† L’heure W †







 「ミランダー?起きてるー?」
 小さな電灯が点いた客間に入ると、オレンジ色の薄明かりの中、枕を背に当ててほんの少し頭を上げていたミランダが、ゆっくりと顔を向けてきた。
 「あら・・・リナリーちゃんも来てたのね」
 にこりと笑ったものの、声は随分と辛そうだ。
 「聞いたよ・・・テーブルに思いっきり頭ぶつけて、脳震盪だって?」
 ベッドの傍まで歩み寄り、近くの椅子に腰を下ろすと、ミランダは恥ずかしそうに布団で半面を隠す。
 「・・・しばらく気を失っていたのだけど、目が覚めてからはめまいが治まらなくて・・・殿下のご好意で、昨日から泊めていただいてるの」
 吐息しながら途切れ途切れに言う彼女を、リナリーが気遣わしげに見つめた。
 「リーバー先生には連絡したんでしょ?
 迎えに来るの?」
 「いいえ・・・」
 首を振るのも辛いのか、ミランダは呟くように言う。
 「患者さんもいるし、こんなことで心配をかけたくないから、皆さんには言わないようにお願いしたの。
 自分でがんばって電話して・・・サチコちゃんのお店がまだオープンしてないから、もう少しこちらにいていいかしら、って言ったら、『ゆっくりして来い』って言ってくれたわ・・・」
 「う・・・気持ちはわかるけど、後でバレたら怒られるんじゃないかなぁ・・・」
 「帰ったらちゃんと謝りますよ」
 怯えるリナリーにクスクスと笑ったミランダが、すぐに眉根を寄せて黙り込んだ。
 「あ・・・ごめんね、辛いのに」
 「大丈夫・・・目が回るだけなの。
 じっとしていれば平気なんだけど・・・動くとくらくらして・・・。
 眠ればいいんでしょうけど、昨日からずっと寝ていたから、眠れなくなっちゃったの。
 自業自得なのにこんなことを言ったら怒られるでしょうけど、退屈で仕方がないから、誰か傍にいて欲しいって思っていたのよ・・・」
 苦しげな割にはおしゃべりなミランダに苦笑して、リナリーが頷く。
 「じゃあ、私がここで看病するよ。
 殿下をお助けしようと思って来たんだけど、よく考えたらここはご自宅なんだし、ご不自由があるはずないんだよね。
 私の仕事なんかもう、ないんだから、せめてミランダのお世話をするよ」
 少し寂しそうに笑うリナリーの手を握ったミランダが、優しく微笑んだ。
 「ありがとう」
 「うん・・・!」
 ミランダの手を握り返し、リナリーは窓の外を見る。
 「さっき、兄さん達がペック邸を調べに出て行ったんだよ。
 ミランダも手伝ったんでしょ、お葬式とかオークションとか?
 リーバー先生へのプレゼントは落札できたの?」
 「えぇ。
 荷物は先に、ロンドンへ送ってもらったの。
 サチコちゃんもキャビネットが欲しいって言っていたから、かぶるかしらと思ったんだけど、彼女は古くて広い引き出しの三段キャビネットで、私は小さな引き出しがたくさんついた、最近のキャビネットだったから、ほとんど競わずに手に入ったのよ。
 日本茶館に置くのに、欧州の古い家具でいいの、って聞いたら、全部が全部日本の物じゃない方が、お客さんが落ち着くだろうって。
 サチコちゃんって本当に上手ねぇ」
 本当に退屈していたらしいミランダがいつもよりよくしゃべるのを聞いて、ほんの少し気鬱だったリナリーの気も晴れた。
 「ねぇねぇ、あの宝石のオークションってどんなだったの?
 殿下が、アメリカの富豪と戦って勝ったんでしょ?」
 「えぇ。
 あの宝石が出たのはオークションの最後だったけど、皆さん参加しないまでも見物したかったらしくて。
 ほとんどのお客さんが残ってましたよ」
 競売人はプロを呼んだらしく、アレンとラビは会場へ、ほとんど顔を見せなかったと言う。
 この時、彼らはパリ市警から、邸を売らずに一旦貸すように交渉されていたそうだ。
 早くロンドンへ帰りたい二人がごねたため、交渉が難航している間にオークションはほとんど片付いてしまい、最後に残ったダイヤモンドの指輪が出てきた頃、ようやく会場へ戻って来た。
 市警から好条件を引き出したらしい彼らは満足げな顔で、メインの出品を見守っていたそうだ。
 「最初はかなり、手を上げる方が多かったですよ。
 でも、20万フランを過ぎた辺りから急に減って、アメリカの方が30万フランをつけた時には殿下もしばらく考え込まれました。
 その時かしら、メッセンジャーボーイ・・・いえ、女の子だったそうだからメッセンジャーガールね。
 外から来た子が『急ぎの電報です』って、オークションの受付係に届けてくれたらしいの。
 私もそれは後で聞いたから、どんな子かは知らないのだけど、とにかく受付係がその電報をアメリカの方に渡したら、目を通すなりいきなり立ち上がって。
 その直前に殿下が『35万』をコールしてらしたから、何事かと思ったわ。
 でも、その方が『母が倒れたそうだ、失礼する!』って、会場中に響き渡るような大声でおっしゃって、すぐに駆け出てしまわれたから、皆さんも『お気の毒に』って囁くばかりで。
 結局、殿下が競り落とされたんですよ」
 「そっかぁ・・・」
 一通りのことは既に聞いていたが、メッセンジャーのことまでは知らなかったと、リナリーが呟く。
 「そしてそのダイヤを、殿下がすぐに身につけてらしたのね。
 2日間、ほとんど手放さなかったって」
 「そうらしいわね。
 あのダイヤ、内覧会の前に私も見せてもらったけど、とてもきれいなんですよ。
 青いダイヤと聞いていたからそんなに青いのかと思っていたのだけど・・・サファイアのような色ではないのよね。
 なんていうのかしら・・・白絹にできる青味を帯びた陰のような・・・水に映る空のような・・・?
