朝礼前の教室は、どこも生徒達のおしゃべりで溢れている。 そのざわめきの中で、高校生らしくもなく新聞を広げる彼は、ある記事を目で追いながら笑みを浮かべていた。 「また、怪盗がやらかしたようだのう」 彼の前の席で、朝食代わりのアンパンを咥えた少年が、いまいましげに言った。 「・・・そう言う君も、昨夜は大活躍だったみたいだね、望ちゃん」 新聞越しに微笑まれて、望と呼ばれた少年は、アンパンを咥えたまま、不明瞭な発音で『まぁな』と答えた。 「一面に載ってるよ。『高校生探偵お手柄!殺人事件を見事解決!』ってさ」 すごいねー、と感心して見せる彼に、望は二つ目のアンパンを出しつつ言う。 「・・・まぁ、おぬしは怪盗の方に興味があるようだがな、普賢」 「おや、ばれてしまいましたか、名探偵」 「それだけ熱心に怪盗の記事を読んでおればな」 普賢は、にこりと笑みを浮かべて、新聞を折りたたみはじめた。 「そりゃ、興味あるよ」 幾重にも折りたたみ、小さな紙の塊にしてしまうと、普賢はその掌の中にそれを握りこんだ。 「彼はマジックを使うんでしょう?―――――こんな風に」 彼が手を開くと、白い薔薇の花が一輪、花弁を風に揺らしていた。 「ほう、いつもながら見事だのう。ハトは出さんのか?」 驚いた様子もなくモモジュースをすする望の胸ポケットに、普賢はその薔薇を飾ってやった。 「だって、教室でハト出したら、先生が怒るでしょ」 「違いない」 可笑しそうに笑う望に、普賢は観客へ向けるような、完璧な笑みで応じた。 いくら世間に騒がれ、もてはやされても、望は天狗になることがない。 冷静に物事を見つめるその目に、いつ自分の正体が見破られるか。普賢は手強い客を前にしたマジシャンのように、心地よい緊張感を味わっていた。 「・・・そう言えば、キッドがまた予告状を出したんだってね」 わざわざ彼の前で、キッドの話題を持ち出すこともないだろうに、普賢は穏やかな笑みを浮かべたまま、何もない空中から先ほど消した新聞を取り出して見せた。 「次の獲物は、崑崙財閥が『世界の宝石展』のために、帝立美術館に貸し出す『アルテミスのティアラ』・・・。 崑崙財閥って、昨日望ちゃんが殺人事件で検挙した人が総帥だったんでしょ?」 「・・・ああ」 眉を寄せて、望は苦々しく答えた。 「警察も大変だねぇ」 ふふっと軽く笑って、普賢は予告状の全文が載った記事に再び目を落とした。 『 愛しい恋人が 赤い蠍に天の座を追われ 哀しみの女神が銀の馬車を駆る夜に 矢にいざなわれ 我は参上する 怪盗 KID 』 「・・・なんだろうねぇ、これは」 普賢が軽く首をかしげると、望はくしゃりと手の中のパックを握りつぶした。 「月の女神・アルテミスの恋人、オリオンは、蠍の毒で殺されたため、東の空に蠍が顔を出すや、西の空に消えるそうだ」 「ギリシャ神話だね」 にこりと笑って先を促すと、望はおもしろそうに笑った。 「4月になると、オリオン座は星空から姿を消し、東の空に蠍座が現れる。そしてアルテミスの象徴である三日月が現れるのは、4月27日、5月26日、6月24日・・・」 「宝石展の開催時期を考えて、5月と6月はないよね」 ばさりと、音を立てて新聞を机の上に置いた普賢に、望は頷いて見せた。 「じゃぁ、犯行時刻は月が出る時間かな?」 片肘をついて、上目遣いに見つめてくる普賢に、望は軽く首を振った。 「違うと思う。『矢』と言うのは、月光のことではないだろうか。 この日の東京の月の出は午前7時26分。その時刻では、まだ月は輝かない」 笑みを浮かべたまま、普賢はうなずいた。 「犯行は三日月の輝く頃。だとすれば日没後と考えるのが妥当だ」 「じゃ、日没直後かな?その時間だったら、月は輝いているよね?」 だが、望は更に首を振った。 「奴は『いざなわれ』と書いている。おそらくあの悪党は、月の女神を自分の先触れにするつもりだ。 この日の月の入りは午後10時10分。犯行時刻は、そのあたりと考えるべきだろう」 ―――― よくできました。 笑顔の裏で、普賢は観客の反応を楽しんでいる。 ―――― It's Show time! 彼は観客の前に立った。 ―――― マジシャンは おごってはいけない。観客を侮ってもいけない。 常に気品のある笑みとポーカーフェイスを忘れずに。 ―――― Ladies & Gentlemen ! I am KID. KID the Phantom thief !! ―――― It's Show time! 『 前略 先日は当家での事件を解決いただき、誠にありがとうございました。 さて、太公望様におかれましては、先の不幸に続き、当家に再び凶事の起こりました事をご存知かと思います。 どうか、当家においで頂き、あなた様の英知をもって、この凶事をご解決ください。 草々 』 自宅のポストに入っていたその手紙は、薄い藤色の和紙に美しい女文字でしたためてあった。 差出人は、竜吉。 崑崙財閥を継ぐという、いま噂の美女である。 「なんと、崑崙の公主(プリンセス)からではないかー」 美女からの手紙に、太公望が自宅の門前で、締りなくにやけていた時だった。 「おかえり!望ちゃ―――――――――――ん!!!」 絶叫とともに弾丸のように飛んできた子供が、太公望の背に容赦のないタックルをかました。 「げふぅっ!!」 血反吐を吐いて轢死体と化した太公望の上に馬乗りになると、子供は倒れ付した彼を激しく揺さぶった。 「望ちゃんがかえってくるのまってたの――!!あそんで――――!!!」 無邪気に笑う子供には、容赦も悪気もなかった。 「ふげ・・・・・・とにかくどけ・・・」 「なにしてあそぶ?」 可愛らしい顔をして、ふげと呼ばれた子供は無邪気に笑った。 彼は、太公望の隣人である科学者、太乙博士の孫だか曾孫だかヤシャゴだか・・・とにかく、『親戚』と呼ばれるどこかの部類に所属する子供で、博士と一緒に住んでいる。 そのせいか、または彼自身の性格と行動力によるものか、近所では彼を太乙が造った最終生物兵器ではないかと噂する声もある。冗談のようだが、博士の奇怪な発明品の数々と、小さなふげの、無尽蔵の食欲を目の当たりにしては、無理からぬことかもしれない。 さて、ようやくふげの重石から開放された太公望は、彼の襟首をつかんで猫のように持ち上げると、自宅の門ではなく隣の、太乙博士の家の門を開けた。 「太乙。おぬしのところの生物兵器が、わしを襲うのだ」 奇妙な工作機械の数々に囲まれて、わけのわからないものの研究に熱中していた太乙は、ゴーグルに覆われた顔を上げて訪問者に笑みを送った。 「おかえり、太公望。今日は早かったんだね」 年齢不詳の科学者は、研究を中断されたというのに、特に嫌な顔もせず、隣の高校生を迎えた。 「次の三日月の夜、出かけなければならんのでな。今のうちに寝溜めしておこうかと思ったら、この最終兵器に背後から襲われて、血反吐を吐かされたのだ」 がしがしと、乱暴にふげの頭を掻きまわしながら、いかにも不機嫌そうに言う太公望に、太乙は茶と菓子を出してやりながら尋ねた。 「また事件かい?」 「うむ」 出された小さめのゴマダンゴを、ふげの小さな手と争うように取り合っていた太公望は、それを次々と頬張りながらうなずいた。 「今度は宝石泥棒だ。博士は知っておるかのう?キッドとか言う、キザな悪党だ」 「もちろん知って・・・ぶふっ!!」 言いかけた太乙が、たまりかねて吹き出した。 太公望とふげの二人が、ゴマダンゴをこれでもかと口の中に詰め込んで、どちらもハムスターかリスのような顔になっていたのだ。 「き・・・君達、人間なのに頬袋があるんだね!!」 爆笑しつつ、太乙は二人の前に新たな菓子を盛った皿を置いた。 「どこまで入る?!」 「遊ぶでないわ、マッドサイエンティストが!!」 ついふげと張り合って、間抜けな顔をさらしてしまった恥ずかしさをごまかすように、太公望はことさら怒鳴った。 「で?今度はあの怪盗と勝負なんだ?」 陽気に笑いながら、太乙は話題を戻した。 「女神から招待状をもらったのでな」 太公望は先程受け取ったばかりの手紙を太乙に見せた。 「崑崙財閥のお姫さまか。すごい美人なんだって?」 その手跡から容姿を連想しようとでもしているのか、彼は熱心に手紙を見つめていた。 「うむ。恐ろしい目をした弟が常に側にいるが、彼女自身は穏やかな美人だぞ」 「なんだい、弟って・・・そんなに怖い人なのかい?」 「姉と目を合わせただけで睨んでくるぞ。