† The Rain Leaves A Scar †
4. Murder in the raiN
雨の降り注ぐ屋上に、鮮やかな色の傘が開いていた。 傘をさす少女は、フェンスの一枚が抜け落ちた、まさにその場所に立って、ぽろぽろと涙を零す。 コンクリートの上に屈みこんで、黒く蠢く大人達は、時折少女の姿を見遣っては、気の毒そうに眉をひそめた。 「ジャスデロ・・・・・・デビット・・・・・・」 意外と冷静な声に続いて、しゃくりあげる音がする。 「・・・お嬢ちゃん、もう家に帰りなさい」 私服の上に、黒い雨具を着た刑事が声を掛けるが、少女は小柄な体ごと、首を振った。 「許さない・・・・・・」 天より降り注ぐ雨よりもなお、絶え間なく溢れる涙を頬に伝わせて、震える声をあげる。 「ゆるさない・・・よ・・・・・・」 兄弟達は殺されたのだと、断言した少女にはむしろ、気の毒げな視線が降り注いだ。 「入学式、延びちまったなァ・・・」 なぜか、当たり前のように男子寮にいるラビが、屋上の少女と同じ雨を眺めながら呟いた。 「仕方ないですよ、人が死んだんですから・・・」 眉をひそめつつアレンが言うと、チャオジーも同じような表情で首を傾げる。 「なんで、屋上なんかに行っちゃったんすかねェ・・・」 「さぁなぁ・・・。 ここに戻る前に、なんかヤバイことでも企んでたんじゃねぇの?」 「え?ここ?」 「戻るって・・・寮生だったんすか?」 目を丸くする後輩達に、ラビは窓の外を見遣ったまま、頷いた。 「春休みで、実家に帰ってたんさ」 「えー・・・でも・・・」 「他の先輩達は、昨日から寮に帰ってたっすよ・・・?」 ねぇ?と、アレンとチャオジーが顔を見合わせると、ラビはわずか振り向いて、苦笑する。 「入学式サボって遊ぼうと思ってたんさ、きっと」 ラビには珍しい、やや毒のある口調に、アレンが不思議そうな顔をした。 「ラビ・・・その人達のこと、嫌いだったんですか?」 「え?!なんでわかんのっ?!」 「・・・その顔見りゃ、誰だってわかるっすよ」 チャオジーの呆れ声に、ラビは気まずげに窓の外へ視線を戻す。 と、 「・・・奴ら、今の理事長の息子でさ、タチが悪ィんで有名だったんさ」 雨音に紛れそうな低い声で、彼は話し始めた。 「・・・学校じゃ、恐喝はするわ暴力は振るうわ・・・好き放題でさ。 寮ではもっとひどかったらしいな。 まぁ・・・それは、ユウがいっぺんシメてから、大っぴらにはなんなくなったらしいんけど」 「シメ・・・っ?!」 「こっ・・・こわ・・・!!」 怯える後輩達には振り向きもせず、ラビは続ける。 「でもまぁ、表面上だけな。 はっきり言っちまえば、ユウの前でだけ、やんなくなっただけさ。 ここの教師にも、何人か奴らの親戚とかいてさ、訴えても対処してくんねぇんさ。 なんたって、理事長が奴らのオヤジだかんな。 他の教師も中々・・・」 突然、ラビが言葉を切って立ち上がった。 「ユウ帰って来た!」 言うや、踵を返してドアに向かうラビの背中に、アレンが声を掛ける。 「寮長、どこ行ってたの?」 「ケーサツに協力要請されてたんさ! なに聞かれたか、すげー興味ある!」 早口にまくし立てたラビの後に、アレンも続いた。 「僕も興味ある!!」 「お・・・俺も!!」 チャオジーも慌てて腰を浮かし、三人はドタドタと階段を下りていく。 先頭のラビが、最後の段を飛び降りた途端、 「るっせぇっ!! 階段を駆け下りんじゃねェ!!」 大音声で怒鳴られて、急停止したラビの背にアレンとチャオジーが衝突した。 「お・・・お前らっ・・・!いってぇぇぇっ!!」 突き飛ばされて、前のめりに倒れたラビの上に、アレンとチャオジーがのしかかる。 「ご・・・ごめ・・・!」 「っわぁぁぁぁっ!すんませんっ!!」 ラビの上から慌てて降りた二人は、神田の恐ろしい眼光で睨まれて、そのまま床に正座した。 「で?何の騒ぎだ?」 不機嫌の骨頂にある声に、三人はビクリと震えたが、ラビが年長者の責任を取り、代表となって質問する。 「ユウ、ケーサツ、なんて?」 たった三言で質問を終えたラビを冷厳に見下ろし、神田は踵を返した。 「ここじゃ無理だ」 「じゃ!俺んち来るさ!!」 すかさず立ち上がって彼の腕を取ると、ラビは神田が元来た道を戻らせる。 「アレン、チャオジー、一緒来るさ?」 「はい!!」 「お供するっす!!」 これ幸いとついてくる後輩達を従えて、ラビは男子寮を出た。 「やまねェなァ・・・」 不機嫌そうな顔で、濡れた傘を再び開く神田に苦笑を向けつつ、ラビが言う。 と、 「この雨で、流れちまったんだとよ」 「何が・・・ですか?」 慌てて敬語を言い添えたアレンをじろりと睨み、神田は歩き出しながらぼそりとつぶやいた。 「瓶の中身」 「はぁ?なんのっすか?」 「まさか・・・塩酸?」 目を見開き、振り向いたラビに、神田は頷く。 「さっき、現場にコムイも来ていて、理科準備室から盗まれた塩酸の瓶だと確認した」 そう言って彼が見遣った先には、雨に濡れ、灰色にそびえる校舎があった。 「おそらく・・・・・・」 それ以上の言葉は発せず、神田はラビに続いて、小さな診療所の古いドアをくぐる。 狭い玄関のすぐ傍らには受付があるが、たった一人の看護士は診療室にいるのか、そこには誰もいなかった。 だが、狭い待合室に入った途端、 「あら、ラビ君。おかえりなさい」 「外まだ降ってる?」 「ちょっとアンタ、アタシの受付してくれないかね?」 意外に多い患者達が口々に声を掛けてくる。 「ごめんさ、おばちゃん〜! ちょっと俺、友達と話があるんさ。 