Labyrinth






「それは勿論、あなた達を亡き者にするためよん。四不象ちゃん

目の前にいきなり現れた妲己の、その言葉を聞いた時、太公望は彼女が偽者だと見抜いた。
いや、見抜くも何も、こんなところにいるはずがないのだ、あの女狐は。
だが、目の前のこの女は、限りなく妲己に似ている・・・。
こんな事ができるのは、崑崙でもただ一人。
・・・なんと言う名だったか。
それは、親しい人の口から、ほろりと漏れた名・・・。

「さぁ〜〜〜太公望ちゃん。
お次はセクシーふくらはぎ攻撃で悩殺よ〜〜〜〜〜ん」
くねっ!

「・・・・・・・・・・・!!!」
爆笑!!
仙人界でたった一人、変化の術を使う天才道士。
もっと堅い奴かと思っていたが、なかなか洒落のきく奴ではないか!

「名は確か・・・楊ぜん!」
太公望の言葉に、楊ぜんは変化を解いた。
「名が知れてることがアダになったようだ。よくぞ見破られました、太公望師叔」

・・・そりゃ、知っとるわい。
以前、あのひとがふと漏らした名。
清源妙道真君・楊ぜん。
誰が忘れるか・・・!


その山は、つねにかぐわしい花が咲き、清涼な風が吹く。
瑞鳥は山の主を慕い、洞府に羽を休める。
鳳凰山。
崑崙で最も高貴な佳人の住まう山。
そこは道士・呂望の大切な場所だった。

「公主、来たぞ!」
慎ましい洞府に、友人の普賢と先を争うように駆け込むと、いつも彼女は笑顔で迎えてくれた。
「また修行を抜けてきたのか?」
苦笑して聞く竜吉公主に、普賢が笑顔で首を振った。
「今日はもう、修行は終わったんだ!僕たちね、元始天尊様にほめられたんだよ!」
「二人で編み出した攻撃方法でな、『Bクイック』と名づけたのだ!」
「Bクイック・・・?どんなものじゃ?」
聞きつつ、公主は二人に椅子を勧める。
卓子(テーブル)の上では、手作りの菓子が良い匂いをさせていた。

「二人の息が合って、初めてできる攻撃方法でな!」
「まず僕が、元始天尊様からお借りした太極符印で相手の攻撃パターンを記憶して」
「わしが借りた打神鞭にその情報を転送するのだ」
「そしたら自動で相手の攻撃を追尾できて」
「相手の攻撃を無力化したあげく、反撃もできるのだ!!」
かわるがわる得意げに話す二人に、公主はにっこり微笑んで、少しぬるめに入れた茶をさしだした。

「二人ともつい先日宝貝が使えるようになったというに、良く出来たものじゃ。
元始天尊様も感心されたことであろうな」
言うと、二人は嬉しそうにうなずいた。
「それで今日は特別にお休みがもらえたんだ!」
「最初に公主に教えに来たのだぞ!」
そういうと、公主は心から嬉しそうに微笑んだ。

「そなた達なら、玉虚宮に名を連ねる大仙人になるのも、そう遠くはあるまいな」
「玉虚宮の大仙人?!僕、絶対大仙人になる!」
冗談ではない口調で公主が言うと、普賢がすかさず反応した。
いつも、おっとりと微笑んでいる彼にしては珍しいことだった。
しかも、
「わしは・・・別に玉虚宮の大仙人にならなくてもよい」
常に積極的な呂望らしくもない言葉。
公主は普段とは違う二人の反応に、軽く首をかしげた。
「呂望、現在十一人しかいない玉虚宮の大仙人の仲間入りをすることは、とても名誉なことじゃぞ?」
何か思うところがあるのか、と聞いてくる公主に、呂望は別に、と言葉を濁した。
そんな彼を見て、公主は口元に微かな笑みを浮かべた。

「・・・そう言えば、少し前にもそなたのような者がいた」
くすくす・・・と、思い出し笑い。
つねに優雅な公主にしては珍しい、子供のような笑い方だった。
「そなたたち、清源妙道真君、楊ぜんを知っておるか?」


