G o d f o r b i d !
「あらんvあそこにいるのはハデス(楊ぜん)じゃなくって、アレス(王天)ちゃん?」
エリュクス山の頂きで、美と愛の女神・アフロディーテ(妲己)は、そのたおやかな白い腕を上げると、眼下を行く黒い馬車の騎手を指した。
「ああ。こないだゼウス(元始天尊)のジジィが、巨人族をエトナ火山に封じやがったからな。
冥府に日が差し込んでないか、見まわってやがるのさ」
冥府の王よりもさらに蒼ざめた唇をゆがめて、戦神・アレス(王天君)はこ馬鹿にしたように言う。
「マジメねーんvでも、滅多に冥府から出て来ないハデス(楊ぜん)ちゃんを見つけるなんて、チャンスだわんv
わらわは、前々から冥府にも領土を持ちたいと思っていたのんvエロス(喜媚)vでていらっしゃいv」
アフロディーテ(妲己)が指を鳴らすと、色とりどりの星をひらめかせながら、天真爛漫な愛の使者が現れた。
「アフロディーテ母様★エロス(喜媚)を呼びっ★」
「あはんvエロス(喜媚)v
あなたの愛の矢で、あの暗黒の国を支配する王の胸を射てやるのよんvそしてわらわ達の実力を、天上の神達に知らしめてやるのんvv」
「くっくっく・・・悪い女だな、あんたも。
お高くとまってる処女神達の目の前で、冥府にも領土を持つ実力者としてのし上がるつもりかい?」
「あらんvアテナ(邑姜)ちゃんやアルテミス(竜吉公主)は、天上にも地上にも、もう随分と領地を持ってるわんv
わらわがちょっと領土を広げたからって、ゼウス(元始天尊)ちゃんは、なにも言わないわよんv
さぁてvハデス(楊ぜん)ちゃんのお相手は誰にしようかしらんvv」
しなやかなひとさし指を形のよいあごにそえて、かわいらしく首をかしげると、アフロディーテ(妲己)は目をきらきら輝かせた。
「だったら、うちの子なんてどうかな?」
穏やかな声に振り向くと、大地の女神・デメテル(普賢)が、涼やかな木陰から姿を現したところだった。
「僕のペルセフォーネ(ふげ)は、かわいくていい子だよ」
にっこりと微笑むデメテル(普賢)に、アフロディーテ(妲己)は妖しい笑みを浮かべた。
「あらんvいいのん?大事なお嬢ちゃんを暗い冥府なんかにあげちゃって」
「普通のお嬢さんならね。でも、あの子ならどこにいたって変わらないよ」
はんなりと微笑むデメテル(普賢)に意味ありげな笑みを返すと、アフロディーテ(妲己)はエロス(喜媚)に命じた。
「さぁvあなたの矢で、冥王を貫いておやりなさーいv」
「おっけー母様★ロリロリロリったロリロリリン★」
不思議な呪文を唱えながら、エロス(喜媚)は目にみえない愛の矢を冥府の王の胸に射こんだ。
それは、ハデス(楊ぜん)も気付かないまま、彼の胸に吸い込まれて行った。
それから数日後。
冥府に死者達を案内すべく、タイナロス岬で魂魄を集めていた伝令の神・ヘルメス(太公望)は、自分を呼ぶ声に振り向いた。
「デメテル(普賢)ではないか。どうした、こんな冥府の入り口に」
二匹の蛇がからみついた杖を振り振り、ヘルメス(太公望)は女神の来訪に首をかしげた。
「今から冥府に行くの?」
小さなペルセフォーネ(ふげ)を腕に抱いて、大地の女神はにこやかに微笑む。
「役目だからな」
ヘルメス(太公望)は多忙である。
富や商売の守護神であるだけではなく、ゼウス(元始天尊)の伝令や死者の魂を冥府に案内する役目も負う。
「今日は僕達も連れて行って」
『今年は豊作だよ』とでも言うように軽々といわれて、ヘルメス(太公望)の思考は一旦停止した。
「・・・いくらなんでもそれはならん!冥府に生者は入ってはいかんのだ!」
きっぱりと鉄の掟を述べるヘルメス(太公望)に、デメテル(普賢)はひるむことなく言った。
「僕の神殿のりんご食べ放題」
「〜〜〜しかし、おぬしは神でゼウス(ジジィ)やハデス(楊ぜん)の姉妹だからのう。
ま、いっか」
「ありがとう、ヘルメス(望ちゃん)」
はんなりと微笑むデメテル(普賢)の腕の中で、ペルセフォーネ(ふげ)が眠そうに小さくあくびをした。
冥府。
タイナロス岬の洞窟を下り、忘却の河を渡ったところにある、死者の安息の地。
同時に、オリンポスに逆らう巨人族の牢獄でもあり、いかなる者をも逃さぬ様に、多くの怪物達が監視の目を光らせている場所でもある。
ヘルメス(太公望)は勝手知ったる道を、死者を導きつつどんどん下っていった。
「おおーい。ハデス(楊ぜん)!」
ヘルメス(太公望)に呼ばれて、ハデス(楊ぜん)は彼を神殿内に迎え入れた。
「今日の死者は30人だ。受領書にハンコくれ」
「・・・その宅配便のような言い方、やめてくれませんか、ヘルメス(師叔)・・・」
さらさらと受領書にペンを走らせ、冥府の役人に死者達を引き渡すと、ハデス(楊ぜん)はヘルメス(太公望)の後ろにいる人物に気付いて目を丸くした。
「デ・・・デメテル(普賢真人様)?!なんであなたがここにいるんです!?」
「こんにちは、ハデス(楊ぜん)」
