〜 獅子身中の虫 〜

※ 女審神者注意 ※
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 その未明、眠りは本丸中に響き渡る非常ベルによって妨げられた。
 床の上に身を起こした主の元へ、今夜の守り刀である秋田が、緊急用の衣料を入れた衣装盆を持って駆け寄る。
 屋根を激しく打つ水の音を聞きながら、素早く動きやすい服へ着替え、札と僅かな資材を入れた背嚢を背負った主は、靴を履いたまま畳を踏んで寝所を出た。
 何があった、と聞くまでもなく、廊下で待ち構えていた戦装束の歌仙が、火事だと告げる。
 「本丸内の全ての電灯を灯して、ありったけの監視ドローンを飛ばしているよ。
 散水機の稼働状況を見るに、複数の箇所から火が出ているようだ」
 携帯端末の画面を差し出した彼に、主は頷いた。
 落雷火災対応のほか、庭木の水撒き用に設置した散水機だが、火災報知機と連動して、うまく火を消し止めている様子だ。
 「こんな状況、落雷でなければ・・・」
 「敵襲か」
 短く言った時、回廊を駆けつけた薙刀が主の身体を抱き上げた。
 「主は俺が運ぶ。
 集合場所の天守前広場にはもう、遠征に行っている者を除いて長物が集まっているぞ」
 全ての電灯が灯り、昼よりも明るい回廊を再び走り出した巴形薙刀と並走しつつ、歌仙と秋田が、自身の端末を見遣る。
 「短刀と脇差が、索敵に散っています!
 敵を発見した場合、どう対応しますか、主君?!」
 と、秋田が見上げた主は、頷いて歌仙へ命じた。
 「敵を見つけた場合、個々に対応せず、まずは情報を集めるように周知。
 ・・・今のところ、壊れた者はいないな」
 自身の端末で確認した主は、ホッと吐息する。
 「厚!
 天守前広場へ戻って、ドローンの動画で全体の状況を把握してくれ!
 私もすぐに向かう!」
 と、指示したところで、厨方面から駆けてきた伊達の刀達と合流した。
 「火元が厨じゃなくて良かったよ。
 危うく、切腹の危機だったよね」
 冗談を言いながらも、油断なく辺りを警戒する光忠と並走する鶴丸が、笑声を上げる。
 「介錯しようにも、光坊の首は硬そうだ。
 俺の方が折れてしまうぞ」
 「馬鹿なことを言ってな・・・」
 「敵状況把握!
 短刀イ、ロ組、二の曲輪虎口(こぐち・正門側出入口)武者走りへ急行!
 虎口内に侵入した敵を、弓兵と銃兵で殲滅せよ!
 短刀ハ、ニ組は搦手(からめて・裏門)側の敵を同じく殲滅!
 火は放置していい!」
 大倶利伽羅の声を遮って、主が端末へ声を上げた。
 「脇差イ組、二の曲輪虎口側多門櫓へ急行!
 脇差ロ組は搦手側だ!
 短刀と協力して挟み撃ちにしろ!
 大太刀、蛍丸と石切丸は虎口側三の曲輪門内、太郎と次郎は搦手側三の曲輪門内へ移動!
 万が一破られた時のために待機!」
 主が次々と指示を飛ばすうちに母屋の外に出た一行は、見上げた上空に一瞬、息をのんだ。
 本丸をドーム状に覆う呪術的結界の補助として、物理的に仕掛けた鋼線の網に、時間遡行軍の身体が幾重にも貼りついている。
 この本丸へ侵入すべく、落下した彼らのほとんどは自重で切り裂かれたものの、辛うじて網の上に残った身体の一部を足がかりにした敵が、塵と消える前の身体へ火を点け、本丸内へと投げ入れていた。
 「火事の原因はあれか!」
 忌々しげな歌仙の声に、
 「秋田、銃兵」
 と、主の冷たい声が重なる。
 「殺れ」
 「はいっ!」
 秋田の命に応じた銃兵が放つ弾は網目を縫って、正確に敵を打ちぬいた。
 と、その音が合図であったかのように、別の場所からも次々に上空へと発砲がなされ、放火していた敵が塵となって消えて行く。
 「ほほぅ、こりゃ見事だ。
 俺も、銃兵が使えたらなぁ!」
 感嘆した鶴丸に頭を撫でられた秋田が、嬉しげに笑った。
 が、主は忌々しげに舌打ちする。
 「一斉に焼却できるワイヤーにしておけばよかった。
 だが・・・そうなると硬度がなぁ・・・。
 こうやっていちいち処理するしかないのか」
 ぶつぶつと言う主に、監視ドローンから警告音付きの動画が寄せられた。
 「なぜ城門が開いている?!」
 今日は俺の仕業じゃない、と、焦る鶴丸に頷いた主は、自身の端末を操作して、門を閉ざす。
 電子錠を掛ければ、もう外からの侵入は不可能だ。
 「なぜ開門されていたかは後で調査する。
 まずは、三の曲輪(くるわ)に侵入した敵の殲滅だ」
 低く呟いた主が、また、端末へ声を張り上げる。
 「打刀イ、ロ、ハ組、虎口側多門櫓へ展開!
 打刀ニ、ホ組は搦手側多門櫓へ!
 投石で城外の敵を打ち減らせ!
 吉行、南海!
 大砲の使用を許可する!
 それぞれ虎口、搦手の砲台へ!
 白山!
 政府へ敵襲撃ありの連絡!
 至急、応援を求めろ!」
 言い終えた主は、一息ついて、監視ドローンの映像を確認する歌仙を見やった。
 「大丈夫、順調に打ち減らしているよ。
 しかし変だな・・・。
 敵は攻城戦を仕掛けておいて、門外に大砲も攻城槌も準備していないようだ」
 「敵が本丸まで侵入しないことには、太刀の出番はないかぁ・・・」
 大倶利伽羅が駆け去って行った方向をうらやましげに見つめながら、鶴丸がため息をつく。
 「それは、この城が城塞として機能している、ってことだよ。
 いいことじゃないか」
 遠くから響いてくる大砲の轟音を聞きながら、光忠は自身の端末で、監視ドローンの動画を見つめた。
 「伽羅ちゃんってニ組だっけ、ホ組だっけ・・・あ!
 貞ちゃん見つけた!
 そっか、短刀ニ組だから、搦手側なんだね。
 物吉君は脇差ロ組だから、一緒に挟み撃ちして、どんどん減らしてるよ!
 二振りともがんばれー!」
 画面へ向かって手を振る光忠に苦笑して、歌仙は主へ向かう。
 「僕達も天守前広場に合流しよう。
 しかし君、まだ上空の敵も残っているかもしれない。
 天守へ登るのはやめておくんだよ」
 「・・・なんのための天守だか」
 ため息をついた主は、巴の首に腕を回した。
 「そうだ、主。
 しっかり掴まっていてくれ」
 嬉しげに言って、全力で走り出した巴の後に、辺りを警戒しつつ歌仙らが続く。
 到着した広場には既に、待機中の刀が集まっていた。
 が、
 「・・・誰だ?」
 無礼にも、訝しげに首を傾げた大千鳥を主が睨む。
 「私以外に人間がいるか!」
 「だって、化粧をしてないと、誰だかわからないよ」
 などと、則宗にまでクスクスと笑われて、むっとする主に、
 「ご・・・ごめんなさい!!」
 と、秋田が涙目で謝った。
 「ぼ・・・僕、非常時用の衣装だけ差し出して・・・!
 お・・・お化粧道具まで気が回らなくて・・・っ!」
 「いや、こんな時に化粧する暇なんてないから!
 秋田は悪くないから!」
 ふわふわの髪を撫でてやるが、更に泣き声が大きくなる。
 「でも・・・!
 乱ちゃんならきっと・・・!
 ううん!絶対!忘れませんでした!」
 わぁあ!と泣き出した秋田に困り、主は余計なことを言った刀達を睨みつけた。
 「泣いちゃったじゃないか!
 秋田に謝れ!」
 「す・・・すまなかった・・・」
 「ごめんよ、坊主・・・」
 「まったくもう!
 厚!」
 まだ泣きじゃくる秋田の頭を撫でながら、名を呼んだ短刀が、主の元へ駆けて来る。
 「どっちだ?」
 短い問いを正確に理解して、厚は広場を囲む白壁に映し出された、いくつもの動画を次々に指した。
 「敵は虎口側に主力を展開しているぜ。
 搦手側は今、侵入した敵を殲滅している組で対応可能だし、何隊かは虎口側に回していいくらいだ。
 大将が、一人残さず殺せって言うなら搦手も討って出るが、そうじゃないなら虎口側に一点集中だな」
 「わかった」
 巴の腕から降りた主を、みなが見つめる。
 「太郎、次郎、および打刀ホ組、虎口側に移動してくれ。
 厩務員!
 城内の敵を殲滅したタイミングで、全ての馬を三の曲輪へ出せ!
 待たせたな、お前達!!
 夜明けを待って、一気に潰すぞ!」
 昂揚した刀達から、鬨の声が上がる。
 「ようやく出番だぜ!
 太刀ニ組の力!見せてやろう!」
 と、太刀を掲げた鶴丸に、光忠が首を振った。
 「鶴さん、極めたから組替えされたでしょ。
 今は僕と同じ、ロ組でしょ」
 「あ・・・あれ?
 そうだったか・・・おーい!ロ組、待ってくれー!」
 手招きする光忠の元へ、慌てて駆けて行く鶴丸の後を、大包平も早足で追う。
 「平地で騎馬戦とは!
 太刀の本領発揮だな!」
 子供のようにはしゃぐ大包平の隣で、鶯丸がくすくすと笑った。
 「こんな大掛かりな戦は、人の身を得てからは初めてだ。
 せいぜい、戦功をあげるんだな」
 「言われるまでもない!
 大将首は!俺がもらう!!」
 大包平の大音声に、あるいは笑い、あるいは呆れる中、古今はあからさまに耳を塞いだ。
 「騒々しいこと・・・。
 歌を詠む気にもなりません」
 「そうか・・・。
 ちょっと残念だな。
 ヤマトの歌は、意味はよくわからないまでも、古今が詠む声は好きなんだが」
 「あら・・・」
 千代金丸の、こんな時でものんきな声に、古今の声も和む。
 「言葉の響きを楽しむこともまた、歌ですよ。
 あなた、見込みがあります」
 両手で千代金丸の手を取って微笑む古今へ、歌仙が苦笑した。
 「余裕があって大変いいことだが、まずは敵を打ち払うことを優先してくれ。
 もうみんな、三の曲輪へ下りて行ったよ」
 「あらあら・・・!」
 「おっとー・・・!」
 さすがに駆け下りて行った二振りに、厚が肩をすくめる。
 「大将、野戦の統率はいち兄に任せるぜ。
 天下五剣は、個々は優れているが、全体の統率となると浮世離れしすぎてる」
 「わかった、頼む」
 「皆さん、一騎当千です!
 負けるはずはありません!」
 頬を紅潮させて言う秋田も、本当は戦闘に参加したいのだろう、そわそわと送られてくる動画を見つめた。
 「あ!主君、見てください!
 虎口側と搦手側、どっちも門内を殲滅、城外も馬出(うまだし)まで確保しました!」
 「よし。
 二の曲輪、武者走りにいる全組!
 正門前へ移動!
 門を開けるぞ!
 馬出を確保!!」
 銃兵と弓兵を装備した短刀隊と脇差隊が、細く開いた門の隙間をすり抜けて馬出へと進み、射程距離内の敵を排除し、更には打刀隊が多門櫓から投石を打ち込んで、騎馬の展開場所を確保する。
 「・・・嫌にうまく行くね。
 罠の可能性は?」
 歌仙の問いに、厚は顎をつまんで微かに唸った。
 「誘い出されている可能性はある。
 ただ、ドローンで敵の本陣まで確認してるけど、大砲や攻城櫓なんかのやべぇもんは見当たらねぇ。
 見慣れねぇ形態の敵もいねぇ。
 全部フツーの敵なんだ。
 検非違使ですらねぇし・・・変と言えば、なんでこの戦力で攻めて来たんだ、ってことか。
 攻城戦には籠城する側の兵力の、三倍以上の兵力を持ってないと難しいんだけどよ、敵はせいぜい二倍、しかも虎口と搦手に戦力を分けている。
 これで勝機があるって舐められたのか、って思うくらい・・・の」
 不意に、背筋を伸ばした厚が上空を見上げた。
 「大将、この本丸全体を覆う結界は、大将が寝込んでたって、問題なく作用するんだよな?」
 「あぁ、元々は審神者を守るための結界だからな。
 私の力というより、本陣からの・・・」
 はたと、主も上空を見上げる。
 「・・・敵に破られたのだと思っていた。
 だが、それなら私になにかしら、報せがあるはず」
 それが身体への衝撃なのか、専用端末からの警告音なのか、経験したことがないために知らずにいたが、なんの音沙汰もなく結界が消えるはずがない。
 「物理防御のおかげで上空からの侵入を免れたが、パスワードが必要な電子錠の門が両側とも開いていたことと言い、これは・・・内部犯確定じゃないかな」
 腕を組んだ歌仙の目が、剣呑な光を灯す。
 「主」
 低く呟いた歌仙に、主も頷いた。
 その頬を、曙光が照らす。
 「門を開け。
 太刀、薙刀、大太刀、槍、出陣を許す。
 ただし、突出はするな。
 一番遅い馬に歩調を合わせろ」
 回線の向こうからだけでなく、風に乗って城門からの不満声も届いたが、重ねて命じる。
 「刃を合わせればわかるはずだ。
 あまり、振りかぶるなよ」
 その命に、何振りかが上空を・・・いや、正しくは天守最上階を見上げた。
 そこでは、曙光に照らされ、薄紅に輝く髪を風になびかせた小狐丸が、緋色の瞳に笑みを浮かべて地を見下ろしている。
 その様に、額を抑え、ため息をついた三日月の姿に主もまた、ため息をついた。
 「白山」
 天守前広場の隅で、無言のまま戦況を見守っていた剣を呼べば、淡い色の瞳が無表情にこちらを見返す。
 「政府に伝えろ。
 援軍の要請は中止。
 被害総額の請求書は後日、定額で送る。割引なしだ」
 「はい、あるじさま」
 素直に頷いた彼の口元は、曙光による陰のせいか、ほんの少し、微笑んで見えた。


