◆  23  ◆







 東方より、夕闇に侵食されつつある空は、数日前までの雨が幻であったかと思うほど晴れ渡っている。
 天球では、風が強いのだろう。
 烈しく瞬く東の星を見上げて、南薔国(なんしょうこく)最高位の聖職者は苦笑を浮かべた。
 「どうせなら、瓦礫もどけてくれれば良かったのに」
 『どうやって?』
 くすりと、彼の身の裡(うち)で囁く女の声に、カナタは小首を傾げる。
 「そうだね・・・・・・もう一度地震を起こす、と言うのは乱暴だね」
 いっそのこと、全て流し去るか、と呟くと、カナタの裡に住まう薔薇の精霊は、明るい笑声を上げた。
 『水精らしい言い様だわ』
 満足げな声に、カナタが苦笑する。
 「段々、考え方が人間離れしていく気がするよ・・・・・・」
 『それでいいのよ  あなたは水精なんですから』
 くすくすと、身の裡で精霊が笑う・・・・・・その声は、カナタがこの世界に来て以来、常に側にあった。
 常に側にいて、カナタへ指標を示す。
 精霊の身体を、能力を得た者にふさわしく、誇り高くあるように。
 地上で最高の権力を持つ者にふさわしく、賢明であるように。
 彼女―――― 麗華は、珠を磨く職人のように、用心深く彼を磨いた。
 カナタは元来、頭も悪い方ではなく、要領もいい。その上、性質は従順。
 老獪な薔薇の精にとって、彼を思い通りの男に仕上げるのは、あっけないほど簡単な作業だった。
 くすくす・・・と、薔薇の精霊が笑う。
 地に落ちる影から、蒼い陰が浮かび上がり、実体のない腕がそっとカナタの身体に巻きついた。
 『あなたはそれでいいの  あなたは正しいわ・・・・・・』
 囁かれる声は毒のように甘美で、カナタは自身でも気づかないうちに薔薇の刺に絡め取られていった・・・・・・。


 佳葉(かよう)―――― 人災と天災により、荒廃したかつての都にも、夕闇は静かに舞い降りる。
 『南薔国』とは呼ばれていても、南三州を除いては特に暖かいわけでもない地は、冬夜の訪れにたちまち日中の熱を奪われた。
 この日、佳葉に集った神官達は二百人ほど。
 彼女らを守る兵士達も、ほぼ同数の二百であったから、佳葉の広さに対して、そう多くの者が都入りしたわけではなかった。
 神官達は、兵士らにも手伝わせて、日のあるうちに多くの避難場所を設け、夜になれば火を熾して、凍える人々に毛布と食事を与えつづけた。
 「なんとかなりそうですね」
 神官用に設えられた天幕の中で、茱英華(シュ・エイカ)の息子、英毅(エイキ)は、救出された人々の数と持って来た物資の量とを冷静に見比べていた。
 「元々、ここにはそれほど多くの民がいたわけでもないようです。
 駐屯していた南蛮兵も、前王の死と共にほとんど引き上げていたようですしね」
 この地は、既に誰からも望まれていないのだと、態度と言葉とではっきりと告げる英毅に、英華は眉を寄せる。
 日が暮れてからは、神官達も救出活動より食事などの配給活動に専念しているため、この天幕には英華と英毅の二人しかいない。
 が、この母子が狭い天幕内にもたらすのは緊張であり、決して打ち解けた空気ではなかった。
 「・・・・・・そのような言い方はおやめなさい」
 しばらくの沈黙の後、英華は息子へ、冷ややかに囁いた。
 「佳葉奪還は、確かに南薔人の念願だったのよ。それを冷笑するような態度は、感心しないわね」
 英華は、息子が国土奪回に狂奔する古い世代に対して、隔意を持っている事を知っていた。
 妄執だと、断言したとも聞いている。
 「いずれ南州候となるあなたが、そのような態度では、家臣もついてこないわ」
 天幕の外で立ち働く神官たちに聞えないよう、声をひそめる英華を、英毅はちらりと横目で見遣った。
 「南州候?私が?」
 冷ややかな口調は、一片の感情すら覗かせない。
 「あり得ませんね」
 再び、紙面へと落とされた視線は、書き連ねた数字を追い続ける。
 「なぜ?あなたは私の息子よ。私の後継者はあなたしか――――」
 「女王が復権し、旧法が復活すれば、男子が家督を継ぐことはなくなります。親族の中から、誰か適当な女子でもお探しください」
 邪魔をするなとでも言いたげな、性急な口調に、英華はかっとなって息子に詰め寄り、その手から書類を奪い取った。
 「話している時は書類を置きなさい!」
 「火急のお話であれば、そうしましょう。ですが、今は物資の供給をどのように行うかを優先します」
 「英毅!!」
 「どうか、お返しください」
 英華の激昂にも揺るがず、その手から書類を奪い返した英毅は、そのまま天幕の外へ足を向ける。
 「どこへ行くの?!」
 苛立たしげな英華の声にも、振り向きもしない。
 「邪魔の入らないところで、報告書をまとめてまいります」
 ただ、そう言い置いて、天幕を出て行った。
 「英毅・・・・・・」
 一人、天幕に残された英華は、じっと俯き、唇をかみ締める。
 英華は、英毅の冷たい態度を、苛立たしくは思っても責めることはできなかった。
 息子を、あのように冷徹な人間にしてしまったのは彼女自身なのだから・・・・・・。
 英華の『夫』と名乗る男が死んだ後、英毅は若くして南州候の地位を継いだ。
 その地位を、家臣を奪ったのは英華自身・・・・・・。
 南蛮の支配に甘んじ、家臣の掌握に苦心していた息子を思いやりもせず、器の違いを見せつけるように南州候の名を奪った。
 以来、気弱なほどに優しかった英毅は、暖かな感情の全てが死んでしまったかのように冷徹な男になってしまったのだ。
 英毅をそうさせたのは、英華自身の罪―――― 彼を責める資格は、英華にはない。
 彼女にできることは、ただ、息子の言葉を受けとめることだけだった。


 冬に入ってさえ、ふわりとした暖かさの残る西桃国(せいとうこく)の都、佳萌(かぼう)の王宮は、国王の葬儀という大事を終えた後、どこか気だるげな雰囲気が漂っていた。
 西桃王崩御の後王妃に立った、西桃王宮の奇妙な客人である緻胤(ジーン)も、さすがにそれまでの疲れが出たのか、穏やかな日差しの下で、うとうととまどろんでいた。
 「姫・・・・・・」
 懐かしい発音の、懐かしい呼び名に、夢うつつの緻胤は自然と結婚前の―――― 南蛮、あるいは南海諸島と呼ばれる地の王女であった時に戻っていた。
 「緻胤姫、お目覚めください」
 さざめく声は遠慮がちで、とても彼女にとりつく睡魔には勝てそうもなかったが、
 「妃殿下」
 と、苦笑気味に呼ばわる高い男声に、ようやく緻胤のまぶたは薄く開いた。
 「検診のお時間ですよ、妃殿下」
 「・・・・・・・・・眠いの」
 見慣れた宦官の顔に、未だ現(うつつ)に戻ることができず、緻胤は南蛮の言葉でぼんやりと呟く。
 「昨夜は陛下が・・・ずっとお側にいらっしゃったものだから・・・・・・」
 緻胤の言葉に、宦官―――― 荀は、頬を引きつらせた。
 「・・・・・・A(ケイ)王陛下・・・で、ございますか・・・・・・?」
 彼は、緻胤が・・・いや、彼女だけでなく、彼女の母親も姉も、死者の霊を見ることが出来たことを知っている。
 南蛮の王宮で、何度もその能力を目の当たりにした荀は、緻胤の言葉を笑い飛ばすことは出来なかった。
 「A王・・・?・・・えぇ、そうね。A王陛下よ。
 ずっと、不自由はないかとか、申し訳ないことをしました、って、謝ってくださるものだから、却ってお気の毒になってしまって」
 緻胤はようやく、自分が西桃の王宮にいることを思い出したらしく、臥していた長椅子に身を起こした。
 「ごめんなさいね、荀(ジュン)。ちょっと寝ぼけていたみたい」
 ふふ、と、笑いつつ話す言葉は、流暢な西桃の発音だった。