もうちょっと待っててな♪」 愛想よく笑いながら、ラビは待合室を横切り、奥の階段を軽やかに駆け上がって行った。 それに続いてぞろぞろと、神田達が登っていく。 「今日は随分と混んでんだな」 階段を上りきった神田が言うと、ラビは自室のドアを開けつつ頷いた。 「ジジィが、奴らの検死に呼ばれたかんな。午前中は休診だったんさ」 「けっ・・・検死?!」 頓狂な声をあげて目を丸くする後輩達を、先輩らがバカにしたような目で見る。 「当たり前だろうが、変死なんだからよ」 「まぁ、ジジィが検死することなんて、滅多にねェしな」 せいぜい救急救命だ、と呟いて椅子に座ったラビに、アレンが何度も頷いた。 「院長先生がそんなことやってるなんて、僕、知らなかったもん!」 「当たり前だ! そんな頻繁に死んでたまるか!」 忌々しげに吐き捨て、神田はどっかりとラビのベッドに腰を下ろす。 「そんで・・・奴らが塩酸持ってたって事はやっぱ、あの事件なんさ?」 ドアを閉めた後輩達が、遠慮がちに床に腰を下ろすのを横目で見遣り、ラビが神田に問うた。 「じゃねぇのか? 塩酸なんて、そう出回るもんじゃねぇだろう」 「あの・・・事件って・・・?」 アレンが遠慮がちに言うと、ラビが顔を向ける。 「奴らが落ちた棟とは別の棟・・・校舎のフェンスが外れたことがあったんさ」 「それ・・・今回みたいにっすか?」 チャオジーが目を丸くすると、二人は頷いた。 「2月だったな。 フェンスに寄りかかって、危うく転落するところだった」 「転落?!」 二人が悲鳴をあげると、ラビは手を振る。 「未遂だーって。 ほれ、思い出してみ。 フェンスってのは、外壁に沿って作るんじゃなくて、そこより随分内側に設置すんだろ? 寄りかかって倒れたくらいじゃ、落ちねーさ」 「あ・・・そうか・・・・・・」 びっくりした、と、ほっと吐息する後輩達に、しかし、ラビは難しい顔をした。 「でも、他の棟はともかく、校舎の屋上は人の出入りが多いんさ。 昼休みに弁当食ったりな。 あん時は寄りかかっただけだから転落せずに済んだけど、勢いついてたら危なかったさ」 「そ・・・そうですよね・・・・・・」 また青ざめたアレンの隣で、チャオジーが顔をしかめた。 「ひどいことするっすね! その・・・塩酸て、フェンスの網目にかけられてたんすか?」 「んにゃ。 継ぎ目に染料なんかの溶けた跡があった。 軽く寄りかかっただけでフェンスごと外れるようになってたんさ」 「・・・ラビ、なんでそんなに詳しいの?」 眉をひそめてアレンが問うと、彼は気まずげに目を逸らす。 「ラビ・・・・・・」 「コイツが落ちそうになったんだよ」 神田がきっぱりと言った途端、三人は同時に絶叫した。 「えぇっ?!」 「聞いてないよっ?!」 「なんで言うんさー!!」 騒然とした室内で、神田がうるさげに眉をひそめる。 「別に、なんともなかったんだからいいじゃねぇか」 「・・・うん、そこで、トラウマになったんじゃねぇかとか思ってくれないところがお前さね・・・・・・」 そう言って、がっくりと肩を落としたラビに、神田は鼻を鳴らした。 「なってねェだろ」 「なってねェけどさ」 「ならないんですか?!」 信じられない、と、多くのトラウマを抱えるアレンが目を剥く。 「あのくらいで一々トラウマってたら、ユウの友達なんかできねーって!」 「俺は別に、いつ降りてくれても構わんのだがな」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 笑顔のまま、硬直したラビにチャオジーが吹き出し、場が一瞬和んだ。 が、 「・・・じゃあ奴ら、今度は体育館棟に仕掛けようとして、落ちちまったって事さ?」 咳払いの後、しかつめらしい口調でラビが問い、また彼らの表情が引き締まる。 「そうじゃねぇかって、警察は言っていた。 ・・・お前が落ちかけた時、全校舎のフェンスが厳重に点検されたろ? その時にあそこ以外、異常はなかったと確かめてあるし、あれ以来、校舎の屋上は立ち入り禁止になっちまった。 なのに今朝、改めて調べたら、奴らが落ちた場所の他に、校舎や部活棟のフェンスの継ぎ目が、いくつか焼かれてたらしい」 「え?でも・・・屋上は立ち入り禁止になったって、今・・・・・・」 アレンの指摘に、神田は頷いて窓の外を見遣った。 「職員室の窓が割られて、屋上の鍵が盗まれていた。 そしてそれは、奴らのポケットから出てきたそうだぜ」 自業自得だな、と、冷淡に呟いた神田に、皆、深々と頷く。 「立ち入り禁止にしてても、盗まれたんなら仕方ないっすねぇ・・・」 チャオジーの、吐息混じりの感想に、ラビがひらひらと手を振った。 「いやいや、体育館棟の屋上には、生徒も入れるんさ。あそこには、用具倉庫があっかんな。 体育館内の倉庫に入りきれない物が、屋上の倉庫にしまってあるんさ」 「その他、胴着や防具なんざ、部活動に使用する道具も、許可を得て入れてある。 鍵を持つのは、それぞれの部長だけだ。 これだがな」 そう言って、神田がポケットから取り出したキーホルダーには、二本の鍵がぶら下がっている。 「屋上へ出る鍵と、倉庫の鍵だ」 「それを・・・亡くなった人達も持っていたんですか?」 「奴ら、部活には入ってねぇさ。 なのに持ってたとしたらきっと、鍵を持ってる奴から無断拝借したか、脅し取ったか、どっちかさ」 ラビがそう言うと、神田はあっさり頷いた。 「一応、鍵を持つ奴は全員呼び出されて、事情聴取された。 