 突進を禁じられ、不満ながらも出陣した刀剣達は、刃を合わせればわかると言った主の言葉を、すぐに理解することになった。
 「おや、これは・・・」
 「なんだ、こいつら!!!!」
 訝しげな石切丸の声を、大包平の大音声が覆う。
 「全く!歯ごたえがないぞ!!」
 斬るどころか、撫でるほどの力でも塵となって消える様に、刀剣達がざわめいた。
 と、
 「まやかしだ」
 騎馬で進み出た三日月が、刀を鞘に納めた手で敵に触れる。
 それだけで、屈強な大太刀が塵となって消え去った。
 「そうだろう、則宗?」
 肩越しに問えば、元より刀を抜くことすらせず、半身に開いた扇子の陰に笑みを浮かべていた一文字則宗が、愉快げに笑声を上げる。
 「優だ、三日月宗近!
 いや、この本丸の諸君!」
 「・・・は?」
 ひと際険のある声で日光が問えば、一文字の隠居は、それは楽しそうに扇子を広げた。
 「いわゆる、非常事態訓練というやつだ!
 今回はこの本丸が当たった、ということさ!」
 「ねぇ・・・それってさ・・・」
 馬を寄せた蛍丸の目が、剣呑な光を灯す。
 「あんたのせいで、俺は叩き起こされたってこと?」
 身体は小さくとも、大太刀の凄まじい殺気に切り裂かれ、未だ残っていたまやかしが塵となって消え失せた。
 「ま・・・待て待て、坊主・・・!」
 「は?!」
 「いえ、蛍丸殿・・・!」
 今にも斬りかかりそうな蛍丸の気迫に気圧され、慌てて言い換えた則宗が、懸命に手を振る。
 「僕は、元監査官として非常事態訓練の存在を知っていただけで、今回の件には全く関わっていないぞ!
 ちなみにこの場合、政府より『裏切者』に指名されるのは、最も主の信頼厚く、一番長い時間近侍を務めた刀だ。
 この本丸ならば・・・」
 と、彼が閉じた扇子の先で指した天守に佇む姿に、その場の全員がため息をついた。
 「・・・よりによって、文句も言えない奴じゃんか」
 口をつぐんだ蛍丸に代わって、獅子王が唸るようにぼやく。
 「この本丸ってだけでなく、この国で稲荷に逆らおうとする奴なんざ、いねぇわマジで」
 守り刀でも無理、と、首を振るソハヤの隣で大典太も肩をすくめた。
 「願いを聞き届けなければ国中の狐を狩り尽くす、などと言った者もいたがな」
 「その豊臣も結局は・・・いえ」
 言葉を切って、ただ手を合わせた数珠丸に鬼丸も頷く。
 「そもそも政府の差し金だ。
 罰することもできはしないだろうから・・・おい、三日月、情けない顔をするな」
 馬を寄せてきた岩融にもたれて、力なくうなだれる三日月の肩を鬼丸が揺さぶった。
 「・・・刀主面(とうしゅづら)するわけではないが、せめて一言あってもよかろうに」
 「いや、三日月殿!
 小狐丸殿は決して、三日月殿を蔑ろにしているわけではないと・・・三日月殿!」
 ほろほろと涙を零す三日月に岩融が慌てる。
 「ひとまず」
 ぱん、と、手を叩いて、今回の指揮官を拝命した一期一振が視線を集めた。
 「本丸へ戻りますか。
 朝餉でも頂いて、寝直せば気分もよくなるでしょうから」
 笑いながら彼は、機嫌の悪い猫のように馬上でうずくまる蛍丸へと手を伸ばし、怒髪天を衝いてしまった頭を撫でてやる。
 と、馬を寄せてきた明石が、ぺこりと頭を下げた。
 「拗ねてしもうてすんまっせん、一期はん。
 ほら、蛍丸。
 ちゃんと手綱引きぃ。落馬してしまうで」
 「・・・やだ。
 もう、ここにいる」
 「まったくもう・・・。
 すんまっせん。どなたか大太刀はん、手伝うてくれますか?」
 「はいはい。
 よいしょっと」
 明石と蛍丸の間に馬を入れた石切丸が、長い腕に蛍丸を抱き上げ、明石へ渡す。
 「やれやれ、主はんが甘やかすから、すっかりわがままになってしもうて」
 しがみついてきた蛍丸をあやしつつ、手綱を引いた明石が馬首を返した。
 「帰城いたしますか」
 一期一振の言葉に頷いた面々は、気を殺がれたていで、それぞれに馬首を返した。


 「まったく、迷惑なことだな」
 舌打ちした主は、苛立った気をなだめるように秋田のふわふわとした髪を撫でた。
 「秋田、厚も、疲れただろう?
 短刀と脇差は、先に帰って休んでいていいぞ。
 ご苦労様だったな。
 歌仙は残ってくれ。
 白山!
 お前には話があるから、こっちにおいで!」
 「はい、あるじさま」
 主の厳しい口調に怯えた様子もなく、白山は小走りで寄って来る。
 「お前と小狐の他に、協力者はいるのか?」
 「報せは狐会の催しの最中に、こんのすけからもたらされましたので、鳴狐も絡んでいます、あるじさま」
 あっさりと白状した彼に、主は呆れつつも頷いた。
 「では、お前と小狐、鳴狐は御座所に来るように。
 他は休んでよし・・・あ、そうだ。
 朝餉に手を取られてはいけないから、調理不要の非常用携帯食を蔵から出しなさい」
 『大丈夫だよ、主くん』
 スピーカーから、光忠の穏やかな声が響く。
 『城外へ出陣した刀はほとんど働いていないから、僕と、お手伝いできる刀で朝餉用意するよ。
 おにぎりとお味噌汁くらいだけどさ』
 『今朝は筍の炊き込みご飯を仕込んでいたんだ!
 今頃、炊けているだろうし、握るだけでいいから、手間もほとんどないぞ』
 鶴丸の声には、傍らの歌仙も頷いた。
 「出汁も昨日のうちに仕込んでいるから、味噌を溶かすだけでいいしね」
 『その味噌が面倒なんだ。
 そろそろ全国統一していいと思うぞ。仙台味噌に』
 『否!!!!』
 と、多くの声が、鶴丸の提案を否定する。
 続いて喧々諤々と自国の味噌を主張する声が賑やかに混ざりあった。
 「はい、もういいから」
 パン、と、主が手をたたく。
 「皆、本丸御殿に戻れ。
 あとは各々、好きにするといい」
 三々五々散って行く刀達に交じって、御座所へと向かう主は厚と並んで歩きつつ、眉根を寄せた。
 「寝直した後でいいから、今日中に感想戦をしよう。
 私の指示が的確だったかどうか、見直したい」
 「それなら僕も参加しよう」
 半歩後ろを歩いていた歌仙が、横に並ぶ。
 「主が気にしているのは、搦手側に展開した隊を、後で虎口側へ戻したことだろう?
 僕も、あれはどうにかならなかったか、検討したかったんだ」
 「政府への報告と援軍要請の速さは、的確だったと思われます、あるじさま。
 訓練だと気づいた速さも、今までの本丸では一番だそうです。
 厚藤四郎の用い方が功を奏したと思われます」
 共に御座所へ向かう白山が言えば、耳まで真っ赤にして、嬉しそうに笑う厚の隣で、秋田がうなだれた。
 「今度は・・・お化粧道具を忘れないようにします・・・」
 「だから、それはいい」
 思わず笑った主が、秋田の頭をくしゃくしゃと撫でる。
 「守り刀の役目、ご苦労だったな。
 朝餉をいただいたら、ゆっくりお休み」
 「はいっ!」
 門から戻って来た兄弟達に呼ばれ、駆けていく秋田と厚に手を振った主は、母屋へ向き直るや、途端に不機嫌な顔になって足を速めた。


 「で?」
 歌仙を脇に従え、御座所に据えられた籐の椅子に足を組んで座った主は、足置き代わりにこんのすけの腹を踏みつけた。
 抵抗すれば踏み潰す、と脅された管狐は、主が手にした鞭の先で、尻尾を弄られる度にびくりと硬直する。
 「詳しく、聞かせてもらおうか」
 目の前に正座した三振りの刀を睨み回すが、彼らは震えあがるわけでもなく、ただ静かに視線を返してきた。
 「白山」
 鞭の先を向けられた剣が、こくりと頷く。
 「先月の、狐会でのことでした」
 「やぁやぁあるじどの、狐会とは、鳴狐主催の集まりでございますよぅ!
 桜が見事でありましたので、花の下にて鳴狐特製の稲荷寿司やら白山の好物の瓜やらを並べてそれは楽しく・・・」
 「お供の狐は黙っておいで」
 「はい・・・」
 賑やかしく口を挟んで来た狐を黙らせて、主は白山に続きを促した。
 「その際、こんのすけが政府よりの命令を持ってきました。
 小狐丸に、非常事態訓練の指揮をとれ、との命令です」
 「命令書を拝見し、その場で拝命いたしました」
 淡々と言った小狐丸の補足とばかり、また、お供の狐が声を上げた。
 「それはそれは高圧的な命令でありましたよぅ!
 元々反抗的な本丸ゆえ、命令に背けば解体するやら、あるじどのに罰をくだすやら!
 さすがの鳴狐も・・・」
 「狐、黙って」
 ぽつりと言った鳴狐に頷き、主は踏みつけていた管狐を蹴り転がす。
 「則宗、長義。
 白山の通信機と一緒に、こんのすけを離れの塗籠へ連れて行きなさい」
 襖の陰からそっと様子をうかがう刀達のうち、名指しされた二振りがびくりとして、気まずげに御座所へと入ってきた。
 「お供の狐、お前も行って、彼らとお天気の話でもしておいで」
 「通信機・・・!」
 狐を剥がされてしまった白山が、そそくさと去って行く則宗と長義を困惑げに見送る。
 彼らが十分遠ざかったと見るや、再び主が口を開いた。
 「反抗的だからこらしめてやろうと、そう言ってきたのか、本陣は。
 その書面は?」
 怒りに満ちた声をしかし、あっさりと受け流して白山は小首を傾げる。
 「こんのすけが処分しました」
 「そうか。
 歌仙、こんのすけの食事から今後、油あげを抜くように」
 「もちろんだよ、主」
 そのやり取りには、さすがの狐たちも僅かに身じろぎした。
 「文書の件、覚えている限り詳しく」
 問えば、小狐丸が口を開く。
 「表題は確か、『非常事態対策訓練の実施について』でした。
 時候の挨拶ののち、指揮を命じられた刀は、審神者と始まりの五振り、天下五剣には内密にて行うこと、と。
 協力者は上限四振りまで募ることを許可する、とありましたので、その場にいた鳴狐と白山へお頼みしました。
 白山は我々への情報提供と本陣への連絡。
 鳴狐は火事と見せかけるための仕掛けを」
 本物の火は使っていない、と言う小狐丸に、鳴狐が頷いた。
 「屋根の上に熱源を置いて、散水機が稼働するようにした。
 火は使わなかったけど、煙がたくさん出るものを用意して」
 「では、結界を解除したのは、白山の連絡を受けた本陣、門を開けたのは、私が子パスワードを発行した小狐ということか」
 怒りのためか、低い声音の主の前に、小狐丸がこうべを垂れる。
 「はい。
 本陣より指揮を命じられるのは、第一刀と始まりの五振り、天下五剣を除いて最も審神者の近くに侍り、最も長く近侍を務めた刀であると。
 それはおそらく、本丸の秘密を多く知るゆえでございましょう」
 その言葉に、様子を窺う刀達がざわめく気配がした。
 ひそひそと、離間の計、と囁く声も聞こえる。
 激昂したらしい刀が、引き留められている騒ぎも聞こえているだろうに、鞭を手にした主は無言で立ち上がった。
 不安げに見守る者達の目の前で、主が鞭を振り上げる。
 風を切って振り下ろしたそれはしかし、寸前で止め、小狐丸の首に沿わせた。
 「二度目はない。
 次は、私のために政府を裏切れ」
 「・・・御意」
 深々と一礼した小狐丸の姿に、ほっと、辺りから吐息が漏れる。
 しかし、その直後、
 「ぬしさま、このような場で無作法ながら、お頼みしたいことがございます」
 小狐丸が申し出た言葉に、主と歌仙を除く全員が絶叫した。


 一方、離れの塗籠にこんのすけと狐たちを閉じ込めた長義は、扉に閂を落とすや、取り出した自身の端末を弄りだした。
 「なんだなんだ、最近の若いモンはすぐにそういうものを・・・」
 「俺達が追い出された後のこと、知りたくはないのか?」
 愛想なく言った長義は、早足で母屋に戻りながら、本丸内SNSを表示する。
 「こういうことは、加州や鯰尾、鶴丸なんかの物見高い連中が、逐一知らせてくれるんだ」
 「ほぉほぉ!
 どれ、僕にも見せてくれ!」
 「近っ!!
 頬をくっつけるな!!」
 則宗を引きはがした長義は足を止めて、彼にも見える位置に端末を据えた。
 自身らが御座所を出される少し前から辿ると、