 幼い頃より、語学にだけは見事な才能を示した緻胤は、西桃語、東蘭語、南薔語のいずれも、母国語のように話すことができる。
 お喋り好きなの、と本人は笑うが、語学に堪能であることは、王族として、いかなる宝石にも勝る宝には違いない。
 「いえ・・・。
 ところで妃殿下、陛下はまだこちらにいらっしゃるので・・・・・・?」
 不安げに、辺りを見まわす荀に、緻胤はふっくらと笑った。
 「だって、新月にはもう少し日があるじゃないの」
 生と死を司る女神・惶帝(こうてい)は、珂瑛(かえい)―――― 月の上に宮殿を構えている。
 宮殿の南門は、満月の夜に生まれる魂を送り出し、北門は新月の夜に死者を迎え入れるのだ。
 「次の新月まで、いらっしゃるわよ」
 当たり前でしょ、と、朗らかに笑う彼女に、荀は気味悪そうに頬を引きつらせた。
 「殿下は・・・その・・・・・・恐ろしくはございませんのか?」
 「あら、どうして?」
 長椅子から立ち上がり、ゆっくりと寝台へ向かいながら、緻胤は背後に従う荀に問う。
 「どうして・・・とおっしゃいますが・・・・・・。
 既に死者となられた方をご覧になりますのは、普通に生者を見ることとは違うのではありませんか・・・・・・?」
 だが緻胤には、荀が死者を恐れる理由がわからない。
 彼女にとって、死者を見る事は、生者を見る事と大して変わらないのだ。
 「生に固執する者や、妄執にまみれた者は恐ろしい時もありますけど、ただ次の新月を待っている人は、恐ろしくもなんともありませんよ」
 「そう・・・いうものですか・・・・・・?」
 「そういうものよ。慣れればなんてことないわ」
 あっさりと頷き、緻胤は寝台に腰掛けた。
 南海の王宮から遣わされた侍女達が、静かに天蓋から下がる幕を引いて、緻胤の姿を隠す。
 「・・・・・・それより、本当に大丈夫なの?もう私、五ヶ月目よ?いくらなんでも気づかれるんじゃない?」
 幕の外にいる侍女達に聞こえないよう、声を潜める緻胤に、荀が深く頷く。
 「どの娘も、妊婦については無知な者ばかりでございます」
 そこだけは注意深く選んだのだと、自信に満ちた答えに、緻胤もうなずきを返した。
 「でもこれからは、びっくりするくらい急にお腹が大きくなって行くものよ。
 見る人が見れば、私が妊娠して随分経っていることなんて、すぐにわかるわ」
 「人払いは徹底しております。こちらの太后陛下も――――」
 ふと、荀が言葉を切ったのは、緻胤が西桃の太后に対して、隔意を持っていることを知っているからだ。
 「陛下も、繊細な時期ゆえと、ご理解頂きまして、ご協力頂いております」
 その遠慮がちな言い様に、緻胤は苦笑した。
 「西桃の太后陛下も、このことに関しては、あなたに一任していらっしゃるのね」
 「・・・・・・繊細な問題でございますゆえ」
 荀の、微妙な笑みは見なかったふりをして、緻胤は帯を解いた。
 その、膨らんだ腹の中にいる子は、亡くなった西桃王・Aの子ではない。
 彼より以前に亡くなった緻胤の亡夫、前東蘭王・采(サイ)の子だ。
 後継者を残せなかった―――― いや、残さなかったAの遺言と、自身の地位に固執する西桃太后の意志、そして、荀の思惑により、前東蘭王の第二子は、前西桃王の第一子へとすり替えられた。
 生まれさえすれば、その瞬間から西桃王の玉座を得る赤子となったのだ。
 「―――― 可哀想な子・・・・・・」
 ぽつりと呟かれた言葉に、荀が首を傾げる。
 「外の光も知らないうちから、野望の道具にされるなんて・・・・・・」
 緻胤はこのところ、珍しく後悔をしていた。
 それまでの彼女なら、常に前向きに、『なるようになるわよ』と笑っていただろう。
 いや、彼女だけの問題であれば、こんな状況ですら、たくましく乗り越えたに違いない。
 だが、事は彼女の中に宿る子の身に降りかかることだ。
 今はまだ、彼女の身体の中で守ってやれるが、生まれた後は――――。
 「きっと、元気な御子であらせられますよ」
 緻胤の懸念を知りながら、あえて楽観的な口を利く荀に、彼女はかすかな苦笑を浮かべた。
 彼女の子を、自身の野望の為に用いようとしている者が言うべき言葉ではないだろうに、彼はそれが、なんでもないことであるかのように笑う。
 「男子であれ女子であれ、立派な西桃王になられますとも」
 とても名誉なことだと、胸をそらす荀に、緻胤の口調は皮肉を含まずにはいられなかった。
 「・・・・・・ありがたくて、涙が出るわね」
 生まれてしまえば、子供は彼女から取り上げられるのだろう。
 その後、自分はどうなるのか―――― 大人しく、東蘭に帰してくれるような太后でもあるまい・・・このままこの後宮の最奥で、庭を眺めて暮らすのだろうか。
 そんな不吉な予測に、緻胤はぶるりと身体を震わせた。
 信頼する人々から遠く離され、我が子の姿を見ることさえも許されず、高貴な囚人として幽閉されるなど、とても耐えられはしない。
 南海の王女であった時ならばともかく、東蘭の王妃として、多くの人々と親しく交わった後では――――。
 と、東蘭で親しんだ人々の顔を思い浮かべていた緻胤の脳裏に、引っかかるものがあった。
 「荀・・・・・・」
 「殿下、どうされましたか?」
 緻胤の様子に、荀が訝しげに眉を寄せる。
 「蟷器は・・・蟷器はあなたに何か、頼んだのではないの?」
 「何か・・・と、おっしゃいますと?」
 穏やかに微笑もうとする荀の、ふくよかな頬がわずかに引きつった様を、緻胤は見逃さなかった。
 「私が、この子を産んだ後のことよ。蟷器が、何か指示していったはずだわ」
 寝台に身を起こした緻胤は、衣服を整えつつ、荀を見据えた。
 嘘を許さない目から逃れるように、荀はおどおどと視線をさまよわせる。
 「・・・いえ、特には・・・・・・。
 ただ、殿下が良い御子をお産みになられますよう、便宜を図るように、とは仰せでしたが・・・・・・・・・」
 「産んだ後は、朽ちるに任せるとでも言ったの?それとも、あなたの出世に思う存分利用しなさいとでもいわれた?」
 「でっ・・・殿下っ・・・!私は決してそのような・・・!」
 慌てふためき、天蓋から垂れる幕に身を絡め取られた荀に、更に緻胤は迫った。
 「蟷器はね、うっかり先のことを読み損ねるような、可愛げのある人じゃないの。
 今回は私のせいで、彼の計画を台無しにしてしまったけど、そうでなければ今ごろ、私は東蘭王宮に戻っているはずだわ。
 そんな彼が、私のことを荀、あなたに頼んだ、と言ったの。
 私がこの子を産んだ後、どう取り計らうべきなのか、言い残したはずよ。そうでしょう?」
 「それは・・・・・・・・・」
 緻胤に迫られ、後ずさる荀の足に幕が絡み、彼の体重を支えかねた天蓋が鈍い悲鳴をあげる。
 「あなたにとって、都合の悪いことなのね?じゃなきゃ、そんなに慌てるはずがないわ。そうよね?」
 緻胤に確信などない。
 が、『そうであるはずだ』という語を強調することによって荀を追い詰め、とうとう彼女は彼を、自白させることに成功した。
 「・・・・・・御子をお産み参らせた後、殿下が西桃にお残りあそばすことを拒まれるようでしたら、まずは南海にお帰し申せと・・・・・・」
 「南海へ・・・・・・」
 緻胤の、大きく見開かれた目に、苦い表情をした自身の顔を写しつつ、荀は緩慢にうなずいた。
 「西桃が、殿下を南海の王女として王妃に迎えた以上、いかに前(さき)の東蘭王妃であられるとはいえ、東蘭へ帰すのははばかりがあるだろう、とおっしゃいまして、御子が西桃王となられた後は、名誉あるご身分を授け、ご実家にお帰しになるように取り計らえとのおおせでした・・・」
 荀としては、緻胤を出来るだけ長く西桃にとどまらせ、彼が権勢を確立するまでの後ろ盾でいて欲しいのだ。