ハデス(楊ぜん)の驚愕もなんのその。デメテル(普賢)はにっこりと微笑む。
「ヘルメス(師叔)!こんなことがゼウス(元始天尊様)に知れたら、ただじゃ済みませんよ?!」
だが、ヘルメス(太公望)は眉一つ動かすことなく、悠然と笑った。
「おぬし、わしを誰だと思っておるのだ」
伝令の神にして富と商売と旅人の守護神。だが、彼の本領はその行動のすばやさと共に動く明敏な頭脳にある。
生まれてまもなく、兄である太陽神・アポロン(燃燈)から、その牧場を牛ごと盗んだというのは有名な話だ。
盗賊と嘘つきの守護神・・・。
ゼウス(元始天尊)を口八丁で丸め込むくらい、彼には簡単なことにちがいない。
「だって君が悪いんだよ、ハデス(楊ぜん)。君がうちの子をさらいに来てくれてないから、こっちから来たんだもん」
ねーっ?と、抱いていたペルセフォーネ(ふげ)に頬を寄せると、デメテル(普賢)は遊びたがって、腕の中でじたばたしている娘をおろしてやった。
「・・・なんで僕があなたの娘をさらいに行かなきゃいけないんですか」
心底嫌そうに言うハデス(楊ぜん)に、デメテル(普賢)はにっこり笑った。
「うちの子はかわいいよー?」
「いりません」
「まぁ、そう言わずに」
「いりませんってば」
強情な彼の物言いに、デメテル(普賢)は内心首を傾げた。
自分はこの目で、彼の胸に矢が射こまれるのを見た。
アフロディーテ(妲己)とエロス(喜媚)の力は、どんな神でさえ逃れることはできないはず。
だがまだ、彼女の領土ではない冥府では、その能力も効き目が薄いと言うことだろうか。
しかし、まだ手はある。
デメテル(普賢)はにっこり笑うと、改めてハデス(楊ぜん)に向き直った。
「ねぇ、ハデス(楊ぜん)。もし、生者がここに迷い込んできた場合、どうしてるの?」
「迷い込んできませんよ。ここにはケルベロス(哮天犬)をはじめ、地獄の番人達がたくさんいるんですから」
ここに来る前に追い返されます、と、当然のように言うハデス(楊ぜん)に、デメテルはさらに尋ねた。
「でももし、番人達を手なずけ、入ってくる者がいたら?」
「強制送還するに決まってるでしょう?」
「じゃあ、すでに冥府の食べ物を口にしていたら?」
「それは・・・」
ハデス(楊ぜん)は眉をひそめた。
しばらくして、デメテル(普賢)に『生者であっても、冥府の物を口にしてしまっては地上に帰すわけにはいかない』と告げると、女神は晴れやかに笑った。
「じゃ、うちの子をよろしくね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「もうその辺りにあった食べ物、全部たいらげちゃってるし」
デメテル(普賢)の言葉に凍りついたハデス(楊ぜん)は、油の切れた鉄人形のようなぎこちない動きで、広い室内にペルセフォーネ(ふげ)の姿を探した。
小さな食欲魔人は、口の周りをクリームやハチミツでべとべとにして、うれしそうにテーブルに置かれた菓子を食べつづけている。
「ちょっ・・・ちょっと待った―――――――――――――――!!!」
ハデス(楊ぜん)は絶叫しつつ、山のように果物が盛られた高皿に手をのばそうとしていたペルセフォーネ(ふげ)を、慌てて抱き上げる。
「じゃぁハデス(楊ぜん)、後のことはよろしくね。
ペルセフォーネ(ふげちゃん)、お母様とはお別れだけど、代わりにハデス(楊ぜん)が、おいしいお菓子をたくさんくれるからね」
「デメテル(普賢真人様)!!!」
「では帰らせてもらおうかのう。たまにはオリンポスにも遊びに来いよ♪」
「ヘルメス(師叔)〜〜〜!!!!」
『グッバ〜〜〜イ』と、ふざけた挨拶を残して去っていく二人を、追おうにもペルセフォーネ(ふげ)になつかれて動けず、ハデス(楊ぜん)は哭かんばかりに絶叫した。
だが。
「まだだ!!まだ負けてはいない!ヘカーテ(蘭英)!!」
ハデス(楊ぜん)はペルセフォーネ(ふげ)を小脇に抱え、指を鳴らして死の女神を呼んだ。
「僕はちょっとオリンポスまで行ってくる!それまでこの子に、冥府の食物を一切食べさせてはいけないよ!」
「ハデス(楊ぜん)・・・」
妖艶な死の女神は、にっこりと艶めいた笑みを浮かべると、ペルセフォーネを彼から受け取った。
そして。
「私を呼ぶときは『姐さん』とおっしゃいって言ってるでしょ、ぼうや?」
冷たい針の先で、彼の頬を傷つけないように、そっとなぞる。
「わかった?」
「・・・・・・後はお願いします、『姐さん』・・・」
内心泣きそうになりながら、ハデス(楊ぜん)はヘカーテ(蘭英)に言った。
「よろしい。
・・・じゃぁ、この子には、地上の材料で作った物をあげてればいいのね?」
頭のいい彼女である。
ハデス(楊ぜん)の言いたいことはすべて理解していた。
「そうです。幸い、今ここにあった菓子類は、ヘルメス(師叔)に饗するために用意した地上の物。
まだペルセフォーネ(ふげ)は冥府の食物は口にしてません!
