旋 乾 転 坤
〜せんけんてんこん〜








ヴヴン・・・と、微かな振動音を残して、八卦炉はその役目を終えた。
千数百年もの間、当たり前のように流れていた作動音が消えて、研究室は不慣れな静寂に満ちる。

不自然なまでの静寂。
その中で、研究室の主は、今までにないほど激しく鳴る、自分の鼓動を聞いていた。

八卦炉の、扉に伸ばした手が震える。
冷却時間は十分に取ったつもりだったが、その取っ手に触れた時、ものすごい熱を感じて、思わず手を引いた。

彼は、じっとおのれの手を見つめた。
火傷の跡はない。
ならば、この熱さは・・・?

どくん。
心臓が大きく跳ねる。

ふたたび、彼は八卦炉の取っ手に手をかけた。
熱い。
が、これは身体が感じる熱さではなかった。
力を込めて、彼は取っ手を握り締めた。
期待と興奮に、彼の瞳が輝きを帯びる。

ガコン・・・。

鈍い音を立てて、扉は開かれた。
中の蒸気があふれでる。
その白いもやが晴れた時。
彼は暗い八卦炉の中に、輝く一つの珠を見出した。

「完成だ・・・!」
声が震える。
「私の・・・霊珠子・・・!!」
彼は腕を伸ばし、まるで我が子を取り上げた父親のように、優しく霊珠を抱きしめた。

熱い気。
その内に秘めた力は計り知れない。
乾元山の、秘蔵の宝。
崑崙最高の宝貝の完成だった。


『霊珠子完成!』
その報は、太乙真人が玉虚宮に霊珠子完成の報告に来た日のうちに、白鶴によって、崑崙中にもたらされた。

「ほう・・・とうとうできたんじゃな」
洞府で懼留孫とのんびり碁を打っていた霊宝大法師は、長い白髪と白鬚(はくぜん)に包まれた顔に、柔和な笑みを浮かべた。
「これは、良い酒を持って祝いに行かねばのう」
懼留孫に言われて、彼はにっこりとうなずくと、手に持った杖にひょいっと酒瓶を引っかけた。
「では、わしは仙桃でも持っていくか」
懼留孫が、さっきまで酒のつまみにしていた仙桃を取り上げる。
「では、行くかのう」
二人の老大仙は、ならんでのんびり歩き出した。

その頃、乾元山ではすでに、祝いに駆けつけた仙人達でにぎわっていた。
「とうとう完成したのだな。感無量、と言ったところか?」
玉鼎真人の言葉に、太乙は大きく頷いた。
「まさにそれに尽きるね!もう、八卦炉開ける時はびくびくしてたんだー!!
開けたら真っ二つに割れた霊珠が出てくるんじゃないかって・・・。
もう二度とあんなの見たくないよー!!!」
前回の失敗談を、さらりと言うのを聞いた道徳が、思わず苦笑する。
「1500年前だっけなぁ?あの時のお前は魂ぱくが抜けたようになって、俺達も随分心配したもんだ」

霊珠の製作は、最初から順調に行ったわけではなかった。
長い年月と幾度もの失敗。
特に道徳が言ったような、最終段階での失敗は、魂ぱくが消し飛ぶ思いだった・・・。

「じゃが、とうとう完成したわけじゃ。長い間、ご苦労じゃったのう」
「ほれ、祝いのみやげじゃ。めったに手に入らん幻の仙桃、『豊満』じゃぞ」
「ありがとうございます、霊宝師兄、懼留孫師兄!」
ようやく乾元山に到着した二老仙から、祝いの言葉とみやげを受け取りつつ、太乙は満面に笑みを浮かべた。
次々と訪れては祝ってくれる道友たち。
今までの苦労が報われる思いだった。

「しかし、ホントに完成させてしまうとはな。
正直、いくらお前が宝貝造りの匠とはいえ、こればかりは難しいだろうと思っていたんだが」
霊宝が持ってきた銘酒を片手に、黄竜真人が冗談めかして言った。
「黄竜は、ず―――――っと黄巾力士の方の完成を待ってたからな!
憶えてるか?太乙が霊珠造りに失敗してほうけてた時・・・」
にやにや笑って慈航道人が言うと、後を道行天尊が引き取った。
「いきなり東海に連れ出したんでちゅよねぇ・・・試作品の黄巾力士で」

あの時。
黄竜は早く黄巾力士に乗ってみたくて仕方がなかった。
それも、仙界最大の重要プロジェクト・封神計画のためではなく、趣味の海釣りのために・・・。
『元気出せ、太乙!そうだ、海釣りにでも行くか!!』
そう言うや、ほうけている太乙に無理矢理黄巾力士を操縦させ、嵐の東海に連れ出したのだった。
「・・・丁度台風シーズンでね・・・。私は死ぬかと思ったよ」
深々と息をつく太乙に、黄竜はさらっと言ってのける。
「だが、黄巾力士にはいいデータが取れただろう?
俺も大物釣りができたし、あの後お前も元気になって、ふたたび霊珠造りに入ったし、結果オーライってやつだな」
「・・・このままじゃ殺されるって思ったもんでね」

仙人達は、とても仲間思いだ。
それはとてもありがたいのだが、少々行き過ぎのところもある。
『太乙を元気づけよう友の会』などと言う、暇つぶしをかねたイベントなんぞ催された日には、いくら不死の身とはいえ、とんでもない目に遭いそうだった。
ショックから立ち直ったのは、自己防衛本能ゆえだったのだ・・・。