 ために、彼の口は非常に重かったのだが、逆に緻胤は、うれしげに口元をほころばせた。
 「・・・実家に帰れば、傑にも―――― いえ、南海王陛下にもお会いできるのね?」
 歓喜に満ちた声は、しかし、たちまちしおれてしまった。
 「でも、それはこの子を、西桃に産み捨てていくということなのね・・・・・・」
 すとん、と、力なく寝台に座り込み、重く吐息する。
 「蟷器が怒るはずよ・・・。私、ほんとうに馬鹿なことをしてしまったんだわ・・・・・・」
 明るく、優しい性格は、緻胤の美徳ではあるが、彼女は身分ある女性として、もっと自身の立場を深く考えるべきだったのだ。
 権力者が、私情のままに同情や憐憫を与えると、本来、それを受けるべき者達を苦しめることもある―――― 今、緻胤は、そのことを身をもって感じていた。
 「・・・・・・殿下、わたくしめの申すことでは、諫言にもならぬやも知れませぬが、お生まれになる御子のためにも、このまま西桃におとどまりになることはできませぬか?」
 荀の言葉に、緻胤はうつむいてしまった。
 彼女は、荀が自身の野望のために、彼女と彼女の子を利用しようとしていることを知っている・・・。
 彼女を西桃にとどめておきたいのも、彼の出世に役立てるためだと知っているのだが、それでも幼い頃から親しんできた彼を、緻胤は嫌うことが出来なかった。
 「・・・考えさせてくれる?
 私は色々と、考えなきゃいけないみたい」
 低く呟くと、荀は深く一礼し、無言のまま幕の狭間をすり抜けて行った。
 閉鎖された空間に一人残された緻胤は、膝の上で組んだ手へと視線を落としたまま、長い時間を無言ですごした。


 「佳葉の救援は、順調に行っているようですわ。物資の量的にも、今の所問題はないそうです」
 峭州の王宮で、筝(ソウ)の報告を聞いたカナタは、満足げな笑みを浮かべて頷いた。
 「不幸中の幸いは、祭りのおかげで、神殿に十分な物資があったことだね。
 ところで、沙羅の方はどうなんだい?まだ廃墟にこもっているの?」
 廃墟、という言葉に、筝の表情がやや強張ったが、それを苦笑でごまかして、彼女はゆっくりと頷いた。
 「軍は、蒋赫(ショウカク)が抑えているようですわ。現在、神官達との衝突はありませんが・・・・・・」
 「緊張状態ではある?」
 「・・・・・・そうですね」
 筝は頷き、暖炉の中で爆ぜた薪の音に注意を奪われたふりをして、カナタから目をそらした。
 「何事もなければよいのですが・・・・・・」
 その、あまりにも真摯な声音に、カナタも表情を改めた。
 英華が束ねる南州の者達と、沙羅が率いる東州、北州の者達は、何かと対立することが多い。
 それは前女王、精纜(セイラン)が南蛮から南薔へと逃れて以来、幾度も繰り返された派閥闘争と同義だった。
 西桃や東蘭など、一国を維持しえた国々から見れば、それは冷笑すべき有様だったろうが、いかに矮小なものとはいえ、国の名と権勢が絡めば、その抗争は果てしなく続くものだ。
 「佳葉が平穏無事であることにこしたことはないけど、あの顔ぶれじゃ、そうはいかないかもね」
 どんなに高い身分を得ても、人外の能力を身につけていても、自身を含めた全ての事象を他人事だと突き放して見る癖が、未だ抜けてはいないカナタだったが、何も好きで波紋を投げかけているわけではない。
 今回のことも、英華以外に神官達をまとめ得る人材がいなかったがための人選だった。
 「蒋赫殿と英毅殿が、お二人の間に入ってらっしゃることを期待しましょう・・・」
 肚の裡で何を考えているかはともかく、蒋赫と英毅は、感情的になりやすい女達の補佐を、完璧にこなしている。
 「そうだね。あの二人が直接顔を合わせることさえ回避してくれたら、何も起こらないよ―――― 多分ね」
 苦笑するカナタに、筝も苦笑を返して、頷いた。
 が、二人の期待は、これからわずか数日の後に、最悪の容で裏切られることになる。
 蜘蛛の糸のように複雑に張り詰めた緊張に一石が投じられ、その重みに引きずられるように、巣に絡め取られた人々が共に奈落へ落ちていったのだ。
 南薔の史書が筆に迷い、他国が干渉を避けたほどの殺戮―――― それは、廃墟となった佳葉で行われた。
 きっかけは、ほんの些細な事だったという。
 接触を避けてはいたものの、軍と神官たちは同じ町で睨み合い、緊張を高めていた。
 神官たちは、沙羅の軍に無用な疑いを持たれぬ様、武装らしい武装をしていなかったのだが、そのことがまた、彼女達の不安を高めていたのだろう。
 日の光に煌く槍の穂先に、闇の中に響く甲冑の音に、精神を病んでいく者も多かったという。
 そんな不穏な日々が、幾日も続いたある夜。
 月のない闇の中に響き渡った巨大な軋み音に、神官たちも彼女らに保護されていた被災者たちも、息を呑んで不安げな顔を見合わせた。
 「あの音は・・・?」
 天幕の中から、訝しげな顔をのぞかせた英華に、英毅は答えず、未だ音の消えない方角へ、厳しい視線を射込んでいる。
 「まさか・・・城門か?」
 自身の呟きに、英毅は弾かれたように駆け出し、笛を鳴らして神官たちの護衛にと、各所に散っていたわずかな兵を掻き集めた。
 「神官方は、民と共に避難を!」
 そんな指示を受けたものの、この廃墟内に逃げる宛てなどあるわけがなく、神官たちはただ狼狽して右往左往するしかない。
 「母上」
 舌打ちを堪え、英毅は彼の後を追ってきたらしい英華を顧みた。
 「どういうつもりかはわかりませんが、城門が開いた以上、軍が出てきます。
 応戦するには力不足ですが、なんとか時間を稼ぎますので、皆を避難させてください」
 「なぜ軍が・・・」
 「考えるのは後にしてください」
 母の言葉を冷淡に遮り、英毅は未だ集まりきっていない兵らに向かった。
 「無理に戦う必要はない。落ち着いて、向かって来る者だけを斬り捨てよ!」
 英毅が率いる兵はほとんどが歩兵だったが、いまだ瓦礫にまみれた地では、騎兵はその機動力を活かす事は難しい。
 こちらから無理に攻めて行くことさえしなければ、戦を有利にすることも可能である。
 そう説明した後、英毅は使者を選んで、蒋赫を探すようにも命じた。
 「こちらには戦う意思も、力もない。なのに、この狼藉は何事かと。蒋将軍のご意志とも思われぬゆえ、何かの間違いであるなら速やかに兵を退くべし、と伝えろ」
 心得て、すかさず使者の旗を振りかざし、去って行った騎影を見送る余裕はない。
 「出来るだけ門から離れてください。主だった者達に少数ずつまとめさせて、散り散りに逃げさせるのです。そうすれば、少なくとも一気に潰されることはない」
 「英毅、あなたは?!」
 「将軍と話がつくまで、ここに留まりますよ」
 幸い、瓦礫には事欠かない町である。
 彼らが宿営していた場所も、どけた瓦礫を周りに積み上げて行ったため、計らずも円状に障壁を築いていたようなものだった。
 「だけどこんなもの、壁とも言えないじゃないの・・・。一気に攻め寄られたら、あなたたちは・・・・・・」
 さすがに言葉を濁した英華を、英毅は不快げに睨み付ける。
 「長く保たないことくらい、わかっております。ですから取り囲まれる前に、早くお逃げくださいと言っているのです」
 「英毅・・・・・・!」
 「ご自分の役目を果たしていただきたい、南州候」
 なおも言い募ろうとする英華を黙らせて、英毅は母を、神官たちと共に宿営地から追い出した。
 徐々に迫る馬蹄の響きに、彼と彼の率いる兵達は、汗ばむ掌に剣の柄を握り締めた。


 城内で、門の開く音を聞いた蒋赫は、舌打ちして闇の中を城門へと駆け出した。
 沙羅が、彼自ら『暗殺者』の投獄を行うよう命じた時に、こうなるのではないかとの予想はあったが、まさか、本当に軍を出すとは・・・!