そしたら、剣道部のは俺が持つこれだけだったが、他の部は何本も合鍵を作っていてな、ろくに管理もしてねぇから、誰が持っているかさえわからねぇとよ」 「ありがちなこった」 ラビが苦笑まじりに吐息する。 「んじゃ、結局ケーサツは、自業自得の事故って断定したんさ?」 「まだ断定したかは知らねぇよ。 だが、ほぼ確定じゃねぇのか? フェンスのてっぺんに、奴らの指紋がついてたらしいからな」 ラビが大きく伸びをすると、ぎし、と、椅子が軋んだ。 「やれやれさ、全く・・・。 自分らでやった仕掛けにはまるたァなァ・・・」 深く嘆息して、ラビは身を起こす。 「で? ガッコ、いつから始まんの?」 「入学式は、12日に延期だ。 俺らは13日からだな」 「オヤまぁ。 13日の金曜日始業なんて、不吉なこった」 肩をすくめたラビに、神田が舌打ちした。 「なにが不吉だ、馬鹿らしい。 それより俺は、中途半端な日に始業なのが気に食わんな。 どうせなら、16日に始めりゃいいだろ」 「事情があるんさ、きっと。 どうせ始業日はクラス分けだなんだで授業はねぇんだしさ、金曜でもいいじゃん、別に」 「・・・お前、言ってることが支離滅裂だぞ」 それに、と、呟きながら、神田が立ち上がる。 「3年はもう、どのクラスに振り分けられっかわかってんだろ。 2年間の腐れ縁も終わりだな、ラビ」 にやりと笑って部屋を出て行く神田の背に、ラビは不満げな声を掛けた。 「俺も、スポーツ特待生志望すりゃ良かったさ」 「お前はここを継ぐんだろうが。 そんなこと言ってっと、ジジィに蹴り殺されっぞ」 肩越しに笑みを向け、神田は寮に戻るべく、階段を下りていく。 軽やかな足音に、ラビは口をへの字に曲げた。 「今年一年、勉強漬けかぁ・・・つまんねェなァ・・・」 「え・・・って事は、先輩は進学クラスっすか?」 「うん、国立理系クラス。 ジジィが、私大は学費が高いから、ぜってぇやんねっつーの」 「心配しなくったって行けるよ、君なら」 アレンが言うと、ラビはあっさり頷く。 「知ってるさ。 でも、進学クラスはみんなぴりぴりすっからなー・・・。 あー、やっぱ、やめときゃよかったさ」 クラス分けも終わったこの期に及んで、グダグダと言うラビに、アレン達が苦笑した時だった。 「ゴォラ、ラビィィィィィィィ!! テメ受付もせんと、いつまでボケッとしくさっとんのじゃ!!!!」 「ひぃっ?!」 揃って飛び上がった新入生達を、怒声の主は目を丸くして見下ろす。 「あ・・・まだいたのか。 神田が出て行ったから、てっきり・・・すまん」 そう言って頭を掻いた看護士に、新入生達は怯えた仔ウサギのようにぶるぶると震えた。 「そゆわけなんでマホジャ姐、もちっと猶予欲しいさ」 「あ!いえ!!」 「俺たち、失礼するっす!!」 二人はわたわたと立ち上がると、ラビへの挨拶もなおざりに、脱兎の勢いで走り出ていく。 「・・・・・・マホジャ姐。 お茶目さんなんだから」 「すまん・・・・・・」 呆れ顔のラビに気まずげに答え、マホジャは踵を返した。 「終わったんなら、受付してくれ。 ばあさん達が首を長くしてる」 「ババァたちの首が長くなるとこ、見てみてぇなァ♪」 陽気に言うや、勢いをつけて立ち上がったラビが、マホジャの傍らに並ぶ。 「くだらんこと言っとらんで、家の手伝いくらい真面目にやれ!」 「へぇーい」 肘で小突かれながら、ラビは階下へと下りていった。 それから4日後。 延期された入学式を終えたアレンは、目新しい教室の窓際、一番後ろの席から、教壇に立ついかつい男性教師を眺めていた。 「今日から我が、お前達の担任の、スキン・ボリックだ! 担当教科は家庭科。 お前たち、甘いものは好きか?!」 なんで家庭科・・・と言うざわめきは、担任のひと睨みであっさりと消える。 「甘いもの好きな奴は、手を上げろ!!」 怒声に似た大音声に、教室の全員が、反射的に手を上げた。 「ほう・・・感心な奴らだ。 お前達とは、うまくやって行けそうな気がする!」 それはようございました、と、アレンは心の中で呟き、配布された物の確認をする振りをして、教師から目を放す。 その時、目の端に写ったものに気を取られ、アレンはそっと、窓の外を見遣った。 彼の視線の先では女生徒達が、楽しそうに笑いあいながら中庭を横切っていく。 そのうちの一人、長い髪をツインテールにした少女の姿に、アレンは目を輝かせた。 ―――― リナリー先輩・・・・・・! 中学生の頃から憧れていたリナリーの姿を偶然にも見つけて、鼓動が跳ねる。 「嬉しい・・・・・・」 彼女の姿から視線を外せないまま、アレンが小さく呟いた途端、クラス中の視線が集まった。 「おい、アレン・ウォーカー?」 いきなり、担任の太い声で呼びかけられ、アレンは驚いて教壇に向き直る。 「お前、学級委員になるんだな?」 「は・・・・・・・・・?」 目を丸くして黒板を見れば、そこには白墨で太く、『学級委員』始め、各委員の文字が書いてあった。 「いいんだな?」 再び問われ、アレンは反射的に頷く。 「よし! では、次は副委員長・・・」 クラスメート達から拍手を送られ、やや呆然と自身の名が書かれた黒板を眺めていたアレンの目の端に、白い手があがる様が写った。 「あのぉ・・・私、やります!」 弾んだ声に目を向ければ、長い髪をおさげにした、黒ぶちメガネの少女が、はにかんだ笑みを向けてくる。 「よろしく」 アレンがにっこりと笑いかけると、少女は湯気が出そうなほどに真っ赤になって、頷いた。 この日のスケジュールが全て終わり、皆が帰り支度をする頃、委員になり、もしくは押し付けられた生徒達は、担任の下に集まった。 ・・・近寄ると、スキン・ボリック教諭は見上げるほど大きな人で、彼が調理室でクリームをかき混ぜている様など、到底想像できない。 しかし彼は、生徒達のそんな思いなど全く気にしない様子で、各委員の仕事や来週行われる委員会のことなど、必要事項を疎漏なく述べていった。 「以上、質問がないなら解散だ」 粗暴そうな外見に似合わず、細やかな指示とまとまりのある話し方を、生徒達は意外に思いつつも頷く。 「あれなら・・・パティシエもできるかも」 担任が出て行った後、アレンがぽつりと呟くと、周りから笑声が沸いた。 「そうかもしれませんねぇ 私、食べて見たいですぅ のんびりとした口調で言ったのは、副委員長を拝命した少女、蝋花だ。 が、その言葉には、なんの反応もなかった。 「?」 その様子を不思議に思ったが、アレンは手を振って教室を出て行ったクラスメイト達に手を振り返し、急いで席に戻る。 リナリーが横切っていった中庭を見下ろすと、新入生達だけでなく、部活動のユニフォームを着た生徒達が、わらわらと中庭を横切っていた。 「勧誘か・・・!」 ならばリナリーは、まだ校内にいるはずだと気づいて、アレンは踵を返す。 途端、 「わっ!」 すぐ側に立っていた蝋花とぶつかり、アレンは反射的に謝った。 「ごっ・・・ごめんなさい!!」 「い・・・いえ、大丈夫ですぅ・・・・・・」 蝋花は苦笑して両手を振る。 「あ・・・あの・・・ウォーカー君、良かったら一緒に・・・」 帰りませんか、と言いかけた言葉は、しかし、焦ったアレンの耳には届かなかったようで、彼はわたわたと出口に向かった。 「じゃあ、さよなら!!」 早口に言って廊下に飛び出したアレンを、目を丸くして見送ると、しばらくして、別の生徒が入って来る。 その少女を見た途端、蝋花はびくっと身を震わせ、知らず、窓辺まで退いた。 「なぁにぃ?お前、あれ好きなのぉ?」 にんまりと笑いながらも、彼女のまとう雰囲気は、剣呑なものだ。 蝋花はその気配を鋭く感じ取って、これ以上は無理なほど、窓に背を押し付けた。 「ふぅん・・・」 少女・・・ロード・キャメロットは笑みを消すと、すたすたと蝋花に歩み寄る。 「カバン持って」 言うや、真新しいそれを蝋花に投げつけ、踵を返した。 「僕、遊びに行くからぁ。それ、家に届けといてねぇ」 蝋花が断るはずがないと、決め付けている口調だ。 蝋花は無言で頷き、ロードの背を見送った。 まだ明るい教室に一人、ぽつんと残った彼女は、新学期になっても・・・いや、進学してまでもついて回る悪縁に、か細い嗚咽をあげる。 「なんで・・・私ばっかり・・・・・・」 この学園に付属する中等部の頃から、ロードは蝋花に目をつけ、ことあるごとにいじめてきた。 クラスが同じというだけでなく、家も近かったことが災いしたのだろう。 彼女の態度は、高等部に移った後も変わらなかった。 そして、自分も・・・・・・。 理不尽な要求を突きつけるロードが憎らしく、それを嫌だと言えない自分が情けなかった。 「こんなの・・・・・・やだよぉ・・・・・・っ!!」 ロードに投げつけられたカバンを、思い切り床に叩きつけた彼女の目の色が変わる。 「あいつさえいなくなればここは・・・ヘブンリィなの・・・・・・!」 床に落ちたカバンを踏みつけ、蝋花はほんの少し、笑った。 「ウラーニアさんが、助けてくれるわ・・・・・・」 それまでの辛抱だ、と、蝋花は笑みを深め、踏みつけていたカバンを取り上げる。 わざとらしく靴跡を払い・・・誰もいない教室で、楽しげな笑声をあげた。 一方、教室を出たアレンは、急いで中庭へ降り、きょろきょろと視線を巡らせた。 しかし、中庭から校門へ至る道―――― 新入生達が必ず通るそこには、部活動の看板やポスターを掲げた生徒達がひしめいて、なかなか思うようには進めない。 もう何度目かの勧誘を断って校門へ向かったアレンは、男子生徒の背で作られた厚い壁にぶち当たり、目を輝かせた。 「ちょっとごめんなさい!!」 壁を裂いて、アレンが何とか最前列に到達すると、思った通り、そこには天使の笑顔が花開いている。 「リナリー先輩・・・!」 キラキラと目を輝かせて呼びかけると、天使はアレンに微笑みかけてくれた。 「アレン君! 入学おめでとう きれいな声に聞きほれていると、四方から嫉妬の目が降り注ぐ。 だがアレンは、彼らの視線など全く無視して・・・いや、むしろ見せ付けるように、リナリーの手を取った。 「先輩のおかげです ありがとうございました 周りの壁から嫉妬と憎しみのうめき声が上がったが、アレンはそれすらも無視して、リナリーに微笑みかける。 「僕、先輩の部に入ります 途端、我も我もと、森のように手が上がった。 「わぁ アレン君のおかげだね!」 嬉しそうに、握ったアレンの手を振るリナリーに、彼も、蕩けそうな笑みを浮かべる。 「サンタンジェロ学園陸上部が、全国制覇する日も近いですよ ・・・・・・ものっすごく厳しい練習になるでしょうからね」 アレンの、妙に乾いた口調を不思議に思いつつも、リナリーは笑顔のまま頷いた。 「去年は男子が戦力不足で負けちゃったけど、今年は同時優勝狙おうね そう言って、ジュニア時代から陸上界に君臨し続ける女王は、嬉しげに笑う。 ―――― やっぱり可愛い・・・・・・ リナリーの笑顔に蕩けつつ、アレンは彼女の手を握りしめた。 「あー・・・やっぱ、陸上部入ったんさ?」 上機嫌で校門から出てきたアレンを、自宅兼診療所の前で確保したラビは、彼を受付カウンターの奥に引き込んで、話を聞いた。 