 キヨ キツネたちすごくない?!なんで主の鬼の形相に平然としてられんの?!
 ヤス 誰も怯えてないの、さすがすぎー!
 ずお こんのすけとお供の狐がちゃんと怯えてて安心したwww
 ばみ うちの狐たちがごめんなさい “(´・ω・`)コン

 と、コメントが表示されていた。
 「なんだい、こりゃ?
 彼ら、同じ場所で同じものを見ているんだよなぁ?
 なぜ、ここに書く必要があるんだい?」
 と、則宗が首を傾げる。
 「あなたもあの場にいただろう?
 こっそり様子を伺っている時に、声は出せないだろうに」
 「なるほど!」
 それでこのSNSかと、則宗は頷いた。
 「この辺りは俺達もいたな。
 いなくなった後は・・・」

 キヨ はぁぁあ?!本陣、ムッカつく!!
 ヤス なにそれひどい!!小狐丸さんたち、悪くないじゃんねぇ?!
 和泉 おい!之定止める人数確保しとけよ!あいつ、本陣の連中を斬りに行くかも知んねぇぞ!
 そね そういうことは冗談でも言うな!
 ハニ 冗談なものか!これだから贋作は呑気だと言うんだ!
 まん 歌仙は無表情の時が一番危ないからな。どうやったら順序良く殺せるか、考えている顔だ、あれは。
 吉行 画像検索したら『虐殺』て出て来る顔ぜよ、あれは。

 よほど激昂しているらしく、他にも同じタイミングで大勢がコメントを投稿している。

 小竜 俺、こういう卑怯なの、嫌いなんだよね。
 にゃ このようなことを離間の計、というのさ。清廉潔白を好む君から見れば、唾棄すべき行いだね。
 花  雲はれぬ 浅間の山の あさましや 人の心を 見てこそやまめ
 南海 同意だが、君が言うのかい?
 花  わたくし、政府権限の顕現ですけれど、あさましいやり方は好みません。
 地蔵 まったくだ、あさましいことこの上ない。
 忠弘 同意

 「なるほど、追い出された僕達元監査官と、残った古今伝授達の違いはここか。
 水心子と清麿の意見も聞きたくはあるが、彼らは遠征中だしねぇ」
 うんうん、と頷く則宗に、長義は『そうだな』とそっけなく呟いた。
 続いて、

 ギネ 大包平おさえんの、手伝えよ!!って、デカいの俺しかいねぇ!!
 つる デカい連中は神格高いもんなぁ。ジジィ太刀には期待するなよ、折れてしまうwww
 獅子 蜻蛉切は遠征だし、日本号は興味ないっぽいし、覗き見なんかに付き合ってくれるの、御手杵しかいねぇし。ガンバレ( `ー´)ノ
 光忠 はいはい、僕やりまーす。長船の子達、手伝ってー。

 「おいおい、坊主よ・・・。
 この坊主たち、どういう状況なんだい?」
 「大包平を押さえつけながら呟いている、という状況だな」
 「どっちかにしちゃ、いけないのかい?」
 「いけないんだろう」
 長義も呆れながらスクロールすると、いきなり色とりどりの文字が躍り出す。

 キヨ ちょっ・・・主ー!!!!
 ヤス 歌仙さん!!とめたげてええええ!!
 和泉 之定は止めねぇよ!
 堀国 なんで自慢そうなの、兼さん!
 ずお いやああああああああああ!!だめえええええええええ!!
 ばみ あああああっΣ(TДT )やめてー!やめたげてえええ!!∴(TДT)∴

 「・・・骨喰の坊主は、こちらだと感情豊かだな」
 呆れる則宗に、長義は『いつものことだ』と頷いた。
 「しかし、悲鳴だけではなにがなんだか・・・」

 キヨ よかったああああああああ!!も、主、本気で殴るかと思ったああああ!!

 「おぉ、そんなことになっていたのか。
 顕現して日の浅い僕ですらわかる、寵愛ぶりなのになぁ」
 「離間の計は俺も賛成しかねるが、これをやられればどこの主従も・・・」

 キヨ マジで?!
 ヤス うっそおおおおおおおおおおおおおおお!!!
 ずお 泣く?!主、泣く?!
 小竜 さすが刑部姫!表情変えない!
 ばみ 代わりに俺が泣く・・・∴(´Д⊂ヽ∴
 光忠 歌仙君、無表情だけどあれ、頭の中フル回転してるよ。主くんの世話、誰に押し付けようかって。
 にゃ 暇だから、俺がやろうかな?
 巴形 俺がやる。事情はよく分からんが、今から行くから誰も触るな。
 光忠 ダメだよ、巴くん。もうすぐ静くんが帰って来るでしょ。そしたら交代で遠征でしょ。
 巴形 もう一度行かせればいい
 ヤス 怒られるよ!

 「骨喰の坊主が泣くような、何が起こったんだろうな?
 狐は閉じ込めたし、僕達も戻っちゃいけないのかな?」
 そわそわとする則宗に、長義が眉根を寄せた。
 「急いで戻ろうとした俺を足止めしたのはあなただが?」
 「お?
 おぉ、そうだったかな?」
 ならば行こう!と、則宗に急かされた長義は、舌打ちしそうな顔で母屋に向かう。
 「しっかし、この本丸の連中は賑やかだなぁ!
 声を出せない状況でも、こんなに大騒ぎをするんだからなぁ!」
 「俺からは見えない場所で騒いでいる連中もいるだろう。
 日光が、こんな情報を放置すると思うか?」
 「お?
 ・・・ふむ」
 ポケットから自身の端末を取り出した則宗は、『メッセージあり』の表示をタップした。
 「なるほど、我が一家では猫の坊主が密偵になって、情報を送っていたようだ。
 悲鳴なんかない、正確な情報だぞ。見るかい?」
 「はっ!
 猫殺し君が、どの程度の情報を集めるものかな!」
 「まったく、意地が悪いなぁ、長船の坊主は。
 ネコチャンだって、頑張ればできるんだぞ」
 ほら、と見せられた端末には、少なくとも悲鳴ではない状況が時系列で報告されている。
 「しかしなんでまた、うちの主は、鞭なんてものを持っているんだろうなぁ。
 乗馬用かい?」
 悔しそうな長義へ、くすくすと笑いながら聞いてやると、彼は可愛げなく鼻を鳴らした。
 「亀甲からの贈り物だそうだ。
 あいつ自身にはまだ、使われていないそうだが」
 「使ってあげればいいのにねぇ。
 そういうところがまた、意地悪なんだよなぁ」
 やれやれと肩をすくめた則宗は、苛立った足取りで先を行く長義の前に回り込み、不機嫌な顔を覗き込む。
 「元監査官としては、どうしようか?
 今後の主の動きを注視して、政府へ報告するか。
 それとも、今はこの本丸の一振りとして、主に従うか」
 「決まっている」
 鼻を鳴らして、長義は前を、その先にある御座所を見遣った。
 「我が主の御意に従うのみ」


 「ちょっとヤス、なんでそんなに泣いてんのー?
 顔、ぐちゃぐちゃだよ」
 御座所で主と狐達のやり取りを見聞きしたのち、清光は泣きじゃくる安定をなだめつつ梅の間に入った。
 「だっで・・・!!」
 清光から渡された手拭いで顔を覆って、安定はしゃくりあげる。
 「ぐやじい・・・!
 キヨは本陣からも忠義者って認められてるのに、僕は命じれば裏切るって思われてるなんて!!」
 「はっきりと言われたわけじゃないが、そういうことになるな」
 既にこの部屋にいた鶯丸が、淡々と茶をすする横で、大包平は卓に手を叩きつけた。
 「舐めた真似を!!」
 強烈な一撃に、茶器が卓の上を跳ね回る。
 「おい、やめろ大包平。
 壊すと片付けが面倒だ」
 「危ないから、これはどけておくよ」
 と、まだ使っていない茶器を盆に載せて、傍らに置いた蜂須賀の隣では、浦島がやはり悄然と俯いていて、苦笑した彼は慰めるように頭を撫でてやった。
 と、浦島が涙目で蜂須賀を見上げる。
 「・・・選ばれたのが俺だったら、どうなったのかな。
 蜂須賀兄ちゃんは、はじまりの五振りだから相談できないし、長曾祢兄ちゃんに言えば、新選組に迷惑がかかるし、俺一人だったら、本当にこの本丸を燃やしちゃったかもしれない」
 「あぁ、そうだな。
 大包平なんか、選ばれたが最後、跡形もなく破壊したかもしれないな」
 「俺は!
 天下五剣に匹敵する刀だぞ!
 なのに!なぜ除外されていないんだ!」
 「ねぇ!
 今日の愚痴吐き場、ここ?!」
 大包平の大声を聞きつけたか、小竜が声を荒らげて乗り込んで来た。
 「なんなの、政府?!
 俺、今までは主の反骨精神に呆れてたけど、今回は全面的に同意するから!
 また政府がなんかやってきたら、絶対主に味方して反乱起こすから!」
 いつも飄々としている彼が、珍しく激昂する様に、安定は泣くことを忘れて呆気にとられる。
 「あー・・・ねー」
 安定と小竜を見比べて苦笑した清光は、小竜に座るように促した。
 「それは俺も大さんせーい。
 次やったら、ただじゃ置かないけど・・・さ」
 ねぇ?と、見遣った蜂須賀が、苦笑して頷く。
 「お前達は、本当に初期の・・・小狐丸もまだいなかった頃の本丸を知らないからな」
 「えっとー・・・。
 主さんが、すごく荒ぶってたって頃?」
 鯰尾たちから聞いた、という浦島に、蜂須賀は頷いた。
 「凄まじかったぞ。
 この戦が始まったばかりの頃は、政府自体も右往左往していて、朝令暮改も多くてな。
 突然時空門が閉じて本丸に帰れなくなったり、かと思えば、よその本丸と同じ戦場でかち合って、危うく同士討ちになりかけたり。
 その度に、主は凄まじい勢いで政府に抗議していたんだ」
 「本当だったらさ、こういうのは第一刀が止めるの。
 まずは穏やかに話し合いましょうよ、ってなるの。
 なのに、うちの第一刀は歌仙でしょー。
 あいつ、止めるどころか自分から抗議文書いたりするからさ、もう、武闘派本丸大変よ」
 ため息をつく清光に、鶯丸は感心したように頷く。
 「なるほど、それで『反抗的な本丸』というわけか」
 「あの頃の山姥切が必死に止めに入った、ってだけで、どんだけすごかったか、察してほしいなー」
 「知るか!」
 「だったら今!また荒ぶる時じゃない?!」
 と、既に荒ぶる大包平と小竜に、清光と蜂須賀が、揃って手を振った。
 「うん、だからさー」
 「この6年で、主は正しい『喧嘩のやり方』を学んだんだよ」
 「つまり?」
 くすくすと笑い出した鶯丸へ、二振りは悪い笑みを向ける。
 「味方は、多い方がいいよねー?」
 「その上で、本陣が二度と手を出したくなくなる作戦が今、進行中だろうさ」
 くすくすと、笑声をあげる二振りの様子に、荒ぶっていた大包平と小竜が、気をのまれて黙り込んだ。
 「よりによってうちに手を出したこと、心底後悔することになるよ。
 ヤスを泣かせた罰は受けてもらうからさ・・・ねぇ?」
 にやりと笑う清光に、蜂須賀も妖しい笑みを浮かべる。
 「俺の弟にこんな顔をさせた罰も受けてもらわないとな。
 反抗的な本丸からの嫌がらせ、存分に受けてもらおう」
 古参組の意味深な笑顔に、大包平と小竜は訝しげな顔を見合わせた。