「しかしこれで、残る問題は後一つ・・・」
ふっと、太乙は視線を遠くになげた。
「どこかにいい女性はいないだろうか・・・」
ぶふ――――――――――っっ!!!!
ポツリと呟かれた言葉に、広成子が派手なアクションで応える。
「じょっ・・・女性?!
貴官、大仙の身でありながら、ふ・・・不謹慎な!!!」」
「HAHAHA!!!!子供でも欲しいってか?!」
「うん」
太乙は、赤精子の冗談に、あっさりとうなずいた。
カラン・・・。
仙人達の手から、酒杯が次々に落ちる。
「ほ・・・本気か、太乙?」
「だって、霊珠だけじゃ宝貝人間にならないじゃないか」
あっさりと道徳の言葉に答えた太乙に、懼留孫がつまらなそうに呟いた。
「・・・なんじゃ。太乙もとうとう色気づいたかと思うたのに」
「そうおっしゃいますけど、これがなかなか難しいんですよ?
確実に仙人骨を持った子供を産める女性なんて、そう簡単に見つからないんですから」
むくれる太乙に、それまでひっそりとしていた普賢真人が微笑みかけた。
「だったら、ぼくがお役に立てるかもしれませんよ、太乙師兄」
「心当たりがあるのかい?!」
太乙が勢い込んで尋ねる。
普賢はにっこりと笑うと、ヴンっと微かな音をさせて、手中に宝貝・太極符印を出現させた。

「玉虚宮メインコンピュータにアクセス。
パスワード『*****』
『崑崙仙人・道士リスト』、『人間界・天然道士リスト』から、二十代以下の道士の家族構成、主に母親の健康状態選出・・・。
師兄、プリンターかしてくれますか?」
普賢は手慣れた様子で太極符印を操ると、素早くデータを取り出した。
「・・・意外に少ないんですね。
今、仙人骨のある子供を産める状態にある女性は10人に満たないほどです」
普賢の言葉に、太乙がどれどれ、と紙を受け取る。
「・・・確率が高いのは、殷王家の姜皇后、黄貴妃か」
呟く太乙に、紙面を覗き込んだ玉鼎真人が眉を寄せる。
「だがこの二人はだめだな。
確かに姜皇后が生んだ太子達は二人とも仙人骨を持っているようだし、黄貴妃は名門・黄家の出身で、多くの仙人を生んだ家系だが、崑崙の重要な戦力となる宝貝人間が、殷王家の血を引いていてはまずいだろう」

情愛は断ちがたい、という。
これから始まる封神計画において、重要な役割を果たすはずの宝貝人間が、もし、殷に対して非情になれずにいたら。
玉鼎真人の心配は、杞憂(きゆう)とは言い難いものだった。
「では、武成王の奥方、賈氏も避けた方がいいだろう。
殷王家に深く関わっている、ということもあるが、三人の子供のうち、仙人骨を持って生まれたのは俺の弟子一人。
少々確率が低いようだしな」
そう言ったのは、最近、武成王の次男を弟子に迎えた道徳真君。
いくら大仙の彼でも、賈氏の四番目の子が、仙人骨を持って生まれてくることまでは予想できなかった。
「うーん・・・。誰を選ぶべきか・・・」
眉を寄せる太乙に、それまで一言も発せずにいた文殊広法天尊がポツリと呟いた。
「・・・私は殷氏を勧める」
その言葉に思い当たることがあって、普賢がふっと紙面から顔を上げた。
「そうでした・・・!師兄、殷氏をお勧めします」

殷氏は陳塘関の総兵官、李靖の妻である。
彼女はまた、文殊と普賢の弟子、金タクと木タクの母親でもあった。
この兄弟は将来有望な仙人になるだろう、というのは、決して師匠達の贔屓目ではなく、崑崙仙人達の、共通の認識だった。
しかも、父親の李靖は、挫折したとはいえ、崑崙で修行したこともある道士。
条件は最高だった。
「確かに、李夫人なら・・・」
太乙が愁眉を開く。
「しかも、僕たちが殷氏をお勧めするのは、それだけじゃないんです」
普賢が更に続ける。
「現在夫人は、妊娠三年六ヶ月だそうですよ」
「・・・はぁ?!」
にこにこととんでもないことを口にする普賢に、太乙が目をむいた。


後日、太乙は密かに殷氏のことを調べた。
これも天数と言うものだろうか。
殷氏は、霊珠子の母親となる条件をいくつも兼ね備えていた。
高い確率で仙人骨のある子供を産めること。
崑崙と関わりのある夫を持っていること。
そして、いつまでも生まれてこない子・・・。

「・・・生まれてこないはずだね。お腹の子供はただの肉のかたまりだ」
太乙は、誰にともなく呟く。
「彼女ほど、霊珠の母親にふさわしい女性はいないな。
霊珠子・・・お前に母上をあげるよ」
彼のささやきに、掌中の珠は微かな輝きを放った。


・・・ある日、殷氏は不思議な夢を見た。
ほっそりとした黒衣の男が現れ、自分のお腹に不思議な光を放つ珠を埋め込んで消えた・・・。
驚いて目を覚ました途端、彼女は陣痛に見舞われた。
三年六ヶ月もの間、胎内にいた我が子をやっと産み落としたのだった。
が、彼女は我が子の産声を聞かなかった。
産医は、子を取り上げるやいなや、ものも言わずに部屋から出ていってしまった。
「・・・どうしたの?
なぜ産声がしないの?私の子はどうなったの?!」
周りの侍女達が、蒼ざめて口をつぐむ様子を見て、殷氏は最悪の事態を思った。
『私の子は・・・いつまでも産まれてこなかった子は、やはり死んでいたのではないか・・・?』
震える手を、嗚咽の漏れそうになる口許に持っていった時だった。
部屋の外から夫の、ものすごい悲鳴が聞こえてきた。