奴の目を逃れて彼女に接近するには、このくらい小さくなくてはのう」 言って、太公望は菓子皿を空にして、満足そうに甘いココアを飲んでいるふげを示した。 「望ちゃん、ちっちゃくなりたいの?」 ふげは、くるくるとした目で、無邪気に笑い返してくる。 「そうだのう。おぬしくらいちっちゃければ、食う・寝る・遊ぶし放題だからのう」 高校生探偵の悩みは、意外に深いらしい。 ふぅ、と息をつく太公望に、ふげが可愛らしく包装された飴玉をひとつ差し出した。 「じゃあ、ちっちゃくなれるおくすりあげるー」 「ほう・・・おぬしに食べ物を貯蔵する能力があったとは意外であった」 そこに食べ物がある限り。 無限のブラックホールのように全てを食い尽くすふげから差し出されたそれを、珍しい宝石に触るようにそっと手にとった彼は、『本当にもらってよいのか?』とふげに再確認した。 不用意に食べてしまって、泣かれてはかなわない。 「いいのー。あげる」 ふげの笑顔に、つい安心してしまった太公望は、その飴玉を口に入れた。 「・・・げふっ」 「おいしい?」 「めちゃくちゃまずいわ!!!」 涙まで浮かべて絶叫する太公望に、太乙が水を出してやると、彼はそれを問答無用で嚥下(えんか)した。そこまでまずいものだと言うのに、吐き出さない辺りはさすがである。 「〜〜なんだこの飴はー!匂いのない正○丸か!!」 「あめじゃないのー。ちっちゃくなるおくすりなの」 太公望の反応がおもしろかったのか、楽しそうにはしゃぎながらふげが言う。 「ふげちゃん、薬箱からもって来たのかい?だったら咳き止めとか、胃腸薬だから安心おしよ、太公望」 うちの薬箱には、ヤバイ薬はないからさー、と、笑う太乙に、ふげがふるふると首を振った。 「つくったの」 「・・・は?」 聞き返す太乙に、ふげがにっこりと笑う。 「うらのおにわでそだてた、おくすりのくさでつくったの」 「・・・一体、なんの草を育てたんだい?」 「んなこたぁどうでもよいわ!!問題は、わしが何を盛られたのか、と言うことだ!!」 だんっと拳でテーブルを叩いて、太公望は怒鳴った。 「だから、ちっちゃくなるおくすりだってばー」 「んなものがこの世に存在するかー!腹を壊す前に吐き出してくる!」 言って、憤然と立ち上がった太公望だったが、突然その場でがくりと、膝をついた。 「太公望!?」 太乙が慌てて立ち上がり、床の上でもだえ苦しむ太公望に駆け寄る。 「きゅ・・・救急車!いや、それより私が治療した方が早いか?!」 取りあえず彼を抱え起こそうとした太乙の腕の中で、更に太公望が苦しげにうめいた時だった。 「太公・・・?!」 その変化に、太乙は呆然と目を見開いたまま、硬直した。 彼の腕の中で、太公望の身長がみるみる縮んでいく。それだけではない。体つきも、顔つきも、確実に幼くなっていく。 「・・・そんな馬鹿な!!」 だが、それは紛れもない現実だった。 それほど長い時間をかけずして、その変化は終了した。 「・・・太公望?」 太乙がそっと太公望の身体を揺すると、彼はうっすらと目を開けた。 「・・・博士」 かすれた声ではあったが、太公望は、自分にちゃんと意識があることに安心した。 「・・・まったく、子供はちゃんと監督せいよ!死ぬかと思ったぞ!」 額ににじみ出た汗を腕でぬぐった太公望は、その袖がいやに長く垂れているのを見て眉を寄せた。 「・・・もしかして、わしはしばらく気を失っておったのかのう?」 それで博士が、着替えさせてくれたのかと思ったのだが、見上げた彼は青ざめたまま、硬直していた。 「博士?」 不審げに首を傾げる太公望を、太乙はなにも言わず、軽々と抱えあげて椅子に座らせた。 「っなんじゃ!年寄りのクセに力のある奴だのう!!」 そのまま背を向けて部屋を出て行った彼の背が、いやに大きくみえたのは気のせいだろうか。 いや、椅子に座って見回す部屋の風景。そして、どう見ても同じ目線の高さで笑うふげ・・・。 やがて博士が、とてつもなく大きな、いや、彼の目にはとてつもなく大きく見える姿見を持って戻ってきた。 「ごらん、太公望・・・」 そこに写っていたのは、小さな少年。 隣に立っているふげと、ほとんど変わらぬ身長と、幼い顔をした・・・。 「なんじゃこりゃ――――――――――!!!!」 家中に、太公望の絶叫が響いた。 心地よい風を受けて、高層ビルの屋上から、彼は夜の街を愛しげに見渡した。 星のように煌めき、宝石のように色鮮やかなこの景色を、彼は心から愛している。 特にこの、月の沈みゆく夜の街は。 いつもならひっそりと闇に沈むその場所も、今日は無粋な制服を着たナイト達に囲まれて、鮮烈なライトにその白い姿を照らされている。 「愛しの女神よ。今宵、あなたをお迎えに上がりましょう」 微笑みながら、彼は夜の闇に浮かぶ、壮麗な建物に一礼した。 いかにも楽しげな様子の彼を、しかし、背後から戒める声があった。 「・・・事は慎重に運ぶべきだぞ、普賢」 夜の闇の中に溶け込むように、その男は立っていた。 鍛え上げられた長身を持ちながら、その動きは驚くほどしなやかで、守護天使のごとくひそやかに普賢の傍らに控えている。 「これからお前が向かう場所には、日本警察の精鋭が集まっている。ただ一人、お前を捕らえるためにな」 心配気に眉を寄せる彼に、だが普賢は、晴れやかに笑って応じた。 「心配性だね、玉鼎は」 屋上の柵に背を預け、腕にはめた時計に目を落とす。 22時まで後わずか。 西の空に月が沈むのは、もう間もなく。 「・・・私は、先代の頃から怪盗キッドの側にいる。怪盗を守り、サポートするのが私の仕事だ」 「うん。いつもありがたく思ってるよ」 生真面目な彼をからかうように、普賢は屈託なく笑って言った。 「・・・私は、お前の仕事を止めるつもりはない。だが、お前は危険に対して、あまりにも無頓着すぎはしないか?少なくとも先代は――――・・・」 普賢は、微笑を浮かべた唇に人差し指を当てて、更に言い募ろうとする玉鼎の言葉を遮った。 「three・・・two・・・one!」 彼の最後の言葉とともに、玉鼎の視線を白いマントが音もなく遮る。 夜風をはらんだそれは、目の前の少年にしなやかにからみつき、その姿をどこにでもいる高校生から世界にただ一人の、孤高の怪盗へと変えた。 「・・・・・・普賢」 「ちがうよ、玉鼎」 先程までとは全く違う、大人びて不敵な笑みを刷き、彼は白いシルクハットを頭に載せた。 「僕はキッド。怪盗キッド。今世間を騒がせている、キザな悪党だよ」 言うや、彼は闇に舞うフクロウのように音もなく、軽々と柵を越えて、虚空まであと一歩の場所へと舞い降りる。 「哀しみの女神にいざなわれ、今宵、我は現れん。崑崙財閥の至宝、アルテミスのティアラを我が手に」 玉鼎へ肩越しに笑みを送り、怪盗は夜の闇へと降りて行った。 「普賢・・・」 その背を見送る玉鼎は、いよいよ眉を寄せた。 「――――願わくば、地獄の番犬が彼を捕らえる事のないように。妻を連れ出せなかったオルフェウスのように、彼が自ら過つ事のないように・・・」 眼下に広がる闇に、彼は低く祈ってきびすを返した。 「なんの用かな、あなたたちは」 長身の警部の、白い目にさらされて、太乙は思わず引きつった愛想笑いを浮かべた。 「ええっと・・・ここの竜吉さんと言う方に、ご招待いただきまして・・・」 太乙が差し出した封筒には、確かに崑崙財閥の次期総帥の名が書いてあった。 「聞仲警部、中にいらっしゃる竜吉さんに問い合わせたところ、お通しするようにとのことです!」 部下の報告に、聞仲はあからさまに眉を寄せた。 「まったく・・・いくら前から決まっていたとは言え、こんな時にパーティとは!何を考えているのだ!あの悪党を甘く見ているのか?!」 誰にともなく言うや、彼は『失礼』と短く言って、太乙の頬を力いっぱい引っ張った。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なにするんですかっ!!!」 目に涙を浮かべて抗議する太乙に、彼はさらりと答える。 「キッドの変装の可能性があるのでな。ところで、そちらはあなたのお子さん達か?」 聞仲が見下ろした先には、おそろいの服でおめかしした子供が二人。 一人はにこにこと笑みを返し、もう一人は憮然と彼を見返してきた。 「私のヤシャゴ達で、ふげとりょぼです」 なぜか笑いをこらえるように言う彼に、聞仲は思わず問い返した。 「玄孫・・・。あなた、いくつなのだ」 「太乙君、17さーい♪」 「ウソつけ!!!これが法廷なら偽証罪だぞ!!」 