愉快な誘拐
〜 無駄な一日編 〜











中村蒔絵(なかむらまきえ)は勉強をしていた。
明日は第一志望の大学の試験だ。センター試験はよい点数が取れたし、ここでコケなければ大丈夫。
だが、受ける学校の過去問題集を開いて数学を解いていたら、ある一問で躓いた。
答えは思い出せるが、解き方を忘れてしまったのだ。
蒔絵は口を開いた。
「ふえくしょい!」
ぐしゅりと洟をすする。
しかし、寒い。
二階にある蒔絵の部屋は家の中でも一番気温が下がる部屋なので、室内だというのに、外にいるみたいに着込んでいる。
手袋をはめたままシャーペンを握っているものだから、計算しにくくてしょうがない。
「はくしゅい!」
いかん、これでは集中力が鈍る。
仕方なく、この冬に必死の思いで買い求めたハロゲンヒーター――家族が呼ぶには温風機――をつけた。電気代がかさむから本当は使いたくないのだが・・・・・・。
じっくりと、五臓六腑に染み渡る勢いで、それは蒔絵を暖めた。ほほが緩む。
かざしていた手足が十分に暖まるのを待ってから、蒔絵は手袋を外そうとした。さあ、続きを解かなくては。


玄関がバタンと開く音がした。ドタンと閉じる。


蒔絵は眉をしかめた。
買い物に出かけていた父が戻っていたのかもしれないが、良識ある父が安普請の家の玄関をあんな風に開け閉めするだろうか。
その音に続いて今度はドタドタと騒々しい足音がした。
その音が止まったかと思ったら、今度は母と誰かの会話がかすかに聞こえた。


待て、誰か――?


気づいた瞬間、蒔絵の顔の血液は唐突に、引力の存在を思い出したかのように下へ下へと下がっていった。
ドタドタという足音が再開する。二階を目指して上がってきている。
こちらに近づいてきている・・・・・・!
蒔絵が扉を振り返って叫ぶのとその扉が勢いよく開いたのは同時だった。


「っぎゃぁああああ!」
「やっほぅ、マッキー!元気だったぁー?」


背の高い、若い男だった。美形という訳ではないが、愛嬌のある笑顔は、おじさんおばさん連中に人気がありそうだと思える。
蒔絵のゴキブリを見た時と大差ない叫びにもニカリと白い歯を見せて笑っている。
「あっはっは!ひどいわぁ、マッキー。数ヶ月ぶりなのにぃ」
「なんでここにいるんだ、リイチ兄ちゃん!」
おびえて思わずあとずさる蒔絵に従兄のリイチ――利一(としかず)は、首を傾げて見せた。
「遊びに来たからに決まってるでしょー?」
勉強のし過ぎで頭悪くなっちゃったのかしらおバーカさん、などとふざけたこと抜かす。
「ちがーう!今はアフリカのカサブランカとかにいるんじゃなかったのか!」
「やぁねぇ、そんな土地無いわよぉ。あたしがこないだまで行ってたのはブ、ラ、ジ、ル。一昨日帰ってきたのー」
多分、メール等の文章だったら、ハートマークをあらわす『v』が乱舞しているであろうことを想像しながら、蒔絵は心底脱力した。そのままハロゲンヒーターの前に座り込んでしまう。
いやいや、メールだったらまだ耐えられるが、二十歳をとうに過ぎた男のハスキーボイスで直に聞きたくない。
めいっぱい息を吸い込んでから、こぶしを握り締めつつ一息で言いきる。
「・・・・・・私が『マッキー』と呼ばれんのとそのわざと語尾を延ばしたダラシナイお姉言葉が大嫌いなのを解っててやっているなら今すぐやめてくれ頼むから・・・・・・!」
蒔絵は決して、オカマさん達を軽蔑してるわけでも嫌っているわけでもない。女形のおじさんがお姉言葉をしゃべってたって別にいい。
ただ、嫌がらせで聞くのが大嫌いなのだ。
利一は肩をすくめてみせた。そういう仕草がキザに見えない男である。
「へーい」
「ありがとう、その方が何倍も愛しているよ・・・・・・」
ごく自然に手を差し出され、蒔絵はその手につかまって立ち上がる。
「それで、本当に何しに来たのさ」
「ところでマキ、勉強の合間にちゃんと休んでるか?」
珍しくまともなことをいう。
「うん、一時間勉強して、一時間休んで、もう一時間別の科目の勉強やって・・・・・・」
利一は蒔絵の手を握ったままだ。
じわじわと水っぽい墨が和紙に広がるように、不安が蒔絵の中を浸食してゆく。
「・・・・・・お父さんとお母さんには会った?」
「叔父さんにはまだだけど、叔母さんには挨拶したよ」
利一はいつもと変わらない笑顔だ。
「どんな話をした?」
「ん?さっき話したブラジルのこととか、俺のお師匠さんの仕事の話とか」
「へぇ・・・・・・」
頭一つ分上にある利一の顔をしっかと見つめながら、やっぱり蒔絵は尋ねずに入られなかった。
「それで、やっぱり、本当は何しに来たの?」
「いや、ちょっとばかしマキのお勉強をお邪魔しに」
利一は笑顔のままである。手はまだ、離されていない。
「はい・・・・・・?」
徐々に握られている手に力が入っていっているように思われるのは気のせいなのか・・・。
「うん、だからね。お勉強ばっかりで、脳みそもギュウギュウで痛いでしょ?休んでるっつっても、家の外に出なかったら一緒だって。そういう訳で・・・・・・」
蒔絵のこめかみから部屋の暑さのせいでない汗が流れた。
蒔絵の頬は引きつり、利一の頬にはえくぼが浮かんだ。