 昼を過ぎると、寝直していた短刀達が徐々に起き出してきた。
 畑へと手伝いに出て来た五虎退と秋田へ、桑名は収穫したばかりの枇杷を差し出す。
 「今朝は大変だったね。
 短刀と脇差は一番動き回っていたし、秋田は守り刀だったし」
 目深に下ろした前髪のせいで、ほとんど顔は見えないが、優しい声音の彼に二振りは嬉しそうに頷いた。
 「と・・・虎くんが頑張ってくれたので、たくさん敵を見つけられました・・・」
 「主君はすごく怒っていましたけど・・・僕、ちょっと、わくわくしたんです。
 今日、守り刀で良かったなって」
 「うん、偉かった偉かった」
 軍手を外した手で頭を撫でてやる桑名の背に、しかし、恨みがましい声がかけられた。
 「私も頑張った脇差なんだけど!」
 褒めてもらってない!と、頬を膨らませる篭手切を、桑名はついでのように撫でる。
 「はいはい、えらいえらい」
 「心がこもってないし、そう思うなら休ませて!!」
 「そうだそうだ!!」
 と、豊前も収穫物がぎっしりと詰まった背負い籠を下ろして喚いた。
 「走り回っちゃいないが、俺らも投石でがんばったのに!なんで休みなしで畑仕事!!」
 「もう休ませて・・・土に埋まりたい・・・」
 うずくまってしまった松井の後ろで、村雲もへなへなと座り込む。
 「むりぃ・・・!」
 「雲さん、しっかり」
 村雲の上に屈みこんだ五月雨が、桑名を見遣った。
 「もうそろそろ、短刀達と交代して良いのでは?」
 自身は桑名と同じく、平然としていながら提案する五月雨に、彼は呆れたように肩をすくめる。
 「まったく、体力ないんだから」
 「なにおぅ!」
 「はいはい、体力ないですぅー。
 だからもう休ませてよっ!!」
 激昂する豊前を引き留めて、松井が拗ねた口調で言った。
 苦笑した五月雨は、へたり込んでしまった村雲に肩を貸して立ち上がらせる。
 「頼めますか?」
 小首を傾げる彼に、短刀達は頼もしく頷いた。
 「まかせてください!
 こう見えても僕達、畑のお仕事は長いんです!」
 「が・・・がんばります」
 「僕はまだここにいるよ。
 ・・・明日は最後まで働いてもらうからね」
 桑名にじろりと睨まれた篭手切は、しかし、思いっきり舌を出す。
 「なんだよ、桑名の畑内独裁者!」
 「俺の速さは畑じゃ発揮できねぇし!」
 「・・・寝る。
 もう無理、寝る」
 と、豊前の背におぶさった松井の隣で、五月雨に支えられた村雲は声もない。
 早く切り上げた方がよさそうだ、と判断した五月雨は、
 「よろしくお願いしますね」
 と、短刀達へ会釈して母屋に戻って行った。
 「く・・・桑名さんは・・・休まなくていいんですか?」
 「そうです、ちゃんと寝ないとだめですよ」
 気づかわしげな五虎退の隣で、きりっと目を吊り上げて秋田が言うと、桑名は微笑んで頷く。
 「きりがいいところまでやったら、ちゃんと寝るよ。
 頑張りすぎていいことはないけど、やることはやっておかないと、この子達は自分で水を飲みに行けないし、虫も殺せないからね」
 「や・・・薬研兄さんも、薬草に水やりだけして寝るって・・・そう言えば」
 「薬研兄さんは、そのまま薬房で寝られますからね。
 心配はしてませんけど・・・」
 「ちゃんと休むよー」
 ホントだって、と、秋田に睨まれた桑名が、くすくすと笑った。
 しかしすぐに、放置された背負い籠を見回して、ため息をつく。
 「荷車持ってこなくちゃ。
 ・・・兄弟達、明日はこき使ってやる」
 明日の畑は苛酷になりそうだと、秋田と五虎退は、苦笑を見合わせた。


 同じ頃、城壁の検査をしていた長谷部と同田貫の元へ、博多が駆けてきた。
 「待たせたや?」
 「いいや?
 こちらの調査は、まだしばらくかかるからな」
 「報告書は持って行くつもりだったから、母屋に居ていいぞ」
 とは言われたものの、博多はいたずらっ子のような笑みを浮かべて首を振る。
 「主人が、せっかくやけん、修理予定やった城壁やら石畳やらば、こそっと加えとけ言いよんしゃると。
 最初に作った三の曲輪やら、門の辺りは傷んどう所があろうが。
 そこいらの修復費も、本陣に払わせるばい」
 「そりゃいい考えだ。
 朝っぱらから叩き起こされた挙句、無駄な労力使わされたんだ。
 割増しで請求しろよ」
 同田貫が言うと、長谷部も眉根を寄せて頷いた。
 「主の命を受けて以来、5年をかけて作って来た城郭が、こんなくだらないことに使われたんだ。
 修繕用資材に金を惜しむことなんかない」
 言いつつ、長谷部は図面に凄まじい勢いで×印をつけていく。
 その様に、背伸びをして覗き込んだ博多が苦笑した。
 「やっぱ、銃やった?」
 「あぁ、三の曲輪に攻め込んだ連中を排除するのに、かなりの銃弾や矢が飛び交ったからな。
 しかも実体がない連中だから、素通りして威力はそのままに城壁に当たったんだ。
 そのせいで漆喰はボロボロだし、石畳も傷だらけになってしまった。
 ・・・まぁ、石畳の傷は、槍や薙刀の連中が石突をぶつけるせいでもあるが、これも被害として計上してやろう」
 くつくつと、長谷部が悪い笑声をあげる。
 「門の外はどこまで計上していいんだ?
 馬出までは縄張り内だからいいとして、その向こうもだいぶ大砲と投石で地面に穴開けてるぞ」
 同田貫が城壁の外を指すと、長谷部の顔がますます邪悪に歪んだ。
 「実際に攻城戦があった際に、馬が足を痛めてもいけない。
 更地にする費用も入れておこう。
 そうだ、本丸御殿内も、だいぶ土足で走り回ったからな。
 清掃代と畳の表替え代も入れてやろう。
 これから暑くなるし、真新しいイ草の香りは随分と清々しいだろうな」
 「悪か顔しとうばい」
 そういう博多も、中々に邪悪な笑みを浮かべている。
 「今回は後藤もこっちの味方やけんね、遠慮せんでよかよ」
 「あ、だったらついでに、筋トレ部屋の拡張もやっちまっていいか?」
 図面の間取り図を指して、同田貫がにやりと笑った。
 「両隣の壁取っ払うだけなんだが、槍か大太刀にでも頼んで、壁破壊の被害状況捏造しようぜ」
 「そうだな。
 宴会ではしゃいだ連中が破いた障子や襖の補修代も入れておこう。
 主に対して無礼を働いた代金としては、安いものだ」
 「そうくさ、主人のことやけど」
 図面に筆を走らせる長谷部を、博多が見上げる。
 「あら、だいぶ腹かいとんしゃーね。
 小狐丸のこともあってから、ばり機嫌の悪かごたぁけん、長谷部も気ぃつけとかんといかんばい」
 「言われるまでもなく、あいつがいない間は俺が・・・」
 「やっぱ、わかっとらんやった」
 長谷部の言葉をすっぱりと遮って、博多は両の手を腰に当てた。
 「オィが言いようとは、今回の小狐丸達のやったことば、責めたらつぁーらんぞ、ってことばい。
 元々長谷部と小狐丸は、仲の悪かごたぁけん、この機に追い落とそうやら考えたら、主人が困りんしゃあよ、ってことやが」
 「誰がそんなつぁーらんことするか!
 見くびるっちゃなか!!」
 反駁すると、博多は言質を取ったとばかり、にんまりと笑う。
 「そいでこそ黒田の刀やが。
 長谷部が、この件で小狐丸達のやったことば不問にする、って言うてやったら、主人も安心しんしゃーやろ。
 なにしろ・・・」
 言いかけて、博多は首を振った。
 「よかよか。
 今回は鳴狐と白山も噛んどーけん、粟田口も気まずかっちゃん。
 本陣が、この本丸の和ば乱すことば企んどうとやったら、のってやることはなか。
 せいぜい、眼ン玉の飛び出るごたぁ金ば取ってやろうばい」
 と、悪い顔で笑う。
 ややして、
 「ここにおってもオイのやることなかけん、母屋で待っとーよ」
 と言い残して、行ってしまった。
 「釘を刺されたな」
 にんまりと笑う同田貫に、長谷部は鼻を鳴らす。
 「別に。
 俺が小狐丸の立場だったら、と考えただけだ。
 主を裏切るなど、考えるだけでおぞましいが、ここまでのことを淡々とやってのけたのはさすがに狐だと、むしろ感心したぞ」
 「鳴狐と白山もな。
 俺は御座所に行かなかったが、相当な厚顔ぶりだったそうだな」
 にやにやと笑う同田貫から、長谷部は気まずげに目をそらした。
 覗き見など、不埒な行いだとは思ったが、彼らがなぜ政府の意に従ったのか、聞いておきたかったのだ。
 「効果は最大限、被害は最小限。
 狐らしいやり方だったぞ」
 「そうか、なら・・・」
 と、同田貫は自身が持つ図面を手の甲ではたいた。
 「狸もせいぜい、本陣を化かしてやろうぜ!」
 「・・・おい、待て。
 俺は狸組なのか?」
 眉根を寄せる長谷部へ、同田貫は右の親指を立てる。
 「行くぜ、狸二号!」
 「俺も狸なのか?!」
 納得いかない!と抗議しながら、長谷部は先を行く同田貫の後を追った。


 「主くん、ご希望通り、珈琲をポットで持ってきたけど・・・。
 寝なくていいのかい?」
 御座所の執務机の上に、茶器と茶菓子を置いた光忠が、眉根を寄せて携帯端末を操作する主へ首を傾げる。
 「今日の出仕はお休みにしたんでしょ?
 寝なよ」
 「いや、せめて宿の常連客には知らせておかないと」
 言って、主は光忠を手招いた。
 「笑って」
 「OK!」
 突然カメラを向けられたにもかかわらず、完璧な笑顔で応えた光忠が、また首を傾げる。
 「どうするの?」
 「本陣には内密で各方面へ情報提供するのに、鯰尾が隠れて使っている飛ばし携帯を取り上げたんだ。
 送信者も匿名で送るから、常連客にだけはわかる何かを添えておかないと、迷惑メールとして処理されてしまう」
 「証明って、僕でいいの?」
 端末のストラップが、鯰尾の紋であったことに気づいて苦笑する光忠に、主は画面から目を離さないまま頷いた。
 「背景の鴨居の紋は、我が家の紋だからな。
 宿の案内パンフレットの表紙にも載せている」
 「あ」
 一見、なんの変哲もない写真にヒントを添えたのかと、光忠は笑い出す。
 「鯰尾君の端末と言い、随分気を付けているんだね」
 「反乱分子としては、当然だろ」
 「反乱を起こす気、満々だねぇ」
 「千年以上前から対外防衛している土地に生まれ育ったんだぞ、私は。
 まつろわぬ民以上に戦闘民族だとも・・・極秘事項につき、他言無用、っと」
 悪い笑みを浮かべて、主は長文のメールを送信した。
 「お知らせした本丸の則宗が、監禁と尋問を受けるのだろうな。
 各本丸の尋問係が、情のある刀だとよいのだけど」
 「思ってもないことを言うよね」
 ところで、と、光忠は眉根を寄せる。
 「本当に、お見送りしなくていいの?
 小狐丸さん、もう行っちゃうよ?」
 無言になってしまった主に、光忠は苦笑する。
 「信賞必罰は大事だけどさ、今回は、小狐丸さん達が悪いわけじゃないでしょ。
 信長公だって、謀反を起こした松永久秀を許したんだよ?
 不問にしてあげなよ。
 さもないと・・・」
 と、光忠は肩越し、回廊を見遣った。
 「主くんが、泣いて馬謖を斬るんじゃないかって、みんなが心配してるよ」
 「そこまで頑なじゃない」
 回廊に多くの気配を感じて、主はやや、声を大きくする。
 「もちろん、小狐丸のことは許しているし、そもそも彼らに罪があるとは思っていない。
 ただ、ここで甘い顔をすると、私のお気に入りだからあっさり許されたんじゃないか、なんて疑念が全くわかないわけでもないだろう。
 ならば、彼のためにも禊を終えるまでは近づくな、ということだ」
 「・・・十分頑固だよ」
 苦笑しつつも、ほっとした声音で言った光忠が立ち上がる。
 「もう、厚くんと歌仙くんを呼んでいいのかい?」
 「厚が起きたのなら、いいぞ。
 歌仙はなにか用事か?」
 「うん。
 主くんの代わりに、小狐丸さんのお見送り」
 「そうか・・・」
 気になる様子の主に、光忠は小首を傾げた。
 「行っておいでよ、寂しいんでしょ?」
 しかし、無言で首を振る主に苦笑して、光忠が御座所を出ると、回廊からそっと様子を伺っていた刀達が、慌てて散って行く。
 「さっきも見てたのに・・・って、そうか。
 さっきは寝てた子達か」
 第二群だ、と光忠は、回廊の陰から様子を伺う短刀達へ声をかけた。
 「小狐丸さんはしばらく留守だから、主くんに遊んでもらうなら今がチャンスだよー」
 途端、わぁっと歓声を上げて、短刀達が駆け戻ってくる。
 「おやつ、持ってこようね」
 くすくすと笑いながら、光忠は小鳥の群れのように騒がしい短刀達へ手を振った。