「んなこたぁどうでもいいから、通せよ」 熱くなっていた聞仲に、冷たく水をさす声。 どこから聞こえたのかと、思わずあたりを見回した聞仲に、更に声がかかった。 「どこを見ているのだ、おっさん。もうすぐキッドが来るのだろう?わしらをはよう、中に入れんか」 見下ろすと、二人の子供のうち、無愛想な方が、腰に手を当て、いかにも生意気そうな顔で彼を見上げていた。 「・・・おっさん?」 「あ・・・あははー・・・ごめんなさい、礼儀を知らない子で。りょぼ君、ダメだよ、そんなこと言っちゃ!失礼しますー!!」 冷や汗を浮かべながら、太乙はりょぼとふげの手を引き、そそくさと邸の中へ入って行った。 「・・・だめじゃないか、太公望。今の君は子供なんだから」 小声で囁く太乙に、りょぼ、いや、ふげの怪しげな薬によって、子供にされてしまった太公望は、苦々しく顔をしかめた。 「たかが中に入るのに、なぜこんなに手間取らねばならんのだ!以前であったら、何も言わずとも道をあけておったものを!」 「まぁまぁ。いいじゃないか、中に入れてもらったんだし。後は思う存分、君の力を発揮すればいいじゃないか」 「当然だ!!」 息巻いたところに、しゃら、とさやかな衣擦れの音がして、三人は思わず目の前に現れた女性にみとれた。 長い黒髪を軽く結い、白い薄紗を幾重にも細身に巻いて、緑の蔓草を飾りにあしらっている。まるで絵画から抜け出してきたような美しい女神は、珊瑚の唇に穏やかな笑みを浮かべた。 「ようこそおいでくださった」 「きゃー!はなよめさんなのー!!」 「白い服を着ておればみんな花嫁さんか、おぬしわ――――!!」 歓声を上げて駆け寄ろうとするふげと、それを後ろから羽交い絞めにして鋭くつっこむりょぼに暖かな笑みを向けて、この邸の女主人は太乙に近づいた。 「はじめまして。私は竜吉と申します。太公望殿の代わりにおいでいただいた方じゃな?」 「はじめまして、崑崙の公主。太公望君の隣人で、天才科学者の太乙真人(たいいつ まさと)です♪ こっちは私のヤシャゴ達で、ふげちゃんとりょぼ君。よろしくー」 両手でふげ&りょぼと手を繋ぎ、幼稚園の先生よろしく三人いっしょに礼をする。 「先日お電話で聞いた話では、太公望殿は体調を崩されたとか。当家の事件を解決して頂いたときはお元気であられたが、一体どのような・・・?」 心配げに聞いてくる彼女に、まさか『自分がその探偵ですよ』とも言えず、りょぼが遠くを見つめていると、隣に立つ太乙が、空々しく笑う声が聞こえた。 「それがもう、大変なんですよ。水疱瘡におたふく風邪を併発しましてね、体中紅白のまだらになった上に、顔は2倍くらいに腫れちゃって、高熱出してうんうんうなってるんです」 ・・・・・・おい。 「でも大丈夫。彼は名探偵ですから、情報さえちゃんと入ってくれば、自室にいながらにして、事件を解決してくれますよ!」 自信ありげに言う太乙に、にっこりと微笑んで竜吉はうなずきを返した。 しかし、 「そうは言うが、起こってしまった事件ならばともかく、これから起こる事件を自室で未然に防ぐことができるのか?」 不快げなその声に、りょぼはうんざりとした表情でその男を見遣った。 すっきりとしたタキシードの、服地に覆われていてもわかるたくましい体。男らしく凛々しい顔の、眉根を寄せて近づいてきた彼を、竜吉ははんなりと笑って迎えた。 「太乙殿、ご紹介しよう。私の弟の、燃燈じゃ」 「はじめまして、燃燈さん」 にっこりと笑って差し出した太乙の手を無愛想に握り返しながら、燃燈は短く『よろしく』と答えた。 「それで?今回あの少年探偵は、何ができるというのだ?」 『あの』と言う部分に、複雑な思いを絡ませながら、燃燈は真正面から太乙を見返してくる。 ・・・・・・根に持っておるのう。 りょぼは、先日の事件で、初めて彼と会った時のことを思い出した。 常に姉につき従い、彼女の身の安全を第一に思っている彼の目の前で、太公望はつい彼女と親しげに話し、キザなほめ言葉なんぞを送ってしまったのだ。 以来、この弟は太公望のことを、『まだガキのくせに姉様に付きまとう悪い虫』と認識してしまった。 「・・・美人に美人だと言って何が悪いのだ」 ぼそりと呟くりょぼの言葉を聞き咎めて、燃燈がじろりと見下ろしてきた。 「・・・先日の少年探偵と似ているようだが、親戚の子供か?」 「カンケーないであろうが、んなことは」 「生意気なところもそっくりだ」 さらりと返されて、りょぼは憮然と口をつぐんだ。 「まぁ、ご心配はごもっともです。しかし!私が発明した、このポータブルカメラで現場の状況を放送しますので、太公望は自室にいながらにして、こちらの状況を把握できるのです!」 得々として太乙が取り出したのは、どう見ても普通のビデオカメラだった。 「・・・新発明なのか?」 思わず首をかしげる姉弟に、太乙はグフフ、と気味の悪い笑いを漏らす。 「この大きさで、一ヶ月の連続使用が可能です!」 「なに?!この小ささで?!」 「特許出願中ですが、取れるのは確実です。いかがです?崑崙財閥の電化製品部門で、この技術を買ってくれませんか?」 「それが本当ならば、願ってもないことだ!博士とはゆっくりお話をしたい」 ・・・・・・・・・・・・・・・・。 りょぼは、頭上で繰り広げられる商談を、冷たく見上げた。 「博士・・・道理でここに来たがったはずだのう・・・」 「・・・大人達がつまらぬ話を始めてしまったのう」 子供達に視線を合わせて、竜吉が微笑みかけてくる。 その頭上には、室内の光を弾く、銀色のティアラ・・・。 「・・・竜吉さん・・・それは・・・!!」 「きらきらしてるの!きれいなのー!!」 目を丸くするりょぼの隣で、ふげが無邪気な声をあげた。 「これか?これはアルテミスのティアラの、精巧な複製じゃ」 本物のティアラは、大粒の真珠を中心にダイヤをちりばめたプラチナ台のもので、宝石としての価値はもとより、歴史的価値も高いものだと言う。 「私の母より譲り受けたものだが、今は怪盗に狙われているのでな。本物は警察が守ってくれておるのじゃ」 これもおぬし達にはつまらぬ話であったな、と、微笑みかけて、竜吉はふげとりょぼの手を取った。 「こちらへおいで。もうすぐパーティが始まるのでな、おいしい物がたくさんあるはずじゃ」 竜吉に手を引かれて入った大きな部屋では、外の警戒も構わずに、多くの招待客達がたのしげにざわめいている。 その中に見慣れた姿を発見した太公望は、竜吉の手をほどいて彼の側に駆け寄った。 「飛虎警部!!」 元の太公望の身長でも、見上げるほどの長身だった彼は、今や大山のごとくそそり立っている。 「捜査一課の警部が、どうしてここにおるのだ?!何か事件か?!」 足元にまとわりつくようにして聞いてくる子供の頭を、飛虎はしゃがみこんでくしゃくしゃと掻きまわした。 「誰だ、おめぇ?」 「誰だだと?!」 聞き返して、りょぼは、自分がいつもと違う姿であることを思い出した。 「あ・・・えーっと・・・」 額に汗を浮かべて、りょぼはしゃがんでなお大きな飛虎を見上げた。 「・・・太公望さんのお隣に住んでいる、太乙博士のヤシャゴで、りょぼと言います」 「・・・ヤシャゴ。・・・いくつなんだ、おめぇのひいひいじいちゃんは?」 「そんなことより、なんで捜査一課がここにいるんですか?キッドの捕獲は、捜査二課の担当でしょう?」 そう。あの、冷たい目をした聞仲警部の担当だったはず。 「お。よく知ってるなぁ、坊主!確かにオレは、キッドとは関係ないんだけどよ、こないだここであった事件の担当だったんで、ここのお嬢さんからパーティに招待してもらっちまったのさ」 そしたらこの騒ぎで、しこたま飲んで食べてやろうとしていた目算が外れてしまったらしい。 「聞仲は意外と根にもつからなぁ・・・。護衛している振りでもしましょうか、お嬢さん」 磊落に笑う飛虎に、竜吉ははんなりと笑って応じた。 「頼もしい限りじゃ」 「ぼくもごえいするのー!」 意味がわかって言っているのか、ちゃっかりテーブルについて、その上の食物を確実に胃袋の中に収めながら、ふげがフォークを持った手を上げる。 「うむ。頼むぞ」 かがんでふげの頭を撫でる竜吉の、その黒髪の上で輝くティアラを、太公望はもう一度、じっと見つめた。 「・・・僕も食べる」 言って、椅子によじ登った太公望は、隣でうれしげに食物を頬張るふげの耳に口を寄せた。 ひそひそとささやくと、ふげがフォークを咥えたまま、目をきらきらと輝かせてりょぼを、そして傍らに立つ竜吉を見た。 「どうかしたか?」 