはわずかもなかった。
 それが、今夜はクリスの問いに素直に応えてくれる。
 彼女は、更に笑わずにいられなかった。
 「酒の力はすばらしいな。いつも気障で、スカしてて、私をからかってばかりのお前がこんな顔をするなんて」
 「・・・どんな顔だよ」
 「自分で見ればいい。私の目に、お前の顔が映っているだろう?」
 すっと、白い手が上がり、ナッシュの頬をさらりと撫でる。
 「本当に・・・」
 クリスの、紫水晶の瞳に映った顔が、いたずらっぽく微笑むのを見ながら、ナッシュは間近に迫った珊瑚の唇に、自身のそれを重ねた。
 「酒って、いいよな」
 「なにを・・・するか―――――っっ!!!!」
 避けようのない距離で放たれた平手打ちに、ナッシュは膝を崩してしまう。
 そしてその体勢上、クリスを落とさないためには更に抱きつく形となり、そのどさくさに紛れて、彼女の胸に顔をうずめてしまったとしても、ここは仕方がない。
 「放せ、色情狂!!!剣の錆になりたいか!!!」
 「あのね・・・」
 腕の中でもがく彼女を不承不承手放したナッシュは、床に座り込んだクリスと視点を同じくした。
 「あの体勢で殴る奴があるかよ。危うく落とすところだったろ」
 「お前があんなことをしなければ、私だって殴ったりはしない!!」
 顔を真っ赤にして抗弁されると、返す言葉もない。
 クリスは、そんな彼の胸倉を掴んで引き寄せた。
 「奥方のある身で、不謹慎だとは思わないのか?!」
 「別に」
 こともなげに言って、クリスに引き寄せられるまま、ナッシュは再び彼女にくちづける。
 先程の、軽く触れるようなそれではなく、呼気を奪うほどの濃厚なくちづけに、クリスは涙すら浮かべた。
 「俺、嘘つきだから」
 やっと解放された直後の、その言葉に、クリスは容赦なく拳を叩きこむ。
 「ふっ・・・ふざけるなっ!!」
 床に這ったまま、ぴくりとも動かなくなった男に吐き捨て、クリスはよろめく足を叱咤して自室に駆け戻った。
 乱暴な音を立ててドアを閉めると、その場でへたり込んでしまう。
 「あいつ・・・・・・!」
 怒りで声が震える。
 声だけでなく、身体も。
 歯の根があわないほどに震える身体を抱きしめ、クリスは床の上にうずくまった。
 硬く、冷たい感触が、酒精と荒ぶる感情に火照った身体をわずかに冷やす。
 「なぜ・・・こんな・・・・・・」
 吐き捨てるように呟いた時、軽くドアを叩かれた。
 「おやすみ」
 ナッシュの、余裕に満ちた声がドア越しに届き、クリスは拳をドアに叩きつける。
 「くっ・・・・・・・・・」
 慌てた様子もなく、ゆったりと去る足音を聞きながら、クリスは扉に背を預けた。
 さっきから、うるさいほどに鼓動は高鳴り、それに同調するように頭痛がする。
 苦しげに眉をひそめ、瞼を硬く閉じて、引き寄せた膝に頭を預けた。

 ―――― なぜ・・・

 問いが再び、胸に芽生える。

 ―――― なぜ私に、あんな真似を・・・・・・・・・

 妻がいるのに。
 目的が達せられれば国に戻るくせに。

 私を・・・・・・・・・
 ・・・愛してなんか・・・いないくせに・・・・・・・・・・・・。

 これほどまでに悔しいのは初めてだった。
 今までも、クリスの周りには常に頭痛の種が溢れてはいたが、毅然と決断を下せていたのに・・・。

 ―――― なのに、これほどまでに思い悩むことがあるとは。

 クリスは、重く吐息した。
 あれほど深かった酔いも、醒めつつある。
 「忘れよう」
 自分に言い聞かせるように、きっぱりと言い放つと、腰の剣帯を乱暴に外した。
 「酔っていたんだ。絶対そうだ」
 靴を脱ぎ散らし、そのままベッドの中に潜り込む。
 「明日起きたら、全て忘れている!いいな?!」
 闇のわだかまる天井に向かって言い放つと、引力に惹かれた言葉が自身に降り注いでくる。
 それを確認して、クリスは再び硬く瞼を閉じた。


 ―――― 翌朝。
 普段と全く、寸分違わず、何事もなかったかのように朝食のテーブルについていたナッシュに、腹が立った。
 挨拶もせず、彼からもっとも離れた場所にある椅子を引いたクリスに、ナッシュは暢気そうに笑う。
 「どうした?機嫌悪いな」

 ―――――――――― は?
 今、この軽薄男はなんと言った?

 クリスは一瞬、自失したように声を失った。
 昨夜の事は結局、夜が明けても脳裏から払拭されることはなく、彼女は顔も知らぬナッシュの妻へずっと詫びていたのだ。
 ―――― 騎士団長であるクリスを、普通の女として扱う彼に、友情以上の感情を持ってしまったかもしれない。
 昨夜だって本当は、嫌じゃなかった。
 ただ、まだ見ぬ貴女の事を思い、わが身の罪を思い、あのような態度を――――。
 倫理にあらざることだと知っている・・・・・・知っているのに、子供のように我侭な心が叫び、抑えられない。
 気のない振りをして、そっと視線を外していることすら難しい。
 我が心の罪、倫理にあらざること・・・・・・。
 何度言い聞かせてももう、止まらない。
 夢に現れた貴女の姿を追い、暗闇に目覚めては何度も謝った・・・・・・・・・・・・・・・・のに!
 なんで元凶であるこの男が、暢気にモーニングコーヒーなんぞすすっているんだ?!
 剣呑な光が宿った目で睨みつけると、ナッシュは心持ち首を傾げた。

