◆ 3 ◆
宿からだと一時間くらいだと言う林彼(リンカ)師の庵まで、荷物を背に乗せたロバの手綱を引いていく。 林彼師が連れてきたロバはとてもおとなしくて、私がふもとの村から引いてきたものとは比べ物にならないくらい主人の命令を素直に聞いていた。 「・・・大丈夫ですか?」 軽く首をかしげ、林彼師はロバに引きずられる私を心配そうに振り返る。 「・・っすみません!ロバの扱いになれてなくて・・・・」 私は全身に汗をかきながら、道をそれようとするロバの手綱を必死で引いた。 「ここまで来るの、大変だったんじゃありませんか?」 「・・・・・・・・・・・・・はい」 ここで『そんなことありません』などと言っても、信じてもらえるはずがない。 事実、案内人に嘲われ、宿の主人には『ロバがいないほうが早かったんじゃないかい?』などと呆れられたが、この重い荷物を背負って飃山を登るなんて、死ねと言っているようなものだ。 言うことを聞いてくれないロバの手綱を引きすぎて、手袋の下の手には、すでにできた豆がつぶれてしまっている。 「っものすごく大変でしたっ・・・」 そう言うと、私が思った以上に感情がこもっていたのだろうか、林彼師ははじけるように笑いだした。 「・・・っ手綱、かしてください」 ひとしきり笑うと、彼はロバに振り回されつづけている私に言った。 そして、私から手綱を受け取ると、それを軽く手繰り寄せてロバの顔を両手で挟んで自分に向ける。 「・・・いい子だね。私の家に来れば、ごはんも水もあるよ?引っ張られるのが嫌なんだったら、無理やりはしないから、ついて来てくれるね?」 ・・・そんなことを言って、この猛獣が言うことを聞くわけがない そう思っていた私は、林彼師がロバから手綱を取り去ったとき、目を丸くした。 何が気に入らなかったのか、鼻息も荒く暴れまわっていた私のロバが、手綱もないのに林彼師に従って歩き始めたのである。 「・・・一体、どんな魔法を使ったんです?」 「慣れているだけですよ」 そう言うと、彼はにっこり笑ってふたたび歩き始めた。 「しかし、失礼ですが、あなたは本当に山に慣れてらっしゃらないようだ。なのに、なぜここまで?」 空気の薄いところで激しく動いたせいで、肩で息をしている私に、林彼師は軽く首をかしげた。 「・・・それはもう、私の考えが甘かったとしか言えません」 元々、私がこの山のふもと近くの村に来たのは、この飃山の南岳を含む南薔国の最北の州・峭州(しょうしゅう)の依頼で、無線の取り付け工事の指揮をするためだった。 無線は今、何よりも早い情報伝達手段として、南薔国だけでなく世界中に普及してきている。 峭州は南薔の最北にある山ばかりの州で、事故がおきたり、急病人が出たときに手早く応援を呼ぶために他の州よりも多くの無線基地を持っているのだが、飃山だけは今でも王家の領地とあって、技師や建設者の立ち入りがかなわなかった。 それが半年くらい前だっただろうか。この飃山の村からも無線設置の依頼が来たのだった。 神職でない者が飃山に入るなど、前代未聞である。 私が指揮をとる、と言うことが決まると、世界各地の南薔国史研究者達から手紙が殺到した。 それはすべて、『飃山の遺跡を見てきてほしい。できることなら、写真に収めてきてほしい』と言う内容だった。 中でも、南薔国国立大学の教授などは、これが七十をすぎた老人だろうかと思うような情熱で、私の家を何度も訪れては熱く南薔史を語ってくれたのだ・・・。 「・・・私、幼いころ親を亡くしましてね。祖母に育てられたものですから、老人の頼みを断れないんですよ」 おかげで工事が終わるや、私は写真機や測量機器など、非常に重い荷物を持って山を登る羽目になったのだ。 「なるほどね。不思議だったんですよ、研究者でもない方が神殿を見学にこられると聞いてね。 何かの間違いじゃないか、と都に問い合わせたら本当だと言うし・・・しかし、南薔大学の乾(ケン)教授の頼みでしたか。