† L’heure U †







 汽車がパリについた頃には既に夕闇は濃く、馬車の行く手を照らす街灯は高級住宅街へ近づくにつれて明るくなっていった。
 「ガス燈とは違うんだねぇ・・・」
 感心しつつ、リナリーが馬車の窓から顔を出す。
 いつも濃いスモッグに覆われた街を、ぼんやりとしか照らさないロンドンのガス燈に比べると、この辺りの街灯は眩しい月をいくつも掲げているかのようだ。
 「確かにこの状況じゃ、真夜中と言っても邸から誰か逃げだせば、すぐにわかるだろうね」
 コムイも感心したように頷き、対面のラビに小首を傾げる。
 「先に現場?それとも・・・」
 「殿下のお邸だよね?!」
 リナリーに詰め寄られたラビが、気圧されて頷いた。
 「ホントは先に現場を見て欲しいんけど・・・殿下もお待ちかねだと思うからさ、先にご挨拶して欲しいさね」
 「りょーかい」
 軽くため息をついて、コムイは門の前で一旦止まった馬車から外を眺める。
 仮住まいとは言え、亡命王族の邸だけあって、無駄に装飾過多に見えた。
 「まぁ・・・王族なら見栄も大事だよね」
 「兄さん!失礼なこと言わないで!」
 リナリーに叱られて、首をすくめたコムイは門を抜けた馬車で邸まで運ばれる。
 ポーチ前で馬車が止まるや飛び降りたリナリーは、迎えに出てきた顔見知りの執事に会釈して、さっさと邸内に入って行った。
 妹の俊敏さについて行くのを諦め、マイペースにポーチの階段を上がったコムイは、白い欄干の端に刻まれた文字に目を留める。
 「1865年、Mille・・・?
 あぁ、建築家の名前か」
 変な名前、と、どうでもいいことを呟くコムイを待っていられずに、リナリーはやはり顔見知りのメイドに案内を頼んで懐かしい王女の下へ馳せ参じた。
 「殿下、ご無沙汰しております。
 神田とラウもこんばんは」
 傍らに控える神田と、主人の肩に乗った白い小猿に微笑んだリナリーが、侍女としての完璧な作法で一礼すると、室内の貴人は嬉しげに立ち上がる。
 「リナリー、元気そうで何よりだ」
 「ありがとうございます」
 跪いたままのリナリーの手を取って立たせたクラウドが、彼女の頬を優しく撫でた。
 「お前まで来てくれて、嬉しく思うぞ」
 「もったいなく・・・」
 「ホントーは置いてこようとしたんですけどね!」
 ようやく部屋に入ってきたコムイが、リナリーの声に被せてため息混じりにぼやく。
 「危険だし、殿下の所に来ちゃうと帰ってこないかもしれないから!」
 「もう!兄さん!」
 貴人の前で控えろと、叱るリナリーに口を尖らせて、コムイはクラウドの前に進み出た。
 「大体のお話は伺いました。
 殿下からは正式なご依頼と、当時の状況を話していただきたいのですが」
 コムイが珍しくも恭しく一礼した時、
 「ちょっと待たんかーい!!」
 ドアが乱暴に開けられ、付近にいたアレンとラビが弾き飛ばされる。
 「我がパリ市警を差し置いて探偵風情がしゃしゃり出るとは失礼千万だろーが!!」
 邸中に響き渡るような大声に、コムイが目を丸くした。
 「あの・・・アナタ誰です?」
 つかつかと歩み寄って来た中年男を見下ろすと、身長に自信があったのだろう彼はムッとしてコムイを睨みあげる。
 「俺はパリ市警のガルマーだ!
 あんた、有名な探偵かなんか知らんけどな!
 勝手に来た外国人に自由に捜査させるほど、こっちも寝ぼけちゃいないんだよ!
 わかったらとっとと海峡渡って帰りやがれぃ!!」
 言うやコムイの腕を掴み、部屋から引きずり出そうとする彼を、音もなく歩み寄った神田が止めた。
 「ガルマー警部、こちらは盗まれた宝石を取り戻したいだけで、あんたが追っている怪盗とやらに興味は・・・ないと言えば語弊があるが、逮捕したいわけじゃない。
 そっちの捜査も逮捕も勝手にやるがいい。
 だが、宝石は来月の1日までに必ず戻っていなければならないものだ。
 あんたらが怪盗優先で宝石は後回しだと言う以上、こちらのやることには口出しするな」
 コムイの腕を掴む手を捻り上げ、ガルマーに悲鳴をあげさせた神田が冷たく鼻を鳴らす。
 「え・・・えーっと・・・?