 「・・・・・・?
 あぁ、紅茶だろ!
 大丈夫、コーヒーを飲んでいるのは俺だけだから。このポットの中身は紅茶だぜ?」
 全っ然見当違いな事を言うナッシュに、リコがくすくすと笑いをもらす。
 「変わってますよねぇ、ナッシュさんは。朝からコーヒーなんて飲んでいたら、胃がもたれますよ?」
 「俺の周りは紅茶党ばかりなんでね、旅に出た時くらい、コーヒーが飲みたいもんなんだ」
 「そんな、苦いばっかりの汁より、僕はジュースの方が好きだなぁ」
 言って、案内ダックの一羽はジャムとバターと蜂蜜をたっぷり塗りたくったトーストをほおばった。
 「甘いものばかり食べているから、そんなに太るんだぞ、レット」
 「ワイルダーはそんなに辛いものばかり食べているから、痩せるんだ」
 焼きたてのベーコンとスクランブルエッグが隠れるほど黒胡椒を振りかける相方にレットが眉をひそめると、同席の同行人達が一斉に笑い出す。
 が、その中でもクリスは憮然と口をつぐんで、ミルクティーのカップを唇に当てていた。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
 クリスさん、本当にどうかしたんですか?」
 気遣わしげなリコの言葉に、ナッシュがはたと手を叩いた。

 「わかった!オンナノコの日だな?」
 親父そのものの台詞を嬉しげに話すナッシュに、クリスは手元のナイフを投げつける。
 「すまん。手が滑った」
 精確な狙いをもって放たれたナイフは、テーブルに置かれたナッシュの手から、1mmの場所で震えていた。
 しん・・・と、静まり返る一同に囲まれて、ナッシュがえへらっと暢気に笑う。
 「・・・・・・・・・・・・ごめん、クリスちゃん。俺、なんかした?」
 とにかく先に謝っておけ、というあさましい心根が見え見えの態度に、クリスの柳眉が微妙な曲線を描く。
 「別に」
 ・・・それが別にって態度か?
 全員が思っただろうが、それを口に出せる者はいなかった。
 「・・・・・・く・・・クリスさん・・・・・・・・」
 遠慮がちに袖を引かれて、クリスは傍らに座るリコを見る。
 「・・・・・・鎮痛剤、持ってますよ」
 耳元で、小さく囁かれた言葉に、クリスは辛うじて自制した。


 「あの・・・・・・重いんですけど、騎士団長様・・・・・・・・・」
 「やかましい!!」
 ササライと共にビュッデヒュッケ城を来訪した数刻後、黄昏の湖畔に呼び出されたナッシュは、出会い頭にドロップキックを食らわされ、地に這ったところを重装備のクリスに踏みつけられていた。
 「碧眼の!褐色の髪の!!酒乱の美人妻とは彼のことか?!」
 「しゅ・・・酒乱とか、言ったっけ、俺?」
 「よくも私を騙してくれたな!!貴様が余計な事を言った上に不埒なことをやってくれたせいで、私がどれほど思い悩んだか!!死んで詫びろ!!」
 激昂したクリスが、ナッシュを踏みしめる足に全体重をかけていく。
 「いてててててっ!!マジ痛いって、クリス!!」
 「お前のせいで、こんな大変な時に随分と集中力を奪われたんだ!」
 情けなく悲鳴を上げるナッシュを、容赦なくいたぶりながら、クリスはぶつぶつと文句を言いつづけた。
 「私が英雄になってしまったのも、こんな烏合の衆をまとめているのも、しなくていい苦労をしているのもっ!!全部全部全部お前のせいだっ!!」
 「それは・・・・・・八つ当たりだな?」
 冷静に突っ込まれて、クリスはこくんと頷く。
 「その通りだ」
 言うや、足下に踏みつけていたナッシュを解放し、ぺたんと地に座り込む。
 「まったく・・・ヘルニアになったらどうするんだ。腰は男の命なんだぞっ」
 憮然と呟きつつ、起き上がったナッシュは、クリスがじっと自分を見つめているのに気づいて、彼女と視点を合わせた。
 「どうした?なんかヤなことでもあったか?」
 ナッシュが幼い子供にするように、クリスの頭をくしゃくしゃとかきまわすと、彼女の、きちんとまとめていた銀髪が、わずかに乱れた。
 「なぜ?」
 徐々に濃度を増してゆく空の色にまぎれ、白い顔が描く表情は曖昧になっていたが、その声はわずかに震えている。
 「初めて会った時と、同じ顔をしている」
 言って、ナッシュはわずかに苦笑した。

 「敬愛する人を喪ったのに、責任が重たくて、預かった命が重たくて、悲しむこともできない。なんの変哲もない夕陽すら見ることができない、って顔」
 ぴくりと、微かに震えた肩に、ナッシュは大きな手を添えた。
 「無理をするな、クリス。お前が全部背負い込む必要はない。
 ここに集まった連中は、お前のみを頼りにしているわけじゃないんだから・・・な?」
 この場に拠ったのは、自ら立つ足を持ち、自ら拠る意志を持つ者達。
 自主自立の人々をまとめる者は、鮮明なる旗幟(きし)の元、征くべき道を指し示すのみ――――。
 そう繰り返し、ナッシュは自らの腕の中にクリスを収めた。
 されるがまま、おとなしく抱きしめられたクリスは、おずおずと甲冑に覆われた腕をナッシュの背に回す。
 「嘘つきは・・・・・・嫌いだ・・・・・・」
 「うん、悪かった」
 「置いていかれるのも、大嫌い」
 「うん・・・・・・・・」
 腕の中に収まったクリスを見下ろして、ナッシュは苦笑した。
 真なる火の紋章を継承した直後、倒れた彼女に一言もなく姿を消したのは、さすがに可哀想だったかと。
 「ジンバ・・・・・・いや、ワイアット卿が亡くなったそうだな」
 「・・・・・・・・やっぱり。彼が私の父だと知っていたんだな?」
 「あぁ」
 クリスの問いを予測していたのだろう。ナッシュはあっさりと認めた。