 透き通った中に青さが感じられる色なの。
 王冠を飾っていただけあって、カットは昔ながらの大胆さなのに、プリズムは台の金色を受けて素敵に輝いていたわ。
 指輪は男性がしていただけあって大きくて、私の指からはすぐに抜けてしまったの。
 落としたら怖いからって、もうそれ以上は触れなくて・・・。
 ラビ君に笑われてしまったわ」
 臆病なミランダらしい話だ。
 思わず笑ってしまったリナリーは、ふと小首を傾げる。
 「・・・まさかそのメッセンジャーガール、例の金髪の子じゃないよね?」
 「え?
 金髪の子って・・・なに?」
 アレン達は怪盗の話題で随分と盛り上がっていたが、ミランダは興味がなかったのか・・・いや、生真面目な彼女のこと、葬儀の準備やオークションの手伝いに集中していたのだろうと思い、リナリーは聞いたことをかいつまんで話した。
 「だからね、その子がまた怪盗の手先として現れたんじゃないかなぁって。
 だって怪盗としては、ダイヤをアメリカに持って行かれちゃ大変だもんね!
 ここに・・・フランスのパリの、しかも殿下のお手元にあった方が都合が良かったんだよ」
 「まぁ・・・!
 あの電報に、そんな意味が・・・!
 それに、男爵がメイドに殺されたらしいとは聞いていたけど、そんなに小さな女の子が怪盗の仲間なの?
 しかも、あの方が女の子を襲ったかもしれないだなんて・・・。
 それはちょっと信じられませんけど・・・」
 アレン達には散々変態呼ばわりされていたが、ミランダは未だに彼を有能な外交官だと信じているらしい。
 「ミランダにはどんな人に見えたの?」
 と聞けば、彼女はしばらく考え込んだ。
 「・・・父がインドへ向かう前、ドイツのベルリンで次の任地が決まるのを待っていた頃よ。
 あの方はベルリン駐在大使だったから、色んなパーティでお見かけしたわ。
 有能な方だそうで、いつも大勢の殿方と難しい話をしているって印象ね。
 女性と話しているところをほとんど見なかったから、真面目な方なのね、って思ったわ。
 それに、子供達にとても優しくて。
 いい方だと思ったけど、なぜか子供達のお母様方はあの方を嫌っている風で、どうしてかしらとは思ってたわねぇ・・・」
 「あー・・・そうなんだー・・・・・・」
 ロリコンと言う情報を知らないだけで、こうも人物像が変わってしまうのかと、リナリーは思わず身震いする。
 きっと邸に勤めていた下男も、優秀でメイドにも優しい旦那様だと思っていたのだろう。
 そんな邸に入ってしまって、本当に気の毒な子だと思った。
 ・・・いや、怪盗の仲間として邸に入り込んだ以上、自業自得なのか。
 考え込んでしまったリナリーを、ミランダが不思議そうに見上げた。
 「どうかした?」
 「いや・・・そのね、例のメイドの子は怪盗の仲間で、今回も多分、ダイヤを盗もうとして邸に侵入したんだろうから、自業自得なのかなぁって」
 「そうかもしれないけど・・・殺してしまったり、殺されてしまうのはお気の毒だわ・・・」
 ため息をついたミランダに、リナリーは慌てて謝る。
 「ご・・・ごめんね、具合悪いのにこんな話しちゃって!
 普通の話しようか!」
 と、話題を探すが、つい先程までちょめ助の冤罪事件に関わっていたために、その話しか思い浮かばなかった。
 今こんな話をすれば、またミランダに気を遣わせてしまうだろう。
 リナリーが困っていると、ミランダの方からその話をしてきた。
 「あの・・・聞き間違いならいいのだけど、殿下の宝石を探しにいらしたあの警部さんがさっき、日本茶館がどうとか言ってなかった?
 まさか・・・サチコちゃんのお店のことじゃないわよね・・・?」
 「・・・ガルマー警部め!」
 よりによって避けたかった話題を大声の警部のせいで話す羽目になり、リナリーが悔しげに唇を噛む。
 「ど・・・どうかした・・・?」
 「それがね・・・」
 できるだけショッキングな話し方にならないよう、慎重に言葉を選んだものの、友人が疑いを掛けられたと聞いて、落ち着いていられるミランダではなかった。
 「そんな・・・!」
 「あぁ、でも大丈夫なんだよ!
 すぐに、兄さんが疑いを晴らしてくれたからね!」
 慌てて言うや、リナリーはコムイとラビの活躍を事細かに語る。
 「だからちょめちゃん、警部達を連れてお店に帰ったの。
 今頃、警部達をこき使ってる頃だよ!」
 「そ・・・そう・・・」
 ホッとして、ミランダは大きなため息をついた。
 「よかった・・・」
 「あの・・・疲れたんじゃない?