 「全く・・・!
 俺には内密で、という命令があったことはわかったが、ほのめかす手だてもあったろうに」
 旅支度を終え、出立の間へ向かう小狐丸の後を、三日月がぼやきながらついて行く。
 「俺はまたてっきり、お主が勝手をしたものかと、胸の潰れる思いだったのだからな」
 「またそのような戯言を」
 先を行きながら、くすくすと笑う背中を、三日月が睨みつけた。
 「戯言であるものか。
 お主に関しては、どうにも呑気でいられぬのだからな!」
 「そうだぞ、小狐丸殿。
 三日月殿のご心痛たるや、大変なものだったのだからな。
 少しは悪びれる様子でも見せたらどうだ」
 岩融にまで苦言されて、小狐丸は足を止める。
 「あいすみませなんだ。
 三日月殿はじめ、皆様にご心配をおかけしたこと、お詫び申し上げまする」
 振り返り、深々とこうべを垂れた彼に、石切丸が肩をすくめた。
 「まったく、頑固だよねぇ君は。
 主やこの本丸のためとは言え、三振りだけで全てのことを済ませてしまうなんて。
 せめて、私には相談しようと思わなかったのかな」
 「そうです。
 ぼくや岩融は・・・その、かおにでちゃうから、いいにくかったとおもいますけど。
 石切丸さまには、ごそうだんすればよかったとおもいます!」
 頬を膨らませた今剣には微笑んで、小狐丸は顔を上げる。
 「本陣よりの命とはいえ、ぬしさまを裏切ることは大罪。
 一族に累を及ぼすわけには行きませぬ」
 「粟田口はよいのか」
 「大して気にはとめておられませぬよ」
 身内から二振りもの裏切者を出してしまった粟田口だが、確かに鬼丸も一期一振も、苦笑する程度で特に咎めだてはしていない様子だ。
 「これだから狐は・・・」
 「油断ならぬのが、狐の性でござりまするよ」
 「ホントに、油断ならなかったよ」
 ぱたぱたと早足に寄って来た髭切が、にこにこと笑いながら包みを差し出す。
 「はい、差し入れー。
 旅の途中ででも食べてよ、お饅頭」
 微笑んでいながら、笑ってはいない眼で睨みつけてくる彼に、小狐丸は愉快そうな笑みを返した。
 「なるほど、洒落が利いておられる」
 「しゃれ・・・?」
 身体ごと傾いだ今剣に、兄を追って来た膝丸がうなだれるように頷く。
 「実は・・・天守前広場に集まっていた際、兄者は主の首を狙っていてだな・・・」
 「ずっと白山が邪魔するんだもんー!
 あれ、君の指示だよね?
 主に近づけないどころか、どんどん遠くに押されちゃってさ。
 悔しいから、首の代わりのお饅頭、あげる」
 「なるほど・・・。
 守り刀の白山が、なぜ主から離れた場所にいるのか、不思議だったのだけれど」
 苦笑する石切丸に、今剣が大きく頷いた。
 「つうしんじょうきょうが、わるいのかとおもってました!」
 「通信状況は、悪くありませんでした」
 と、いつも肩に乗せている通信機を取り上げられて、居心地が悪そうな白山と、大きな包みを抱えた鳴狐が歩み寄って来る。
 「本丸内戦闘時、髭切があるじさまの首を狙うだろうからと、小狐丸より指示され、あるじさまの護衛任務に就いていました」
 「その通りだった」
 ちらりと、髭切の笑顔を見遣った鳴狐は、手にした包みを差し出した。
 「いなり寿司、食べて」
 「ありがたく」
 お供の狐を取り上げられて、寡黙な鳴狐へ、小狐丸はにこりと微笑む。
 「わたくしからは御神酒を。上(しょう)へよろしくお伝えください」
 「承った。
 御饌(みけ)も神酒(みき)も、これだけあれば、山にこもったとて困りそうにありませぬな」
 「・・・野垂れ死ぬならそれまでよ」
 「戯言を」
 むくれてしまった三日月にくすくすと笑って、再び歩を踏み出した小狐丸の後を、今剣が跳ねるようについて行った。
 「どこにいきますか?
 いちじょうのみかどのところですか?
 それとも、おもうさま(お父様)のところですか?」
 「さようですな。
 やはり、生みの親の顔は見とうござりまするな」
 「いいなぁ!
 ぼくも、ついていきたいです!」
 「無茶を言うな」
 苦笑して、岩融は跳ね回る今剣を抱き上げる。
 「一期殿ではあるまいし、修行について行くなど・・・そういえば膝丸殿、結局、髭切殿の修行には・・・」
 「こっ・・・!
 小狐丸殿、よくぞ兄者を止めてくれて、感謝するぞ!
 なにしろ、俺一人では歯が立たなくてな!
 白山が協力してくれて、助かった!」
 慌ててまくしたてる膝丸を、白山は不思議そうな顔で見上げた。
 「大変うまく行ったと、わたくしも思います。
 わたくしは監査官ではありませんが、権限があったなら、優を付与したでしょう」
 「うん、がんばった」
 「自画自賛と言われなくば良いがな」
 まだむくれている三日月に、石切丸が苦笑する。
 「機嫌を直せとは言わないけれどね。
 あまり責めるものではないよ」
 と、いつしか大人数となってしまった見送りと共に小狐丸が出立の間に入ると、そこには歌仙が、腕を組んで立っていた。
 「やぁ、小狐丸。
 せっかくだから、見送りに来てあげたよ」
 「これはご足労を」
 にこりと微笑むと、歌仙は袖にしまっていた腕をほどき、紙片を差し出す。
 「栞・・・でございますか」
 雪割草の押し花が添えられた紙片には、
 『惜しむから 恋しきものを 白雲の たちなむのちは なに心地せむ』
 の歌が、細い筆で書かれていた。
 「・・・あなたが旅立つと知って、今から寂しい思いをしているのに、旅立ってしまった後はどんな気持ちになるのだろう。
 これは、ぬしさまのお手蹟ですね・・・」
 「僕が旅立つ際に、渡されたものさ。
 主の見送りの代わりに、君に貸してあげよう」
 自慢げな笑みには、さすがにむっとしたものの、すぐに笑みを浮かべて礼を言う。
 と、歌仙は見透かしたように苦笑を返した。
 「主は、見送りたくても見送れないだろう。
 今回のようなことがなければ、
 しひて行く 人をとどめむ桜花 いづれを道と惑ふまで散れ
 とでも、嘆いたことだろうさ」
 季ちがいだけど、と笑う歌仙に頷き、小狐丸は見送りの面々に向き直る。
 「立ちわかれ いなばの山の峰におふる 松としきかば 今かへりこむ」
 一礼した彼の袖を、今剣がつい、と引いた。
 「ちゃんとかえってきてくださいね。
 そのときはきっと、あるじさまもおこってませんから!」
 「四日だよ。
 それ以上は、機嫌の悪い主の元になんか、いたくないからね、僕は」
 「いや、歌仙・・・。
 君、そんなに我慢しないよね?
 むしろ、今まさに放置しているよね?」
 呆れたように言った石切丸が進み出て、小狐丸の肩に手を添える。
 「旅の安全を祈るよ。
 主のために・・・いや、この本丸のために、無事で帰ってくるんだよ」
 「なんだなんだ、石切丸殿まで!
 主を大厄かのように言うものではないぞ!」
 「いや、鬼でしょ」
 「否定はしない」
 岩融の言にすかさず突っ込んだ髭切の隣で、膝丸も深く頷いた。
 「ご武運を」
 「また・・・狐会、しよう」
 言葉少なな白山と鳴狐にも頷き、小狐丸は踵を返す。
 「行って参ります」
 肩越しに微笑んだ小狐丸から、ふいっと顔をそむけた三日月を、周り中から伸びた指がつついた。
 「・・・ふん。
 古来征戦、幾人か回(かえ)る」
 よりによって涼州詞などを持ち出した彼を、更に強く周りがつつきだす。
 「土産に葡萄の美酒と夜光の杯、と行きたいところですが、ご容赦を」
 くすくすと笑って行ってしまった小狐丸に肩をすくめ、三日月はそっと苦笑を浮かべた。


