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 私はその小さな酒場兼宿屋で、少し遅い朝食をとりながら彼を待っていた。
 「ところでアンタ、なんのためにこんなところまで来たんだい?」
 昨夜から私の唯一の話し相手となったこの店の主人が、温めた山羊の乳を出しながら言う。
 「神殿を見に来たんだよ。
 この飃山(ひょうざん)には、西から東にかけて、巨大な神殿跡があるだろう?それを見に来たんだ」
 そう答えると、年配の主人は額に深いしわを寄せて、そうじゃない、と首を振った。
 「そりゃ昨晩聞いたよ。アタシはなんで神殿なんか見たいのかって聞いてんのさ。
 大体、一口に神殿跡って言ってもな、あれはそりゃあ大きなもんだよ?なんたって世界を横断する飃山の西から東まで、ずーっと連なってんだから。
 その上あの南薔国王家の出身地で聖地だ。
 道が整備されてないから車なんて入れないし、山頂付近にあるからここより空気が薄くて、立ってるだけで気が遠くなる奴もいるさ。そんなところに平地育ちのアンタがいくのは大変だと思うがねぇ」
 あからさまに眉をしかめる主人に、私は苦笑した。
 だが、彼が心配するのも無理はない。私は本当に山歩きには慣れてないのだから・・・。
 昨日の醜態を思い出し、血が昇った顔を主人の目から隠すように、私は温かい山羊の乳が入ったカップを持ち上げた。
 夏とはいえ、標高の高い飃山の朝は冷える。冷たくなった指先を暖めるように、カップを手の中に包み込んでいると、その中身がなくなる前に待っていた人物は現れた。