「じゃねーかと、思ってたけどさ」 熱い緑茶に息を吹きかけつつ言うラビの脇には、カルテが柱のように積み上げられている。 「ラビは部活やらないの?」 問うと、ラビは苦笑と共に頷いた。 「ガッコ終わったら1分でも早く家帰って、これ処理せんといかんのさ」 ラビの祖父が一人で開いている医院には、彼と彼の祖父以外には、看護士が一人いるだけだ。 ために、ラビは随分と昔から、少し変わった家の手伝いをしている。 「史上最年少、医療事務資格取得者」 と言うのが、ラビの自慢のひとつだ。 事実、小学生の頃からやっているというのだからすごい。 「それ、年齢制限ってないの?」 「ないさ」 そう言うと、中々冷めない茶を諦めたラビは、事務机の上に湯飲みを置いて、茶菓子をつまんだ。 「で?今年は何人くらい入ったんさ?」 「え・・・うーん・・・数えてはないけど、10人分の名前が書けるシートが一気になくなって、コピーしに走ってたよ」 「しょうもねぇなぁ、男子は・・・・・・」 苦笑するラビに、アレンは頷く。 「これからなにが起こるか、わかってないんですよみんな。 多分、部活初日で半分は減りますね!」 自信満々に言うアレンに、ラビは笑って首を振った。 「去年は初日で、108人中79人が抜けたさ」 「そんなに?!」 「俺もリナの存在に、心惹かれはしたけどさ、家の手伝いで部活するヒマねぇもんなァ・・・・・・」 若いのに、部活動より家の手伝いを選ぶとは、中々いい心がけだ。 アレンがそう言うと、ラビは乾いた笑声をあげた。 「お前・・・ジジィの身内じゃねぇから、そんなこと言えるんさ・・・・・・」 どれほど厳しいしつけの効果か、いつも飄々としているラビをして、屈託に満ちた声を出さしめる。 「あー・・・それよりお前、来月の遠足行くんさ?」 「へ?もちろん行きますよ?」 話題を変えるためにしては、妙な言い様にアレンが首を傾げると、ラビは苦笑した。 「お前さ、中学ん時、参加しようとした全部の遠足を雨天中止にした実力者じゃん。 降らんかったんは、お前が外国にいってた時だけだろ?」 それ以来、『史上最強の雨男』という、ありがたくない異名を持つようになったアレンは、むぅ、と頬を膨らませる。 「別に、僕が何かしてるわけじゃないですよ!」 「いんや、してるさ。 だって、お前が親父さんについて外国にいた間は、全国各地で渇水だったもんさ」 益々膨らんだアレンの頬をおもしろそうにつついて、ラビは彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。 「てるてる坊主作っとけよ。 俺にはカンケーねぇけど」 「え?三年生は不参加なの?」 アレンが頬に詰まった息を吐いて問えば、今度はラビがむすりとして頷く。 「俺らは遠足の代わりに学力テストやってますが何か?」 「え・・・進学校だって事は聞いてたけど、もうそんなことするの?!」 「そうさ、だから俺、進学クラス行くのやだったんさー・・・! 言っとくけど、明日は我が身だかんな、お前」 「う・・・」 がっくりと俯いたアレンの視線の先に、何冊ものファイルが差し出された。 「じゃ、今日はヒマなんだろ、お前? とりあえずこれ、手伝うさ♪」 「へ?!」 「俺が書いた点数を、パソコンに入力してくれたらいいから」 ラビは問答無用でパソコン画面とキーボードをアレンに向けると、ついでにみたらし団子が山と詰まれた皿を差し出す。 「ホントなら、今は診療報酬請求終わった直後でヒマなんさ。 でも、今月中にガッコの健康診断あんだろ? ハンパねェ量が一度に来るから、一般患者分は逐一処理せんといかんのさー! もー忙しくって忙しくって、ここ数日、夜遅くまでがんばってんさ、俺。かわいそう!」 「その分、昼まで寝とっただろうが!!」 ばぁんっ!と、ものすごい音がして診療室に通じるドアが開き、小柄な老人が厚いファイルを何冊も抱えて入って来た。 「追加だ、処理しておけ」 「クソジジィィィィィ〜〜〜〜!!」 新たに積み上げられたカルテに泣声を上げ、ラビは分厚い紙の束をアレンに渡す。 「あい、これ、一般患者のレセプト。入力して」 「えぇっ?!」 抗議しようにも、ラビは既にカルテと格闘していて、アレンの声どころか、存在すら無視する勢いだ。 「・・・バイト代、くださいよぉ?」 まさかこれがバイト代じゃないよね、と思いつつも、アレンはみたらし団子に噛み付いた。 翌日。 まだ本格的ではない授業を終え、陸上部の部室がある棟に赴いたアレンは、入口の混雑に深々と吐息した。 結局、新入生男子のほとんどが入部したのではないかと噂されるそこでは、他部から抗議されたらしい陸上部員達が、入場整理をしている。 「入るのに何時間かかるのかなァ・・・・・・」 列の最後尾に並べば、随分と遠くに見える入口を背伸びして見遣り、アレンはため息と共に呟いた。 「まったくぅ 背中に蕩けきった声がかかり、アレンはビクリと振り向く。 と、見上げるほど高い場所に、締りのない笑顔があった。 「コ・・・コムイ先生・・・!なんでこんなところにいるんですか?!」 裏返った声をあげるアレンに、コムイはきょとんと目をしばたく。 「だってボク、陸上部の顧問だもんー 「それは知ってますけど・・・部室にまで来るもんなんですか?!」 「だって、こんなにわさわさ男子がいたら、リナリーにばい菌がつくじゃない。 消毒しとこうと思って★」 そう言って、コムイが取り出したものに、アレンは目を丸くした。 「殺虫剤じゃないですかぁ!!」 「害虫駆除は、科学者の使命だよ★」 「どんな理屈ですか!!」 