 「ワイアット卿が失踪する直前、会った事があるんだ・・・・・・覚えてないだろうけど、まだ小さかったあんたにも会った事があるんだぜ?」
 わずかに身を離し、目を見開いてナッシュを見上げるクリスに、彼はいたずらっぽく笑った。
 「彼が、真の水の紋章の継承者であることも知っていたけど、当時は俺もハルモニアに追われる身でね。
 おせっかいにも、彼を逃がす手伝いまでしたもんだから、あの厳格なゼクセンの軍師様にも信頼をいただいているわけさ」
 「そうか・・・・・・・・・・・」
 だからサロメは、彼について行くよう、それとなくクリスを促したのだ。
 「なぁ、小さい頃の私って、どんな子供だった?」
 ふと、思いついて問うと、ナッシュは心持ち首をかしげて、しばらく考える素振りをする。
 「そうだなぁ・・・・・・・・。白くて、小さくて、よく笑う・・・ジャスミンの花みたいだったかな?」
 「―――― どういう例えだ」
 クリスは笑い出した。
 あの時、チシャの村で二人、飲んでいた時の記憶が鮮やかによみがえる。
 「・・・そうだ。あの時お前は、ササライ殿をバラに例えたよな?今の私はどうだ?やはり、バラか?」
 艶やかに細められた紫の瞳に、苦笑を浮かべたナッシュの顔が映る。
 「そうだなぁ・・・。大きくなった姫君は、白百合のように純粋で、清らかに見えますよ?」
 「よりによって百合か?今の私は、真火の紋章を継承した英雄だぞ?」
 先程とは比べ物にならないほど、気負いのなくなった顔で笑いながら、クリスは訂正を求めた。
 「ワイアット卿は、あんたに真水の紋章を受け取って欲しかっただろうな。そしたら花なんかじゃなく、海のようだと言ってやったのに」
 「海?なぜ?」
 「いい女には、海のように深い謎が秘められているものなんだぜ」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よくもまぁ・・・・・・そんなことを平然と・・・・・・・・・・・・」
 呆れるクリスに一言、『気障ですから』と囁き、ナッシュは薄闇に覆われてなお、淡い彩りを浮かべる唇に自身のそれを重ねた。
 「今度は、殴らないんだな」
 「・・・やっぱり、酔ってなんかなかったんだな?」
 じわりと低まった声に、ナッシュは慌てて目をそらす。
 「い・・・いや、あんたの態度から、覚えてないって事にした方がよさそうだなぁって思って・・・・・・・・・・」
 「ナッシュ」
 にこりと、慈愛深く微笑んだ顔を、ナッシュは随分昔にも見たことがあった。
 女性が心底怒り、報復を与えようと思っている時の、神々しいまでの笑み・・・・・・。
 「なぁ、ナッシュ。お前の姓は、一体どっちなんだ?ラトキエと、クロービスと」
 「ラトキエ・・・・・・だけど・・・・・・・・・・・?」
 下手に逆らえばなにをされるかわからない、という恐怖に、ナッシュはつい、本当の姓を答えてしまった。
 「そっか。わかった、ありがとう」
 「へ・・・・・・?」
 暴力沙汰を覚悟していたナッシュが、拍子抜けしたように力を抜いた隙を突いて、クリスはすらりと立ち上がる。
 「じゃ、私はまだ仕事が残っているから。あんまり深酒するなよ」
 「クリ・・・ス・・・・・・・・?」
 足取りも軽く去って行くクリスの背を、ナッシュは呆然と見送った。


 翌朝、空はきれいに晴れ渡っていた。
 騎士団の主だった者達を引き連れて、大広間に下りてきたクリスは、丁度大階段の真下で、エレベータから出てきたばかりのナッシュと鉢合わせた。
 「おはよう、ナッシュ。いい天気だな」
 「あ・・・あぁ・・・。おはよう」
 不気味なほど機嫌のいいクリスに、ナッシュだけでなく周りの騎士達も戸惑いを隠せない様子だ。
 「今日は、お前に渡したい物があるんだ」
 にこぉっと笑った顔は、とてもかわいらしいだけに、不気味すぎた。
 「な・・・なにかな・・・・・・・・・・・・?」
 かなりの修羅場を潜り抜けてきたナッシュの本能が、危険を察知して逃げろと叫ぶ。
 だが、それとなくあとずさろうとしたところ、
 「お前達、彼を捕まえていてくれ」
 さらりと放たれたクリスの命令により、屈強な騎士達に囚われてしまった。
 早朝の大捕物に、朝食に向かう城の面々が興味津々と集まってくる。
 「・・・・・・・・・・・・・・あの・・・・・・なんで・・・・・・・・・・?」
 とりあえず口八丁で逃げてみようかと、両脇をレオ、ボルス、ロラン、パーシヴァルの4人に捕らわれたナッシュが理由を問うと、クリスは少女のようにくすくすと笑った―――― いたずらを企んでいる子供そのものの笑顔で。
 「そのまま、捕まえていてね」