 見送って来たよ、と、歌仙が白山と鳴狐を連れて御座所に入ると、そこには既に、厚、博多、後藤、長谷部と同田貫が、広い卓を囲んで座っていた。
 歌仙らが空いた席に座ると、頷いた主が口を開く。
 「今回起きた件は、宿の常連客や、昵懇の方々にお知らせしておいた。
 ここでまとめた詳報を、のちにお送りする、と伝えている。
 物理防御のために張っておいた鋼線が役に立ったことを伝えれば、見積依頼が来ることもあるだろうから、博多、用意しておくように」
 「了解ばい!
 こっちは、何割か引いてやってもよかろうか。
 ここで宣伝してもろうたら、あとの商売につながるけん、期間限定割引キャンペーンば張っとこうか」
 「任せる。
 長谷部、同田貫、被害状況の検分はまだかかりそうか?」
 「いえ、今回の戦闘における被害状況は検分済みです」
 「元々修復予定だった場所も加えてんだが、あからさまなのは、さすがに弾かれそうなんでな。
 その辺はあんたも一緒に検討してほしい」
 長谷部が差し出してきた書類を一通り見た主は、同田貫が赤で印をつけた項目に頷く。
 「後藤、この辺りはお前の方が詳しいだろう。
 本陣に突き返されない書類づくり、頼んだ」
 「わかった!
 俺は、本陣側の目でチェックするから、どうしても忍び込ませたいものがあったら印付けといてくれ。
 別項目に加算しておくよ」
 「いい心がけだね」
 理系連中の企みに思わず笑ってしまった歌仙は、半身を乗り出して目を輝かせる厚を見遣った。
 「さて、出番だよ」
 「よっしゃ!感想戦、やろうぜ!」
 跳ねるように立ち上がった厚はコントローラーを握って、天井に取り付けられた、高性能プロジェクターを起動させる。
 蜘蛛に似た形のそれは、正方形の箱の形をした胴体の、四つの側面からそれぞれ映像を放ち、四方の壁に映し出した。
 と、襖が開いて、遠征から帰ったばかりの刀達が顔を出す。
 「すまん、邪魔をする。
 俺達がいない間、本丸内で戦闘があったと聞いた」
 まず声をかけて来た静型薙刀に厚が頷くと、彼の背後から水心子と清麿も顔を出した。
 「感想戦をやると聞いたので来た。
 一緒に聞かせてほしい」
 「詳細が出るまで待つのはもどかしいからね」
 にこりと笑った清麿に、その場の全員が頷く。
 「松の間に移動しよう。
 感想戦、参加したいものは松の間へ。
 打刀ホ組、太郎、次郎も参加してくれ、と」
 早速席を立ちながら、主が全員の端末へ、メッセージを一斉送信した。
 厚がプロジェクターを操作すると、それは蜘蛛に似た足で天井を移動し、回廊を通って松の間へと入る。
 本丸で一番広い部屋では、さすがの高性能プロジェクターも解像度が落ちたが、不自由するほどではなかった。
 ピントの調整をしている間に、希望者はほぼ揃い、視線を集めた厚が、得意げに咳払いする。
 「えー・・・。
 本日はお日柄もよく・・・」
 「早く始めろよ。
 こちとら暇じゃねぇんだ」
 すかさず突っ込んだ薬研に舌を出して、厚はプロジェクターのコントローラーをポインターへ持ち替えた。
 「まずは天頂側から検証しよう。
 鋼線の防御で、敵の侵入自体は防げたな」
 と、厚はドローンが記録した本丸内の動画で、天頂部分を撮影した画面を示す。
 「索敵に出た短刀と脇差は間近で見ただろうが、天守前広場からじゃ、よく見えなかっただろ?」
 問えば、長物達が頷いた。
 「結構な躯が、鋼線に引っかかっていたのだな」
 遠征中でこの場にいなかった祢々切丸が、忌々しげに眉根を寄せるが、それには首を振って厚が続ける。
 「政府・・・いや、本陣が設置する、呪術的結界を破って侵入した敵を、物理的に破壊する二つ目の罠として設置したが、全てを完全に壊したわけじゃないから、引っかかった躯を足場にして放火されたって風に見えるな。
 けど俺は、本当にこの展開になったとは思わない。
 火は鳴狐が内側から仕掛けたものだし、敵も本陣が放ったまやかしだからな。
 そもそも、本陣が張る呪術的結界、あれは中々頑丈で、短刀や脇差、それに多分、剣も、破壊するには威力が足りない。
 つまりは、上空から攻め込むのは少なくとも打刀以上の体躯と自重がないと弾かれちまう。
 それに打刀つっても長曾祢クラスならともかく、軽い連中じゃ無理だ。
 だからここは、太刀以上と想定するが、呪術的結界を破った時点で多くはダメージを受けているのに、その下の物理的防御としての鋼線に、身体の一部をひっかける程度とはいえ、破壊されない奴はいないと思う。
 身長160cm以上と想定して、鋼線の上に立つこともできない幅に設定してるからな」
 「あれは鋼線と言っても、線状の刃だ。
 鳩や雀程度の鳥なら、線の間を通って出入りするから問題ないが、カラスほどの大きさになると、羽が切り裂かれるぞ。
 それ以上の幅と厚みがある敵を捕らえられないわけがない」
 長谷部の補足に、北谷菜切が震えあがった。
 「え・・・遠征に行っててよかったな・・・!
 そんなキモチ悪いの、見たくないよぉ・・・」
 「ちい兄は運が良かったよ・・・。
 俺、間近で見ちゃったさ・・・」
 げっそりとした様子の治金丸の背を、千代金丸が気づかわしげに撫でる。
 「俺は・・・広場で待機してたから見てないんだよなぁ・・・。
 治金丸、怖かったなぁ」
 「その間、長物はどうしていたのだ?
 天守前広場でただ、待機していただけか?」
 千代金丸の言葉に訝しげな様子で蜻蛉切が問うと、御手杵と日本号が頷いた。
 「大太刀連中は虎口と搦手の門内にいて、敵の侵入に備えていたが、俺らは・・・ドローンの映像見ていただけだな」
 「見物とはいえ、さすがに酒は控えたぞ?」
 気まずげな御手杵とは対照的に、なぜか日本号は褒めろと言わんばかりだ。
 「ワタシも参加したかったですねぇ・・・。
 もう一度、やりマセン?」
 「儂も、攻城戦やりたかったぁ!
 ・・・村正達と、遠征先でお団子食べるのも楽しかったけど」
 「そのようなこと・・・」
 太閤とは別の隊で遠征任務に就いていた江雪が、眉根を寄せた。
 「戦など、起きないに越したことはありません」
 「それは後でな!」
 騒がしくなってきた座に、厚の声が響く。
 「つまり、鋼線の効果は確かにあった。
 メンテ費用が結構掛かるけどよ、これはこのまま設置してよう。
 いいよな、博多?」
 名指しされた経理担当は、大きく頷いた。
 「このデータがあれば、本陣も文句言えんやろ。
 年間管理費に入れとくばい」
 その言葉に、長谷部と同田貫がこぶしを握って快哉をあげる。
 「あ・・・いや・・・」
 視線を集めてしまったことに頬を染めて、長谷部が咳払いした。
 「このメンテ費用が、異常に高くてな。
 しかし、効果がわからないからと、本陣からは歳費に入れることを拒まれていて。
 捻出するのに結構、苦労していたんだ」
 「そうか・・・偉かったな」
 「いや、撫でるな。
 どこから目線だ、貴様は!」
 日光の手を邪険にどけて、長谷部は厚へ、続けるように促す。
 「じゃあ、地上戦の方、行くぜ。
 戦闘中はてっきり、大将のパスワードが盗まれて城門を開けられた、と思っていたが、門外に出る奴に付与する子パスワードを、小狐丸にも発行してた、ってことだよな?」
 厚の問いに、主は頷いた。
 「希望者には制限を設けずに出しているからな。
 小狐には・・・確か、数珠丸の手伝いで堀の清掃をするから、という理由じゃなかったか?」
 問われた数珠丸は、こくこくと頷く。
 「枯れた蓮の茎を除去するのに、私だけでは手に余りましたので。
 お手伝いを募集しましたら、小狐丸も来てくださいました」
 ねぇ、と、視線を送られた三日月が、はたと瞬いた。
 「いや、あれは・・・俺が手伝うように言ったのだ。
 数珠丸殿がお困りゆえ、三条は皆で手伝おうと・・・それが、今月初めのこと。
 すでに、計画の内だったか」
 呻くように言った三日月に、鳴狐と白山が、あっさりと頷く。
 「そろそろ蓮池の清掃の時期だから、パスワードはその時にもらうと言っていた」
 「三日月宗近にそれとなく促せば、三条全員で手伝うことになるだろうとの予測が当たりました」
 「・・・っあれはまったく!!
 それとなくほのめかすのはそっちではないわ!!」
 珍しく声を荒らげた三日月を、数珠丸がなだめた。
 「天下五剣が排除されたのは、本陣へ対しても不羈(ふき)であるためでしょう。
 また、はじまりの五振りが排除されたのも、本陣へよりも主への忠誠が深いためでしょうから、今回のことは、あまり小狐丸殿をお責めなさいませんように」
 歌仙初め、古参組へも視線を送れば、五振りは苦笑して、あるいは呆れ顔で頷く。
 「んー・・・じゃあ、普通は攻城槌や攻城櫓でもない限り、開門は無理だよな。
 大砲って手もあるが、門前は馬出の石垣で防御してるし、直接は狙えない」
 虎口と搦手門内、三の曲輪にひしめく敵の動画をポインターで指しながら、厚が顎をつまんだ。
 「つまり、これも現実的じゃない状況ってことだ。
 でもまぁ、対応はしなきゃいけないから、大将はあらかじめ、組分けしていた短刀と脇差、打刀を投入したよな。
 で、それをきっぱり二つに分けた点について、検証しよう」
 「それなんだよな」
 眉根を寄せて、主は動画を見つめる。
 「歌仙が放ったドローンからの情報。
 これを見れば、すぐに搦手側の敵が薄いと気づいたはずなんだ。
 なのに私は、きっぱりと二つに分けてしまったし、厚を天守前広場に留めることも遅れた。
 厚が、最初から天守前広場にいて、ドローンの情報を把握できるようにしておけば、部隊を三対二くらいで対処させることができたはずなんだ。
 結局、一部隊を虎口側へ移動させることになった。
 これが本当の戦であったなら、無駄に兵を疲労させたかもしれない愚策だったと・・・なんだ?」
 刀達が、動画よりも自分を見ていることに気づいて、主が問うと、彼らは呆れたような、困ったような、あるいは苦笑し、複雑な顔で首を振る。
 「今回ね、一番驚いたのは主くんにだよ」
 長船の面々につつかれて、苦笑した光忠が一声を上げると、次々に賛同の声が上がった。
 「私に?
 なぜ」
 不思議そうな主へ、同田貫が居心地悪げに身じろぎする。
 「あー・・・。
 こう言っちゃ、怒るだろうけどよ。
 あんたは人間だし、女だし、普段威勢のいいこと言ってても、いざ敵襲となりゃあ、布団かぶって震えてたって、誰も文句言わなかったはずなんだよ。
 それが・・・飛び起きた途端、真っ先に指示を出して、火事の中、広場まで出てきて、敵を掃討したかと思ったら、騙されたことにもすぐに気づいて撤退させるってよ・・・。
 普通、ねーわ」
 彼の言葉に、刀剣達がうんうん、と何度も頷く。
 しかし、主は納得がいかない様子で首を傾げた。
 「騙されたことに気づいたのは厚と歌仙だぞ。
 それに、普通というが、私だって審神者だ。
 お役目を頂く前に、孫子くらい勉強した。
 まぁ、実戦経験がないから、机上の空論だと、就任当初はずいぶん責められたが」
 なぁ?と、歌仙を見遣れば彼は、首を振る。
 「危機対応能力が高くて驚いた、ってことだよ。
 もちろん、いい意味での驚きだよ?」
 「だったら、驚いたのはこちらだ。
 普段威勢のいいことを言っているくせに、どれだけ自己評価が低いんだ、お前たちは」
 腕を組んだ主が、集まった刀剣達を見回した。
 「今日の守り刀は秋田で、緊急時の近侍として、歌仙が控えていてくれた。
 更には巴が駆けつけて、直後には鶴丸、光忠、大倶利伽羅と合流したんだぞ。
 何を恐れることがあったんだ?」
 はっとする刀剣達の中で、秋田が湯気を出さんばかりに真っ赤になる。
 「ここは私の本丸だ。
 まぁ・・・鬼の首を狙う者もいるが、ここにいる限りは、敵襲だろうが天変地異だろうが絶対に安全だと、信じている」
 にこりと笑った主へ、刀剣達は一斉にこうべを垂れた。
 「見事だ。
 実に見事な覚悟だよ、主」
 最初に頭を上げた歌仙が、昂揚した声を上げる様を、しかし、主は訝しげに見遣る。
 「それはもしかして・・・褒められているのか?」
 「すっごく!褒めましたよ!」
 ねぇ?!と、物吉に見回された面々が、何度も頷く様に、主はますます訝しげな顔をした。
 「・・・普段褒めない奴に褒められて、気持ち悪い」
 「本当に失礼だね、君は!」
 「それは歌仙の日頃の行いが悪いな!」
 「同意だ」
 蜂須賀と山姥切に指摘され、歌仙は口をつぐむ。
 「とりあえず、褒めてくれてありがとうと言っておくよ」
 思わず笑った主に、続けるぞ、と、促されて、厚が頷いた。
 「そうだな、部隊をきっぱり二つに分けたと言っても、判断したのはまだ未明のことだ。
 本丸内は明るかったけど、外はドローンの灯りくらいじゃ全然見渡せなかったし、搦手側は裏山に繋がってるし。
 この状況で愚策と判断するのは違うな。
 山に潜んでいる敵の可能性も頭に入れてりゃ、これで良かったんだ。
 その後の移動にしても、勝手知ったる本丸内だし、上空からの敵襲は排除した、って安心感もあったからな。
 そこまで疲労が来るほどじゃなかったんじゃないか?」
 問われて、搦手から虎口へ移動した太郎と次郎、打刀ホ組の大倶利伽羅と長谷部、同田貫に、五月雨と村雲もそれぞれ、頷く。
 この本丸では一番経験の浅い村雲へ、再度どうだったか尋ねるが、彼は小さな声で『問題ない』と呟いた。
 「あ・・・雨さんが一緒だったし、毎日畑仕事で引っ張り回されているから、この本丸の構造もわかってるし・・・。
 搦手では、防衛戦と言っても、多門櫓から外に向けて投石するだけで、実際に働いていたのは投石兵だったから、俺は特に疲れてなかった。
 むしろその後の、桑名の強制畑仕事の方が辛かったな・・・」
 はぁ、と、ため息を漏らした村雲は、未だ注目を集めていることに気づいて、慌てて言い募る。
 「あ・・・えっと・・・・。
 き・・・緊張はしたけど、雨さんがいてくれたから、平気・・・だった」
 「雲さんは十分頑張りましたよ」
 「あ・・・雨さん・・・っ!」
 手を取り合って笑いあう二振りを指した陸奥守が、もう一方の手で歌仙をつついた。
 「歌仙、これぜよ!
 おまんももっと、主を褒めてやるぜよ!」
 「そうだそうだ、もっと褒めろ!」
 ヤジを飛ばす主の元へ、とことこと蛍丸が寄って来る。
 「歌仙は歌仙のやり方でいいんじゃない?
 その分、俺が主をよしよしして、ぎゅーってしてもらえるし」
 「ほたる、ずるいですよ!
 ぼくも、あるじさまよしよしして、ぎゅーってしてもらいます!!」
 蛍丸だけでなく、今剣にまでしがみつかれて、主が頬を緩めた。
 「じゃあ僕は!
 あるじ様にぎゅーっとしてもらっている蛍丸君と今剣君をぎゅーってして、漁夫の利を得ます!!」
 「毛利、静かにしなさい」
 じりじりと迫ろうとする毛利を背後から抱き上げた一期が、席に戻って一礼する。
 「申し訳ありません。
 続きをどうぞ」
 じたじたと暴れる毛利の口を塞ぐ彼に苦笑して、両脇に蛍丸と今剣を抱えた主は首を傾げた。
 「移動が苦でなかったのなら、もっと考えるべきは初動と組分けだな。
 秋田に命じるまで、誰も上空へ発砲しなかっただろう?
 あのような場合は、各自の判断で発砲と射掛けをして良かったんだが・・・そうか、私が情報収集を優先させたんだったな」
 眉根を寄せた主に、薬研が首を振る。
 「それもあるけどよ、銃弾と矢が鋼線に当たっても大丈夫なのか、って不安があったんだよな」
 「跳弾も怖いしね」
 と言う、乱の言葉に薬研は頷いた。
 「多少の衝撃じゃ切れないってのは知ってたんだがな、外れた鋼線が跳ねれば、俺らが切り裂かれかねないだろ」
 と、薬研が外を指すと、乱は陽光を銀色に弾く鋼線の端を示す。
 「ほら、留め金ってさ、外側から狙われないように、内側に設置してるでしょ?
 本丸中の灯りを灯したって言っても、まだ空は暗かったわけだし。
 もしかしたら、留め金が暗い場所にあるんじゃないかとか、ここから撃っても弾、留め金に当たらないよねぇ?って、恐る恐る撃ったよ?」
 「えぇー・・・。
 薬研兄さんも乱ちゃんも、そんなことまで考えてたんですか・・・。
 ぼく、なにも考えずに撃っちゃいました・・・」
 震えあがった秋田が、主の元へとことこと寄ってきて、ぴたりとしがみついた。
 「ごめんなさい、主君・・・。
 危うく主君にまで怪我をさせるところでした」
 「いや、それは私が命じたことだしいいんだ。
 しかし・・・そうだな、幸い怪我人は出なかったが、危険な行為だったな」
 そう言って厚を見遣ると、彼は肩をすくめる。
 「だから、本来の戦闘ならこんなことはない。
 鋼線を高圧線に変えるって手もあるけどさ、その電力はどっから持ってくるんだ、って問題と、それが切られた際に、本丸が一気に停電する、って危険もある。
 俺は勧めない」
 きっぱりと言う彼に、主だけでなく状況を理解した全員が頷いた。
 「じゃあ、重要なのは組分けか。
 厚と、砲術係の吉行、南海は組から外しておいた方がいいと思うんだが、戦力的にどうだ?」
 主が問うと、国広が身を乗り出して挙手した。
 「砲術なら、僕達新選組も心得がありますよ!
 なので、砲術組、というのを作ってはどうですか?」
 「火力が増えるのはいいねえ」
 にこりと、南海が笑って頷く。
 「ねえ、主くん。
 厚くんも言うように、上空からも門からも侵入を許さないのであれば、防衛戦に有効なのは僕と陸奥守くんが使用した大砲だろう。
 だったら、二門と言わずにもっと増やしてはどうかな。
 角櫓(すみやぐら)は四つあるわけだし、最低でも四振りは大砲に専念させた方がいい。
 ・・・ただね、実際使ってみて思ったのだけど」
 腕を組んだ南海は、盛大にため息をついた。
 「撃つのは楽しかったけれど、砲門に弾を込めるの、刀装の歩兵二隊だけじゃ無理があるよ。
 せめて、交代要員にもう一振り欲しいよね」
 「交代要員か・・・。
 大砲を四門設置するとして、新選組が五振り、吉行と南海と・・・あと一振り、大砲を撃ちたい者は?」
 「はいはいはいはーい!!俺!俺だ!!」
 主の問いに、待ってましたとばかり、鶴丸が挙手する。
 「危険物ではないか・・・!」
 「お前に撃たせるくらいなら、俺がやった方がましだ!」
 呆れる日光の隣で、長谷部が眉根を寄せた。
 しかし鶴丸は、すっくと立ち上がって胸を張る。
 「その!危険物が敵に対して威力を発揮すると言っているんだ!
 せいぜい敵を驚かせて、右往左往させてやるぞ!」
 「鶴ばっかずりぃ!!
 俺もやりたい!!」
 と、立ち上がった太鼓鐘は、物吉に裾を引かれて座らされた。
 「ダメだよ。
 短刀と脇差は、索敵って言う大事なお役目があるんだから。
 それに、曲輪に侵入してきた敵にしても、城外に展開する敵にしても、弓と鉄砲が減ると困るでしょ。
 だから、太鼓鐘はダメです」
 「じゃあ、国広もダメじゃん!
 国広は砲術組禁止!!」
 駄々っ子のように大声をあげる太鼓鐘に、国広が吹き出す。
 「そうですね、仕方ないです。
 でもそしたら・・・砲術組自体、遠戦ができない皆さんにお願いすることになりませんか?」
 国広が見渡すと、太刀や槍、大太刀に薙刀が、困り顔を見合わせた。
 「撃ってみたい気持ちはあるが・・・難しそうだ」
 珍しく尻込みする岩融に、次郎が何度も頷く。
 「アタシなんて今まで、振り回しときゃ当たる、ってやって来たじゃない?
 大砲って、そんなに適当に扱っていいもんじゃないよねぇ。
 撃つだけならまだしもさ、弾込めって・・・どうすんの、扱い雑じゃダメなんでしょ?」
 繊細な作業は苦手だと、ため息をつく彼らに南海が笑い出した。
 「皆、随分と正直者だねぇ。
 主くん、砲術組のことはここで決めてしまうことでもないから、今日は組替えを検討する、ということまででいいのじゃないかな。
 短刀と脇差を除いて・・・」
 と、南海は身を乗り出す鯰尾を牽制する。
 「希望者を募るといいよ」
 「なんで俺、脇差になっちゃったんだ・・・!
 薙刀のままだったら今頃!!」
 畳を叩いて悔しがる鯰尾に、骨喰が小首を傾げた。
 「静と同じ装束の兄弟か」
 「あ、却下で」
 「失礼だぞ、鯰尾の」
 むっと静が眉根を寄せると、座に笑声が満ちる。
 「それでは」
 たん、と、主が手を叩いて耳目を集めた。
 「組の再編成と、厚の参謀、歌仙の緊急時近侍など、敵襲時の『お役目』を決める件は決定とする。
 今、砲術組の話が出たが、他に特別な戦闘に特化した組があればいい、という提案があれば知らせてくれ。
 では次に、太刀や長物の扱いについてだが・・・」
 と、感想戦はかなりの時間をかけて、じっくりと行われた。
 本来なら、主の秘書役を任じられる小狐丸が不在のため、内容は歌仙と博多、長谷部がそれぞれに記録し、組分けと経理、施設管理にかかわりのある提案を抜き出して、自身の役目にあてている。
 おかげで主は、録音した音声を元に、自分で全体の議事録を作成する羽目になっていた。