僕は今すぐオリンポスに行って、このことをゼウス(元始天尊様)に訴えますので、なんとか場をしのいでいてください!!」
冥府の役人達にすばやく命じて馬車を用意させる冥王に、ヘカーテ(蘭英)は冷静に言った。
「それならなにも、この子をここに置いておかずに、一緒にオリンポスに連れて行けばいいじゃない」
だが、彼女の言葉に、ハデス(楊ぜん)は低い声で応えた。
「・・・あなたはデメテル(普賢真人様)を知らないから・・・」
ゼウスの兄弟、姉妹の中でも、ガイア・レア(ゼウスの祖母と母)と、世界を創生してきた偉大な女神達から『大地』を引き継いだのは彼女だけである。
そんな強大な力を持つ女神が、あの計略の神・ヘルメスと組んだからには、どんな罠が張ってあるかわからない。
「今、僕がペルセフォーネを連れてオリンポスへ行くのは、むざむざ罠にかかるようなものです」
そう言い残すと、ハデスは用意された馬車に乗って地上へ出ていった。
「・・・そんなに怖い人だったの・・・」
ペルセフォーネ(ふげ)を抱いたまま、未だ納得の行かないようすでヘカーテ(蘭英)は首をかしげていたが、さすがと言おうか、ハデス(楊ぜん)の予想はほとんど正しかったのである。
―――アフロディーテ(妲己)がエロス(喜媚)に命じてハデス(楊ぜん)に打ち込んだ矢。
未だ彼女の領土ではない冥府では功を奏さなかったものの、ひとたび地上に出ればそこは彼女の力の圏内である。
ペルセフォーネと共に出ようものなら、ハデスと言えどもその勢力下に屈さないわけには行かず、オリンポスにたどり着くことはできなかっただろう。
「今度こそ、僕は負けない!」
今までの敗戦の数々を思い出しながら、ハデス(楊ぜん)は更に馬車を駆った。
深い森の中、色とりどりの花や果実であふれた美しい白亜の神殿。
熟れてよい香りのするりんごを芳醇な葡萄の酒と一緒に味わいながら、ヘルメス(太公望)は神殿の主を待っていた。
やがて、人間に姿を変えた女神は彼の前に立つと、にっこりと笑って聞いた。
「どう?やつれたおばあさんにみえる?」
「全然」
対するヘルメス(太公望)の返答は短かい。
確かに、朽ちた葉の色をした羊毛の長衣はすっかり傷んでおり、身を覆うベールもあちこち破れている上に、すすけて灰褐色になってみすぼらしかったが、それだけである。
「どこかの王女が、ふざけて衣装を取り替えたと言うかんじだのう」
「・・・うまく行かないものなんだねぇ、変装って・・・」
「顔色がよすぎるのだ、おぬしは。
よし!わしが老婆とはいかんでも、十分やつれてみえるようにメイクを施してやろう!」
嘘つきの守護神である彼にとって、変装は得意芸である。
どこからか『変装セット』一式を取り出すと、ヘルメス(太公望)はデメテル(普賢)の顔に、念入りに陰をつけていった。
「・・・ふっ!完璧だ!」
「すごーい!!ホントにやつれてみえる!!」
鏡に写る自分の顔を見て、デメテル(普賢)も思わず声をあげた。
「そうであろう?これで誰が見ても、心労にやつれたと思ってくれるぞ!」
「ありがとうヘルメス(望ちゃん)!じゃぁ僕、ゼウス(元始天尊様)のところへ行って、娘がさらわれちゃいましたーって泣いてくる♪
ヘルメス(望ちゃん)はゆっくりして行ってね♪」
「・・・大丈夫かのう」
スキップでもしそうなくらい、軽い足取りで去っていくデメテル(普賢)の背を見送りつつ、ヘルメス(太公望)は不安げにつぶやいた。
が、不意にその顔に笑みが浮かぶ。
「こんな面白そうな事件を、見逃す手はないのう」
言うと、ヘルメス(太公望)は杯に残っていたぶどう酒を飲み干し、デメテルの神殿を出た。
てくてくと歩いてオリンポスへ向かっていると、道のりの半分も行かないうちに日が暮れた。
「・・・やっぱり人間に変装してると不便だな。
ヘファイストス(太乙)の造った馬車に乗って行ったら、あっという間にオリンポスなのにさ」
さすがに疲れたデメテル(普賢)が、道端の石に腰をおろして休んでいると、通りかかった子供連れの男・ケレオス(李靖)が声をかけてきた。
「大丈夫ですか、お嬢さん?見たところ、とても顔色が悪くていらっしゃるようだが・・・」
心配げに言うケレオス(李靖)を見上げて、デメテル(普賢)はヘルメス(太公望)に施してもらったメイクの威力に、内心笑みを浮かべる。
「ご心配ありがとう。でも大丈夫です」
はかなげに微笑む様に、ケレオス(李靖)はますます心配そうに眉を寄せた。
「そうは言っても、今にも倒れそうな顔色ですよ。
もうすっかり日も暮れてしまってるし、今日は私の家においでなさい」
親切に申し出るケレオス(李靖)に、デメテル(普賢)はうれしそうに微笑んだ。
「ありがとう、ご親切な方。では、お言葉に甘えて」
そう言って立ち上がると、デメテル(普賢)は彼とその息子(金タク)に並んで、彼の家に向かった。