「―――うわ、超美形っすよ!」
・・・ムカッ。
太公望はお供の霊獣に、思わず剣呑な視線を向けた。
「スープー、こやつは妲己に化けて、『悩殺よ〜〜〜ん』といっておったのだぞ!」
そう言ってやると、楊ぜんが苦笑した。
「いやだなぁ・・・それは言わないお約束」
「・・・で?なんのつもりだ?」
初対面で、ずいぶんなご挨拶だ。
冗談にもほどがある。

不機嫌な態度を隠そうともせずに太公望が問うと、楊ぜんも気の乗らぬ様子をあからさまに、元始天尊から受けたという命を伝えた。
曰く、『太公望のもとで封神計画を助けよ』
「なんと助かるのう!」
ひとりでは妲己に立ち向かえない、と痛感していた。
性格に少々問題が有りそうだが、あのひとも認める天才ならば。
・・・天才。
あのひとが、ただ一人、そう呼んだ道士。


「清源妙道真君?」
「・・・楊ぜんって、確か、玉鼎真人師兄の弟子じゃなかった?」
呂望と普賢が、聞きなれぬ名に首をかしげる。
なぜ今、その名が出てくるのだろう?
「おぬし達が昇山してくる前に、ちょっとした騒動があったのじゃ」
くすくす・・・と、公主がまた笑う。
「あの時は面白かったのう・・・」

楊ぜん。玉泉山金霞洞玉鼎真人の弟子。
仙界で唯一、『術』で宝貝以上の奇跡を起こせる天才。
彼がいつ崑崙にやってきたのかは、元始天尊と師の玉鼎真人しか知らないという。
だが、彼は紛れもなく、玉虚宮の大仙人に名を連ね得る実力の持ち主だった。
そんな彼が、仙号を得たにもかかわらず、洞府も開かなければ、弟子も取らぬという。
―――弟子に時間を割くよりも、自分の技をもっと磨きたいのです。
それが、断りの理由だった。

「元始天尊様も彼の実力を認めておっただけに、非常に惜しまれてな、大仙人達が総出で説得に当たったのじゃが・・・」
彼ばかりか、師の玉鼎真人までもが、『楊ぜんが望まぬのであれば』と賜山(しざん)を断る・・・。
「楊ぜん一人のわがままなれば、手もあったが、玉虚宮の大仙人の一人である玉鼎真人までもがそういうのでな、元始天尊様も、強くは勧められなんだ」

そこで、竜吉公主に話が回ってきたのだ。
楊ぜんが賜山を断る本当の理由を聞き出して欲しい、と。

「何でも私と彼は、歳が近かったらしい。
じゃが、鳳凰山に降りてより、ほとんど他仙との交流もないままの私に、なにを話せとおっしゃるのか。
あの時は、ほとほと困ってしまったのう」
呂望は思わず眉を寄せた。
ずっと他山との交流のなかった公主に、わざわざ?
公主は崑崙でもトップクラスの仙女。なんでそんな一介の道士の説得に彼女を用いなければならないのか。
(・・・謀ったな、ジジイめ)
隣りの友人も、その意味に気づいたらしい。いつもの笑みが、苦笑に変わった。


「・・・僕が彼に初めて会ったのって、いつだったかな?」
後に、普賢は太公望にそう語った。

「玉虚宮の大仙人に名を連ねて・・・玉鼎真人師兄にあいさつに行った時だっけ?
ああ、彼が、って思ったんだよね」
太極符印に核融合機能を取り付ける作業をしつつ、普賢はにっこり笑う。
「美形だったよ。でも、性格に少々問題ありってカンジかな?
礼儀正しいのに、結構傲慢(ごうまん)なところもあるみたいで・・・」
普賢が、他人にここまで言うのは珍しい。
「公主さ、彼のこと、どう思ってると思う、望ちゃん?」
あの時の話し方では、決して嫌ってはいない・・・。
そんな感じだったが。
「好きだと思う?彼のこと」
「さぁな」
気のない返事。
「・・・・・・あ、核爆発引き起こせるようにしちゃお、これ」
普賢は、さらりと過激な発言で応えた。


