東 風 西 風
〜 こちせいふう 〜






 少年は、焼けてしまった集落の跡に、呆然と立っていた。
 そこにはもう、生きたものはなにもなかった。
 一族のすべての者は殺され、あるいは連れ去られた。
 「殷の皇后は、もと仙人界の仙女じゃ・・・」
 いつのまにか現れた老人が言う。
 「今回おぬしの村が襲われたのも、皇后が王の殉死者を百倍に増やしたため。
 呂望。わしは崑崙の総統、元始。
 おぬしを迎えに来た。仙人になるがいい」
 強い東風が、少年の髪をなぶった。
 「仙人・・・・」
 呟きは、風に消された。
 「仙人になれば、悪い奴をやっつけることができるのか?!」
 少年の声は風を興し、焼煙を巻き上げた。

 「こんにちはー!!元始天尊様、太乙参りました♪」
 「同じく道徳参りましたー!」
 「太乙、道徳、おまえ達で最後だ」
 玉鼎真人が遅刻者二人に眉をひそめた。
 「やだなー、おこんないでよ、玉鼎♪つい宝貝作りに夢中になっちゃってぇ」
 「洞府から走ってきてたら、意外と時間がかかったのさ!」
 「まぁよい。さて、全員そろったところで、紹介したいものがおる。おいで」
 元始天尊が手招いたのは、二人の小さな少年達だった。
 「わしの新しい弟子じゃ。まだ小さいが、二人ともなかなか優れた器量の持ち主じゃ。
 いずれ、おまえ達と同格になるじゃろう」
 元始天尊は、焼け跡から連れてきた少年を呂望、もう一人を普賢と紹介した。
 「この子達はまだ崑崙のことを良く知らぬ。いろいろと教えてやって欲しい」
 「もちろんでちゅ!!この道行天尊にまかせてくだちゃい、元始天尊様!!」
 にっこりと笑っていったのは、小さな浮遊生物・・・。
 二人の少年達は興味深げにこの生物を見つめた。
 「よろしくでちゅ。呂望たん、普賢たん」
 (けっ!!いままで崑崙で一番ぷりちーやったんはワシじゃ!!おんどれらにこの地位奪われてなるもんかい!見とれよ〜〜〜〜けっけっけ・・・)
 「・・・玉鼎、道行のやつ、絶対なんか企んでるぞ」
 「あの子達、崑崙から出ていっちゃうかも〜」
 玉鼎真人は、思わず深いため息を吐いた。
 「監視が必要だな。道徳、太乙、おまえ達も手伝え」
 「らじゃっ!」
 二人は、たのしげに声をそろえた。
 (いかん・・・完全に面白がってる・・・・)

 ――――元始天尊に連れられて、はじめてみた崑崙は、とても美しいところだった。
 ここには、飢えも、寒さも、争いもない。
 なんてキレイで、不自然で、イヤな所・・・。
 仙人達は、こんな美しい場所で、人の争いを下界のことと、知らぬ顔でいるのだ。
 それを思うと、呂望は崑崙に対して、嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
 「呂望。この子は普賢といって、おぬしとともに修行するものじゃ。仲良くな」
 元始天尊に紹介された童子は、呂望を見るとにっこり笑った。
 「はじめまして。普賢です、よろしくね」
 屈託のない笑み。何の悲しみも苦しみも知らない、この崑崙を体現したような少年。
 呂望の少年への感情は、負の方向へ傾いていた。

 「・・・で、いいですか?ここが仙丹用の水を汲む井戸ですよ」
 白鶴が、地図を示しつつ言った。そこは玉虚宮からかなり遠い。
 「さ、では、仙丹用の水を汲んできて下さい。分量はこちら。ちょっと多めに汲んできて下さいね?」
 「はぁい!いこ、望ちゃん」
 白鶴に元気に返事をすると、普賢は呂望の手を取った。
 「待て、普賢!なんだよ、望ちゃんって・・・」
 「あれ?『望』が名前じゃないの?『呂』は姓だよね?」
 怪訝そうに、普賢は首をかしげた。
 「・・・そうだけど」
 「僕、西の生まれだから、人をフルネームで呼ぶのに慣れてないんだ」
 「だったら、呼び捨てにすればいいじゃないか」
 「うん・・・それもいいんだけど、『望ちゃん』の方が好きだなぁ。だめ?」
 「・・・勝手にしろよ」
 しぶしぶこたえる呂望に、普賢はにっこり笑った。
 「よかった!じゃ、白鶴、行ってきまーす」
 呂望の手を取って、愛らしく笑いながら手を振る普賢。白鶴は目を細めて見送った。
 「二人ともかわいいですねえ」
 「ホントに」
 独り言に声が返ってきて、白鶴は死ぬほど驚いた。
 「たっ太乙真人様?!なんですか、いきなり」
 「いやー、べつにー」
 にこにこと笑いつつ、彼は太乙マークの入った携帯電話を取り出した。
 「もしもし、道徳?今出てったヨ♪目的地は仙丹の井戸。第一関門は多分、桃園の辺りさぁ。よろしくね」
 そう言って通話を終えると、太乙は白鶴に「じゃ!」と言い残して去っていった。
 「な・・・なんだったのかな」
 数分後、玉虚宮から飛んで行った太乙の黄巾力士を見送りつつ、白鶴は呆然と呟いた。