 具合悪いのに、随分としゃべったし。
 もう眠れるんじゃない?」
 まだ眠れないようなら薬を処方したもらった方がと、気遣うリナリーにミランダは微笑む。
 「そうね・・・そうしようかしら。
 ついていてくれて、ありがとう・・・」
 「ううん」
 首を振ったリナリーは、ミランダの背に当てられていた枕を元の位置に戻して、布団を掛けなおした。
 「じゃあ、おやすみ。
 私もそろそろ寝るよ」
 「おやすみなさい。早く解決するといいわね」
 その言葉に頷いて、リナリーは部屋の明かりを消す。
 「また明日ねー」
 ドアを閉めて、リナリーは自分の部屋へと戻って行った。


 その頃、コムイとお供の少年探偵達は、クラウドの邸から程近い、元男爵邸の調査に来ていた。
 壊された跡も生々しい鋼鉄の門は、鎖と南京錠で一応の防犯をしている。
 「ちょっと待ってさ、今開けっから」
 じゃらじゃらと大きな音をさせて、ラビが南京錠を開け、鎖をはずした。
 「ここを調べるのは夜が明けてからにするかな。
 いくら街灯が明るいったって、細かいところを見落とすかもしれないからね」
 そう言われて、門に貼り付こうとしていたアレンは残念そうに探偵の後に続く。
 門からポーチまではそう距離はなく、家全体も小ぢんまりしていた。
 「向かって右がアパートメント、左が空き家か。
 アパートメントの住民は、夜更かしが多いみたいだね」
 既に真夜中近いが、明かりのついた窓が結構な数ある。
 左側はもちろん暗闇だが、塀の周りには街灯があり、道を挟んだ左側にはやはりアパートメントがあって、いくつもの窓に明かりが灯っていた。
 「なるほど、これなら門を壊す音なんかした日には、見物人が集まるわけだ」
 呟きながらコムイは、小さなポーチを上って、明るいホールへと入る・・・直前。
 「どうしました?」
 ドアを大きく開け放ったかと思えば、ポーチに戻って欄干の前に跪いたコムイを、アレンが驚いて振り返った。
 「ねぇ、そこになにか・・・」
 「明かり持ってきて!」
 大声に反応したラビが、ホール隅にあったテーブルから燭台を持って戻ってくる。
 「なんかあったんさ?」
 燭台に立てた蝋燭に火を灯しつつ問えば、コムイが欄干の基礎に刻まれた文字を指した。
 「1868年、Mille?
 この家が作られた年と、建築家の名前だろ?」
 それのなにが気になるのかと、ラビが小首を傾げると、立ち上がったコムイが顎を引いて考え込む。
 「この名前、殿下の邸にも刻まれてた。
 有名な建築家なのかい?」
 問うと、アレンは『知らない』と首を振ったが、ラビは『あぁ』と頷く。
 「フランスじゃ、いくつも賞や勲章をもらってる、爺さんの建築家さ。
 こういう上流階級の家を多く手がけてるし、そもそもパリの街の区割りだって、第二帝政時代に一気にやっちまってんじゃん?
 同じ区域に同じ建築家がいくつも邸を建ててたって別に、珍しくもないさね。
 きっとここの両隣の家も、同じ建築家の建造物だと思うさ」
 「そうか・・・そうだね・・・。
 じゃあこれはなんてことのない情報かもしれないし、もしかしたら・・・パリと言う、特殊な街だからこそ起こりえた事件かもしれない・・・」
 「そ・・・それってどういうことですか?!
 なんかわかったの?!」
 目をキラキラさせて詰め寄るアレンにちらりと笑い、コムイは嬉しげに邸内へ入った。
 「そうだね、ちょっとした思い付きはあった。
 だけどまだ確かだとは言えないから、ちゃんと証拠を見つけようか。
 この邸も、あのガルマー警部が念入りに調べたのかな?」
 「らしいさ。
 俺らは事件の2日後に来たから、もうあらかた調査は終わってて、警部自身は帰るトコだったけどな。
 警部が預かってた鍵を返してもらって、二人で葬式と遺品整理を始めたんさ。
 殺人現場以外の家具は動かしていいって言われたから、遠慮なく移動させて。
 それもこないだのオークションであらかた売っちまったから、今は備え付けのやつと、売れ残ったもんしかないさね。
 でも・・・」
 「隠し扉とか秘密の部屋とか、見当たらないんですよねー・・・。
 僕達、あちこち探してみたんですけど」
 今もこの邸の客間に泊まっている二人は、家具がなくなってがらんとした家で、それこそ少年探偵ごっこに明け暮れたと言う。
 しかし、怪盗どころか猫が忍び込みそうな隙間さえなかった。
 「・・・僕達の無念を晴らしてください、コムイさん!」
 「俺ら、隠し部屋とか隠し通路とか、めっさ見たいんさー!!」
 「あーうるさい」
 縋り付いて来る子供達を邪険に振り払って、コムイは暗かった邸内に次々と明かりを灯していく。
 「わざわざ言われなくったってね、ボクだって見たいんだよ、隠し部屋とか隠し通路とか、何より怪盗をさ!」
 だから、と、振り返ったコムイがにんまりと笑った。
 「今夜は徹夜覚悟でがんばっちゃうよんv
 「さすがコムイさんっ!!」
 目から星でも出そうなほどにキラキラと輝かせたアレンが、コムイの周りをちょろちょろと駆け回る。
 「お手伝いします!
 ううん、させてください!」
 「俺も俺もっ!
 ちゃんと夜食も用意してっから、一晩中だってやれるさね!」
 ラビがわくわくとはしゃいだ声をあげると、コムイが足を止めた。
 「じゃあ、先にいただいちゃおうかなー。
 よく考えたらボク、今日は英国側の列車で軽食を食べただけだった」
 以降、ずっと船酔いに苦しんでいて、食事をするどころではなかったが、ちょめ助の冤罪を晴らしたり、フランス版忍者邸の捜索をするにあたり、ようやく食欲も出てきたらしい。
 アレンは当然、真っ先に賛成し、ラビも特に異議を申し立てず、探偵達はまず腹ごしらえにと厨房へ向かった。


 「じゃあまず、調査に当たってだけどさ」
 一人だけワインを飲みながら、コムイはラビを指した。
 「この辺りの詳しい地図、住人の名前までわかる範囲で入れて描いてくんない?」
 「おっけー」
 難しい指示に、ラビはあっさりと頷いて席を立つ。
 「でかいのがい?」
 「できるだけね」
 もう一度頷いたラビは、大きくて広い巻き紙を持って戻って来た。
 「ちょいテーブルのもんどけて」
 ラビが広げた紙から逃げるように、アレンがテーブルの上の食べ物を自分へと引き寄せる。
 「中心はこの家でいいんさ?」
 「うん。
 ここを中心にして・・・ねぇ、怪盗達が消えた邸って、全部この辺りに収まるのかい?」
 コムイの問いに、アレンがはっとして席を立ち、厨房を駆け出たかと思うとスクラップブックを持って戻って来た。
 「これ!
 ラビが抜き出した記事を貼っておいたんです!
 ラビったら自分は全部覚えてるからって、新聞を捨てようとしたんですよ!