 「・・・めんどくさい。
 鳩・・・鳩使っていいか・・・?」
 御座所の元の卓に戻るや、早くも音を上げた主を、長谷部が気づかわしげに見つめた。
 「朝令暮改なんて、するものじゃないよ。
 議事録なんてすぐに作れると言っていたじゃないか」
 だから、自分に関係のある個所だけ抜いていた、という歌仙に、主がむくれる。
 「議事録作成アプリがバージョンアップされていて、使い方がわからない。
 こういうことは、全部小狐に任せていたから、過去ログの保存場所もわからない」
 「いかんやん」
 という博多は、長谷部に提出させた被害状況を元に、被害額の算出にいそしんでいた。
 「主!
 俺がお手伝いできることがあれば!」
 「だめだよ」
 きっぱりと、歌仙が長谷部を制する。
 「君は自分の仕事があるだろう。
 主を甘やかすんじゃない」
 「・・・小狐は甘やかしてくれる」
 「表立って罰したのだから、我慢しなさい」
 叱られてしまって、主は仕方なくタブレットを引きよせた。
 「どの議事録アプリ使っていたかな・・・。
 マニュアルも見つからないから、議事録は小狐が帰って来てから・・・」
 「今日中に!
 今回の事態をまとめて報告すると、常連の方々には言ったのだろうに!」
 「そうたい。
 鋼線の見積りば用意しよっちゃけん、はよしぃ(早くして)」
 歌仙と博多から責められて、主は渋々とキーボードを引き寄せる。
 「しばらく話しかけるな」
 ふてくされた口調で言うや、感想戦の音声を流しながらキーボードを叩き始めた。
 「まったく、やればできるくせに取り掛かるのが遅いのだから」
 「これ、岩融と次郎と、どっちがしゃべってると思う?」
 「話しかけるなと言ったばかりだよね?!
 会話の内容で判断したまえよ!」
 長谷部がはらはらと気にする中、歌仙は冷たく突き放して、刀帳と各刀剣の現在の戦力図を見比べる。
 「ひとまず、砲術組を希望する者、その他お役目を希望する者を除いてから組分けした方がいいな。
 遠征で何振りか抜けることも考えないといけないね」
 帳面から顔をあげて、歌仙は開け放ったままの襖の向こうを見遣った。
 「厚は何をやっているんだい?
 一緒に来るように言ったのに」
 「しゃべりすぎて喉が渇いたけん、厨に行ってから来るって言いよったばい」
 と、話しているうちに、ぱたぱたと軽い足音が寄ってきて、厚が駆け込んで来る。
 「悪ぃ!
 牛乳にこだわる後藤に捕まってた!
 ついでに連れて来た!」
 「牛乳じゃない!
 カルシウム増量の乳飲料だ!」
 言い返す後藤に、博多が鼻を鳴らした。
 「どっちでもよかばい。
 後藤、請求書のたたき台は出来たとや?」
 「当然だろ!」
 得意げに言って、後藤は博多と長谷部の間に座り、持参のタブレットを見せる。
 「同田貫と長谷部が出した被害箇所のリスト、出来てるぜ!
 同じフォルダ内にある別のファイルにリストを分けてるから、あとは金額の入力をするだけだ」
 「なぜ、リストを分けるんだ?
 一緒でいいじゃないか」
 面倒だろう、と、眉根をひそめる長谷部とは逆に、博多が悪い笑みを浮かべた。
 「いいこと考えとうやん、後藤。
 そいでこそ、オイのライバルたい!」
 「このからくりに気づくとは、さすが博多だぜ!」
 「兄弟でなに張り合ってんだ」
 呆れる厚にも、後藤はタブレットを見せてやる。
 「これはな、本陣からより多額を引き出そうってフォーマットなんだ」
 自慢げに言う後藤に、博多がこくこくと頷いた。
 「リストを分類に分けて、いくつも作るやろ?
 被害請求ってゆうとは、分類によって提出する部署が違うけん、一見、多額に見えんもんばあちこちの部署に送るったい」
 「一括で請求すると、削れとかまけろとか、突っ返されることもあるかもだけどさ、予算内ってなったら、審査もゆるくなるんだ」
 「けど、そいば合計したら・・・」
 「請求通りの多額をゲーット!」
 そっくりの悪い顔をした兄弟が、高笑いをする。
 「そ・・・それは、後で問題になったりしないのか?」
 さすがに不安げな長谷部に、後藤は大きく頷いた。
 「本陣の申請フォーマットを使ってるから、文句のつけようがないやつだぜ!
 これが、お役所仕事の裏をかく、ってやつさ!」
 厚も交えてハイタッチする粟田口兄弟に、主が誉を連発する。
 「借金生活から一転、生活が潤うなぁ」
 「そうだね。
 この本丸が、多額の修理費を受け取ったことを喧伝すれば、本陣は二度と、こんな馬鹿げたことをしようとは思わないだろうね」
 「そうです。
 我が本丸に喧嘩を売ったことを、後悔させましょう」
 歌仙や長谷部まで同意し、御座所には悪い笑声が響き渡った。


 その夜。
 御座所から早々に戻って来た乱に、薬研は首を傾げた。
 「早かったな。
 大将のところでお泊り会じゃなかったのかよ」
 「そのつもりだったんだけど、人数多すぎて、寝るには狭いんだよ」
 寝相の悪い子に蹴られたくない、と、むくれる乱に薬研は笑い出す。
 「小狐丸がいない間にって、みんな好き勝手やってんな。
 まぁ、狐の親分はこえーからな」
 言うと、乱は不思議そうな顔をした。
 「薬研でも怖いんだ、小狐丸さん」
 「なんかされたわけじゃねぇが、祟られそうな雰囲気はあるよな」
 触らぬ神に祟りなし、と言う彼に、ようやくお供の狐を戻してもらった鳴狐が寄って来る。
 「狐を敬うことはよいことです。
 鳴狐のことも、もっと敬っていいのですよぅ?
 さぁさぁ、敬いなさい!」
 「小狐丸さんとナッキはなんか違う雰囲気なんだよねぇ。
 ハクちゃんは?
 通信機、戻って来たの?」
 乱が問うと、白山は自分の懐に隠れていた狐をそっと抱き上げた。
 「ずっと、お供の狐の話に付き合わされて、疲弊しています。
 しばらくは何も聞きたくないと言っています」
 「狐・・・。
 なにしたんだよ」
 訝しむ薬研に、お供の狐は得意げに鼻を鳴らす。
 「主殿のご命令通り、お天気の話ですよぅ!
 東西の天気、気温、風速、警報などなど。
 お天気の話は尽きないのです!」
 お供の狐が声を上げるたびに、耳を塞ぐ通信機を、白山が困り顔で撫でた。
 「・・・本日、わたくしは別室で休みます。
 薬研藤四郎、乱藤四郎。
 一期一振への報告を依頼します」
 「わかった」
 「おやすみー」
 震える通信機を慰めながら出ていく白山に手を振り、乱は薬研に向き直る。
 「ねぇ、薬研。
 主さんのあれるぎーって、どの動物もダメなの?」
 「なんだ突然。
 大将は猫アレルギーだよ。
 だから虎に近づけないんだが・・・鵺も微妙だったんだよなぁ。
 馬は平気そうだったんだが、急に咳き込むと馬が驚くからむやみに近づくなとは言ってるな」
 「そっか、それで・・・」
 「なんだよ」
 問うと、乱は自身の髪をくるくると指に絡めた。
 「主さん、今、小狐丸さんがいないからって、お風呂上りに御座所に集まった子達の髪の毛乾かして、モフ吸いしてるんだよ」
 「気持ち悪」
 「真顔で言うの、やめたげて」
 笑い声をあげた乱は、肩越しに襖の向こうを見遣る。
 「もふもふ大好きなのに、もふもふに触れないなんてかわいそうじゃない」
 「それはきっと・・・」
 するっと、持ち運んでいた布団の陰から、骨喰が顔を出した。
 「前世の行いが悪かったんだ」
 「骨喰が言うと、本当っぽく聞こえるよね!」
 陽気に応えた鯰尾は、持っていた布団を薬研の頭の上に落とす。
 「なにすんだ」
 布団の下から恨みがましく見上げると、鯰尾は鼻を鳴らした。
 「自分の布団は自分で敷きなよ。
 なに、お兄ちゃんに運ばせてんのさ」
 「ここまで持って来たんなら、敷くくらいいいだろうがよ」
 「自分のことは自分で!
 ほら、乱も!」
 「はぁい」
 押し入れに向かいながら、乱は鯰尾へ舌を出す。
 「世話を焼くのは好きとか言って、ばみ兄限定じゃないか」
 「骨喰にだって、お布団は敷いてないよっ!
 文句言わずに、早くやる!」
 と、急かされて敷きはしたものの、兄弟のほとんどが御座所でお泊り会をしている今夜は、随分と部屋が広く感じた。
 「・・・うっそ?!
 今夜、これだけ?!
 いち兄が帰ってきても、6振りじゃない!」
 目を丸くする乱に、骨喰は小首を傾げる。
 「博多と厚、後藤は仕事で詰めてるだけだ。
 包丁も甘味目当てで行ってるだけだし、寝る時は帰って来るだろう」
 「それでも少ないよ!
 薬研、くっついて寝よ!
 寂しいよ!」
 「触るなっつったり、くっつけっつったり、めんどくさいな、お前は」
 とは言いつつも、断らない薬研の隣に乱は布団を敷き直した。
 「そういえばさー、ボクが修行に行った時って、夜は上級の侍女さんのお部屋でぬくぬく寝かせてもらったんだけど、みんなはどうしてた?」
 「俺は、信長さんが本能寺に行っちまう直前だったからな。
 正直、寝てる余裕なんかなかったな」
 大将の夜更かしを責められない、と笑う薬研の枕元を、お供の狐がとことこと通り過ぎる。
 「小狐丸様は、どうお過ごしでしょうねぇ。
 鳴狐が作ったいなり寿司、召し上がっていらっしゃるでしょうか」
 言いつつ鳴狐の布団に潜り込むと、彼はこくりと頷いた。
 「たくさん・・・作ったから、きっと仲間の分もある・・・」
 「仲間?」
 「誰だ?」
 鯰尾と骨喰の問いには、寝息が返る。
 「まさか・・・」
 「狐、とか?」
 吹き出した直後に真顔になった薬研と乱は、なんとなく無言になって、布団へと潜り込んだ。