「ううん」 にっこりと、子供らしい笑みを浮かべてりょぼが答えた。 「きっとデザートもたくさんあるね、って言っただけ」 「全ての入り口に警官が配置されている上に、上空にはヘリが3機♪お迎えご苦労様」 楽しげに言って、彼はまっすぐに聞仲の側に近づいて行った。 「警部!」 「なんだ、張奎!何かあったのか?!」 聞仲の部下に変装した彼は、いかにも深刻な顔をして、彼の上司に報告した。 「警部から最優先で警備を固めるように指示のあった配電室ですが、無線に応答がありません!」 「なんだと?!」 暗闇に乗じて悪事を成すのは、怪盗の常套手段だ。 それゆえに、ティアラが保管されている部屋と同様の厳重さで、配電室の警備を固めていたのだが。 「もしかしたら、キッドが入り込んでしまったのかもしれません!」 張奎の言葉に、聞仲が目を険しくする。 「――――配電室に行く。張奎!ここは任せたぞ!」 「はい!がんばります!!」 生真面目に敬礼する張奎に見送られて、聞仲は早足で邸の中に入って行った。 彼の部下が、かざした掌の下で笑みを浮かべていた事を知る由もなく。 ――――three・・・two・・・one! 午後10時10分。 邸内のみならず、邸を照らしていた全ての光が落ち、月のない街は真の暗闇に落ちた。 混乱はせずとも、緊張とざわめきの満ちた暗闇の中を、彼はゆったりと邸に向かって歩きはじめた。 ――――愛しの女神よ。今宵、あなたをお迎えに上がりましょう。 あたりに闇が満ちると、りょぼは部屋の隅に置かれた居心地のよい長椅子から降りた。 ――――こんなことだろうとおもったわ。 彼は、キッドが来るであろう時刻を、ほぼ正確に察していた。 ゆえに22時を過ぎると、太乙に子供っぽく『眠い』と駄々をこねて見せて、静かな暗い場所で闇に目を慣らしていたのだ。 ざわめく大人達の間をすり抜けて、りょぼは不安げに立ち尽くす竜吉の側に寄った。 「竜吉さん・・・」 そっと呼びかけて、その手を取ると、竜吉はりょぼの傍らにしゃがみこんだ。 「りょぼか?大丈夫、怖くないからのう?」 子供をあやすように、穏やかに言う竜吉の言葉に、内心、深く息を吐きながら、りょぼはその手を引いた。 「こっちに来て。ここは危ないよ」 「りょぼ・・・」 困ったような竜吉の声に、りょぼは舌打ちしたい気分だった。 太公望の姿であれば、有無を言わせずに連れて行けるものを。 「早く!ここにいたら、奴が来てしまう・・・!!」 その切迫した口調に、竜吉は困惑した表情を浮かべた。思わず、ついて行こうかと立ち上がった時、 「姉様、動かないでください」 すぐ側で、弟の声が聞こえた。 「暗闇で動いては危ない。私の側にいてください」 力強い声。否定を許さない、その口調に、りょぼは悔しげに彼を見上げた。 「竜吉さん、早く!!ティアラを守りたいんでしょう?!」 「ティアラは警察が守っている。私は姉様を危険にさらすわけには行かないのだ。さぁ、姉様・・・」 弟が、闇の中で竜吉の手を取った。 「行くな・・・そいつはキッドだ!」 冗談とは思えないその声に、竜吉は手を引こうとしたが、闇の中の彼はそれを許さなかった。 「女神よ」 笑みを含んだ知らない声が、彼女の手を引き寄せる。 「宝石などなくとも、あなたは十分に美しい」 怪盗は、その手に捕らえた竜吉の手の甲に、軽く口づける。 「それでは、失礼いたします」 ふわりと風を起こして、彼が一礼する気配がした。その時。 『扉を閉めろ!!キッドが現れたぞ!!』 部屋中に、聞仲警部の声が響く。 出入り口を固めていた警官隊が、弾かれたように動いて全ての扉を閉ざした。 そしてその途端、邸中に再び明かりが灯った。 「キッドだと?!聞仲・・・おぉ?!聞仲?!」 明るくなった室内で、飛虎が辺りを見回すが、そこに聞仲警部の長身はなかった。 「姉様!!」 燃燈が・・・、本物の燃燈が、その顔を蒼白にして竜吉に駆け寄った。 「燃燈・・・」 竜吉は、震える手をその頭に当てた。そこに当然あるべき、硬い感触を求めて。 しかし彼女が得たものは、柔らかく、ひんやりとした花の感触。 「姉様!!」 糸が切れた人形のように、竜吉は弟の腕の中に倒れこんだ。 「・・・太公望」 りょぼの側に駆け寄って来た太乙が、ひそやかに彼の名を呼んだ。 「・・・わしの名を呼ぶということは、博士はキッドの変装ではないのう」 悔しげなりょぼの口調を気にする様子もなく、太乙は続けた。 「さっきの声は、君かい?」 ここにはいない、聞仲警部の声。 素早く扉を閉め、キッドをこの部屋に閉じ込めてしまうための。 「博士の作った変声器が、さっそく役に立ったぞ」 憮然と答えて、りょぼは周りの人々を注意深く見回しながら、ふげを手招きして呼び寄せた。 が、そんな時、招待客達の中から、ひときわ華やかな女が進み出た。 「なにをそんなに慌てているのん?盗まれたのは、レプリカなんでしょぉん?」 艶やかな笑みを浮かべ、長いショールをひらめかせながら、彼女は弟に支えられてなんとか立っている竜吉に近づいた。 「それとも、あなたが身につけていた方が本物だったのかしらん?」 ざわ、と、周りの声が高くなる。 その中で、竜吉は血の気を失った唇を噛んだ。 「あらまぁ!本当なのん?!ひどいわぁん!あのティアラは、もうすぐわらわのものになるはずだったのに!!」 空々しいそのセリフに、招待客達は一様に驚きの声を上げた。 「それ、ほんと・・・?」 りょぼの問いに答えたのは、青ざめてうつむく竜吉ではなく、彼女を挑発するように騒ぎ立てる女の方だった。 「ホントよん、ぼうや。『世界の宝石展』が終わったら、あのティアラはわらわのものになるはずだったのん。ちゃんと、契約も済んでいるのよん」 「あれを契約だというのか?!騙し取っておいて、白々しい!!」 しかし、彼女はどこ吹く風、とばかりに燃燈の怒声を笑顔で受け流した。 「帝立美術館への貸し出し認証を、売買契約書にすりかえたはおまえではないか、妲己!!」 その名を聞いて、りょぼはこの華やかな女が、崑崙財閥とはライバル関係である金鰲財閥の女頭首であることを知ったのだった。 「あらん。あの契約書は正式なものよん。その証拠に、裁判はわらわの勝ちだったじゃないのん」 「・・・!」 悔しげに妲己を睨みつける竜吉の様子を見て、りょぼはふげの耳に囁きかけた。 ――――まだだぞ。今はまだダメだ。わしがいいと言うまで。 多くの客達の前で、妲己は更に言い募る。 「警察にはがんばってもらわないとねん♪わらわのために」 そして彼女は、高く笑声を上げてさっさと出口へ向かった。 「帰るわん。身体検査でもなんでもして、わらわを出してちょうだい」 驕慢な態度で、出口を固める警官に言う彼女に、彼らは戸惑ったように顔を見合わせつつ、手を出すようにと指示した。 「手?どうするって言うのん?」 からかうように言う彼女の手や、袖口、衣服に、婦警が光を発する器具を当てていく。 「・・・紫外線検知器だね。どうやらティアラには、紫外線パウダーか何かをつけてたみたいだ」 太乙が、そっと呟くのが聞こえた。 それに対してりょぼは、当然だと頷く。 いかなキッドとは言え、全くティアラに触れずに盗み出すことはできない。警察はティアラに、目には見えないが、紫外線を当てればはっきりとわかるパウダーをつけて、それに触れた者が断定できるようにしていたのだろう。 「さぁ、問題はないでしょぉん?わらわを出してん」 だが、彼女の要請は無下に却下された。 「残念ですが、あなたの手からティアラについていたものと同じ、紫外線パウダーが検出されました。身体検査をさせて頂きますので、婦警と別室にどうぞ」 「ありえないわん」 「事実です」 警官の応答は冷たかった。 「・・・あなた、こんなことしていいと思ってるのん?」 すっと目を細めた彼女の目は、もはや笑ってはいなかった。 しかし、 「いいのか、そんなこと言っちまって?」 彼女の迫力にひるみもせず、飛虎警部が彼女の前に進み出た。 「今なら任意同行。だが、抵抗するようなら最悪の場合、現行犯逮捕になっちまうぜ?」 「そんなことしたら、訴えてやるわん」 彼女ほどの力があれば、勝訴するのはたやすいだろう。が、飛虎は肩をすくめて太い笑みを浮かべた。 「早く帰りたいんだろう?だったら、おとなしくついて行って調べてもらったほうが後腐れがなくていいじゃねぇか」 妲己は、ふ、と笑みを浮かべた。 「このわらわに面と向かってそんなことが言えるなんて、おもしろいひとねん。 いいわん。ついてってあげるん。