道々、ケレオス(李靖)と息子(金タク)に、二番目の息子が病気で死にそうだと言う話を聞いたデメテル(普賢)は、家路の途中で少しケシの実を摘んだ。
「その実をどうするんです?」
ケレオスが不思議そうに聞いたが、デメテル(普賢)は笑みを浮かべただけで答えない。やがて、一行がケレオスの家に着くと、彼の妻のメタネイラ(殷氏)が暖かく出迎えてくれた。
しかし、二番目の息子の容態を思ってか、彼女のやつれた顔色は隠せない。
そんなメタネイラ(殷氏)にデメテル(普賢)は優しく微笑むと、
「息子さんに会わせてもらえますか?」
と、やわらかな声音で言った。
その穏やかな物腰にメタネイラ(殷氏)は好感を持ち、素直に二番目の息子・トリプトレモス(木タク)が寝ている部屋へとデメテル(普賢)を案内した。
「もう随分と長い間苦しんで・・・今にも冥王のもとへ行ってしまいそうな有様なんです」
眉を寄せ、涙を浮かべる彼女の肩を安心させるように優しくなでると、デメテル(普賢)は寝台で苦しそうに息をする彼女の息子の額の上に手を置いた。
すると、途端に荒い息は静まり、死人のように蒼ざめていた顔色は健康な色を取り戻した。
「まぁ・・・!あんなに苦しがっていたのに!!」
メタネイラ(殷氏)はうれしさのあまり、トリプトレモス(木タク)を抱き寄せ、オリンポスのありとあらゆる神に感謝を捧げた。
「あなたが来てくださったおかげです!心から感謝しますわ!!」
彼女はデメテル(普賢)の手を取ると、女神に対するように恭しく、その前に膝を折った。
「どうぞ。心よりおもてなしいたします」
ケレオスもそう言うと、出しうる限りの料理で卓を飾り、デメテル(普賢)に饗したのだった。
その時、デメテル(普賢)は誰にも気付かれないように、トリプトレモス(木タク)の飲むミルクに、そっとケシの実の汁を混ぜておいた。
そして家族が寝静まると、そっと部屋を抜け出し、寝台で眠るトリプトレモス(木タク)の上にかがみこむ。
彼は、先程デメテル(普賢)がミルクに混ぜておいたケシの実の汁の薬効と今までの苦しみから解放された安堵感に、ぴくりともせず熟睡している。
それを確かめると、デメテル(普賢)は三度、厳かに呪文を唱え、まだ小さな彼を抱き上げた。
かすかな物音を聞いて目を覚ましたメタネイラ(殷氏)は、トリプトレモス(木タク)がまた苦しみだしたのではないかと心配して、家族を起こさない様にそっと部屋を出ると、彼の部屋を覗いた。
すると、客人がトリプトレモス(木タク)を抱き上げ、まだ燃えている暖炉の灰の中へその小さな身体を入れたところだった。
「な・・・なにをするんですか!!」
メタネイラ(殷氏)は絶叫して部屋に飛び込み、小さな息子の身体を暖炉から引きずり出した。
「メタネイラ(殷氏)。あなたは我が子かわいさのあまり、返ってむごいことをしてしまったね。
あなたがたに暖かくもてなしてもらったお礼に、その子に不死をあげようとしたのに・・・」
はんなりと微笑むデメテル(普賢)に、メタネイラ(殷氏)は呆然とした。
その時である。
「デメテル(普賢)!まだそんなところにおったのか!!」
窓の外から光が射した。
二匹の蛇がからんだ杖を持ったヘルメス(太公望)が、霊獣に乗って現れたのである。
「デ・・・デメテル・・・?女神様?!」
トリプトレモス(木タク)を抱いたまま腰を抜かしてしまったメタネイラ(殷氏)に、デメテル(普賢)はにっこりと微笑んだ。
「黙っててごめんね。
その子に不死はあげられなかったけど、大きくなったら僕の神殿に来るように言ってね。
僕が持つ、すべての技術をその子にあげるよ」
そう言うと、デメテル(普賢)は窓を開け、差し出されたヘルメス(太公望)の手を取って霊獣の背に乗った。
後年、成長したトリプトレモスはデメテルに弟子入りし、女神と共に翼を持つ竜が引く馬車で世界中を駆け巡っては、貴重な穀物や農耕の技術を人々に授けてまわったと言う。
「ったく!おぬしがのんびりしておるから、ハデス(楊ぜん)が先にオリンポスへ着くところだったぞ!」
霊獣を駆りながら、ヘルメス(太公望)が舌打ちした。
「迎えに来てくれてありがとう。さすがに歩いて行くのは大変だったよ」
デメテル(普賢)は慌てる様子もなく、穏やかに笑った。
「でも、さすがだね。
ハデス(楊ぜん)の馬にはおなかいっぱい水を飲ませて、速く走れないようにしたり、馬車の車輪に切込みを入れて、しばらく行くと外れるように細工してたのに、もうオリンポスに迫ってるの、彼は?」
「あやつ、最近打たれ強くなったのう。以前は車輪が外れた辺りで泣き寝入りだったのだが」
妙に感心しているヘルメス(太公望)に、デメテル(普賢)は朗らかな笑い声を上げた。
「ヘルメス(望ちゃん)、いたずらのレベルアップをたくらんでるでしょ?」