「な・・・なんだこれは」
産医にソレを見せられた時、李靖は蒼ざめずにはいられなかった。
「・・・お子さんですよ」
産医も、それ以外に答えようがない。
とりあえず、殷氏の気持ちを思って、彼女には見せずにいたのだが・・・。
「・・・こんな化け物、妻に見せるわけにはいかん!」
李靖は、どう見ても肉の固まりにしか見えないそれを、容赦なく斬り捨てた。
途端。
肉の裂ける音と共に、中から子供が現れた。
驚きのあまり、李靖は思わず悲鳴を上げる。
その子は・・・赤子と言うには成長しすぎた子供は、生まれながらにして宝貝を身に付けていた。

「宝貝を?なんて不思議な子かしらね」
無事に生まれた我が子を抱き上げて、殷氏は嬉しそうに笑った。
「そう言えば、この子が産まれる直前、不思議な夢を見たの」
彼女は、そう言って李靖に自分が見た夢のことを話した。
それによって、かつて崑崙で修行したことのある李靖は、我が子が崑崙の仙人によって造られた宝貝人間だということを察したのだった。
「・・・どうりで、気に食わない子だと思った」
呟く李靖を、殷氏は鋭く睨んだ。
「あなた、なんてことをいうの!
この子はほかの子とちょっと違うだけ。まぎれもない私たちの子よ」


「・・・いい事言うね、殷氏は」
モニターを前にして太乙は、彼女の言葉ににっこりと微笑んだ。
陳塘関には、いくつかのカメラと集音器が仕掛けてある。
その映像と音声は、すべて乾元山に送られていた。
「彼女を選んで良かったですね!!このひとなら、あの子の母親の役目を十分に果たしてくれますよ」
太乙と共に、陳塘関の映像を見ていた白鶴が、ばさばさと翼をはためかせた。
「これで私も、安心して他の研究に没頭できるというものだよ!
さ、黄巾力士の仕上げだ!」
太乙はモニターの電源を落とすと、うれしげに言って立ち上がった。
「嵐にも十分対応できる、汎用(はんよう)ロボットを造ってやろうじゃないか!」
「がんばってくださいね!!」
「まっかせて〜♪」
白鶴の声援を受けて、太乙は意気揚々とモニター室を後にした。
その後、暗いモニターの向こうで、何が起こるかも知らずに・・・。


とても蒸し暑い日だった。
こんな日に、城壁に囲まれた関内にいるのは、どうにも気のふさがる思いだった。
「今日も暑いわね、ナタク。桃でも食べる?」
殷氏は、器に盛った桃をナタクに差し出した。
が、ナタクはそれを受け取らず、だまって部屋の外を眺めている。
「今日は全然風がないのね。暑くってたまらないわ」
我が子の視線を追って、外に目をむけた殷氏は、そういって軽く息をついた。
「そうだわ!ナタク、関外の川に行きましょう!」
ぽん!と彼女は嬉しそうに手を打った。
「金タクも木タクも、あの川で遊ぶのが大好きだったの!きっとあなたも気に入るわ。
・・・でも、ホントは立ち入り禁止の川だから、お父さんにはナイショよ?」
いたずらっぽく笑う母親の顔を見て、ナタクは無表情のままうなずいた。

「気持ちいいでしょ、ナタク?」
冷たい川に足を浸して、殷氏はにっこりと笑いかけた。
息子は相変わらず無口で無表情だったが、彼女はこりもせず笑って話しつづける。
そのうち、彼女は息子が身につけたものの異変に気づいた。
「ナタク・・・その腰の布、お父さんが宝貝だって言ってたけど・・・。
どうしたのかしら、なんだか赤く光ってるわよ?」
しかも、今日はいやに魚が死んでいた。
なんだか嫌な予感がする・・・。
そう思った時だった。
川面が大きく揺れたのは。
「な・・・なに?!」
驚いて声を上げる殷氏に、ナタクが相変わらず無表情のまま言った。
「母上・・・岸に上がってくれ」

・・・母上。
その言葉に、殷氏の目に涙が浮かんだ。
常に無口で無表情な三番目の息子・・・。
彼女は今まで、この子に「母」と呼ばれたことなどなかった。
『この子は私たちの子じゃない。仙人によって造られた宝貝人間なんだ』
李靖はそう言って、この子を嫌っていた。
彼女自身はこの子を愛していたが、この子がなかなか懐いてくれないのは、やはり自分が本当の母親ではないからだろうか、と、密かに悩んだものだった。
それが、今日・・・。
「ナタク・・・初めて私を母と呼んでくれた・・・」
これが泣かずにいられようか。
この子が、自分を母と認めてくれたのだ。
彼女は感動のあまり、全く動けずにいた。
「早く!!」
息子にせかされて、ようやく彼女は岸に上がった。
途端、水が大きくせりあがり、中から恐ろしい姿をした巨大な霊獣が現れた。

「れれれ・・・霊獣!!」
腰を抜かす殷氏の前で、ナタクは恐れる様子もなく、霊獣を見つめていた。
「水中で宝貝を使うとは!!お前のせいで、水棲生物の被害は甚大だ!!
女!!お前の監督不行き届きも含めて、二人ともども死刑である!!」
まくしたてるや、霊獣が二人に襲い掛かる。
『殺される・・・!』
殷氏が思ったその時、彼女は息子が水中から飛び上がるのを見た。
次の瞬間、紅く染まる視界・・・。
巨大な霊獣は、息子の宝貝の一撃で倒されていた。
「なにも殺さなくても・・・」
「・・・あいつは母上も殺そうとした」
殷氏の呟きに、ナタクは無表情に答えた。