目の前の男は、確かに美形だった。
あのひとと並んだなら、さながら一幅の・・・。
思って、すかさず心中で首を横に振る。
初対面の相手にいきなり戦いを仕掛け、理屈を付けてテストなんざやる奴があのひとと?!
それならわしか普賢が並んだ方がまだまし・・・。
と、想像したのは、どう見ても『姉弟』な図・・・。

そんなことを考えてる時に、またこの『天才』は余計なことを言い出した。
「太公望師叔!この無力な民を無事に西へと送って下さい!!
これを第三のテストとしましょう!!」
・・・なに?
思わずカチンと来た。
「それができたらあなたを認めてあげます!」
・・・あげます?!
「キサマ何様のつもりだ!!キサマはそんっっっなに偉いのか?!」
公主、かいかぶりもはなはだしいぞ、この男は!
人をなんだと思っておるのだ、全く!!
「・・・少々嫌がらせをしてやるぞ!」
・・・公主、このくらいはやっても良かろう?


「・・・私にも、少しは他山と交流を持つように、ということだろうか」
元始天尊様の頼みに、公主は戸惑った。

別に、他人を避けていたわけではない。
ただ、会うたびごとになんだかんだと言われるのがわずらわしかったのだ。

生まれながらの仙人。
純血の仙女。

誰もがそう呼び、『公主』とたてまつって敬遠する。
生まれは、自ら選べるものではない。
わかってはいても、割り切れるものでもない。
『彼』もきっと、会うと言うのだ。

『お噂はかねがね聞き及んでおります、鳳凰山の公主。
崑崙最高の才媛(さいえん)にお会いできて、光栄です』

すると、こちらも言ってやるのだ。
「はじめまして、噂に名高い天才道士。竜吉と申す」
独り言のばかばかしさに、思わず笑ってしまう。
笑ってしまうのは、元始天尊様も同じ。
「会うのが不自然でないように」
と、わざわざ玉虚宮に大勢の仙人達を、その弟子ごと呼んで宴を催すという。
騒がしいのは苦手だが、教主の誘いを断るわけにもゆかぬ。
「青鸞・・・」
声をかけると、大きな瑞鳥が目の前に舞い下りる。
「私を玉虚宮まではこんでおくれ」


玉虚宮に着くと、公主はさっそく中に案内された。
まず、謁見の間へ。
元始天尊への挨拶が終わり、宴の間に案内される途中、公主は『偶然』玉鼎真人とその弟子に会った。
「お久しぶりじゃな、玉鼎真人殿」
「これは珍しいところでお会いするな、公主」
元始天尊から謁見の間に呼ばれるのは直弟子のみ。勿論例外はあるのだが。
意外だといわんばかりの玉鼎真人に、公主の案内をしていた白鶴童子がばさばさと白い羽根をはためかせた。
「玉鼎真人様、元始天尊様が謁見の間でお待ちです!僕がお取り次ぎいたします。
楊ぜん、すみませんが、公主を宴の間へ案内してもらえますか?」
・・・少々やり過ぎではないか?
公主が苦笑する。
が、白鶴は完全にそれを無視して、さっさと玉鼎真人の先導に立った。
「・・・楊ぜん、公主を案内して差し上げろ」
玉鼎真人が苦笑しつつ言うと、あっさりと楊ぜんは師の言葉にしたがった。

「おはつにお目にかかる。私は竜吉と申す」
言うと、彼はにっこりと笑った。
「はじめまして、鳳凰山の竜吉公主ですね。玉泉山金霞洞玉鼎真人門下、楊ぜんです。
どうぞ、お見知りおきを」
初印象は悪くなかった。
しかも、天才とは聞いていたが、これほどの美形だったとは。
「・・・噂はかねがね聞いておる。仙号を賜りながら、賜山を拒んでおるそうじゃな。
なぜじゃ?大仙人になりたくはないのか?」
そういうと、楊ぜんはこちらが驚いてしまうほど、意外そうな顔をした。
「・・・あなたまでみなと同じことをおっしゃるのですね。がっかりしました」
・・・・・・・・・・・・・・・・・言葉もない。
ただ目を見開いて、立ち尽くす公主に、彼は続けた。
「随分当たり前のことを聞くんですね。僕は『公主』と呼ばれる方なら、もっと違うことを言うものだと思ってました」
―――今まで自分が思っていた事を、そのまま切り返された。
呆然とする公主に、楊ぜんはさすがに言いすぎたと思ったらしい。
「失礼しました、公主」
素直にわびたが、公主には彼の言葉など耳に入ってなかった。