道理で」 林彼師はそう言うと、クスクスと笑い出した。 「有名なんですか、教授は?」 教授に会うまで特に歴史に興味のなかった私は、真っ白なぼさぼさの髪を振り振り、一所懸命身振りを交えて語る楽しい小柄な老人が有名人だとは知らなかったのだ。 「楽しい人ですよ。先師様が山を降りられたとき、一番最初に会いに来られました。 先師様が亡くなられて、私が神殿の管理をすると決まったときも、同じことを頼まれたんですが、私は神官ですから・・・」 神官には、神官として得た知識や他人の秘密を明かしてはならない、と言う義務がある。 「乾(ケン)教授もね、本当は神官になってでも飃山の神殿を見たかったのだそうです。でも、神官になるには子供のころに神殿に入り、師を持たなければなりません。 乾教授のお家は商人だったそうで、教授が子供のころは商人と神殿はことごとく対立してましたからね、残念がっておいででしたよ」 その話は教授から散々聞いた・・・。 教授はその情熱と長年の研究を認められ、高位の神官の中にもかなり知り合いが多いそうなのだが、飃山のことになると、誰もが口をつぐむらしい。 「私は別に、山でも神殿でもみせてあげてもいいと思うんですよ。この広大な山の管理を、神職だけでやろうなんて、昔はともかく、今はもう無理です。これからはどんどん王室領も削られていくでしょうからね。 予算なんかすぐなくなるに決まってるんですから、西桃国や東蘭国みたいに、歴史的建造物を整備して、観光客を呼んでくれないかなぁ」 ・・・本気だろうか。 呆然と目を丸くする私に、林彼師はにこにこと笑う。 「あ、でも、いくら観光地化しても、こんなに標高が高くて空気の薄いところ、来てくれるお客さんいるかなぁ?研究者は喜びそうだけど」 ・・・ホントに、変わった神官だ。 思わず声をあげて笑ってしまった私に、林彼師はにっこりと微笑みかけた。 「ああ、やっと笑ってくれましたね」 「え・・・?」 「宿で会ったときから、すごく緊張してたでしょう?・・・まぁ、都の神職は厳格で近づきがたい存在ですからね。 でも、こういう都からはなれた所にいるのは、神職と言うより便利屋なんですよ。 さっきのお店のご主人なんか、一応『林彼様』なんて呼んでくれますけど、私の仕事を『葬式を出してくれる医者』だって言ってますからね」 ・・・言うだろう、あの親父なら。 「別に迷惑なんて思ってませんから、我が家ではくつろいでくださいね」 穏やかな顔に微笑を浮かべて、そう言ってくれた。 それからしばらく、石だらけの山道を歩いて、私達は林彼師の庵に到着した。 山の斜面に沿ってうまい具合に建てられたそこには柵も何もない。 しかし、相当古いらしい建物の窓や戸には、植物をかたどった優美な装飾が施され、粗末な感じはしなかった。 林彼師は入り口に荷物を下ろすと、庵の隣に建ててある小屋へ自分と私のロバを連れて行って、飼い葉と水を与えてから戻ってきた。 「どうぞ、入ってください」 林彼師に促され、荷物を抱えて庵に入る。 「へぇ・・・中は意外と広いんですね。それに暖か・・・ぅわっ!」 建物の中を見回しつつ奥に入った私は、床が一段高くなっていたのに気付かず、思い切りむこうずねをぶつけた上に派手に転んでしまった。 「な・・・っなんでいきなり床が?!」 私の後ろから来ていた林彼師が、慌てて助け起こしてくれる。 「すみません!床が高くなっているって言うのを忘れていました・・・」 「なんで・・・こちらの習慣ですか?」 申し訳なさそうに言う林彼師を見る私の目に、思わず涙がにじんだ。 「ええ。ここは元書庫だったものを住居用に改築したんです。砂が入って来ないように、靴は脱ぐようになっているんですが・・・ここに来る方はみんなそれを知っているものですから、つい注意し損ねてしまって。すみません」 足はひどく痛かったが、腰の低い林彼師に毒づくわけにも行かない。