 「陛下はいずこにおわす?!」
 朗々たる声は、城門が上げる巨大な軋み音を圧して兵達の耳に届いたが、誰も答え得る者はいない。
 「兵を収めろ!これ以上、城門を開くことは許さん!!」
 徒歩のまま馬体を掻き分け、無理やり城門前に進み出た蒋赫だったが、やや開けた場所に出た途端、半面をしたたかに殴られた。
 「おやめ!私の命令よ!!」
 彼の上に降り注いだ癇症の声は、彼の女王のもの・・・。
 蒋赫を打った乗馬用の鞭を振りかざし、老婆のように白い髪を振り乱した姿が、闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。
 「陛下、どうか兵をお収めください!」
 「先に仕掛けてきたのはあちらだ!これ以上私を侮ることのないよう、一気に刈り取ってやる!」
 激昂した沙羅に、退く気配はない。
 それでも蒋赫は、沙羅の騎乗する馬の手綱を引いた。
 「あの少女は、道に迷っただけです!」
 少女、とは、先ほど蒋赫が入牢させた、神官見習いの娘のことである。
 昼の間は、他の神官たちと被災者の救助にあたっていたそうなのだが、日が沈んだ頃、皆とはぐれ、崩れた城壁をそうとは知らず乗り越えて、城内に入り込んでしまったのだという。
 それが、単に庭先をうろついていただけであったなら、ここまで大仰なことにはならなかっただろう。
 衛兵に囚われたとしても、蒋赫の前に引き出された後、城外へ追い出されるだけだ。
 が、どういう偶然が働いたものか、彼女は次第に濃くなる夜陰をさ迷い歩いているうちに、沙羅の居座る王の間に辿り着いてしまったのである。
 この城の中には、沙羅をおいて他にはいないはずの女―――― しかも、神官の姿をした彼女に、沙羅は取り乱した。
 佳葉に神官達を入れてより、ずっと恐れていたこと・・・誰かがこの玉座を奪いにくるという恐れが現実になったのだと、確信したのだ。
 沙羅は、悲鳴じみた声で衛士らに少女を捕らえさせると、その場で斬り捨てようとした。
 蒋赫が止めに入ったため、なんとか命は長らえたものの、今、少女は牢の中で呆然と我を失っている。
 「聞けば、城外にいるのは英華だと言うではないか!あの女ならやりかねないわ!」
 確かに、と、蒋赫は心中に頷く。
 南州候のみのことであれば、造反を企むこともあり得るだろう。
 だが、南州候を送り込んできたのは聖太師・・・カナタである。
 未だ殺人を嫌がる、怯惰(きょうだ)な彼が、このような形で仕掛けてくることは絶対にあり得ない。
 そう確信し、沙羅に告げた言葉は、しかし、一蹴されてしまった。
 「あの惰弱な男はそうでしょうよ。だけど、周りがそそのかしていないとはいえないでしょう!」
 「しかし・・・・・・!」
 「うるさい!」
 再び鞭が鳴り、蒋赫の肩を打った。
 「私に逆らうなら、おまえでも許さないわ、蒋赫!」
 それに、と、細まった目は血と同じ色。
 「兵達も、こんな緊張状態に幾日も置かれていたのだもの。そろそろ狩りでも楽しみたいでしょうからね」
 「狩り・・・」
 呆然と復唱した蒋赫に、沙羅はにやりと口の端を歪めた。
 「狐狩りよ。一人残らず狩るの」
 言うや、沙羅は馬腹を蹴り、未だ開ききらない門の隙間を縫うようにして、城外へと飛び出した。
 騎馬の兵達が、あるいは気遣わしげに蒋赫を見遣り、あるいは目をそらすようにして彼女に続いていく。
 「っ馬を貸せ!!」
 言うや、蒋赫は傍らを過ぎ去ろうとした一騎を無理やり押し止め、馬を奪って騎乗した。
 ようやく兵らと視線が合い、自らの存在を示すや、一喝して彼らの動きを止める。
 「王の命だとて、神官を狩るとは何事か!おまえ達は巫女を、刃にかけるというのか!」
 蒋赫の言葉に、慌てて馬を押し留めた兵達は、不安げに顔を見合わせた。
 沙羅の命で騎乗し、城外へ飛び出そうとしたものの、自身らが何に対して剣を振るうのか、蒋赫に言われて初めて気づいたかのようだ。
 「神官を殺せば、その身に呪いが降りかかるぞ。
 いや、それだけではない。
 神官を手にかけた者は、家からも故郷からも追われ、国を出てさすらうしかない。それでもいいのか?」
 朗々と響き渡る声は、怒声というよりも諭すような穏やかさを持ち、為に、却って兵士達を動揺させた。
 その隙を逃さず、蒋赫は門前に立ちふさがる。
 「城内に残っている者は、そのまま動くな!城門を閉め、城を守れ!二隊のみ、俺について来い!!」
 その命に、服従しない者はもういなかった。
 沙羅の後を追い、城外へ飛び出して行った彼と彼の率いる隊の背後で、城門が再び重苦しい音を立てて閉められる。
 「なんとしてでも止めろ!決して殺戮を許すな!」
 闇の中、松明を掲げて先行した馬蹄を追う者達は、急ぎつつも整然と駒を進めて行った。


 この夜の事件は、沙羅王側、神官側のどちらも、二派に分かれた上、一貫した指揮系統を持たなかった為に、悲劇の質量を増したと言える。
 英毅が送った使者も、松明を掲げて佳葉を巡る沙羅の軍に惑わされ、とうとう蒋赫を見出すことができなかったのだ。
 神官達を逃すため、百人に満たない兵と共に宿営地に留まった英毅は、闇を透かして蒋赫の姿を見止めた時に使者の失敗を知り、自ら障壁を乗り越えてその前に立ち塞がった。
 「英毅・・・どけ!!」
 「あなたが兵を退くまで、私はここをどくわけにはいかない」
 馬上の蒋赫に対し、英毅は徒歩(かち)のままであったが、その口調は淡々として、焦慮を見せない。
 英毅の目的が、時間を稼ぐことである以上、焦って蒋赫との交渉を早々と打ち切るわけには行かないのだ。
 為に、彼は殊更冷淡に蒋赫へ向かった。
 「兵を出し、神官達や民を脅かすとは、どういうつもりだ?なんの権利あって、神殿に楯突くか」
 「違う、俺達は・・・・・・!」
 蒋赫は声を上げようとしたが、それより先に英毅が抜剣し、彼の反駁を塞いだ。
 「―――― 巫女を害する者に呪いあれ。
 この身に流れる血にかけて、必ず巫女を守り抜く」
 それは、神殿を守る将兵が、抜剣する際の決り文句のようなものであったが、英毅が、秀麗な顔から全ての感情を拭い去ったまま淡々と発すると、まるで、澪瑶(レイヨウ)公主の命じるままに姉の命を奪った、華綾(カリョウ)の裁きの場面を見ているかのようだった。
 更に、英毅の率いる兵達も、彼の冷淡さに感化されたかのように次々と抜剣し、自身らの無勢を顧みることなく、整然と蒋赫らに向かう。
 その様に、明らかに鼻白んだ兵達の中で、一人、蒋赫だけは毅然として、英毅の眼前に進み出た。
 「やめろ。俺は、おまえと戦うつもりはない」
 「ならば兵を退け」
 地に立ったまま、馬上から自身を見下ろす蒋赫に剣先を突きつけ、英毅はすっと目を細めた。