その日、公主は早々に玉虚宮を辞去した。
あまりにも、衝撃が大きすぎた。

――――随分当たり前のことを・・・。

「私が、当たり前・・・?」
頭の中に、楊ぜんの言葉が繰り返し浮かぶ。

――――がっかりしました。

「それは・・・」
いつもの自分の台詞だった。
なのに今日、それは自分に対して向けられた。

――――がっかり・・・。

何度も何度も、繰り返し浮かぶ、その言葉。
「わたしは・・・」
口元を覆った手が震える。
全身が熱く、立っていられない。
こんな感情ははじめてだった。
羞恥、後悔、なんとも表現しがたい負の感情・・・。
「楊ぜん・・・」
彼の名を呟くと、涙が浮かんだ。
ここまで心をゆさぶられたのは初めてだった。


「―――楊ぜん。お前、公主に何を言ったのだ?」
師匠ににらまれて、楊ぜんは首をすくめた。
「すみません、つい・・・」
楊ぜんが言うと、師匠は重く息をついた。
「元始天尊様がかなりご立腹だ。他の道友方もな」
めったに鳳凰山から出てこない竜吉公主。
彼女が来る、というので今日の宴に集まった仙人も多いのだ。
それが、元始天尊が各人との謁見を終え、宴の開始を告げるやいなや、「気分がすぐれぬので」と、早々に立ち去ってしまった・・・。
「早く鳳凰山に行って、無礼を謝ってくるのだ。
まぁ・・・、こちらにはもうお戻りにはならぬだろうから、道友方には私から謝っておこう」
「・・・すみません、師匠」
さすがに悪いと思ったのか、楊ぜんが殊勝にあやまる。
「そう思うのなら、早く行くのだ。くれぐれも、さらに怒らせることのないようにな!」
「はい!」
パシッと左手に右のこぶしを当てると、楊ぜんは師匠に礼をして、素早くきびすを返した。


―――もう、何もする気が起きなかった。
公主がぐったりと卓に伏していると、心配そうに凰が首を寄せてきた。
「・・・凰」
目をむけると、物言わぬ親友は、くる・・・、と喉を鳴らした。
「・・・誰か来たのか?」
今は、誰にも会いたくなかった。
が、わざわざ訪ねてきた者を、追い返すわけにも行かない。
「・・・童女の一人でも置いておくのであった」
そうすれば、居留守だって使えたのに。
思いつつ洞府の扉を開けると、そこには、自分をここまで落ち込ませた原因が立っていた。

驚きのあまり、声も出ない。
が、それは相手も同じだった。
「・・・・・・公主・・・・っ・・・まさかここに、一人でお住まいなのですか?!」
てっきり取り次ぎの者が出てくると思っていただけに、主にいきなり扉を開けられて、楊ぜんはかなり驚いた。
相手の動揺に、公主はかえって落ち着く。
「意外であったか?」
聞くと、楊ぜんはあっさりとうなずく。
「まさか、童女の一人もいらっしゃらないとは・・・」
「今、その必要性を感じていたところじゃ」
つい、言葉に刺が入る。
「は?」
「・・・なんでもない。
入るがよい。茶を進ぜよう」
きびすを返して洞府の中に入っていく公主の背に、楊ぜんが問いかける。
「・・・公主が・・・手ずから、ですか・・・?」
「ほかに誰がおるのじゃ」
「・・・いないんでしたね」