その日の夜、陳塘関は霊獣王の軍隊に包囲された。
『俺の子を殺した子供、出てこい!!』
息子を殺された霊獣王の、恐ろしい声が陳塘関中を震え上がらせる。
「母上、安全なところに行ってくれ。俺が始末をつける」
霊獣王を前に、少しもひるまない息子。
この子は昼間、王の息子を殺したように、王とも戦うつもりなのだ。
「だめよ!」
殷氏は語気を強めて言った。
そして彼女は城壁に立ち、強大な霊獣王と向かい合った。
「子の不始末は親の罪。私がどんな処罰でも受けます!!」
彼女には、子を殺された霊獣王の復讐心を理解できた。
だが、どんな罪を犯したといっても、ナタクは彼女が生んだ子供。
決して死なせたくない!
『この気持ち、あなたならおわかりでしょう?!』
殷氏は霊獣王を見る目に力を込めて、彼の言葉を待った。
だが、聞こえてきたのは決然とした息子の声・・・。
「母上・・・この身体お返しします」
「!?」
振り返った殷氏の目に、乾坤圏をみずからの頭に添えるナタクが映る。
次の瞬間。
巨大な霊獣を一撃で殺した宝貝は、彼女の息子の身体を容赦なくふき飛ばした。
「――――――――!!」
悲鳴が関内にこだまする。
彼女は泣き叫んで息子の無残な死骸にすがり付いた。
『母を守るため、みずから命を捨てたか・・・』
霊獣王は、感嘆を込めて呟いた。
自分の子を殺した憎い子供だったが、彼を死に追いやったことによって、その母親に身を切る思いをさせたことには、さすがに心が痛んだ。

霊獣王が引き上げた後も、殷氏が泣き止むことはなかった。
息子の血にまみれ、慟哭する妻にかける言葉もなく、李靖は後を侍女達に任せて、霊獣王の軍に怯えたであろう、関内の人々の慰撫に出かけた。
「・・・奥方様、お館に戻りましょう。ナタク様も、棺に入れて差し上げなくては・・・」
年かさの侍女に促されて、殷氏は泣きながら息子の死骸を抱き上げた。
ナタクはまだ、非力な殷氏にでも抱き上げられるほどの重さしかなかったのだ。
『この子はまだ、こんなに幼かったのに・・・』
そう思うと、また涙があふれてくる。
「・・・お墓を作ってあげるわね。さみしくない様に、毎日会いに行くからね」
冷たくなっていく体を温めるように、彼女はナタクを抱きしめた。


霊獣王の三男が殺されるという、大事件が起きた次の日だった。
東海霊獣王の家臣の一人が、王の宮殿の上空に浮かぶ黄巾力士を発見した。
「・・・霊獣王を出してもらおうか?」
操縦席の仙人は、穏やかならぬ口調で言った。
『・・・いずれの名山の、なんという大仙であられるかは存じませんが、我が主を呼び立てるとは無礼ではありませんか?』
不快げに言う霊獣に、仙人は無愛想に言い放った。
「私は、崑崙は乾元山・金光洞の太乙真人。霊獣王に用があって来たんだよ。取り次いでくれるね?」
『太乙・・・では、十二仙の?!
失礼いたしました、少々お待ち下さい!!!』
彼が海中に消えると間もなく、霊獣王が海面に姿をあらわした。
『・・・ようこそ見えられた、太乙真人殿。
崑崙の十二仙が、私になんの御用かな?』
相手が大仙とはいえ、呼び立てられた霊獣王は、不快さを隠しもせずに言った。
「昨日君が殺した子供のことだよ、霊獣王」
対する太乙も、口調にまったく敬意がない。
どころか、静かな声の中に、激しい怒りが込められていた。
『・・・聖人は怒りを表さず、という。
十二仙のあなたが、たかが子供のことに、なぜそこまでご立腹なさる?』
不思議そうに言う霊獣王に、太乙は簡潔に答えた。
「あの子は私の子だ」
『妙なことを!あの子供は陳塘関の・・・』
「霊獣王ともあろうものが、気づかないとは情けないね。
ただの子供が、霊獣を殺せると思うのかい?
あの子は、私が造って殷氏に産ませた、宝貝人間なんだよ」
霊獣王は絶句した。
仙界が今、行おうとしている封神計画。
それは天数の名のもとに、仙人・道士・人間を問わず、神界に封じ込める計画だという。
「封神計画のために、私はあの子を生き返らせるつもりだ」
『そんなことが・・・』
霊獣王は信じがたい様子だった。
が、太乙は眉一つ動かさず答える。
「できるよ。あの子は私が造ったんだからね。だから霊獣王・・・」
鋭い視線を受けて、霊獣王はすくんだ。
「これ以後、あの子に手を出したら・・・許さないよ?」
やさしげな風情をしていても、さすがは十二仙といったところか・・・。
彼が去った後も、霊獣王はしばらく動けずにいた。
『頼まれても、もう関わるものか・・・』
彼は、崑崙の方角を見つめて、そっと呟いた。