 「退かないというのなら、私を殺し、屍を踏み越えて行くのだな」
 「俺は、沙羅陛下をお諌めするため、城を出たのだ。おまえと戦うためじゃない」
 「陛下?沙羅王女は未だ、王とは認められてはいない」
 明らかに話を逸らそうとしている英毅を、蒋赫は苛立たしげに睨みつけた。
 「今は、そんなことはどうでもいい!俺は、神官達を狩れとおっしゃる陛下を、お諌めするために追って来たのだ!」
 「では、おまえ達は神官達を、助けに来たとでも言うのか?」
 冷淡な声は、それだけで蒋赫への不信を表現するに十分だった。
 「おまえ達は、剣も持たない神官達に、刃を閃かせ、怯えさせていたではないか。そして今、闇の中に馬蹄を轟かせ、彼女達を追い立てている。害を成さないと、どうして信じられる?」
 罪状を読み上げる声は淡々として、一切の反論を封じようとしているかのようだった。
 が、
 「信じてもらうしかない」
 言うや、蒋赫は馬を下り、英毅と視線を合わせた。
 「俺も巫女の息子だ。巫女を害した者が、どういう罰を得るのか、よく知っているつもりだ」
 「罪と知っていても、犯す者は大勢いる」
 「そうだとも!神官を害そうと、王命ゆえ免罪されると信じている馬鹿どもが、大勢城を出たのだ!俺は彼らを止めに来た!おまえと、こんなところで押し問答をしている場合ではない!!」
 怒鳴るや、蒋赫は英毅の刃の前に身をさらし、手甲に覆われた手で無造作にその刀身を握り締めた。
 「離せ・・・!」
 「さっさと剣を収めろ・・・!」
 両軍の兵士達が、固唾を飲んで見つめる中で、二人がもみ合った。
 そこが平地であったならば、体格ではるかに勝る蒋赫が、あっけなく英毅の手から剣を取り上げたことだろう。
 しかし今、彼らが足下にしているのは、防塁ともいえなくはない、瓦礫の山だった。
 不安定な足場の上では、体格の良さは裏目に出、蒋赫は瓦礫に足を取られてよろけた。
 その隙に、英毅がすばやく剣を引き、その刃が深く蒋赫の首筋を抉ったのである。
 「蒋・・・・・・っ!」
 英毅の見開いた目に、蒋赫の生暖かい血が叩きつけられる。
 思わず手をかざしたその姿が、蒋赫の背後にいた兵士達には、彼らの将軍を斬り捨てたように見えたのだろう。
 一瞬、凍結した時間は、幾人かが上げた、悲鳴とも咆哮ともつかぬ声で断ち切られ、けたたましく弓弦を掻き鳴らして放たれた矢が、報復の歌を歌った。
 たちまち、全身に無数の矢を受けて、蒋赫の上に折り重なった英毅の姿に、それまで冷静だった南州の兵達も激昂した。
 無勢をものともせず、次々と防塁を乗り越えては切りかかってくる彼らに、作戦などあろうはずもない。
 ただ、乱戦につぐ乱戦、混乱に乗じた混乱に、将を殺された憤りが拍車をかけて、酸鼻きわまる殺し合いが始まった。


 闇の中ではまた、別の殺戮も行われていた。
 英毅が、蒋赫の隊を留めている間、沙羅の率いた数隊はまさしく狩りの隊形を取り、各所に散っては、逃げ惑う神官達を追い詰めていたのである。
 ―――― なぜ・・・
 なぜ、こんな目に遭わなければならない?!
 闇の中、幾人かの神官と共に、民を守りながら逃げ続けた英華は、馬蹄の音を近くに聞いて身を竦めた。
 既に、自身らがどこにいるのかさえわからない。
 なにが崩れて出来たものかすら判じ得ない瓦礫の狭間に身を潜め、息を殺して馬蹄が遠く去るのを待った。
 が、
 「英華を見つけたか?」
 新たな馬蹄の音と共に、甲高い女の声が間近に響き、英華は血がにじむほどに唇をかみ締めた。
 そっと見遣った闇の中に、ぼんやりと白く浮かび上がるのは、闇精よりも不吉で、珂瑛にうごめく魔物よりも邪悪な『精霊の娘』の姿――――。
 人を狩っていると言うのに、良心の呵責もないのか、いかにも楽しげな様子で、沙羅は駒を進めていた。
 対して、彼女の周りに集まってきた兵士達は、血の滴る剣を馬の背に預け、身体にこびりついた神官達の血を見つめるようにうつむいた。
 ―――― いかに神官の頂点に立つ王の命令とはいえ、神官を斬って良かったのだろうか・・・・・・。
 そんな疑問が沸くと共に、深い悔恨と恐怖が、次第に彼らの心の裡を侵して行く。
 その身体にこびりついた血が乾いて行くにつれ、怨毒が身の裡に染み込んでいくような感触を、拭い去ることが出来ないのだ。
 それほどに、南薔で生まれ育った者達にとって、神官達は畏敬の対象であったのだが、南蛮に生まれた沙羅には、とうとう最後まで彼らの心情を理解することが出来なかった。
 「英華を探し出すまで、狩りを続けるのよ―――― そうだわ。あの女をおびき出す、いい手があるわね」
 ふと、笑みを深めた沙羅に、彼女の性格を知る者達が、ぎくりと身を竦めた。
 彼らは、沙羅の言わんとすることを察してしまったのだ。
 それは、既に神官殺しに飽いている彼らにとって、耐えがたい命令であるに違いない。
 身を硬くして、命を待つ彼らに、沙羅は馬上で微笑んだ。
 「民と一緒に、神官を生きたまま捕らえておいで。民や神官達が英華の名を呼べば、南州候を自称するあの女狐も、出てこないわけには行かないでしょうよ」
 拷問か、と、わずかに沸いたざわめきに、高く、瓦礫の崩れる音が混じった。
 「南州候!!」
 悲鳴じみた声を上げ、留めようとした神官達の手を振り切って、英華は潜んでいた狭間から出、沙羅の前にその姿をさらしたのである。
 「王世子は、私一人を望んでおられるのでしょう?ならば、ここで捕らえるがよろしい」
 長い間、瓦礫の中を逃げ回っていたため、その姿は薄汚れてはいたが、英華はできるだけ威儀を正して沙羅に向かった。
 「探す手間が省けたわ」
 言いつつ、邪悪な容に歪んだ紅い目を、正面から睨みつつ、英華は沙羅の方へと歩を進める。
 「この身と交換に、他の神官達や民には手を出さないでいただきたい」
 馬上の沙羅を仰ぎ見ると、彼女はゆっくりとうなずいた。
 「いいでしょう。おまえが、大人しく捕らわれるというのならね」
 「・・・・・・お望みのままに」
 呟いた途端、英華は沙羅の命を受けた兵士達に縄をかけられた。
 「南州候・・・・・・!」
 たまりかねて、身を隠していた狭間より出てきた神官達に、英華は微笑んで見せた。
 「私一人の命であなた達を救えるのなら、行くしかないでしょう。
 後のことは、お願いしますね」
 穏やかな声音で神官達に語りかける英華の周りを兵士達が厳重に囲み、罪人のように城内へと引っ立てて行った。
 その途中、沙羅は英華にも聞こえるように、再度、神官達の生け捕りを命じたのである。
 「馬鹿な・・・!!約束を反故にするというの?!」