 翌日、心労のためか、すっかり毛並みの荒れてしまったこんのすけが、ぶるぶると震えながら主の元へやって来た。
 口に咥えた巻物を無言で差し出すと、怯えた様子でその場にうずくまる。
 「主さん、さすがに・・・ちょっとかわいそうだよ?」
 主の髪を整え終わった乱が、椿油を手に取って、こんのすけの毛並みを撫でてやった。
 しかし、
 「私に逆らいさえしなければ、こんなことにはならなかったさ」
 と、主の鋭い目でじろりと睨まれたこんのすけは、怯えた顔を前足の間にうずめる。
 「そ・・・それより、あるじさま!
 小狐丸さまからのおてがみですか?
 ぼくも、みていいですか?」
 慌てて話題を変えた今剣に微笑み、主は群がる短刀達の前に手紙を開いた。
 「小狐丸さま、おもうさまのところにいったんですね!
 ぼくも・・・ううん・・・」
 うなだれてしまった今剣の頭を、主の手が慰めるように撫でる。
 「三条宗近の作った子じゃなくても、お前がうちの子であるのは確かなのだから、気にしなくていい」
 「・・・っはい!」
 「俺はそっちより、もふもふが気になるなー」
 主にすり寄る今剣を押しのけて、懐に入った信濃が文面を睨んだ。
 「今まで以上にもふもふしちゃうと、大将ってばそっちにばっかり構うでしょー」
 「だって、アレルギーのせいで動物はもふもふできないし・・・」
 「だったら!
 昨日みたいに、ぼくの髪の毛をもふもふしてください!」
 「俺もー!」
 と、すり寄って来た秋田と蛍丸が、主の手をそれぞれ自身の頭に載せる。
 あっという間に身動きが取れなくなってしまい、困っている主の背に、小夜と五虎退までもがのしかかった。
 「みんなずるいです。僕も」
 「ぼ・・・僕も・・・です・・・!」
 「ちょっと待ってくれ、さすがに重い!」
 悲鳴を上げる主に、厚と薬研が笑い出す。
 「小狐丸が帰ってくるまでの間だろ、我慢しろよ」
 「狐の親分さんが帰ってきたら、こいつら、蜘蛛の子散らすように逃げていくぜ」
 言われて真っ先に目をさまよわせた小夜を、今剣が不思議そうに見つめた。
 「そんなにこわいですか?
 なにか、いじわるされましたか?」
 「そういうわけじゃ・・・ないけど・・・」
 「威圧感がありますよね」
 うん、と頷いた平野に、前田もうんうん、と頷く。
 「大典太様とは違う、圧迫感と言うか・・・。
 僕達は白山や鳴狐で慣れていますけど、やっぱり近寄りがたいと言うか」
 「そういうものか?」
 主が訝しげにこんのすけを見遣ると、狐はまた、怯えて縮こまった。
 「主さんは、この本丸で怖いものなしじゃないか」
 震えるこんのすけを抱き上げて、撫でてやりながら乱が苦笑する。
 「そんなことないぞ。
 祢々切丸が傍にいる時は、踏まれないように警戒しているし、髭切が寄って来た時は、間に盾になるものを置いている」
 「静にも、むやみに近寄らない方がいい」
 御座所へ入って来た巴が、厨から持って来た茶菓子を卓に並べ、主にしがみつく子供達を引きはがした。
 「本人が自ら言っているというのに、主は気軽すぎるぞ。
 俺なら安全だが」
 言うや、隣に座った巴は主に、膝に乗るよう促してくる。
 「いや、いいから。
 昨日は、私の足では時間がかかるから頼んだだけで、普段は自力で動くから」
 苦笑する主に、巴は眉根を寄せた。
 「なぜだ。
 俺が運んだ方が楽だろうに」
 「それはそうだが、動かないと太るからな」
 「太ると困るのか?」
 「困るだろう。
 身体によくないんだぞ」
 ねぇ、と、見回した短刀達の中で、包丁が卓に並べられた菓子を早速頬張りながら頷く。
 「家康公が、運動不足は健康によくないって言ってたぞ」
 「俺らみたいに激しく動くならいいけどな、普通の人間が動かずに菓子ばっかり食ってりゃ、すぐ太っちまうし、行き過ぎると内臓にも悪いんだぜ」
 薬研の言葉に頷いた巴は、『ならば』と、主の前から菓子の乗った皿を遠ざけた。
 「菓子を食べなければよいのではないか?」
 「そっ!それはいけない!
 心によくない!」
 慌てて皿を引き戻そうとするが、巴はしっかりと皿の端をつまんで、奪い返すことを許さない。
 「主の分の菓子は、俺が食べてやろう。
 それで問題はないはずだ」
 「よくない!!」
 必死な主に、巴が思わず声をあげて笑った。
 その様に、厚が笑って博多を見遣る。
 「ばみ兄もだけど、うちの巴もよく笑うよな。
 演練で別の本丸の巴見ると、無表情過ぎて逆にビビる」
 「主人が、愛想のなかとが好きんしゃれんもんね。
 今は泛塵が狙われとーばい」
 「にこやかなばみ兄にめっちゃビビってる相手見るの、すげー面白いからな!
 早く、にこにこしてる泛塵連れて、演練相手ビビらせてーなー」
 楽しげに笑った後藤が、手にしたファイルをまとめて立ち上がった。
 「請求書、全部出来あがったぜ、大将!
 一応、最後に目を通してから、ハンコ捺して送信してくれ!」
 「ありがとう、後藤!助かったよ!
 博多もご苦労だったな」
 「オイは、その分の給金もらっとーけんね」
 うんっ!と伸びをした博多が、手近の皿から大福を数個取り上げる。
 「オイは部屋に戻って自分の財産ば増やしよーけん、なんかあったらまた呼びぃ」
 「じゃ、俺はー・・・おい、仕事終わったから、遊んでくれよ」
 後藤が声をかけると、兄弟達がわぁっと集まってきた。
 「お外行きましょ!
 主君も!」
 秋田が声をかけると、短刀達が群がって主の手を引く。
 「いや、私は後藤の作ってくれた書類に目を通して、申請しないといけないから。
 みんなで行っておいで」
 「それじゃあ、ここにいる意味ないじゃないか。
 みんな、小狐丸さんがいない間に、って集まってるのにねぇ?」
 と、乱に笑みを向けられた小夜が、気まずげに目をそらした。
 「じゃあ、早くハンコ捺して、送っちゃってよ!
 そしたら遊べるでしょ?」
 ぐいぐいと袖を引く蛍丸に言われて、主は後藤に渡されたタブレットに目を落とす。
 「しばらく話しかけないでくれよ。
 すぐに終わらせるから・・・って、ファイル多いな!」
 「言っただろ、各部署に分けるって」
 にやつく後藤にため息をついて、主は再びタブレットに向かった。
 「まぁ、量は多いが項目は少ないからな。
 えぇと・・・承認印、っと」
 「ハンコ、一個目だよ、大将!」
 いつの間にかすり寄っていた信濃が嬉しげに言うと、わらわらと群がって来た短刀達もタブレットを覗き込む。
 「主君!2個目です!」
 「あ・・・あるじさま、3個、捺しましたよ・・・!」
 主が捺印する度に、短刀達や蛍丸が声を上げた。
 そうするうちに、
 「ラストだぜ、大将!」
 後藤の声に拍手がわく。
 「おしごとおわりです!
 あそびにいきましょー!!」
 今剣が高く声を上げ、子供たちが一斉に立ち上がった。


 『助けてくれ、仕事よりきつい・・・!』
 更に翌日、畑仕事中の五月雨は、自身の端末に表示された文字と、数メートル先で子供たちに囲まれ、げっそりと疲れ果てた主を見比べた。
 「朝食後に連行されたはずですが・・・この時間まで走り回っていたのでしょうかね」
 今日は鬼ごっこだか、かくれんぼだかをやろうと外に連れ出されていたはず、と思い出して、五月雨は近くにいる桑名に声をかける。
 「出てったの、8時頃だったよね?
 え?
 3時間以上も走り回ってたの?」
 呆れたように笑った桑名が、枇杷を入れた背負い籠を持ち上げた。
 「ねぇ、君達ー!
 お昼前だけど、枇杷食べないー?」
 「いいな!いただこう!」
 真っ先に賛同した主を、子供たちが歓声を上げて追い抜いていく。
 「はい、主にはお茶ね。
 なに、ずっと遊びに付き合ってたの?
 村雲より体力あるんじゃない?」
 くすくすと笑う桑名に礼を言って、主は受け取った茶碗にため息をこぼした。
 「普段、遊んでくれないんだから、って、無理矢理・・・。
 人間の体力過大評価しすぎだろ」
 「そうですか?
 ちゃんと付き合ってあげる辺り、過大評価でもないと思いますが」
 微笑んだ五月雨が、枇杷を頬張る子供達を見遣ると、桑名が主の袖を引く。
 「それだけ体力あるならさ、たまには畑仕事もやろうよ。
 何度も誘おうとしたのに、その度に小狐丸に阻止されてたんだよね」
 言えば、主はまたため息をついた。
 「勘弁してくれ。
 休みの日くらい、ゆっくり寝たいのに、小狐が修行に行ってしまってからは短刀達がお泊り会するせいで、早寝早起きを強要された上に、本丸中走り回らされているんだ。
 これ以上、肉体労働できるか」
 「なるほど、今は防波堤なしの状況ということですか。
 大変・・・ですよ?」
 「よ?」
 大変ですね、ではなく?と、五月雨が見遣る方向を振りむけば、琵琶を食べ尽くした短刀達が駆けてくる。
 「くわなさん、ごちそうさまでした!
 あるじさま、つづきやりましょ!」
 真っ先に駆け寄って来た今剣に手を引かれ、意外な膂力で立たされた主は及び腰になった。
 「いや、私はもう・・・!」
 「行くぜ、大将!
 健康維持のために、あと30分は走ってもらうぜ」
 「鬼か!」
 薬研の言葉に悲鳴を上げる主に、蛍丸が笑い出す。
 「すごいじゃん、薬研。
 刑部姫に鬼って呼ばれてるよ」
 「じゃ、次の鬼は薬研な!」
 愛染に言われて、薬研は鼻を鳴らした。
 「大将を1時間追いかけるか」 
 「死ぬわ!!」
 縋る目で五月雨と桑名を見つめるが、彼らは揃って首を振る。
 「もう、あげる物はないね」
 「頑張ってください」
 そう言って彼らは、悲鳴を上げて連行される主へ、笑顔で手を振った。


 防波堤なしで波状攻撃を受け止め続けた主が、すっかり憔悴してしまった頃。
 本丸に戻った小狐丸は、時空門まで迎えに出てきた三条の一門へ、京土産の酒を渡した。
 「これはまた、立派な装いになったものだな!」
 感心する岩融の傍らから、やや硬い顔をした三日月が進み出る。
 「主への手紙には、随分と呑気な事を書いておったようだが、お主のことゆえ、此度のことを流してはおるまいよ。
 いかが相成ったか」
 彼らしくもなく早口で問えば、小狐丸は殊更にゆっくりと微笑んだ。
 「鳴狐と白山、髭切殿より預かりました御饌(みけ)と神酒(みき)がたいそう役に立ちまして。
 稲荷山の我が眷属も、大層喜んでおりましたよ」
 「けんぞく、って、きつねさんですか?
 ほんとうに、やまできつねとしゅぎょうしてきたんですか?」
 興味津々と目を輝かせる今剣に、小狐丸は嬉しそうに笑って頷く。
 「そちらで耳にしたところによりますと、此度のことは、我が眷属をいたぶったと、上(しょう)がひどく憤られたそうで」
 「しょう、ですか?」
 なに?と、身体ごと傾いだ今剣の隣で、石切丸が思わず息を呑んだ。
 「小狐丸の事を眷属と呼ぶ天つ方と言えば、稲荷大明神・・・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)のことだよ」
 「おいなりさま!!」
 ピンっと背筋を伸ばしたまま、固まってしまった今剣に、岩融も強張った顔で頷く。
 「この国で有数の神だな」
 「今頃、この本丸に忌事(いみごと)を企てた者が、散々な目に遭うていることでしょうな」
 ほくそ笑む、その表情に不穏なものを感じて、三日月は眉根を寄せた。
 「お主こそまた、なにやら企てておるのではあるまいな」
 「これより先は、私の手出しすることではありませぬゆえ。
 しかし・・・」
 獣のように長い爪を顎先に当て、小狐丸は目を細める。
 「葡萄の美酒、夜光の杯。
 上におかれましては、三日月殿よりの手向けがお気に召したご様子。
 後日また、御神酒を持って御礼に伺いまする」
 既に巻き込まれていることを察して、三日月はため息をついた。
 「では、私はぬしさまの元へ。
 狐たちから聞いた、種々(くさぐさ)のことをお耳に入れなければ」
 政府が使役する管狐もまた、宇迦之御魂神の眷属であり、彼らが持つ情報は女神へと筒抜けになる。
 飄として御座所へ向かう小狐丸の背に今後のことを察して、石切丸は苦笑した。
 「本陣は、一番怒らせてはいけない神を怒らせてしまったねぇ」
 裏切りを償って余りある成果を持ち帰った小狐丸を、もはや誰も咎めることはできない。
 どころか、最も情報に精通したものとして今後、彼の近侍の立場はゆるぎないものとなるだろう。

 「狐と修行してまいりました。
 小狐丸、復帰いたしまする」




 了




 










長年の幻想水滸伝ファンとして、裏切りは必須イベントだと思うんですよ。
そして、裏切るならその本丸で一番長く近侍を務めた刀であってほしいと。
ただし、初期刀と天下五剣は、文中に書いている理由で除外しました。
幻水通りなら、初期刀を壊された主は108振りの刀を集めて復活させた上、裏切者と戦ってラスボス戦へ進み、勝ったら本丸を立て直せるのですけど、マジでこのイベントやってくれないかな、無理だろうな、じゃあ書くか、となったのでした。
城郭建築の防御固めたので、籠城戦やりたかったし。←
未だかつてないほど主が出しゃばっていますが、うちの本丸はこんな感じですよ、ってことで、よろしくお願いします。

【涼州詩】
葡萄美酒 夜光杯
欲飲 琵琶馬上催
酔臥沙場 君莫笑
古来征戦 幾人回

葡萄の美酒、夜光の杯
飲もうとすれば、馬上に琵琶が鳴り響く
酔って砂漠に臥しても笑わないでくれ
古来、幾人が戦から帰って来たのだろう













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