 だから僕、怪盗の記事だけ取っといたんだ!」
 はい、と渡すと、コムイが嬉しげに笑ってアレンの頭を撫でる。
 「お役立ちだったね、アレン君!
 すごく助かるよ!」
 誉められたアレンは得意げに笑った。
 「ね?
 捨てなくて良かったでしょ!」
 ラビを振り返ると、彼は無言で地図を描き込んでいる。
 まるで下絵でもあるかのように、白い紙にすらすらと正確な地図を描き込む彼に、アレンは肩をすくめた。
 「頭はいいのに、なんで生かせないかなぁ」
 「聞いてんぞ、アレン」
 不機嫌な声に舌を出し、アレンは住民の名前まで書き込まれた地図を覗き込む。
 「あぁ・・・道のせいで遠回りにはなっちゃうけど、地図で見るとここと殿下のお邸って、裏側でほとんどお隣なんだね。
 向こうは裏庭も広いし、途中に林があるからここからじゃ全然見えないけど」
 「ん。
 ちょっと離れるけど、怪盗が消えたって言う弁護士の家も、通りを無視したらほとんど一直線の場所さね。
 ・・・あ、コムイが気にしてた建築家の家、殿下んちと弁護士の家の間にあるさ。
 ここの広い場所がそうさね。
 あの人ンちは、自分の建築技術の展示場みたいになってっから、『こんな屋根がいい』とか『こんな棟を作って欲しい』とか、実際に見て依頼ができるって人気なんさ。
 まぁ、随分な爺さんらしくて、もう現役は退いてるそうなんけどね」
 「ふぅん・・・」
 アレンのスクラップブックをめくりながら、コムイはなにか、ほかの事に気を取られているような生返事をした。
 「今、キミが言った家、星印でもつけといてくれる?
 あと・・・アレン君、ここって殺人現場の調度は売らずに残ってるのかな?
 さすがにそんなのを買おうとする物好きはいないだろうって希望でしかないんだけど」
 問うとアレンは大きく頷く。
 「あの部屋の物はできるだけ動かさないようにって言われちゃったんで、売ったのはその他の部屋のものだけです。
 きれいに片付いてますけど、やっぱり血の臭いがしそうで気分はよくないですね」
 「ミランダなんか、あからさまにびびって近くにも寄ろうとせんかったかんね」
 「そう・・・」
 頷いて、コムイはスクラップブックのページをめくった。
 「事件直後の記事にはガルマー警部の見立ても書いてあるね。
 下男が見たって言う、荒らされた現場と違って、警官が駆けつけた現場では、テーブルも椅子も『いつもと同じ場所に』片付けてあった、って。
 だから警部は『この部屋をよく知る人物が元通りにしたに違いない』って言ったそうだ。
 これにはボクも賛成。
 記事を読む限り、怪盗が犯人だって見立ては彼の直感以外の何ものでもないけど、この時この邸の内部を知る人間がメイド一人しかいなかったんだから、彼女が片付けの指示をしたか、手伝ったかは間違いないよね。
 その点だけでも、彼女は少なくともこの時間は生きてて、無理矢理拉致されたんでもない。
 でも・・・不思議なんだよなぁ・・・・・・」
 空になったグラスにワインを注ぎながら首を傾げるコムイを、ラビも手を止めて見遣る。
 「不思議って、なにがさ?」
 「うん・・・怪盗って多分、あの青ダイヤを狙ってたんだよね?
 金髪の女の子がメイドとしてこの家に入ったのも、隙あらば盗んで逃げようとか、そういう魂胆だったんじゃない?」
 「まぁ・・・結局殿下のお邸から盗んでるんですから、そうでしょうね」
 「あいつの死亡は最初から狙ってたってより事故っぽいし・・・そうだろうな」
 コムイの言葉に、二人は揃って頷いた。
 あのダイヤを巡っては殺人事件まで起こっているのだ、怪盗の狙いがそれ以外にあるとは到底思えない。
 なのになぜ今更そんなことを聞くのかと、不思議そうな二人の視線を集めて、探偵は独り言のように呟いた。
 「ちょめ君のキャビネットに入ってた偽物の指輪・・・ラビだから偽物だって見抜いたけど、指輪の内側に彫られた文字まで、そっくりに作ってたんだよ?
 この家に入ってからの彼女は、隙あるごとにあの指輪をしっかりと見るか、チャンスを狙って写真を撮るかして、怪盗に詳しい情報をあげたんだろうね。
 じゃなきゃ、あそこまでそっくりなものなんて作れないでしょ」
 「そっか?
 家の中以外でも、一度でも外したトコ見れば、楽勝で作れるんじゃね?」
 「それはラビだからー!
 僕は絶対無理!」
 ぷるぷると首を振るアレンにコムイも賛同する。
 「怪盗は、盗みに関しては特異な才能を持っているかもしれないけど、カメラ並みの記憶力は持っていないらしいね。
 それに男爵を殺してしまったのは本当に予想外のことで、怪盗はもっと穏便に、『偽物を作って摩り替える』つもりだったんじゃないかな。
 そうすれば、女の子が疑われて警察に追われることもないしね。
 そんな情熱と時間をかけて指輪を狙っていた怪盗が、だ!」
 コムイはグラスを置き、テーブルの上で手を組んだ。
 「なんであの日、男爵の手から指輪を抜いていかなかったんだい?」
 「・・・・・・は?」
 コムイの指摘に唖然とした二人は、一瞬後、言葉の意味を理解して目を見開く。
 「そ・・・そうだよ!!なんで?!
 警察がこの家に入ってくるまで、一時間半も時間があったんだよ?!
 そのあいだ、部屋の片付けとか死体の着替えとか、そんな手間の掛かることをやったのになんで肝心の指輪を放ってったの?!」
 「うわ・・・!
 なんで誰も、そのことを考えんかったんさ・・・!」
 呟いたラビはしかし、呆れ顔を引き締めた。
 「あいつが死んで、不思議な金髪の子がいなくなって・・・でも指輪は残ってんだから普通、誰も怪盗の『か』の字も思い浮かべないはずさ・・・!