 にこやかに言い、軽やかな足取りでナッシュの前に進み出たクリスの頭が、いきなり下がる。
 ざわ・・・・・・・・。
 彼らを取り囲むように集まっていた人々の口から、異口同音に驚愕の声が漏れ、騎士達の、ナッシュを捕らえる腕に力がこもった―――― クリスが、ナッシュの面前に膝を屈したのだ。
 「・・・・・・なんで・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
 一様にぽかんと口を開けた5人の男達の中で、最初に意識を取り戻したナッシュが呆然と呟くと、クリスはゼクセン特有の、硬くはっきりとした発音で応えた。
 「ゼクセン騎士団団長にしてライトフェロー家当主、クリスティアーネ・フォン・ライトフェローは、ナッシュ・ラトキエに対して婚姻を結ばんと欲するものである。
 願わくば、この証を受けたまわんことを」
 言うや、クリスは手にもっていた壮麗な造りの箱にかけられていた封印を解き、中に入っていた物の姿を皆の前に現した。
 「ぎっ・・・・・・・・銀のバラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
 「そんなばかなっ!!!」
 絶句したレオの言葉を否定するように、ボルスが哭かんばかりに絶叫する。
 ゼクセンの上流階級において、純銀で造られたバラの造花は、正式に結婚を申しこむ時の必需品、いわば、結納品である。
 これは冗談などではなく、本気で求婚しているのだと知らしめるには十分な効果を果たすものだった。
 「受け取っていただけますか?」
 にっこりと笑って、クリスが箱ごと差し出した銀のバラを凝視したまま、ナッシュは動けない。
 「あ、お前達。もう放してくれていいぞ」
 ナッシュが硬直している原因を、騎士達が捕らえたままでいるからだと解釈したクリスが低い場所から命じたが、彼らも硬直したまま、動きがとれずにいる。
 「どうした?」
 「・・・・・・どうしたもこうしたもあるかい」
 きょとん、と首を傾げたクリスに、ナッシュが憮然と呟く。
 「一体、どういうつもりだ?」
 年の功か、ナッシュは言葉を紡ぐ毎に、だんだんと落ち着きを取り戻していった。
 「どういうつもりも何も、やったことの責任はとろうと思って」
 「責任ッ?!」
 「・・・・・・ナッシュ殿。あなたは一体、クリス様になにをされたのですか?」
 ナッシュの右でボルスが激昂し、左でパーシヴァルが冷気を纏う。
 「せっ・・・責任って・・・!!誤解を招くようなことを言うなよ、クリス!!」
 「誤解も何も、あぁいう仲になった以上、結婚して責任を取るのが騎士たるものだろう?」
 「どういう仲だ?!」
 ナッシュを捕らえていた騎士達が一斉に抜刀した。
 「うちの純情な騎士団長に!!」
 「可憐なクリス様に!!」
 「俺が狙っていたのに!!」
 「絶対パーシヴァルには負けないと思っていたのに!!」
 「横から掻っ攫うとは卑怯なり!!」
 見事に調和した声で宣言し、剣が、斧が、矢が、一斉にナッシュに向かった。
 「え・・・?ちょっと、やめなさい!!」
 クリスの制止も、今度ばかりは聞こえないふりをして、騎士達は得物を振るう。
 「どっちが卑怯だ・・・っての!!」
 37歳とは思えない運動能力で、4人の第一撃を避けたナッシュに、観衆から拍手が沸いた。
 「ナッシュさん、がんばって――――!!!」
 「レオー!!!ナンパ男をいてまえ――!!!」
 「パーシィ様ぁぁぁぁ〜〜!!ファイトぉぉぉ〜〜!!!」
 「ボールースッ!!ボールースッ!!」
 「ロランさぁ〜ん!!素敵―――!!」
 朝からハイテンションな城の住人達から、熱い声援も沸く。
 そのさなかで、