 太い縄に身を戒められたまま、もがき、抗議する英華を、沙羅は馬上から冷ややかに見下ろした。
 「なぜ私が、おまえごときとの約束を守らなければならないのだ」
 「よくも・・・よくも騙したな!!」
 「騙すの騙さないのと・・・そんな言葉は、対等な立場にあってこそ言える言葉だろう。僭越もはなはだしい」
 沙羅の歪んだ口元から、嘲弄が溢れ出す。
 「珂瑛への供をつけてやろうと言っているのだ。ありがたく受けるがいい」
 再び、重い音を響かせて開かれた城門の奥では、強い光を嫌う女王のため、淡く篝火が焚かれていた。


 「・・・こんなことをして、いいのですか?」
 「・・・・・・いいわけがないだろう」
 同じ会話が、沙羅の元を離れ、闇の中に散った兵士達の間で交わされていた。
 中には、血塗れた剣を放り捨てて、踵を返した者もいたが、多くは不満ながらも、悲鳴をあげて逃げ惑う神官達を追い詰め、捕らえて、城内の広場で待つ沙羅の前へ引き出したのだ。
 「呪われろ、穢れた者どもめ!!巫女の血を浴びた者は、必ず地獄に落ちるぞ!!」
 両腕を屈強な兵士達に囚われ、瓦礫の中から引きずり出された神官達の絶叫は、殺戮に酔いしれた兵士達の興奮を、徐々に覚ましていった。
 「痴れ者!!なにが精霊の娘か!!汚らわしい南蛮の女め!!神殿はおまえなぞ、決して王とは認めぬ!!」
 「呪われろ、呪われろ、呪われろ!!我が国を侵した、南蛮人の娘め!!この身に流れる血にかけて、必ずおまえを地獄に引きずり落としてやる!!」
 次々と沙羅の前に引き出されては、長い髪を振り乱し、地に爪を立てて激しく罵る神官達の形相は、地獄にうごめく怪物たちもかくやと思うほど。
 普段は取り澄まし、あるいは慈愛深く微笑む彼女達だけに、その姿はいかにも恐ろしかった。
 が、彼女達の言葉も、姿も、南蛮に生まれ育った沙羅にとっては、王である自信に対し、無礼な行いであるという以外に、何の意味もない。
 「この女どもの舌を切り取っておしまい!」
 甲高い声を上げ、震える手に握った鞭を振るって、沙羅は兵士達に命じた。
 が、呪いの言葉を吐き続ける口に触ることすら出来ない彼らに、更に憤った沙羅は、城門内の広場に幾本も立てた木の杭に、神官達を打ち付けるよう命じた。
 しかしそれも、神官を畏敬する兵士達にとってはできないことだった。
 彼女たちの両手両足を釘で打ちつけるなどという残酷な行為を前に、怖気づいた兵士達が、凍ったように身を竦ませてしまったため、沙羅は仕方なく、縄で木に縛りつける事を容認したのである。
 「まったく、なんと情けない者どもか」
 不満げに呟きつつも、沙羅は、英華をはじめとする百何十人もの神官達が、次々にささくれだった木の杭に両手両足を括られ、恨みの言葉を吐いてはもがく姿に、満足げに微笑んだ。
 「どうした?おまえ達に、本当に巫女の力とやらがあるのなら、精霊にその縄を解いてもらったらどうなの?」
 ゆったりと、神官達を縛りつけた杭の間を巡りながら嘲弄する沙羅を見下ろして、神官達は悔しげに顔を歪める。
 「せいぜい、慈悲でも請うがいい。もっとも、おまえ達に寄ってくるのは、闇精くらいのものだろうが」
 そういえば、と、沙羅は辺りを見回す。
 「今夜は死者の魂魄が、うろついていないわね。さすがに新月だけあって、珂瑛(かえい)からの迎えも早いこと」
 途端、神官達は口をつぐみ、淡い炎に照らされた顔を強張らせた。
 新月の夜は、死者を迎える冥府の北門が開く―――― 沙羅を呪う間もなく、彼女達は珂瑛に昇ることになるのだ。
 「卑劣な・・・そこまで考えてのことか!」
 英華が、恨みと共に吐き出した言葉に、沙羅は口の端を曲げるようにして笑った。
 「私は、おまえ達に隙を見せるほど、間抜けじゃないのよ」
 言うや、沙羅は軽やかに身を翻し、広場の奥に特別に設えさせた玉座へと昇る。
 十段ほどの階(きざはし)を昇り詰めれば、杭に縛り付けられた神官達と、彼女達と共に捕らわれ、城内に引き立てられた佳葉の民の両方が見渡せた。
 怯えた目で、沙羅と神官達を見比べる民を見下ろした沙羅は、彼らに石を投げるよう命じた。
 「この女達が一人残らず息絶えるまで、やめる事は許さない」
 命令は、しかし、頑迷に拒まれた。
 神官達に害を加えることは、絶対の禁忌として彼らに恐怖を与えていたのだ。
 が、沙羅は、自身が蔑ろにされることが、何より許せない女である。
 「私の命令が聞けないというの?!」
 激昂のままに鞭を鳴らし、彼女の命令に逆らう者達を斬り捨てるよう命じた。
 「自分の命をなげうってまでも、神官に石を投げることを拒む者は、前に出よ!!」
 その言葉に、民は悲鳴を上げ、後ずさろうとするが、彼らは手に手に武器を持った兵士達に囲まれており、逃げ出すことが出来ない。
 ただ、おろおろと狼狽しては、血走った目で逃げ場を模索する彼らに、沙羅は再び、口の端を曲げた。
 「誰も、自らを犠牲にしてまで、おまえ達を助けようとは思っていないようよ?」
 杭に縛り付けられた神官達を見下ろせば、憎悪に歪んだ面々が、怒りにたぎった視線を向けている。
 「さぁ・・・!」
 残忍な紅い瞳が、民を見回し、その震える手に、兵士達が無理やり石を押し付ける。
 「石を投げなさい!」
 動こうとしない馬を叱咤するような声と鞭の音を合図に、弱々しくも一石が投じられた。
 「もっとよ!」
 再び鳴った鞭の音と呼応するかのように、ばらばらと石が飛び、いくつかが神官達の身体を打った。
 「もっと!!」
 沙羅が鞭を振るう毎に、投石は数と速さを増し、淡い炎の中に映じた薄墨色の影は、不吉な蟲の大群にも見えた。
 「飄山で大人しくしていれば、このような目に遭わずにすんだものを、あの男が余計な手出しをしたものだから、瓦礫の上に屍をさらすことになるのよ。恨むなら、あの男を恨むのね」
 神官達が、石に打たれて傷ついていく様を楽しげに見ながら、沙羅が笑うと、
 「聖太師倪下になんと言うことを!!」
 悲鳴を圧して怒声が上がり、それに唱和するように、非難の声は悲鳴以上の激しさで沸き返った。
 「痴れ者!!口を慎め、穢れた女め!!」
 「まことの水精であられるかの方に、無礼は許さぬ!」
 激しく身を捩り、非難の声を上げるうち、兵士が手加減をしていたのだろう、幾人かの縄が緩んだ。中の一人が、
 「沙羅!!」
 吐き捨てるように名を叫び、飛礫(つぶて)が雨のように降り注ぐ中、苦痛に萎える足に力を込めて立ち上がった。
 英華、である。
 彼女は、炎が燃え移ったかと見紛うばかりの紅い髪を振り乱し、まっすぐに沙羅を指し示した。
 「おまえに王たる資格はない!!」
 糾弾の声を上げ、英華は一歩ずつ、沙羅に歩み寄っていった。
 「南薔の王は、他国の王とは違う!