「太乙、ここにいたのか!」
「お前、東海に怒鳴りこんだんだって?!」
無作法にも、どかどかと洞府に乗り込んできて騒ぎ立てるのは、慈航道人と黄竜真人。
太乙は庭の蓮池の配水管を整備しつつ、うるさげに二人を振り返った。
「別に怒鳴り込んでなんかないさ。
ただ彼に、これ以上ナタクに関わるな、って言っただけだよ」
「それを怒鳴りこんだって言うんじゃないか?」
呆れたように言う慈航に、太乙は違う違う、と手を振った。
「怒鳴ってないって、私は」
「怒鳴ったかどうかは問題じゃないんだ、太乙!
東海に行くなら、なんで俺を誘ってくれなかったんだ?!」
海釣りに行きたかったのに!と、黄竜が悔しそうにこぶしを握る。
「・・・東海くらい、一人で勝手に行けばいいじゃないか。
もう黄巾力士は渡したんだし」
呆れていう太乙に、黄竜は激しく首を振った。
「俺にあんな分厚い操縦説明書を読めというのか、お前は?!」
黄巾力士と共に渡された、『広○苑』三冊はあろうかという使用説明書・・・。
そんな物を渡されて平静でいられたのは、十二仙でも数名しかいなかった・・・。
「読みなよ、あれっくらい!!!」
読めるか―――――――――――――!!!!!
二人から言われて、太乙はしばし言葉を失った。
「・・・じゃぁ、普賢にナビしてもらったら?
あの子なら黄巾力士くらい、もう使いこなしてるだろうからさ」
ずいぶんとなげ槍に言う太乙に、二人が首をかしげた。
「どうしたんだ?今日はずいぶんと機嫌悪そうだな?」
「・・・まぁね」
慈航の言葉に簡単に答えると、太乙は再び蓮池に向き直る。
「・・・らしくないといえば、お前が研究室以外で時間をつぶしてるのを見るのははじめてだな」
おかげで二人は、乾元山中をかなり探し回ったのだ。
太乙といえば機械臭。
それがこれまでの常識だったのだが、今の彼は蓮の香りに包まれている。
「いつのまに園芸に目覚めたんだ?」
「やっぱ、子供ができると変わるものなのか?」
勝手なことを言いつづける黄竜と慈航に、太乙はとうとう作業を続けるのを諦めた。

「人間の体だと回復に時間がかかるんだ・・・」
洞府の居間で茶をすすりつつ、太乙は息をついた。
「霊珠を人型にするには、どうしても一度は女性のお腹から生まれてくる必要があったんだ。
『核』である霊珠が、人の形を憶えるためにね。
私の構想では、『核』は一度その形を記憶すると、破損した箇所を自己修復できるようになるはずだった。
けど、さすがに『人体』の構造は複雑だね。
いかに霊珠でも、完全に構造を記憶するのに何年もかかるんだ。
ナタクが無口で無表情だったのはそのためさ。
霊珠が、人体の構造を記憶するのを優先して、感情を後回しにしたんだ。
・・・あと数年もすれば、完璧な不死身の宝貝人間が完成するはずだったのに・・・!!」
またしても、最後で邪魔が入った。

「・・・幸い、霊珠本体に傷はなかった。
今は、殷氏が作った墓の中で眠ってるはずさ。
このまま何もなければ、この数年間で記憶した範囲で体を自己修復できるだろうけど・・・」
楽観はできない。
最後で失敗するわけにはいかない。
封神計画の発動は、目前なのだから・・・!

「だから、万が一のために別の身体を用意しておこうと思ってね」
「・・・・・・それが、蓮?」
眉を寄せる慈航に、太乙はうなずいた。
「さっきも言ったけど、霊珠はこの数年で『李 ナタク』の身体構造をある程度記憶してるんだ。
後は、記憶してない部分を補えばいい」
「それを・・・蓮で・・・?」
黄竜が呆れたように言う。
「また新たに身体を作りなおす時間はないんだ。
植物なら、霊珠も記憶するのにそう時間はかからないし、こちらも修復しやすい」
「・・・蓮ねぇ・・・」
太乙の構想の意外さに、二人はぼんやりと呟いた。


暗闇の中、遠くで母の声が聞こえた。
言葉のない声・・・。
『母上・・・泣いているのか・・・?』
動かない身体。
母の側に行くことができない自分が、もどかしい。
「ナタク・・・。毎日来るわね」
香と、供えられた花の甘い香りが、闇の中にたゆとう。
「あなたがさみしくない様に、毎日・・・」

殷氏は息子を失った次の日、夫と激しく対立した。
「お墓を建ててあげちゃいけないなんて!
ナタクはあなたの息子なのよ?!どうしてそんなひどいこというの?!」
「あいつのせいで陳塘関は霊獣王の軍に囲まれたんだぞ!!
人間の軍にならともかく、霊獣王の軍にだ!
関内には民が大勢いるんだ!彼らが今度のことでどれだけ怯えたと思う?!
お前も総兵官の妻なら、民のことを考えて、これ以上霊獣王を刺激するんじゃない!!」
夫の言葉には、悔しいが説得力があった。
だが、このままでは息子があまりにもかわいそうだ。
そこで殷氏は、人目に付かないところにこっそりと墓を建て、息子を弔ったのだった。

―――それから数年たった頃。
李靖は偶然、殷氏がナタクの墓を建て、墓参していることを知った。
関内の見回りをしていた時に、花売りがにこやかに言ったのだ。
「いつも、奥方様にはお世話になっております」
と。
殷氏は、陳塘関の主の妻。
わざわざ自分で出向かずとも、侍女に『花を買ってくるように』といえば済むことだ。
なのに、聞けばこの花売りは、数年前からたびたび殷氏に花を売っているという。
「・・・妻は、花を買ってどこに行ってるんだ?」
言うと、花売りは『あちらの』と李靖の館の近くにある林を指し示した。
「奥へといつも行かれますよ。香りの良いお香を持ってらして」
そういって花売りはにこにこと笑った。
明るくて気のおけない性格の殷氏は、民にもかなり人気がある様子だった。
「花と香・・・」
李靖は、それが墓参であることに気づいた。
それが誰の墓であるかも・・・。
「・・・殷氏め」
呟いて眉を寄せた李靖に、花売りはきまずげに口をつぐんだ。