 「やめろと・・・・・・」
 クリスが抜刀し、
 「卑怯だと・・・・・・」
 ナッシュが手近にいた者達から二本の剣を奪って、
 「言ってるだろうが!!」
 大喝とともに4つの凶器を受け止め、弾き返した。
 「おぉ―――――――――――!!!!」
 「ナイス・ハーモニー!!」
 「ビューティフル・シークエンス!!」
 「ブラボ――――――!!」
 一流の戦士達の、舞にも似た剣技に、観客から更に拍手が沸く。
 「なんだ、ナッシュ。剣も使えたのか」
 「そりゃ、一通りやっておかないと生き残れないしね」
 一瞬、背中を合わせた二人は弾きあうように離れ、鋭く踏み込むと、頭に血がのぼった騎士達の武器を叩き落とした。
 「勝負あり!そこまで!」
 大階段の上から声がかかり、二人は剣を納めて、吹き抜けになった階上から見下ろす人物に一礼した。
 「見事な剣技でした、クリス殿」
 白い手すりにもたれ、軽く拍手をする神官将に、クリスは微苦笑を浮かべる。
 「お見苦しいところをご覧に入れました、ササライ殿」
 クリスが階上に向かって呼びかけると、彼は拍手をやめ、手すりに頬杖をついて笑った。
 「いいえ。すばらしいものが拝見できました―――― ねぇ、ナッシュ」
 呼びかけられたナッシュが、びく、と震えたのを、クリスは見逃さない。
 彼女が改めて見遣った神官将は、穏やかに微笑んでいたが、その碧眼は全く笑っていなかった・・・・・・。
 ―――― 穏やかな人間の内側を見てしまった、って怖さだな・・・・・・
 以前聞いた、ナッシュの言葉を思い出して、クリスの背に冷たいものが走る。
 「クリス殿」
 「は・・・はいっ」
 静かに呼びかけられたにも関わらず、まるで大喝されたかのように身を震わせて、クリスはゆっくりと大階段を降りてくるササライを迎えた。
 「ご存知でしょうが、ナッシュは私の、有能な部下の一人なのです。取られるのは困りますね」
 ―――― コレは便利な下僕なんだから、取るなんて許さないよ。
 そんな、彼の心の声が拾えたのは、クリス達だけだったろうか?
 いや、彼が段を下るごとに、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まっていったところを見ると、幻聴を聞いたのは彼女達だけではなかったようだ。
 しかしクリスも、英雄と呼ばれた女。
 陰険神官将の嫌味に屈して意志を曲げるなどということは、思いもしない。
 クリスはあえてササライの前に進み出ると、にっこりと笑ってナッシュの腕に絡みついた。
 「ご心配なく、ササライ殿。私は彼を、拘束するつもりなんてありませんから」
 「では、貴女がハルモニアに嫁いで来られるのですか?」
 歓迎しますよ、というにこやかな申し出と、いまだクリスの周りにたむろしていた騎士たちの形相は、あまりにも見事な対比だった。
 そんな、彼らの心裡をおもんぱかってか、はたまたあくまで自身の意見を押し通す強い意志があってか、クリスはササライの問いに、きっぱりと首を振った。
 「いいえ。私は結婚後も騎士団長を続けるつもりです」
 「・・・・・・・・・と、おっしゃいますと?」
 ササライの碧眼がすっと細まり、瞳中に宿る剣呑な光が強さを増した。
 「亭主元気で留守がいい、って言うじゃありませんか」
 ざわり、と、再びざわめき出した観衆の中で、既婚、妙齢の女性達が何度もうなずきを返す。
 「まぁ、身分と役職から言って、『亭主』は私の方かな、って思うんですけど!」
 途端、ササライの笑みが深くなり、観衆を含め、その場にいた全員が凍った。
 真水の紋章をもってしても、ここまで見事に場を凍らせることはできないに違いない。
 「へぇ・・・・・・・・・。面白いことをおっしゃるんですね、クリス殿は」
 「そ・・・そうですか?まじめ過ぎて冗談がわからないって、よく言われるんですけど・・・・・・」
 「ご謙遜を」
 ・・・・・・・・・怖いんですけど。
 恐怖のあまり、クリスは本気でナッシュの腕にしがみつき、そんな彼に、騎士たちの鋭い眼光が降り注いだ。
 「じゃぁ、ナッシュ?君はどうなのかなぁ?この求婚を、受けるつもりはあるのかい?」
 ―――― よもや『諾』とは言うまいな?
 表情、口調、声音。
 その全てが彼の真意を伝えていながら、見た目はあくまで穏やかだ。
 一体、どんな風に育てばこんなに捩じれた人間が出来るんだろう・・・・・・。
 改めて、ハルモニアという国の、闇の濃さを思ったクリスだった。
 そして、ササライという人間の恐ろしさをよく知るナッシュも、彼のご命令のままに、この厄介な問題から逃げられるのなら、それに越したことはないのだが・・・・・・。
 観衆の目は、今やナッシュにのみ注がれている。
 彼の答えを、固唾を飲んで見守っているのは、クリス様親衛隊の面々も同じだった。
 ただ、彼らが他の観衆と違って複雑なのは、ナッシュのように胡散臭い、嘘吐きで軽薄なナンパジジィにクリスを渡してなるものか、と息巻きつつも、クリスが大衆の面前で求婚した以上、すげなく断ってクリスに恥をかかせでもしたらすぐさま斬殺、と考えているところだ。
 そんな彼らの思考を、哀しいことにナッシュは、痛いほど読めていた。
 どちらに転んでも、不幸が訪れる最悪の選択。
 出来るだけ酷い目に遭わない方を選ぶ、などという甘えは許されない。どちらにしても、ゼクセン騎士団の精華と呼ばれる騎士達の相手はしなければならないのだから。
 「ほ・・・・・・」
 「保留、なんて言ったら殺しますよ?」
 特別な訓練をしたナッシュにしか聞こえないほど低く、小さな声でパーシヴァルが囁く。
 「ここはなんとか言いくるめて、後で自分の都合通り、なんてのもいい感じはしないなぁ・・・・・・」
 同じ経験でもあるのか、ナッシュの考えていることを先取りし、牽制してくるあたり、彼もかなり歪んでいる。
 八方塞がりの状態で、ただ硬直しているナッシュを、少し離れたところから興味津々と見ていた少年達が囁きあった。