仕方なく一段高くなった床に腰を下ろし、山歩き用に用意した丈夫な靴を脱いでいると、ぱたぱたと奥から軽い足音がやってきた。 「カナタ!サラームがいじめるのだ!!」 泣きじゃくりながら走ってきた十歳くらいの少年が、勢いよく林彼師に抱きついてくる。 「ずっと腹が減ったと言うておるのに、あの馬鹿は料理が冷めるからおぬしが帰って来てからだと言うのだ!!」 飢えて死んでしまうと泣く少年の背中を撫でて慰めながら、林彼師は少年の目線に合わせてしゃがんだ。 「サラームが来てるの?じゃぁ、すぐにおいしいもの作ってくれるからもうちょっと我慢して?」 「いやじゃ!もぉ腹が減って死にそうなのじゃ!!おぬし、芳の所へ行ってきたのであろう?!菓子ー!!菓子をくれー!!!」 そう言うと、少年は林彼師の手を振り解き、師が宿から仕入れてきた食料の入った袋をあさり始めた。 「・・・依坤(イコン)、食事前にお菓子なんか食べたら、サラームに怒られるよ?」 「わしは飢え死にしそうなのだぞ?後でちゃんとあの馬鹿の作った物も食うてやるし、かまうものか!」 子供らしくない口調の少年は、袋の中から砂糖をからめて甘くしたクルミ菓子の袋を取り出し、うれしそうに笑った。 そして、さっそく中身を食べながら、初めて私の存在に気づいてくれた。 「だれだ、おぬし?」 菓子を頬張ったまま、少年はぞんざいに言う。 「依坤(イコン)・・・朝に言ったでしょう?神殿を見に来た苳英婁(トウ・エイル)さんだよ・・・。 すみません、苳さん。驚かれたでしょう?依坤、ごあいさつして」 「こんにちは、依坤君。苳です」 とりあえず子供向けの、優しい笑顔を浮かべて挨拶する私に、その風変わりな少年は鼻を鳴らして答えた。 「神殿なんぞわざわざ見にくるとは、変わった奴だな。 カナタ。おぬし、飃山を観光地にすると言うのは本気だったのか?」 明るい褐色の髪をかきあげながら、その手の陰で睨むように深い翠(みどり)の目が林彼師を捕らえる。 かわいらしい子供の姿なのに、その仕草といい雰囲気といい、妙に大人びていた。 「いずれはそうなるって言ってるだけでしょ。 ご挨拶する気ないんだったらもういいから、ロバ達にブラシかけてあげて。ごはんが出来たら呼んであげるから」 林彼師は立ち上がると、くしゃくしゃと依坤少年の頭をかきまわした。 「すみません。礼儀を知らない子で・・・」 ぱたぱたと外へ駆け去った少年の背中を見送って、林彼師は苦笑する。 「いえ・・・お子さんですか?」 笑みを返しながら言うと、林彼師はすかさず首を横に振った。 「とんでもない! あの子は飃山に住んでいて、ときどきここに遊びにくるんですよ。今朝、あなたをお待たせしたのも、あの子が急に来たからでしてね。いつもは同居人と二人暮しです」 言うと、林彼師はようやく靴を脱ぎ終えた私を庵の奥へ促した。 「三階が寝室になっているんですよ。あまり広くはありませんが、あなたの部屋も用意していますから、自由に使ってください」 入り口からまっすぐに伸びた、意外と奥行きのある長い廊下を行くと、そのつきあたりにある部屋の扉は閉ざされていた。しかし、そこからもれ出る暖かな空気と香ばしい匂いで、そこが厨房であることはすぐに知れた。 林彼師は、そのドアの手前にひとまず食料の入った袋を置くと、すぐ右手にある細い階段を上っていく。私もかさばる荷物を抱えてその後に続いた。 そして、書庫だと言う古い紙の匂いが充満する2階をすぎ、三階に至ると、廊下を挟んで左右にある四部屋の内、左奥の部屋のドアを開いてくれた。 日あたりがよく、とてもあかるい室内には、寝台と書き物机、椅子と衣装棚が一つずつある。 「この部屋は好きに使ってください。隣が私の部屋で、私の部屋の向かいが華綾(カリョウ)という、同居人の部屋です。後で紹介しますね」 昼食が出来たら呼びますから、と言い置いて、林彼師は階下に下りて行った。 「さてと・・・」 一人になって重い荷物を降ろした私は、とりあえず右の壁側に据えられた寝台に腰を下ろした。 