鋭くツッコミを入れるが、コムイは暢気に笑うだけだ。 ―――― ホント、妹至上主義なんだから・・・・・・。 アレンはコムイの、のほほんとした顔を見上げてため息をつく。 中学生の頃は、彼のことは噂でしか知らなかった。 曰く、リナリーには異常なシスコンの兄がいて、リナリーにちょっかいをかけた男子はことごとく闇に葬られる、という、かなり怖い噂だ。 その噂の彼と初めて会ったのは、入試の日、大雪で電車が止まり、大遅刻したアレン達数人の受験者に、別室で試験を受けさせてくれた時のことだ。 その時は大変感謝したものだが、実物を見たと言った途端、ラビから散々彼の恐怖伝説を聞かされて、今では感謝以外の別のフィルターがかかってしまっている。 いや、フィルターと言うには、アレンの実体験は強烈過ぎた。 入学説明会の日―――― 校内で迷子になっていたアレンをリナリーが見つけ、校内を案内してくれたと言うただそれだけのことで、怪しい実験室に連れ込まれ、数々の実験の被験者にされたことは既に、強烈なトラウマとして残っている。 こんな兄がいるのだから、リナリー目当てで陸上部に入った男子はほとんどやめることになるだろうと、予想はしていた・・・が・・・・・・。 「まさか殺す気だったなんて・・・・・・!」 そりゃあ・・・1日で73%もの脱落者が出るわけだ。 口の中で呟くと、猫並みに聴覚の鋭い化学教師は、アレンの頭に大きな手を乗せた。 「あっはー まぁ、殺虫剤はほんの冗談だけどさぁ うちの陸上部は強いよー 女子はリナリー 得意げな声に、アレンのテンションは更に下がる。 「アレン君は、生き残れるかなー?」 いつでもやめていいんだよ と、続いた言葉は、アレンの前後に並ぶ生徒達にも届き・・・・・・早くも、列を離れる者達が出始めた。 結局、1時間半後にようやく全員集合した陸上部員達は、わずかその30分後に、半分が姿を消した。 陸上部顧問兼コーチのコムイが、簡単な挨拶の後、のんきな口調で命じた「まずは軽く、グランド100周〜♪」が、かなりのところ効いたのだ。 諦観した様子の2、3年生達が、淡々とグランド100周したこともひとつの要因ではあっただろう。 周回遅れの末、屍となって倒れた新入生達は、無情にもグラウンドの外に蹴り出され、以後、戻ってくることはなかった。 ―――― こっ・・・えぇぇぇぇぇぇ!!!! 走破直後の動悸息切れだけでなく、精神的な恐怖に鼓動を早めつつ、アレンはそっと周りを見回す。 と、新入生で、曲がりなりにも立っているのは、彼一人だった。 「すごーい!みんながんばったね!」 既に100周終えた上級生の中から、リナリーの親愛に満ちた声が上がり、それに続いて拍手が沸く。 「今年は有望だね、先生 校内では決して『兄さん』とは呼ばない彼女に笑顔を向けられ、コムイの顔が緩んだ。 「ホントにね じゃあ、練習開始しよっか!」 「えぇっ?!」 これが練習じゃないのか、と、悲鳴じみた声をあげる新入生達に、コムイの笑みが深まる。 「部活なんだから、あったりまえでしょー? ナニ?キミタチ、遊びに来たの?」 笑顔のままでありながら、険のある声に、コムイに免疫のない新入生たちは本気で震え上がった。 「陸上部なんてねー雨が降ったらろくな練習できないんだよー? 晴れてる時は、とことんグラウンド使うのが当たり前・・・」 コムイがそう言った途端、ぽつぽつと雨滴が降ってくる。 「やった・・・!」 堪えきれず、歓声をあげた新入生達に反して、上級生達のテンションは見る見る落ちていった。 「あいやー・・・なんか、降り出して来たねェ。 うーん・・・初日からあんまりいじめるのはどうかと思ったけど、仕方ないね コムイの言葉に、上級生達は深々と吐息し、明らかに肩を落として校舎に向かう。 「ハイ、じゃあキミタチ、先輩達について行ってね 部長、引率よろぴくー♪」 上級生達の態度とコムイの楽しげな様子に不安が増したが、アレン始め新入生達は、怯えながらも羊の群れのように上級生達の後に従った。 彼らが到着したのは、校舎の端にある非常階段だ。 5階建ての屋上まで続くそれをぼんやりと見上げる新入生たちの前で、部長がホイッスルをくわえた。 既に5人ずつのグループに分かれた上級生達が、準備運動を始めている。 「な・・・なに・・・?」 彼らを不安げに見つめるアレンの視線の先で、部長がホイッスルを短く吹いた。 途端、最初のグループが階段を駆け上がる。 彼らが2階部分に到達すると、またホイッスルが鳴らされ、次のグループが駆け上がっていった。 「マジですかぁぁぁぁ?!」 真っ青になって震える新入生達を、副部長らしき上級生が適当にグループ分けしていく。 「えぅ・・・っ!!」 グラウンド100周の疲れもまだ取れぬまま、彼らはホイッスルに急かされて、長い階段を駆け上がっていった。 「厳しいなんてもんじゃない・・・殺す気だよぉ・・・・・・!!」 校門から歩いて10分ほどしかない男子寮の玄関で、既に力尽きたアレンは、今日の練習を何とか耐えた新入生達が、また減るだろうと確信した。 「負ける・・・もんかぁ・・・・・・」 呟いたものの、そのまま床に崩れ落ち、最早起き上がることもできない。 通りかかった寮生達が、驚いて寮監を呼んでくれるまで、アレンは冷たい床の上で気を失っていた。 しばらくしてアレンが目を開けると、見慣れない白い天井が真上にある。 「アラん?!気がついたぁ?」 ほっとしたような声と共に、アレンの頭上に寮監の顔が現れた。 「アレンちゃん、玄関で倒れちゃってたのよぉ。 