 「・・・・・・なんか・・・ドラマみたいですね」
 「うん。離婚を迫る愛人と、激怒の本妻ってカンジ」
 トーマスとヒューゴがクスクスと笑っていると、それを聞きとがめたルシアがぎり、と目を吊り上げ、観衆を掻き分けて輪の中心に入るや、大きく手を叩いた。
 「さぁ!後は本人達の話し合いで決めることだよ!みんな、散りな!」
 途端、沸き起こったブーイングを、鋭い眼光で黙らせる。
 「これ以上は、子供達には目の毒だ!さっさと食堂にお行き!!」
 「えぇ〜〜〜!!!」
 「おだまり!早く食堂に行くんだ!」
 子供達をも叱り付けて、ルシアはあっという間に観衆を散らしてしまった。
 「・・・・・・あんた達も関係ないだろ。さっさと行きな」
 「関係あります!!おれはゼクセン騎士団の風紀委員長なんですから!!」
 「私も、人事部長として騎士の婚姻を確認する義務があります」
 「おれは保護者代わりだ」
 「ボディガードです」
 いい年をした大人のくせに、親の再婚を邪魔する継子のようだ・・・・・・。
 「とっとと散れ!!」
 ルシアが女王様のように振るった鞭に蹴散らされ、騎士団の面々が逃げ去ると、クリスはどこか感心したようにうなずいた。
 「ふぅん。今の風紀委員長と人事部長はボルスとパーシヴァルだったのか」
 「把握しとけよ。団長だろ?」
 騎士達が去って、少しは懸念が晴れたのか、ナッシュが苦笑する。
 「私がグラスランドに行く前は、他の者がやっていたからな。役職が変わったとは聞いていなかった」
 「・・・・・・騙されたって、気づけよ」
 ぽんぽん、と、軽くクリスの頭を叩く様に、ササライが笑みを収め、それはそれは不機嫌そうに吐き捨てた。
 「僕の前で、いちゃいちゃしないでくれる?」
 その、殺気をも纏った低い声に、騎士達を蹴散らしたルシアまでも凍る。
 「―――― で?どうするのさ、ナッシュ?まさかと思うけど、助けてもらった恩を忘れて、ゼクセンに亡命しようなんて思ってないよね?
 クリス殿も、冗談のつもりだったら今すぐやめてほしいんですけど。
 潜入先で女性問題起こすようないい加減な下僕でも、いないよりはましなんですよ」
 ―――― 言いたい放題デスネ・・・。
 だが、ナッシュには言い返すことが出来ない。
 もしも誰かに、『ササライに借りを作るのと、『吼え猛る声の組合』を敵に回すのとでは、どちらが安らかに眠れるか』と問われたなら、彼は『組合全員を敵にまわす方』と即答するだろう。
 ササライに臣従して10年。
 彼という人間を一言で表すには『暴君』という言葉が一番いい、という事実を知るには、十分な時間だった。
 しかし、
 「冗談などではない!」
 暴君ではないにしろ、クリスも立派に女王だ。
 「私は、私の意志と都合と状況をかんがみて、彼を選んだのだ!そう言ういい方は無礼だぞ!」
 「人の物を盗る事は無礼じゃないのか?」
 「略奪愛も立派な愛だ!」
 ―――― なんだか本当に、本妻と愛人の喧嘩になってきた様子だ。
 「―――― ちょっと、アンタたち!」
 自身の怒りによって解凍されたルシアが、つかつかと言い争う二人に歩み寄り、
 「この城には子供もたくさんいるんだ!略奪だの本妻争いだのは――――!!」
 大広間の扉を開いて、醜い争いを繰り広げる二人とナッシュを部屋の中に蹴り入れた。
 「子供達の目に付かないところでおやリ!!」
 大喝と同時に扉が、激しい音をたてて閉められる様を、大広間に蹴りいれられた三人は呆然と見つめていた。
 「さすがは親と言うべきか。子供を優先する辺り、立派な大人だ」
 「―――― それを認めるに、やぶさかではないよ」
 「ササライ様、思いっきり顔が引きつっていますよ・・・」
 ナッシュのささやかな突っ込みに、ササライがむっと眉を寄せる。
 「三人になったことだし、話をつけようじゃないか」
 「望むところだ!」
 「・・・・・・一応、結託してるんですから、せっかくの同盟を崩すようなことは・・・」
 「黙れ」
 二人から睨まれ、ナッシュが言葉を失う。
 「ではまず、僕から言わせてもらうけど、コレの命は僕があがなったんだ。神殿に盾突いた貴族連中の、指導者的存在だった家の長男だったのに。
 刃傷沙汰を起こして追捕されていた事実をもみ消し、かくまい、追手を封じてあげたのは誰?
 はっきり言って、僕が君を助けてやる理由なんて、全く全然きれいさっぱり皆無なんだよ!」
 「ただの好意でやったことだとでも言うのか?違うだろう!」
 神官将の傲慢な物言いに、クリスが反駁する。