「わしは策略において、誰にも負けるつもりはない!」
「じゃぁ、もう一つ僕のお願い聞いてくれる?」
断言する彼の耳に、デメテル(普賢)は背後から囁いた。
その『お願い』の内容を聞いたヘルメス(太公望)は、すっと目を細め、口元をわずかに曲げた。
「・・・それはよいのう。効果的な手段と言えよう」
オリンポスの門の前で、ヘルメス(太公望)はデメテル(普賢)を霊獣から下ろした。
「しっかりやるのだぞ!」
にやり、と不穏な笑みを浮かべて、ヘルメス(太公望)は身を返す。
「君もね」
にっこりと邪気のない笑みを浮かべるデメテル(普賢)。
その笑顔の奥の企みを知るヘルメスは、その笑みをますます深くした。
「任せておけ」
それだけ言うと、ヘルメス(太公望)は雲を引かんばかりの速さで山を降っていった。
その背中を見送ってしまうと、デメテル(普賢)はオリンポスの門に向かう。
雲をまとい、光輝く黄金造りの門には、その場を守護する神々がいる。
「ヤヌス(広成子&赤精子)!」
デメテル(普賢)は、ことさらに暗い表情を作り、門の神達に呼びかけた。
「デメテル(普賢)?!」
力なく歩いてくる大地の女神の姿に、門の神達は目を丸くする。
「貴官、どうしたのだ、その姿は!」
「しょぼくれちまって、まぁ。なんかあったのか?」
背の高い両者に見下ろされ、次々と質問されている姿は、まるでならず者に絡まれている小娘のようだ。
だが、二人が驚くのも無理はない。
女神は今にも倒れそうな顔色をしている上に、着ている物も所々が裂けた、粗末なものだったのだ。
アフロディーテ(妲己)のように華やかではないが、いつも穏やかな笑みを浮かべ、楚々として十二神に連なる彼女の姿を見慣れている者達が驚くのも無理はなかった。
「とにかく中に入るのだ!我々は職務ゆえ、ここを離れるわけにはいかんが、誰か付き添わせよう」
と、共に門を守る季節の女神達を呼ぼうと、ヤヌス(広成子)は手を上げたが、それはデメテル(普賢)によってやんわりと制された。
「お心遣いありがとう。でも、大丈夫だから。
それより、ハデス(楊ぜん)はもう、この門を抜けた?」
「いいや?奴はくじ引きに負けて冥界に行ったっきり、ここには来てねぇよ」
ヤヌス(赤精子)が口の端を曲げ、皮肉たっぷりに言う。
「貴官、ハデス(楊ぜん)に何かされたのかっ!?」
ヤヌス(広成子)の詰問に近い声にそっと顔を伏せ、デメテル(普賢)は小さな声で『ゼウス(元始天尊様)に会ってくる』と言って去っていった。
「・・・随分とふざけたことをしてくれるじゃありませんか!!」
車輪が外れて横転した馬車を前に、ハデス(楊ぜん)は苦々しくつぶやいた。
馬車と共に横転するといった、無様な様からは逃れたものの、彼のプライドは相当なダメージを受けていた。
馬車が横転すると共に手綱を切って逃げ出した馬達を指笛で呼び戻し、中でも一番脚の速い一頭を選んで、ハデス(楊ぜん)はひらりとその背に乗った。
手綱一本で裸馬に乗るなど、滅多にやることではない。
だが、なんとしてもオリンポスに行かねばならないのだ。
ハデス(楊ぜん)が髪も風になぶられるにまかせ、オリンポスに向けて疾駆していると、上空から翼を持つ蛇に牽かせた馬車が降りて来た。
「あら。冥王ともあろう方が鞍も置かずに馬に乗るなんて。まるで野蛮人のようよ?」
目の前に現れた女神の、皮肉たっぷりの声音に、ハデス(楊ぜん)は不快げに眉を寄せた。
「なにか用ですか、エリス(王貴人)。僕は急いでるんですが」
争いの女神・エリス(王貴人)。
凪いだ心の水面に、争いの波紋を投げかける女神は、ハデス(楊ぜん)のあからさまな態度に口の端を曲げて笑った。
「あらあら。せっかく私が鞍を貸してあげようかと思ったのに、随分な口のきき方ね」
「・・・あなたに関わるとろくなことがないと言うことは、学習済みです」
歯に衣着せぬその物言いに、エリス(王貴人)はますます笑みを深くする。
「いいの、そんなこと言って?私はあなたに、とっておきの情報を持ってきてあげたのに」
胸の前で腕を組み、艶を含んだ目で馬上のハデス(楊ぜん)を見る。
「・・・鞍は結構。ですが情報はほしいですね」
用心深く言うハデス(楊ぜん)に、エリス(王貴人)は彼が来た道を指した。
「オリンポスに行くのは諦めた方がいいわ。もうデメテル(普賢)はゼウス(元始天尊)の前にいる。
そして、冥府にはあのヘルメス(太公望)が向かってるのよ。早く引き返して、あの詐欺師を止めるのね」
彼女の言葉に、ハデス(楊ぜん)は全身の血の気が引いていくのを感じた。
「・・・情報提供料に何を差し出すべきかな?」
「そうね。ヘスペリデスの黄金のりんごでも手に入ったら、ひとつわけてちょうだい」
たいして興味も無さそうな口調で言うと、エリス(王貴人)は手綱を引いた。