 「僕の住んでたところはねー、とってもあったかいところだったんだー。ねえ、望ちゃんは雪って見たことある?」
 普賢はにこにこ笑いながら、よく話した。
 「うん・・・。僕が住んでたところは平原だったから、雪が降ると見渡す限り真っ白で―――ふ・普賢?!」
 いきなり、普賢の姿が視界から消えた。
 「どこに・・・・!」
 「呂望」
 突然の地面からの声に、呂望はびくっと身を震わせた。
 「俺だよ」
 「道徳師兄・・・・なんでそんなところに」
 道徳は、地面に掘られた深そうな穴の中に入って、こちらを見ていた。
 「誰かがここに落とし穴掘っててさー。危ないから埋めてたところに、この子が落ちてきた」
 そう言って、ひょい、と抱き上げられたのは普賢だった。
 「怪我はないかな?」
 「はい!ありがとうございました、師兄!」
 ・・・すごい。平然としてる。
 呂望は思わず感心した。
 「はっはっは。犯人は見つけ次第、崑崙山72時間耐久マラソンに強制参加させるから、安心しろ!
 では、俺は穴埋めに戻るから!!」
 そう言うと、道徳は穴の中に戻っていった。
 「・・・・・・なんだったんだろう、一体」
 「道徳師兄っていい人だね!」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん」

 「―――もしもし、玉鼎?そっち行ったぞ。あ?なに??今穴の中なんで、かなり電波状況悪いんだけど。
 あ???出ろ???あ、そっか。
 あのガキものすごい落とし穴作ってたぞ♪竹林の辺りなんて、最っっっ凶なもん作ってたりしてな!
 じゃ、俺はこの穴埋めちまってから合流するからー」
 通話を切ると、道徳は再び穴の中に戻った。
 それを、桃の樹間からそっと見つめるものがいた。
 (ちっ!!道徳のやろう、邪魔しやがって!!何が72時間耐久マラソンじゃ!!ワシを殺す気か、あの体力馬鹿が!!!けっ!!次は必ず!!)
 ギン!!と物凄い目で穴を睨み付けると、怪しげな浮遊生物は次の罠へと向かった。

 二人は桃園を過ぎ、竹林の中にある小道をたどっていた。
 「でねでね、夏になると、すごくキレイな花が咲くんだ!とってもいい香りがして、実も甘くておいしいんだよ」
 「さっき桃園を通っただろう?あの樹にも、うまい実がなるんだ」
 「わぁ・・・食べてみたいな♪早く実がなるといいねぇ、望ちゃ・・・・・・」
 言葉は突風にさえぎられた。
 勢いよく巻き上げられた竹の葉の陰から現れたのは、長身の仙人。
 「玉鼎師兄?」
 「驚かせてすまない、呂望、普賢」
 彼は穏やかに笑った。
 「竹林に誰かがいたずらしてね。危なかったんで、すべての罠を切り払ったところだ。もう心配ない」
 「・・・さっきも、桃園に落とし穴が掘ってあったんですが。犯人は同じですか?」
 眉をひそめて呂望が言った。
 「さぁ、どうだろう。とにかく、犯人は見つけ次第、弟子の修行用サンドバッグとして使用しよう・・・ちょろちょろ動き回る奴だからな。ちょうどいい」
 「・・・・・・ちょうどいいって、師兄、犯人知ってるんですか?」
 「心当たりはある、と言っておこう」
 ちらりと、玉鼎真人は竹林の中に視線をよこした。その先には、やはり、怪しい浮遊生物・・・。
 (――――玉鼎!!!余計な真似しやがって!!誰がキサマのクソ生意気な弟子のサンドバッグになんぞなるかい!!
 ・・・しかたねぇな。アレを使うか)