 「自分の権力を増すための工作に利用しなかったと、誓って言えるか?!」
 「僕は清廉潔白な聖人じゃないんだよ!ボランティアなんて大っ嫌いだね!!」
 ――――・・・・・・なにもそこまで断言しなくても。
 「こ・・・こんなのが権力を握っているなんて・・・・・・!!ハルモニアに神はないのか!?」
 「だろ?俺が無信心になったのも、ひとえにこんな聖職者たちのせいなんだ」
 「自分の不運を人のせいにしないでくれる?」
 きっぱり言われて、ナッシュが絶句する。
 「クリス殿、忠告させてもらうけど、こんなのと結婚したっていいことないよ?ハルモニア有数の名家だったラトキエ家を潰したって、そりゃあ評判悪いし、親族の中には今でも、コレを殺してやりたいって思っている人間はたくさんいるんだから。
 ライトフェロー家をそんな危険に巻き込みたい?」
 「できるものか!私は、我が領地の領民とゼクセン騎士団の騎士達全員の生活に責任を持たねばならないのだ!家を潰すなど、絶対にできない!」
 旧悪を暴き立てるササライと、当主の責任を論じるクリスの傍らで、ナッシュは撃沈されていた。
 「どっ・・・どうせ俺はっ・・・感情にまかせて家を潰した愚か者・・・・・・・・・っ!!」
 「まぁ、おかげで民衆派を潰せたし、神殿派をより強力にした功績で、僕の権力は増したけどね」
 「前から思っていたけど、本当に鬼ですよね、あなたは・・・・・・!!」
 がっくりとうなだれたナッシュを一瞥し、ササライはクリスへと勝利の笑みを向けた。
 「そう言うわけで、コレは僕に、一生かかっても返せない恩を受けているんだ。お嬢ちゃんはとっとと引き下がって、誰か適当な男とでも結婚してください―――― その折りには、ハルモニアからも祝電くらい送りますよ?」
 「くっ・・・・・・!!」
 傲慢な本妻に、この手の問題に関しては小娘以下のクリスは、返す言葉もない。
 刺だらけのバラの前に、白百合は敢え無く敗退するかと思われた時、
 「では・・・・・・参勤交代制っていうのはどう?!」
 「・・・・・・・・・・・・は?」
 ハルモニアの主従が、聞きなれない言葉に訝しくクリスを見遣る。
 「つまり、一年間ゼクセンに住んだら次の一年間はハルモニアで過ごす、という風に、一年ごとに住居を替えるんだ」
 「あのね、クリス殿。僕はそう言うことを言ってるんじゃなくて・・・・・・」
 憮然としたササライの言葉を、クリスは手を上げて制した。
 「一年間、必要経費を払う必要がないんですよ?」
 ササライの、反駁しようという意志が急速に薄らいで行く。
 「それだけでなく、ゼクセン、グラスランド、デュナン、トランのいずれに調査に赴く時も、ゼクセン騎士団団長の紋章&サイン入り通行証をプレゼント!」
 これはもちろん、アイドル謹製プレミアムグッズなどではない。
 ゼクセン騎士団長が身元を証明する、という証拠であり、それだけでなにも怪しまれることなく、ほとんどの関所を通行できてしまうのだ。
 「うーん・・・・・・」
 さすがに心を動かされたか、ササライが唸る。
 「でも、関所くらいなら偽造通行証でも十分なんだよねぇ」
 もう一声、と、言外に催促するササライに、クリスは苦々しく頷いた。
 「わかった・・・・・・本人への年俸の他、移籍料に1000万ポッチ!」
 「売った!」
 「待て」
 ナッシュが、クリスよりもなお、苦々しげな声をかける。
 「人を勝手に売買するな!!」
 「売買じゃない、移籍だ。
 ササライ殿、移籍料を払う以上、彼の身柄は私が預かってもいいですね?」

 「・・・・・・あんた、最初は求婚してたんじゃなかったのか?」
 「その通り。だからこうやって、一所懸命に交渉しているんじゃないか!」
 問題が色恋沙汰とは思えないほど色気のない返事をするクリスに、ナッシュががっくりと肩を落とす。
 「そう言うわけで、私の嫁になってくれ。大丈夫、不自由な思いはさせないから!」
 「・・・・・・男らしいプロポーズに、涙が出るね」
 「安心しろ。ウェディングドレスは私が着る」
 「そんな心配するかっ!!」
 「そうそう。それに、安心といえば・・・・・・」
 すっかり普段の微笑を取り戻したササライが、楽しそうに手を打った。
 「あと5年もすれば、クリス殿は晴れて未亡人になられるでしょうし」
 「言われてみれば、短命そうですね、こいつ」
 「勝手に人の享年を42歳にするんじゃないっ!!」
 「じゃぁ、40歳」
 「勝手に2年も縮めるな!!」
 「なんだ、細かい男だな。2年くらいの違いでがたがた言うな」
 暴君達の暴言に、ナッシュは頭を抱えずにはいられない。
 「ナッシュナッシュ!」
 そんな彼の袖を、クリスがいいことを思いついた、といわんばかりに引いた。
 「大丈夫!私が守ってやるから!」
 その台詞に、ナッシュは魂を抜かれたように倒れ伏し、ササライは彼らしくもなく吹き出して、他に観客のなかったことを惜しんだという。


 穏やかに微笑むササライと笑み崩れたクリス、そして、彼女が引きずっている、死んだようにぴくりとも動けずにいる物体は、大広間から出てくるやいなや、一斉に城内の人々から取り囲まれた。
 そんな、荒波となった群衆を掻き分けて、一人の少年が二人と死体の前に陣取る。

 「ビュッデヒュッケ壁新聞記者のアーサーです!!本日、クリス・ライトフェロー氏はナッシュ・クロービス(本名ナッシュ・ラトキエ)氏に対して求婚されましたが、お相手の上司(一説によると本妻)であられるササライ氏の承諾は得られたのでしょうか!?」
 聞くまでもなく、二人の穏やかな表情が語っているようなものだが、あえて取材という形を取ったアーサーに、ササライとクリスはにっこりと微笑みかけた。
 「移籍成立」
 観衆が、絶句したのも無理はない。
 「えぇっ?!ドラフト会議だったんですか、今の?!」
 「銀のバラまで用意しておいて、ドラフト会議?!」
 ほっとしながらも、団長の大ボケに絶叫せずにはいられない親衛隊の面々にクリスは、ややはにかんだ様子で笑った。
 「結婚も許してもらっちゃった」
 「やっぱり殺す―――――――――!!!」
 またもや刃傷沙汰を起こしそうになった騎士達を、ルシアが鞭を鳴らして牽制する。
 その様は、まさに猛獣使い。
 「騎士ならば、団長の決めたことに文句を言うんじゃないよっ!!」
 一喝されて黙りこんだ騎士達はさしずめ猛獣か。
 「応援ありがとう、ルシア!ナッシュはきっと、幸せにして見せる!」
 「・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
 なんだか変な言葉を聞いた、とは思ったが、ジンバが亡くなって以来、ずっと塞ぎ込んでいたクリスが元気になったのなら、まぁいいか、と思い直したルシアだった。
 「でも、わかっているだろうね?結婚だの新婚だの言うのは、この戦いが終わってからだよ?」
 「わかっているさ!こんなにも素敵な目的ができた以上、私は負けない!」
 自信に満ちた笑みを浮かべ、きっぱりと応じたクリスに、ノリのいい観衆達は歓声をあげた。
 「おめでとぉございますぅ――――――!!!」
 「式には呼べよっ!!」
 「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!勝つぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
 それに手を振って、悠然と応えながら、クリスは機嫌よく生ける屍を引きずって行った。