話の種にもなるでしょうしねん」 彼女の背を覆うショールが、ひらひらと風を孕んで彼女の後をついて行く。彼女の去った後には、甘く、良い香りが漂っていた。 「・・・ふげ、どうだ?」 りょぼがふげに問うと、彼は小さな指で今しも出ていこうとする妲己を指し示した。 「あのおねえちゃんなの」 「でかした!」 りょぼがふげの手を引き、妲己の後を追って駆け出した。 「!!」 「ぼうや達、ダメだよ、出ちゃ!!」 出口を固めていた警官達が、慌てふためいて彼らを止める。 「だって、どうしてもトイレに行きたくて・・・」 甘えるような声を出して、りょぼは哀しげに警官達を見上げた。 「キッドだって、いくらなんでも子供には変装できないでしょ?出して―――!!」 困惑したように顔を見合わせる警官達に、飛虎が笑みを向けた。 「行かせてやんな!ここで漏らされちゃたまんねぇだろ!」 「ありがとう、警部!!」 言うや、りょぼはふげと手を繋いだまま、警官を振り切って妲己の後を追って行った。 「待って!!」 二人の婦警に、挟まれるようにして歩いていた妲己は、子供の声に振り返った。 「なぁに、ぼうや?」 嫣然とした笑みは、子供に対しても存分に振舞われた。 「教えて欲しいことがあるんだ」 歩みを止めた彼女の前に進み出て、りょぼはかがんだ彼女の耳に囁いた。 ――――パウダーが検出されたのは、ショールから? 「どう?」 更に尋ねると、彼女は笑って頷いた。 「その通りよん」 「ぼうや、もういい?」 妲己についていた婦警の一人が、彼女とりょぼの間に入って来た。 うん、と頷いてりょぼがふげの手を引くと、ふげは、もう一人の婦警の手を取った。 「なに、ぼうや?」 中年の婦警は、母親のような顔をして、可愛らしいふげに笑みを向けた。そんな彼女へ、りょぼがすかさず声をかける。 「婦警さん、トイレがどこかわからないんだ。連れて行って」 「あら・・・でも・・・」 困ったように眉を寄せる彼女に、廊下を固めていた婦警の一人が申し出た。 「いいわよ、私が代わるから」 言って、彼女は妲己を連れて、もう一人とともに部屋に入って行った。 「・・・じゃぁ、連れて行ってあげようね」 両手を子供達に繋がれて、婦警は邸の奥へと入って行く。 邸は、奥に行ったからと言って、警官が少なくなると言うことはなかった。むしろ、奥にいくにつれ、厳重に固められているようだった。 「おまわりさんがたくさんいるんだね」 無邪気に言うりょぼに、婦警は頷いた。 「使ってない部屋とかに、忍びこんでくるかもしれないからね。隙間も漏らさないように警戒しているのよ」 得意げに話す婦警に、りょぼは笑みを向けた。 「どこから入っても同じなら、正面から入った方がいいよね」 「まぁ・・・さすがにそんな大胆なことは・・・」 「やったんだろう?キッド」 りょぼの、彼女の手を握る手に力がこもる。 「ぼうや、なにを・・・」 苦笑する彼女に、りょぼは子供らしくない冷笑を向けた。 「この場所で、手袋をしていても怪しまれない人間。その手袋に紫外線パウダーが付着していても、怪しまれない人間。被疑者について部屋を出ても、怪しまれない人間。まさに、都合のいい隠れ蓑だのう?」 すっと、彼女の目が細くなる。 「いけない子ね、ぼうや。大人をからかうものじゃないわ」 「ティアラはどこ?」 「いい加減にしないと・・・」 「ふげ、ティアラはどこだ?」 りょぼに気を取られすぎていた。 彼女は、もう一方の手を取っていた子供が、開いたほうの手を伸ばして、その帽子を取るのを止められなかった。 「・・・!」 「両手を封じられておっては、いかなマジシャンとて、簡単に盗られてしまうものだのう」 「・・・そうかな?」 はらりと、広い布がりょぼの上に落ちてきて、彼は一瞬、視界を遮られた。 「脱出は、基本的なマジックのひとつだよ」 警官達のひしめく中に、彼はあまりにも無造作に、そしてあざやかに現れた。 白いスーツと同色のマント。モノクルをかけ、シルクハットを目深にかぶっているために顔は良く見えないが、彼が意外と若いことは知れた。 「キ・・・キッド・・・!!」 突然目の前に現れた怪盗に、興奮し、いきり立ち、それでもなお襲いかかることにためらっている警官達の中で、彼はいつの間にかふげから取り戻した婦警の帽子をもてあそんだ。 「よくわかったね、ぼうや」 口元に笑みを浮かべて、彼はりょぼを見下ろした。 「・・・匂いだよ。 明かりが落ちた時、こっそりとティアラにつけておいたんだ、バニラエッセンスをね」 「・・・バニラ」 さすがに呆れたような口調に、りょぼはふげの手を引いた。 「こやつの、お菓子を探索する嗅覚は警察犬並だ」 その言葉に、キッドは失笑した。 「紫外線パウダーはともかく、バニラエッセンスで捕まるなんて、笑い話だね」 「英雄の死は、あっけないものと決まっておる」 勝ち誇った笑みを浮かべ、油断なく間合いをつめてくるりょぼと警官達の中心で、キッドは慌てる様子もなく、婦警の制帽の中からティアラを取り出した。 「麗しの月の化身よ」 彼はそれを、光にかざすように捧げ持った。 「あなたの怪盗が、お迎えに上がりました」 途端。 ティアラが閃光を放ち、その場にいた者達の目を灼いた。 「・・・っ!!」 目をかばいつつも、彼の姿を追おうとしたりょぼの耳に、笑みを含んでささやく声があった。 「ぼうや、いいことを教えてあげよう」 余裕に満ちた声は、諭すように続けた。 「怪盗は、あざやかに獲物を盗み出す創造的な芸術家だけど、探偵は、その跡を見て難癖をつける、批評家にすぎないんだよ?」 「なんだと?!」 「Good Night,Sugar boy.(おやすみ、ぼうや)」 閃光と共に怪盗が消えた後も、りょぼの目には屈辱が残像のように、いつまでも消える事がなかった。 「これって、結局は炭素と炭酸カルシウムの塊なんだけどさ、人を魅了する力はすごいよね」 翌日、ゴールデンウィーク初日。 ソファに仰向けに寝転んで、手に入れたばかりのティアラを日の光に透かしながら、普賢はひとりごとのように言った。 大粒の真珠の周りに、ダイヤをちりばめたプラチナのティアラは、日の光を弾いて銀色に輝いている。 昨夜、このお宝を手に入れた時の事を思い出して、彼は声を出さずに笑った。 自分を追いかけてきた子供。 小さいくせに、妙に賢くて、その上老獪。 まるであの、クラスメイトのようだった。 「・・・望ちゃん、来てくれると思ったんだけどなぁ。『泥棒ごとき』には興味ないのかな」 「わざわざ身を危険にさらすような真似をするな」 つまらなそうに言う普賢を、たしなめる声。 「怒らないでよ。ちゃんと戻ってきたじゃない」 だが、彼の眉間のしわは消えない。 普賢はひとつ息をついて、傍らに立つ長身の男を見上げた。 「いっつも僕の事、子供扱いだよね、玉鼎は。いつまでも先代と比べるのはやめてほし―なー」 言って、視線をティアラに戻した彼は、そのまま黙りこんでしまった。 「・・・普賢?」 「・・・このティアラ、随分古いものだよね?」 仰向でティアラを捧げ持ったまま、普賢はぴくりとも動かない。ティアラの陰を受けた顔には、先程までの楽しげな笑みはなく、挑むように真摯な視線を送り続ける。 「・・・玉鼎。確かに僕は、まだまだ先代には及ばない子供だね」 「・・・どうかしたのか?」 彼の意外な言葉に、驚き問い返す玉鼎に、普賢は自嘲めいた笑みを浮かべた。 「真珠の宝石言葉は『月』、周りにちりばめたダイヤは、女神の従える星々。それはいいんだけどさ、なんでティアラの台が銀じゃなくてプラチナなのかな、と思ったんだ」 銀はアルテミスの形容に、好んで使われるものであるのに。 「それは・・・銀が酸化しやすいからではないか?磨くのに手間がかかる」 「そんなこと、今の人間だから言うんだよ。昔の王侯が、『磨くのに手間がかかるから』なんて理由で、銀の代わりにプラチナを使えなんて言うかな?」 昔で言うプラチナは、現在、元素記号の『Pt』であらわされる銀白色の金属ではなく、金に銀を混ぜた14金。いわゆる『混ぜ物』だ。価値で言えば、当然純金である24金のほうが高い。 「プライドの高い王侯が、頭上に頂く『冠』に、混ぜ物なんか使うのかな・・・」 冷え冷えとした口調で言うと、彼は唐突に起き上がり、ティアラを玉鼎に向かって放り投げた。 「それ、宅配便ででも送り返してあげて」 戸惑いつつも、ティアラを受け止めた玉鼎は、彼に問うような視線を向けた。普賢は、玉鼎の手の中で輝きを放つティアラを、もはや見ようともせず、憮然とした声で応えた。 