「今日は一日、オ兄サンと程よく、無駄な一日を過ごしましょう」


語尾にはやっぱり、ハートマークがあるように思われた・・・・・・。


「いぃやぁだぁ!はなせぇぇええ!」
「あっはっは!大丈夫だって!外は確かに寒いかもしれないが、今のお前は重装備だ。やわな風はお前に勝てない!」
利一は蒔絵の二の腕をしっかりつかんで、とんとんと一階へおりてゆく。蒔絵は脱臼するのが怖くてむやみに逃げられない。引きずられないようにするのが精一杯だ。
「私は受験生だぞ!」
「マキは頭が良いからへーきへーき」
「としかず!お前、いいのか?若い身空で誘拐犯になるんだぞ、お前のお父さんもお母さんもお姉さんも弟も泣くぞ、嘆くぞ!!」
「マキ、それは年齢差別だぞ。誘拐は確かにいけないことだが、若いからって誘拐しちゃいけないってことはない」
「いや、そういう問題じゃないだろう!」
「安心して、叔母さんにちゃんと許可貰ったから」
「私の一個人としての人権は!?」
一階に降り立って、利一は当然のごとく玄関に向かう。
途中、居間があるふすまが開いていた。蒔絵は己が母の「そうですね〜」というのんきな声を耳にして、叫んだ。
「お母さん!あんた、うら若い自分の娘がどんな目にあってもいいっていうの!?」
必死の思いでふすまにしがみついて中をのぞくと、母はどっかの外国の菓子をもしゃもしゃ食べていた。こちらを向きもしないでテレビを見ている。
「リイチ君が一緒なら平気よ、痴漢や暴漢くらい倒してくれるわ」
「そうじゃなくて・・・・・・!」
「じゃあ、叔母さん。蒔絵ちゃんと遊んできますね」
「はいはい、いってらっしゃい。お土産ありがとうね」
「裏切りものぉぉおお〜〜〜〜!!」
引きずられないためにはほぼ自分で歩く必要がある。そのせいもあって、どんどん玄関は近づいてくる。
「いやだぁ!」
上がり框に辿りついても、まだ蒔絵は逃げようとしている。
左手で自分の靴の靴紐を結び(利一は無駄に器用だ)、右手は蒔絵のコートをつかみながら、利一はあきれたように言った。
「往生際が悪いなぁ」
「自分でしたことならともかく、周りに押し付けられたことで往生際が良くなろうはずが在るもんか!」
それでもやっぱり、利一が腕をつかんだままなので、靴も引っ掛けざるを得ない。
バタンと利一はドアを開けた。
「お母さん!」
血反吐のほとばしるような絶望的な声で蒔絵は叫んだ。
「私の部屋の電気とヒーター、消しておいてね!」
ドタンと扉が閉まった。返事はわからずじまいのまま、蒔絵は利一に引っ張られていった。