運んでくれた先輩達に、後でお礼言いなさいね?」 「は・・・はい!」 疲れきった体は鉛のように重かったが、何とか起き上がると、寮監が手を貸してくれる。 「あ・・・ありがとうございます、先生」 床に下り立ったアレンがぺこりと頭を下げると、たくましい外見に乙女のハートを持つ寮監は、口元に手を当て、しとやかな笑声をあげた。 「ほほほ・・・ 遠慮しなくていいのよぉ、アレンちゃん それと、アタシのことは先生じゃなくて、ジェリーと呼んでくれないかしら?」 「ジェリーさん?」 アレンが不思議そうに首を傾げると、彼・・・女は、ぽっと頬を染める。 「そう、アタシのお名前 これほどたくましく生まれついた子供に、そんな女のような名前をつけるわけがないだろうと思いつつも、アレンは頷いた。 「はい、ジェリーさん。 これからもよろしくお願いします」 改めて、アレンが丁寧なお辞儀をすると、ジェリーは満足げに何度も頷く。 「まぁまぁ、さすがにウォーカー先生の息子さんね。礼儀正しいわぁ その言葉に、アレンは目を丸くした。 「父をご存知なんですか?」 「えぇ。 アタシがここの寮監になった頃は、まだこの学校にいらしたわ。 ここを辞められた後は、学校運営コンサルタントに転職されて、海外にいらしたんでしょ?」 「はい・・・僕も父について、あちこちの国に行きました」 懐かしげに微笑んだアレンに、ジェリーも笑みを返す。 「お元気でいらっしゃる?今はこちらに帰っておいでなの?」 ジェリーがそう問うた途端、アレンの表情が沈んだ。 「・・・事故に遭って、亡くなりました・・・・・・」 「あら!! あらあらあら・・・まぁまぁ!!」 ジェリーは気の毒そうに眉をひそめ、腰を屈めてアレンと視線を合わせる。 「アタシったら、ごめんなさいね・・・。 嫌なこと思い出させちゃったわね」 「いえ・・・もう、5年も前のことですから・・・」 そうは言いつつ、アレンが屈託のある笑みを浮かべると、ジェリーの太くたくましい腕が伸びて、ぎゅう、と彼を抱きしめた。 「いい方を亡くしたわ・・・本当に」 心のこもった弔意に、アレンは彼女の腕の中で頷く。 「きっとあなたも、お父様のような立派な人間になれるわよ」 ジェリーの静かな声に、アレンは泣きたいような、嬉しいような、妙な気分を味わった。 「なれるかなぁ・・・」 アレンの涙混じりの声にジェリーは微笑み、彼の背中を優しく撫でる。 「さ、今日は疲れたんでしょ? ごはん食べてお風呂入ったら、早く寝なさいねェ」 「うん・・・明日から朝練なんです・・・・・・」 「そう! じゃあ、がんばんなきゃね!」 ぽんぽん、と背中を叩いて、離れようとしたジェリーに、しかし、アレンは俯いたまま抱きついた。 「ご・・・ごめんなさい・・・! あの・・・もうちょっとこうしてていいですか・・・・・・?」 急き込んで言うアレンの頭を見下ろし、ジェリーは、ふっと微笑む。 「えぇ、いいわよ」 「なんだか・・・ジェリーさん、お母さんみたい・・・・・・」 「まぁ!うれしいわ」 アレンの言葉に頬を染め、ジェリーはアレンが落ち着くまで、彼を抱きしめていた。 ・・・その日からたった数日にして、陸上部の新入部員は、そのほとんどが姿を消していた。 「今年は何%脱落したんでしょーか」 準備運動をするリナリーの側にさりげなく寄り、何気なく問うと、彼女は細い指を唇に当てて、小首を傾げる。 ―――― かっ・・・可愛い!! そんな、ちょっとした仕草に感動しているアレンに、リナリーは顔を向けた。 「147人中、残ったのが5人だから・・・96〜7%じゃない?」 「・・・って、初日は147人もいたんですか」 「うん。新入部員だけでね」 大きな目を細めて苦笑するリナリーに、アレンも苦笑を返す。 「さすが、名門陸上部ですねェ・・・・・・」 「女子はともかく、男子は人数少ないから、少数精鋭になっちゃうけどね」 自分のせいで人数が減っているとは思っていない、リナリーの口調だった。 「陸上って、色んな競技があるじゃない? 個人競技の場合は少数精鋭でも構わないんだけど、リレーとか駅伝とか、それなりの人数が必要な競技は出場が難しくて・・・とうとう去年は、駅伝を諦めちゃったの。 カップル優勝、狙ってたんだけどなー・・・!」 「え?リナリー先輩、駅伝の選手なんですか?」 練習などでは、短距離のトラックを走っているところしか見たことがない。 意外そうに言うと、リナリーは照れくさそうに笑った。 「走るの好きだから、どっちにも出てるんだ」 「えぇっ?!そんなこと可能なんですか?!」 短距離選手と長距離選手では、そもそも筋肉の質からして違う。 短距離が早いからといって、長距離でいい成績が出るとは限らないのだ。 だが、リナリーはなんでもないことのように笑う。 「平気だよ。 こんなことやってるの、知ってる限りは私だけだけどね」 そう言うと彼女は、軽やかに立ち上がった。 「さ、今日もがんばろうね、アレン君! あの厳しい練習に耐えちゃうんだもの。期待してるよ」 「は・・・はいっ!!」 リナリーの華やかな微笑みに、アレンは頬を染めて頷く。 「がんばります!!」 「よぉーし。じゃあ、がんばってもらおー!」 「ひぃぃぃぃぃぃ?!」 突然背後に現れた、恐ろしいコムイの姿に、アレンは恐怖の悲鳴をあげた。 「サカレン♪坂練しよう、今日は! ほーぃ!男子集合〜♪今日は坂練 コムイの号令に集まってきた男子部員達の、青ざめた顔にアレンも青ざめる。 「はいはい♪ じゃあみんな、がんばってきてねー♪」 嬉しそうに手を振るコムイに送り出され、陸上部男子部員一同は、部長の号令の下、学校裏の住宅地へ続く、長く急な坂を駆け上がり始めた。 