その日、殷氏は夫の留守を狙ってこっそりと館を出た。
香を持ち、花を買って、林の奥へと道を行く。
さっき、花を買った時に、常ににこやかな花売りの表情が妙に硬いのを変には思ったが、久しぶりの墓参である。
花と香の良い香りに包まれて、殷氏の足は軽かった。
「まったく・・・。ここ数日、あの人ったら全然出かけないんだもの」
呟いて、殷氏は苦笑した。
「あの子が寂しがってなければいいけど」
林を抜けると、小さな空き地がある。
まだ長男と次男が陳塘関にいた頃、殷氏にだけ教えてくれた秘密の空き地だった。
木陰がとぎれ、明るい日が射す場所。
彼女はそこを、最愛の息子の寝所に選んだのだった。
「会いに来たわよ、ナタク・・・」
笑顔が、凍った。
彼女の目の前で、息子の墓は無残に破壊され、暴かれていた・・・。
「ナタク・・・!!」
あの夜の記憶がよみがえる。
冷たくなった小さな体。それを暖めるように・・・。
殷氏は、腕の中の花をきつく抱きしめた―――――。


・・・もう怒る気力もない
太乙は川辺に打ち上げられた霊珠を大事そうに拾い上げた。

―――あのまま墓の中で眠っていれば、この子の身体はある程度まで再生できたはずなのに・・・。
万が一を想定しておいて良かった。
霊珠さえあれば、私の手で修復可能だ。

送った時と同じ姿で掌中に戻ってきた珠・・・。
「人の姿をした君を、弟子として迎えたかったのにね・・・」
『・・・誰だ?!』
呟きに、掌中の珠が音なき声で誰何(すいか)する。
「・・・私は乾元山金光洞の太乙真人」
・・・君を、つくった仙人だよ。
「ナタク・・・君はまだ死すべき運命じゃない」
私が死なせない。
「蓮の化身として、よみがえるんだ」
太乙は、霊珠をそっと蓮の花の上に置いた。
「・・・これからは、私が君のそばにいるからね」


闇の中で、声を聞いた。
母上のものとは違う声。
だが、母上と同じ想いのこもった声・・・。
その声は、生まれるずっと前から知っていた気がする・・・。

気が付くと、蓮の花に囲まれていた。
むせ返るような香りの中、俺は自分の手が、足が、そして宝貝が、意のままに動くことを確認する。
どうして、なんのために、俺は生かされているのだろう・・・?
答えは、あの男・・・。
俺を川辺で拾った男が知っているはずだった。
だが、今はそんなことどうでもいい。

―――李靖。
俺は奴を殺す。


風火輪が激しい音を立て、陳塘関に向かうのを、太乙は黙って見送った。
「た・・・太乙真人様、いいんですか、行かせちゃって!!
ナタクは李靖を殺しに行ったんですよ、きっと!!」
あわてる白鶴に、太乙の返事はそっけないものだった。
「いいじゃないか。やりたいようにさせれば」
「た・・・太乙真人様?!」
白鶴が驚いて目をむく。
「決着は、自分で付けるべきだと思わないかい?」
「ですが・・・!!」
言い募る白鶴を遮るように、太乙は微笑した。
「私も、決着を付けてくるよ」


いつも明るい妻の、蒼ざめた顔を見て、さすがに李靖の心が痛んだ。
「・・・どうかしたのか?」
原因は、自分が壊したナタクの墓であることを知っていながら、あえて李靖は聞いた。
殷氏は無言で首を振った。
がっくりと肩を落とした姿が痛々しい。

・・・仕方ないだろう?

李靖は胸中に呟く。

これ以上霊獣王に関わるわけには行かないんだ。

彼には陳塘関の総兵としての役目がある。
息子のために職務を損なうわけにはいかない。
「殷氏、ナタクのことだが・・・」
言いかけた時、館の外で物凄い爆音と共に、少年の声が響いた。
「李靖!出てこい!!」


その声に、殷氏は思わず顔を上げた。

まさか、ありえないことだ。
あの子の声が聞こえるなんて・・・。

思うより、体が動いていた。
部屋の外に駆け出ると、空中に懐かしい、数年前より少し大きくなったナタクがいた。
「ナタク・・・!!!」

あの子の墓は、暴かれたのではなかったのだ。
あの子が自分で出てきたに違いない。

あまりの嬉しさに、殷氏の目から涙が零れる。
「ナタク!!」
殷氏は最愛の息子の名を呼んだ。
が、彼の目には今、母の後ろについて飛び出してきた男の姿しか映ってなかった。

「ナタク!!」
庭に飛び出して、李靖は驚愕した。
数年前、死んだはずの息子。
それが今、目の前に・・・。
「・・・まさか、化けて・・・」
呟きは轟音にかき消された。
ナタクが自分に向けて宝貝を放ってきたのだ。
「ぎゃあああ!!!!!」
間一髪よけたが、相手は飛翔宝貝を使って上空から攻撃してくる。
自分が関内にいては、陳塘関はつぶされる!
そう判断して、李靖は関外へ逃げた。
目を丸くする殷氏の側を離れ、町中を避け、城壁の門番も無視して関外をひたすら逃げた。
そして、とうとう関外の渓流に至った時、その道士を見つけたのだった。
白い霊獣を供に、のんびりと釣り糸を垂れていた、太公望。
李靖は、迷わず彼に、助けを求めた。