「それは、古い真珠と古いダイヤを使った、高価な偽物だよ。誰が仕組んだかしらないけど、僕はまんまと引っかかってしまったんだ」 「普賢・・・」 気遣う声すら振り切るように、普賢は玉鼎に背を向けた。 「高価な物を与えれば、本物は諦めるとでも思ったのかな?」 彼らは、怪盗にたいして礼儀を欠いた。このキッドを、金目当てのコソドロと同等と見なしたのだ。 普賢は不快げに眉を寄せた。 「・・・怪盗の誇りにかけて、本物のティアラは、必ず頂く」 「ぐふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」 ソファに突っ伏して、悔しげな唸り声を上げつづけるりょぼを眺めながら、太乙は苦笑した。 ティアラの事件から2日後。いまだりょぼの姿のままである太公望は、太乙の家に厄介になっている。 「そんなに悔しかったのかい?」 聞かずもがなのことを、太乙はあえて言う。 不敗を誇ってきた少年探偵の、初めての敗北だ。悔しいのはわかるが、ここまで派手に落ち込んでくれると、思わずからかってやりたくなる。 「あ〜〜〜〜〜や〜〜〜〜〜〜〜〜つ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!だれがぼうやだ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」 「ぼうやじゃないか」 「泥棒は芸術家で探偵は批評家だと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!????」 「いっつも重箱のすみつついてるよねぇ」 りょぼはがば、と身を起こすと、クッションを思いっきり太乙に投げつけた。 「ちょっとは慰めたらどうなのだ!!」 顔を真っ赤に染めて怒り狂う子供に、太乙は軽い笑い声を上げた。 姿形が、心にまで影響を及ぼすのか、彼の態度は小さな子供そのものだった。 「いいじゃないか。君が・・・『太公望』が負けたわけじゃない。まだ少年探偵は、不敗の名声を落としてはいないだろう?」 「違う!世評なんぞ関係ないわ!!わしは、わしがあやつにだしぬかれた事を知っておる!!こんなに悔しい事はない!!」 顔を真っ赤にして、涙までにじませて絶叫するりょぼに、太乙がまた吹き出した。怒りに燃えたりょぼが、またもやクッション爆弾を投げつけようと振りかぶったとき、都合よく玄関のチャイムが鳴って、クッション爆弾は空しく部屋のドアに当たって落ちた。 「はいはい、どなたですかー?」 危機管理能力の希薄な日本人の習性そのままに、太乙はドアの向こう側を確かめもせずに開いた。 「太乙博士のお宅ですね」 連絡もなしに失礼、と、口では詫びながら、全く悪びれない様子で、その男は彼の前に立った。 「・・・燃燈さん」 太乙はぽかんとした表情で、彼の名を呼んだ。まさか名刺交換をした翌日に、訪ねてくるとは思わなかったのだ。 「えーっと。カメラの充電器のことでしたら、昨日も言いましたけど、特許を取るまでは・・・」 「いえ、違うのです、博士」 きっぱりと言って、燃燈はその身体を少しずらした。 「突然お邪魔して、申しわけない、博士」 そこには、陽光の下で見ても相変わらず美しい、崑崙の公主が立っていた。 「竜吉さん・・・」 「太公望殿は、ご在宅だろうか」 言って、彼女は隣の家へと視線を送った。 「太公望に、何か?」 笑みを浮かべられるほどには落ち着きを取り戻した太乙に、竜吉はゆっくりとうなずいた。 「名探偵に依頼したき事があって参ったのだが、太公望殿はまだご不調だろうか・・・?」 落ち着いてみえたが、どこか頼りなげな彼女に、太乙は安心させるように微笑んだ。 「中へどうぞ。太公望に、電話しましょう」 太乙にうながされ、竜吉と、彼女に従う燃燈が家の中に入ると、奥から軽い足音がして、ふげが弾丸のように飛び出してきた。 「きゃー!!おかしのおねえちゃんなの―――――――――――!!!」 いきなり飛んできた生物兵器は、しかし、竜吉に届く前に空中で掴まれた。 「ご無事ですか、姉様!!」 燃燈の小脇に抱えられ、ふげは泳ぐように手足をばたつかせて笑っている。 「大事無い。 ふげ、であったな?『お菓子のお姉ちゃん』とは、私の事か?」 にっこりと微笑みかけてくる竜吉に、ふげはこくんとうなずいた。 「望ちゃんとげーむしたの!あかりがきえたら、おねえちゃんのかんむりがなくなるから、それをみつけたらおかしあげるってー!!」 竜吉が、思わず表情をこわばらせて太乙を見た。 「・・・どういうことですか、博士?」 苛烈な目で燃燈に睨まれて、太乙は深く息をついた。 「・・・りょぼという、生意気で小賢しい子供がいたでしょ?」 太乙が苦笑する。 「あの子は実は・・・」 ためらうように言葉をきった太乙に、先を続けるよう、燃燈の目が脅迫する。 「―――太公望の手先なんですよ!」 ・・・・・・もうちょっとましな言いようはないのか。 ドアの向こうで、冷や汗を流しながら様子を伺っていたりょぼは、ずるずると床に沈みこんだ。 「昨日も、私が小型カメラで実況中継していたパーティの様子を見て、りょぼに指示を与えていたんです!」 「大人のあなたにではなく、あんな子供に?」 眉を寄せる燃燈に、太乙は笑みを深くする。 「子供の方が、キッドを油断させることができるでしょう?それに、あの部屋にいた人間で、婦警に変装したキッドを追って行けたのは、子供だったからです」 よくもすらすらと嘘が言えるものだ。 りょぼは、博士の思わぬ機転に、呆れつつも賞賛を送った。 「それに、りょぼは太公望の事を慕ってますからね。明智探偵の小林少年のように!」 ・・・・・・例えが古いぞ、じじぃ・・・。 だが、姉弟はなるほど、と感心してうなずいた。 ・・・・・・まさか、同世代なのか?! りょぼが再びドアにへばりついて、様子を伺っていると、太乙は応接間に二人を案内したようだった。 「太公望に連絡しましょうね」 電話を取ってきます、と言いおいて応接間を出、りょぼが潜んでいた部屋に戻ると、太乙はにっこりと笑った。 「また、私の作った変声器が役に立つようだよ。君の携帯に電話するから、『太公望』の声で出ておくれ」 病気のふりを忘れないようにね!と言って、太乙は電話の子機を持って応接間に戻った。 『もしもし、太公望かい?具合はどう?』 携帯の向こうから、白々しく響く太乙の声に、りょぼは苦い吐息を漏らした。 『熱は下がったかい?後でお粥作りに行ったげるからねー?』 博士のセリフに、自分が今、水疱瘡におたふく風邪を併発して、紅白のまだらになったまま、高熱に浮かされている事を思い出し、涙が出そうになった。 「・・・その方がまだましじゃ」 こんな姿は嫌だ!と絶叫しそうになるのを、辛うじてこらえる。 『元気だしなよー。すぐ治るって』 子供に言い聞かせるような太乙の、演技ではない慰めに、りょぼは少しだけ癒された気がした。 『ところでね、今、ウチに竜吉さんと燃燈さんが来ててね、君にお願いしたいことがあるんだって。話せる?』 芸の細かな奴だ。 博士の意外な才能に、感心しながら、りょぼは竜吉に電話を代わってもらった。 『・・・ご不調の時に、申し訳ない』 心からすまなそうに言う彼女を安心させるように、りょぼはつとめて明るい調子でい応えた。 「とんでもない。美人からの電話は、大歓迎だ」 電話から洩れ聞こえる声に、燃燈がさぞかし不機嫌な顔をしているだろうと思うと、妙に気分が良かった。 『高熱を出しておられたとか・・・?』 「ええ、まぁ・・・。熱は下がったのだが、今は・・・人前に出られる容姿ではなくてのう・・・」 乾いた笑いに実情が溢れる。 『お気の毒に・・・』 「一生に一度の災難だのう・・・」 ―――― 一生に一度であってくれ。頼むから。 願いは、大気圏を突き破って星に届いただろうか? 「ところで、わしに依頼とは、なんであろう?」 『ティアラの事じゃ』 「・・・・・・・・・・・・・・・申し訳ない。わしの不覚であった」 胃の中に鉛を詰められたような思いで、りょぼはうなだれた。 「追いつめたと思いきや、あれほど簡単に逃げられてしまうとは・・・・・・・・・・・・」 奈落の底まで沈んでいくような声に、竜吉は慌てた。 『責めているのではない。ティアラは無事なのだから』 「なんだと?!」 思わず、りょぼの声が険しくなる。 『すまぬ。太公望殿には、おしらせしようと思っていたのだが・・・』 警視庁捜査二課の聞仲警部は、思った以上に切れ者だったのだ。 