「ほぉ〜・・・そんでぇ〜・・・身体中乳酸菌でパンパンになった、ってさ・・・・・・?」 診療所の玄関に倒れ臥したアレンを、やつれきった顔のラビが、受付カウンターの向こうから見遣る。 「・・・なんで乳酸菌なんですか・・・乳酸でしょうよ・・・・・・」 「ケンコーに良さそうじゃん〜・・・・・・俺、ここんとこ1日3本は摂取してんぜ、乳酸菌飲料・・・・・・」 「いや・・・それはいいですから・・・・・・受付して下さい・・・・・・・・・・・・」 今にも死にそうな声に、ラビが訝しげに首を傾げた。 「なに?お前、患者だったんさ?」 「坂道でこけて、全身ズル剥けました・・・・・・」 「やでやで・・・・・・」 億劫そうに受付から出てきたラビは、床に突っ伏したままのアレンの両腕を持って、つるし上げる。 「うんわ、痛そ」 額から鼻、腕から膝まで擦過傷を作り、砂埃にまみれた血を流しているアレンに、ラビが眉をしかめた。 「おぉーい!ジジィー! ちょぃ気の毒なことなってっから、入れていいかー?!」 ドアの向こうから承諾の声が返ると、ラビはアレンを引きずりながら肩でドアを開け、診察台に放り上げる。 「もうちょっとで人体模型だったなー♪」 どこか楽しそうなラビに反し、消毒薬を持って現れた看護士は冷厳な目でアレンを見下ろした。 「しみるぞ」 言うや、遠慮なく傷口に塗られた消毒薬に、アレンが絶叫する。 「泣くな!男だろ!!」 厳しく言われて、アレンは身悶えしつつも声を押し殺した。 やがて、長い拷問が終わった時、診察室のデスクに座った老人が、訝しげに首を傾げる。 「保健室は開いておらなんだのか?」 「そ・・・それが・・・・・・」 部の先輩達に両脇を支えられ、行った保健室は、なぜか部屋の外にまで人が溢れていて、到底入れたものではなかった。 そう言うと、ラビがにんまりと笑って何度も頷く。 「うちの保険医、ちょーぅ美人だから、用もないのに行く奴が多いんさ」 「そんなことで僕、ここまで来なきゃなんなかったの?!」 思わず大きな声をあげると、看護士のマホジャにすごい目で睨まれた。 「騒ぐとつまみ出すぞ!」 アレンくらい、本当につまみ出せそうなたくましい腕を見上げ、アレンは無言で何度も頷く。 ―――― ジェリーさんは優しいのにぃ・・・・・・。 似たような外見と言えば外見だが、男の身体に乙女の心を持つジェリーより、男のような外見で実は女のマホジャの方が、ずっと恐ろしかった。 小動物のように細かく震えるアレンに苦笑して、ラビは待合室でなく、受付に通じるドアを開ける。 「ほれ。こっちゃ来い」 ラビが誘うと、アレンは痛む身体を重そうに引きずって、事務室に入った。 途端、書類がぎっしり詰まっているダンボールが山と詰まれている様に、目を丸くする。 「なんか・・・すごいねぇ・・・・・・」 一人でやってるの、と聞くと、ラビは乾いた笑声をあげて頷いた。 「・・・昨日の健康診断のデータが、一気にきやがったんさ・・・・・・」 マジ死にそう、と呟くラビの声に、実感がこもっている。 「マホジャ姐も手伝ってくれんだけど、あっちは看護士が主だかんな。たまにしかできねぇんさ。 お前、今日はもう走れねぇだろ?着替えたら俺手伝ってぇ・・・!」 泣声をあげて抱きついてくるラビの窮状に、アレンは断りきれず頷いた。 「じゃあ・・・コムイ先生に言って、着替えてくるね・・・」 「うん!助かる!! 点呼時間にまでは帰らせっからぁ!!」 万歳三唱で送られたアレンは、痛む体をできるだけ早く動かして部に戻り、今日の早退をコムイに告げて着替えると、診療所に戻る。 「やっほー!! ジジィにバイト代はずむよう、言っといたかんな!」 「ホント?!がんばる!!」 ラビの言葉に意気も向上し、アレンは使い慣れない医療用ソフトと格闘し始めた。 ―――― 明かりを落とした部屋の中で、ロード・キャメロットは椅子の上に両足を乗せ、パソコン画面を見つめていた。 親に甘やかされている少女は、遅くまで明かりをつけていても、叱られることはない。 だが彼女は、日の光を拒む獣のように、薄闇の中でらんらんと目を輝かせていた。 きれいにマニキュアをした小さな手でマウスを包み、棄てられたデータや、消えずに残ったキャッシュを根気よく探っていく。 と、長い長いハズレの後に、ようやく目的のものが見つかった。 パスワードを問う画面に、あらかじめブラウザの管理画面から引き出していたパスワードを打ち込む。 と、真っ暗だった画面が明るく切り替わった。 「やった!!」
小さく快哉をあげた次の瞬間、1文字すら見えない画面に、彼女は舌打ちする。 「でも・・・これで手がかりは掴んだよ」 膝を引き寄せ、誰もいない画面を睨むようにして、彼女は呟いた。 「僕の兄弟を殺した・・・絶対に許さないよ、ウラーニア・・・・・・!」 唸り声に似た声をあげ、彼女は、いつまでも相手の現れないチャット画面を睨んだ。 「ふ・・・・・・」 双子に送ったパスワードで、このサイトに入って来た者のIPアドレスを見たUraniaは、笑みを漏らした。 「ロード・キャメロット・・・・・・」 撒き餌に惹かれて、獲物がようやく来てくれたのだ。笑わずにはいられない。 「第2ゲーム、スタート」 命を賭けたゲームは、あまりにも軽々しい宣言と共に開始された。 To be continued. |
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