突然の爆音におどろいて、太公望は岩場から腰を浮かせた。
「なんだ?!」
ふりかえると、一人の男がこちらに向かってすごい勢いで逃げてくる。
「助けてくれ!!息子に殺される!!!」
信じがたいことを叫びながら、男は太公望の陰に隠れた。
「来た!!!」
男が指し示す先、空中を見ると、一人の少年がやはり物凄い勢いで迫ってくる。
「何者だ・・・?宝貝を三つもつけて平気な顔をしておる」
普通では考えられないことだった。
しかも・・・!
「っっなんでわしまで攻撃されねばならんのだ―――!!!」
理不尽にも少年は、父親と一緒にいる太公望にまで宝貝を向けたのだ。
「逃げるぞ、スープー!!!」
「ラジャーっす!!」
すかさずスープーの背に乗る太公望と李靖。
「なんでおぬしまで!!!」
「いいから早く逃げてくれ―――――!!!」
李靖の悲鳴は切実だった。


「あなた!!」
太公望の霊獣、四不象によって、なんとかナタクを振り切った李靖は、陳塘関の門前で、殷氏に迎えられた。
「殷氏!危うくナタクに殺されるところだったよ!」
「やーだこのひとったら!ナタクだって本気じゃないわよ!!」
いつもの笑顔。
李靖にとっては脅威だが、殷氏にとっては嬉しい奇跡以外のなにものでもない。
「あら?この方達は?」
殷氏が太公望達に気づいて尋ねた。
「太公望くんと四不象くんだ!
さっき私をナタクから助けてくれて、これからずっと助けてくれる人たちだ!」
「おいっ!」
にこやかに紹介する李靖に、太公望は不快げに突っ込んだ。


李靖夫婦に事情を聞いた太公望は、興味津々といった様子だった。
・・・はっきり言ってこれはチャンスだ。
自分は妲己を倒すため、仲間を探してここまで来た。
これがただの親子喧嘩なら、無視して通り過ぎただろうが、事は仙界が絡んでいるらしい。
宝貝人間ナタク。
太乙真人が精根傾けて造ったという、崑崙最高の宝貝。
その能力は計り知れないものがある。
この親子喧嘩を仲裁することによって、彼を味方に引き入れることができたら、まさに千人力だ。
そして、少々卑怯だが、策を用いれば、それは可能なことだった。
「まぁ、要はこの親子喧嘩を収めればよいわけだ」
太公望が、不敵な笑みを浮かべる。
「って、できるんすか?」
簡単に言う太公望に、四不象が心配げに言った。
「心配するな、四不象!今回は割と簡単に片がつきそうだぞ」
・・・妲己に比べれば、だが。
「お、噂をすれば、だのう」
轟音とともに、ナタクが物凄い勢いで迫ってくる。
「ナタク!わしは李靖に味方する!
太公望は城壁の上で打神鞭を構え、こちらに向かってくるナタクに向き直った。
李靖を殺したくばまずわしを倒すのだ!!」
「太公望くん!!」
四不象に乗って城壁から出た太公望を、殷氏が呼び止める。
ふりかえる太公望に、殷氏は心配そうに言った。
「あの子を・・・ナタクをよろしくお願いします」
「うむ。考えうる最善の方法を取るつもりだ」
少々卑怯だが・・・。


「・・・打神鞭かぁ。
太公望は宝貝の使い方なんてとっくにマスターしてるだろうし、ナタクは不利だな」
戦況が良く見える岩場で、太乙は苦笑した。
思った通り、力で押しまくるナタクの乾坤圏は、すべて打神鞭によって方向を変えられ、太公望にかすりもしない。
「いい宝貝なんだけど、全然使えてないんだね、ナタク」
しかも、太公望とナタクの違いは、ただ宝貝を使いこなしているかどうか、という問題だけではない。
太公望には、あの子の両親・・・いや、殷氏という札をいかす頭がある。
当然彼は、殷氏を利用してナタクを動揺させ、宝貝を無力化させる策を使ってくるだろう。
彼は、策士なのだから。
「別に太公望をけなすわけじゃないけどね」
太乙は軽く息をついた。
「ナタクは、ああいう子に育って欲しくないなぁ・・・」


「・・・キサマ。なぜ邪魔をする?」
散々攻撃をかわされて、とうとうナタクは苛だたしげに言った。
今まで一言も発しなかったナタクの言葉に、太公望は少なからず驚いた。
てっきり、話せないものと思いこんでいたのだ。
だが、話せるのならば事情が聞ける。
「ナタク、なぜおぬしはそのように李靖を憎むのだ?
子が父親を殺そうとするなど、見ていて気持ちのいいものではない」
問うと、意外にもはっきりした声で、ナタクは自分が身体を失った後のことを話し出した。
その内容は、はっきり言って呆れ返るものだった・・・。

・・・作戦変更だのう。

太公望はそれまでの策を捨て、ナタクの味方になることを宣告した。
「いっそおぬしの好きなようにやるがよい」
それははからずも、太乙の言葉と同じだった。
まだナタクは、感情が未発達なのだ。
自分がなんなのか、その心が何を求めているのか、理解できない稚い感情。
その苛立ちが今、李靖に憎しみとして向けられている。
「さぁ、殺すがよいぞ、ナタク!」

・・・できはせぬだろうがな。

稚い感情を挑発するなど、太公望にとってはたやすいことだった。
苛立ちと焦り。
感情が暴発し、宝貝が城壁に立つ李靖に向かって放たれる。
その時、ナタクの目に李靖をかばってその前に立つ母が映った。
城壁は破壊され、母まで・・・。
「母上・・・!
母上!!母上!!!」
叫ぶナタクの目前から、破壊された城壁を覆う土煙が去った時、そこには打神鞭を構えた太公望と、無事な両親の姿があった。
「感謝せいよ。おぬしの親は守ってやったぞ」
太公望が笑って言う。
「なにせわしはおぬしの味方だからのう」
「!!」
しゃくに障る笑み。
その言葉を激しく否定しながら放つ宝貝は、今まで感じたことがないほどに重く、全くナタクの意のままにならなかった。
「もうやめよ、ナタク。いまのおぬしでは、わしには絶対勝てぬ」
だが、ナタクは攻撃を止めようとしなかった。

―――こうなったら仕方ない。
気は進まぬが、やつの動きを封じる!