入り口から見て正面にある窓から、さんさんと降り注ぐ日差しに目を細め、窓の外の風景を眺めた。 歩いてきた砂礫の道の下に遠く、こんもりとした森がみえる。今は夏なので、砂礫を割って草が生い茂っているが、冬になればこの辺りは一面、深い雪に閉ざされるのだろう。 ―――― よくこんな寂しいところに住んでいられる・・・。 若者が山を降りていくことを嘆いていた宿の主人には悪いが、それも無理はないのではないかと思う。 しばらくの間、寝台に腰掛たまま、ぼんやりと窓の外を眺めていると、下からぱたぱたと走る音が聞こえて、私は開け放たれた窓辺に寄った。 眼下の、ロバをつないだ小屋から、明るい褐色の髪に日の光をきらきらと反射させて、依坤(イコン)少年が駆けてくるところだった。 「昼食ができたのかな?」 つぶやいていたところにノックの音。 振り向くと、開け放たれたままの扉の向こうに、その青年はひっそりと立っていた。 私は思わず感嘆の息を漏らす。 ほっそりとして均整の取れた姿態。骨格からして常人とは違うのではないかと思うような、美しい顔立ち。 肌は雪のように白く、短くそろえた髪は、窓から入る光を受けて銀色に輝いている。 その姿は、彼がまぎれもなく男性であると言うことを除けば、南薔史に名を連ねる『精霊の娘』とほとんど同じだった。 しかし、その瞳。 虹彩にすら色を持たない彼女達は、自らの血の色を映して紅い瞳をしていると言うが、彼の瞳は透明な硝子玉をはめ込んだように灰色に沈んでいた。 「食事の用意ができたそうだ」 笑みも浮かべず、無表情のまま彼は言った。 その声。 話をする人形がいるとしたら、こんな声をしているにちがいない。 人間の理想とする美しさでありながら、深みのない、空虚な声。 その姿は、神話に出てくる透明な薔薇(ばら)の精霊・『華綾(カリョウ)』そのもの・・・。 「もしかして、あなたが華綾さん・・・?」 神話の世界に紛れ込んでしまったような、非現実的な雰囲気にのまれながらも、私はかろうじて彼にたずねた。 すると、彼は無言でうなずく。 「食堂は厨房の隣だ」 愛想のかけらもなくそう言い放つと、彼は優雅な仕草で身を返した。 「・・・ばぁちゃん・・・華綾を見たよ、俺・・・」 彼が今まで立っていた場所を呆然と見つめて、私はつぶやいた。 ――― 透明な薔薇の精霊・華綾(カリョウ)。 水の精霊王・澪瑤(レイヨウ)公主の側近として、水を司る湟帝(こうてい)陛下の神殿には必ず描かれる銀髪の美青年だ。 神話では、罪を犯した姉・麗華(レイカ)を澪瑤公主の命じるままに殺してしまう恐ろしい精霊である。そのエピソードから、裁判の公平さを象徴する精霊とされ、裁判所には彼の絵や彫刻を置き、裁判官や弁護士は透明なガラスに薔薇の意匠を刻んだバッジをつけるのだと言う。 確かに私が親でも、あんな容姿の子が生まれたら『華綾』と名づけてしまうだろうが、性格までそっくりとは・・・。親はさぞかし嘆いたことだろう。 そんなことを考えつつ、階段を下りて食堂に入ると、中にはとてもおいしそうな匂いが充満していた。 「・・・あ、苳さん。空いているところへどうぞ」 テーブルの脇に立ったまま、華綾氏と話していた林彼師が、入り口に現れた私を振り返って、にっこりと微笑んだ。 しかし私は、彼が私に気づく直前まで、あごに手を添え、思案げに眉を寄せていたのを見てしまった。 「どうかされましたか?」 手前の椅子を引きつつ訊くと、すでに着席して食事を待ちわびている様子の依坤(イコン)少年が、床に着かない足をぶらぶらさせながら答えてくれた。 「これから重要な客がみえるのだ。誰も、今日おいでになるとは思わんでな。準備をどうすべきか検討中じゃよ」 重要な客・・・王族だろうか。 私が、邪魔になるようだったら宿に引き返そうかと思案していると、部屋の奥の、厨房とつながっているらしい扉が開いて、大皿を両手に持った背の高い青年が入ってきた。 