 つまりコチラ、パリ市警で怪盗を追っている警部さん、ってことかな?」
 小首を傾げるコムイに、ガルマーは大いに胸を張った。
 「あぁ!
 俺はあの忌々しい怪盗を専門に追う市警随一の・・・!」
 「間抜け警部だ。
 何年逃げられてんだ、無能が」
 言ってはならないことをずばりと突いた神田に、ガルマーが吐血する。
 「キ・・・キサマ・・・!
 あいつのことを知りもしないでよくも・・・!」
 死にそうに蒼褪めたガルマーの呻き声を、クラウドがうんざりと払いのけた。
 「警部、私は貴殿に入室を許可した覚えはない。
 下がっていろ」
 「く・・・しかしですな、殿下!
 きっとこの邸にも、あの怪盗が仕掛けた抜け穴があるはずなのです!
 それを見つけるまで私は・・・!」
 「だから、この邸を調べるのは許可してんだろうが。
 勝手に部屋に入ってくんなっつってんだ、ヒゲ親父が」
 「お前さっきから無礼だぞ美形ー!!!!」
 「あ?!美形がどうした、知ってんだよそのくれぇ!!」
 「ど・・・どうしたの?
 仲、悪いの?」
 大声で喚き合う二人にリナリーが目を丸くすると、アレンがこっそりと彼女の袖を引く。
 「ガルマー警部、昨日からここに泊り込みで捜査してるんですけど、着替えを持って来た娘さんが神田に一目惚れしちゃって。
 それ以来、ガルマー警部はなにかと神田に食って掛かるんです」
 「はぁ・・・大変だね、神田君・・・」
 とばっちりを受けた自分も、と、コムイが苦笑した。
 「大変ついでにさ、ちょっとその警部を外に出してもらえないかなぁ?
 情報をまとめたいから、うるさいのやなんだよね」
 「了解した」
 「てめっ!
 だからそれは許さんと・・・おい放せ美形!!」
 神田に襟首を掴まれ、ずるずると室外へ引きずり出されたガルマーの声が遠のいていく。
 「やれやれ、静かになりましたね。
 ・・・では殿下、御身に起こったことを詳しくお話いただけますか?」
 「あぁ」
 鷹揚に頷いた貴人は、再び座って客人達にも椅子を勧めた。
 メイドが香りのいいお茶を入れて下がるまで待ってから、口を開く。
 「どこから話せばいいのか・・・まぁ、最初からか。
 実は、11月1日は私の誕生日でな、パーティを開くので、身につけるにふさわしい宝石をしばらく前から求めていたのだ」
 「そのパーティにはぜひ俺も参・・・ぐばぁっ!!」
 割って入ろうとしたラビの髪を掴んだアレンが、そのまま彼の顔面をテーブルに打ちつけた。
 「すみません、静かにさせましたから」
 続きを、と促されて、クラウドが咳払いする。
 「できるだけ大きなダイヤの指輪が欲しいと思っていたら、葬儀のためにパリへ来ていたミランダが教えてくれたのだ」
 『・・・このご近所で、先日亡くなった男爵の遺品をオークションにかけるのですが、とても大きなダイヤの指輪が出ますよ。
 そのダイヤはフランス王の王冠を飾ったという、由緒正しい青いダイヤだそうです』
 そう、茶飲み話の途中で教えてくれたミランダは、照れくさそうに笑った。
 『その・・・本当は、葬儀が終わったらすぐに帰るつもりだったんですが、アレン君やラビ君が大変そうだったので延泊することにしたんです。
 オークションを見て・・・できればあの、引き出しのたくさんあるキャビネットを落札してから帰るつもりです』
 リーバーが喜びそうだから、と顔をほころばせる彼女が微笑ましくて、行って見る気になったのだ。
 「もう内覧会は終わっていたのでな、オークション当日まで私が実物を見ることはなかったのだが、思うようなものでなくとも男爵邸はすぐ近くだし、行ってもいいかと思ったのだ」
 「そうですよね、ボク達も男爵邸の前を通ってからここに来ましたし」
 と、話を合わせつつもコムイは頭の隅で意地の悪いことを考えていた。
 ―――― 国を追われても高価な宝石を買う金くらいあるんだって、周りに見せ付けなきゃいけないのは大変だね。
 苦笑してしまわないよう、しかつめらしい顔をして頷いたコムイが先を促す。
 「オークションが開催されたのは23日だったな。
 葬儀が終わってすぐに開いたのだろう?」
 問われてアレンが頷いた。
 「僕らがここに着いたのは20日で、事件の2日後でした。
 きれいに整えて行ってくれたとは言え、捜査や検視がしばらく掛かりましたからね。
 2〜3日教会に置いて弔問してもらうのは、遺体の状況的にアレかなぁってことで、弔問とお葬式は1日で済ませてしまうことにしたんです。