 俺らが葬式やオークションの準備してる間は警察に安置された遺体の手にあったから、単純に手が出せなかったにしても、殿下の手に渡った後、2日間は何事もなかった・・・。
 殿下の邸から消えた経緯も、本当は盗まれたかどうかもわからない、って状況さね。
 だから・・・」
 「そう」
 困惑げなラビに、コムイが頷く。
 「ガルマー警部が騒ぐから怪盗の仕業だってことになってるけど、彼が何も言わなければ誰もこの事件・・・いや、指輪に怪盗を関連付けることをしなかったろうね」
 「じゃあ、犯人はガルマー警部?!」
 「いや・・・アレン君、なんでそういうことになっちゃうの」
 ないない、と、コムイは手を振った。
 「長年怪盗を追っている彼はおそらく、痕跡を残さないっていう痕跡を見て、怪盗の仕業だって思ったんだろうね。
 けど、肝心の指輪は盗まれてないし、自信が持てなかったからこの家は2日程度の捜査で引き上げたんだよ。
 でもプライドの高い彼らしいってゆーか・・・新聞に言っちゃった『怪盗の仕業だ!』って発言は取り消さなかったから、世間は『指輪はなくなってないけど怪盗の仕業!』って思い込んだんだろう。
 危うく冤罪を作るところだった彼が『やっぱりこの事件も怪盗の仕業だった』って、確信を持ったのは殿下の事件があってからさ。
 そこで聞きたいんだけど」
 と、コムイはラビとアレンを交互に見つめる。
 「男爵が指輪をしていた方の手に、なんかあった?
 なにか握っていたとか、傷があったとか」
 「うん。
 汽車ン中でも話したけど、女の子から引きちぎったらしい金髪を何本も握っていたのがその、指輪をしていた手なんさ。
 でも傷はなかったらしい。
 指輪を抜いたのは死後硬直が解けた後、検視官の手でだけど、死体の手をこじ開けようとした痕はないね、って言われてガルマー警部が悔しそうな顔してたし」
 「そっか、だったらきっと・・・」
 ため息のように、コムイは詰めていた息を吐いた。
 「金髪の少女は、金髪じゃないんだよ」
 「は?!なんさそれ?!」
 「あの・・・ワケわかんないんですけど・・・?」
 こぼれんばかりに目を見開いた二人に、コムイはふっと笑う。
 「ずっと思ってたんだよ・・・念入りに掃除をして、遺体も出来る限り整えた犯人がなんでそんな目立つものを残したのかな、って」
 「そ・・・れは・・・」
 なんで?と目を向けてきたアレンに代わって、ラビが口を開いた。
 「きつく握ってて、手が開かなかったからじゃね?」
 ごく当然のように言った彼に、コムイは笑って頷く。
 「そう、ボクもキミから聞いた時点ではそう思ってた。
 少女と彼は酷く争ったそうだし、下男君はずっと鳴っていた呼び鈴で目を覚ましたっていうし?
 刺された男爵が最後の力を振り絞って呼び鈴を鳴らした、って言うよりは、誤って刺してしまった女の子が助けを呼ぼうとして押したんだろうな、って。
 でも、寝ていた下男君が目を覚まし、着替えてから男爵の部屋に来るより先に、怪盗が駆けつけたんじゃないかな」
 料理人が休みで、下男の就寝時間も大体つかめて来た頃合・・・それは、怪盗が盗みに入るのに都合のいい日でもあったはずだ。
 「怪盗は、彼女の合図があればすぐにでもここに入って来られるくらいの、近くにいたと思うよ。
 もしかしたらあの部屋で起こった一部始終を聞いていたかもしれない。
 男爵を刺した少女が助けを求めて押した呼び鈴は、怪盗の耳にも入っただろうね。
 でもね、きっと・・・この家の隠し扉だか隠し通路は、内側からしか開かないんだよ」
 「えーっとつまりそれは・・・ここの住民が万が一の時のために逃げ道を作っていた、ってことですか?」
 「たぶんね」
 アレンの問いに、コムイはあっさりと頷く。
 「この家が建ったのは1868年、パリ改造の真っ只中だ。
 インフラは急激に整って行ったけど、1789年以降、何度も起こった革命や政変は上流階級の人々を不安にさせただろうね。
 またいつ、市民が大挙して押し寄せ、首狩りに興じるかわからない。
 この邸の建築を依頼した人物が、外からの侵入を非常に恐れていたってことは、あの鉄扉を見ても明らかでしょ」
 コムイが指す窓の先には、非常な苦労をして壊された門があった。
 「そんな警戒厳重な家だもの、外からの侵入を許すなんてこと、絶対になかったろうね。
 だから怪盗は女の子をメイドとしてこの家に入れて、できれば穏便に、摩り替えるだけで済ませたかったんだと思うよ。
 でもこんなことになって、怪盗は彼女を助けなきゃいけなくなった。
 泥棒だけなら・・・そしてそれがばれなければ女の子は、『怪盗と一緒にスリリングな冒険を楽しんだ』ってことになるかもしれないけど、殺人となれば別だよ。
 子供とは言え、辛い目に遭うだろうね。
 どんな経緯で彼女が怪盗の手先になったかはわからないけど、怪盗は彼女の・・・多分、精神的なショックを和らげるために、現場をきれいに片付けたんじゃないかな。
 血みどろの現場を目に焼き付けて去らせるより、部屋を元通りにして、男爵も何事もなく眠ったようにしつらえて、何も起こらなかったんだよ、って彼女の目に見せた・・・のかも?」
 これは予想だけどね、と付け加えるコムイを、アレンは複雑な顔で見つめる。
 「それってつまり、怪盗は本来の目的である盗みより、女の子を助ける方を優先したってことですよね。
 なんだか・・・悪い奴だって、思えなくなりました。
 少なくとも、女の子にはすごく優しい」
 「あぁ・・・。
 俺らにはあいつの性癖を知ってる、って偏見があるからかもだけど、ちょっと・・・怪盗に味方したくなったかね」
 難しい顔で頷いたラビの、止まってしまった手を早く動かすように命じて、コムイは背もたれに身体を預けた。
 「変だな、って思ったのはもう一つあるんだ。
 いくら硬く握ってたって言っても、下男君が部屋に入った時にはまだ、男爵は最期の痙攣をしてたんでしょ?