「それで?わざわざ鳳凰山まで何用じゃ」
広間の卓子に茶を用意しつつ、公主は少々無愛想に聞いた。
「実は師匠に怒られまして」
差し出された茶器を受け取りつつ、楊ぜんはさらりと言った。
「・・・わざわざ謝りに?」
「口が過ぎました。どうぞ、お許しを」
楊ぜんが素直に頭を下げる。
「いや・・・気にしてはおらぬゆえ」
公主はそう応じたが、もちろん嘘である。
さっきまで、なにもできないほどふさいでいた。
凰が、そんな彼女を笑うかのように、小さくのどを鳴らした。

「・・・しかし、意外でした。公主ほどのお方が、一人の童女も使わず、お住まいとは」
「・・・よく言われる。こんなことゆえ、『人嫌い』の噂が立つのかも知れぬ」
「人嫌いでいらっしゃるのですか?」
「いや、嫌いなのではなく・・・」
「わずらわしくていらっしゃる?」
楊ぜんの言葉に、公主は黙って微笑んだ。
「―――公主。先ほど、なぜ賜山を拒むのか、とお聞きになりましたね?」
「・・・つまらぬ事を聞いた」
また、あの時の彼の言葉がよみがえる。
公主は、恥かしさのあまり血の気のひいてしまった手を、暖めるように握り合わせた。
「いえ、僕があの時、あんな事を言ってしまったのは・・・。
あなたなら、その理由を分かってらっしゃるはずだと、勝手に思っていたからなのです」
「・・・私が?」
公主は手元に落としていた視線を、目の前の秀麗な顔に向けた。
「ええ。僕が賜山を拒む理由・・・弟子を取らない理由も、あなたなら分かるのではありませんか、竜吉公主?」
ふっと、彼は口元に苦い笑みを浮かべた。
それはまるで、自嘲のような・・・。

「・・・失礼ながら、あなたのお噂は聞いてます。
『生まれながらの仙人』 『純血の仙女』 崑崙でも、最も高貴な生まれの、大仙人・・・。
そんなあなたが、なぜこんなに寂しくお住まいなのです?」
「・・・わずらわしいからじゃろうな、人と関わるのが」
「なぜ弟子をお取りにならない?」
「この虚弱な体で、人界に弟子を探しに行けようか?」
「わざわざ人界に行かなくても、弟子を取るのは可能でしょう?」
公主は微笑んだ。
「・・・なるほど。確かに私にしか分からぬ理由であった」

仙界広しといえども、純血の仙女は彼女ただ一人。
術で宝貝以上の奇跡を起こせるのもまた、彼一人。
他人と違う、という、たったそれだけのことが、誇らしくも枷(かせ)となる。
二人は共に、異形だった。

気安く他人(ひと)と交われない。
それは他人の作る壁ゆえか、みずから作った壁ゆえか・・・。
迷宮の中心から抜け出せず、ただ誰かが来るのを待っている・・・。

「僕も、同じです。他人と交わるのが得意ではない。
特に弟子なんて・・・一体なにを教えればいいのか」
苦笑する楊ぜんに、公主は微笑みを返した。
「おぬしはまだ良い。師があり、修行にいそしんでおる。
・・・じゃが私は、師もおらねば修行も知らぬ。手で物をつかむようにたやすく、術を使い、宝貝を操る。
こんな私が、弟子を取ることなどできようか」
「ですが、せめて童女くらいは・・・。おひとりで住まわれるのは寂しくありませんか?」
「ひとりではない。凰と一緒じゃ」
にっこりと笑むと、楊ぜんが聞き返した。
「凰?」
「さっきから共にいるではないか。私の鳳凰のことじゃ」
名を呼ばれて、その美しい雌の鳳凰はうれしげに鳴いた。


「・・・それが『おもしろかった』のか?」
呂望が眉を寄せる。
散々言いたい放題。
なぜそんな奴の事を、公主はうれしそうに話すのか。
呂望には理解できなかった。
「うむ。それまで私に、はっきりものを言う者などおらなんだゆえ、そう言われて目の前の霧が晴れていくようだった」
そういって、はんなりと微笑う・・・。
公主に、こんな顔をさせる男がいるなんて・・・。
呂望はもとより、普賢の顔からも笑みが消えた・・・。