 「おや、リンカ様。早かったですね」
 粗末な木の扉を静かに開けて入ってきた人物を見て、うれしそうに目を細める主人の横で、私は思わず目を丸くした。
 私が待っていた人物、林彼(リンカ)師は飄山の遺跡の管理者であると共に、この山に住む唯一の神職である。
 どんなしかめ面のじいさんが来るかと思いきや、まだ二十歳そこそこの、神官見習いのような人物だったのだ。
 山の人間にしては白い肌に、短く切りそろえた明るい褐色の髪がよく似合う。
 店内が薄暗いのでよく見えないが、目の色は黒っぽい。
 彼は若い顔に穏やかな笑みを浮かべると、やわらかな声音で挨拶をした。
 「おはよう、芳(ホウ)さん。私にも温かい飲み物をくれるかな?」
 そうして狭い店内の中に見知らぬ顔(私だが)を見つけると、 ゆったりとした神官服を上手にさばいて近づいて来た。
 「初めまして。苳(トウ)さんですね?林彼(リンカ)です」
 右手を胸に当て、神官の会釈をする彼に、私は慌てて立ち上がって同じ礼を返す。
 「お忙しいところ申し訳ありません!苳英婁(トウ・エイル)です!」
 緊張のあまり、声が裏返ってしまった私を穏やかに見つめて、林彼師は椅子に座るよう促した。
 「お待たせして申し訳ない。急に用が出来てしまって・・・ああ、芳さん、ありがとう」
 私と同じテーブルにつくと、林彼師はにっこりと笑って店の主人から温かい山羊の乳を受け取った。
 「林彼様、今日は何を?」
 うまそうに山羊の乳をすする神官に、主人は聞いてきた。
 「食料品と、今日は一日だから・・・」
 「ああ、はい。精霊へのお供え物ですね。お神酒と、他には何を?」
 「あるものでいいですよ。本当は、何かつまみがあればいいんですけどね」
 そう言って、いたずらっぽく片目をつぶった神官に、主人は盛大に顔をしかめて見せた。
 「ダメですよ、自分で飲んじゃ!果物と穀物と・・・薪は足りてますか?」
 「・・・確か、まだ残ってたと思いますけどねぇ?」
 のんびりと言って首をかしげる神官に、主人は更に額のしわを深くする。
 「まったく、のんきなんだから。あなたに風邪でもひかれたら、アタシ達が困るんですよ。
 後でうちの坊主に持って行かせますから、ちゃんとあったかくするんですよ。夏だからって、飄山を甘く見ちゃいかん」
 だが、ぶつぶつと説教をたれる主人に、神官は朗らかに笑った。
 「私は見た目より丈夫だから心配いらないよ」
 「一番恐ろしいのは油断だと、先師様はおっしゃってましたよ。
 先師様もなぁ・・・ここにいる間はお元気でいらっしゃったのに、都に降りられてすぐ亡くなるなんて・・・。
 やっぱり、空気が悪いんでしょうなぁ・・・」
 しみじみとつぶやきながら店の奥へと入っていく主人を見送って、私はふと首をかしげた。
 「ここは日用品も売ってるんですか?」
 店の中にも外にも、それらしいものはなかったのに。
 が、林彼師はくすりと笑うと、カップを卓の上に置く。
 「ここは、この辺りではたった一軒の店なんですよ。
 飄山に住む人々は、みんな足腰が強いですからね。ふもとの村なんかだと半日で往復しますけど、お年寄りはそうもいきませんし。
 芳さんが色々仕入れて来てくれるんで、みんな助かっているんです
 ――― あなたは、都の方ですか?」
 「あ、はい。繁葉(はんよう)の生まれです」
 私が都の南部、海のそばの街の名を言うと、彼はにっこりとうなずいた。
 「とても賑やかなところですね。港に上がった魚介類を出してくれる店が軒を連ねている。
 ・・・私のお気に入りの店、まだ残ってますかねぇ」
 「なんと言う店ですか?私は、あの辺りの店には詳しいんですよ!」
 神官と言う種類の人間を、別世界に住む隠者だと思っていた私は、うれしくなって思わず声が弾んだ。
 「砂来無(サライム)と言うのです。赤毛の、無愛想な主人が一人でやっている店でね。小さいがとてもおいしい店だった」
 「知ってますよ!若いけど腕のいい料理人でしょう?けど・・・」
 私は一つ息をついた。
 「店をたたんでしまったんですよ。なんでも、国に帰るとかで・・・確かに、今の南薔国の情勢じゃぁ、南海人は居辛いですよね」
 現在、南薔国は南海の独立運動に悩まされている。
 属国として搾取されつづけることに不満を持つ島々が、連合して南薔国に刃向かっているのだ。
 南薔国は三十八代・灑羅(シャラ)王の時に、南海の島々のほとんどを領有した。
 その後の南薔国の経済力は、新たに加わった領地からの税や、そこから安く仕入れた香辛料・茶・金・染料などを他国へ売ることで大陸一とも言われるようになったのだ。
 しかし、その経済力によって力を得た商人達をはじめとする国民によって、王権は揺らぐことになる。
 正当な裁判の保証、課税権の制限、国民議会の設立など、権利・自由の保証を求め、とうとう四十五代・伽羅(カーラ)王の時代、王を始めとする支配階級はその権力のほとんどを国民に明け渡すこととなった。
 王も貴族も存続は許されたが、その領地と権利の多くは国のものとなり、国民が選んだ議員による議会によって動かされることとなる。
 当然、巨億の富を産んできた南海の島々も議会の管轄となった。
 しかし、それまで島を支配してきた王家と貴族の弱体化。それに伴う海軍将校の異動。
 絶対の力を持っていた支配者達が没落し、国民が力を得て行く様に触発された南海の島々は今、南薔国からの独立を求めているのである。
 「しかし属国とは言っても、南薔国は今まで西桃国や東蘭国から南海を守ってきたんですよ?
 南薔がなければあんな島々、東夷(とうい)に略奪されるがままじゃないですか。
 それを王家の力が弱まったら途端に叛乱を起こすなんて、とんでもない話ですね」
 別に本気で怒っているわけでも、南海の独立に反対しているわけではないが、今、私の前にいるのは王家に仕える神官・・・南海の独立に反対する側の人間である。
 心象をよくするためにも、南薔王家を擁護しておこうと思ったのだが、
 「私はいつかこうなると思ってましたよ」
 穏やかに微笑んで、彼は続けた。
 「あなたはお若いから、あなたのおじい様やおばあ様、父上、母上達がどのようにして王や貴族達から権力を取り上げたのか、具体的にご存知ではないでしょう?」
 私より十歳は若そうな神官は厳かに言った。それは決して、無血ではなかったと。
 「先代の王・・・伽羅(カーラ)陛下は苛烈な方でしてね、決して権力を離そうとしなかった。
 今あなたが当然のように持っている権利・・・議員を選ぶ権利、議員になる権利。そのすべてはあなたの祖父母上、ご両親方がその血をもってあがなったのです。
 南海の民も今、あの時の彼らと同じように南薔国からの独立を求めていると言うのに、この国の民はそれを許さないどころか、新聞などでは声高に『叛乱』だと非難している。
 西桃や東蘭では、こんなわが国の有様を見て、『厚化粧の豚』と言ってるそうですよ」
 私は呆然と、目の前の神官を見つめた。
 まさか、王家に仕える神官の口から、『厚化粧の豚』などという言葉が出てくると思わなかったのだ。
 彼の言う通り、西桃国や東蘭国では、
 『口では声高に国民の権利を主張し、南薔国こそ最も平等で先進的な国だと言うが、南海の国々から貪欲に搾取し続ける様は、餌をむさぼる豚ではないか』
 と言う批判的な記事が、連日紙面をにぎわせているらしい。
 都の神職達は、このような記事に対して『冒涜だ』と怒り狂っていると言うのに・・・。
 「・・・失礼ですが、林彼様は神官にしては変わってらっしゃいますね」
 「変わってなきゃ、ここにはいませんよ」
 朗らかに笑う彼を見て、私はふと思った。
 なぜ、彼がこの遺跡の管理者なのだろうかと。