 まさに、この瞬間に事切れたんだろうね。
 下男君はそれを見てすぐに邸を出て行ったって言うし、警官が入ってきたのは一時間半後。
 彼らが部屋を片付けていた間、まだ死後硬直は始まってないんだよね。
 だから着替えもすんなりできたんだろうし、握った金髪だって抜き取ることはできたでしょ。
 床に数本落ちたとしても、彼女はメイドとしてその部屋に出入りしてたんだから、落ちてても不思議じゃない。
 なのに髪の毛も指輪も回収しなかった。
 てことはさ・・・」
 再び手にしたワイングラスを揺らして、残りを一気に飲み干す。
 「ペック氏と争ったのが金髪の少女だと、そう示したかったんだろう。
 金髪は犯人が残しておきたかった証拠なんだ。
 だから・・・」
 「犯人の女の子は金髪じゃない。
 警察が捜すのは『金髪の少女』だから、本来別の髪色である女の子は、捜査の対象にはならない・・・!」
 「そゆこと」
 アレンの答えに拍手で応え、コムイは立ち上がった。
 「彼女は今、本来の髪の色に戻って生活している。
 そしてもう一つ・・・」
 ラビの描くパリの地図を見下ろし、腕を組む。
 「彼女はこの家の隠し扉だか通路だかを、どうやって知ったんだろう・・・。
 警部達が散々探して見つからないんだから、きっと下男君も知らないんだろうな。
 彼は彼女より長くこの家に勤めてたの?」
 「はい。
 彼はお兄さんが住んでいた時からこの家に仕えていたそうです」
 忙しいラビに代わって答えたアレンが、小首を傾げた。
 「でも、隠し扉とかそんなのは聞いたことないって、何度も警察の人達に言ってました。
 ちなみにこの家を建てたのは、あいつの紳士的なお兄さんだそうですよ。
 ちっさい頃に何度か会いましたけど、確か政府の偉い人で、ブックマンのおじいちゃんが『あやつほど話を聞きだすのに苦労する奴はいない』ってぼやいているのを聞いたことがあります。
 すっごく口が固いんだって」
 「じゃ、この家の秘密を他人に漏らすわけないか。
 もしかしたら、身内にも漏らさなかったかもね。
 だったら建築を依頼した本人以外で、この家の秘密を知っている人、って言えばー?」
 明らかにテストをしているコムイの口調に、ラビが目を輝かせる。
 「建築家!!
 この家を建てた、ミールって爺さんさね!」
 「かもねー♪」
 「ぼ・・・僕だってそのくらい、わかったもん!」
 先に言われた!と、不満げなアレンに笑って、コムイは完成した地図を満足げに見下ろした。
 「さすがだね、ラビ!
 キミの知識は本当に大したもんだ」
 「へへっ!」
 誉められて嬉しげなラビに、コムイはいたずらっぽい目を向ける。
 「だけど、街の地図はこれだけじゃないよね?」
 「へ?
 もっと遠くまで描いた方が良かったさ?」
 でももう紙の余裕がないと、首を傾げるラビに、コムイがにんまりと笑った。
 「ねぇラビ?
 ボク、結構ヒントを出したつもりだったんだけど。
 パリの街、大改造、隠し通路にあと・・・建築家。
 これで何も思いつかなかったらキミ、ブックマンに酷い折檻を受けるんじゃないかい?」
 「え・・・?」
 コムイと並んで自作の地図を見下ろしたラビは、腕を組んで考え込む。
 「んーっと・・・パリの街は元々、すっごい道が入り組んでて、悪臭はするわ罪人は逃げやすいわで近代的な街にはふさわしくないからって、第二帝政時代に大改造をした・・・うん、この家が建った頃だよな。
 隠し通路・・・建築家・・・・・・?
 通路・・・建築・・・通路・・・通路!地下通路!!
 んで建築用の石は地下の採石場から運んでた・・・パリの地下都市さね!!!!」
 「なにそれ・・・」
 そんなものがあるの、と不思議そうなアレンに、ラビが大きく頷いた。
 「元々パリは、ローマ時代から採石場として建築資材を掘り出してたところなんさ!
 18世紀には死体の悪臭対策として、そこに地下墓地を作ったりしてんの。
 他にも、革命家や反乱分子が逃げ込んで勝手に道を広げたりして、パリの下にはとんでもない距離の迷路が広がってんさ!
 多分、この家の下にもな!」
 そうだろ?!と、得意げに見遣ったコムイはまた拍手をしてくれる。
 「正解。
 その地下都市だけど、現在進行形でこっそり掘られてるのを除いて、大体の地図って描ける?
 もちろん、この家を中心にして、今描いた地上の地図に沿って」
 「任せとけ!」
 大笑して胸を張ったラビを、アレンが唖然として見つめた。
 「ラビ・・・君って・・・・・・」
 声を詰まらせたアレンを振り返り、ラビは得意げに鼻を鳴らす。
 「すっげーだろ!」
 「すっげー馬鹿!!!!」
 「は?!」
 当然誉められてしかるべきと思ったシーンでけなされて、ラビが目を剥いた。
 「なんでさ?!」
 「こっちがなんでだよ!
 地上の正確な地図が描けて、地下のことも地図が描けるくらい知ってんのに、なんでこの家の下に抜け道があるんだってこと、すぐに気づかないの?!」
 「へ・・・えーっと・・・・・・?」
 アレンに指摘されて、ようやくそのことに気づいたラビが、気まずげに目をさまよわせる。
 「ホントに君って、頭いいくせに使えない頭でっかち!
 きっとこの家を建てた兄さんは、その地下都市のことを知っててこの場所に建てたんだよ!