彼は、竜吉と燃燈の姉弟にすら多くを知らせず、いくつもの罠をはって、キッドを絡めとろうとしていたのだった。 「つまり、『偽物』のティアラは2つあったのか・・・」 りょぼは、苦々しい息と共に言葉を吐いた。 「金鰲財閥の妲己・・・。彼女のせいか?」 問いは、重い沈黙をもって応じられた。 「・・・何か事情があるのだな?」 昨夜の様子を見ても、妲己と竜吉の間に、深刻な諍いがあるのだとは察せられた。それゆえにりょぼは、あの客達の目の前で、キッドにふげをけしかけなかったのだ。 『うむ。我が崑崙財閥と、妲己の金鰲財閥は、昔からあらゆる分野で対立してきた。今回も、元はと言えばある土地の、石油採掘権を崑崙が勝ち取った事が発端だったのじゃ』 「石油・・・」 りょぼはおうむ返しに呟いた。 さすがに大財閥同士の争いだけあって、話が大きい。 『先日OPECが、油田の枯渇を憂慮して、採油を縮小するよう、決定したのはご存知であろう?』 「もちろん」 新内閣誕生直前に、日本だけでなく世界中を騒がせたニュースを、知らないわけがない。 いかにクリーンなエネルギーの開発が進んでいるからと言って、そう簡単に現状はかわらない。石油がまだまだ人類の貴重なエネルギーでありつづけることは疑いがないのだ。 『我が財閥の調査の結果、ある土地が石油を産する可能性が非常に高く、産油量も豊富で、十分利益を上げられるだろうとの結論を得た。だが、その土地に目をつけていたのは崑崙だけではない。金鰲もまた、独自に調査して同じ結果を得ていたのじゃ』 それからは、企業間で熾烈な争いが繰り広げられたらしい。その結果、採掘権を手に入れたのは崑崙だったが・・・。 「・・・根に持った妲己が、公主に嫌がらせをしたわけだな」 『・・・あさましいと思われるかもしれぬ。だが、あのティアラは、我が崑崙財閥の宝。絶対に渡したくなかったのじゃ。 だから、『世界の宝石展』用の複製を作る時にひそかに、より精巧な複製を作るよう、依頼した』 その二つの偽物のティアラの事を聞いた聞仲は、それを利用しない手はないと彼女らに告げた。 つまり、普通のレプリカを警官達によって厳重に警護させ、竜吉は白金の台に、本物とよく似た古い真珠とダイヤをちりばめた精巧な偽物を身につける。 『キッドに盗まれるにしろ、妲己に奪われるにしろ、本物は安全だと、そう、聞仲が保障してくれたのじゃが・・・』 今日、邸にひとつの小包が届いたのだと言う。 中から現れたのは、一昨日の夜に盗まれたティアラだった。 ティアラには、 『 純潔の乙女に幸いあれ 私は貴女に魅せられる 怪盗キッド 』 と書かれた一枚のカードが添えてあった。 「・・・奴はどうして、偽物だと見破ったのだろう・・・?」 『少年探偵とうそぶくわりには、勘がわるいのだな』 いきなり、電話の相手が不機嫌そうな男の声に変わって、りょぼは驚いた。 「ああ・・・いたのだったな」 『私が姉様のお側を離れると思ったのか?』 おぬしがお側におらんかったから、キッドはおぬしの声を真似たのだ、と、のどまで出かかったのを辛うじてとどめる。 「どういう意味なのか、教えてもらおうか」 憮然とした声で問うと、燃燈は軽く鼻をならして答えた。 『アルテミスの形容は銀だ。混ぜ物の白金ではなく、純粋な銀の台でできた本物のティアラを奪いに来る、と言っているのだろう。 ・・・全く、歴史的価値はともかく、宝石の価値としてはこちらの方が高いと言うのに、何が気に食わんのか』 吐息と共に吐き出された言葉に、りょぼは眉を寄せた。 「おぬし・・・キッドを怒らせてしまったかも知れぬぞ」 『なんだと?』 その意外そうな声に、りょぼは吐息と共に答えた。 「キッドを、金目当てのコソドロだと思ったのか?もし奴が、手に入れたティアラが偽物だと気づいても、宝石的価値はむしろ本物よりも高いからと納得する、三流の悪党だと思ったのか?」 『怪盗などと気取っているが、悪党は悪党だろう!』 悪は悪として断じる彼には、怪盗の誇りもこだわりもわからない。それは、彼を罠にはめた警部にもいえることなのだろうか? ふと思い、りょぼは、聞仲はこの件に対してなんと言ったのか、と問うてみた。 『・・・警察には、まだ言っておらぬ。いや、言えぬのだ』 再び受話器の向こうから聞こえてきた竜吉の声は沈んでいた。 『今回の件は、キッドだけではなく、妲己も、世間も欺こうとしたあさましき行いじゃ。このような事が公になれば、我が家だけの問題ではなく、財閥全体の醜聞となる。大事な事業を控えておる今、騒ぎは控えたいのじゃ。 そして何よりも、私はキッドが、なぜあのティアラを狙うのか知りたい。 ―――― どうか、太公望殿。力を貸して欲しい』 懇願する彼女の声は、わずかに震えているようだった。 りょぼは、ゆっくりと息を吐いて答えた。 「・・・この件を受ければ、先日キッドを逃してしまった償いになるだろうか?」 独白のようにつぶやいて、りょぼは彼女の依頼を受けた。 ただし、 「わしは動けぬので、りょぼを連れて行って欲しい」 との条件をつけて。 月光の射す薄暗い部屋の中で、竜吉は一人、椅子に座ったまま、窓の外を眺めるともなく見ていた。 その手には、銀のティアラ。それはアルテミスの名にふさわしく、夜のしじまの中でひそやかに、輝きを放っている。 いつまでも硬く、冷たい感触に目を落とし、深く息をついた時、微風とともに現れた淡い陰が彼女を覆った。 「良い月夜ですね」 息を詰めて、身を硬くしている彼女の前で、侵入者は優雅に一礼する。その背後では、音もなく開け放たれた窓から吹く風に、カーテンがさやかに揺れていた。 「・・・おぬしがキッドか?」 侵入者に対して、怯えもせず気丈に問うてくる彼女に、彼は微笑を浮かべてうなずいた。 「お会いするのは二度目です、崑崙の公主」 「まだこれを、狙っておるのか?」 ひた、と見返してくる瞳に、彼の微笑は揺らぎもしない。 「公主、貴女でしたら、ご自分に対する侮辱に耐えられますか?」 口元には笑みを浮かべていても、その言葉は辛辣(しんらつ)だった。 「私は偽る者。策略をもって戦うことにやぶさかではありませんが、凡百の犯罪者と同列に扱われることには我慢がならない。ましてや、高価なものならばなんでもよいのだと、そう思われることは」 静かな、優しい声なのに、その言葉は氷の刃のように、彼女の胸に刺さっていった。 「・・・なぜこのティアラを狙う?おぬしにとって、このティアラに、どんな意味があると言うのじゃ」 「貴女はなぜ、このティアラを大事になさっているのか?」 逆に問い返されて、竜吉は手の中のティアラに目を落とした。 「これは・・・母から譲られたものだからじゃ」 美しいが、古いティアラ。 銀の土台は所々、いぶされたように黒く変色し、真珠も光沢を失ってしまっている。だが、竜吉にとってそれは、高価な宝石よりも大切なものだった。 「・・・貴女の母上は、どうやってそのティアラを入手されたか、ご存知かな?」 幾分和らいだ声に顔を上げた竜吉は、無言で首を横に振った。 「まだ、国際結婚が禁止されていた時代、一人の女性が欧州のある貴族の元に嫁ぎました」 彼は右手をひらめかせ、魔法のように宙から二輪の赤い薔薇を取り出した。 「周囲の反対を押し切り、彼女を正式な妻に迎えた貴族は、彼女を欧州の社交界にデビューさせました。白いドレスを身に纏い、その黒髪に銀のティアラを飾った彼女は、どれほど魅力的だったことでしょう」 彼が左手を薔薇にかざした次の瞬間、そのひとつの色が白く変わった。 「彼女は欧州の社交界でも注目の的でした。子供も生まれて、とても幸せな日々。しかし、ある日突然、夫が亡くなってしまったのです」 紅い薔薇が一輪、姿を消した。 「当主であった夫の死は、彼女を醜い相続争いに巻き込みました。夫が残した財産を、何よりも子供達を守るため、彼女は頼る者とてない欧州で、一人、戦ったのです」 竜吉は、目の前で繰り広げられる物語に、子供のように魅せられていた。 「彼女は、責任感の強い人でした。亡くなった夫のために、子供達をどこに出しても恥ずかしくない貴族に育てるために、どんな母親よりも努力しました」 白い薔薇は、しかし、みるみるしおれていった。 「なのに子供達は、厳しい母親から逃げるように、彼女の元から去っていきました。残ったのは、次女だけ。なのにその次女も、彼女の母国語を全く理解し得ぬ遠い存在だったのです」 薔薇が、枯れ落ちた。 