「もう、さすがに逃げないからさ、手を離してくださいませんか、リイチ兄ちゃん」
つかまれてるのが二の腕だと目立ってしょうがないんだよ痛いしさ、と蒔絵はぶつくさ言った。
本当は痛くなど無かったが。
利一はチラッと蒔絵の方を見てから、あっさりそのごつくてデカイ手を離した。
蒔絵はほっとため息をついた。白い息が出る。
利一はへらりと笑う。
「じゃ、手をつなごうか」
「イヤだ」
「じゃ、腕を組もう」
「もっとイヤだ」
拒否の表れとして両手をコートのポケットに突っ込んだ。またため息が出る。
蒔絵は昔から利一が苦手だった。
彼の姉の初音(はつね)は、笑い上戸が過ぎる時もあるが、頼れる姉貴であり、旅行代理店でバリバリ働いている姿はかっこいい。
彼の弟の勝次(かつじ)は、最近ちょっとサイズがでかくなりすぎたが、優しくて気のいい、かわいい従弟だ。
だが、利一には会うたびに遊ばれ――利一は遊んでやったつもりでも――続けられれば、一種の恐怖体験だ。
最近は、幼少の頃より拒否反応は薄れたとはいえ、不意打ちは辛い。
蒔絵は遠い目をした。
「そういえばね、昨日ショウジくんから電話があったんだよ。今思い出したってしょうがないんだけどさ」
ショウジとは、勝次のことである。
「なんて?」
「『マキちゃん、ごめんね、不甲斐ない俺を許して』」
「三行半叩きつけられた甲斐性無しの夫みたいなセリフだな」
「私も昨日はわかんなかったんだよ、そこで切れたし。でも、今はわかる」
ふぅぅ、と肺の底から長いため息をついた。
「リイチ兄ちゃんが、受験期真っ盛りの私に急襲かけることを知って、教えようとしてくれたんでしょ」
「ああ、そういえば、昨日どっかに電話かけてたなぁ」
「そんで、その前にショウジくんはリイチ兄ちゃんを止めようとしたんだね・・・・・・」
「うん、でも、今度はいつ会えるかわかんないしさ」
「私の都合も考えろ考えてくれ頼むから・・・・・・!」
そのままくだらない話をしつつ、駅に向かって――この道だと多分――てこてこ歩く。
「どこ行くの」
「どうせ時間の無駄遣いだから、どこへでも」
利一はなにがおかしいのかケタケタ笑った。
「私、財布持ってないよ。リイチ兄ちゃんにムリヤリ連れ出されたから」
暗に電車には乗れないという。
「あのね、久々に会った従妹に金出させるようなせこい奴じゃないよ、俺は」
「カメラマンって、儲かる?」
「腕と運による」
後は知名度かなぁ――と利一は言った。
どこの世界も生っぽいな、と蒔絵は思った。
利一は、カメラマンだ。
今はダウンジャケットに隠れている細身の体は、しかし、鍛えられている。
故意に脱色したわけでもないのに、色の抜けた髪はナンパに見えない。
ただ、肌は下手をすると青白くみえる。
それらしく見えないが、他にどんな風に見えるかといわれたら、よく解らないから、やっぱりカメラマンで正解なのかもしれない。
学生時代の利一は勉強が出来た。頭もいい。知名度の高い高校に行っていたし、高校の卒業前には難易度の高い大学に合格していた。
なのに、突然、いきなり数少ない自分の人生から、ほとんど全部を切り捨てて、写真の世界に入っていった。
受かった大学全てを蹴って、写真学校で二年学び、それから尊敬していたという写真家に拝み倒して弟子にしてもらった。常に貧乏だが、毎日楽しいから、どうでもいいらしい。
蒔絵は自分で自覚できるくらい保守的だったから、利一の考えはサッパリ理解できなかった。
利一が、自分の道の何もかもを決めたのは、今の蒔絵と同じ年のころだ。
蒔絵は大学を受けるだけだと言うのに。
現在、利一はお師匠さんと一緒に重い機材を抱えながら、世界中を飛び回っている。
「旅はいいぞぉ」
これで利一が、新しい出会いがどうのといい始めたら、蒔絵は遠慮なく、利一のすねを蹴るつもりだった。
「自分のちいささがいっぺんに思い知らされるからなぁ」
大嫌いなお決まりの言葉を聞かされないで、逆に鼻白んでしまった。
なんでそんなことを、嬉しそうに笑いながら話すのだろう。
「・・・・・・思い知らされるのが、いいの?」
「ん?違うかな?でも、広い方がいいじゃん、歩くところは」
「あるく・・・・・・」
「ビルがいっぱい在るところは嫌いだよ、墓場みたいでさ」
利一の顔がよく見えなかった。
駅に着いた。利一が適当に二人分の切符を買う。
蒔絵の住んでいるところは都会の田舎だったし、平日の昼だったから、構内に人はまばらだった。
それほど待たされずに電車は来た。車内はほとんど空席だ。
当然のごとく蒔絵はとっとと座る。利一もその隣に座った。
蒔絵は扉がいっせいに閉まる、ぷしゅぅう、という音がなんか間抜けで好きだ。
ガタタン、ガタタン、と電車が優しく揺れる。
同じ車内に、若い夫婦に挟まれて、女の子二人がキャーキャー叫んでいた。別の席に、文庫本を読んでいる大学生がいた。ただ、ぼぉっとしているおばあさんもいる。
なんだか、急にウトウトしてきた。
ぽんぽんと頭を叩かれ、寝ていいよ、という声が、頭の上から聞こえた気がしたまま、蒔絵は眠ってしまった――。