 だったらこの家の隠し扉だか通路は、その地下都市に繋がってるってことでしょ!
 どんだけ広いのか知らないけど、そんな所に逃げ込まれたら捕まえるのなんて到底無理だし・・・つまりコムイさんはさ!」
 眉根を寄せたまま、アレンはコムイを見つめた。
 「そういう意味で、この事件はこの街だからこそ起こった事件だ、ってゆったんでしょ!」
 「あ」
 ぽかんと口を開けたラビの顔が、紅く染まっていく。
 「パリ大改造のことまで話しといて・・・俺はずかし・・・!」
 「馬鹿っ!
 ホント使えない馬鹿!」
 「言いすぎだぞガキンチョ!」
 顔を真っ赤にして、ラビはアレンの頭を掻き回した。
 「じゃ・・・じゃあコムイ、お前はこの事件に建築家のミールが関わってるって思ってんさ?」
 早く話を変えようと、早口で言うラビにコムイは小首を傾げる。
 「本人が関わっているかどうかは・・・。
 でも、彼が当然持ってるだろう建築用の設計図なんかで、情報が漏れたと考えた方がよさそうだね。
 殿下の家も彼の設計だったし、もしかしたら怪盗達が消えたって言う弁護士の家も、彼の手によるのかも。
 同じ時期、同じ階級の人達が同じ不安を持って同じ建築家に邸宅の建築を依頼した・・・。
 それに彼が応えたから、彼は多くの賞や勲章を手にしたんだろう」
 「なるほど・・・」
 納得し、深く頷いたラビの隣でアレンもコクコクと頷いた。
 「さすがコムイさん、知識だけのラビとは全然違いますね!」
 「もうその話ヤメー!!」
 絶叫するラビの肩を、コムイが笑って叩く。
 「いいからラビ、早く地下の地図を描いちゃってよ。
 その間、ボクとアレン君は殺人現場の調査と行こうか」
 「はいっ!」
 不満げなラビに思いっきり舌を出して、アレンはコムイの後について行った。


 男爵殺害の現場は邸の二階、寝室の隣にある広い居間だった。
 話に聞いていた通り、そこには絨毯がなく、きれいに磨き上げられたフローリングの上にテーブルと椅子が四脚、暖炉の傍には安楽椅子が一脚、整然と並べてあった。
 他の部屋にはもうほとんど家具もなく、がらんとしていたが、この部屋だけはなんの事件もなかったかのように当たり前の住居の体をなしている。
 「指輪が抜き取られてなかったことで警部のテンションは下がったろうけど、念入りには調べたんだよね?」
 ついてきたアレンを振り返ると、彼はコクコクと頷いた。
 「警察はもちろんのこと、僕とラビも、何度も何度も調べました!
 壁だって一枚一枚叩いて音を確かめたんですよ。
 でも・・・何もなかったです」
 残念そうなアレンに頷き、コムイはゆっくりと室内を歩き回った。
 「・・・怪盗は・・・彼女の声が聞こえる場所にいた・・・・・・。
 少なくとも、呼び鈴は聞こえていた・・・」
 マントルピースの前に立ち止まり、ここにあったはずの置時計の跡を見、テーブルを見やって上に乗っていたはずの水晶の燭台とナイフを思い浮かべる。
 「声・・・音・・・音だけでも・・・・・・」
 テーブルを囲む椅子に触れながら壁際へ向かい、猫脚の木製キャビネットの前で足を止めた彼は、いきなりそれを横へずらした。
 「アレン君、これ、なんだと思う?」
 現れた壁の下方、白い陶器のカバーの中心に開いた穴を指した彼に、アレンは眉根を寄せる。
 「なにって・・・コンセントでしょ。
 この家にはとっくに電気が通ってんですから、どの部屋にだってありますよ」
 それがなにか?と訝しげなアレンに、コムイは笑って頷いた。
 「ボクには、せっかくのコンセントをなんでキャビネットで隠しちゃうのかって事の方が気になるけどね。
 それに・・・これはなーんだ?」
 コムイが横にずらしたキャビネットの背を指すと、薄い裏板には丸く穴が開いている。
 「・・・キャビネットの裏って、穴が開いてるもんですっけ」
 オークションで売りさばいたキャビネットには開いてなかった気がすると、不思議そうなアレンの目の前で、コムイは最下段の引き出しを開けてみた。
 「空だねぇ・・・。
 でも、随分と大きくて広い引き出し。
 何も入れないなんてちょっと考えられないけど、下男君はここから何かなくなったって、言ってなかったかい?」
 「いえ・・・それは聞いたことないです」
 コムイの問いに、アレンは首を振る。
 「この部屋からは壊れた時計とか燭台とか、色んな物がなくなってるから彼は、他になくなっているものはないか聞かれてましたけど、その引き出しの中のことまでは知らなかったんじゃないですか?」
 メイドならともかく、下男が主人の居間のキャビネットを気軽に開けるとは思えなかった。
 そう言うと、コムイは頷いてキャビネットの一番上の引き出しを開ける。
 「中身は・・・リネンか。
 テーブルクロスにレースの敷物・・・この部屋のテーブルや花瓶なんかに使うものだね。
 真ん中は・・・やっぱりリネンだ」
 取り出した布を中に戻して、コムイは再び一番下の引き出しを開けた。
 「ここにもきっと、そういう類のものを入れてたんだろうね。
 でも今は空・・・おそらく彼女が来てからは、別のものが入ってたんだろうさ」
 「別のものって?」
 興味を惹かれてアレンが詰め寄ると、手の幅で引き出しのサイズを計っていたコムイが顔をあげる。
 「多分、固定式の無線機。
 キャビネットの裏にコードを通して、壁のコンセントから電源をもらってたんだろう。
 仕掛けたのは主人が留守の間に忍び込んだ怪盗か、その仲間かもね。
 このキャビネットは部屋の調度としては申し分ないけど、中身はメイドしか出し入れしないものだ。
 主人が何かを入れるわけもないけど、彼女は念のため、無線機の上にクロスを被せて目隠しくらいはしてただろうな。
 電源はいつも入れておいて、こちらの声が怪盗へ届くように・・・そして多分、あの日のあの時は、呼び鈴を押す少女に怪盗が『隠し扉を開けて自分を中に入れろ』と命じもしただろうね」
 「無線かぁ・・・。
 それじゃあ、あの時怪盗は、この部屋にいたわけじゃないんだ・・・」
 がっかりと肩を落としたアレンの頭をすれ違いざまに撫でて、コムイは部屋を出た。
 「ちょっと見れば、そんなものないってわかるでしょ。
 あの部屋は、男爵の寝室とメイドの寝室に挟まれてんだよ?