 南薔王は巫女の最高位であり、神聖にして公正であらねばならぬ!殺戮を行わず、天に仕え、地を治める者を、南薔の民は王と仰いできたのだ!」
 南薔の民にとって、南薔王と南薔王家は単なる支配者ではない。
 母皇と三皇帝、七精霊を祀る神殿の保護者であり、精神的支柱でもあるのだ。
 「残虐にして非道な沙羅!
 神官を害し、民を虐げるお前に玉座は似合わぬ!」
 止むことなく飛んでくる飛礫に打たれながらも、英華は糾弾を止めず、まっすぐに沙羅へ向かい、玉座の階に足をかけた。
 深い傷を負った額から溢れた血が、その顔を汚していたが、淡い炎を受けた琥珀の瞳は金色に輝き、火精と見紛うばかりの威厳に満ちている。
 「・・・誰がなんと言おうと、私は南州候―――― 茱家の当主だ!
 候たる身が、このようになぶられてなるものか!」
 気づけば、飛礫が英華を傷つけることはなくなっていた。
 民が投石を止めたのではなく、英華が飛礫の届かない場所―――― 沙羅の側へ昇り詰めたのだ。
 不吉な蟲の大群は変わらず、残酷な羽音を立てて神官達へ群がり、頭を割られ、裾先まで血にまみれた彼女らが動かなくなってもなお、恐怖に駆られた民は投石をやめようとはしなかった。
 「沙羅・・・!」
 怨嗟に満ちた声とともに伸ばされた血まみれの手を、しかし、沙羅は避けようとはしなかった。
 幼い頃から、南薔王を継ぐ者として、母親さえかしずかせていた彼女は、『王』以外の何者でもない―――― 自身に逆らう者、自身を侵す者を決して赦さないのだ。
 自身に掴み掛かろうとする英華を鞭でしたたかに打ちつけ、ぎり、と、睨みつけると、
 「無礼者!私は薔家の当主にして、不可侵の『精霊の娘』だ!茱家ごときに弾劾されるいわれはない!」
 そう叫んで、呆然と二人の女を見守っていた兵達に、英華を殺すよう命じた。
 「あぁ、殺すがいい!!民になぶり殺されるよりは、刃に胸を突かれた方がましだ!」
 さぁ、と、英華は革の胸甲(きょうこう)を剥ぎ取る。
 「望み通り、切り刻んでおやり!!」
 沙羅の金切り声に操られるように、幾本もの刃が前後から英華を貫いた。
 「・・・・・・っ!」
 かっと目を見開き、苦痛を堪えるように噛み締めた唇から血が滴る。
 くずおれる膝を支えるように、腹部を深く貫いた剣に取り縋れば、怯えた兵士はあっけなくそれを手放した。
 英華の手の中に残った鋼は、冷たい刀身を彼女の血に染めながら、その重みによって彼女の身体から抜けようとしている。
 「・・・さ・・・・・・らぁ・・・・・・・・・っ!」
 吐き出された声は言葉にならず、肺に流れ込んだ血が口から溢れ出た。
 自身が、立っているのか跪いているのかさえ判然としない状態で、英華は半ばまで抜けた剣の刃を持ち、ずるりと引き抜く。
 乾く間もなく、新たな血にまみれた剣は、萎えた腕に重かったが、一瞬だけ、振るうことが出来れば十分だ。
 英華は、急速に闇に落ちていく視界の中に、ぼんやりと白く浮かび上がる女の姿を捉えると、一足に距離を縮めて剣を突き出した。
 自身の鼓動が鳴り響く耳中に、金属的な悲鳴を捕らえ、英華はわずかに唇を歪めた。
 「―――― この女の首を刎ねろ!!」
 怒りに裏返った声が、地に伏した英華の上に降り注ぎ、鋼の触れ合う音が辺りを満たした。
 英華のうなじに、剣が振り下ろされる。
 一度で首を落とすことが出来なかったため、二度、三度と、同じ行為が繰り返された。
 骨を砕く耳障りな音は、しかし、間もなく止んだ―――― 英華の意識は、闇に落ちた。


 英華の首を刎ね、多くの神官達をなぶり殺したのち、沙羅は一人、荒れ果てた王宮内の、古びた寝台に横たわっていた。
 英華が最期の力を振り絞って突き出した剣は、沙羅の左胸を抉り、彼女に深い傷を与えていたのだ。
 肺は傷ついていなかったものの、出血はいつまでも止まらず、高熱が身体中を蝕んでいく。
 浅く、荒い呼吸を繰り返し、口も利けない彼女の側に、何者かが立った気配がして、沙羅は薄く目を開けた。
 強い光を見ることが出来ない『精霊の娘』のため、極力外の光が差し込まないよう、設計された部屋は薄暗かったが、その男の姿ははっきりと見ることができた。
 沙羅の、老婆のように乾いた白髪とは比べようもない、美しい銀髪の青年―――― 飄山の聖太師、カナタだった。
 「苦しいか?」
 凍った湖面のように静かで冷ややかな声に、沙羅は顔をそむけた。
 王の寝室に断りもなく入った無礼や、王を見下す無礼・・・言いたい事は山ほどあったが、頭が割れるように痛んで、考えがまとまらない。
 「どうして、血が止まらないのだと思う?」
 重ねて問う声にも、沙羅は胸の裡に多くの罵言を浮かべたが、顔をそむけたまま答えなかった―――― 口の中がひどく乾いていて、声が出なかったのだ。
 そんな、沙羅の状態をわかっているだろうに、カナタは気遣おうとはしなかった。
 「呪いだよ・・・神官達のね」
 「馬鹿なことを・・・・・・!」
 ようやく発した声は、ひび割れ、引きつって、言葉になったかどうかすらわからない。
 が、沙羅はそむけていた視線をカナタに据え、反駁した。
 「血が止まらないのは、お前が医師を遠ざけているからだろう!」
 喘音(ぜいおん)に何度も喉を塞がれながら、沙羅は怒りと苦痛にきつく眉を寄せた。
 「ろくに治療も施さず、生殺しにするつもりか?!」
 「それが、お前への罰だ」
 海と同じ色の瞳で、冷ややかに沙羅を見下ろしながら、カナタは宣告した。
 「東蘭太后、緻胤殿を誘拐し、西桃へ売り渡した罪。東蘭の前王、采殿の第二子を殺害した罪――――」
 この時、カナタはまだ、采の第二子が、緻胤の中で生きていることを知らない。
 「南薔を守るべき身分にありながら、恣意的な理由で災害に遭った民を救済せず、私事に軍を動かした罪。神殿の許可なく、王を僭称した罪」
 「僭称ではない!」
 高熱にうかされているとは思えぬほどはっきりと、沙羅は反駁した。
 「私は、南薔王となるために生まれ、南薔王になる者として育てられた!母亡き後、私以外に南薔王に立つべき者はいない!!」
 それは、『精霊の娘』であることを最大の誇りとし、薔家の当主であることを心の支えとしてきた沙羅にとって、当然の反駁であり、真実だった。
 しかし、カナタはそれに対し、更に冷ややかに応じたのである。
 「王は、血筋によって選ばれるものじゃない」
 王のいない社会に生まれ育った彼にとって、それは今更語るまでもない事実だった。
 「薔家が、他国の王家と違い、今まで王として存続しえたのは、教主たる尊厳と支配者に足る実力を併せ持っていたからだ」
 それは、神殿の主として飄山に住んで以来、学び、考えていたことだ。
 「確かにお前は、教主としては完璧な容姿を持っていたかもしれない。だが、暴力で押さえつけること、恐怖で支配することで自身の地位を確立しようとした―――― お前が嫌っていた、南蛮王のやり方を踏襲してね」
 その言葉に、沙羅が目を尖らせる。
 「結果、どうなった?