「マキ。マキ、次の駅だよ」
浅い眠りだったのですぐに起きた。よく眠ったはずなのに、疲れているのは何故だろう。
電車内の電工案内板を見上げながら蒔絵は言った。
「・・・・・・どこでも良いんだったら、終点でもいいんじゃないの」
「うっわ、起き抜けになんて冷静な」
蒔絵はそんな言葉と関係無しにごしごしと目をこする。
なんか静かだな、と思ったら、あの四人家族はもう降りていたのだった。
「だらだら散歩しようと思ったから。ウィンドウショッピングでもして楽しみまっしょう」
「お腹すいたから、そっちの用事を先に済ませてよいですか」
「高いのは勘弁してほしいなぁ」
「いいよ、久々にギットギトのジャンクフードが食べたい」
「おお、マキはお兄ちゃん思いだねっ」
別に、本心なのだけど。
ふっと、利一が妙な顔をした。
「・・・・・・ところで、マキ」
「なに?」
「ヨシムラって誰よ?」
「んー?」
蒔絵はまだうまく頭が働かない。
「だって、いきなり唸りながら眉根寄せて言った言葉が『死ぬなぁ吉村・・・!』て、これは誰だっておびえるって」
「ああ、吉村貫一郎」
「さらに『私だって、川中社長の役に立ちたいんだ』とか『龍ちゃん、それは罠なんだ・・・!』とか・・・・・・お前、どういう夢を見てんだ」
指折り数えながら、利一はあきれたように言った。
「・・・・・・ああ・・・・・・」
どう、説明したらいいのだろう。全部、去年『来年になったら読めない』と気合を入れて読んだ本ばかりだった。
やっぱりストレスがたまっていたんだろうか。
そうこうしている内に、駅に着いた。この電車の路線で一番、賑やかなところだ。
ちゃっちゃっと改札を抜けて、ファーストフードの店を選ぶ。駅前だから、探す手間は要らない。
とっとと利一の腕を引っ張って行って、食べるものを選ぶ。特に希望も無かったから、さっと目に入ったセットを利一に告げた。
利一が店員とやり取りしている間に席をとる。混んでいる割にはあっさり座れた。
従者がトレーを持ってきて微笑む。
「どうぞ、姫様。心行くまで」
蒔絵という奴は、食事はゆっくり咀嚼してきちんとエネルギーに変換するものだと思っているから、じっくり味わいながら食べた。
利一はといえば、温かいコーヒーに何も入れず、蒔絵にあわせてゆっくり飲んだ。
二人とも、食事の時間とは食べるためだけの時間だからと絶対に会話しない主義だった。
何か物事に集中する時はお互い絶対に干渉しあわない。
ほとんど共通点の見当たらない二人が唯一つながっているのはこれだけだ。
店内の喧騒をBGMに二人はゆったりとしたお食事タイムを過ごした。