 抜けるとしても、どっちかの寝室だよ。
 壁だって人が通れるほど厚くないし」
 念のため、両側の寝室も覗いて確かめたコムイは、一階へと降りて行く。
 「下男君の部屋が厨房の隣・・・『主人』の心理的に言って、いつも人がいる場所に隠し通路なんか作りたくないだろうから、階段を挟んで反対側・・・『主人の』プライベートルームじゃないかな。
 寝込みを襲われた時のために寝室にも抜け道があるんじゃないかと思うけど、労力は避けたいしね」
 階段くらいは安全に下りようと、コムイは二階にある寝室の真下、小さな裏庭に面した書斎に入った。
 寄木模様の床はきれいに磨かれ、両側の壁は備え付けの本棚で天井まで覆われている。
 「中の本は売っちゃったの?」
 ついてくるアレンを振り返ると、彼はコムイの背にぶつかりそうになりながらなんとか踏みとどまる。
 「おじいちゃんの命令で、本は売らずにロンドンのラビんちに送ってます。
 本棚が空になったんで、動いたりしないかなって二人で色々弄ったんですけど、普通の備え付けの本棚でした」
 「本当にあちこち調べたんだねぇ・・・」
 冒険小説の読みすぎな気もするけど、と笑ったコムイは、アレンにホールの燭台を持ってくるように言った。
 「この部屋に、不自然な空気の流れはないかな・・・」
 蝋燭に火を灯し、本棚を上から下まで照らすが、火が風に揺らめくことはない。
 「本棚じゃないか・・・じゃあ」
 デスクや椅子のなくなった床に跪き、蝋が垂れるのも構わず蝋燭をかざしていくと、窓のある壁際で突然、火が消えた。
 「ここ・・・かな?」
 そこは本来、デスクが置かれていて、入り口からは確実に見えない場所だ。
 「どれどれ・・・」
 もう一度蝋燭に火を灯し、床の継ぎ目を丹念になぞると、ひんやりとした空気が吹き出ている箇所があった。
 「ここ・・・から・・・」
 アレンも一緒になって床に這い、風を感じる場所を手でなぞっていく。
 「寄木模様のひとマスか・・・ちょっと太目の大人だって通れそうな大きさだね。
 多分ここが入り口なんだろうけど、どうやって開けるんだろう?」
 「ラービー!!ラビー!ちょっと来てー!!」
 考え込むコムイの傍らで、アレンが厨房へと大声をあげた。
 「なんさ?!見っけたんか?!」
 飛んできたラビが、床に這う二人の間に入り込む。
 「ここ?!
 ここがそうなんさ?!」
 「たぶんね。
 でも、どうやって開けるのか・・・」
 「寄木じゃね?!」
 わくわくと目を輝かせたラビを、コムイが不思議そうに見遣った。
 「寄木って、この模様のことだよね?
 これがどうかした?」
 「イヤ、俺が言ってんのは寄木細工のことさ!」
 早口に言って、ラビは床の模様をなぞる。
 「前にちょめの店で買ったんけど、模様を順番通りにずらしていくと、蓋が開く仕組みになってる箱があるんさ!
 多分これも・・・」
 そう言ってラビは、寄木模様を作る濃い色の板を壁側に滑らせた。
 「ホレ、ずれたさ!
 じゃあ次は・・・こっちかね?」
 模様にしか見えない板を動かしていくと、マスの中央に穴が開いて鉄製の取っ手が現れる。
 「見っけたさー!!!!」
 喜び勇んで取っ手を掴んだラビが、分厚く重い戸を引き上げた。
 「階段だ・・・!」
 地下から吹き上がる風に髪を揺らしながら、コムイが中を覗きこむ。
 奥は暗く、とても見通せなかったが、随分と深いことはわかった。
 「コムイ!見てみ!」
 呼ばれて半身を起こすと、アレンに戸を支えさせたまま、ラビが取っ手から手を離す。
 途端、ずらしていた板が勝手に元の位置へ滑り落ち、一瞬で元の寄木模様へと戻ってしまった。
 「なるほど・・・。
 これで誰からも気づかれずに、地下へ逃げ込めるってワケだ」
 戸は自身の重みで閉まってしまうので、ここから逃げれば追っ手にも気づかれない。
 「そして外から侵入を企んでも、戸に迫った階段が邪魔だし、戸自体も重いから、とてもじゃないが開かないってことか。
 その上普段は、デスクか椅子がこれの上に乗ってるだろうしね」
 感心するコムイの傍で、アレンも戸を支えたまま頬を染めた。
 「すごい・・・!
 でも、これがパリの地下都市に通じてるんなら・・・」
 「ここから怪盗を追うのは無理だろうね」
 軽く吐息したコムイは、アレンに戸を閉めるように言って立ち上がる。
 「さぁて・・・次はどこを攻めるかなぁ・・・」
 両腕を上げて伸びをするコムイに、アレンとラビが縋った。
 「頼むさ、名探偵〜!」
 「僕達、前夜祭までにはロンドンに帰りたいんですよぉぉぉぉ!!!!」
 がんばれ、どんどん行けと、急かす子供達にコムイが苦笑する。
 「今日は遅いからもう寝るとして、明日・・・」


建築家を攻めるか!
殿下にもう一度話を聞こうか。



 







ShortStorys