馬車を牽く二匹の翼ある蛇が宙に舞う。
「わかった。必ず届けよう」
それだけ言うと、ハデス(楊ぜん)は馬首を返した。
「期待しないでまってるわ」
エリス(王貴人)は意地の悪い笑みを浮かべ、去っていく彼の背を見送った。
「こんにちは、エリス(貴人)v楽しそうに、何の企みかしらん?」
背後からいきなり声をかけられて、エリス(王貴人)はびくっと身体を震わせた。
白鳥に牽かせた馬車。
手綱を取るのは、この地上で最も美しく、恐ろしい女神。
「こんにちは、アフロディーテ(妲己)姉様。別に、大したことではありませんわ」
何とか平静を保ちながら、エリス(王貴人)はにこやかに話し掛けてくる美の女神の前に軽く膝を折った。
女神は優美に装飾された馬車の手綱を指に絡めながら、エリス(王貴人)を見つめている。
「ダメでしょぉん、わらわの邪魔しちゃ」
その顔は笑みを浮かべつつも、声は冷たい。
「わらわは冥界にまで勢力を広げたいのん。せっかくデメテル(普賢)ちゃんが力を貸してくれてるのに、あなたの勝手でそれを阻むと言うのなら、許さないわん」
きろり、と、女神は黄金色の目を不気味に光らせた。
「お願いよ、姉様!あのいまいましいヘルメス(太公望)の企みを邪魔してやりたいの!見逃して!!」
ヘルメス(太公望)は神々の使者として、度々無理難題を課せられた人間の英雄達の手助けをし、その結果、エリスが蒔いた不和の種を何度も滅して来た。
「おかげで何度私が悔しい思いをしてきたことか!一度くらい邪魔したっていいでしょう?!」
復讐の女神のごとく、髪を蛇に変わらんばかりに逆立てて、エリス(王貴人)は拳を握った。
「・・・もちろん、姉様にご迷惑をおかけした分は償うわ」
不意に口調を変えて従順に、エリス(王貴人)はアフロディーテ(妲己)に言った。
「私がハデス(楊ぜん)からもらうと約束した黄金のりんごを、誰か有力な神々の華燭の典の際に、投げ入れてやりましょう。
『最も美しい人へ』と刻んでね」
有力な神の結婚式とあれば、オリンポス十二神を始め、多くの神々が列席することになる。
だが、争いの女神である彼女は、そのようなめでたい席に呼ばれることは決してない。
それを今更、恨むつもりもないが、怒ったふりをして『最も美しい人へ』と刻んだ贈り物などを投げ入れてやったら・・・。
「それをわらわに手に入れろと?」
ふっと、声を立てずにアプロディーテ(妲己)は嘲(わら)った。
「姉様は全ての神々に、最も美しい女神として存在を知らしめることになりますわ」
その際、黄金のりんごを求めて激しい争いが繰り広げられることは想像に難くない。
「悪い子ねんvオリンポスにまで争いを持ち込むなんてv」
「オリンポスだけで済めばよろしいけど」
にやり、と、エリス(王貴人)は邪悪な笑みを浮かべた。
そして彼女の目的通り、後にこの黄金のりんごをめぐって、ヘラ・アテナ・アフロディーテの三女神は激しく美を競い、審判者がアフロディーテ(妲己)を勝者としたために、ギリシャ神話中、最も激しい戦いであるトロイア戦争が勃発したのである。
オリンポス山から下る道すがら、死者の魂魄を集めてヘルメス(太公望)は冥府へ赴いた。
「ハデス(楊ぜん)ー!おるか?!」
主の不在を知りつつも、ヘルメス(太公望)はことさらに呼ばわった。
「あら、ヘルメス(太公望)。ハデス(楊ぜん)はオリンポスに行ってしまったわよ」
小さなペルセフォーネ(ふげ)を抱いてあやしながら、死の女神・ヘカーテ(蘭英)はヘルメス(太公望)を迎えた。
「おお、ヘカーテ(蘭英)。ペルセフォーネと遊んでくれておるのか」
にこやかに言うヘルメス(太公望)に、ヘカーテ(蘭英)は眉をひそめた。
「・・・デメテル(普賢)に早く引き取りに来るように言ってちょうだい。まだ冥府の物は口にしてないから、地上に帰してあげられるわよ」
言いながら、彼女はヘルメス(太公望)を見て、彼に抱きつこうと暴れ出したペルセフォーネ(ふげ)を必死でなだめる。
「・・・おぬし、子供を抱いておる姿も意外と似合うのだな」
ニヤニヤと笑うヘルメス(太公望)を、蘭英はきっと睨んだ。
「死者の魂魄なら私が受け取ってあげるから、早くデメテル(普賢)のもとへこの子を返してきてよ!」
「そうはいかんな。いくらおぬしが、ハデス(楊ぜん)の有能な副官といえども、冥王のサインがなければ魂魄は渡せないことになっておる」
テミス(掟の女神)の定めたことゆえのーうと、小憎らしく笑うヘルメス(太公望)を、ヘカーテ(蘭英)はいまいましげに睨んだ。
「じゃぁ、この子の相手をしててちょうだい!私は忙しいんだから!」
そう言って腕の中のペルセフォーネ(ふげ)をヘルメス(太公望)に渡し、足音も荒く暗い回廊へと去って行ってしまった。
「・・・任せておけ」