「そんな彼女の思い出の品は、嫁ぐ時に、当時の皇后より賜った扇、亡き夫からもらった指輪、そして、彼の妻として、初めて貴族達に認められた時に身につけた、銀のティアラ」 薔薇が消えた彼の掌の上には、いつの間にか月光を弾く銀環が載っていた。 「・・・・・・・・・!!」 甘い芳香に驚いて手元をみると、彼女の膝の上には、冷たいティアラではなく、白い薔薇の花が載っていた。 「・・・アルテミスのティアラが、彼女の物だったというのか?それをなぜ私の母が・・・」 彼は、微笑を浮かべた唇に、白い手袋をはめた人差し指を当てた。 「彼女が生んだ息子は・・・いや、彼女が育てた息子は、『どこに出しても恥ずかしくない』貴族になりました。彼は、暴虐のナチスに追われながらも、『欧州を一つの国にする』という意志を貫き、欧州連合の基礎を築いたのです」 「欧州連合・・・クーデンホーフ家・・・!」 その名は聞いたことがあった。他ならぬ、母の口から。 「ティアラは、崑崙財閥がかの家に助力した折に、譲られたもの。だが、彼女の血と誇りを受け継いだ女性にこそ、そのティアラはふさわしい」 彼の言葉に、竜吉ははっきりと、その女性の顔を思い浮かべた。 竜吉は、膝上の薔薇を取ると、甘い芳香を放つ花弁に、穏やかな笑みを浮かべた唇を寄せた。 「お返ししよう、あの方に」 静かに微笑んだ彼女に、彼は脱帽して一礼した。 「感謝いたします、公主」 身を起こし、再びシルクハットを目深にかぶった彼の手には、白金のティアラ。 「女神よ、誇り高き貴女に、幸いあれ」 まるで、戴冠の儀式のように厳かに、彼は彼女の頭上にティアラを載せた。 「おぬしも、健やかであれ」 その言葉には、軽く会釈して、彼はそのまま一歩後ろに下がった。 その時。 ひゅっと、かすかな音を立てて、何かが飛んできた。 とっさに腕を上げ、身をかばった彼の左手の甲で、小さな針が銀色に光を弾く。 「もう逃げられんぞ、キッド!」 緊張を含んだ声とともに、あの時の少年が部屋に飛び込んできた。 「その針には、即効性の麻酔が仕込んである。倒れぬのはさすがだが、もはや動けまい」 こわばった顔に、わずかな冷笑が浮かんだ。 「――――犯罪の芸術家、怪盗キッド。優れた芸術家のほとんどは、死んだ後に名をはせる。 おぬしを巨匠にしてやろう。監獄と言う名の墓場(封神台)に入れてな」 しかし、キッドは動揺する様子もなく言い放った。 「マジシャンは死なない」 その口元に薄く笑みを刷き、余裕すら感じられる、ゆったりとした動きで、彼はりょぼ達に背を向けた。 そのまま、大仰に諸手を上げ、剣を鞘から引き抜くように、銀色に輝く不吉な刺を引き抜くと、それを指で弾いて床に落とした。 「・・・馬鹿な!なぜ効かぬ?!」 思わず声を上げるりょぼに、キッドは低く笑った。 「危地を脱してこそマジシャン。燃えあがる箱の中から、鎖で封じられた水槽の中から、私は苦もなく脱出し、笑顔であなた方の前に現れる」 途端、幾羽もの白いハトが彼の元から飛び立ち、りょぼへ襲いかかるように迫っては、白い羽根を散らせて部屋を旋回して去った。 「・・・・・・・・っおのれ!!キッド!!」 りょぼは、ハト達の攻撃をかわしながら、窓の外に消えた白い影を必死に追いかけた。しかし、 「・・・待て!」 怪盗ではなく、彼を制止する声に、りょぼは驚いて声の主を振り返った。 「公主・・・なぜ・・・?」 「彼は何も盗んではおらぬ」 微笑して、竜吉はりょぼの前に膝を折った。 「ごらん。ティアラは私の頭上にある」 長い黒髪の上で、銀い光を弾くティアラ。 「だがそれは・・!」 「私の、ティアラじゃ」 言い聞かせるように、彼女はゆっくりと言った。 「パーティの夜、言ったであろう?これこそが本物のティアラであった、と」 悔しげに唇を噛むりょぼの手を、竜吉は優しく包み込んだ。 「おぬしにはすまぬが、私のわがままを聞いておくれ」 ゆっくりと、自身を落ち着かせるように、りょぼは息を吐いた。 「・・・わかった。探偵は、依頼人の希望にこそ従うべきだ」 渋々うなずくりょぼに、竜吉はあでやかな笑みを浮かべて礼を言った。 「っ姉様!!!ご無事ですか!!??」 我慢も限界とばかりに、燃燈が部屋の扉を蹴破るようにして入ってきた。 「うむ、大事無い」 ふわりと笑って見せる姉に、燃燈はものすごい形相で詰め寄る。 「もう二度と、一人で怪盗と対峙(たいじ)したいなどとおっしゃらないでください!!私は今日ほど、寿命の縮む思いをしたことはありませんでした!!」 太乙とともに、隣室で監視カメラの映像を凝視している間中、彼は飛び込んで行って姉を守りたいという衝動と戦いつづけていたのだった。 「おぬし達が隣室に控えていてくれたからこそ、彼と向き合えたのじゃ。すまなかったな、燃燈」 「いいえ!!姉様のお望みでしたら、私はなんでもうかがう所存です!!」 「ありがとう、燃燈」 「光栄です!!」 「・・・仲睦まじいことだねぇ」 燃燈の後からのんびりと入ってきた太乙が、苦笑しながらりょぼに近づいてきた。 「ご苦労様」 言って、太乙は悔しげにうつむいているりょぼの頭を、軽く撫でてやる。 「次は、太公望として勝負するんだね」 「・・・っ次は、絶対に逃がさぬ!!」 両の拳が、色を失うほどに握られ、小刻みに震えていた。 そんな彼の様子に太乙は苦笑し、明るい調子で言った。 「全く、あの怪盗は、とてつもない物を盗んで行ってしまったね」 「・・・博士、何度も言うが、彼は何も盗んでおらぬぞ?」 片目をつぶって、いたずらっぽく言う竜吉に、太乙は同じく片目をつぶって笑った。 「いいえ。彼はとても価値のあるものを盗んで行きました。一つは、あなたの心」 「―――――――――――何?」 燃燈が、ものすごい目で窓の外を睨んだ。 「もう一つは、太公望の人気と出番と主役の座」 「キッド〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」 地を這うような声を出して、りょぼが恨めしげな視線を窓の外に向けた。 「許さん!!」 「なにがなんでも封神台にぶち込んでやるわッ!!!」 咆哮は、いつまでも沈まぬ半月に向かって、讙々(かんかん)と響いた。 GW明けの月曜日。 朝礼前の教室は、相変わらず生徒達のおしゃべりで溢れている。 「望ちゃん!おっはよー♪」 やけに爽やかな普賢は、朝っぱらから机上に伏しているクラスメイトの肩を、ゆさゆさと揺すった。 「GWに、ウィーンに行って来たんだ!チョコがおいしくってねー。はい、おみやげ」 うつろな顔を上げた太公望の目の前に、免税店の袋が差し出された。 「望ちゃんはGW中、何してた?」 にこにこと聞いてくる彼に、太公望は重いため息をついた。 「・・・GW中は・・・水疱瘡におたふく風邪を併発してのう。紅白まだらのおたふく少年になって寝ておったわ」 「・・・た・・・大変だったんだね」 爆笑したい衝動を、一生懸命噛み殺して、普賢はようやく言った。 「もう、二度とごめんだのう・・・」 再びため息をついて、太公望はチョコを口に放り込んだ。 太乙家の庭で、ふげは『おくすりのくさ』を引き抜いた。 「こんどはおっきくなるおくすりなの」 小脇に『不思議の国のアリス』を抱え、にぱっと笑った顔には悪気の欠片もなかった。 〜Fin.〜 |
・・・すみません、つっこまないでください;;;;;(イキナリ;)
これはギャグなんです;パロディなんです;;
トリックなんて、書くつもり全くなかったのに、『プロローグをカッコよく』と思ったらこうなってしまいました;
元ネタは、もちろん『名探偵コナン』v
このお話に出てくる星座の位置、月齢、月の出、月の入りは、2001年4月27日から29日までの、東京都の経緯で計算しています。
( ↑ 参照:お星様とコンピュータ http://www.star.gs/ )
そして作中の、『ある日本女性』は、オーストリア貴族に嫁いだ『ミツコ』さんです(^^;)
この方の息子さんがEEC・EC・EUの元となった、『汎ヨーロッパ主義』を唱えたのも、この方が晩年、次女と二人で寂しく暮らしたのも事実ですが、今、彼女の血を継ぐ人ががんばってるかどうかは知りません。この話は、あくまでフィクションです;;
参考文献(?)
名探偵コナン @O 青山剛昌(小学館)
まじっく怪斗 @A 青山剛昌(小学館)
ルパン三世〜カリオストロの城 (映画)
犯罪と捜査 ビジュアル博物館
その他新聞等。
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