じゃ、ふらふら歩こう、と利一は言った。
「・・・・・・嫌?」
「何をいまさら」
心配そうに尋ねる利一がバカらしかった。ムリヤリ自分を引っ張り出したのはどこの誰だ。
「不審そうな顔してるなー」
「今まで、私があんたに何をされ続けたと思ってる」
「でもね、俺はいつも、蒔絵に嫌われたくはないと思っているんだよ」
「嘘つきはね、鼻が伸びるか、閻魔さまに舌を引っこ抜かれる運命なんだよ」
「ああ、鼻が高くなるのは嬉しいかも」
大柄な男にぶつかりそうになった蒔絵を利一が歩きながら引き寄せる。
「それに、俺は死後の世界だけは信じていないんだ」
「なんで」
ふ、と。
「そこの世界が死なない人間だけで埋まるなんてぞっとしないからさ」
蒔絵が、利一の笑顔にぞっとした。


散々、いろんな店をひやかした後で利一はこういった。
「もうそろそろ帰りませう」
繁華街から離れて、人の通りの少ない道をてくてく歩く。
「あのさ、マキ。あっち曲がったすぐそこの遊歩道を通ったら、一駅分戻ることになるはずなんだ」
「・・・・・・電車賃?」
「歩くのは健康に良いんだぞ!」
「ああそう」
どちらにしろ、蒔絵には利一についていくしかない。
「この道かな」
曲がりついでに蒔絵は小石を蹴った。
ふと、目に付いたもの。
白い・・・・・・。
「うへえ!」
素っ頓狂な利一の叫びに、思わず顔を上げた。
従兄妹ともども並んで呆然としてしまう。
「わ・・・・・・」
「地球温暖化の神秘か!?」
「・・・・・・雪がドカ降り、桜がバカ咲き・・・・・・」


白い花びらと白い雪がダンスをしていた。


「・・・・・・想像してた?」
「まさか」


その場にいた小さい子達は声なき歓声を上げている。
お父さんやお母さんはうろたえている。


道に沿って両側に延々と続く桜は、どの木もほとんど満開だった。
景色は春だ。
なのに、その中で雪が降っていたのだ。
風は無く、桜も雪もふらふらと落下している。
ふらふら、ふわふわ。
その中を飛び跳ねる子供たち。