 南薔国の神職は、南薔王を頂点とする巫女がほとんどである。
 男が神職に就いていけないわけではない。
 しかし、都でも地方でも、大きな神殿の責任者はほとんどが高位の巫女だ。
 なのにこの、最も重要な聖域の管理者が若い男と言うのは、私でなくとも不思議に思うだろう。
 「林彼様は・・・王族でいらっしゃるんですか?」
 それなら、彼がこんなに若くして、遺跡の管理を任されているのもわかる。
 南薔国では昔、王の代替わり毎に都からこの地に移り住む王族がいたと言う。
 それは、王の地位を脅かす恐れのある兄弟姉妹に名誉を与えて、俗界から切り離す都合のいい口実だった。
 目の前の彼は、年齢からして、縷璃(ルリ)陛下の息子くらいの年齢・・・。
 もしかして、現王世子・愛綸(アイリーン)殿下にとって邪魔だったのか?
 しかし、彼は私の勝手な憶測に、笑って首を振った。
 「私は王族じゃありませんよ。縁あってここの管理をまかされていますけどね」
 「林彼様は先師様のお弟子さんなんだよ」
 食料を持って戻ってきた主人が、口をはさんできた。
 「王族でいらっしゃったのは先師様さ。
 伽羅陛下の従妹でいらっしゃったんだが、穏やかな良い方でね。
 あの方がいらっしゃったときは、飃山の神殿もたくさんの神職がいらっしゃったもんだが、今は誰もこんな険しい所に来ようとはしないね」
 山の人間もどんどん降りちまうし、としみじみつぶやく主人をにこやかに慰めながら、林彼師は食料品などのたっぷりはいった袋を受け取った。
 「まぁ、芳さんの孫くらいまでだったら、私がちゃんと看取ってあげますよ。安心して暮らしてくださいね」
 「どうかねぇ。ウチは長生きの家系ですよ?林彼様こそ、庵に行ったら冷たくなっていた、なんて冗談じゃないですからね」
 朗らかに不吉な会話をしつつ、林彼師は主人に代金を払うと、私に言った。
 「では苳さん、行きましょうか。
 私の家に、神殿の精確な地図がありますから、それで詳しい場所を決めましょう・・・そうだ、芳さん」
 「はい、林彼様?」
 「次はいつ仕入れに行きます?」
 「あなた達を見送ったらすぐ行きますよ。何かほしいものでも?」
 「ええ。すみませんが、保存のきく食料をいつもより多く入れてくれませんか?ちょっと遠出するかもしれないし…」
 そう言うと、彼はよろしく、と右手を胸に当てた。
 「飃山が穏やかでありますように」
 主人も同じく右手を胸に当てて礼を返す。
 すでに都では見られなくなった光景に感動している私の背を、主人は軽く叩いて『気をつけて』と言ってくれた。
 「行ってきます」
 少し照れながら言うと、主人はにっこりと笑って私達を送り出してくれた。




〜 to be continued 〜


 










私の妄想の産物を読んでいただきまして、ありがとうございますv
これは私が高校生の時に書きはじめたもので、基本設定と筋は一応、この時期に書き上げたものです。
なんだか非常に堅苦しい『Story 1』で始まり、とっつきにくい『Story 2』に続いて、ちゃんと読んでくれた方々には耐えがたきを耐えさせているカンジですね(^^;)
この話の時代設定は、こちらの世界で言うところの1900年初期だと思ってください(^^)
車・カメラ・無線がようやく出てきたころ。古き良き時代といったところでしょうか。
流れとしては、南薔国の神官・林彼(リンカ)と、遺跡の見学者・英婁(エイル)が、南薔国を中心とする世界の歴史を語っていく、と言うものです。












Euphurosyne