 州を治める神官達は、東州を除いたほぼ全員が神殿派に加わった。民も、お前を恐れ、神殿へ助けを求めてくる。他国に至っては、お前ではなく私を交渉の相手に選んだ」
 言いつつ、カナタが懐から出して見せた何通かの書簡・・・その封蝋に刻まれた印章に、沙羅は目を見開いた。
 意匠化された蘭花を、尾を噛んだ蛇が丸く囲むそれは、東蘭王家の紋章。同じく、蘭花を中心に、三匹の蛇が互いの尾を噛み合う紋章は、三品の位にある東蘭貴族、高官の紋章である。東蘭王・傑と、枢蟷器からの書簡だ。
 傑からはもう一通、南蛮王としての書簡もあった。
 南海を表す荒磯を背景に、珠玉を咥えた巨魚が跳ねる印章がそれである。
 更には、実の生った桃の木を中心に、互いの尾を追うように囲む三頭の獅子の紋章―――― 西桃王亡き今、国を支える三品の高官が出したのであろう書簡までもが、カナタの手の中にあった。
 「お前は、もうしばらく生きるといい。
 その間、誰も傷の手当てはしない。
 神官達を惨殺した罪に対する罰を受けながら、死に至るまでの日々を数えるがいい」
 「・・・・・・そうして、私が死んだ後に、妹を南薔王の玉座に据えるつもりか?!」
 カナタの手にある数々の書簡―――― それが、緻胤を南薔王に擁立するための書簡であることは、容易に知れた。
 沙羅は、骨ばった手で粗末な掛布を握り締め、怨嗟にまみれた声を搾り出す。
 「私が罪を犯したというなら、お前はどうなのだ!
 なんの権利もなく聖太師の座を占め、権力を乱用して国政に介入する・・・・・・私の登極を認めず、国を割り、乱したのはお前ではないか!」
 沙羅の弾劾に、カナタの瞳がわずかに揺らいだ。
 「そうだ・・・このようなことになったのも、元はお前が神官達を佳葉に入れたせいだろう!
 しかも、寄りによって、英華なぞを長に据えたお前の人選に罪はないというのか!!」
 カナタは口をつぐんだ。
 沙羅の言ったことは、既にカナタも重く受け止めていたことである。
 他に人はいなかったのか、と、何度も悩み、考えたが、英華以外に、神官達を率いることのできる人間はいなかったのだ。
 ―――― 信頼できる人間がいない、ということが、これほど辛く、厳しいものだとは思わなかった。
 そう、心中に呟く度、胸は鉛を詰められたかのように重くなる。
 英華と同じ日に英毅も死に、蒋赫までもが命を落とした。
 他にも、緻胤が南薔王となった時に、彼女を支えるべき有能な人間が、何人も嬲り殺されたのだ。
 「・・・確かに、私にも罪はある」
 重い口調に、禍々しく口の端を歪める沙羅から、カナタは目をそらした。
 「だが、私を裁く権限を持つのは、母皇と三皇帝、七精霊王の他には南薔王のみ。お前ではない」
 異世界に生まれた身でありながら放言するものだと、自嘲するカナタに、沙羅が絶叫する。
 「私が王だ!」
 血を吐くような声に、しかし、カナタは背を向けた。
 「お前は王ではない」
 何度でも、繰り返す言葉に熱はなく、ただ彼の信じる事実を述べる。
 「民を虐げる者は、王であってはならない。殺戮をほしいままにする者も、王たる資格はない。
 その両者にあたるお前を、私は決して、王とは認めない」
 足音もなく、滑るように去っていく背中を、沙羅は悔しげに睨みつける。
 「・・・・・・私は負けない・・・・・・けして、負けるものか・・・・・・!
 覚えていろ!私は必ず、玉座を取り戻す!例え、ただの一人しか臣下がなくてもな!!」
 「――――っ」
 その言葉に、カナタは思わず振り返った。
 「知らないのか・・・?」
 「なにを・・・・・・」
 ずっと淡々としていたカナタの表情が強張る様に、沙羅は問いかける声を詰まらせた。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・まさか」
 「・・・・・・蒋赫は死んだよ。英毅と争ってね」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 愕然と声を喪い、紅い瞳をただ見開く沙羅の姿をしばらく見つめ、カナタは薄暗い部屋を出た。
 南薔王家が代々崇めてきた『精霊の娘』のために、特別に日が差さないよう設計された部屋から伸びる長い回廊を巡り、ようやく中庭に面した場所に出れば、空は冬の到来を告げるかのように青く澄み渡り、地上に描かれた陰惨な光景と、残酷なまでの対照を成している。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 黙したまま、カナタは殺戮の行われた城門内広場まで下りて行った。
 カナタの命により、既に神官たちの死体は運び出されていたが、未だ血の跡が残るそこには、生臭い匂いが立ちこめている。
 誰もいなくなったそこに残っていた玉座に昇り、カナタはほんの少し近くなった天を仰いだ。
 「・・・・・・・・・このような時は、どなたに申し上げればいいのでしょう?」
 粛々とした囁きは、吹き寄せる風にさらわれて、人の耳には届かない。
 「私は、異人です。
 異世界に生まれながら、この世界の恩恵を受ける、異形の者です―――― ですが・・・・・・・・・」
 こめかみに一筋、涙が伝った。
 「私を受け入れてくれたこの世界と、この国に対して、もう、傍観者でいることはできません」
 ―――― 段々、人間離れしていく気がするよ。
 つい先日、カナタは自身の裡に棲む精霊に、そう冗談めかして言ったものだ。
 だがそれは、人としての熱を失っていく恐怖を、堰き止めるための反語だったかもしれない。
 人の温もりを渇望しながら、水精の身体を得、神殿の最高位に据えられたがために、それを得られなくなった自身を、『もう人ではないのだから』と諦めさせるための・・・・・・。
 だが、カナタの本性は人。
 それは、紛うことのない事実である。
 「・・・・・・初めて、祈ります」
 四柱の神と、七人の精霊王・・・・・・その、誰に対して言っているものか、カナタ自身にもわかぬままに、カナタは天を仰いだまま、深く膝を折った。
 「皇帝方よ・・・・・・あなた方の恩恵を、どうか――――」
 右手を胸に当て、深くこうべを垂れる。
 「どうか、南薔に賜りたまえ・・・・・・我が国を、お救い下さい・・・・・・・・・・・・!」
 いつも、心のどこかで、自分には関係のないことだと思っていた。
 どんなに身近で起こった事件でも、所詮は異国の出来事だと、冷めた目で見ていた。
 だが、多くの親しかった者達や、自身を慕ってくれていた者達を喪って初めて、カナタはこの国が自身の居場所だったと気づいたのである。
 我が国―――― この日初めて、カナタは南薔をそう呼んだ。




〜 to be continued 〜


 










カモン人倫系・・・。
非常に嫌〜な展開ですが、事は予定通りに進んでおります;;
どこの話だったか、なんで読んだのだったか、既に記憶にないのですが、民衆に石を投げさせる処刑方法はあったようですね。
とうとうお亡くなりあそばした英華・・・。
実は、もっと早くここまで展開するはずだったのですが、予想以上に長引きましたね;
沙羅が、ただの嫌な女になっている辺りがまた納得できなかったりして・・・;












Euphurosyne