 「・・・―――なんなんだ、一体!落とし穴が掘ってあったり、罠が仕掛けてあったり!!
 たった水汲んで帰ってくるだけなのに、なんでこんなに手間がかかるんだ!!」
 「望ちゃん、竹林には竹槍とか投網とかいっぱい仕掛けてあったみたいだけど、師兄が切り払ってくれたんだし、怒るほどのことじゃないよー?」
 のほほん、とした普賢の言葉に、呂望は思わずかっとなった。
 「何でおまえはいつもいつもにこにこしてるんだよ!!こんなことされて、腹が立たないのか?!」
 「う―――――ん・・・べつに」
 またにっこり笑う普賢に、呂望は完全に頭に来た。
 「・・・普賢、おまえ、人に嫌われたことないだろ。死にたくなるほど悲しいことも、辛いことも知らないで・・・」
 はじめてみる、普賢の悲しそうな顔。呂望は思わず言葉を失った。
 「・・・僕の兄様は、僕のことが大嫌いだったよ」
 かなしげな声。
 「僕は、いるだけで兄様の邪魔なんだって・・・。僕が生まれた国を出て、崑崙に来たのだって・・・」


 ―――あの日のことは、忘れられない。
 あの日、初めて知ったのだ。自分の住んでいた所が、美しい場所ではなかったことを。

 あれは、久しぶりに父親が館にやってきた日だった。
 「決めたぞ」
 そう言って小さな彼を抱き上げた、父の大きな手と、嬉しそうに笑った母の顔をまだ、鮮明に憶えてる。
 その夜だった。
 彼の寝室に、取り乱した母親が駆け込んできたのは。
 呆然とする彼を抱き上げ、庭に面した大きな窓から逃げ出す前に、血刀を下げた兵達がなだれ込んできた。
 その中心にいたのは、腹違いの兄。
 「・・・・・・にいさま・・・なんで・・・」
 母に抱きしめられたまま、尋ねた彼の言葉は無視された。
 「殺れ」
 いっせいに降り注いだ刀は、母の体に防がれて、彼までは届かなかった。
 「かあさま・・・かあさま!!!!」
 生暖かいものに体中を濡らされながら、彼は叫んだ。
 「今日、親父が俺を廃嫡し、おまえを後継者にすると言ったのさ。その女と、おまえの伯父の入れ知恵でな。
 邪魔なんだよ、おまえは。ここでおまえを殺さなきゃ、俺が殺される」
 「・・・とうさまは?」
 声が震えた。
 「もう死んだ。おまえで最後だ。―――おい、殺れ」
 血刀が降り注いだ。