太公望が再びスープーに乗った時だった。
「待って!!」
殷氏の声とともに、太公望は四不象から引きずり降ろされた。
「ナタク・・・」
母に名を呼ばれて、ナタクの動きが止まった。
「もうおよしなさい。
あなたを失っても、この人を失っても、私は悲しいわ・・・」
母の言葉に、ナタクの体から力が抜けた。
「・・・俺の負けだ」
陳塘関中を騒がせた、壮絶な親子喧嘩は終わった。


「俺は・・・。
俺がなんなのか、あの二人にとって俺がどういう存在なのか分からない
だが、母上は李靖を殺すなと言った。だから、殺さない・・・」
「うむ。それでよいのではないか?」
先ほどの喧燥が嘘のように、二人は落ち着いて話していた。
そこへ、妙にのんびりとした声。
「さすがは太公望。元始天尊様が一番弟子と認めるだけのことはあるね」
激しい親子喧嘩を最初から最後まで静観しつづけた太乙は、それをいとも簡単に収拾し、ナタクを諭す太公望に、惜しみない拍手を送った。
「私もナタクを造った親として、この親子喧嘩をどうにかしたかったんだけど・・・」
本当は、全くそんなつもりはなかったのだが。
「君みたいに母親を利用するマネはできなくてさ」
にっこり。
太乙は食えない笑みを浮かべた。
むか。
「久々に会ったというのに、最初の言葉がそれかい!!」
「ああ、300年ぶりだっけ?ひさしぶりー」
激昂する太公望を軽くあしらうと、太乙はナタクに向き直った。

「ナタク。君はまだ精神的に未熟なようだね」
まぁ・・・、無理もないのだが。
「私のもとで修行してもらうよ。いいね?」
太乙の一方的な言葉に、思った通り、ナタクは激昂した。
自分の造った宝貝を向けられて、太乙が苦笑する。
「・・・やれやれ。しかたないな」
こんな形で連れて行きたくはなかったのだが。
太乙は九竜神火罩を放った。
それは瞬く間に巨大化し、暴れるナタクを閉じ込めた。


「―――そういうわけで、ナタクは私が責任持って調教するのでご心配なく」
「・・・はい、仙人様」
戸惑う殷氏に、太乙は苦笑した。

・・・悪いね、殷氏。
本当なら、このままあなたに育ててもらえば、感情面も発達するんだろうけど・・・。
研究者としての自分は、ナタクをここに残すべきだと言うのだけど。
ナタクがあなたになつくのが悔しくってね。

「辛いわ・・ナタクとしばらくお別れなのね・・・」
殷氏は、ナタクが閉じ込められた宝貝に身を寄せた。
中では、ナタクが元気に暴れている。
死んだと思っていた。
それが元気な姿で戻ってきて、また一緒に暮らせると思ってたのに。

「太公望」
太乙は、別れを惜しむ殷氏から視線を外した。
「だいぶ一人で苦労しているようだね。ナタクの修行が終わったら、君のもとに行かせることにするよ」
言って、太乙は微笑んだ。
―――それが、この子の本当の役目なのだから。

ナタク。
君は封神計画の実行者のもと、思う存分その力を発揮するといい。
私はそれを見続ける。
創造者として・・・。
研究者として・・・?
いや、おそらく、君の親として。
私の君への想いは、決して殷氏に負けていない。

そして、太公望。
「・・・とにかく、焦らずじっくりやることだよ」
いくつかの失敗なんて、大した事じゃない。
問題は、それにくじけず進めるかどうかだ。
私が諦めていたら、この子は生まれなかった。

「じゃあ、いつかまた会おう」
会心の笑みを浮かべて、太乙は陳塘関を後にした。


「・・・私ももう一度修行しなおすかなぁ」
太乙達を見送って、李靖がぽつりと呟いた。
「このままじゃ父親としてのメンツが立たん!
今度は私があいつをやっつけてやる」
「・・・それもよかろう」
李靖の言葉に、太公望は微笑して答えた

・・・・・・ふぅ。
殷氏は息をついて、胸中に呟いた。
『まったく、うちの男達は勝手なんだから。みんな私を置いて仙界に行ってしまうのね』
でも・・・。
殷氏は、にっこりといつもの笑みを浮かべた。
「行ってらっしゃい、あなた!
みんなが帰ってきた時、私がちゃんと『おかえり』って言ってあげるわ」
「殷氏・・・」
李靖が苦笑する。
「お前はホントに、いい母親だよなぁ」
崑崙が、大切な宝貝の母親に、彼女を選んだのもうなずける。
李家の、自慢の母親だ。
そういうと、殷氏は、「なに言ってるの!」と李靖の背中を叩いた。
「母親なんて、みんなこういうものよ!」
殷氏は誇らしげに笑った。


  〜 fin. 〜







普賢コメント まずは、洞主の血を吐く叫びから(苦笑)
「これはアニメを見る前に書いたんです――――!!!」
太乙師兄のお話、ということでしたけど、殷氏の方がかなり目立ってるね(^^)
テーマは『親子愛』だそうです(^^)
その割にはナタク君の存在感が薄い気もするけど(^^)

 
くれはコメント 裏封神演義・・・。
それを狙ったわけではありませんが、第2部を全部、太乙と殷氏の視点で見ればこうなるかな、と思ったのです。
太乙の話のはずだったんですが、終わり方が殷氏の話だったの?ってカンジですね・・・(苦笑)
ちょっと李靖の弁護もしたりして(笑)






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