彼女の怒った背中を見送りつつ、ヘルメス(太公望)はにやりと笑った。
ハデス(楊ぜん)は全速力で馬を疾走させ、タイナロス岬に至るといきなり戟(げき)を地に突き刺し、地面を割って馬ごと冥府へ駆け入った。
「ヘカーテ(蘭英)!」
大声で呼ばわる冥王に驚いて、ヘカーテ(蘭英)が慌てて出迎える。
「どうしたの、あなたらしくもない・・・」
「ペルセフォーネ(ふげ)は・・・いや、ヘルメス(師叔)は?!」
冥王の常にない慌てぶりに、ヘカーテ(蘭英)は余計なことは言わず、ただ、ペルセフォーネ(ふげ)と共に応接間で遊んでいる、とだけ告げた。
「しまった!!」
ものすごい勢いで駆け去った冥王の形相に、ヘカーテ(蘭英)もただならぬものを感じて彼の後を追った。
「ヘルメス(師叔)!!!」
「よぉ、ハデス(楊ぜん)。早かったのう」
にやりと笑ったヘルメス(太公望)の手には、冥府の果物、柘榴(ざくろ)が・・・。
ペルセフォーネ(ふげ)は今まさに、その果実を受け取ろうとしているところだった。
「――――――――――――っ!!」
一瞬もためらうことなく、ハデス(楊ぜん)は彼の手から甘い香りを放つ果物を奪い取った。
「なんてことするんですか、あなたは!!冥府のものを食せば、この子は冥府の住人になってしまうんですよ!!」
だが、ヘルメス(太公望)は平然としたものだった。
「大丈夫だ。この子はわしらと同じ、オリンポス神族。完全にここの住人になることはないよ。おぬし達のようにな」
「・・・何が目的なの?」
ヘカーテ(蘭英)が鋭い視線で貫くように、ヘルメス(太公望)を睨み据える。
が、百戦錬磨の伝令の神は、死の女神の視線をいとも簡単に受け流した。
「デメテル(普賢)の領地拡大」
にっこりと笑って言うヘルメス(太公望)に、ハデス(楊ぜん)は氷のような冷たい声で応えた。
「大地を支配してなお、地中をも手にいれたいとお望みですか、あの方は」
「それはちと違うのう」
冥王の鋭い視線を受けてすら、彼はひるまない。
「おぬしも知っておる通り、ガイア・レアに続いて、大地の女神はあやつで三人目だが、作物を育てることに関しては奴が一番熱心だ」
奴の神殿のりんごは最高だ、としみじみとつぶやく彼の声は、生真面目な二人に完全に無視された。
「・・・だがのう、引き継いだものと言うのは、どうも制約が多いらしい。
勝手にいじれぬことが多いのだそうだ。そこで・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・わかりました」
ヘルメス(太公望)の言葉を、ハデス(楊ぜん)はいきなりさえぎった。
「自分の分身を地中に置いて、作物に力を与える、と言うわけですか。さすがデメテル(普賢真人様)。ご立派です。
・・・ですが!!」
冥王の手に力がこもり、手中の柘榴の実はばらばらと零れ落ちた。
「それならそうと言ってくださいよ!なんでこんな、騙し討ちのようなことをするんですか、あなたたちは!!」
「だっておぬし、全く話を聞かんかったのだろう?」
びしぃっ!と杖を突きつけられて、ハデス(楊ぜん)は目を丸くした。
「・・・いつのことです?」
「ジジィがエトナ火山に巨人族を幽閉したのちのことだ!」
今度はヘルメス(太公望)が声を荒げる番だった。
ハデス(楊ぜん)は、記憶を辿る。
原則として冥府に降りて来れないデメテル(普賢)に会うとしたら、彼が地上に出たときのはずだった。
彼が何日もかけて世界中を巡り、ゼウス(元始天尊)が巨人族を封じた際に生じた大地震で、地面が裂けすぎてないか、日の光が冥府に届くようなことはないか、見まわっていた時・・・。
「・・・そう言えば、僕の神殿で休んでいかないか、と誘われましたね・・・」
「むげに断ったそうだのう、おぬし」
剣呑な視線を向けられて、ハデス(楊ぜん)の頬を冷や汗が伝った。
「むげになんてそんな・・・」
「大事な話がある、と言われたにもかかわらず、『忙しいから』と言って去ったそうではないか」
「いや・・・だって、本当に・・・」
「あやつにとって、ガイアやレアの目を盗んでおぬしと話せる機会など、あれっきりであったのにのう」
「自業自得だと言うんですか?!」
「奴を実力行使と言う、最終手段をとらせるまでに追いつめたのはおぬしだ」
ハデス(楊ぜん)は完全に反論を封じられてしまった。
そんな彼に、ヘルメス(太公望)は表情を和らげて続けた。
「だが、さすがに冥王に対して、略奪者との汚名を着せるのはむごいと思うのだ。
そこで、わしが間に立って、汚名だけはすすいでやろうと思うのだが、どうだ?」
言っていることは親切この上ないが、にやりと口の端を曲げる笑みは、どう見ても『してやったり』の笑みである。
「・・・汚名はすすいでやろうって、元々あなた達が仕組んだことでしょう!?