 臨時の私室兼執務室である部屋に、だらりとした物体を放り込むと、クリスはドアを閉めた。
 「どうだ?」
 昇り行く陽光に身をさらして、クリスは晴れやかに微笑む。
 「これでも私を、百合だとうそぶくか?」
 「・・・・・・立派なバラにあられます、姫」
 少し見ない間に、鋭い刺を育ててしまったらしいクリスに、ナッシュが力なく応じる。
 「・・・・・・ったく、なんでこんなことを・・・・・・。
 あんたの性格にあわないだろ、こんな強引なことは」
 ぶつぶつと愚痴を言う男に、クリスは笑みを深めた。
 「実はな、私は百合が大嫌いなんだ」
 「まさか・・・そんな理由で俺を陥れたとはおっしゃいませんよね、姫?」
 言いつつも、ナッシュの中には既に、彼女だったらやりかねないという疑いが沸き出している。為に、クリスが、
 「まさか」
 と、笑って否定した時には、心底ほっとしたものだ。
 が、あいにく彼は、その答えを楽観的に解釈できるほど、幸運な星の元に生まれたわけではない。

 「じゃぁ・・・なんの目的があって・・・・・・?」
 疑い深いと、彼を笑う資格は誰にもない。事実、クリスは笑みを収め、いやに真剣な顔で応えた。
 「アルマ・キナン防止策だ」
 「・・・・・・なんだって?」
 問い返したナッシュに、先ほどまでの上機嫌はどこへやら、クリスは苦々しげに秀麗な顔を歪める。
 「初めてあの村に行った時から、なにか変だとは思っていたんだがな、やはり私の懸念は当たっていた。彼女達はいわゆる百合で、アルマ・キナンは百合園だったわけだ」
 「百合・・・・・・と申しますと、オンナノコが好きなオンナノコ・・・・・・・・・・・・?」
 ナッシュの問いに、クリスが忌々しげに頷く。
 「父のことでふさいでいた私に、危うく魔の手が伸びるところだったんだ。怖かったのなんの・・・・・・」
 ふぅ、と吐息するクリスを、ナッシュが訝しげに見遣る。
 「クリスちゃん・・・・・・」
 「ん?」
 「まさか、その魔の手から逃れるために、俺を利用したのか?」
 「私が百合じゃないと分かれば、彼女達もあきらめるに違いない!」
 妙案!と、さわやかに哄笑するクリスに、ナッシュは再び頭を抱えた。
 確かにこのお嬢さんは、可憐な百合なんかじゃない。
 自身の思うまま、決して屈することのない花の中の花。
 大輪のバラこそ、彼女にふさわしい、と。
 朝陽を受けて輝く花の女王を見上げ、ナッシュは、これから起こるであろう小姑達との戦争を思って、重く吐息した。
 と、
 「ナッシュナッシュ!」
 いたずらっぽく、笑みを含んだ声をかけられ、ナッシュは顔を上げた。
 間近には、クリスの紫水晶の瞳が輝いている。
 「それだけじゃない。お前だから、どんなことをしても手に入れたかったんだ」
 言ってしまってから、恥ずかしげに目を伏せるクリスに、ナッシュは温かみのこもった笑みを向けた。
 「了解、女王陛下。貴女に捕らわれましょう」
 ナッシュはうつむいたクリスの顎に手をかけると、神に誓うように厳かに口づけた。


 ―――― 凪たる湖畔に咲き乱る 花々よりもなお鮮やかなるは花の中の花
 情なく 声なく ただ匂いたちては手を誘い 触れる者を傷つける ―――――――― ただ一人を除いては。





 〜 Fin.〜
  










お目汚し、大変失礼をいたしました;;;;;
私が考えていたお話のお題としては、『花』が一番しっくり来るかな、と思って頂いたところ、締め切り早くてすっごい焦りました;;;
本当に国外逃亡図りましたから;;;(これがアップされた3日後、私は中国にいます(笑))

お題『花』のタイトルは『Fleur de Fleurs(フルール・ド・フルール)』、ニナ・リッチの香水の名前です。
香りは、私的に合わないのですが、(ごめん;;)『花の中の花』という言葉の意味が好きで、つけてしまいました。

ちなみに、『銀のバラ=結納品』と言うのは、オペラ『バラの騎士』より。
そして、クリスが求婚時に、『クリスティアーネ・フォン・ライトフェロー』と名乗っているのは、私が『ゼクセン=ドイツ系』『クリスは略称』だと信じ込んでいる故の創作です(笑)
個人的には、ベルばらのオスカルのように、女の子だけど『クリストフ』なんて男名をつけられた、と言うのをプッシュしているんですけどね(笑)

ついでに言っておきますが、『この時期、酔い潰れている場合じゃないよね?』なんて突っ込みは、虚しいだけだと忠告させていただきます(笑)








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くれはん家もちょっと見る。