「・・・・・・きれいだね」
「ん・・・・・・」


空を舞っている桜と雪は同じ色なのに、遠目できちんと区別がつくのがおかしかった。
二人はその幻想的な空間には入らないまま、その場に、ただ、突っ立っていた。


雪は少しすると、あっさり止んでしまった。積もってもいない。当たり前かもしれないが。
「・・・・・・行こうか」
「うん」
「いやぁ、しかし、いいもん見たなぁ」
「その言い方おじさんくさいよ」
「う、うるさい、小娘の分際でっ」
「小娘でいいよ。おばさんだったら、おじさんって言えないもん」
「むむむっ、卑怯なりィ」
「何がだ」
と、数歩先の桜の幹と幹の間に、飲み物か何かを販売してるらしき鈍色のワゴンがあった。夏場にアイスとか清涼飲料水とか売るのに使う奴だ。今はそりゃあ限りなく春に近いが冬なんだが。
歩くうちにその向こう側にド派手なおじさんが座っているのが見えた。
赤いマフラーに黄色いイヤーマフに青いジャケットって、信号機ですか。
利一の目が輝いた。
「買うぞ!」
「狂ったのか、あんた!」
「こんなところにあんなおじさんがそんな面白いものを売ってたら買うしかあるまいよ!フハハー!」
蒔絵の制止も振り切って、利一は買いに走った。
先に進んでいた蒔絵に追いついた利一は手にラムネを持っている、水滴のついた。さらに二歩分の距離を開けて蒔絵は言った。
「私は飲まないからね!」
「解ってるって。ちょうどいい、一息つこう」
遊歩道沿いにある湿ったベンチに、頓着無く座り込む。仕方なく蒔絵も隣に座る。
「ラムネってね、下手をすると泡がものすごく出るんだけど、うまくやると手も汚れないんだよ〜」
そういって、蓋を外すとビー玉に押し当てた。
「ほっ」
しゅぽんっと小気味いい音がした。特徴的な形のその蓋をしばらく押し当てる。
しゅわぁぁ、とビンの中であわ立つ音がだんだん小さくなって、利一はそれから手を離した。
「すぐ離さないのがコツなんだな」
そういって、ピンクの蓋をジャケットのポケットに突っ込むと一口飲んだ。
ぶるりと、風呂上りの犬のように体を震わす。
「・・・・・・だから止めたのに・・・・・・」
「いやいや、これも一興さっ」
「無理しなくても」
「でも、最近ビンのラムネって見たこと無かったからなぁ。ちと、嬉しい」
ちびちびと熱燗を飲むようにラムネを飲む利一が本当に嬉しそうだったので、蒔絵は呆れてしまった。
桜は相変わらず、ひらひらと舞っている。目の前を家族連れや老人が通る。
――ずっと考えていたことがある。
「ねぇ」
「なにー?」
「なんでカメラマンになったの?」
「・・・・・・っあー・・・・・・」
ちびり、とまたラムネをなめる。
「今の季節に桜が全部落ちたら、四月はどうなるんだろうね、入学式とか」
ズビシッ。
綺麗なツッコミが入れられたと自分でも思う。
関西出身の友達にもほめられた裏手ひねりツッコミだ。
「・・・・・・マキ、いちゃい。空手でも習ったら?」
「馬鹿め。すっかり忘れているようだが、私は受験生なんだぞ」
「もうしわけございません・・・・・・」
うなだれた利一の手の中のビンが、カランと音を立てた。
少しして、蒔絵は口を開いた。
「・・・・・・決意ってなに?」
「ん?」
利一が顔だけこちらに向ける。
「自分の一生を決めるほどの決断って、どのくらいの覚悟がいるの?」
――解らない。
解らないのだ。利一が、写真の世界に飛び込んだ時の気持ちが。
それほどまでに人を突き動かす何かとは――何なのだろう。
「私は自惚れじゃなく勉強が出来る。偏差値も高い。難易度高い大学を受けるよ。それがまるで悪いことだとは思わないし、思いたくもない。でも、勉強だけしか取得が無いってことは、罪悪だろうか?たまに、リイチ兄ちゃんみたいな人を除いて皆が皆、名高い大学を目指してるのが、間違ってるんじゃないかと思ってしまう」
「・・・・・・マキ」
「私は私が勉強をどこまで身につけられるか、どこまで高いレベルまで行けるか試したくて、勉強してるんだと思ってる。そうでなきゃ、思わなきゃやってられない。
だって、私は他にすることが思いつかない。つまらない人間だからだろうか。ただ、外の世界を知るのが怖いんだろうか」
「マキ」
「・・・・・・私は、臆病者なんだろうか」
蒔絵は利一の顔が見られなくて、三年間、履き続けた自分の革靴を見つめた。大分くたびれている。爪先には、先ほどの美しさとはかけ離れた変色した花びらが何枚も踏み潰されていた。
「ねえ、マキ」
利一は蒔絵の頭に手を置いた。
「俺が自分のことを決めた時、覚悟したかは解らないよ、自分でも。覚悟とかって量れるもんでもないだろう」
温かい手のひらだな、と思った。
「マキ、マキは俺の生き方なんかに惑わされちゃいけないよ。決めた途端に世界が終わるわけじゃないんだから」
「・・・・・・うん」
「マキが勉強の限界を目指して大学に行くなら、それは間違っちゃいないだろうさ。
他に、生きている過程で自分を確立してくれる何かに出会えないことは、それは不幸かもしれないけど、見つかりゃその分自分に帰ってくる。探すなり、待つなり、好きなことしてな」
「うん――」
桜の花びらが、膝の上で硬く握りしめていた手の甲に一枚ふわりと降り立った。
「たぶん、それでいいよ、あんまり無責任なことは言えないけれど」
綺麗な白だった。