「考えてても仕方ねーだろ。もういらっしゃるって決まったんなら、護衛はエアリーかシルフがするだろうさ。神殿には俺とカナタが先に行って、準備しておく。それでいいな?」 青年が言うと、林彼師がわかったと言うようにうなずいた。 「来てくれて助かったよ、サラーム」 「俺が食材もってこねーと、お前と華綾だけじゃまともなもん食わねーだろ!!俺はここに来るたび、食料庫の中身の貧相さに涙してるぜ、ったく・・・」 湯気の立つ大皿をテーブルに置くと、青年は私に向かって軽く片目をつぶった。 「よぉ!元気だったか?」 「・・・あ、やっぱり!?」 私は思わず声をあげた。 炎のように赤い髪、印象的な金色の瞳。 名前は知らなかったが、顔だけは何度も見たことがある。 繁葉(はんよう)にあった私の気に入りの店、『砂来無(サライム)』の若い主人だったのだ。 「サラームと言う名前だったんだね!国に帰ったって聞いたけど・・・と言うより、神職しか入れない所になんで君が?!」 しかも私の聞き違いでなければ、彼はこれから林彼師と神殿に行くと言う・・・。 「・・・外国人ではなかったのかい?」 南薔国は混血の国なので、赤い髪や金色の瞳がさほど珍しいと言うわけではない。 しかし、その名前や彫りの深い顔、褐色の肌は、どう見ても南海人だ。 だが、私の問いはこれから来る客人のことも含めて、あっさりとかわされた。『神官の守秘義務』と言うセリフで。 「ま、こう見えても神殿に入る資格は持ってるから、そんな『罰せられるんじゃないか』って心配そうな顔すんなや」 気さくに言って、彼は湯気の立つ料理を勧めてくれた。 「さっき、カナタからあんたが来てるって聞いてさ、急いで作ったんだぜ、これ。いっつも注文してただろ?」 そう言って示したのは、小ぶりのエビを殻ごと揚げて、あんをかけた料理だった。 「ええ?!覚えててくれたのか?」 「そりゃあんた、しょっちゅう来ちゃ、この料理を注文してただろ?俺はあんたが店に入ってきた途端、エビを用意したもんさ」 繁葉で彼は無愛想だと評判だったが、それが料理中だけのことだと言うのは、常連なら誰でも知っている。 小さいが、常に客でいっぱいだった店を一人で切りもりしていた彼の仕事を少しでも減らそうと、客は注文を書いた紙をカウンターの、彼の目の届くところに貼り、料理ができあがったら自分でテーブルまで運んだものだった。 「うれしいなぁ・・・もう、君の料理は食べられないと思ってたから・・・」 感動する私の背中を、彼はうれしそうに叩いた。 「まったく、俺の店に来てくれる奴らはいい奴ばっかりだったさ!―――― カナタ、それに華綾!!てめーら、ありがたく食えよな?!」 なぜか凄みをきかせて言う彼に、林彼師は苦笑して席に着いたが、華綾氏は・・・。 「私は結構。失礼」 そう言って出て行ってしまった・・・。 「・・っっのヤロウ!!」 拳を握って憤る彼を、林彼師が柔らかく制す。 「いつものことじゃないか。華綾には怒るだけ体力の無駄だよ?」 「どうせ有り余っておる体力だ。どうって事なかろう」 せっせと料理を口に運びつつ、さらりといった依坤少年の頭を、サラームがはたいた。 「痛いではないかっ!」 「いただきますくらい言え!」 「食ってやっておるのだ!どうぞお食べくださいくらい言え!」 「二人とも〜。いい加減にしようね?」 にっこりと笑う林彼師の言葉に、二人の動きがぴたりと止まった。 「仲良しだよね?」 にこにこと笑う林彼師に、つかみ合っていた二人はこくこくとうなずいて、おとなしく席に着いた。 ・・・私は先程、この場所を『寂しいところ』と言ったが、撤回する必要があるようだ・・・。 ――― そしてこの昼食後、林彼氏とサラームは神殿へ行ってしまい、依坤(イコン)少年も夜にはここを出てしまって、私は無口な華綾氏と、この庵に寂しく残されたのだった。 〜 to be continued 〜 |