・・・異形。
その言葉を、身に染みて感じたのはいつだったろう。
ここにいる、どんな人間とも似ていない自分。
本来、僕がいる場所は、こことは違う場所。
それを知られぬように、悟られぬように、ひたすら嘘の自分を作り上げてきた。

そんな時あのひとの存在を知った。
誰よりも高貴で美しい、ここにいるべきではないひと・・・。

あのひとは、僕と同じ・・・。
あのひとなら、分かってくれるはず・・・。

なのに、初めて会った時、あのひとはあまりにも普通のことを聞いてきた。
『がっかりしました』
心の奥から出た言葉だった。
それは、あのひとをひどく傷付けた。
僕とあのひとは違うのに、勝手に同じだと思いこんで・・・。

『楊ぜん』
・・・夢の中でも、あのひとの声が聞こえる。
『楊ぜん・・・』
清澄な気。
あのひとを包む、清らかな気配。
毒に侵された身体から、熱が引いていくような・・・。
『楊ぜん・・・・・・』
目を開けても、そこにあのひとがいるはずもないのに、重いまぶたはまるで導かれるように光を求めた。

「・・・公主?」
いるはずのないひと。
いや、ここはどこだろう・・・?
「ここは・・・?」
美しい顔が、いたわるように微笑んだ。
「玉虚宮の治療室じゃ」
「なぜ・・・僕は金鰲島で・・・」
ふと額にやった手の容(かたち)に、すべてを思い出す。
「あ・・・・・・」

知られてしまった、彼女に・・・。
もっとも知られたくなかったひとに。

「公主・・・」
「・・・なんて顔をしておる」
微笑んで言うと、彼女は楊ぜんの、容の違う手に自分の手を添えた。
「おぬしが無事で良かった」
いとおしむように、両手で包んだ楊ぜんの手をその頬にあてる。
「・・・公主・・僕は、妖怪なんです」
「うむ。少々驚いた」
くすりと笑う。
「僕は金鰲島の・・・敵の首領の、息子なんです・・・」
「そうか・・・だが、おぬしが敵であろうはずはない」
「僕は・・・!」
「おぬしが異形なら、私も異形じゃ」
言葉は、あっさりとさえぎられた。
「人と生まれが違う。異形というが、ただそれだけのことではないのか?」
「公主・・・」
彼女は、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「楊ぜん、心を閉ざすことはない。おぬしが思うよりずっと、崑崙はふところが広いぞ?」
「・・・しかし、僕はずっと・・・・・・」
楊ぜんは言いよどむ。

ずっと・・・嘘をついてました。
あなたにも、師叔にも。

「太公望は、おぬしの信頼に値せぬのか?」
「そんなことはありません!」

むしろ、心を開きたい・・・。

「ならば、素直になることじゃ。太公望は、きっとおぬしを受け入れてくれる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう」
優しく包み込む手を、そっと握り返すと、公主は笑ってうなずいた。

「公主、お願いがあります」
「私にできることなれば」
真摯(しんし)な目に、公主は彼の次の言葉を待った。
「ここから出して下さい」
体力は、回復したとは言えない。
むしろ、かろうじて死の淵から脱したというべき状態だった。
が、どうしても金鰲島にいかなければならない。
決着は自らの手でつけるべきだった。

公主は、彼の言葉を予想していたのだろう。
余計なことは何も言わず、彼が今まで浸っていた水を引かせた。
「私が元始天尊様を引き止めておく。その間に崑崙から出るといい。
――――無事で帰ってくるのだぞ・・・」
ふわりと宙に浮かび、公主は言った。
「・・・ありがとう」
「礼には及ばぬ」
不確かな足取りで行く彼の背を、彼女は見送った。

「天よ・・・」

ぽつりとつぶやく。

「願わくば 皆無事で帰らんことを・・・」


Fin.








普賢コメント 楊ぜん&公主だねー(^^)
あんまりラブラブじゃないみたいだけど、いいのかな?
無責任洞主って呼ばれても知らないよ?(^^)

くれはコメント なんか、中途半端ですみません;;;;
ああ、もっとラブラブな予定だったのに;;;




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