「しかし、今日は悪かったね」
「何が?」
「いや、連れ回してさ」
「何を今更ふざけたこと抜かしてやがるこのすっとこどっこいが」
「うーん、事実なんだけどね」
人差し指と中指とで落ちてくる花びらをはさもうとしながら利一は言った。
「でも、皆心配してたんだよ、マキが勉強のし過ぎで倒れたらって」
「私は、私がリイチ兄ちゃんに連れまわされすぎて過労死したらって心配しているよ」
「それも困る。俺が初姉に殺されるんだ」
従兄弟の三兄弟の中で一番蒔絵をかわいがっているのは初音だ。
もしそんな目に合わしたら、利一の身に何が起こるかわからない。
「ああでも」
と、蒔絵はくつり、と微笑んだ。
「でも、今日は無駄な一日じゃ無かったよ」
利一は思わずラムネのビンを落としかけた。
笑点を見て笑うのとは訳が違う。
蒔絵の微笑なんて、海亀の卵が無事に孵って成長しきるのと同じくらい低い確率なのだ。まして立ち会うなんてことは。
――いかん。初音に知れたら別の意味で殺される。
「どうしたの」
蒔絵はもう元の鉄面皮に戻っていた。
「いいや、なんでもない」
利一はラムネのビンを傾けた。
「お、もう終わりか」
飲み干したラムネのビンを、桜の花雲と曇り空にすかした。
カラン、とあおいビー玉が鳴る。
「あ」
「なに」
小さく叫んだ利一に蒔絵は反射的に尋ねる。
しまったな、という顔をしながら利一は頬をかいた。
「いや、言ったら、マキ。絶対にくだらないって言うだろうし」
「いいから」
目一杯ためらった後、苦笑しながら利一は言った。


「いやね、もし、ここに紅葉饅頭があったらなぁって。そういう話」


あまりのくだらなさに、蒔絵はくつり、とまた笑った。












・・・・・・背中で語る男が好きなのにもかかわらず、
自身がおしゃべりなもんでおしゃべりになっちまいました、リイチ兄ちゃん。
読み返してみたら、大して面白くなかったことがショックではあるのですが、でも、一回言い出したのだから、読まねば気になるであろうと。
では、再見!


 
くれはのマイパソと体調と都合がつかず、せっかくもらったのにずいぶんとアップが遅れちゃいました;;;
ごめん、さぬき君;;;;

それはさておき(置くな;)、くれはは力尽きたおとーとが好きです!!!(またそんなコアな;)
天真爛漫なリイチ兄ちゃんもいいがしかし!!!
弟の続編を書いてぇ!!!と、涙ぐみましたね、わたしはぁぁぁぁぁっ!!!(泣くな)
さぬきくん、素敵作品をありがとう!!!
 












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