 「―――あの時、元始天尊様が助けてくれなかったら、望ちゃんにも会えなかったね」
 にっこりと笑う普賢を、呂望は気味悪げに見た。
 「・・・なんで、そんなことがあったのに、笑ってられるんだよ!」
 「だって・・・」
 ひゅっと、かすかな音を立てて何かが飛んできた。
 「なんだ?」
 呂望は足元に落ちた、黒くて丸いものを見つめた。
 ひょろりとついてるヒモの先では、ぱちぱちと火花が散っている。
 「危ない、二人ともっ!!九竜神火罩!!」
 太乙の声が聞こえたかと思うと、突然目の前が真っ暗になった。
 何か大きな物の中に、二人して閉じ込められたのだ。
 続いて響く爆音。
 「な・・・なんだ?!何が爆発したんだ?!」
 激しい音が収まるとまもなく、彼らを閉じ込めていたものが開き、太乙が顔を覗かせた。
 「大丈夫かい?まったく、危ないことするなぁ・・・。玉鼎、ちゃんと犯人捕まえたー?!」
 「ああ、これだ」
 言って玉鼎は、道徳から猫のように首根っこを捕まれた浮遊生物を示した。
 「はなすでちゅ!はなすでちゅ!!ボクは何も悪いことなんかしてないでちゅよ〜!!!」
 「・・・道行師兄」
 呂望は呆然と呟いた。
 「今までのは、こいつの悪い冗談だったのだ。
 道行、罰として私の弟子の相手、してもらうぞ」
 「その前に、72時間耐久マラソンだな♪崑崙一巡りコース!!楽しみだなぁ!!」
 「た・・・たいちゅ!!!玉鼎と道徳がいぢめるでちゅ!!たちゅけて!!!!」
 「諦めてお仕置きされなよ、道行」
 「ひ・・・ひどいでちゅ・・・ボク、泣いちゃうんでちゅ〜〜〜〜〜!!!」
 「そんなことしてもかわいくないぞ、道行」
 台詞の切れ味も上々。
 「ぎょくてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!キサマゆぅてはならんことを〜〜〜!!!往生せえやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 豹変。
 言うや否や、道行は道徳の手から逃れ去り、体の割に大きな出刃包丁でもって玉鼎に切り付けた。
 「まったく・・・いつもどこから出すのだ、ソレは」
 玉鼎は落ち着いて刃を受け流した。
 「きゃぁああああん!!!」
 勢いよく吹き飛ばされた小さな体を、たまたま落下地点にいた普賢が受け止めた。
 「大丈夫ですか、道行師兄?」
 にっこり。
 「玉鼎師兄、僕たち師兄達のおかげで怪我もしてないんですから、道行師兄にお仕置きしないであげて下さい」
 そういう普賢に、太乙はにっこりと笑みを返した。
 「普賢。余計なお世話だけどね、道行にだけは同情しない方がいいよぉ?」
 「太乙の言う通りだ。こいつだけは甘やかしてはいけない」
 「さ、72時間耐久マラソンに行くぞ!!太乙、中継車用意してくれ!!」
 「らっじゃー!!」
 いかにもたのしげな会話の横で、みるみる道行の顔が青ざめていく。
 「では、私は洞府に帰ってゴールを作っておこう。3日後にまた」
 それがスタートの合図だった。
 「いやでちゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」
 道行の泣き声も虚しく、72時間耐久マラソンは始まった。
 「さぁさぁ!中継車(黄巾力士)に轢かれたくなかったら、一生懸命走るんだよー♪」

 「・・・・・・鬼のようだな」
 去っていった師兄達を見送って、呂望はポツリと呟いた。
 「怒ってなんかないのに」
 普賢は小首をかしげて苦笑する。
 「・・・さっきの答え、聞いてない」
 憮然とした、呂望の声。
 「ああ、なんで笑ってるのかって?
 だって、母様が言ってたんだもの。『どんなときでも、おまえの笑顔を見てるとほっとする』って。だからだよ!」
 明るい笑み。
 呂望も、この笑みは嫌いじゃなかった。


 ―――殺されたと思った。
 なのに、気がつけば見知らぬ老人に手を引かれ、館を見下ろす丘の上にいた。
 「・・・・・・夢?」
 「いや、夢ではない」
 老人は言った。
 「じゃあ、ぼくは死んだんですか?とうさまとかあさまはどこ?・・・あなたはだれ?」
 見上げると、老人は首を振った。
 「おぬしは生きておるよ。わしは、東からおぬしを迎えに来た、崑崙の仙人じゃ」
 「せんにん・・・ぼくを迎えに?なぜ・・・?」
 「・・・おぬし、これをどう思う」
 老人は、子供の問いには直接答えず、さっきまで彼がいた館を示した。
 そこは、兄が放ったのだろう、方々から紅い火の手が上がっていた。
 「・・・ひどい・・・・・・」
 「兄が憎いか?」
 問われて、彼は老人を見上げた。
 「・・・・・・わからない・・・」
 「ほう?」
 老人は興味深く、子供を見下ろした。
 「・・・にいさまは、ぼくをころさなきゃじぶんがころされるって・・・」
 聞いたことがある。伯父の話を――――今の後継者を廃して、妹の子供を次期当主に・・・。
 母が父に言っているのを――――嫡子様は素行が良くありません。でも、この子は・・・。
 「ぼくにはわからない・・・どれがよくて、なにがわるいの・・・」
 泣き出した子供の手を、老人はやさしく包んだ。
 「病んでいるんじゃよ、皆。彼らを救うためにも、おぬしは仙人になるがよい」
 「・・・・・・せんにんになったら、みんなのびょうきをなおしてあげられますか?」
 老人は目を細めた。
 「難しいぞ。人を救える仙人になるのは」
 「・・・ぼく、せんにんになります。そして、たくさんのひとのこころを、なおしたい。
 とうさまや、かあさまや、にいさまみたいなひとたちを・・・」
 「なにをもって、誓いとする?」
 「・・・母様が好きだったものに」
 子供はぎこちなく笑った。
 「ふむ。何よりの誓いじゃ」
 西風が焼煙を巻き上げる中、老人はやさしくうなずいた。


 Fin.











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