 ちなみにミランダさんは、お父さんのご友人の外交官から連絡が来たそうで、僕達より早くパリに着いてたんですよ。
 だから、お葬式の場所を聞きに来たミランダさんとあの邸で会った時はびっくりしました」
 「まだ始まってもないお葬式に来るとは思わないもんね」
 やや呆れ気味のリナリーにアレンが頷く。
 「それで、今から準備するところですよ、って話したら手伝ってくれたんです。
 遺品整理の方は面倒なんでラビに任せて、僕は主に力仕事、ミランダさんには座ってできる電話連絡をお願いしました」
 物の散らばった邸をうろうろされると危ないから、とは、誰もが思っただろうが誰も何も言わなかった。
 「それでミランダから私に、ハロウィンパーティができそうにないって、ゴメンナサイの電話が来たんだね。
 アレン君たちと一緒にお葬式の準備をしてるって」
 「ちょめ助さんにもですよ。
 ミランダさん、パリに来るついでにちょめ助さんの所にも寄るって言ってたそうなんですが、なにしろこの時はまだ、遺体も帰ってなくてお葬式準備中でしたから。
 行ってもいいですよ、って言ったんですけど、ミランダさん真面目だからこっちをがんばってくれちゃって。
 そしたらちょめ助さんまで、忙しいのに手伝いに来てくれて。
 おかげさまでなんとかお葬式はスムーズに済みました。
 その頃にはラビが、遺品整理のリストを完成させて邸の見積もりも出してたんで、21日にお葬式、22日に内覧会、23日にオークションを開催したんです」
 「1日で完成させたの?
 さすが、あのブックマンの孫だねぇ。
 いくら相続したばかりで遺品が少ないからって、ラビ一人で大変だったでしょ」
 「あ、お兄さんから受け継いだ分は、既にリストがあったんですよ。
 だから結構楽だったそうです」
 そう言ってアレンはまだテーブルに突っ伏したままのラビを見遣る。
 「ま、ラビはとっととお仕事終わらせて、こちらに来たかったんですよ。
 でも、オークションが終わるまではうろうろされちゃ困るんで、僕が止めてたんです。
 そしたらラビ、ミランダさんに『殿下のお邸は近くだからご挨拶に行くといい』なんて言っちゃって。
 まんまと殿下を誘い出し・・・あ、いえ・・・」
 クラウドとリナリーに二人して睨まれたアレンが、気まずげに口をつぐんだ。
 「まぁ・・・そういうわけで、私はオークション会場となったあの邸へ出向いたのだ。
 そこでアレンらと会って、特別にダイヤを見せてもらったら・・・これがとても気に入ってな。
 俄然闘志がわいて、競り落としてやった!」
 メインの品だけに、競争相手も多く手ごわかったが、最後まで競り合っていた人物が緊急の用で席を立つことになり、辛勝したのだと言う。
 「その、緊急の用ってのは?」
 「有名なアメリカの富豪だそうだが、母親が倒れたと電報が来たのだ。
 そんな状況の彼に勝つのもどうかとは思ったが、オークションを中止して待つわけにもいかんだろう」
 「僕達、早くロンドンに帰りたかったですし」
 さっさと終わらせたかったのだと言うアレンにクラウドが頷く。
 「それで、ダイヤは私の物になったのだが・・・」
 結局、所有していたのはほんの2日間のことだった。
 「盗まれてしまったんですね?どのような状況で?」
 ようやく本題に入ったと、コムイが身を乗り出した。
 「25日のことだ。
 あのダイヤを入手した瞬間から私は、常に指輪を身につけていた。
 とても気に入ったのでな、パーティを待てなかったんだ」
 少し照れくさそうに言って、クラウドは白い手を翻す。
 「しかし、元々男性用だった指輪は私の指には大きくて。
 ダイヤを支える台の飾りもいかめしく、私の好みには合わなかったのでな、宝石商を呼んで、作り変えることにしたのだ」
 25日の昼に訪れた宝石商の男は、いくつかのデザイン見本を持って訪れ、クラウドの指のサイズを測って様々な台にダイヤを当てて見せた。
 「彼は、既製のリングでよければダイヤを嵌め込むだけだから、すぐにでも作り変えられると言ったのだ。
 そこで私が見本の中から気に入ったものを選んでやると、このリングなら爪の大きさもちょうどいいし、この場でダイヤを嵌め込むことができると言うので、彼が連れて来た助手に指輪を渡した。
 可愛らしい金髪の、小さな少女だったが、細い指を器用に動かしてダイヤを金の台から外し、私が選んだ台に付け替えて、それこそあっという間に素晴らしい指輪に仕立ててくれたのだ」