何を恩着せがましく言ってるんですか!!」
「ほほう?わしにそんなことを言ってよいのか?
デメテル(普賢)は今ごろ、ジジィに『娘をさらわれました』と泣いて訴えておるかもしれぬぞ?
それを止めてやれるのは、神々の中でももっとも足が速く、世界中のどこにおってもジジィに直で話のできる、わししかおらぬはずだが?」
にくったらしいほど爽やかに笑って、ヘルメス(太公望)は自身の能力を自慢する。
「あなたに頭を下げるくらいなら、汚名だって何だって着たい気分ですよ、今」
だが、苦々しく言うハデス(楊ぜん)を、ヘカーテ(蘭英)が横からそっと制した。
「ヘルメス(太公望)、今すぐオリンポスにとりなしてちょうだい」
「ヘカーテ(蘭英)!」
思わず声をあげるハデス(楊ぜん)をちらりと見やって、ヘカーテ(蘭英)は言う。
「落ち着きなさい、ハデス(楊ぜん)。
私だってできることなら、このにくったらしいぼうやをタルタロス(地獄)に叩きこんでやりたいわ」
死の女神の視線にヘルメス(太公望)は、表面上は平静を装いつつ、背中を冷たい汗が伝っていくのを感じていた。
「けど、先日のエトナ火山の件でわかったでしょう?
大地の協力がなければ、私達の世界は簡単に日にさらされてしまう。
地獄の番人である私達にとって、虜囚たる怪物達を地上に逃がし、あまつさえ死者の眠りを妨げるなんてことは耐えがたい屈辱よ。
この際、大地とは手を結んでおきましょう」
「さすが死の女神よのう。冷静な判断だ」
感嘆の表情を作って言うヘルメス(太公望)だったが、
「次はないと思いなさいよ」
しっかり釘をさされて、思わず表情が凍った。
「・・・わかりました。ペルセフォーネ(ふげ)を引き取りましょう」
ハデス(楊ぜん)も、しぶしぶながら首を縦に振る。
「ただし、条件があります!いくらなんでも、ずっと子守りでは仕事がはかどりません!
一年のうち四ヶ月だけしか預かりませんよ。いいですね?!」
「十分だ」
にやりと笑って、ヘルメス(太公望)はハデス(楊ぜん)がちりばめてしまった柘榴の実で遊んでいるペルセフォーネ(ふげ)を抱き上げた。
「大地の娘だ。よろしく頼むぞ」
「春になったら絶対迎えに来てくださいよ」
ヘルメス(太公望)の手からペルセフォーネ(ふげ)を受け取り、ハデス(楊ぜん)はふかぶかとため息をついた。
「もちろんだ」
にっこりと屈託ない笑みを浮かべ、ヘルメスは彼の象徴である翼のついたサンダルでふわりと宙に舞う。
「今回の礼に、何かおぬしの望む物を届けてやろう。なにがいい?」
「じゃぁ、ヘスペリデスの黄金のりんごが手に入ったら」
エリス(王貴人)への謝礼を思い出して、ハデス(楊ぜん)がその名を口にする。
「ヘスペリデス?おぬし、若返りのりんごが必要なほど老化しておるのか?」
「・・・余計なこと言ってないで、早く行ったらどうです?」
口の減らない使者の神は、楽しげに笑い声を上げて冥府を後にした。
「ペルセフォーネ(ふげ)を託児して来たぞ」
オリンポスについたヘルメス(太公望)は、平和に談笑していたゼウス(元始天尊)とデメテル(普賢)に告げると、断りもなく二人と同じ卓に着き、ネクタル(神酒)をなみなみと杯に注いで飲み干した。
「ご苦労様」
「まったくだ。仕事とは言え、ヘカーテ(蘭英)に立ち向かうなんぞ、もう二度とやらんからな」
死の女神の迫力は、厚顔のヘルメス(太公望)をしても恐ろしいものであったようだ。
「フォッフォッフォ。おぬしにはよい刺激じゃったろう」
楽しげに笑うゼウス(元始天尊)を、ヘルメス(太公望)がきつく睨む。
「わしは危うく地獄に落とされるところだったのだぞ!のんきに笑っておる場合か!!」
「大丈夫ですよ。ヘルメス(師叔)なら死んだ途端、落とされるまでもなく地獄行きです」
りんご食べます?と、果物皿を持って来たのはヘラ(白鶴)・・・。
「おぬし、むちゃくちゃきついのう・・・」
「それこそ自業自得でしょ」
表情の読みにくいヘラ(白鶴)だが、どうやら笑ったようである。
「ともあれ、両者ご苦労であった。
―――わかっておるだろうが、この件はくれぐれも内密にな」
慎重にささやくゼウス(元始天尊)に、ヘルメス(太公望)とデメテル(普賢)はうなずきを返した。
「すべては、太古の神より我がオリンポス神族が支配権を確立するために・・・」
長い白髯(はくぜん)を撫でつつ、ゼウス(元始天尊)がつぶやく。
「まずはガイア(ジョカ)から大地を解放する」
にやりと笑うヘルメス(太公望)の横で、デメテル(普賢)はそっと微笑んだ。
〜 Fin. 〜
初めはギャグでした。 |
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