 この時、いたずらなラウが少女の手から指輪や見本の台を奪って部屋中を逃げ回る騒動があったが、ダイヤに傷がつくこともなく、無事にクラウドの手に戻ったのだと言う。
 「このままでも十分に気に入ったのだが、やはり立場上、既製品を身につけるのもどうかと思ったのでな、パーティが終わったら新たに台を注文すると言うことで、デザインの作成を依頼してから帰したのだ。
 しかしその夜・・・」
 2日間とは言え、常に身につけていた指輪のデザインが変わり、感触も全く違うものになってしまった。
 これまでは、すぐに指から滑り落ちたために気を遣っていたが、指に馴染むようになると途端に気を遣わなくなってしまう。
 「つい、他のアクセサリーと一緒に居間のマントルピースの上にある小物皿に入れてしまって、しばらく忘れていたのだ」
 ダイヤはどうしただろうかと、思い出したのは次の日・・・26日の昼も過ぎてからだった。
 もうロンドンに戻るからと、挨拶に来たミランダに見せてやろうと見遣った小物皿には青いダイヤだけがなく、心当たりの場所を自らも探したが見つからない。
 使用人総出で邸中くまなく探してもあの貴重なダイヤは再び現れることなく、警察を呼ぶことになってしまった。
 「こんな時、一番疑わしいのはラウなのだが、この子は夜のうちは鍵のついた檻の中で寝ているし、ミランダが来る前も来た後も、私の傍から離れはしなかった。
 ・・・まぁ、菓子を食べる時などはいつも、食べ零しで私の服を汚さぬよう、身体からは降りるが、必ず目の届く場所にいた。
 それでも念のため、ラウが物を隠しそうな場所も探したのだが、その捜索中、手伝ってくれたミランダがテーブルに頭をぶつけて倒れてしまってな。
 それも大変だった」
 「倒れたって・・・そういうことですか」
 呆れ顔のコムイに、アレンが大きく頷く。
 「このお話でだって、僕らオークション会場までしか出てこないでしょ?
 なのにあのバ神田、僕らが殿下にお近づきになりたいばっかりに盗んだんじゃないかとか言いがかりつけて!
 ミランダさんを使っておびき・・・いえ、来ていただいたのは事実なんで、ラビが挙動不審だったのは本当ですけどね!」
 こいつのせいで、と、アレンが乱暴にラビを小突いた。
 「いって!
 なにすんさ、ガキンチョー!!」
 「あ、起きた」
 途端にリナリーの冷たい目で睨まれ、ラビはわけもわからず愛想笑いを浮かべる。
 「そんで?
 特に手がかりもないまま、ダイヤの指輪が消えちゃった、ってことなんですか?」
 「そうだ。
 このすぐ後に警察も来て、くまなく捜査したのだが、泥棒が侵入した形跡すらない。
 これはもしや、あの怪盗とやら言う者の仕業かと思い・・・」
 「俺が登場したのだよ!」
 「クッソ親父が!!おとなしくしろ!!」
 絶妙のタイミングで戻って来たガルマーと、彼を拘束しようとしたらしい神田の腕や足がタコのように絡み合っていた。
 「・・・ねえそれ、痛くないの?」
 どこかに少しでも余分な力が加われば、全身の骨が砕けそうな二人にコムイが呆れ声をあげる。
 しかし、
 「は!
 栄えあるパリ市警の警部ともなれば、なんのこれしき!」
 明らかに無理をして顔を引き攣らせるガルマーに、神田が怒号を浴びせた。
 「笑ってられるのも今のうちだぜ、親父!!
 この骨砕いてや・・・」
 「キサマにパパンと呼ばれる筋合いなんぞないわ――――!!!!」
 「呼んでねえええええええ!!!!」
 ギリギリと互いに締め上げようとして床に転がった二人に、クラウドがため息をつく。
 「・・・ユウ、もういい。
 警部を放せ」
 「はっ」
 「ぐぉぉぉぉぉっ!
 急に放されると痺れがっ・・・痺れがああああああ!!!!」
 すんなりと立ち上がって一礼した神田の足元で、ガルマーが悶絶した。
 そんな彼にまたため息をついて、クラウドは小首を傾げた。
 「警部、昨日からこの邸を捜査した貴殿から、何か情報でも?」
 何も期待してはいない目で尋ねる王女の前で、ガルマーは懸命に立ち上がり、威儀を正す。
 「俺は決して、ここで遊んでいたわけではない!
 あなた方が市警を無視して、どこの馬の骨ともわからん探偵を待っている間、俺は・・・!」


金髪の少女を見つけたぞ!
犯人は日本茶館の主人だと確信した!


 







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